一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

山本直樹 『レッド』

2008-01-12 | 乱読日記

山本直樹が連合赤軍をテーマに描いた作品です。

山本直樹といえば『極めてかもしだ』でビッグコミック・スピリッツに登場したとき、エロ漫画(「森山塔」名義で書いていた)出身作家のメジャーデビューとして注目されました。
僕にとっては当時の「エロ漫画/劇画」といえば石井隆(今ではもっぱら映画監督になっていますが昔は劇画作家でした)に代表される濃厚なやつのことを意味したのですが、山本直樹の描く「エロ」はその描画のタッチにもよるのでしょうが「魂のぶつかり合わないエロ」とでもいうのか、コミュニケーション不全の結果としての性行為とでもいうような妙な違和感を感じさせるものでした。

また他の作家の描く暴力的なシーンとは異なり、山本直樹の描く感情移入を排除したかのような問答無用の理不尽さはそれと全く違う怖さを感じさせます。

山本直樹は僕と同世代なのですが、その彼が連合赤軍をテーマにして描いたのは、真剣な革命運動を考えていた若者が理不尽な内ゲバに至るまでのコミュニケーションのずれや断絶、集団心理の怖さを書き出そうということなのかもしれません。

作中では連合赤軍事件の登場人物を名前こそ変えているもののほぼ忠実になぞっています。
そして中でも永田洋子がモデルの「赤城さん」が中心に描かれています。
彼女は連合赤軍の山岳ベースでのリンチ殺害事件の首謀者(主導者?)とされ、死刑が確定しています。
永田洋子は自著『十六の墓標』で「本人は自信がなく、そのために周りの人間に引っ張られる形で過激な運動に追随していった」(Amazonのレビューからの引用)という自己弁護ともとれる説明をしているようです。(この本は読んでいません)
しかし一方で同じく連合赤軍幹部である坂東國男(日本赤軍によるクアラルンプール大使館立てこもり事件で超法規的措置により出国後所在不明)の書いた『永田洋子さんへの手紙』ではこのように言ってるようです(下で紹介するサイトからの孫引き)。

永田同志の「十六の墓標」の中でも、比較的永田同志の本音の感情が書かれておりいろいろ動揺したことが書かれています。しかし、私や同志達に映っていた永田同志は、そんな人間的感情のひとかけらもない「鬼ババア」でしかありませんでした。私も当時は、恐ろしい人、動揺しない人と考えていたのですから、下部の人が、私たち指導部を「お上=神」と恐れたのも無理はありません。

このように自己評価と他人からの認識が大きく異なっていることはしばしばありますが、そういう別々の意識を持った登場人物が集団的な狂気にまでたどり着く過程を描くというのはまさに山本直樹の得意技かもしれません。 
第1巻では真岡市の銃砲店襲撃(といってわかる人は間違いなく40代以上ですねw)までですので、浅間山荘事件に至るまでにはあと数巻かかりそうです。


僕自身は連合赤軍関係の記憶と言えば、病院の待合室のロビーのテレビで浅間山荘への突入のシーン(プロジェクトXでもやったクレーン車に鉄球をつるして建物を壊すところ)を見ていたことが鮮明な記憶としてあるくらいで、あとは断片的な記憶しかありませんでした。
そこで検索してみると1969-1972 連合赤軍と「二十歳の原点」というサイトにたどり着きました。

ここでは連合赤軍の活動の詳細が関係者の手記などから綿密に整理されています。
ディスプレイで読むのが疲れそうだったのでプリントアウトしたら2ページ1枚で印刷しても60枚くらいの膨大な量です。
ここを読むと、途中から組織の目標よりも「総括」が自己目的化してしまい内部での残虐行為が繰り返されるさまが詳細に再現されています(詳細すぎて読むのがつらいくらいです。)。


当時子供だった僕がわからないのは、連合赤軍事件はどこまで特殊な事象だったのか、どこまでが時代の空気を反映していたのか、ということです。
私の周りに、その頃の昔話をする人はなぜかあまりいません。
実は学生運動というのは学生の中の一部の人だけのもので、そのほかの学生は何らかの関係や共感を持っていたものの荒井由美(当時)が喝破したように

就職が決まって 髪を切って来た時
もう若くないさと 君に言い訳したね

と、はしかのような流行病としてとっとと忘れてしまうか、昔の武勇伝に昇華してしまったのでしょうか。


などと思っていたところに、もう一冊、同じ時代を題材にした本が出ました。

(つぎのエントリに続く(たぶん・・・))









コメント
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