面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「Vフォー・ヴェンデッタ」

2006年04月30日 | 映画
あまり期待せずに観に行き、「あ、エエやん♪」という映画に当たったときは楽しい。

近年よくあるコミック原作の“ダークヒーローモノ”ということで、坊主頭のナタリー・ポートマン以外は注目していなかった。
しかしそこは、さすがにウォシャウスキー兄弟が脚本/製作にあたっているだけのことはあった。

話は単純、独裁国家にあって、自由を取り戻すために暗躍するレジスタンスである『V』と名乗る仮面のテロリストの活躍と、彼の行動により圧制からの解放に目覚めた人々。
そしてそこに『V』誕生秘話や独裁国家への道のりと裏事情などの謎解きと、『V』とヒロインとの恋模様などのエッセンスがほどよくからんで、観客をスクリーンに引きつけ続ける。

国家とは国民のために存在するものであり、断じて国民が国家のために存在するのではない。
個人の存在こそが尊重されるべきものであり、決して国家の存在がそれに優先するものではない。
独裁は、その当り前のことをないがしろにするものであり、最も忌むべきものであるが、往々にして人々が求めるものとなる。

一つは、個人を規制できるのは、その個人自身しかいないのに、その個人自身が自身を規制できなくなってきたとき。
自律ができない個の増加は、各個は自身を省みることなく、周囲の個に対して疑心を生み続け、それが社会不安をもたらし、結果として、国家による個の統制を許してしまうことになるのである。

もう一つは、本作のように国家が危機に見舞われたとき。
国家が危機に見舞われると、多くの個人はパニックに陥り、とにかくその存在を守ろうという意識が芽生え、個人の存在は片隅へ追いやられてしまう。
しかし、その『国家の危機』は、実は一部の人間が自らの利益のためだけに捏造することができる。
その恐ろしいメカニズムを、非常に分かりやすく解き明かしているところは面白い。
この点については、広くそういったことに無関心な方々に、ぜひ観ていただきたい。。

Vフォー・ヴェンデッタ
2005年/アメリカ・ドイツ 監督:ジェイムズ・マクティーグ
出演:ナタリー・ポートマン、ヒューゴ・ウィービング、ジョン・ハート

必勝パターンの構築

2006年04月30日 | 野球
本日のタイガースは、ヤクルト相手に2対1で薄氷を踏む思いの勝利。

今シーズン初の1点差勝利!
これを藤川、久保田の“必勝パターン”で押し切ったのが大きい。
今年、何度も失敗してきたこのパターン。
チーム打率、防御率ともにリーグ1位ながら5割ラインをうろちょろしていた最大の原因がここにあった。
しかしここへ来て藤川の“勢い”が戻りつつあり、あとは久保田だけであったが、とりあえず今日一つ、こういう試合を取って実績を作れたことが何よりも良かった。

今は、1点差試合を藤川、久保田で凌ぎきるという実績を一つ一つ積み重ねていくことこそが肝要。
実績の積み重ねが自信となり、磐石の必勝パターン構築へとつながっていくのだから。

「ヒストリー・オブ・バイオレンス」

2006年04月29日 | 映画
クローネンバーグ監督らしい、破壊された人体の描写は、抑え気味ながらもリアルで、“バイオレンス感”を静かに際立たせる。

人間とは、更生できるもの。
時間はかかるけど。
それは“自然治癒力”の一つなんじゃないだろうか。
そう考えるのは性善説過ぎる?
いや、そんなことはないはず。

人が「更生する」ための原動力となるのは、やはり家族の愛。
決して、更生施設なんかじゃなく。
無償の深い愛情に触れれば、人間は必ず更生する。
そして、無償の深い愛情を注ぐことができるのが家族。
だからこそ、自分の過去と決別すべくある“処理”を行い、それが更に心に深い傷をつけることになりながら家族の元へと戻ってきた傷心の主人公に、娘は夕食のための皿を持ってきて、息子はパンを用意するのである。

決して、何かの宗教を信じているわけでもなく、また博愛主義者でもないが、愛こそが人を助け、導くことができるのだと思っている。
『All you need is love』は至言である。
だからこそ、ビートルズは“神”となれる(そら言い過ぎか!?)

ヒストリー・オブ・バイオレンス
2005年/アメリカ 監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
出演:ヴィゴ・モーテンセン、マリア・ベロ、エド・ハリス、ウィリアム・ハート

なんとなく…。

2006年04月29日 | music
ミスチルの歌は結構好きだ。
自分の歳からすると「ちょっと若作りちゃうん!」と言われかねんけどね。

歌が好きになるときの基準は、まずメロディーが自分の中で響くかどうか。
実は歌詞はあまり重要視しない。
なので、「エエ曲やん♪」と感じて、カラオケで歌ってみよう♪と思って、CD借りて歌詞を読んでガックリくる…ということもある。
その場合、結局カラオケでは歌う気がしない。
歌いたいと思う曲は、やっぱり歌詞が自分の中で響くものになる。
歌詞全体でなくても、ワンフレーズが響けばそれで良い。

ミスチルの場合、もちろんメロディーから入っていくのだが、好きな曲は歌詞がじわじわ自分の中に染み込んでくる。
一番好きな『Tomorrow never knows』のほか、『終わりなき旅』や『口笛』もそう。

そして最近になって気に入ったのは『ランニングハイ』。
映画『フライ、ダディ、フライ』の主題歌で、映画にもマッチしているのだが、この中のフレーズが自分の琴線に触れた。
「なら 息絶えるまで駆けてみよう 恥をまき散らして」
繰り返し出てくる決め台詞的なフレーズなのだが、なんとなく自分の思いとシンクロする。
そして、
「胸に纏う玉虫色の衣装を見せびらかしていこう」
というフレーズで曲が終わるのだが、歌詞の始めの方(いわゆる1番の歌詞)では、
「胸に纏う玉虫色の衣装をはためかせていこう」
となっている。
「息絶えるまで駆けてみよう 恥をまき散らして 胸に纏う玉虫色の衣装を見せびらかしていこう」
という一連のフレーズになって、曲は終わる。
先に感じるシンクロが更に強調され、最後に自分の覚悟を告げているようなキモチになるのである。
なんとなく、なんとなく…。

「ブロークバック・マウンテン」

2006年04月28日 | 映画
うーん、どうなんやろ…。

周りの評価としては、女性陣のウケは非常に良いようだ。
そういえば男の評価をちゃんと聞いたことがないが、男からすれば…どうやろう??

女性陣の声としては、
「なんて男性って純粋なんだろうと思った」
というものが多い。
「純粋な愛情」の“美しさ”をこの作品の中に観て感動を覚えるようだが、「純粋な愛情」の相手が男やで!?
それってどうよ?という思いが拭いきれなくて、映画の中に入り込めなかった。
ホモの世界に目覚めたら抜け出せないよ~、という話は昔から耳にするが、どうにも興味が湧かないのだからどうしようもない。
ヒース・レジャーとジェイク・ギレンホールのラブシーンは、だから全くもって観るに耐えないシーンとなってしまう。

ただ、そういう『愛の形』もある、ということは理解できる。
そして最近では市民権を得ているこの『愛の形』が受け入れられるどころか、排除の対象として嫌悪され、存在さえ否定された挙句、この世から抹殺されるという“文化”には、憤りを覚える。
これはキリスト教の影響か?

日本では、男色に対して寛容な“文化”だと思う。
「英雄、色を好む」という言葉には男色の意味も含まれているように、昔からそういう『愛の形』は広く認知されている。
ちなみに、大名など身分の高い侍が側に置いていた「小姓」には、“そういう役割”を担っていたのは周知の事実であり、だから織田信長のお小姓・森蘭丸は、大変な美男子なのだ。

話がそれたが、純粋に愛する二人を嫌悪するだけならまだしも、惨殺してしまうという“文化(風習?)”は、いかがなものか。
そんな社会を生きていくには、二人にとって辛すぎる時代であったことの悲劇には、同情を禁じえない。
『自由の国・アメリカ』の言う自由って??

そうそう、ブロークバック・マウンテンの風景は美しい。。
そして実にスクリーンにマッチした音楽も良い。
でもやっぱり、物語には入り込めない…。
より多くの観賞された女性陣の声を聞きたいし、観賞した男の意見・感想を聞きたい。
どうなんやろ、この映画??

ブロークバック・マウンテン
2005年/アメリカ 監督:アン・リー
出演:ヒース・レジャー、ジェイク・ギレンホール、ミシェル・ウィリアムズ、アン・ハサウェイ

「カンフーハッスル」

2006年04月23日 | 映画
昨年度の劇場観賞映画中、第1位に輝いた作品。

面白い!
カンフー映画は好きではないので観に行くかどうか躊躇があったが、周りの評判が良いので観に行ったところ、これが大正解!
“笑える”という面白さもあるが、単純な勧善懲悪ストーリーの面白さもあって、エンターテイメントとして非常に上質な作品になっている。

実はカンフーの達人で誰にも負けない実力があるのに、普段はごくごく普通の、どちらかと言えばバカにされるようなキャラクターで生きていて、イザというときはむちゃくちゃ強い、なんぞと言うのはお決まりのパターンではあるが、やっぱり単純にカッコいい。
主人公が、最強の殺し屋にさんざんに打ちのめされ、邪気を浴びることにより“脈が開いて”カンフーの達人として覚醒するところも単純に楽しい♪

かつての日本の常識では『悪』と見られる人や組織が『勝ち組み』なんぞともてはやされるようなこのご時世に、やっぱり最後は正義が勝つ!と言い切る潔さは、世の中に勇気と希望を与えてくれるってもんだ。

第一級の痛快娯楽活劇。
何も考えずに観ることができ、スッキリした気分で劇場を後にできるのは、映画の基本中の基本である。

カンフーハッスル
2004年/中国・アメリカ 監督:チャウ・シンチー
出演:チャウ・シンチー、ユン・ワー、ユン・チウ、ドン・ジーホワ、シン・ユー、チウ・チーリン

「かもめ食堂」

2006年04月23日 | 映画
フィンランドはヘルシンキの街角にオープンした「かもめ食堂」。
メインメニューに「おにぎり」を用意した、清潔感漂う小さな店の主人は、日本人のサチエ(小林聡美)。
近所の人々は、日本人が開いた店に興味津々で、中を覗いてはひそひそと話しているが、中へは入ってこない。
「毎日マジメにやっていれば、いつかお客さんはやって来る♪」
フィンランドの、ゆっくり流れる時間にリズムを合わせるように、焦ることなくのんびり過ごすサチエ。
そんな彼女に吸い寄せられるように、一風変わった、ちょっと“ワケアリ”な人々が集まってくる。

開店して1ヶ月めにやって来た初めての客、男子学生・トンミ(ヤルッコ・ニエミ)。
本屋のカフェで「ムーミン谷の夏まつり」を読んでいるところを、偶然サチエに見つけられたミドリ(片桐はいり)。
ある日、フラっと店にやって来て、コーヒーの美味い入れ方をサチエに教えて去っていく男・マッティ(マルック・ペルトラ)。
空港で到着するはずの荷物が無くて、呆然としながら「かもめ食堂」にひょっこりやってきたマサコ(もたいまさこ)。
なぜだか、毎日店の前で立ち止まっては店内を睨みつける謎の中年女性・リーサ(タリア・マルクス)。

少しずつ来客が増えるのと歩調を合わせるように、“ワケアリ”な人々が「かもめ食堂」にやって来た“理由”が明らかになっていく。
でも、サチエが何故、単身ヘルシンキへやって来て食堂を開いたのか、その理由は最後まで明かされない。

「人はみんな、変わっていくものですから。」
サチエはきっぱりと言う。
そしてそれは、良い方へと変わっていくんだ、と。

今があるのは「過去」があるから。
しかし大切なのは「今」、そして「これから」。
そして「これから」は良い方向へと向かっていくもの。
そう、人生は悪いものではない♪

美味しそうな食事に“シヤワセ感”を漂わせ、日々のあくせくを揉みほぐして楽ぅなキモチにしてくれる佳作。
1時間42分の美味しい時間を味わえる「かもめ食堂」。
サチエが、最高の「いらっしゃいませ」で迎えてくれる。

かもめ食堂
2005年/日本 監督:荻上直子
出演:小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ、マルック・ペルトラ、ヤルッコ・ニエミ

意地の一戦

2006年04月23日 | 野球
今シーズン最初の讀賣3連戦。

2連敗で迎えた今日の試合。
負けたらホンマにシャレにならんで!
というところで出た、8回表のアニキの一打!
シビレたね!!

ここまでで4対2。
タイガースは何度も満塁の好機を逃して、イヤ~な感じが流れ始めていた。
讀賣の林は、アニキの前の打者シーツを、なんと敬遠気味のフォアボール。
「アンディ歩かしてオレと勝負て、なめとんか?お前。」
とアニキが言ったかどうかは知らないが、アップになった顔は落ち着いた表情で、かえって凄みを感じる。
そして、追い込まれながらも、最後は低めのストレートをライト線へ弾き返す!
一塁手の右を抜けたときは、思わず「よしっ!」と声をあげたね。

そして今日も江草は、快刀乱麻のピッチング。
相変らず小気味よいテンポに、腕も良く振れていて、危なげない投球。
安定してるねぇ♪
先週日曜の甲子園は、1対0の9回表に勝負を急いだか投球が高めに浮き、長打を浴びた後に犠牲フライ2本で沈んでしまったが、日本球界の至宝、鯉のエース・黒田と渡り合った堂々たる投球は、今日も生きていた。

そうそう、アニキ意地の一打の直後の8回裏、
赤星のスーパーキャッチも素晴らしかった。
解説の川藤氏が「守りの4番打者」と言っていたが、言いえて妙見さんやね♪
打たれた瞬間、完全にポテンヒットと諦めたが、あれを捕ったのはもの凄く大きい。
追加点の後を3者凡退で抑えてこそ、チームに流れが呼び込めるのである。

讀賣に3連敗だけは食らわんぞ!という皆の意地が呼んだ今日の勝利。
こういう“意地”で勝てる試合ができるなら、タイガースは大丈夫。
強いチームになったもんだ♪

「芝浜」

2006年04月23日 | 落語
落語案内の二本目は「芝浜」。

生粋の江戸落語である。
上方落語を愛でるブログであるはずが、なんで二番目の記事が江戸落語やねん!と思われるかもしれないが、この「芝浜」は江戸落語の中で一番好きなネタであり、上方・江戸全体の数ある噺の中でもベスト3に入るくらいに好きなネタなのだ。
なにせ、オチのセリフが素晴らしい!
何度聞いても「くーっ!」と唸りながら泣きそうになってしまうのだ。
情感溢れる心温まるストーリーで、作品としての完成度の高い、落語の中でも屈指の名作である。

酒に溺れて商売に実が入らない魚屋。
ある朝、女房に叩き起こされ、散々嫌みを言われて仕方なく魚市場に向かうが、時間が早すぎてまだ開いていない。
近くの芝浜で顔を洗って休憩しているとき、ふと革の財布が落ちているのに気が付く。
拾ってビックリ、中には大金が入っていた。
喜び勇んで家に帰り、仲間を呼んでドンチャン騒ぎ。
二日酔いで目覚めた翌朝、女房に「こんなに飲んで酒代はどうすんだい?」と責められるので、「拾った財布があるじゃないか」と反論すると、女房はそんなものは知らないと言う。
そんなバカな話があるかと家中探すが出てこない。
なんと、大金が入った財布を拾ったのは夢で、大酒飲んだのは本当だったとは…!
さすがに魚屋も心を入れ換え、商売に精を出す。
やがて身代も大きくなり、暮らし振りもよくなっていく。
ついには自分の店を出し、三年目を迎える大晦日。
これまでの献身ぶりを労わり、女房に礼を言う魚屋に向かって、女房は例の財布を出してきて告白を始める…。
※参照「芝浜」:詳細な解説でオチまで書いてあるので要注意!

テレビドラマの『タイガー&ドラゴン』でも取り上げられていたので、落語にあまり興味のない方にも知れ渡っているネタかも。
三代目桂三木助の十八番とされていて、彼が存命中は誰もやらなかったという話があるくらい。
コレクションの『落語ライブラリー』の中にもあるが、何度聞いても心地よい。
古今亭志ん生のも聞いたが、当代立川談志が京都南座演じたものが、最も心を揺さぶられた。
女房の描き方が、三木助、志ん生と決定的に異なるのだ。
まず、拾った財布の大金をアテに大酒飲んで眠りこけてる魚屋を起こすシーンが衝撃的だった。
三木助、志ん生のサラッとした演出が現在でも主流をなしていると思われるが、談志のそれは、亭主を騙すことに対する後ろめたさを引きずって決死の覚悟で亭主を起こす仕草であり、亭主を叱咤するしっかり者ながら、真っ正直な性格の女房の人の良さがにじみ出る、ウェットな演出だったのである。
そしてその仕草があることで、ラストシーンで泣きながら真相を明かす女房の心情を際立たせ、思わず涙を誘うのである。
滅多に本気を出さない談志の“凄み”に触れることができた、幸せな瞬間であった。

落語に興味のある方も無い方も、ぜひ聞いてもらいたい噺。
そして、他の演者の口演を体験してから、談志の口演に触れることをお勧めする。

「時うどん」と吉朝師

2006年04月22日 | 落語
「時うどん」についての余談。

大好きだった吉朝師の持ちネタでもあったのだが、師の演出は江戸風だった。
この江戸風(「時そば」の筋立て)を知らず、初めて師の「時うどん」を聞いたときの衝撃は大きかった。
そしてまた、話の後半に散りばめられた師らしいギャグが好きだった。

紫亭京太郎氏は、鶴光師のネタをベースに、吉朝師のギャグを交えた演出でネタをおろし、回を重ねる中で、独自のギャグも入れた形を完成させたが、やっぱり演じる度に演出は変わっていた。
ちなみに彼は、白鶴酒造主催の『上方落語大学選手権』の予選にこのネタで挑戦したが、出だしのセリフで致命的なミスを犯して落選した、思い出のネタである。