一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『白い指先の小説』

2008-11-16 | 乱読日記
僕が学生の頃、片岡義男は全盛期で、女性向けファッション雑誌などでは必ず小説やエッセイが連載され、角川文庫のドル箱のひとつにもなってました。
そういうオシャレな世界とは縁のなかった学生であった僕は、「けっ、片岡義男なんざぁ、ちょっと読めば見切れるぜ」などとうそぶこうと、文庫本を5,6冊買って一気読みしたことがあります。

確かにすっと読めるのですが、サーフィンとかハワイとかオートバイとかの自分と縁のない世界が心地よく目の前を通り過ぎていく、という感じでした(「10フィートの波」とか言われたってわからんて(笑))。
未だに覚えているのは、パパのキャデラックを湖に沈めてしまった、という短編くらいです。


今回たまたま新聞の書評欄にこの本が紹介されていたので、気まぐれで買ってしまいました。
4つの短編が入っている書き下ろしで、いずれも小説を書く女性が主人公や中心になり、どこかに写真家が登場する、という共通点があります。
カバーの著者紹介によると、片岡義男自身写真家としても活躍したらしく、小説でも「カメラ・バッグ」とはいうものの「カメラ」とは言わずに「写真機」というあたりなどにこだわりが感じられます(深読みしすぎ?)。

いずれも昔の印象と同じ心地よさを感じさせる小説ですが、その分自分の中に入ってこないのも事実です。
ちょうどスケートが氷とエッジの間にできた薄い水の膜に乗って滑っているような感じです。

さらにスケートに例えると、決してエッジで氷を傷つけるようなジャンプやスピンはしない滑りです。そして技術点としては評価されないけれども「お約束」で演目に入れると観客に受けるというあたりはイナバウアーに似ています。


そうだ、「片岡義男の小説はイナバウアーである」ということで、二十数年来の課題の結論とすることにしよう(笑)


PS
片岡義男は1940年生まれだそうで、70近くになってもこういう透明感のあるものが書けるというのは一つの技術であり、作家としてスタイルとして立派だと思います。



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