面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

岸和田花火大会2011

2011年08月01日 | 放浪記
7月30日(土)。
去年に続いて、海の男・umiさんのご好意に甘えて、umiさんの“高速艇”に乗って海上から「岸和田花火大会」を観覧。
umiさんの高速艇は今年も快調♪
海上保安庁に追われる密漁船もかくやと思われる高速でビューポイントへ。
(顔中が塩辛くなったのは言うまでもない)

去年、血眼になって写メを撮りまくった割には“ナイスショット”がほとんど無く、今年はもう少しゆっくりと花火を見ることを心がけつつ、やっぱりケッコウ写メってしまうわけで。

  

海面に花火の光が映るのが何とも良い風情

やっぱりブレたり流れたりタイミングが悪かったりと、ロクでもない写りばかりの中から、秀逸の2枚。

  

20時から21時の1時間、たっぷりと夏の風物詩を堪能。
umiさんには感謝多謝!

3年ぶりの福岡遠征

2011年06月01日 | 放浪記
いささか旧聞になってしまったが、今年の交流戦は福岡でのホークス戦が土曜日開催となったので、3年ぶりに福岡遠征に繰り出した。
毎年開幕シリーズをご一緒している福岡の虎ファンの大先輩からお招きにあずかり福岡へ。
博多駅に着いたら「つばさ」が停車中で思わず写メ。




博多駅からドーム直行バスで到着
3年ぶりの風景にテンション上がる上がるよなー!




遠征の楽しみのひとつは球場の“オリジナルグルメ”。
選手毎の弁当から「和田弁当」をチョイス。
しかし後から思えば「杉内弁当」にしとけばよかったか…(まぁ結果は一緒やろけどね)
〈故・和田勉ならぬ「和田弁」〉




ちなみに中身は和田の好物を詰めたんだそうで。




今回は「コカ・コーラシート」での観戦!
グラウンドにせり出した野球好きにはたまらん席だ♪
ファールから身を守るヘルメットとグローブが箱詰めになって席毎に置かれてあった。




更に「コカ・コーラシート」ならではの“ハプニング”が!
試合開始5分前まで、マートンが即席サイン会を開いたのだ。
あっという間にファンが群がり、席からは離れていたので出遅れ、とりあえず写メだけは…!




さて、試合前は上がりっぱなしのテンションも、試合が進むほどにダダ下がり
レフトスタンドの虎ファンの声援も虚しく響くばかり…




試合もつまらんので場内見学。
グルッと一周できるのはドームならでは。
(甲子園では内野~外野は行き来できないので)




ラッキーセブンの風船も虚しく、全くラッキーの気配も無し




かたやホークスファンは盛り上げる甲斐もあるというもの。
普段は近所のスーパー、ダイエーでしか聞くことのないホークス球団歌。




全くイイところ無くボロ負けで試合終了。
せっかくなので、ヤフードーム名物の花火も見て帰ろうと居残ることに。
〈あまりよく写らず…〉




場内の灯りが落とされて、何やら「未知との遭遇」みたいな風景に




打線を大幅に入れ替え、4人も若手を入れたものの効果無し。
「すぽると」でインタビューを受けた杉内が、
「鳥谷やブラゼルがいた方が恐かった」
と言われた日には、何をかいわんや。

オリジナルのヒッティングマーチも無い若手4人を並べても、何ら工夫させるでも何か仕掛けるでもなし。
金本もそうだが、ひどいケガだった鳥谷もしっかり休ませるべきだろう。
ブラゼルを代打で途中出場させるのも意味が無いし、榎田の起用もムチャクチャになってきてるし、采配の意図が何も伝わってこない。

このままではチーム内に不協和音が出てこないか心配になってくる…

試合後の「ダメ出し会」で食べたモツ鍋が、ものすごく美味しかったことだけを収穫に、ひっそりと帰阪。

出張in米沢

2011年02月27日 | 放浪記
週末、出張で生まれて初めての山形は米沢へ。
早朝に伊丹を発って、1時間ほどで山形空港に到着。

とりあえず案内板を確認。




空港から、出張先の工場までバス移動。
それにしても、少し前にも久しぶりに大阪でも雪が積もったが、比べものにならない積雪量。




打ち合わせ後に工場内見学。
エヴァンゲリオンの主題歌の一部が何度も繰り返し流れているのが面白かった。




ホテルにチェックイン。
部屋から見える風景も銀世界。




夕食までの時間つぶしに米沢駅まで散策。
といっても、降りしきる雪の中を必死で歩いて、八甲田山行軍の気分。
想像以上に小さい駅でビックリ!
とても新幹線乗り入れ駅とは思えないが、新幹線も在来線を走っているのだから、新大阪などとは風景が違って当たり前ではある。




楽しみにしていた米沢牛の焼肉で夕食。
これが実に柔らかく、脂のノリも素晴らしく、とにかく美味い♪

  


翌朝は上杉神社へ。
知らなかったが、神社は米沢城の跡地とのこと。
本丸跡に神社があり、ご本尊は上杉謙信公。

神社手前でお出迎えいただくように、江戸時代随一の名君とも言われる、かの上杉鷹山公が鎮座ましまして恐縮の至り。




上杉神社はお堀に囲まれていて、鯉がたくさん泳いでいる。
鷹山公は食用としてかなうことから、鯉を飼うことも奨励したとのこと。


堀の手前から見た神社正面


上杉謙信が亡くなったのは、まだ上杉家がまだ越後を治めていた頃の話。
なのでぶっちゃけた話、米沢と謙信公は関係が無いが、米沢藩上杉家の初代君主として崇め奉られている。
傑物であるし違和感は無いが、米沢で上杉の殿様が慕われていた証拠でもあろう。




上杉神社とはいえ、歴史好きには外せない史跡。
仙台へ移る前に米沢を治めていたのは伊達家であり、歴女に多大な人気がある正宗公が生まれたのも、この米沢の地なのである。




本殿へ向かう途中、「なせばなる…」の有名な歌が刻まれた碑と共に再び鷹山公の像。




いよいよ本殿へ。
最初の鳥居は石で、直前の鳥居は木。

    


昼食は、神社を囲む堀のすぐそばにある「上杉伯爵亭」にて。
その名のとおり、元は上杉家の邸宅だったものを改装した趣きのある店。
室内から見る雪景色もすばらしい眺め。

   


もと来た道をたどって空港へ。
あとは伊丹へと飛ぶだけ。
空港も小さけりゃ、搭乗する飛行機も小さい。

 


工場で先方の担当者から聞いた話が興味深かった。
山形県の中でも、米沢を中心とする置賜地方と山形や上山、東根などの北方とは“仲が悪い”のだとか。
確かに最初の廃藩置県の際も置賜県として山形県とは別だったし、そもそも藩が異なるのが理由とのこと。
高速道路も米沢に入った途端に車線が減るなどというボヤキの話に笑ってしまった。

米沢牛と上杉神社観光を満喫した米沢出張も、これにて全行程終了…


伊豆放浪記<伊東編>

2010年08月23日 | 放浪記
久しぶりにゆーっくりと温泉につかり、朝風呂まで楽しんでからチェックアウト。
雨が降りそうなくらいに曇っているが、昨日あれだけピーカンのカンカン照りだったので、通り雨か、はたまた昨今のこと「ゲリラ豪雨」が来るかもしれない…と覚悟して宿を出た。


宿の送迎者で伊東駅まで送ってもらい、そこから歩いて観光名所の「東海館」へ。
元は老舗旅館だったが、今は観光名所として保存されている。

<「東海館」遠景>
趣きのある風情が結構。





これまた風情のある玄関。
しかし、「お座敷文化大学」て何やねん!?誰が考えたコピーなんだろうか。

<「東海館」玄関3景>

    



あちこちから石を集めて風景を作ったという中庭。
今では天然記念物となって移動できなくなっている岩が中心にドーンと据えられ、これを亀に模して鶴の石像を置き、鶴亀の構図を表現しためでたい作り。

1階の廊下から客室を望むが…暗すぎて分かりにくいなぁ。
普通の宿屋のように横並びに部屋の入口があるのではなく、一部屋ずつ一戸建て風に入口を作ってある。

<「東海館」1階廊下>

  


順番に客室を見学していくが、各部屋毎に工夫が凝らされており、たとえば床柱や天井板の木の種類が違ったり、お膳の形が違っていたりと、風景が異なるところが面白い。
ここも前日の「起雲閣」同様、文豪に愛されたと言うが、そら東海館の風情なら、良い小説が書けるわな。

<「東海館」客室内部>

  



3階建ての大きな旅館だが、更に天井部には望楼が設けられている。
一応、定員10名と書いてあったが、案内の大将が「大丈夫でしょう」と15人ばかりで上がった(確かに大丈夫だったが実はちょっと怖かったり…)

<「東海館」望楼>
望楼内部、東方を望むと隣の元別館の望楼が見え、西方を眺めるとはるか向こうの山の中腹にハトヤが見える(写真ではハトヤが小さすぎて見えない…)

  



3階には大広間が2間あった。
元は2間続きになっていて、120畳敷きの超巨大広間だったとか。
今は東と西に分けられているが、それでもどちらもたいがい広い。

<「東海館」3階大広間>
左から全景と金屏風が置かれた舞台のある東側、落ち着いた佇まいの西側。

  



1階の喫茶室で休憩したのを含めて1時間以上東海館にいた。
いやぁ、ここも十分に遊べたわ♪

一応、小さいガイドブックを買って参考にしていたが、そこに載っていた「キネマカフェ伊東劇場」を目指して、東海館を後にした。
いかにもなネーミングの商店街の入口がすぐ近くにある。

<「キネマ通り」入口>





映画が娯楽の中心だった頃、ここにも映画館が建てられたのだろう。
その後いつまで上映されていたのか知らないが、今も商店街に名残を残しているわけで。
本によると、その劇場跡がカフェとして運営されている模様。
入場は無料で、昭和の名画(?)が上映されているスクリーンを観ながら、近所の店から出前してもらって飲食を楽しむというものらしい。

ガイドブックの地図を見ながらたどり着いてみると…
映画館だった建物らしきものは見つかったが、カフェなど跡形も無かった。
だいたいこの元映画館の建物自体、完全に閉鎖されていて中になど入れない。
カフェ開設時に設置されたらしい、描かれている作品は古いが、描かれたのは最近だろうと思われる昔ながらの映画の看板が哀愁を帯びていた…

<「キネマカフェ伊東劇場」跡>

   



仕方なく劇場跡を後にして、みやげ物の物色と昼飯を食べるために「道の駅・伊東マリンタウン」を目指して伊東駅へと戻る。

駅に着いたら、朝の曇りはどこへやらのカンカン照り。
陽射しはキツイが、日陰で風を受けると涼しいところは大阪とは大違いで快適♪
しかし大阪の夏も、昔はそうやったよなぁ(感嘆)

<ピーカンの伊東駅>





駅のバス停でしばらくバスを待ち、5分ほどで「伊東マリンタウン」へ。
広大な駐車場に土産物屋と食べ物屋が集まった施設は、よくある大型の「道の駅」の風景。
更に温泉施設(スーパー銭湯風)も併設されており、軽く半日は遊んでいられる、ファミリーが休日を過ごすにはうってつけというもの。
建物の裏手はヨットハーバーとなっており、更に海が広がって風光明媚で結構結構。

<伊東マリンタウンからヨットハーバーを望む>





土産物を物色し、メドをつけてから昼飯に。
ここはひとつ、伊東らしいものを何か食べるのがよろしかろう(というか旅の定番?)

<昼飯「駿河湾丼」>
桜えびとしらすとまぐろの三色丼♪美味し!





食事と買い物を済ませて「伊東マリンタウン」を後にし、帰阪の途についた。
それにしてもノンビリゆっくりと過ごした2日間。
普段は風呂につかることもないので、久しぶりに温泉でゆっくり湯船につかったときは正に極楽♪
熱海も伊東も、のんびりと散策するには程よい街で、十分に観光を楽しめた。
さすがは老舗温泉観光地?

熱海駅で新幹線に乗る前に、この2日間世話になった(水分補給に2、3本飲んだ)「ぐり茶」を記念撮影。
大阪では売っていない緑茶であるが、こっちではごく普通に売られていた。

<「ぐり茶」>




伊豆放浪記<熱海編>

2010年08月22日 | 放浪記
老舗温泉観光地という風情の残る熱海と伊東。
関西で言えば、和歌山の白浜のイメージか。
しかし東京・横浜からの観光客の数は、関西のそれとは比べものにならない程多いことだろう。
白浜をはるかに凌ぐ規模で、確固たる地位を築いているように思われる。

熱海~伊東2日間の旅程、初日は熱海をぶらぶら。
熱海と言えば「金色夜叉」であり、貫一お宮である。
海岸に像が立っているのは有名だが(前述日記掲載のとおり)、演歌師の歌がエンドレスで流れているのは知らなかった。
これは笑える♪

<お宮の松>
2代目だそうで。初代の切り株がそばに保存されていた。





名だたる文豪達が愛したところでもあるそうで、そんな彼らが逗留して小説を書いたという元旅館「起雲閣」。
お金持ちの別荘として建てられ、戦後旅館となって熱海を代表する宿として数多くの宿泊者を迎えてきたそうな。
広い日本庭園の中庭を囲んで回廊式に宿泊施設が並んでいて、和洋中の様式をそれぞれ取り入れた建物群が楽しい。

<起雲閣中庭より>
市街地とは思えない静かな佇まい。こりゃここなら、いい小説が書けるわ。





有数の温泉街として、かつては芸者さんもたくさん居たとのこと。そらそうやろな。そしてその名残として、芸者さん達の踊りが見られる「熱海芸妓見番」。
京都で言えば歌舞練場にあたるか。

<熱海芸妓見番正面>





元祖温泉饅頭の店というのを探していて偶然見つけた「市外通話発祥記念碑」。
なんでも、熱海には政官財の要人達がよく訪れていたため、東京から至急に連絡をとる必要に迫られたため電話網を整え、日本で初めて市外通話サービスを提供したのだとか。
こいつは知らなかった!

<市外通話発祥記念碑>
すぐ横には、発祥記念の電話ボックスもあった。





そして熱海らしいと言うか何というか、この「市外通話発祥記念碑」は、なぜか間欠泉の一角にある。
記念碑を読んでいると、突然岩から温泉が噴出してきてビックリした!

<市外通話発祥記念碑そばの間欠泉>
温泉が噴出している岩のすぐ左下に記念碑が立っている。なぜ??





ようようたどり着いた、元祖温泉饅頭の店「延命堂」。
有名らしくて、いろんな番組で芸能人が取材に来ていた。
上沼恵美子も絶賛!ともあって、彼女も全国区なのだと改めて実感。

<延命堂>





ウロウロ散策の途中、銀座と呼ばれる通りもあったが、やはり昔はそこが歓楽街の中心地だった様子。
しかし今ではすっかり古びて、さびれた感じが漂っている。
まあお盆をはずした平日の昼間だったからかもしれないが、名残の看板だけが残っている元は映画館だったと思われる建物の前は、何となく寂しさが漂っていた。

<「ロマンス座」という映画館があった模様>
なぜか入口前にオッサンがイスに座ってふんぞり返っていて、建物を正面から撮影するのははばかられた。あのオッサンは誰や?





そんなこんなで、11時過ぎに到着してから、夕方の4時半頃までたっぷりと、熱海市街地をウロウロして楽しんだ。
けっこう遊べるものだ♪

伊東に向かうためにホームへ上がると、伊豆急直通列車が停車していた。
これよりも一本早い列車に乗れたが、急ぐ旅でもなく、せっかくなのでこの列車に乗ることに。

<特別仕様の伊豆急行>
その名も「黒船電車」て…センスを疑うネーミング。全くもって猫も杓子も「龍馬伝」やな。
ちなみにとなりのホームには特急「踊り子号」が。

      



この列車、座席の作りが“オーシャンビュー”になっていて面白い♪
そして最後尾は展望車両になっていて、車内はガラガラだったので、走りながらどっちも見に行ってやろう♪とワクワクして乗り込んだものの、伊東までの間はほとんどがトンネルと線路脇の木や建物が邪魔になって、風光明媚もイマイチ楽しめず…

<オーシャンビューのシートと最後尾の展望車両>

   



伊東駅に降り立ち、迎えの車に乗り込んで宿に到着。
「伊東に行くならハトヤ♪」という歌のイメージが鮮烈にインプットされているのだが、今回の伊東ツアーではハトヤホテルが取れず、その裏手の方に位置する宿へ。
ハトヤが山手の方にあったのは意外。ちなみに海辺にあったのは「サンハトヤ」だった。

<ホテル正面遠景>





伊豆放浪記<序>

2010年08月21日 | 放浪記
久しぶりに盆の時期をずらして取った夏休みで、今まで新幹線で通過するばかりだった「伊豆の国」へと行ってみた。

伊豆と言えば、熱海を基点にして南下するというのが定番。
(というのは大阪人ならではの発想であろうか)
ということで、生まれて初めて新幹線の熱海駅で下車し、名だたる温泉観光地・熱海をウロついたあと伊東へ移動。
一泊して温泉につかりまくってノンビリ過ごした♪

それにしても熱海も伊東も、カンカン照りの陽射しのもとではジリジリと暑いものの、日陰で風に吹かれると格段に涼しいのにはビックリ!
そして伊東の夜の涼しいこと♪
宿では部屋の冷房を切って寝た。
さすがに朝起きたときは暑かったが、それでも大阪では考えられない「冷房無し睡眠」。
朝風呂にもつかり、体の芯の冷えが取れて健康になった気が…

熱海も伊東も、さすが老舗の温泉地であった。

ナゴヤ遠征外伝

2010年04月04日 | 放浪記
野球については何もイイところのなかったナゴヤ遠征であったが、野球に関係のないところで、ちょっとだけ遊んでみた。

試合終了後、ある目的があってドームから名古屋駅までの帰りを急いだ。
以前にネットで情報を得ていた、名古屋で評判という「とろなまドーナツ」を買いに向かったのである。
近鉄なごや駅の上にある「近鉄パッセ」というところで、その「とろなまドーナツ」とやらを売っている店があるということで駆けつけたが、店頭には既に「本日分完売」との案内が…
3月のはじめに店がオープンしてから連日長蛇の列ができ、夕方6時半頃には売り切れるとの情報は得ていたのだが、1ヶ月以上経ってもやっぱり夕方6時半頃には売り切れてしまうようだ。
(ちなみに到着したのは7時前)
どんなものかも分からない「とろなまドーナツ」。
とりあえずパンフレットが置いてあったので、持って帰ってみた。

    

…やっぱりどんなものか、さっぱり分からない。
次回の名古屋遠征時には、ドームへ向かう前に立ち寄るとするか。

仕方なく土産にういろうを買いこんで、帰りの近鉄特急「アーバンライナー」を乗りに駅構内へ。
車内で弁当を食べるので、そのときに飲む茶を買いに売店に寄ったところで、見たことのないペットボトルを発見。
手にとってみればそれは…



「ドアラウォーター」て…
ドラゴンズのマスコットであるドアラが、最近やたら人気があるというのは以前から話題になっていた。
ドームでは、特に目新しいキャラクターグッズは無かったのだが、まさか近鉄の駅でこんな珍妙なものを入手できるとは。

ナゴヤドームでは、イニングの合間に「バク転に挑戦!」とか言うコーナーも設けられていて、キャラクターとして存在感は際立っていた。
甲子園のトラッキーどころではない「キャラ立ち」で、確かにオモロイ存在ではある。

今度は、一泊で2試合観て帰るくらいのゆったり日程で行ってみたいものだ。


出雲放浪記②

2009年08月14日 | 放浪記
玉造温泉で一泊し、さんざん温泉につかりまくった翌日。
昨日とはうってかわって快晴!
目指すは開府400年という城下町・松江の中心、松江城。

豊臣秀吉より出雲国守の任を受けた堀尾吉晴は、尼子氏が本拠としていた月山富田城に入ったものの、城近くの山から攻撃を受ける危険性と、政庁とするには奥まった位置にあったために不便であったことから、現在の松江城を築いて移った平山城。
なんでも、維新の際に明治政府から城閣廃止の指示が出たが、元藩士を中心とした地元の有志が尽力して天守閣を買い取り、残ったものだとかなんだとか。

外側は黒い板で覆われ、堂々たる風格。
戦国時代も終わりを告げた頃の築城で、姫路や大阪、名古屋ほどの大きさはないが、天守閣の地階層部分には食糧庫と井戸があり、長期の籠城戦にも耐えうる備えはさすが。
最上階からは360度の眺望が広がり、敵がどこから攻め上って来ようとも一目瞭然。
この眺望が、いまや観光の目玉となっているのだから、後の世の経済にまで益をもたらした堀尾吉晴の慧眼はさすが!
(そんなこたぁない ← タモリ風)

城の側にある武家屋敷も見学しながら、往時の松江城を偲ぶのもまた格別。
歴史好きには、何時間でも遊んでいられる名所である。

ちなみに、小泉八雲が過ごしたのもこの松江で、藩士の旧居を住まいにしていたのだが、その家屋を見学したことも付け加えておこう。
これはこれで趣き深くて結構。

日なたは暑かったものの、木陰に入ればビックリするほど涼しく、大阪では考えられない気候。
落ち着いた雰囲気の城下町であった。

最後の観戦

2008年09月09日 | 放浪記
9月最初の週末は、タイガースにとって広島市民球場での最後の3連戦。
そして本当に最後の最後となる7日(日)、前日の勝利に対する期待も抱きながら、「広島日帰り市民球場弾丸ツアー」に飛び出した。
(ツアー言うても一人なんやけどね)

試合開始は15時。
広島行きに賛同した虎仲間にとってもらっていた内野自由席の前売り券を握りしめ、開門の13時に合わせて移動。
どうせなら、試合終了後にタイガースナインが目の前を通っていく、内野自由席の一番前くらいで、かぶりつきで見たいもの。
新幹線で12時半の広島に到着、広電に乗った。

たどり着いた広島市民球場。
真っ青に晴れ渡った空は、まるで真夏のよう。

「夢と感動をありがとう」。
ホンマにそのとおりやね。

9番ゲートを目指して歩いていくと、長蛇の列が見えてきた。
げげっ!こら一番前はムリやなぁ…まあ、しゃあないわ、と最後尾を目指して列に近づいていったら、その最後尾が見当たらない!
行列をたどっていくと、なんと!
近くを流れる太田川の土手まで続いていた。
ひえ~!一番前どころか、どこらへんに座れるやろ!?と心配しながら、20分ほど並んでやっと入場。

しかしスタンドに入ってみると、意外と下段の方に空きがある!
ラッキー♪ということで、前から3列目に陣取った。


金網越しで、しかも目線が低いので、実は試合を見るには少々不適ではある。
ホンマに野球の試合をじっくり見たいなら、中段付近がいいのだが、今日の目的は少しでも選手に近く、である。
試合開始直前、選手たちがキャッチボールを始めると、目論見どおりすぐそこに林と平野が。


タイガースが守備のときは、金本がすぐそこに見えることだろう!
期待が膨らむ。

スターティングメンバーも発表されると、両チーム応援団が大いに盛り上がる。
広島とは思えない大声援が沸き起こるレフトスタンドには、応援団旗がはためく。



ファンの盛り上がりをよそに、タイガース打線は相変わらず低調。
あっという間に1回表が終わると、いよいよ間近に金本登場!



まずは入念にキャッチボール。
相手は最後まで桜井が務めていた。
(先発メンバーではなかったということやね)



さあ、広島の攻撃が始まる。
甲子園なら黄色、黒、白、グレーにピンクと、結構色が混ざるのだが、広島はさすがに赤一色。
超満員の外野スタンドは、遠めに見てもなかなか威圧感がある。



タイガース打線は相変わらず低調なまま、広島先発の前田を崩せない。
一方のタイガース先発の金村は、毎回ランナーを出しながらも失点を許さない。
よく言えば投手戦。
悪く言えば得点効率の悪いブサイクな試合。

見せ場もないので、グラウンド整備の際に登場する謎の“カップヌードルカー”を
撮っておく。
新しい球場でも、こいつは活躍するのだろうか。
(て、活躍してたように見えないのだが、ただの宣伝にしては投資効果が薄いように思う…)


とうとう我慢しきれず、先に失点したのはベテランたる金村の方。
5回裏に2点を失うと、次の回にも3点を与えて万事休す。
今のタイガースには、3点、4点と点差がつくと、とてもひっくり返せそうにない。
ラッキー7も高橋の代打ホームランでわずかに盛り上がっただけ。
タイガースの攻撃の途中から、カープファンが赤いジェット風船を膨らまして用意を始めると、瞬く間にスタンドが真っ赤に染まっていった。

これはさすがに迫力がある。

そうこうするうちに、ほとんど見せ場もないまま、試合終了。



前日の延長戦での粘り勝ちもどこへやら。
いや、前日勝てたのが不思議なくらい試合の流れは悪く、選手たちの動きも悪い。
これは本当に苦しい状態だ。
引き上げる選手たちの足取りも重い。



とにもかくにも、これで広島市民球場でのタイガース戦は終了。
この球場も見納め。
閉場するとの場内アナウンスが流れる中、名残を惜しむファンたちは、そこかしこで写真を撮っていた。
内野指定席との境目のフェンスも開放されたため、三塁側スタンドへと進み、夕闇迫るグラウンドを焼き付けた。
(いや、ネガフィルムやないねんけどね)



いよいよゲートが閉まるということで場外へ。
広島駅へと向かう前に、再度記念に球場正面を。



開場以来、広島復興のシンボルとしても、広島市民とともに歩んできたであろうこの老球場。
「夢と感動をありがとう」
市民ひとりひとりの思いが込められているようで、少しジーンとした。

まだ数試合残っているが、正真正銘の最終戦は、ぜひカープの勝利で飾ってほしいもの。
長い間、ご苦労さまでした。