きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

真実の解明が、少しずつ明るみへ

2009-03-12 12:12:00 | Weblog
真実の解明が、少しずつ明るみへ     (009.03.12.)

韓国の釜山で拉致被害者の田口八重子さんの家族と、田口八重子さんに日本語の教育を受けていた、大韓航空機爆破事件の実行犯金賢姫元死刑囚との面会が行なわれた。

この面会の実現は、拉致された田口八重子さんの長男(飯塚耕一郎32歳)が当時1歳だった事から、自分の母の面影も全くわからず、八重子さんの兄(飯塚繁雄さん)に引き取られて育てられたのである。その間、耕一郎さんは何も知らなかったのだが、成長した段階で知らされ、本当の母である八重子さんの事を知りたい思いから、金賢姫元死刑囚に母の情報を求める手紙を日本の大使館を通じて韓国政府に出していたのである。

しかし当時大韓航空機爆破事件は、北朝鮮側は「韓国政府の自作自演である」と主張していたため、金元死刑囚が北朝鮮で李恩恵(リウネ)と言う日本人女性から日本語教育を受けた」と証言しその後、李恩恵が田口八重子さんと分かったのであるが、北朝鮮は否定し続け、李恩恵の存在をも認めていないのである。

当事の韓国大統領は、北朝鮮よりの盧武鉉政権であった為、対北朝鮮融和政策のもと、耕一郎氏の手紙は金元死刑囚には届けられていなかったのである。

今回の面会が実現した事は、韓国が李明博政権に代わり、韓国側が対北朝鮮の人権問題を重視する姿勢に変わった事が実を結んだ物である。

金賢姫元死刑囚は、少女時代子役の俳優で、父は外交官で、大学で日本語を学び、その容姿と語学能力によって、北朝鮮の工作員に選抜されもので、87年の爆破事件では爆弾を機内に置いて降機しミヤンマー上空で爆発、115人が死亡すると言う事件となり、金元死刑囚はバーレーンで身柄を拘束されたのである。その後韓国に移送されている。

91年には、ベストセラーとなった著書を出している、その中で「犠牲となった人達に何かやらねばならない、と言う荷物を死ぬまで背負ってゆく」、と言い、また「私は罪びとである前に、単純に、一人の20代の女性でありたい」と言っている。
そして、97年には自分の身辺警護の男性と結婚し1男1女を育てている。

今回の面会の金賢姫元死刑囚は、韓国の前政権下で、「ニセ者」と決め付けられていた問題を記者会見の第一声で「私は本物です!」とハッキリと証言した。そして「大韓航空機事件は北朝鮮のテロである」事もハッキリと証言した。
また、耕一郎氏には「お母さんはきっと生きている」「勇気を持ちなさい」「私が韓国の母になります」耕一郎氏からの手紙も「受け取る事何が出来なかった」等々のことを述べている。

この様なハッキリとした証言は、前政権時代に「爆破事件は韓国主導」と言う陰謀説に振り回され苦悩を強いられて来た圧迫を、一気に吹き払う気迫が、彼女のハッキリとした証言になったものと思われる。

北朝鮮側は、「日本や韓国は国内の世論を自分たちに有利になるよう誘導する悪辣な政治ショーだ」と批判している。

今回の面会を通じて、沢山の脱北者からの真実の証言が此れからも次々と出されることによって全ての問題が明るみに晒される事を全世界の人達は望んでいる。
(えびなたろう)