面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「コリン」

2011年04月30日 | 映画
ある日突然、世界中で死者が甦り、生きた人間を襲い始める。
ロンドンでも街は大混乱に陥り、社会生活は崩壊した。
コリン(アラステア・カートン)は、何かから逃げるようにして自宅へと戻ってくる。
腕には大きな傷が口を開いており、痛みに苦しんでいるところへゾンビとなった友人が襲いかかってきた。
必死で撃退したコリンだったが、激しい倦怠感に襲われ、脱力しながら意識を失うと、そのままコリンは死んだ。

…そして甦った。
コリンの傷は、ゾンビに噛まれたものだったのだ。
朦朧としながら、思うように動かない体を引きずって街へと出る。
猛烈に空腹を感じた彼は、気がつくと他のゾンビと一緒になって、生きた人間をかじっていた。
しかしコリンは必死でむさぼり食うことはせず、ある場所へ行きたいという衝動に駆られて歩き出す…


初めてゾンビに出会ったのは、いまやゾンビ映画の古典とも言えるジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」だった。
以来、数多くの作品が作られ、そのうちのいくつかを観てきたが、襲いかかるゾンビから主人公はいかにして逃げ切るかがゾンビ映画の基本だった。
テーマはゾンビでも主人公は人間であり、人間の目線で描かれるのが当たり前であった。

ところが!
そんなゾンビ映画作品群の中にあって、「コリン」は完全にゾンビ目線で描かれている画期的な作品だ。
ゾンビが主人公の作品としては「ゾンビ・ストリッパーズ」も挙げられるが、それでもカメラの目線はゾンビのストリッパーを取り囲む生きた人間のものだった。
本作は、主人公のコリンがゾンビとなり、街中をひたすらさまよい歩く姿を追う。
それはまるで、「ゾンビになった人間を追ったドキュメンタリー」を見ているようでもある。
だからコリンのセリフはほとんど無く、声と言えば叫び声や唸り声ばかりで、外界の音が常に聞こえている。
それが返って映画に“静寂”な雰囲気を漂わせ、人間ではなくなったコリンの目で見た世界が際立たせる。
だんだんと自分がゾンビになったような気がしてくるのである。
そしてコリンが目的を果たしたとき、その姿に切なさが込み上げて胸を打つ。
と同時に、ゾンビ映画でそんな気持ちになることに驚かされる。

驚くのはそのストーリー展開だけではない。
これで製作費がたったの5ポンド(約6,000円)だというのだからビックリだ!
そんな低予算であっても、ゾンビ映画の基本をきちんと踏まえ、「死霊のはらわた」や「死霊のえじき」を彷彿とさせる残酷シーンもしっかり描ききるマーク・プライス監督は天才だ。
既にハリウッドからオファーが殺到しているというのもうなずける。


自分がゾンビになったときの予習ができる(そんな予習が必要かどうかはともかくとして)「体験型ゾンビ映画」。
画期的な新機軸作品!


コリン
2008年/イギリス  監督:マーク・プライス
出演:アラステア・カートン、デイジー・エイトケンス、リアンヌ・ペイメン

いまさら。

2011年04月29日 | よもやま
原発安全、ウソだったんだぜ 反原発曲、ネットで話題に(朝日新聞) - goo ニュース


ここへきて反原発の機運が高まっているが、何をいまさらとしか思えない。
完璧な安全などありえるわけがなく、本当に安全だと信じきっていたのなら、なんとおめでたい人かと感心してしまう。
まあ、電力会社は大スポンサー様でもあり今まで何も言えなかったということは理解はできるが、今なら何を言っても許されるというように悪口羅列のような歌を出されても、なんだかなぁ。
せめて柏崎原発の事故の際に歌ってりゃ共感できたのだが。


「婚前特急」

2011年04月28日 | 映画
24歳のOL・池下チエ(吉高由里子)は、5人の男と付き合っている。
仕事の愚痴を言うのは包容力のあるバツイチ・西尾みのる(加瀬亮)、旅行に行くのは年上の美容室3店舗のオーナー・三宅正良(榎木孝明)、スカッとしたいときはバイク乗りの金持ちお坊ちゃん・出口道雄(青木崇高)、癒されたいときは年下の大学生・野村健二(吉村卓也)、そしてもう一人は、何となく一緒にいると楽なので付き合っているパン工場の工員・田無タクミ(浜野謙太)。
自分の“ニーズ”に合わせてそれぞれの彼氏が持つ利点を活用し、時間を有効に、常に楽しく過ごしていた。

チエの話は何でも親身になって聞いてくれ、深く理解してくれている親友の浜口トシコ(杏)が、長年付き合っている彼氏の子供を身ごもり、結婚することになってビックリ!
チエはトシコから結婚を勧められるが、まだその気にはなれない。
しかし結婚式でトシコ夫妻の幸せそうな姿を見たチエは、とりあえず彼氏をひとりに絞ってみようと、自分の彼氏たちを査定することにした。
まずは男たちのメリットとデメリットを手帳に書き出して査定をはじめたところで、トシコから査定の結果、残った男との結婚を勧められる。
チエも、最後に残った人が自分の“ほんとうの相手”かもしれないと思う。

査定の結果チエは、デメリットだらけでメリットは「楽」しかない田無と別れることにした。
田無が働いているパン工場を訪ね、いきなり別れ話を切り出すと、思いもかけない言葉が返ってくる。
「俺たち、付き合ってないじゃん。」
あ。え?何?え?私たち、付き合ってなかったの??そしてたたみ掛けるように田無が言う。
「今までどおりカラダだけの関係でいよう♪」
はぁ?え?もしかして田無にワタシがフラれたことになった???
思いも寄らない展開に愕然としたチエは、田無への復讐を誓う。
「思い切り自分に惚れさせてフッてやる!」


限られた時間を有効に使って楽しい人生を送るためには、男をひとりに絞るなんてもったいない!
そう言い放つチエは、自由気ままに自分の好きなように振る舞い、相手を振り回しているように見えるが、その実しょっちゅう相手に振り回されている。
チエの中に“核”になるものが無く、自分の好きなようにしているようではあるが、その行動といえば、ただその時の気分でふらふらと“彼氏”たちの間を漂っているに過ぎない。

「自分」が無いチエは、ワガママ放題に見えながら実はただギャーギャー喚いているだけで、自らの力で決めた方へ歩いていこうとしているわけではない。
常に「どうしたらいいか」分からないまま、“彼氏”たちの間を右往左往している。
だからこそ、ぐいぐい押されると弱い。
というより、抵抗する術を持たないため、そのまま相手に押されてしまう。
そして実は、どんどん自分の思うままに行動する相手に引っ張られる方が性に合っているだろう。
我々「年寄り」が普通に考えればありえないラストも、チエの性格を考えると納得できる。


途中で結婚の要諦がさりげなく示され、ラストが予見できるのだが、これはおそらく既婚・未婚によって捉え方が異なり、予見も変わるだろう。
また男女の性別の違いによっても、チエの行動に対する捉え方は大きく異なることだろう。
映画を観た人との語らいが楽しい、全く肩肘張らずに笑って観ていられる、軽いタッチのラブ・コメディ。


婚前特急
2011年/日本  監督:前田弘二
出演:吉高由里子、浜野謙太、杏、榎木孝明、加瀬亮、石橋杏奈、青木崇高、吉村卓也

こちとらファンがブチ切れ寸前

2011年04月27日 | 野球
星野ぶち切れ寸前 メジャー帰り稼頭央&岩村クッキリ明暗(夕刊フジ) - goo ニュース


阪神大震災のときのオリックスのようにはいっていない楽天。
あのときのオリックスにはイチローという強烈な“起爆剤”がいたが、今の楽天には強烈な中心選手がいないのが大きな違いだろう。

もちろん楽天にも、岩隈と田中という球界を代表する二人のエースがいる。
しかしここでいう中心選手とは、あくまで野手でなくてはならない。
ローテーションが組まれていて、1週間に1回しか試合に出場しない先発投手では、持続的にチームに勢いをつけていくことができない。
毎試合出場して打線を鼓舞することができる中心打者がいてこそ、チームも活気づくというもの。

本来ならその役割を、メジャー帰りの松井や岩村が担うべきところであるが、どちらもイマイチ“起爆剤”とまでにはなっていない。
選手たちは皆がんばっているだろうが、いかんせん皆が皆ガンガン打てる選手ばかりではなく、皆が中心になれるものでもない。
なかなか波に乗り切れないのも仕方あるまい。
星野さんもさすがに歳を取って、まだこれくらいでブチ切れることもなかろう。

翻ってタイガースの貧打ぶりには、我々ファンがブチ切れそうだ。
しかも、今年は少しはマシになるかと思っていた真弓の采配も、相変わらず冴えない。
打線にカツを入れることもできず、トリプルKも宝の持ち腐れにしたままでは、いつまでたってもチームに勢いは生まれない。
この選手層でこのテイタラクは、監督の責任以外の何ものでもない。
そろそろエエかげんにしてもらいたい…


暑くなる前に。

2011年04月26日 | ニュースから
北日本、6月上旬から梅雨入り…3か月予報(読売新聞) - goo ニュース


被災地の仮設住宅建設が一向に進んでいないように見えるのは気のせいだろうか。
阪神大震災とは規模が違うとはいえ、神戸では半月後には入居が始まっていたはず。
それが今回は1ヶ月が経とうとしてようやく入居がはじまり、今も圧倒的に数が足りなければ手配も遅々として進まないというのは、明らかに遅過ぎる。
気温が上がっていくにつれ、避難所の衛生状態は悪化していくだろうし、首相官邸はナントカ会議を増やすことばかりに注力せず、遅くとも入梅の前には家を失くした被災者全員が、何らかの住居に入れるようにしてもらいたい。
そして与野党を問わず、首相を引きずりおろすことに汲々としているヒマがあったら、それぞれの政治屋が自分の得意とする部分で被災者救済の手立てを講じてもらいたいものだ。
くだらないモメ事に明け暮れている場合ではないのだから。


原発について。

2011年04月25日 | ニュースから
国家戦略相「原発14基の新増設ありえない」(読売新聞) - goo ニュース


福島原発の事故は、収束の見通しが全く立たない。
収束に向けた一応の工程は発表されたが、どれほどの人々がその内容を信じているだろうか。
もしかすると信じていないのは、自分だけかもしれないが。

大学に入学した頃、原発の是非を問う…というよりは「反原発」の機運が高まっていた。
広瀬隆の「東京に原発を」をむさぼるように読み、森崎東監督の「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」で原発ジプシーの存在を知り、「メリル・ストリープ主演の「シルクウッド」に義憤に駆られたものだったが、いつの間にか原発推進で国内が流れていったような気がする。
87年にチェルノブイリの大惨事があったにも関わらず、原発反対の機運が高まっていった記憶がない。
世は正にバブルに向けて加速度的に景気が上昇している最中で、誰も彼もが熱病に侵されたかのような状況の中、増加する一方のエネルギー需要をまかなうために原発はなくてはならないもの、と暗黙の了解が定まっていったのかもしれない。

バブル崩壊後、何年にも渡って日本経済は、“熱病”の凄まじい後遺症に悩まされてきた。
そして今、“熱病”の陰に隠れながら、確実に日本国内に勢力を広げていた原発が、震災という起爆剤によって恐ろしい姿に形を変え、“死に至る病”として襲いかかってきた。
平時には人間と共存できるが、ひとたび災厄が巻き起これば、恐ろしい牙をむく。
原発はまるで、日本人の中に深く静かに忍び込み、ひっそりと同居してきた猛毒を持った寄生生物のようだ。

フィンランドが建設している、世界初の放射性廃棄物の最終処分場「オンカロ」が題材のドキュメンタリー映画である、「100、000年後の安全」(マイケル・マドセン監督)が東京で公開され、反響を呼んでいるとか。
放射性廃棄物問題に真正面から挑んだこの作品が、今の日本に投げかけるものは大きい。
大阪でも公開される日が来るのが待ち遠しくてしかたない。


その大阪でも、十三の第七藝術劇場で、京大原子炉実験所の研究者たちを追ったドキュメンタリー「なぜ警告を続けるのか ~京大原子炉実験所・異端の研究者たち」が上映される。
大阪は熊取にある京大原子炉実験所で、昔から一貫して原発の危険性を訴え続けてきた研究者たちのことは、これまではほとんどメディアで取り上げられることが無かったが、ここへきてやたらと「熊取六人衆」などと脚光を浴びるようになってきたように思う。
そんな彼らを追ったドキュメンタリーとのことで、これは見逃せない。
このイベントは、毎月開かれている「7gei-spirito」の5月期の企画なのだが、ドキュメンタリー上映後には実験所の助教によるティーチインも行われるということで、これは参加せねばなるまい。

【7gei-spirito】
5月13日(金)
第1部: ドキュメンタリー上映
18:40~ 「なぜ警告を続けるのか ~京大原子炉実験所・異端の研究者たち」
第2部: ティーチイン
19:40~ 小出裕章(京大原子炉実験所助教)

今、この時期だからこそ、見逃しならないイベントだ。


ジャンパイア

2011年04月21日 | 野球
またも巨人勝たせた“ジャンパイア”の露骨な大誤審(夕刊フジ) - goo ニュース


この夕刊フジの記者はタイガースファンか!?と思うほどのタイガース寄りな記事にビックリ。
「ジャンパイア」なる言葉を使ったこともなければ聞いた記憶もないのだが、その概念については、まあ昔から言われてきたことでもあり、球界の盟主をきどる讀賣軍にすり寄る人間というのは、いるものだろうなぁという憶測は子供にでもできるというもの。

そんな「オトナの事情」についての話はともかく、今回のケースは明らかに誤審。
今後も同様のプレーが起きる可能性は大であり、審判団にはぜひケーススタディとして今後に活かしてもらいたいもの。


「ブンミおじさんの森」

2011年04月19日 | 映画
タイ東北部のある村に、腎臓の病を患うブンミ(タナパット・サーイセイマー)、19年前に死んだブンミの妻の妹ジェン(ジェンチラー・ポンパス)とトン(サックダー・ケァウブアディー)がやってくる。
ブンミは毎日、使用人ジャーイに助けられながら人工透析を行っていた。
ある夜、ブンミとジェン、トンが食卓を囲んでいると、ブンミの妻フエイ(ナッタカーン・アパイウォン)が現われる。
さらに、数年前に行方不明になったブンミの息子ブンソンの声も聞こえてくる。
フエイもブンソンも、ブンミとは“違う世界”に生きていた…


死を悟り森へと“還る”ブンミおじさんの姿は、悟りとも違う独特の透明感を湛えている。
自然が奏でる音に包まれながら、ゆったりと流れる時間に身を委ねて、自分も大自然の一部へと溶け込ませながら人生を終えることができたら、このうえない幸せかもしれない。

子供の頃、週末になると父親と共に山に登っていたが、自然に包まれることの楽しさを理解することはできなかった。
それからン十年。
自然の中にたたずむと、そこはかとなく幸福感に包まれるようになったのは、自分がどんどん“自然”から離れていっているからかもしれない。
“自然”に近い子供が成長と共に“自然”から離れ、“人工”の衣装を身にまとっていくということが、大人になるということなのだろう。


大自然の中で精霊たちとの交流が生まれる奇跡を、長回しのカメラで効果的に描くアジアン・スピリチュアル・ワールド。
静かにゆったりとスクリーンの中に身を沈めて、哲学的な気分に浸るのも、映画の楽しみ方のひとつ。


ブンミおじさんの森
2010年/イギリス=タイ=ドイツ他  監督・脚本:アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演:タナパット・サーイセイマー、ジェンチラー・ポンパス、サックダー・ケァウブアディー、ナッタカーン・アパイウォン

「神々と男たち」

2011年04月18日 | 映画
1990年代のアルジェリア。
山間の小さな村の修道院で、院長のクリスチャン(ランベール・ウィルソン)を始めとするカトリック・シトー会に所属する修道士たちが共同生活を送っていた。
戒律を厳格に守り、神に祈りを捧げる日々。
修道士の一人であるリュック(マイケル・ロンズデール)は医者でもあったことから、近郷近在から訪れる多くの人々を診察していた。
修道院は、村唯一つの診療所でもあったのだ。
地元民はイスラム教徒だったが、村人たちと生活を共にする修道士たちは、宗教を越えて良好な関係を築いていた。

しかしアルジェリアは、内戦の真っ只中にあった。
イスラム過激派による市民の虐殺に加え、アルジェリア軍との衝突で多数の犠牲者が出る。
やがて、修道院からそう遠くないところでクロアチア人が殺される事件が起きた。
アルジェリア軍は修道士たちの保護を申し出るが、クリスチャンは辞退する。
そんな状況下でのクリスマス・イブの夜、ついに過激派グループが修道院に乱入した。
負傷した仲間の手当てのために、リュックを連れ出そうとする過激派に対して、彼は診療所を訪れる村人を診察するためにいるのであり、自分達の仲間だけを治療するために連れ出そうとするのは誤っていると、リーダーに対して毅然と言い放つクリスチャン。
そしてコーランを引用して、キリスト教徒とイスラム教徒が隣人であると説き、過激派グループを退散させた。

しかしこの事件をきっかけに、アルジェリアを去るべきか否か修道士達は議論を交わしたものの、意見はまとまらない。
殺される恐怖との戦い、断ちがたい人生への執着…それぞれに異なる考えや事情を抱え、ひとりの人間として悩み苦しむ修道士たち。
やがて彼らは採決の時を迎える…


1996年、実際にアルジェリアで起きたフランス人修道士7名の誘拐殺人事件がモチーフ。
内戦下の異国に留まった修道士たちの姿を通じて、信念の強さと篤い信仰心と、人間としての尊厳との間で揺れ動く人間心理を描き、観ている者の感情を激しく揺さぶる。

イスラム過激派の活動拠点にあるカトリックの修道院で、キリスト教の信仰を続ける修道士たちの姿に、日本の「即身成仏」の修行僧を見る思いがした。
「主の御心のままに」全てを受け入れ、祈りを捧げる真摯な姿に、信仰を持つ人間はこんなに強い信念を持てるものなのか…と思う反面、やはりひとりの人間として葛藤し、苦悩する修道士たちの姿に、ヒリヒリと心が痛む。
“最後の晩餐”で流れる「白鳥の湖」が、修道士たちの心だけでなく、自分の心にもじわりじわりと深く染み込んで来る。
どこか物悲しさを感じるメロディーラインが、こんなに悲しみを伴って聞こえたのは初めての体験だった。


「信仰」というものの陰陽のエネルギーを感じさせてくれるヒューマンドラマの佳作。


神々と男たち
2010年/フランス  監督:グザヴィエ・ボーヴォワ
出演:ランベール・ウィルソン、マイケル・ロンズデイル、オリヴィエ・ラブルダン、フィリップ・ローデンバック、ジャック・エルラン

打てんわ勝てんわ。

2011年04月17日 | 野球
中日・ネルソン、7回を散発3安打無失点の快投(読売新聞) - goo ニュース


先の広島戦から続く貧打。
ナゴヤの初戦こそ5点取ったが、2戦、3戦と全く打てない。
いくら投手陣が良くても、野球は点を取らねば勝てない。
今日は負けるべくして負けた試合だった。

それにしても両外人の惨状は目を覆うばかり。
今季限りで帰国し。メジャー復帰を狙って長打力を増そうとバッティングフォームを改造したマートンに復調の気配が無い。
今日もフォームを去年のものに戻すようなカッコをしたりして、迷いと苦悩が見てとれた。
キャンプ中からフォーム改造に取り組んでいたが、結局固まらないままオープン戦に突入し、完成することなくシーズンに入ってしまったツケは大きい。
果たしていつマートンのフォームが固まるのか、打線の復調はこの一点にかかっていると言っても過言ではないだろう。
ブラゼルの調子は、そう遠くない時期に上がってくることが期待できるが、マートンは大いに心配だ。

長年鬼門として立ちはだかっているナゴヤドームで、とりあえず早々に1勝できたということで、最低限の“仕事”を終えたタイガース。
来週の讀賣戦は甲子園で観戦する予定だが、その頃には打線が復調していてもらいたいもの…