面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

適当で絶妙な抱負

2015年08月30日 | ニュースから
3代目散歩人は高田純次「じゅん散歩」へ抱負「残り人生30年散歩する」


抱負とか意気込みとか、そんな意欲的なことがいかにも似合わない高田純次が番組への抱負を語る逆説が面白いが、こういう番組をやりたいと思ってきたことが本当だからなんだろう。
番組のコンセプトに高田純次はピッタリ!
これまでこういう番組を持っていなかったのも少し意外な気もするが、この年齢になってようやく使う側にも彼に任せても大丈夫と思えるようになったということか。

「わたしに会うまでの1600キロ」

2015年08月28日 | 映画
アメリカ西海岸を、メキシコ国境からカナダ国境まで南北に縦断する自然道「パシフィック・クレスト・トレイル」。
1,600キロに及ぶこの道の踏破に、たった一人で挑むシェリル・ストレイド(リース・ウィザースプーン)は、険しい岩山の上で束の間の休息を取ろうと、登山靴を脱ごうとして誤って谷底へと片方の靴を落としてしまった。
彼女は、「ふざけんな、バカ!」と叫び、もう片一方の靴も投げ捨ててしまう。

そもそも、この挑戦を始めたときから失敗の連続だった。
あれもこれもと詰め込み過ぎたバックパックはクソ重たくて、担ぎ上げるのにも一苦労。
初日から止めたくなったシェリルだが、いつも明るく笑っていた大好きな母・ボビー(ローラ・ダーン)のことを思うと力が湧いた。
子育てがひと段落した母は、シェリルと同じ大学に入学して文学を学んでいて、そんな母親が誇らしかった。

2日目に携帯コンロの燃料を間違って持ってきたことが分かる。
仕方なく火を通さずに冷たい粥をすすり、コンロを使わない食事を続けたが、その食料も8日目に尽きた。
トラクターで作業中のむさくるしい男を見つけて、街まで車に同乗させてもらおうとするが、男から自分の家に来いと言われて身構える。
しかしあまりの空腹に耐えきれずに車に乗り、自衛策を講じて必死に作り話をするシェリルが連れていかれた家には、男の妻が食事を作って待っていたのだった。
シャワーを借りて一息つくシェリルは、ふと腕の入れ墨に目をやり、夫のポール(トーマス・サドスキー)と離婚した日を思い出した。
絆として同じ刺青を彫った二人は、互いに愛していながら別れてしまったのは、シェリルの度重なる浮気が原因だった…


ハイキングでさえ行くこともなかったのに何のトレーニングもせず、3カ月をかけて1,600キロもの自然歩道「パシフィック・クレスト・トレイル」踏破に挑んだ女性、シェリル・ストレイドの大ベストセラーになった自伝を、リース・ウィザースプーンの製作・主演で映画化。
原作に惚れ込んだリースが作者のシェリルに直々に交渉して製作に取り組み、全てをさらけ出した自然で体当たりの演技で映画を作り上げた。

シェリルが歩みを進めるのに従って、なぜ彼女がこんな無謀な挑戦に臨むことになったのかが、徐々に明らかになっていく。
どんなに苦しい状況でも前向きで、優しく微笑んで楽しそうに歌っていた最愛の母親を亡くした喪失感があまりにも深く、優しい夫を裏切って、薬と男に溺れたシェリル。
これ以上の下は無いどん底まで落ちたとき、ふと目にした「パシフィック・クレスト・トレイル」のガイドブックを見て、衝動的にこのトレイルを歩くと決めたのだった。


人の一生は重き荷を負うて遠き道を往くが如し。
徳川家康が言ったとされる言葉だが、実際にこの言葉を地でいく体験が無いと、本当の自分とは出会えないものなのかもしれない。
とはいえ、本当に「重い荷物」たるデカいバックパックを背負わずとも、苦しい状況の中でも「なにくそ」と歯を食いしばり、もがきながらも一歩ずつでも前進し続けていると出会える“自分”がある。
シェリルの場合、母親が亡くなるという現実があまりにも重くて直視できず、逃げることしかできなかったが、「パシフィック・クレスト・トレイル」を歩くことで辛すぎる現実を離れることができ、大自然の中に我が身一つだけが置かれている状況の中で、ようやく“自分”に出会うことができたのだろう。

“自分”との出会い方は人それぞれだが、その出会いは人生を豊かにする。
“自分”に出会えることが大切であると同時に、出会えればそれはとてもラッキーなこと。
常人には、なかなか出会えるものではないのだから。

“自分”に出会えたシェリルはラッキーなのだが、その幸運をつかんだのは、踏み出した一歩の歩み。
苦しくても、とにかく前へ、前へ、前へ…


“自分”に出会うための一例を示す、ヒューマンドラマの佳作。


わたしに会うまでの1600キロ
2014年/アメリカ  監督:ジャン=マルク・ヴァレ
出演:リース・ウィザースプーン、ローラ・ダーン、ミヒル・ホイスマン、ダブル・アール・ブラウン、ギャビー・ホフマン、ブライアン・ヴァン・ホルト、クリフ・デ・ヤング

「テッド2」

2015年08月28日 | 映画
冴えない中年男のジョン(マーク・ウォールバーグ)が恋人と結婚してから数年。
しかし美人妻との結婚生活は、長くは続かなかった。
一方、彼の唯一無二の大親友テッドは、バイト先のスーパーで出会ったタミ=リン(ジェシカ・バース)と結婚した。
お互い口の悪い者同士、幸せな新婚生活を送るはずだったが、バイト生活という状況は経済的に楽ではなく、ある夜ささいな行き違いから大ゲンカになってしまい、二人の間に暗雲が立ち込める。

仲直りのキッカケがつかめずにいたテッドは、離婚危機を乗り越え、夫婦の愛を再燃させるために子供を持つことを決めた。
タミ=リンは大喜び!
再び二人の愛は燃え上がったが、予期せぬ大問題が発生する。
州政府がテッドを「モノ」として認定、「人間ではなく、所有物である」と通達してきたのだ。
子供を持つことはおろか、タミ=リンとの結婚さえ無効と判断され、スーパーもテッドをクビにしてしまう。

途方に暮れるテッドだったが、大親友を「モノ」扱いされてジョンは怒り心頭!
敏腕弁護士に訴訟を依頼するが、勝ち目のない裁判となることが予想されるため自分は受けず、弁護士になって事務所に来たばかりの姪に受けさせることにする。
新米弁護士サマンサ(アマンダ・セイフライト)を紹介されたジョンとテッドは、これでは裁判に勝てないと他の弁護士を当たろうと考えるが、若くて美人の彼女が自分たちと同様“はっぱ”をやることを知って方向転換。
“はっぱ”を通じて意気投合した3人は、周到に準備を重ねて裁判所に乗り込んでいく…


中年のオッサンそのもののテディベアという衝撃的なキャラクターが大当たりした、大ヒット作の第二弾。
下品で低モラルではあるが、ヘタな人間よりもよっぽど人間らしいテッドが、テディベアであるという事実を楯に“人権”を認められず「モノ」扱いされるというシビアな展開に、単純な自分はイッキに物語に引き込まれていった。


今となっては昔のことだが、かつて奴隷制度が敷かれていたアメリカでは、黒人奴隷は“モノ”扱いされていた。
テディとは違い、れっきとした人間にも関わらず、である。
その奴隷が解放されて人権が認められ、市民権を得るまでには、内戦をはじめとする激しい闘いの歴史があるが、いまだに黒人に対する差別は続いている。
翻って、中身は中年オッサンの“人間”ではあるが、れっきとしたテディベアのぬいぐるみであるテッドは、「モノ」ではなく“人間”なのか?と改めて問われれば、人々は思わず「違う」と言ってしまうのは当然であり仕方ないこと。
胸を押せば“中年オヤジテッド”の意志に関係なく、「ライ・ラブ・ユー」などと声が出てしまうおもちゃなのだから。
しかしこのぬいぐるみの中には、確かに“人格”が存在し、人間そのものの思考・言動をするのである。

政府側は手強い辣腕弁護士を押し立ててきて、テッドたちは苦戦を強いられる。
そこに登場するモーガン・フリーマン演じる、優秀な人権派弁護士の動向は見もの。
彼の登場により、物語はハッピーエンドに向かって突き進んでいくのは痛快。


往年のコメディ映画のようなオープニングと、相変わらずのフラッシュ・ゴードンに、突然のジュラシック・パークが微笑ましい。
そしてあの美人女優・アマンダ・セイフライドに“くわえさせる”蛮行や、モーガン・フリーマン演じるジェントルマンそのものな弁護士への罵詈雑言の雨嵐など、やりたい放題が加速した、良い子には見せられない“もふもふ”コメディ♪

しかし笑いの中に、アメリカにおける人権の歴史について考えさせられる、ピリッとしたスパイスがgood!


テッド2
2015年/アメリカ  監督:セス・マクファーレン
出演:マーク・ウォールバーグ、アマンダ・セイフライド、ジョヴァンニ・リビシ、ジョン・スラッテリー、ジェシカ・バース、モーガン・フリーマン、パトリック・ウォーバートン、マイケル・ドーン、ビル・スミトロビッチ、ジョン・キャロル・リンチ、ロン・カナダ、デニス・ヘイスバート、セス・マクファーレン