へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

日本と韓国は仲良くなれるのか     5年以上前に書いた記事だが・・・・

2016年01月02日 22時14分15秒 | Weblog
NHKの「日本の、これから・・・・」と言う放送で、韓国と日本の関係について討論する番組があったのだが、その中で「お互いの国に対する日本人と韓国人の認識の差」と言うことが大きな問題になっていたのだが、「何故認識に大きな差が出るのか」については殆んど論議される事も無く終わってしまった。
これは毎度の事で、この手の討論番組ではよくあることではあるのだが・・・・。
しかし、これで終わってしまっては何時まで経っても問題の解決は難しく、ここではその問題の「根底にある問題」に触れてみたいと思う。
日本人と韓国人の認識の差の根底にある問題は「日本は加害国で、韓国は被害国だ」と言うことに気が付かなくてはいけないのである。
これを悪い言い方をするならば「被害国にとって加害国は敵だ!」と言うことになり、認識に大きな差が出るのは当然の事で、「置かれた立場が違う」のだから、認識に差が出るのは仕方ない事なのである。
更には、加害者は「早く忘れたい」という意識が働き「問題から逃避する」と言うことをしがちだが、被害を受けた者にとっては「忘れたくても忘れられない」と言う思いがある事も理解しなければいけないのだが・・・・。
かつて「最早戦後ではない」「戦後は終わった」などと言うことが言われた事がこの事を如実に表しており、このような事が言われる根底にも「早く加害者と言う立場から逃れたい」と言う意識が働いていることは確かだろう。
そして、戦争の加害者でありながら被害者の立場をとる「広島・長崎の被爆問題」については、相も変わらず「日米の認識の差」というものが存在している事にも気が付くべきで、「日韓(日中もだが)問題」では加害者の立場を忘れ、「広島・長崎の被爆問題」では被害者の立場に立つという、言わば「被害者と加害者の使い分け」をしていることにも「日本人の身勝手さ」が現れているのではないだろうか。
このように考えてゆけば「被害者と加害者が仲良くなる」と言う事は至難の技と言わざるを得ず、認識の差を縮小するには未だ長い年月が必要であろう。
韓国では日本との歴史問題を教育の場で取り上げているのに対して、「日本では全くと言ってよいほど取り上げない」と言う事も「被害者と加害者の認識の差」と言うことによるもので、総理大臣が謝罪文を読み上げたくらいで解決するほど簡単な問題ではないのである。
日本人の一部には「総理大臣が謝ったのだからそれでいいだろ!」と言う人もいるようだが、自分が逆の立場になったときに同じ事を言われたらどうするのだろうか・・・・。

私は純粋?な日本人ではあるが、このような問題が起きるたびに「日本人である事を恥じに思う」と言う気持ちで一杯になり、どうしてもこのようなことを書きたくなってしまうのである。



これは2010年8月15日に書いているのだが、改めてアップしておきます。

日韓の政府間では「元従軍慰安婦問題」は解決したことになっているが、被害者である元従軍慰安婦の真情は完全に踏みにじられている。

これはあくまでも仮の話ではあるが、もしも、日本と韓国(中国もだが)の立場が逆であったとしたら・・・・。

安倍総理は合意を受け入れたであろうか。



これはあくまでも仮定の話ではあるが、合意を受け入れることはないはずである。

立場が全く正反対の被害者と加害者。


心底から仲良くなった話を聞いたことが無い。



表面的に仲良くなることだって困難だろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日も暖かくて穏やかな一日... | トップ | 今日は春のような一日である »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事