昔から「偏食はいけない事」とされ、「毎日○○品目を食べましょう」と言うことが言われているのだが、これは食事に限ったことではないと私は思っている。
最近若い世代を中心にして「新聞離れ」「テレビ離れ」と言うことが起きているのだが、これは、インターネットや携帯電話で簡単に情報が得られるようになったことが引き金になっているのだが、この事は私から見ると「情報の偏食」としか思えず、いずれ「偏食の害」が現れてくると思っている。
私もこうしてネットを利用はしているのだが、ネットが私の情報源として占める割合は「ごく限定的なもの」あるいは「補助的なもの」でしかなく、新聞が存在する限り読み続けることだろう。
一般的には「ネットの利便性」が強調されているようだが、私に言わせれば「ネットはファーストフードと同じような物」で、ファーストフードばかり食べていれば「肥満→成人病」と言う危険が増大するように、ネットだけで情報を得ていれば、やがては新たな問題が発生する事は間違いのない事で、「クレーマー」「モンスター」などの出現もその表れではないだろうか。
「しかしながら」である。
新聞の発行部数が減少しているとは言っても、日本においては未だかなりの部数が発行されているのだが、果たしてその中で私のようにじっくりと新聞を読んでいる人がどれだけいるのであろうか。
これは私が聞いた極めて限定的な話であるが、「最初にテレビ欄を見て、後は三面記事とスポーツ欄だけ」と言う人が殆んどで、私から見ると「宝の持ち腐れ」と言った感じがしてならないのである。
多くの人は「時代が変わったのだから」と言うのだが、その裏には「時代が変わる=良いこと」と言った意味が含まれているように感じるのだが、本当に「時代が変わる=良いこと」と考えてよいのだろうか。
これは政治にも言えることで、「自公連立政権」から「民主、社民、国民新党連立政権」へと変わったことで、「日本の政治が変わる」と喜ぶ人が多いのだが、「変わる=良くなる」とは限らない事を肝に銘ずる必要があるだろう。
「変わる」は「改善」と言う結果をもたらす事も有るだろうが、その一方で「改悪」と言う事もある事に気が付くべきだろうが、自民党政権が復活したとしても「大同小異」でしかないことが非常に残念な事である。
最近若い世代を中心にして「新聞離れ」「テレビ離れ」と言うことが起きているのだが、これは、インターネットや携帯電話で簡単に情報が得られるようになったことが引き金になっているのだが、この事は私から見ると「情報の偏食」としか思えず、いずれ「偏食の害」が現れてくると思っている。
私もこうしてネットを利用はしているのだが、ネットが私の情報源として占める割合は「ごく限定的なもの」あるいは「補助的なもの」でしかなく、新聞が存在する限り読み続けることだろう。
一般的には「ネットの利便性」が強調されているようだが、私に言わせれば「ネットはファーストフードと同じような物」で、ファーストフードばかり食べていれば「肥満→成人病」と言う危険が増大するように、ネットだけで情報を得ていれば、やがては新たな問題が発生する事は間違いのない事で、「クレーマー」「モンスター」などの出現もその表れではないだろうか。
「しかしながら」である。
新聞の発行部数が減少しているとは言っても、日本においては未だかなりの部数が発行されているのだが、果たしてその中で私のようにじっくりと新聞を読んでいる人がどれだけいるのであろうか。
これは私が聞いた極めて限定的な話であるが、「最初にテレビ欄を見て、後は三面記事とスポーツ欄だけ」と言う人が殆んどで、私から見ると「宝の持ち腐れ」と言った感じがしてならないのである。
多くの人は「時代が変わったのだから」と言うのだが、その裏には「時代が変わる=良いこと」と言った意味が含まれているように感じるのだが、本当に「時代が変わる=良いこと」と考えてよいのだろうか。
これは政治にも言えることで、「自公連立政権」から「民主、社民、国民新党連立政権」へと変わったことで、「日本の政治が変わる」と喜ぶ人が多いのだが、「変わる=良くなる」とは限らない事を肝に銘ずる必要があるだろう。
「変わる」は「改善」と言う結果をもたらす事も有るだろうが、その一方で「改悪」と言う事もある事に気が付くべきだろうが、自民党政権が復活したとしても「大同小異」でしかないことが非常に残念な事である。