きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

人を殺した償いは命を持ってするのが当たり前

2007-09-21 08:32:32 | Weblog
人を殺した償いは命を持ってするのが当たり前      (007.09.21.)

山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審公判は20日、広島高裁で行なわれ遺族2人(殺害された弥生さんの母と、本村洋さん)の意見陳述があった。
その中で、本村さんは「君は自ら命を持って罪を償わなければならない」と言っている。

昔は、殺されたら、殺した被告は、敵討ちで殺されても、お上はそれを認めていたし、むしろ、親の敵を討つ子供は、親孝行者と世間からは尊重されていたぐらいだ。

人間の感情からは、殴った人は殴られて当たり前、殺した人は殺されて当たり前、と言う考え方で、遣られた人は、遣られたと同じ方法で、遣られ返されてチャラと考えるのが公正な判断である。

ところが、実際には、被害者の方が遣られ損で終わるケースが非常に多い様に思われる。
中でも悪質な犯罪者は犯行後の態度を、改心を偽装して刑の軽減を得ているようである。 

殺人罪の場合は死刑と無期懲役との差は、生と死の違いであるから、弁護人が事件の状況を偽装して刑の軽減策を被告に教えて、死刑を逃れると言う事が多く見られる。

また法務大臣も死刑執行の認可を、自分が大臣の時にはしない様にする傾向があると聞くが、その様な傾向が蔓延すれば、被害者の遺族は居た堪れない気持に苦しむ事になり裁判の公正は守られません。

殺した者は、命を持って償う事を、基本原則とし、交通事故等の過失等、やむを得ない過失が認められる場合にのみ程度に応じて、多少の減刑を認める事にしないと、裁判の公平性を守る事は出来ないのではないだろうか。

                    (えびなたろう)