きまぐれ発言

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富岡製糸場世界遺産に

2014-06-22 10:50:05 | 政治関係

富岡製糸場世界遺産に        (2014-06.22.)

 世界文化遺産への登録が昨日(21日)に決まった。カタールのドーハーで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は21日、日本政府が推薦した「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)を世界文化遺産に登録する事を決定した。明治期の高い技術革新と、海を越えて絹産業の発展をもたらした歴史的価値が世界に認められたのである。

 140年前の建物が往時の姿のまま残り保存状態の良さが高い評価に繋がったのも、最後に操業していた片倉工業(東京都)の「近代化の象徴を後世に伝えたい」と言う強い信念と地道な活動があったからである。「単なる遺物とか見世物としておくつもりはない」1987年3月5日富岡製糸場の閉所式で、同社の柳沢晴夫社長(故人)は従業員を前に力をこめた。「関係者の富国繁栄、殖産興業に心血を注いでこられた意気盛んな心が、今後も脈々と受け継がれ、物心両面で若々しく活気を持って生き永らえていく様、管理・運営を図っていく」

片倉工業は富岡製糸場が出来た翌年1873年(明治6年)長野県川岸村(現岡谷市)で操業、10人程が手作業の「座繰り」で製糸を始めた。現在の竹内彰雄社長(65)は「当社が細々と製糸業を営んでいる時に、隣県では最新技術を導入した大規模製糸場が近代化の象徴として稼働している。富岡への憧れは強かった」と推測する。

 官営だった富岡製糸場の払い下げ後、当社は何度も買収を試みたが失敗、1939年(昭和14年)にようやく経営権を獲得した。海外製の安価な生糸に押され、87年に製造ラインはストップしたが、管理事務所を設置。2005年に富岡市に寄贈するまでの18年間、巨大工場の保存に尽力し続けた。維持管理費は年間1億円以上。しかし、株主から批判はなかった。竹内社長は「片倉に関わる全ての人々が富岡の大切さを深く理解していた」と話している。

 98年から7年間最後の事務所長を務めた、田部井弘さん(71)は、「自分の子を見守るようにとにかく気を使いました。火事を招かない様に、落ち葉は小まめに掃く。雨漏りを防ぐために屋根の瓦のずれは見逃さない。見学者が場内で喫煙しているのを見つけて大声を上げた事もあった。毎日が緊張の連続であった」と言っている。専門家が、保存の状態を「奇跡的」と評価するのも、その陰に関係者の努力があったからではないでしょうか。

NPO法人「富岡製糸場を愛する会」の入山久子さん(75)は「これまで日本の宝だった製糸場が世界の宝として認められた」と感慨深げ。富岡製糸場総合研究センターの今井幹夫所長(80)は「富岡製糸場が果たすべき役割はこれまで以上に大きくなる。日本の近代化の礎となった製糸場の価値を発信続けたい」とのことである。

 今後は、観光客も急増する物と思われる、まだ。登録認可前の今年のゴールデンウイーク中でも4施設への来場者は前年の3倍以上との事だ。従って、受け入れ態勢にも今後の充実が課題である。

(えびなたろう)