面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

田中渡米の件

2014年01月26日 | 野球
マー君ももクロDVDをNYへ/一問一答(日刊スポーツ) - goo ニュース


ポスティング制度が見直され、合意が遅れる中、今季の移籍は無理ではないかなどの憶測も流れたが、結果的には田中の“大勝利”で決着がついたという。
7年で161億あまり。
年棒にすると23億円あまり。
タイガースの先週年棒総額にほぼ匹敵、カープなら遥かに凌ぐ莫大な“お給金”を得ることになったのだからスゴイ。
まあ、ヤンキースだけに、ちょっとでも活躍できないとボロカスに叩かれることになるだろうが、かつての井川とは違い、田中は大丈夫だろう。
伊達にシーズン24勝0敗の成績はおさめていない。

それにしても、テレビニュースでも見たが、記者会見でのこのくだらない質問はどうだ。
期待通りのコメントを返した田中は、やっぱり根が関西人だけにさすがではあると思ったが、記者会見の品位がダダ下がりだ。
まあ、こうしてブログのネタにはなるけどね。

なにはともあれ、メジャーでも15勝以上、あわよくば大リーグでも20勝投手に勝ち上がってほしいものだ♪

「子宮に沈める」

2014年01月25日 | 映画
由希子(伊澤恵美子)は、娘の幸(土屋希乃)と息子の蒼空(そら・土屋瑛輝)の二人の幼い子供たちと共に、なかなか帰宅しない夫の帰りを待ち続ける毎日を送っていた。
彼女は、毎朝子供のお弁当をしっかり作り、かいがいしく子供達の面倒を見て、掃除や洗濯などの家事もしっかりこなして家庭を守り続ける。

ある日、久しぶりに帰ってきた夫が、荷物をまとめるとすぐに出て行こうとした。
女の影を感じた由希子は、夫を振り向かせようと必死に訴えるものの冷たく拒否され、挙句一方的に別れを告げられる。
離婚した由希子は、二人の子供を連れてアパートに移り住み、医療事務の資格を取るべく勉強しながら、長時間のパートに出る。
連日の長時間労働の合い間に資格試験の勉強をし、懸命に家事をこなしながら子育てにも全力を注ぐ。

長時間のパートで家を空ける時間が長い日が続くにつれて、子供達は言うことを聞かなくなっていく。
以前はおとなしく素直に母親の言うことを聞いていた幸が、コップに入った牛乳をわざとこぼしたりするようになり、弟の蒼空もぐずることが多くなっていった。
必死に「良き母親」であろうとする由希子だったが、日々ひたすら育児と仕事に追われる苦しい生活に、疲れ果てていく。
そして“夜の世界”で働く高校時代の友人との再会をきっかけに、自分も“夜の仕事”に出る。
由希子の服装が派手になるにつれて、キレイに片付けられていた部屋の中に、ゴミ袋がたまっていった。
だんだんと生活は乱れていき、やがて部屋に男を連れ込むようになってしまう。

そしてある日。
幼い二人の子供を部屋の中に閉じ込めるようにして置き去りにして、とうとう由希子は家を出てしまう…


二人の幼い子供を育てていたシングルマザーが、戸に目張りをした部屋の中に子供達を置き去りにしたまま家を出て、取り残された幼児二人は亡くなってしまうという、大阪で実際に起こった事件がもとになった物語。
まだ年端もいかない二人の子供を持つ母親が、懸命に幸せな家庭を守ろうとするも挫折し、苦しい生活の中で心が折れて、やがて正常な判断ができなくなっていく様子や、部屋の中に残された子供達が徐々に弱っていく様を、固定したカメラが淡々と映像に収めていく。

3、4歳程度の幼児である姉の幸は、置き去りにされた部屋の中で泣きもわめきもしない。
幼いなりに一生懸命弟の面倒をみながら、おとなしく母親の帰りを待っている。
その健気な姿が痛々しく、心臓を鷲掴みにしてえぐり取られるような感覚で胸が締め付けられる。
と同時に、部屋の中に閉じ込められてどうすることもできない子供達二人の姿が延々と映し出され、絶望感が高まっていく。

ナレーションも音楽も一切無い。
また、母親を非難したり、あるいは逆に擁護するような、第三者のセリフも全く無い。
カメラも固定されていて、ときどき登場人物がフレームからはみ出してしまうのだが、我々から見えないところで何が行われているのかは音や声で分かる。
ただひたすら、密室の中の母親と幼児二人の日常を映し出しただけ固定されたままの映像で、隠し撮りしたドキュメンタリーを観ているよう。
まるで他人の部屋を覗き見しているよう感覚になっていき、それが更に生々しいリアル感となって迫ってくる。


夫の帰りを子供達と一緒に待っている頃の由希子は、ごくごく普通の、どこにでもいそうな主婦。
そんな「フツウの主婦」が、誰の助けも得られないまま、困窮生活の中で追い詰められていく。
過酷な日常から逃げ出すように“夜の世界”に飛び込んだ由希子が、段々と派手な格好になり、色香を漂わせて「女」になっていく。
それに比例するように、部屋の風景は殺伐としていき、子供達も母親から見放されていく。
家出する決意をした由希子は、山もりのチャーハンを作り、幸の髪の毛に可愛い髪飾りをくくりつける。
残していく幸に対するせめてものつぐないか、はたまた最後の愛情表現の断片か。

ネグレクトに陥るのは、何も特別な女性ではない。
ごく普通の女性が、おそらくは結婚生活が破れていなければごく一般的な主婦であり母親であったであろう女性が、追い詰められて変わっていく。
緒方監督は、若いシングルマザーが経済的な困窮に陥り、社会から孤立したまま家族が破たんしていく様子を我々の前に突きつける。
大阪の二幼児放置死事件は、何も特別な事件ではない。
ごく普通の日常生活の延長線上にある、誰の身にも起こり得る事件であることを提示する。


「生々しい」と書いたが、目を覆いたくなる、いたたまれない2つのシーンが強烈に脳裏に焼きつけられた。
幸が弟の蒼空に抱きついて絡んでいく場面。
男を連れ込んだ母親がしていることを真似しているその姿がやりきれない。
そして自らの手で由希子が子供を“処理”する場面。
自分の中では、映画「アレックス」のモニカ・ベルッチが凄惨な目に遭う場面に匹敵する激烈さで、痛々し過ぎて本当に気分が悪くなってしまった。


客観視に徹した映像で淡々と、しかし凄まじいインパクトで“問題”を投げかけてくる、社会派フィクションの秀作。


子宮に沈める
2013年/日本  監督・脚本:緒方貴臣
出演:伊澤恵美子、土屋希乃、土屋瑛輝、辰巳蒼生、仁科百華、田中稔彦

「スター・トレック イントゥ・ダークネス」

2014年01月23日 | 映画
西暦2259年。
未開の惑星で探査活動を行っていたUSSエンタープライズ号は、カーク船長(クリス・パイン)の判断により、活発化する火山活動から原住民を救おうとした。
その救出作戦を遂行する中で、窮地に陥ったスポック(ザッカリー・クイント)を助けようとして、艦隊の規約を違反する行動に出たことが問題となり、カークは船長の任を解かれてしまう。
USSエンタープライズ号は再びクリストファー・パイク提督(ブルース・グリーンウッド)の指揮下となり、カークは副長に降格となる。

時期を同じくして、宇宙艦隊資料保管庫で多数の死傷者が出る爆破テロが発生した。
宇宙艦隊上層部は幹部を緊急招集し、対策会議を開く。
会議に出席したカークは、持ち前の直感と推論で、敵の真の狙いはこの会議にあるとし、テロ事件はいわば“釣り餌”で、本当の狙いは宇宙艦隊幹部を一ヶ所に集めることにあると推理するも時既に遅し。
何者かが小型シャトルで会議場を攻撃してきたのだった。
カークの活躍もあって敵を撃退したものの、シャトルの機銃乱射によってパイク提督は命を落としてしまう。
犯人に特定されたのは、元艦隊士官のジョン・ハリソン(ベネディクト・カンバーバッチ)。
カークは、父親のように自分に目をかけ続けてくれたパイク提督の仇を討つため、マーカス提督(ピーター・ウェラー)にハリソン追跡を願い出ると、提督は申請を許可すると共にハリソンの抹殺を命じるのだった。

許可を得たカークはハリソンを追うが、その逃亡先は惑星連邦と対立するクリンゴン帝国の中心である惑星クロノスだった。
艦隊の艦船で乗りこんで行けば衝突は必至。
中立エリアまでUSSエンタープライズを進めると、確保していた民間の小型宇宙船に乗り換えて、武器商人に扮してクロノスへの潜入を図った。
しかしすぐにクリンゴンの偵察艇に追跡され、着陸指示を受けてしまう。
同乗していたウフーラ(ゾーイ・サルダナ)がクリンゴン語で偵察隊と交渉するも雲行きは怪しく、捕らわれそうになったとの時、ピンチを救ったのはハリソンだった。
重火器を手に現れたハリソンは、驚異的な戦闘能力でクリンゴンのパトロール部隊を殲滅。
返す刀でカーク達に武器を向ける。
しかしUSSエンタープライズに6ダースの新型魚雷が搭載されていると聞くと、その威力に観念したのかあっさり投降した。

特別製の隔離室に捕らわれたハリソンは、自分の正体を語り始める。
カークがその話に驚愕したその時、USSエンタープライズは突然航行不能に陥った。
そしてそれを待っていたかのように巨大戦艦が立ち塞がり、攻撃をしかけてきて……!


驚異的な身体能力と極めて高い知能レベルを誇り、キレッキレの行動を展開するハリソン。
人間離れした能力に隠された過去と、過去の遺恨によって生じた激烈な復讐心を燃え上がらせる彼は、たった一人で人類を窮地へと追い込んでいく。
地球規模の脅威を仕掛けるハリソンに対して、カークを中心とするUSSエンタープライズのクルー達が決死の覚悟で闘いを挑む姿を、迫力満点に描く。

SF映画史上、最悪にして最強の“人間”と言っても過言ではないハリソンのキャラクターが秀逸!
どれだけ殴られ、傷つけられ、凄まじいダメージを受けても立ち上がってくる姿に、絶対に死なないのではないかと不安に襲われる。
プレデターやエイリアン、遊星からの物体Xのような“怪物”ではなく、それが生身の“人間”であるところにワクワク感が掻き立てられる。
一体どうやってこの難敵を倒すことができるのか?
抜群のスピード感とテンポの良いストーリー展開で、片時もスクリーンから目が離せないまま、息つく間もなくラストを迎える。


ストーリーの面白さ、特撮の素晴らしさは前作を凌ぎ、シリーズモノとしてどんどん今後への期待感が膨らんでくる。
ハラハラドキドキがハンパない、エンターテインメントの王道を行くSFスペクタクルの快作!


スター・トレック イントゥ・ダークネス
2013年/アメリカ  監督:J・J・エイブラムス
出演:クリス・パイン、ザッカリー・クイント、ゾーイ・サルダナ、カール・アーバン、サイモン・ペッグ、アントン・イェルチン、ジョン・チョー、アリス・イヴ、ブルース・グリーンウッド、ベネディクト・カンバーバッチ、ピーター・ウェラー、ノエル・クラーク

「永遠の0」

2014年01月22日 | 映画
佐伯健太郎(三浦春馬)は、また司法試験に落ち、失意の日々を過ごしていた。
そんなある日、祖母・松乃が他界したため葬儀に参列するが、そこで祖父・賢一郎(夏八木勲)とは、血がつながっていないと知ることに。
実は血縁上の祖父は松乃の最初の夫で、太平洋戦争で零戦パイロットとして出征し、終戦間際に特攻隊員として散った宮部久蔵(岡田准一)という人物だったのである。

フリーライターの姉・慶子(吹石一恵)から、“実の祖父”宮部のことを知る人々を取材するので手伝うよう依頼された健太郎は渋々協力する。
しかし行く先々で聞かされるのは、祖父に対する非難の声だった。
いつも逃げてばかりいる、とにかく生き残ることばかり考えている海軍一の臆病者…。
健太郎は、祖父のロクでもない評判を聞かされ続けて滅入ってくる。
景浦(田中泯)という男の元を訪ねたとき、重苦しい空気に耐えかねるように健太郎は、半ばやけくそ気味に口にする。
「宮部は臆病者だったんですよね。」
その途端景浦は烈火の如く怒り、二人を屋敷から追い出してしまった。

今まで取材した人たちとは明らかに異なる様子に戸惑う健太郎と慶子だったが、井崎(橋爪功)という宮部の部下だった男を訪ねたとき、それまでの悪評が信じられないような話を聞かされる。
宮部久蔵は誰よりも優れた“ゼロ戦乗り”で、天才的な操縦技術を持っていたが、乱戦になるといつしか空域を離れ、敵を撃墜することよりも生き残ることを優先していたという。
「確かに、宮部さんは臆病者と思われたかもしれない。」
誰からも一目置かれるパイロットで、常に冷静に戦局を見極める目を持つ優秀な軍人でありながらも、部下に対しては何よりもまず生き延びることを命じていた。
「残してきた家族を悲しませるな。」
いきり立つ部下に対して諭す宮部は、妻の松乃(井上真央)と娘・清子と交わした「生きて必ず還ってくる」という約束を守り続けていたのだった。
その“教え”があったからこそ、今日まで自分は生き長らえることができた。
余命いくばくもない自分だったが、医師の予想を超えていまだ生きているのは、宮部の話を伝えるためだったのだと井崎は言った。

祖父が優秀なパイロットであり、家族や部下に対して深い愛情を注ぐ人物だったことが分かって誇りに思う健太郎。
しかし、あれほど生き残ることを優先していた祖父が、なぜ特攻隊に志願したのか?
更に足跡を追い、宮部の最期を知る人物に行き着いたとき、驚くべき事実が明らかになる…


「ほら、戦争は悲惨ですね!」
「さあ、ここで泣いてください!」
第二次大戦を扱った映画の中には、“取って付けた”ような描写で観客に泣くことを強要するものがある。
そんな作品に当たると生来の天の邪鬼が顔を出し、興ざめして白けきってしまうというもの。

しかし本作はさにあらず。
ミリタリー・マニアも納得の精緻なCGによって再現された空母や戦闘機。
主人公は、家族や部下を大切にする愛情深い人柄で、類稀なる操縦スキルを持った優秀なパイロットだったが、戦争末期に特攻隊に志願して戦場に散る。
物語を構成する素材は「反戦映画」の王道を行くものが揃っているにも関わらず、これみよがしに戦争の悲惨さを映し出すわけではなく、また声高に戦争反対を叫んだりもしない。

主人公の宮部久蔵は、冷静沈着に戦況を分析し、弱点を見抜き、リスクを予見する優れた軍人である。
真珠湾攻撃では、空母を攻撃できなかったことを憂慮し、ガダルカナル戦では零戦の優れた航続距離こそが仇となることを訴える。
しかし精神論で凝り固まった組織において彼の意見が取り上げられることはなく、無謀な攻撃によって多くの命が失われていく。
真珠湾で航空機による攻撃の有効性を自ら示しながら、日清戦争以来の戦艦に重きを置いた戦略を推進し続けて自滅の道を突き進んでいった海軍を象徴する。
敵にダメージを与えて還ってきてこそ、戦闘機で攻撃する作戦の成功であるはずのものが、敵に体当たりして自ら命を落とすことが攻撃の成功となる特攻は作戦でも何でもなく、ただの暴挙・愚挙でしかない。
健太郎の友人が、特攻を「自爆テロと同じ」と断じるのも無理はない。

生き残ることこそが何よりも大切。
そう部下に訴え続けてきた宮部が、特攻隊の戦力を養成する教官となり、特攻に向かう兵士を先導する任務を負う。
自分が操縦技術を訓練した教え子達が次々と出撃し、ほとんど敵艦船に打撃を与えることなく命を落としていく。
これほど宮部にとって辛い任務はないだろう。
良心の呵責に苛まれ、精神が蝕まれていくのも当然。
妻子と交わした「生きて還る」約束よりも、死に追いやった教え子達に対する贖罪が勝ったとしても不思議ではない。

約束は破ることになったものの、妻子に対するせめてもの責任が果たせる道筋を付けて出撃する宮部。
終戦後、後に残された妻と娘は、宮部の思いを受け継いだ人々によって守られる。
そしてその“思い”は、連綿と受け継がれることになるのだった。


なお、兵役を免じられていた大学生が戦争末期には「学徒出陣」として戦場に駆り出されることになったが、その背景には、高い学習能力を持つ彼らは短期間の訓練で戦力となることが期待されていたことを初めて知った。
そんな優秀な大学生達を、敵に体当たりするために必要な飛行技術だけを早々に身に付けさせ、特攻隊として無駄に死なせた軍部の醜さには反吐が出る…


主人公を演じる岡田准一の爽やかで清々しい演技が素晴らしい。
「SP」で見られるような激しいアクションシーンは無く、様々な情感を豊かな表情で魅せる。
特に、脚本では「静かに澄みきり、微笑みすら浮かべている」と書かれたラストシーンの“微笑み”は、観客個々人によって受け止め方が異なる余韻を残す印象深い表情だ。
今年の大河ドラマがとても楽しみだ♪というのはあくまでも私見。


宮部の足跡をたどることで、第二次大戦における軍部の愚かさが浮き彫りになる。
本作が「これみよがし」にならない理由がここにある。
しかし確実に戦争の愚かさと悲惨さを描き、絶対に戦争を起こしてはならないことを訴える。
キナ臭いニオイがしてならない、どこからか軍靴の響きが聞こえてきそうな昨今。
誰が言ったか知らないが、
「じいさんが始めて、おっさんが命令し、若者が死ぬのが戦争」
という言葉が現実味を帯びてきたように思えて仕方ない中で、本作のヒットが反戦の役割を担うことになればと祈るばかり。


第二次大戦で散った兵士たちの思いをしっかりと受け止めたい、ヒューマンドラマの傑作。


永遠の0
2013年/日本  監督:山崎貴  脚本:山崎貴、林民夫
出演:岡田准一、三浦春馬、井上真央、濱田岳、新井浩文、染谷将太、三浦貴大、上田竜也、吹石一恵、田中泯、山本學、風吹ジュン、平幹二朗、橋爪功、夏八木勲、佐々木一平、青木健、遠藤雄弥、栩原楽人

「セデック・バレ 第一部 太陽旗/第二部 虹の橋」

2014年01月19日 | 映画
台湾の山岳地帯を拠点とし、「虹」を信仰する誇り高き狩猟民族・セデック族。
大自然と共に生きる彼らには、近代に至ってもなお、戦った相手の首を狩る「出草(しゅっそう)」という風習が残っていた。
セデック族の一集落であるマヘボ社のリーダーの息子モーナ・ルダオ(ダーチン/リン・チンタイ)は、初めての「出草」で敵の首を二つも狩り、集落内外に勇名をはせた。

日露戦争における清の敗北により、台湾は日本の統治下に置かれることになると、彼らが住む山奥にも日本軍が押し寄せる。
彼らは必死に抵抗したが、近代的な装備を整えて圧倒的な軍事力を持つ日本軍には抗しきれず、集落は次々と支配されていった。
モーナも反抗を繰り返すものの力及ばず、服従するほかに民族を守る道は無いのだった。

「蕃人」とされたセデック族たちは、日本人として生きるように教育を受けさせられる。
日本風の生活習慣を押しつけられ、日本の文化を学ばされて、彼らの持つ文化や風習は禁じられた。
更に、過酷な労働と日本人への服従を強いられ、日々耐え忍ぶような毎日を送ることを余儀なくされたのだった。

日本統治となって35年の月日が流れ、リーダーとなっていたモーナは、耐えに耐えて生きてきた。
先祖からの狩り場で経験を積み、「出草」の実績を残し、顔に刺青を入れて勇者となることこそ、先祖達のもとへと「虹の橋」を渡っていくことができる。
モーナは、先祖伝来の狩り場が開発の名のもとに失われていくことに心を痛め、忸怩たる思いを抱えていた。

ある日、婚礼の場で、日本人警察官とセデック族とが衝突する騒動が起きる。
これを契機に、長い間抑圧されてきたセデック族の若者達の不満が爆発、モーナに対して日本軍への反抗を訴えた。
反乱を起こせば、いかんともしがたい武力の差によって、セデック族は滅亡することになるかもしれない。
完全な負け戦となると認識していたモーナだったが、命をかけて民族の尊厳を守るために決起してこそ「セデック・バレ」=「真の人」となるとして、ついに行動を起こした。

各集落と連携しながら、次々に日本人警察官が住む駐在所を襲う決起部隊は、やがて霧社公学校へと迫る。
その日、連合運動会が開催されることになっていた公学校には、高官から一般市民まで200人余りが集まっていた。
運動会が幕開けしようとしたその時、民族衣装に身を包んだセデックの戦士たちが運動場の四方八方から飛び出し、日本人に襲いかかった。

この突然の反乱劇に日本政府は即座に応戦した。
陸軍少将の鎌田弥彦(河原さぶ)以下1000名の部隊が鎮圧に向かったが、険しい山岳地帯で地の利を生かして戦うセデック族相手に苦戦を強いられる。
以前からセデック族の人々と友好関係を築いていた小島巡査(安藤政信)は、公学校で妻子が殺されたことに対する怒りもあらわに、モーナ・ルダオの宿敵だったタイモ・ワリス(マー・ジーシアン)をけしかけて、懸賞金を条件として強制的に日本軍に従わせ、出兵させた。
民族の誇りを胸に立ち向かうセデック族の戦士達と、復讐に突き動かされながら鎮圧行動に出る日本軍との戦いは、様々な悲劇を生みながら終焉へと向かう…


1930年、日本統治下の台湾で起きた、原住民による抗日暴動である「霧社事件」。
東日本大震災でもいち早く巨額の義捐金を送ってくれた記憶も新しく、親日のイメージが強い台湾においてこんな事件があったとは、恥ずかしながら本作を観るまで全く知らなかった。
台湾では高齢者の中に日本語ができる方が見受けられ、台湾出身の芸能人やプロ野球選手も日本で活躍するなどしていることから、日本による台湾の統治は、比較的平和に行われていたと暢気にも勝手に解釈していた。
しかしその実態がどういうことだったのか、本作によって思い知らされることとなった。

日本による台湾統治は、政治的に支配下に置くということだけでなく、日本の文化や風習、生活様式を押し付けて、結局は台湾の人々を「日本人化」しようとしたものに過ぎない。
中でも、本作に登場するセデック族をはじめとする原住民に対しては、彼らを野蛮人としてひとくくりにし、文明的で豊かな暮らしを送ることができるように「教えてやる」という意識のもとに、彼らの生活を否定して「日本人になること」を強要したのである。
またセデック族には、戦った相手の戦士の首を狩る「出草」という風習を持っていたことから、特に彼らを「野蛮人」であるとみなし、自分達の生活に従わせることで「文明化」しようとしたのではないだろうか。

確かに、自分達日本人の感覚からすれば、戦って倒した相手の首を狩るという行為は、野蛮そのものでしかないと認識するに違いない。
しかしセデック族が先祖より連綿と守ってきた風習であり、狩猟民族として一人前の戦士となるための儀式として必要なもの。
ましてや、一人前の戦士とならなければ、死後に彼らの先祖が待つ「虹の橋の向こう側」へと渡ることができないという、「虹の橋」の信仰もある。
「野蛮だからやめなさい」と言われて「はい、そうですか」とやめてしまえるような代物ではない。
野蛮という概念で判断するものではなく、民族のアイデンティティそのものなのである。
それを否定されることは即ち自分達の存在を否定されることにつながる。

ただ、人間の首を狩るという風習自体は、いわゆる「文明的」な行為ではない。
残虐な行為であって、国際社会の中においては決して許されるものではないのも事実。
しかしそれを止めるかどうかの判断は、外部の人間が決めることではなく、民族が今後生きていくうえで自ら考えて結論付けるべきこと、または自然淘汰的に廃止されていくべきことなのではないだろうか。
そういった民族が守ってきた文化・風習というものは、その内容はどうであれ、強制的に禁止してしまうものではないことを改めて認識した。


抑圧は必ず反発を呼び、それが悲劇へとつながっていく。
第一部「太陽旗」は、「太陽」を信仰する民族が押し寄せてきた姿を描き、第二部「虹の橋」は、「虹」を信仰する民族による反撃と悲劇が描かれる。

セデック族の人々が民族の尊厳を賭けて戦い、信仰のもとに命を落としていった歴史的事件「霧社事件」を、原住民の出身者を出演者に揃えて大自然の中を縦横無尽に駆け巡らせ、圧倒的な迫力で描ききったスペクタクル巨編!
重厚な一大叙事詩の傑作♪


セデック・バレ 第一部 太陽旗/第二部 虹の橋
2011年/台湾  監督:ウェイ・ダーション
出演:リン・チンタイ、マー・ジーシアン、ビビアン・スー、ランディ・ウェン、安藤政信、ルオ・メイリン

「鑑定士と顔のない依頼人」

2014年01月17日 | 映画
ヴァージル・オールドマン(ジェフリー・ラッシュ)は、美術品に関する深い知識と超一流の鑑定眼とを持ち、世界中の一流オークションからのオファーが絶えない、世界有数の一流オークショニア。
高級ホテルのような邸宅に住み、仕立ての良いスーツとこだわりの手袋を身に付け、行きつけの高級レストランでグルメな食事を味わう彼は、全ておいて一流の品格を愛している。
そんな彼は早くに親を亡くし、結婚もせず、恋人はもちろん友人もいない。
携帯電話は持たず、食事も一人。
しかも極度の清潔好きで、どこへ行くにも手袋は必需品で、食事中でも外すことはない。
他人とは必要最低限でしか関わらない彼にとって、自宅の隠し部屋に収集した女性の肖像画を愛でることが極上の愉しみ。
その肖像画コレクションは、自分が仕切るオークションで、長年のパートナーで元は画家であるビリー(ドナルド・サザーランド)に、価値が上がる前の名画を格安で落札させたものだった。

ある日、ヴァージルのもとにクレア・イベットソン(シルヴィア・ホークス)と名乗る女性から電話が入る。
1年前に亡くなった両親が遺した家具や絵画を鑑定してほしいという依頼だった。
指示された屋敷に向かうも門は閉ざされたままで人の気配は無く、クレアも現れない。
後にクレアから釈明の電話が入り、しぶしぶ謝罪を受け入れたヴァージルが再び屋敷を訪れると、管理人と名乗るフレッド(フィリップ・ジャクソン)という男が現れる。
クレアの両親が生きていた頃に使用人として仕えていたという彼の説明によると、クレアには兄弟や親せきもおらず、独身で恋人もいないという。
フレッドの案内で屋敷内を見て回ったヴァージルは、地下室の床に転がる何かの部品に心を惹かれ、密かに持ち帰ると、修理店を営むロバート(ジム・スタージェス)に部品の調査を依頼した。

ヴァージルはクレアの依頼に応じて屋敷内の調度品や美術品の鑑定を進めるが、契約書を交わそうとしても彼女は姿を現さない。
フレッドに金をつかませて聞きだしたところによると、27歳になるクレアは奇妙な病に罹っていて、11年屋敷に仕えてきたフレッドも会ったことがないという。
クレアに対する好奇心が高まると共に、屋敷で見つかる“何かの部品”欲しさに、ヴァージルは彼女に譲歩していくのだった。

“何かの部品”がロバートによって、18世紀の機械人形の一部らしいことが判明する。
これがホンモノなら、莫大な価値がある。
隠し部屋から出てこないクレアと会話を重ねるうちに、彼女は人がいる広い場所にいられない“広場恐怖症”と呼ばれる病によって「15歳から外へ出ていない」と告白した。
人づきあいの苦手なヴァージルは、彼女に共感するとともに同情し、壁越しのやりとりを続けることに同意する。
クレアもヴァージルに心を許しはじめ、屋敷の鍵を預けて自由に出入りするよう便宜を図った。
ヴァージルはクレアとの連絡のために携帯電話を持つようになり、彼女との会話が増えていくにつれて、彼女に対する思いは募っていった。
恋愛経験豊富なロバートにアドバイスを受けてクレアに近づいていこうとするヴァージルは、ある日とうとう帰ったふりをして屋敷に潜むと、部屋から出てきたクレアの姿を覗き見る。
“デューラーのエッチングのように蒼白な顔”を持ち、透き通るように色の白い美しいクレアに、ヴァージルは完全に心を奪われてしまう…


「ニュー・シネマ・パラダイス」の巨匠、ジュゼッペ・トルナトーレ監督と、監督の作品に名曲を提供してきたエンニオ・モリコーネの名コンビが再びタッグを組み、重厚な作品を作りあげた。

老齢に至るまで恋愛経験の無いヴァージル。
そもそもうまく人と交われない彼は、当然のことながら女性との親密な交流もできるはずがなく、恋人もできず、もちろん結婚することもなく生きてきた。
しかし幼い頃から“ホンモノ”の美術品に触れてきた彼は、豊富な経験から自ずと審美眼が磨かれ、真贋を見極める力も高い。
そんな才能を発揮してオークショニアとして成功したヴァージルは、自分が取り仕切るオークションを利用して美しい女性の肖像画を集めると、隠し部屋の壁に飾っていく。
仕事の上での付き合いはできても、私的な部分では「コミュニケーション障害」を持つ彼は、壁一面に掲げられた“美女たち”しか愛せないのだった。

クレアは、鑑定を依頼した約束の時間をすっぽかすと、後日非礼を詫びながら再び鑑定を懇願する。
彼を屋敷に招き入れるが、決して姿を現さない。
会話を重ねる中で人と会うことが怖いと告白し、人づき合いが苦手なヴァージルから共感と同情を得る。
徐々にヴァージルに打ち解けていくが、突如怒りを露わにすると鑑定を打ち切る。
ところが再び謝罪して鑑定を続行したかと思うと、突然行方をくらます。
ヴァージルを引き寄せたり突き放したりして散々に振り回し、彼の心を大きく揺さぶり続ける。
“二次元の女性”しか愛せないでいたヴァージルだったが、クレアという姿を現さない「顔のない依頼人」からのオファーを受けたことで、彼の人生は大きく動き出すのだった。

ヴァージルは、単に仕事の依頼を引き受けているだけのつもりだろうが、クレアのペースに引きずり込まれていくと同時に、本人も気づかないうちに恋愛感情を芽生えさせていくことになる。
そして恋愛経験豊富なロバートに“恋愛指南”を仰ぐと、クレアの姿を実際に目にし、対面して会話を交わすことによって、彼女に対する恋愛感情は確たるものとなる。

若くて美しいクレアの“実像”を目の当たりにすることで彼女に魅入られてしまうのは、男の本能として当然のこと。
更に、これまで自分の思い通りに年を重ねてきたヴァージルにしてみれば、人生の先輩としてクレアを“正しく”導いていくことにも喜びを感じることだろう。
その“導き”によって、人と会うのが怖くて自分としか会えなかったクレアが、自分の恋愛指南の先生である“友人”のロバートとその彼女と会話できるようになっていく。
このことはヴァージルにとって大きな満足を感じさせると同時に、ロバートに対する嫉妬心を生むことにもなり、彼はますますクレアの虜にななる。
完璧な人生を歩んできたはずのヴァージルだが、恋愛経験が無いことからクレアに夢中になっていき、何も見えなくなっていく。
その様子は、滑稽で切ない。


最後にやってくる凄まじい結末に愕然。
その結末に向けてあらゆることが収斂されていくのだが、そのことに気が付くのはエンドロールが流れてから。
思い起こせばどれも皆伏線であり、もう一度はじめから見直したくなる。
リピーター割引として2回目以降は1000円で観られるキャンペーンが展開されているのだが、チケットの半券がどこかへいってしまって見つからない…!


「贋作者は必ず、自分の印を残す。」
偽物の中に“ホンモノ”があると語るヴァージルだが、美術品の真贋は見極められても、現実社会における真贋を見極められなかった彼の姿が痛々し過ぎる。
“二次元の女”しか愛せなかった男の限界というものか。

名画「STING」は最後にスカッとするのが心地よいのだが、本作は唸らされて考えさせられる。
やはり男は、若いうちに恋愛経験を積んでおかねばならない。
それも人生を全うするには、豊富であればあるほど良い。


繰り返し観たくなる極上のミステリーにして、今一度男の人生というものを考えさせられるヒューマンドラマの傑作。


鑑定士と顔のない依頼人
2012年/イタリア  監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
出演:ジェフリー・ラッシュ、ジム・スタージェス、シルヴィア・フークス、ドナルド・サザーランド、フィリップ・ジャクソン、ダーモット・クロウリー

「清須会議」

2014年01月16日 | 映画
天正10年。
乱世を終えるべく、「天下布武」を目指して邁進してきた織田信長(篠井英介)が、謀反を起こした明智光秀(浅野和之)によって討たれる。
世に言う「本能寺の変」によって、信長の後継者たるべき嫡男・信忠(中村勘太郎)も失ってしまった織田家の後継者を決め、領地分配についての合議を行うため、かつて信長が拠点とした清須城に重臣が集まり、「清須会議」が開かれることとなった。

筆頭家老の柴田勝家(役所広司)と盟友の丹波長秀(小日向文世)は、武勇に秀で、聡明で勇敢な信長の三男・信孝(坂東巳之助)を後継に推す。
一方、信長に重用されて実力者へと駆け上ってきた羽柴秀吉(大泉洋)は、信長の次男で「大うつけ者」と陰で呼ばれる次男・信雄(妻夫木聡)を信長の後継者として推した。
信長亡きあとの織田家の重要人物であり、勝家、秀吉がともに思いを寄せる信長の妹・お市の方(鈴木京香)は、かつて夫と息子を攻め滅ぼすこととなった秀吉に対する恨みから、勝家に肩入れする。

いかにも暗愚な信雄の言動に、秀吉の形勢は不利な状況に陥っていく中、軍師である黒田官兵衛(寺島進)の策によって、信長の弟・三十郎信包(伊勢谷友介)を味方に付ける。
更に妻・寧(中谷美紀)の見事な“内助の功”により、秀吉は織田家の家臣たちの心を掴んでいく。
また、会議に列するべき重臣・滝川一益(阿南健治)に代わって列席することとなった池田恒興(佐藤浩市)に対して、自分を支持すれば望みの領地を分配すると持ちかけて気を惹こうとするが、勝家とも親交が深い恒興はなかなか立場を明確にしない。

そんな中、ある対決で“信雄陣営”は“信孝陣営”に惨敗を喫することに。
信雄のうつけぶりにほとほと愛想が尽き、落ち込む秀吉だったが、亡くなった信忠の忘れ形見である三法師と出逢い、起死回生の一手を思いつく。
そして迎える清須会議…


三谷幸喜が17年ぶりに手がけた小説を、自らメガホンを取って映画化。
史実として有名な「清須(清州)会議」を題材にとり、会議に参加した面々が織りなす人間模様を、“三谷節”全開に面白おかしく描く。

とにかく各武将たちのデフォルメが絶妙!
まずは、史実によれば会議を制したとされる羽柴秀吉。
低い身分から身を立てた秀吉は、身内との会話は名古屋弁丸出し。
武将には考えられないほどの人当たりの良さに細やかな気遣い、鋭い状況分析能力と決断力、人間観察による抜群の人心掌握術など、「人たらし」と呼ばれたその人間像を、愛嬌たっぷりに作りあげている。
秀吉の最大のライバルである宿老・柴田勝家。
勇猛果敢、戦場では部類の強さを見せる猛将ながら、領地における政治力も評価されている彼を、明朗闊達で無邪気なキャラクターに設定。
一途にお市の方を慕い、挙句振り回されることになる哀切も明るく描いて可笑しい。

常に冷静沈着で盟友たる勝家の参謀を担いながらも、最後は大局に立った決断を下す丹羽長秀。
なかなか立場を明確にせずに状況を窺いながら、自分にとって最も有利な条件を引き出していく池田恒興。
夫と息子を殺されたという恨みを抱き続けるのみならず、その卑しい出自に対する嫌悪感も露わにして秀吉を忌み嫌うお市の方。
したたかに“武田の血”を残すことに全力を尽くした松姫。

そして今回、この人物にスポットを当てことで自分のツボを見事に突いたのが、会議の進行を務め、清須城内を取り仕切る前田玄以。
過去、様々なドラマで描かれた清州会議において、議事進行を務める武将にスポットが当たった記憶はない。
そもそも清州会議に関する詳細な資料は無いため、そこに脚色を施す余地がたっぷりとあるわけだが、三法師を清州へと逃した前田玄以を議事進行役に据えた妙味がすばらしい。
確かな実務能力を秀吉が高く買い、後に五奉行に任命することの複線としてとらえると面白い。


また、キャラクター設定だけでなく、エピソードとして歴史ファンをニヤリとさせる点がある。
松山ケンイチ演じる堀秀政を、秀吉が「きゅうきゅう」と呼ぶシーンがあるのだが、相当な歴史オタクでもなければ、ただ三谷幸喜がふざけた台本を書いているとしか思えないだろう。
しかし実際に秀吉が堀秀政のことをそのように呼んでいる文書が存在するのである。
(ちなみに堀秀政は「堀久太郎秀政」である)


三谷幸喜自身も歴史好きなこともあるが、詳細な史実が伝わらない部分を巧みに利用して、見応えのある脚本に書き上げた手腕はさすが。
ただの歴史好きから戦国史オタクのみならず、歴史に詳しくない、あるいは「清須会議って何?」という観客まで、誰もが存分に笑って楽しめる、極上のエンタテインメント時代劇♪


秀逸な武将のデフォルメだけではなく、キャラクターの性格設定も抜群。


清須会議
2013年/日本  監督・脚本:三谷幸喜
出演:役所広司、大泉洋、小日向文世、佐藤浩市、妻夫木聡、浅野忠信、寺島進、でんでん、松山ケンイチ、伊勢谷友介、鈴木京香、中谷美紀、剛力彩芽、坂東巳之助、阿南健治、市川しんぺー、染谷将太、篠井英介、戸田恵子、梶原善、瀬戸カトリーヌ、近藤芳正、浅野和之、二代目中村勘太郎、天海祐希、西田敏行

アンダー・コントロール

2014年01月13日 | ニュースから
クロダイから1万2400ベクレル 福島・いわき市沿岸(朝日新聞) - goo ニュース


東京電力福島第一原子力発電所から40キロほど離れた福島県の沿岸で、食品の基準の124倍に当たる1万2400ベクレルの放射性セシウムを含むクロダイが見つかったという。
さすがオリンピック招致のプレゼンで、安倍首相が大見得を切っただけのことはある。
原発から40km離れた海中の鯛には、セシウムが食品基準の124倍しか、含まれていないのだから。
ぜひこの鯛を首相官邸にお届けし、刺身や煮つけやアラ炊きに鯛飯で、じっくりと味わっていただきたいものだ。
いやぁ、めでたいめでたい♪

「かぐや姫の物語」

2014年01月05日 | 映画
光り輝く竹の中から「竹取の翁」に見つけ出されて育てられ、成長して「かぐや姫」と名付けらた後、貴公子から求婚されるもこれを退け、帝からのお召しにも従わずに、やがて月へと去っていく。
日本最古の物語文学と言われる「竹取物語」を、スタジオ・ジブリの高畑勲監督が、「ホーホケキョとなりの山田くん」以来14年ぶりに手がけた長編アニメ映画。


「竹取物語」あるいは「かぐや姫」は、研究家の間で様々に解釈が加えられているところであり、古典文学に何ら知識を持たない自分が、ここでどうこう論じることはできない。
ただ、高畑監督も言及しているように、“原作”はかぐや姫の心情について触れることはほとんどない。
この点について、高畑監督の見事な“仕事”が活きている。

かつて宮崎駿と共に作った「アルプスの少女ハイジ」において、原作の中で十分には描かれていないハイジの日常生活と心情の描写を丁寧に積み上げていく演出で、ハイジという少女を魅力いっぱいに描くことに成功し、海外の人々にも広く受け入れられることにつながったという。
一方かぐや姫も、誰もが知る話ながら姫の気持ちや考えは、原作の中には書かれていない。
そこで本作の製作にあたって、新たに姫の心情や山での暮らしを丹念に描くことで、人間としてのかぐや姫の存在感と魅力が広がった作品に仕上げることができたとのこと。
「アルプスの少女ハイジ」制作後、「いつか日本を舞台にハイジを作りたい」と語り合ったという高畑勲、宮崎駿の名コンビの、40年来の思いが遂に実現した作品でもある。


山村から都に移り住み、「高貴なお姫様」を目指すことを課されたかぐや姫。
顔を白く塗り、眉毛を抜いて“描き改め”、歯にお歯黒を塗るのが高貴な姫のあるべき姿なのだが、かぐや姫は受け入れられない。
歯を黒く塗ったりすれば、笑ったときに真っ黒な歯が見えてみっともないというかぐや姫に対して、教育係・相模は、「高貴な姫君は口を開けて笑うものではない」と言う。
笑いたいときにも存分に笑えない。
「高貴なお姫様は人間じゃない。」
かぐや姫の痛切な訴えが心に響く。

高貴な人々、すなわち貴族と呼ばれる人々の世界において、女性はあくまでも一族繁栄のための「モノ」でしかない。
その世界にあっては、位(身分)の低い家の女性が、位(身分)の高い「貴公子」から求婚されることほど幸せなことはない。
昔から脈々と続いてきたそんな価値観の中で生きてきた高貴な人々にとっては、それはごく当たり前のことである。
従って高貴な女性たちも、「そういうもの」として受け入れながら、「高貴な姫君」として育っていくのだろう。
そこには、人間として当たり前の「喜怒哀楽」の発露は無く、かぐや姫の指摘する通り人間ではなくなっていくとも言える。

かぐや姫は山村に生まれて大自然に囲まれて育ち、そのときそのときの感情をそのまま露わにして生きてきた。
笑いたいときに目いっぱい笑い、走りたいときに目いっぱい走り回り、歌いたいときに歌う。
大自然に触れ、喜怒哀楽を感じながら「人間」として生きることこそ、月の都から地上へと降りてきたかぐや姫の目的でもあったのだ。

しかし育ての親である翁は、かぐや姫を「高貴なお姫様」にしなければならないと考える。
その瞬間、姫は「人間らしさ」を失うことを余儀なくされてしまのだが、翁と媼への愛情と、育ててもらった恩に報いるため、「高貴なお姫様」としての教育を受ける。
ただしそれは、高貴な人々の「モノ」にはならない、即ち高貴な人々との婚姻はしないという条件の元で、ということに他ならない。
そのことが、本来「月の世界の住人」である天人たるかぐや姫が、地上にいる意味をなすために「人間」であり続けることになるのだから。
五人の貴公子からの求婚を退けるのも、かぐや姫が地上に居続けるためには仕方のないことなのである。

ところが、かぐや姫に更なる“難題”が襲いかかる。
帝がかぐや姫を求めたのだ。
その頃の日本において、帝の思し召しを拒否するという行為はありえないし、そもそもそんな発想さえ誰も持ち得ない。
帝からの“要求”を伝えられたとき、翁が一も二も無く受諾するのは自然な流れである。
帝の「モノ」になることを誰も拒むことはできない。
ただ一点、自ら命を絶つことでのみ、それは可能となる。
それがためにかぐや姫は、帝の元へ送られるのなら命を絶つと宣言するのである。

ここでかぐや姫にとって“計算違い”だったのは、拒否されれば更に求めたくなるという人間の心理に思いが及ばなかったところか。
自らの要求が受け入れられないなどありえない帝にとって、かぐや姫の態度によって、その興味をますます掻き立てられるのは必定。
帝をして、かぐや姫の部屋へと忍びこませることとなり、帝の「モノ」になることがイヤさに、地上にいることさえ嫌悪してしまったことで、かぐや姫の進退は極まるのである。


かぐや姫の罪は、翁に対して自らの“正体”を明らかにし、地上にいる意味や目的を明確にしなかったこと。
そしてその罰として、翁・媼と別れさせられ、美しい自然に包まれた色鮮やかな地上から呼び戻されることになる…

しかし罪を犯し、罰を与えられたのは、ひとりかぐや姫だけではない。
翁もまた、表象的な「栄達」という欲にとらわれ、かぐや姫を「モノ」にしてしまった罪を追う。
そしてその罰として、最愛のかぐや姫を、この世から失ってしまうことになったのである。


高貴な人の手によって成立した「竹取物語」の、高貴な世界の常識そのままに感情表現の薄いかぐや姫に、姫の感情を丁寧に豊かに描くことで人間味を与え、魅力たっぷりなキャラクターを作りあげた高畑勲監督の見事な演出が光る逸品。


かぐや姫の物語
2013年/日本  監督:高畑勲  脚本:高畑勲、坂口理子
声の出演:かぐや姫…朝倉あき、捨丸…高良健吾、翁…地井武男、媼…宮本信子

「ゼロ・グラビティ」

2014年01月02日 | 映画
地球の上空600kmの宇宙空間。
スペースシャトルの船外で、メディカル・エンジニアのライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)は通信システムの復旧に関わるミッションを遂行していた。
ベテラン宇宙飛行士のマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)は推進装置を背負い、NASAと宇宙遊泳の長時間記録について雑談をしながら浮遊していた。
もう一人のクルーも宇宙遊泳を楽しむようにミッションを遂行している。
そんな平和な時間が過ぎていく中、NASAから少し緊迫した通信が入った。
「ロシアが人工衛星の一つを破壊したが、破片は遠くの軌道を流れるので影響はない。」
クルー達は気にすることなくミッションを続けた。

しかししばらくするとその平和なひとときは突然中断された。
「すぐにスペースシャトル船内に退避して地上へ戻れ!」
緊迫した通信が流れる。
「破壊された衛星の破片が予期せぬ方向へ飛び、別の衛星を破壊した。その破片の軌道はそちらへ向かっている!」
もう少しで作業にキリがつくライアンが退避に手間取っている間に、破片の一部が到達し始めた。
「すぐに退避するんだ!」
マットもライアンを手伝って退避しようとしたが、瞬く間に降り注ぐ破片の数は増えていく。
同じく船外作業に就いていたもう一人のクルーに破片が直撃した。
次々に降り注ぐ破片はライアン達を襲ってきた。
そして破片が当たった衝撃でライアンが乗っていたアームが吹き飛ばされ、ベルトを外したライアンは反動で宇宙空間へと放り出されてしまう。

酸素が残り少なくなった状態の宇宙服だけを身に付けた状態で、真っ暗な音の無い宇宙空間に投げだされたライアン。
NASAとの交信も途絶えて絶体絶命となったとき、マットとの通信がつながり、九死に一生を得ることはできたが、そこから凄まじいサバイバルが始まる…


温度が、摂氏125度からマイナス100度の間で変動する宇宙空間。
空気はもちろん酸素も無く、重力も無く全く何もない。
生身では生物が生きていくことはできない、「無」だけが広がる空間に放り出されるライアン。
時に彼女を俯瞰し、時に彼女の目線となるカメラワークに、まるで自分が宇宙空間に投げだされた気分になる。

更に緊迫感を増すのは、本当に宇宙空間で撮影されたのではないかと見紛うばかりの見事なSFX技術にもよる。
新たに開発されたワイヤーアクションによって、よりリアルな動きを撮影することができたため、全くの無重力状態で撮影されているように見えるところは素晴らしい。

ライアンに同化すると同時に、リアルな宇宙空間を描くことができたため、事故発生からエンディングまでの間、全身の筋肉と思考回路や感情は、常に緊張を強いられ続ける。
この点で上映時間91分という長さが実に絶妙。
あの緊迫感が2時間も続くことになれば、観客は全身凝り固まってドッと疲れてしまい、映画を観終わった後の日常生活に支障をきたすに違いない。


宇宙空間における壮絶なサバイバルを、ライアンと一緒に恐怖におののきながら体験することができる、アトラクション型SFスリラー。
3D版を鑑賞すれば、スリル感は絶頂に達する。
最後の最後では、大きく安堵の呼吸ができて楽になれるということだけは請け合うので、安心して劇場に足を運んでいただきたい佳作。


ゼロ・グラビティ
2013年/アメリカ  監督:アルフォンソ・キュアロン
出演:サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー