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サイタニ氏の 連載「私の日本憲法論」、仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激

2011年04月18日 15時12分26秒 | 現代日本
yahooブログ「サイタニのブログ」からの転載です。



【東日本大震災】
非常事態規定なく危機対応に障害 現憲法の“欠陥”浮き彫り 
MSN産経ニュース


2011.4.16 22:50
 東京電力福島第1原発事故での政府の対応を見ると、非常事態規定がないに等しい現憲法の欠陥が、効果的な危機対応を妨げている実態が浮かび上がる。
 88年前の関東大震災時、政府は明治憲法の非常事態条項を使って対応した。震災翌日に治安維持のため戒厳令(明治憲法14条)を出すとともに「臨時非常徴発令」を発して、物資を調達した。
明治憲法8条が、公共の安全保持や災厄を避けるため、帝国議会閉会中に緊急勅令を臨機応変に出すことを認めていたためだ。次の議会が認めなければ失効する仕組みだった。勅令は閣僚のサイン(副署)によって発せられ、今の政令に当たるものだ。
 
今回の東日本大震災や原発事故でも、臨時非常徴発令のような措置をとっていれば、ガソリンや医薬品などの必需品はもっと速やかに被災者に渡っただろう。
 
国民に最大限の自由と権利を認める平時の体制で戦争や内乱、大災害などの非常事態を乗り切ろうとすると、逆に国民の生命財産の被害は増し、事態収拾も遅れてしまう。ドイツやフランス、韓国など大多数の国は憲法に非常事態規定を設け、大統領や首相に権力を一時的に集中し対応する仕組みをとっている。

 一方、日本の現憲法は衆院解散中の参院の緊急集会以外、非常事態の規定はない。また、今でも有事法制や災害対策基本法はあるが役割は限定されている。それでも、災害対策基本法105条は
首相に「災害緊急事態」を布告する権限を与えている。これを布告し、かつ国会閉会中なら、政府は生活必需品の配給、譲渡、物価の統制、債務の支払い延期などの政令を出せる(同法109条)。

今は国会開会中だが、政治が決断して衆参両院が一時的に休会を決めればこれらの政令を出すことは可能だ。しかし、国難を強調しているにもかかわらず、菅直人政権は「災害緊急事態」を発動していない。
今回のような事態で使わないで、いつ発動するのだろう。

 
3月22日の参院予算委員会で、自民党の佐藤正久参院議員は災害緊急事態の布告を求めたが、政府は「国民の権利義務を大きく規制する非常に強い措置で適切な判断が必要だ」
(小滝晃内閣府参事官)との、まるで平時の論理で拒否した。
 
最高法規の憲法に非常事態の規定がないことで、日本の政治家や官僚が平和ぼけに陥っているとしたら、現憲法の罪は大きい。(榊原智)


■ 菅・岡田・反日民主党政権は平和ボケでは
   ないのである。

政府は
「国民の権利義務を大きく規制する非常に強い措置で適切な判断が必要だ」

非常事態を発動すれば、今後保守政権になった時、左翼・反日国会議員は革命闘争する時に自分達が規制されることを恐れるからである。 

反日・左翼の人間が国会議員になれること事態がおかしいのに、
反日・左翼の韓国人が総理大臣になり政権の幹事長になれる、
そのことが日本の非常事態である。


 ■ 仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激
読売新聞 4月16日(土)17時45分配信
 【ワシントン=山田哲朗】東日本大震災で水没した仙台空港の復旧を
支援した米空軍第353特殊部隊のロバート・トス司令が15日、
沖縄県嘉手納基地とワシントンを結んだ電話記者会見で、被災者が
海岸にマツの木で「ARIGATO」の文字を作って米軍に感謝を表して
くれたと明らかにした。

 トス司令が3日に上空から見た文字は、長さ6~9メートルほどの木を
並べたものだったという。同部隊は自衛隊と共に滑走路のがれき
撤去や臨時の航空管制などにあたり、輸送機で水や食料も運搬した。

 司令は支援を振り返って、「驚いたのは、自分たちも被災しながら
日夜復旧に努める日本人の姿だった。ありがとうは日本の人々に
言いたい」と話した。
最終更新:4月16日(土)17時45分





[国際]トピックストピック:中国
 ■ 中国首相が講話「誠意の欠落、道徳低下が深刻な状態」
4.17 23:36
 17日の新華社電によると、中国の温家宝首相は14日、国務院(政府)参事らとの座談会で講話を発表し、中国の粉ミルク汚染事件などを挙げ「誠意の欠落、道徳の低下が深刻なところまで来ている」と述べ、国民の道徳向上の重要性を訴えた。[記事詳細]


中国、震災「日本応援コール」の背後に「道徳崩壊寸前」への深刻な反省-石平のChina Watch(3月31日)




      

連載 「私の日本憲法論」

      占領憲法の非真理性とその影響



「憲法の条項改正」と「憲法全文の変更」とは異なる


 この明治憲法の大網たる「統治の大権」の所在や建国の精神は
「永遠に循行」せらるべきものであるということを前提として、


明治憲法七十三条の「憲法の条項」改正
(条項改正であって、憲法改正ではない)の手続きが書かれているので
ありますから、おのずからその改正してもよい条項の範囲は限定されて
いるのであり、


憲法の大網たる「統治の大権」の所在まで変更したり、憲法全文を全然変更したりすることは、明治憲法第七十三条の憲法の「条項改正」の範囲で
できることではないのであります。


それなのに占領軍は、この「条項改正」の条文に基づいたる如く偽装して、憲法全文の変更をあえてして、国民の眼を欺こうとしたのであります。


国民の中にも、そんな偽装に欺かれない炯眼の士はたくさんあったで
ありましょうが、その偽装を摘発すれば、当時、占領中の軍政下でありましたから、すぐ追放となって国民としての権利を剥奪されるか、戦争犯罪者として巣鴨の戦犯裁判にわたされることが明かであるので偽装と知りながら


「これは明治憲法第七十三条の『憲法の条項改正』の規定する所とは
異なるが故に、この憲法全文の変更は違憲である」ということを言明して、占領軍に抗議する自由を誰ももたなかったのであります。



摂政を置く間(占領期間中)明治憲法は変更できない

それのみならず、明治憲法第七十五条には、
「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間、之ヲ変更スルコヲ得ス」とあります。
そして当時、天皇は占領によって統治の大権を完全に遂行することができない状況下におかれ、マッカーサー元帥が事実上の摂政として、


天皇に指示または助言を与え、「人間宣言の詔勅」やいろいろの政治上の助言を与えて勅令を出さしめていた期間でありますから、その期間に憲法を変更することは、まさに「摂政ヲ置クノ間、之ヲ変更スルコトを得ス」という、


この明治憲法第七十五条に抵触するのであって、それを合憲的の如く偽装したアメリカ製、作文の「日本国憲法」は、たんに占領行政中のみ、軍政の圧力によって有効として罷り通ったのでありますが、平和条約締結によって占領行政締結後は、当然無効になっているのであります。今さら、私がそれを無効だといわなくともすでに無効なのであります。


それが今も通用しているのは、あたかも、偽造紙幣を偽造と知らないでみんなが使っている間は、ホンモノの紙幣と同じようにそれが通用するのと同じように、今のアメリカ作文の偽造憲法がホンモノの憲法のごとく通用しているわけであります。


しかし、この憲法がホンモノの憲法でないと国民の大多数が知るようになれば、このアメリカ作文の憲法はニセ紙幣のごとく誰も通用させてくれなくなるはずであります。


   

   
   






     


      

「自衛官の悲痛な声」より

2011年04月18日 03時38分10秒 | 現代日本
 今まで公共事業は悪いと言われ、建設業者は憎まれ、「コンクリートから人へ」などのスローガンのように、まるで人の生活を悪化させる存在であるかのごとくに言われ、そのため建設業界は少しづつ縮小してきていました。だから、今震災で一番欲しい時に、人員と機材が足りないのです。
 そして自衛隊も、平和主義の日本ではいらない存在のように邪険に扱われ、日教組の教師などは、自衛隊の子弟を親の職業を理由に不当に差別して、教室では、「このひとたちの親は人殺しを職業にしているのです」等と言って存在自体を貶めるような発言をしたり、教室で晒し者のように立たせておくなどといったことまでしました。
 そして、そうした平時において、自衛隊の人員を削減し、予算を削減し、十分な設備も機材も補充できない状態がつづいてきました。確かに最新の防衛用の機材も購入はしていますが、今まで使っているものが老朽化した場合の買い替え費用などが削られているのです。今現在非常時に動員されている機材は、だからかなり老朽化したものを使っているのが現状です。まるで最新設備をたくさん持っているかのように万能の自衛隊のような報道の印象がありますが、予算が毎年削減された中で、機材は不足し、隊員個人の私物で多く賄われているものも多いそうです。
 老朽化した機材を使いながら、へとへとになるまで時には胸まで水に浸かり、濡れた服を乾かすまもなく、それを翌日また身につける場合もあると聞きます。ほとんど隊員たちの自己犠牲的な献身、使命感に頼って、活動がなされているのです。
 政府は、手のひらを返したように、自衛隊に頼りきりですが、頼るだけでなく、活動がもっと安全に少しでもやりやすくなるように支援する対策だけでも緊急に打つべきなのです。それもやらずに、自衛隊に依存だけしているのでは、今後多くの殉職者が出てくる可能性もあります。
 そうなれば、あまりにも非道な、自衛隊員の人権を無視した許されざる無策と言えるのではないでしょうか。
 平和がただで手に入ると思い込んで、非常時の対策を長年にわたって何もしてこなかった日本、戦後の平和ボケの国民と政府が、非常時に、やはり無策で、一番頼りになる国防の人材を見殺しにする事態にならないように、今が平時ではないことを、もっと認識すべきです。
 報道は時には、自衛官が被災者に温かい炊き出しの料理を振舞うところを写し、その裏では自衛官が冷たい缶詰を、倹約しながら食べて、一日二食の僅かな食事に甘んじ、空腹と疲労にも耐えて復興活動をしている姿を伝えることもありますが、その献身を讃えるだけでなく、何とかそれを改善してもっと働きやすいように政府に働きかけるべき世論を作るようにしてもいいのではないでしょうか。
 私たちの今もっとも大切な自衛隊という人材集団をもっと守るべきではないでしょうか。



さくらの花びらさんのブログより転載


東日本大震災の被災地で黙々と過酷な任身に当たる自衛官たち。
その働きは被災地はじめ多くの国民から賞賛されています。

しかし、肝心の政府、特に最高指揮官である菅首相に言葉で「感謝します」と言われても、
他人事のようにしか聞こえなかったのではないか。
本来の指揮官ならば感謝ではなく、現場の声を謙虚に聞き、足りないものを即断で補い、
任務遂行しやすい環境、場合によっては超法規的な対応も必要なのかもしれない。
自らが腹を切る、つまりトップが責任を取る態度でのぞめば不可能も可能にするだろう。

本来の「主たる任務」ではない「従たる任務」に当たっている自衛官の
現場の生の声こそ、素人集団の首相はじめ政治家たちは真摯に聞かねばならない。

このような国難でもある有事になると、
我々建設業者も自衛官も、圧倒的に人員が足りないし、重機や機材も足りない。

我々は平時にあっては常に無駄なような扱いをされて、マスコミには叩かれ続け、
それに踊らされてきた政治家や国民によって予算が削られて、縮減・衰退していきました。


有事、特に大災害は国民が忘れた頃にやってくるものです。
その備えを無駄と言ってきた人たち、
有事になってから「早く!」「何とかしろ!」と、そうなってから騒いでも遅いのです。




JBPRESSの配信記事、
「災害派遣、現場自衛官から上がる悲痛な声」
という
現役自衛官 藤井源太郎さんの生の声です。
・・・・・・

美化することなく、英雄扱いすることなく、感謝も、慰労も求めておりません。
ただただ被災者の安心と被災地の復興のために必要な装備と、
活動に対するご理解をいだたきたくて国民の皆様にお伝え致します。

多くの被災者は想像を絶する悲しみや心身の苦痛を伴いながらもなお、
冷静さを保って不自由な生活に辛抱されておられます。
しかしながら被災地の現実はきれいごとや美談ばかりではありません。

被災地では地震および津波発生以来、
避難者の自宅への不法侵入による窃盗や、
ドラッグストアやスーパーからの商品窃盗、
地元住民ではない人たちの窃盗行為、
東京ナンバーの車両が避難所周辺でロウソクやガスコンロ・ボンベなどの生活物資を
法外な値段で売るような人もいます。
捜索活動中にバールなどでこじ開けられた金庫の残骸が多数発見されています。

被災地ではマグロやサバ、特にイカの腐敗臭が非常に強くなっています。
ご遺体の腐臭もあります。
1カ月を経過して今後ますます腐敗臭は強くなります。
それは自衛官の心身のストレスを高め疲労させます。
そして、泥は乾き、ご遺体の捜索、収容作業がますます困難になっています。
津波の影響で泥の上にがれきがあったのですが、がれきを撤去しても、
その下の泥が日を追うごとに乾いてご遺体を隠してしまっているからです。



一方、沿岸部では海上自衛隊の掃海隊群が中心となってご遺体の捜索が行われています。
その主体は海の中で発見された不発弾や機雷等爆発物の水中処分を任務とする水中処分員です。
こちらも津波で流された木片や浮遊物といった障害物を除去しながら捜索しています。

特に、3週から5週目の間に多くのご遺体は海中で膨張するため浮き上がってきます。
そのため地引き網より編み目の細い網で慎重に収容します。
少しのテンションでもぼろぼろになるので、丁寧に、丁寧に、棺やご遺体袋へ納めます。

車から脱出できなかったご遺体や自宅ごと流され家から出られなかったご遺体は、
なかなか浮上しませんので極めて困難な収容作業となっています。

しかし、この水中処分員も自民党時代から続く連年の人員削減、
すなわち部隊の近代化、集約化と称する削減により隊員数が少ないのです。
横須賀、呉、佐世保にわずか4個隊(30隻)しかおらず、
掃海隊が交代でことに当たっているものの、
連日数度の捜索により隊員個々の疲労が蓄積しています。


それでもなお、
「我々は艦艇に戻れば温食、お風呂がある。
現地で冷たい食事して、毛布にくるまって寝ている陸・空自の方が大変だ」
という他部隊を労る言葉を発してくれます。

いずれも梅雨が始まり作業が困難になってしまう6月までが勝負と、
日々全力で作業に当たっています。



ぬかるみや水位の高い場所で作業する場合、防水ツナギを履いて行うのですが、
このツナギの靴部分は軽易なゴム製になっており、
非常にタイトなため半長靴を履いたままでは履けません。
そのため半長靴なしで胴付き長靴を履きます。
その結果、がれきが散乱している現場では、釘などが長靴のゴムを貫通して
足裏に刺さるという負傷事故が多数発生しています。

なお、その胴付き長靴すら需品在庫が少ないため民間から買い上げています。
加えて現場に随行している衛生班には抗生物質が不足しており十分な衛生が行えておりません。

防衛大臣は中期防衛力整備計画において約1000億円の予備費を持っています。
その予備費を今こそ現場が渇望している最低限の装備や薬剤などの購入費として
活用することはできないものでしょうか。


自衛隊の行動は編制単位部隊毎で行われます。
その下に小隊や分隊、班があります。
被災地で活動する場合、中隊長や隊長の指揮の下、小隊に別れて作業を行います。
部隊間の連絡は野外通信用の携帯無線機を使用するのですが、
小隊に1台、分隊にはなし、というのが当たり前になっています。
小隊以下はどのように連絡を取っていると思いますか?
それは隊員の私物携帯(通信料ももちろん隊員負担)です。
電波が通らない所では伝令を走らせるか大声で呼ぶのです。

肝心の携帯無線機の周波数帯も、警察、消防、国交省が良いところを押さえているため、
防衛省の割り当て区域は伝播能力の低い周波数帯です。

ちょっとした障害物で電波が届かないとか、
この位置から少しずれると電波が入らないということが多いのです。
こういった非常事態の場合においては実際の活動状況を踏まえた上で、
伝播能力の高い周波数帯の割り当てを再検討して頂きたいです。


東北の夜は早く、夕方になると暗くなります。
その際、懐中電灯やヘッドライトを使用しますが、これもほとんど隊員の私物です。
官品は懐中電灯で約30人の小隊で5個程度、
ヘッドライトの支給はなし。
LEDライトは100人以上いる各中隊で5個程度。
私物用の電池も隊員が自腹で購入しており、官品補給はありません。

原子力災害やテロ対策は、空港、港湾警備と同じで、防衛省ではなく、
警察の所掌業務であり、警察に予算がついています。
放射線や放射性物質災害やテロ対策についても警察と消防に予算がついており、
防衛省にはCBRNテロ対策名目で、主に生物、化学兵器対策でしか予算はついていません。
そのため放射線防護服や除染車、無人機などの装備は警察、消防の方が充実しているのです。
自衛隊の化学防護衣は化学部隊を除いて、
陸自では100人当たり10着程度しか配分されていませんし、
海空自についても航空機救難や基地警備に当たる隊員用にわずかしかありません。


自衛隊の大型消防車は消防庁と違い、基地、空港内だけの運用で
長距離走行を意図していませんし、20年選手が多く老朽化しているため、
フェリー輸送する際、船着き場へ着くまでに故障しています。
自衛隊は戦う組織だから自衛隊の方が何だか良い装備を持っていると思うのは幻想にしか過ぎません。


隊員は使命感を持って任務の完遂に取り組んでいますが、
政府にあっては現場の隊員個人の努力に頼りすぎず、
長期化を見越して現場に必要なものを用意して頂きたいです。

極東情勢が緊張している今、国防が「主たる任務」でありながら、
「従たる任務」である災害派遣に10万人体制で取り組むことが真に妥当であるか・・。

震災後、ロシアや中国は我が国の防衛体制に穴がないか、たびたび確認に来ています。
誤解がないように強調したいのですが10万人全てが現地へ行っているという訳ではありません。
被災地にいて実働している人員は陸海空すべてで3万人程度です。
そのほか、各基地、各駐屯地、市ヶ谷などを含む指揮所、指揮通信システム維持、
空輸、陸送、海上輸送、補給要員などを全て含めての10万人体制です。

戦力投射能力という観点から見ると災害派遣、原子力災害派遣において
早々に10万人体制を確立したことは他国からの高い評価からも分かる通り、
それ自体が抑止力になっています。
ですが、10万人体制の問題は2つあります。

まず交代部隊がほとんど確保できないという点です。
警察や消防は約1週間ごとに交代していますが、
自衛隊では10万人体制維持のため、交代要員が確保しづらい状態になっています。
これから今まで以上に酷い光景を見て匂いを嗅ぐことになります。


1次派遣中に陸上自衛隊でも死者が出ました。
災害派遣中に大量のご遺体を見ていたたまれなくなっての自殺です。
殉職と言ってもいいでしょう。
また、50代陸曹長が病死しました。こちらも殉職と言えます。
同様に薬の欠かせない持病があるにもかかわらず、
災害派遣に押っ取り刀で派遣されたため薬がなく体調を崩す隊員が出る危険性もあります。

2番目に輸送機や輸送トラックが不足しています。
空自の輸送機の多くが老朽化し退役しつつあるため、
空中給油機なども使用しているのですが、それでも機体が足りません。
トラックに関しても物資とともに隊員も輸送しているため絶対数が足りません。
このような状況でも民航機や民間鉄道を使用させてもらえません。
このあたり10万人体制を政治力で敷いたのですから予算どうこうではなく、
輸送、補給といった民間力を活用できる点についても政治力を発揮して頂きたいです。


「トモダチ作戦」の費用は半分以上が我が国負担になるため、
真に必要な点以外で依存しすぎるのは良くありません。
米軍並みの高精度ではないとはいえ、我が国自身の手で、
自前の無人機を運用し情報を得て、爾後の対策に活用することは重要なことだと思います。

5時起床、18時捜索終了、作戦会議やミーティングなどで23時頃就寝。
物資輸送については交代制で夜間も行っています。
4日に1度の入浴(片道3時間)。
多くの場合、洗濯は入浴を早めに切り上げて行います。
食事はほとんど1日2食です。
当初は乾パンばかりだったのが除々に冷たい缶飯になり、たまに温食が出ます。
週に1度の休日は入浴とほとんど疲れて眠るだけ。
・・・

国家、国民の一大事に派遣される時、最初、士気は高いものです。
しかし士気は弓矢と一緒で、最初は勢いよく放たれますが、弓なりに失速するものです。
士気も日を追うごとに、見たくないものを見て、嗅ぎたくない匂いを嗅いでいると衰えていきます。
そんな士気が衰えてきた時に、隊員を奮い立たせるのは、
堅確な意志を体現した指揮官の姿であり、熱誠を込めた言葉なのです。
堅確な意志と熱誠を込めた言葉によって、衰えた士気は振作されます。

我々自衛官は、国民の皆様から感謝されればもちろん嬉しく思います。
ですが、そのためにやっているのではありません。
自衛官は国民の生命と財産を守ることが任務であり、使命であり、当たり前のことなのです。
また、こういう文章を書く理由は、感謝してほしいのではなく、
理解して、活動を支援して頂きたいからです。

今回の自衛隊災害活動においてさえ、マスコミには心ない発言をしたり、
作業をしている隊員に心ない発言を浴びせる方がおります。
しかし、疲労を忘れさせ、士気を奮い立たせ、
隊員の士気を維持し続けているのは、次のような某中隊長の言葉なのです。

「被災者や行方不明家族のおられる方々が、
固唾をのんで見守る中での作業は辛いものがある。
しかし、崇高な使命を達成できるのは我々しかいない」

「現地での作業で見せた諸官の行動は間違っていない。
何かあれば私が責任を取るから存分に作業に当たってほしい」

「避難所などで被災者が心身疲労しており、真に必要な救援物資の到着を待っている。
被災者に会ったら、何が必要か、何が不足しているか、どうしてほしいか、
少しでも情報を取ってこい。ただで帰ってくるな」






大震災で示された「新しい日本」への道

2011年04月17日 17時46分03秒 | 現代日本
 国際派日本人養成講座から、最新の記事が届きました。いつもながら感動的な文章ですが、今回、ほんとに自衛隊の無私の献身の姿に、心から畏敬の念を覚えずにはおれません。そして、戦後個人主義的な権利の主張という、アメリカ式の民主主義の思想で覆われていた日本人の大和魂が、こうした生死のきわの非常事態によみがえってきつつあるのを見ます。この震災をきっかけに、今までの生き方を見直し、新しい日本人の生き方を見つけることが、何より亡くなられた方々の供養になるのではないかと思います。


国際派日本人養成講座より転載開始

■1.東日本大震災のもたらした「不条理の世界」

 とある国で開かれたディナー・パーティーでのこと、10人ほどの円卓に各国からの客が並んでいた。各自の自己紹介から会話が始まったが、私が日本から来たというと、当然、大震災の話になった。

 皆が心から同情してくれたのは有り難かったが、そのうちに一人の中年女性が深刻な表情で自分の体験を話し出した。その女性はユーゴスラビア出身で、自分の友人や親類が大勢虐殺される中で、なんとかアメリカに脱出したという。

 東日本大震災の惨状をテレビで見て、自らの悲惨な体験を思い出したそうだ。私は「日本の震災とユーゴ内戦での虐殺とは、まるで違うのではないか」と思いながら聞いていたが、「待てよ」と思った。

 犠牲になった人の立場に立てば、内戦・民族浄化という「人災」と、地震・津波という「天災」の違いなど関係ない。ある日突然、罪もない何千、何万人もの人々が、何の理由もなく命を奪われるという「不条理さ」においては、同じではないか。彼女が体験したのは、そんな「不条理」が支配する世界なのだ。

 同様に東日本大震災は、昨日まで「安全と水はタダ」だった日本とは全く違った「不条理の世界」を突然、もたらしたのである。



■2.地震発生4分後に自衛隊8千人出動

 たとえば、被災地で支援活動を展開している自衛隊員たちは、子供の遺体を抱きかかえて運ぶこともあるが、同じ年格好の子供をもつ自衛隊員には、これが一番こたえる、という。[1]

 いたいけな子どもがなぜ突然、生命を奪われなくてはならないのか。まさに「不条理」の極みである。

 そんな思いまでしながら、10万人規模の自衛隊員が「食事といえば乾パンと缶詰だけ」というような被災者と同様の過酷な生活を送りながら、不条理から国民の生命と安全を護るべく救援活動に取り組んでくれている。

 震災後1ヶ月での支援状況が、4月14日付け日経新聞にまとめられている。それによると:


   ・人員・・・・・10万7千人

   ・艦船・・・・・57隻

   ・航空機・・・・543機


 という展開規模により、次のような被災地支援が行われている。


   ・人命救助・・・1万9260人

   ・医官診療・・・1万8200人

   ・給食支援・・・232万7500食

   ・入浴支援・・・26万5100人

   ・遺体収容・・・8512体

   ・道路復旧・・・290キロメートル


 その実際の様子を、自ら医療派遣チームの一員として宮城県石巻市で治療にあたった茂木定之医師が、「被災地で見た自衛隊の活動」と題して、次のように投書している。[2]

__________

 ・・・特に印象に残ったのは自衛隊員の活動だ。黙々と食糧や資材を運び、土煙の舞う中で道路整備やがれきの撤去をしていた。泥水に胸までつかり行方不明者の捜索をしている姿も見た。



 われわれもできる限りの医療活動をしてきたつもりであるが、彼らの活動には頭が下がる思いだった。・・・

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 まさに地震、津波、その後の飢餓、伝染病、さらには放射能汚染などの「不条理」と戦って、国民の生命と安全を護っているのが自衛隊なのである。

 こう考えれば、冒頭のユーゴの女性に言ってやれば良かったと、今さらながら思う。あなたの国の軍隊は十分にあなた方住民を護ってくれなかったようだが、我が国にはこれほど一途に国民を護ってくれている自衛隊があるのだと。


■3.「反自衛隊」から「自衛隊頼みのパフォーマンス」へ


 今回の自衛隊の迅速な展開ぶりにも、その一途さが現れている。防衛省は地震発生の4分後、2時50分には災害対策本部を設置し、陸海空3自衛隊計8千人を出動を命じた。この驚くべき迅速さは日頃の準備と訓練の賜物だろう。

 阪神大震災の時は、反自衛隊感情の強い関西の自治体が自衛隊への出動要請をためらって、結局、要請が出たのが、震災発生後、4時間以上も経ってからだった。

 国土庁防災局が開催した外国特派員向けの記者会見で、地方自治体の対応遅れに対し、政府としてもっと手を打てなかったのかという質問に、担当課長は「自治体の意思を圧殺するのは、戦前の軍国主義復活を求めているように聞こえる」と答えた。

「何千人も死んでいるのにそれでいいのか」という外人記者の声に「私は評論家の相手をしているヒマはない」と怒鳴りつけて、席を立ってしまったという。[a]

 さすがに阪神大震災での自衛隊の活躍ぶりから、行政においてもこのような「反自衛隊」的姿勢は陰を潜めたが、今回は逆に政治的パフォーマンスとして自衛隊を利用するという傾向が見られた。

 たとえば菅首相は出動人員を当初の2万人から、翌日12日には5万人に拡大すると発表、さらに13日夜には10万人に倍増させると言った。相次ぐ唐突な増員発表について、官邸から防衛省への打診はなかったという。単に派遣人員の数だけでアピールしようという思いつき的なパフォーマンスとしか受け取れない。

 しかし、それにも関わらず、自衛隊は首都圏での震災に備え、陸自だけで7万5千人から8万人を集める準備をしていたので、見事に即応できた。

 阪神大震災の時に、危機管理の専門家である佐々敦行氏が、「備えあれば憂いなし」をひっくりかえして、「憂いなければ備えなし」と見事な表現をしていたが、今回の菅首相の振る舞いにも、同じことが言えるだろう。

「反自衛隊」から、「自衛隊頼みのパフォーマンス」に姿勢は変わったが、襲いかかる不条理に対しての「憂いなければ備えなし」という本質においては、変わりない。


■4.米軍に対する感謝の握手

 今回の震災では、自衛隊と米軍が本格的な共同活動を行った点も見逃せない。米海軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」は13日に仙台湾沖に到着し、海上自衛隊第一護衛隊群などと共同で、被災地への物資補給を行った。

 たとえば同空母のヘリコプターは、海自の補給艦「ときわ」が輸送してきた非常食糧3万食を宮城県気仙沼市の五右衛門ケ原運動場など3カ所に運搬した。[3]

 このような形で動員されたのは、米軍兵士1万6千人、艦艇13隻、航空機133機にのぼる。

 4月7日付け産経新聞は、被災者たちが米兵に握手を求めている写真を掲載し、「宮城県気仙沼市の離島、大島でがれき撤去作業を終えた米海兵隊員たちに住民が駆け寄り、感謝の気持ちを込めて次々と握手を求めた」とのキャプションを添えている。[4]

 こうした姿がテレビや新聞に報道されて、米軍基地問題を抱える沖縄でも、海兵隊に対する共感の輪が広がっている。[4]

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 名護市辺野古キャンプ近隣に住む自営業者(63)は「若い海兵隊が物資を届けると言って出動した。何十年も海兵隊と付き合っているが、改めて頼りになると感じた。

 那覇市のあるホテル幹部(45)も、「他国で起きた震災の支援に奔走している姿を見て、沖縄に駐留していてよかったと実感した。今回の震災で紛争解決だけでなく、天災対応も含めた新しい日米安保の必要性を感じた。米軍基地を抱えている沖縄から新しい防衛論を発信すべきだ」と語気を強めた。

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■5.米軍の支援活動は「不謹慎」!?

 米軍の活躍に慌てているのが、「反米」に凝り固まった地元紙である。米軍の救援活動はほとんど報じずに、逆にこんな論調を展開している。[4]

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 一方で、「新報」は3月17日付け朝刊で、「在沖海兵隊が震災支援 普天間の有用性強調 県内移設理解狙い 不謹慎批判上がる」との見出しで、在日米軍が普天間飛行場の地理的優位性や在沖海兵隊の存在感などをアピールしているとした上で、「援助活動を利用し、県内移設への理解を日本国内で深めようとする姿勢が色濃くにじむ」と主張した。

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 米軍が今回の支援活動でその存在感をアピールしようとしたことは当然あるだろう。しかし、それを「不謹慎」というなら、被災者はどうなっても良いから、そんな支援活動のアピールをすべきではないと言うのだろうか。

 米軍の思惑が何であれ、まずは被災した我が同胞を一人でも多く救ってくれたことに感謝するのが、日本国民としての自然の情であろう。その人情を失っている処に、左翼論者の非人間性が垣間見える。

 そもそも国家間の同盟が成り立つには、お互いが相手の存在価値を認識していなければならない。米国は沖縄での基地継続に国益がかかっているからこそ、今回の支援活動で日本国民にアピールするのは当然なのだ。

 我が国としても、米国が手を引けば、すぐに中国が手を伸ばしてくるのは火を見るよりも明らかなのだから、こういう時にこそ、日本政府は、中国の前で、日米同盟の緊密さを誇示すべきなのである。

 今回、自衛隊と米軍が緊密な連携作戦を展開したのは、軍拡に狂奔する中国への抑止力となる。これも「備えあれば憂いなし」の一つである。


■6.「国民の生活が第一。」という虚構

「憂いなければ備えなし」というのは、民主党政権の本質であった。平成21(2009)年の衆議院議員選挙で政権交代を果たした時のスローガンが「国民の生活が第一。」であった。

 当時のマニフェストには、「子ども手当」「公立高校の実質無料化」「年金制度の改革」「医療・介護の再生」などの公約が並び、まさに「国民の生活が第一。」のスローガンそのものであった。

 ここには「自衛隊」は登場せず、米軍に対しても「地位協定の見直し」とか「米軍再編」などと「厄介者扱い」である。

「国民の生活が第一。」というスローガンの中には、国民の生活が天災や他国からの侵略に脅かされている、という「憂い」はない。「安全と水はタダ」という信仰の上で、先人たちが苦労して築き上げた国富をばらまいて、票を買おう、という発想でしかない。

 鳩山前首相は「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば 学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」などと語ったが、20年以上も国会議員を務めながら、こんな基本も学んでいなかったというのだから、まさに「憂いなければ備えなし」を地で行く人物であった。

 今年になって、この抑止力発言を方便だったと発言して、またまた日本中を呆れさせたが、国民の生命と安全をまともには考えていない人物なのである。

 さらに仙石前官房長官は自衛隊を「暴力装置」と形容して、世間を驚かせた。自民党からの抗議ですぐに撤回したが、全学連世代の左翼的世界観の持ち主であったことが露呈した。


■7.「本来の日本文化に基づいた新しい日本の登場」

 国家の根本的な役割は、国民の生命と安全を護ることである。戦後の半世紀以上もの間、日米同盟に護られた温室の中で、日本国民はこの点を忘れ去っていた。

 現行憲法の前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という虚構を信じ込み、その上で「憂い」を忘れ「備え」を蔑(ないがし)ろにしてきた。

 その行き着いた先が「生活が第一。」という民主党政権の誕生である。東日本大震災は、「子ども手当」などというバラマキ政治の虚構をあきらかにした。子供たちの生命と安全を守れずして、何が「子ども手当」か。

 今回の震災に関して、日本の文化や社会を専門とする米国ジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は、こう述べている。[5]

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 日本国民が自制や自己犠牲の精神で震災に対応した様子は広い意味での日本の文化を痛感させられた。日本の文化も伝統も米軍の占領政策などにより、かなり変えられたのではないかと思いがちだったが、文化の核の部分は変わらないのだと思わされた。

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 ドーク教授は、その上で「震災への対応で示された団結などは、本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本の登場さえ予測させる」と論評した。

 今回の震災で示された自制や自己犠牲の精神を、一過性のものにしてはならない。それを覆い隠してきた戦後の虚構から目覚め、国民一人一人が、互いのため、国家公共のために何事かをなそうという「本来の日本文化」に基づいた志を持たなければならない。

 今回の大震災で、自衛隊諸士が見せてくれた活動は、そのお手本なのである。

(文責:伊勢雅臣)


■参考■

1. 日経新聞、H23.04.14夕刊「自衛隊10万人、最前線支援」

2. 産経新聞、H23.04.15、投書欄「被災地で見た自衛隊の活動」、医師 茂木定之 55

3. 産経新聞、H23.03,14、「自衛隊 10万人態勢」

4. 産経新聞、H23.04.07、「沖縄 米軍への共感じわり」

5. 産経新聞、H23.03.25、「伝統に基づく新日本誕生も」



転載終わり


人を魅きつける力 ~維新の英傑坂本龍馬に学ぶ~

2011年04月17日 15時36分20秒 | 歴史
本棚に残る古い雑誌を手に取り、読んでいるうちに見つけたコラムの文章を転載しました。

 世の中には、秀れたる才能を発揮して活躍している人もいれば、「この人には何の取柄があるのだろう?」と思われるような人もいます。しかし「誰でも・・・・その人でなければならない秀れたる才能」があるはずです。

 ただその才能が「どういう才能」で「どういう場」に発揮できるのか、親や教師、上司その他の教育者がそれを見つけ得るかどうかが大切だと思います。もちろん、はっきりとではなく、「こういういいところがある」と見るだけでもちがってきます。

 ところで、幕末の風雲の中に、たくさんの傑出した人物が出ました。吉田松陰もその一人で、十歳ですでに藩校の明倫館で家学の教授をし、十一歳で藩主の前で『武教全書』を講じていました。このように最初から秀れた能力を発揮した人もいます。やがて松下村塾の主宰となって、たった三年足らずの間に、そこから維新回天に活躍する多くの人材が輩出したのでした。
 その吉田松陰よりも五歳年下の坂本龍馬はどうであったでしょうか。





 三歳(数え年)になるまで歩けず、四歳になってもよく口がきけず、九歳になっても一人で遊べず、ハナタレの龍馬をお母さんはいつもおんぶして台所や裏庭ではたらいていたということです。また十歳になっても着物も一人で着ることも出来ず、ご飯をたべても、よくこぼして自分では気がつかず、「この子はすたりもの(役に立たない人)になるかも知れん」と、母親はいつもこぼしていました。そして十四歳ぐらいまで寝小便をしていたということです。

 しかしこのように一見何のとりえもない人を、この子はだめなのだど決めつけてしまったら、偉大なる人物は生れなかったと思います。

 この「鼻垂れで鈍童」と言われた坂本龍馬が、どうして後年、維新回天の一翼を担ったか。

 その一つに、姉の乙女さんの、「何かこの弟には、もって生まれたすごいものがある」と思って認めて育てた愛がありました。認めることは光を点ずることなのです。



 さて、龍馬十八歳の時、父八平の友人池田虎之進の部下となって四万十川の土手普請を担当したことがありました。坂本龍馬は、人をひきつける雰囲気を持っていました。人夫たちは、伸び伸びと仕事をし、他の所よりも龍馬の受け持ちの所はどんどん捗っていきました。龍馬は松の木に身をもたせてウツラ、ウツラと居眠りをしながら監督するのでした。池田虎之進は龍馬を呼び、「龍馬えらいぞ、貴公の受持の工事は迅速で、いい成績だぞ」と賞め、「時々松の下で寝ているのは見かけるが、一体どういう風に人夫を使うのだ?」と聞くと、「ただ捨ておくだけです。万事を彼等にまかせておくだけですよ。しかし働いたものには褒美をやることにしています。」

「うーむ、それがコツか」と虎之進は納得した。また人夫も、「どうも不思議だ、坂本の旦那に使われると、ズンズン仕事が進んでいって、ちっとも苦しいとは思わないが、家へ帰るとカラダがクタクタになってしまう」「まったく人使いの名人だ」という評判になりました。しかしそこには、「認めて、放つ」という、教育の基本がありました。

 そして、この、人をひきつける雰囲気が、後世偉大なる業績をあげるもとになったのです。人間は実力そのものよりも、その人の持っている雰囲気が仕事をしてしまいます。

『竜馬がゆく』を書いた作家司馬遼太郎氏も、“一介の土佐浪人である坂本龍馬がどうして、犬猿の仲であった薩摩と長州の手をにぎらせ得たか、その人物の不思議さにこの小説を書いた”と本文の中で言っています。そしてあと書きで「日本史が坂本龍馬を持ったことはそれ自体が奇蹟であった。なぜなら、天がこの奇蹟的人物を恵まなかったならば、歴史はあるいは変わっていたのではないか」とうたっています。

 この薩長連合は、龍馬の独創的構想ではなく、当時の薩長以外の志士の間では常識であり、薩長が連合すれば幕府は倒れるというのが公論になっていました。しかし、誰もがまず不可能であると思っていました。特に長州は薩摩に対しては良い感情をもっていませんでした。禁門の戦いや幕府の長州征伐の後ろには薩摩がいたからでした。

 それが龍馬の働きで九分通り双方歩みよってはいるものの、あと一分のところでなかなか手を握ろうとはしませんでした。

 龍馬はついにたまりかねて、西郷につめより、

「長州がかわいそうだ」

 と一言言った。

 その一言の中には、長州が池田屋事件を始め、禁門の変、長州征伐、それに外国からは四国艦隊により下関が攻撃され、第二次長州征伐でまさに長州がつぶされそうになっている。その万感がこめられていたのでした。その愛情こもる一言が西郷を動かし、薩長連合が成就したのでした。

 私心なきところ、天これに応う

 もう一つ、不可能な事を為しとげたものに、“大政奉還”があります。

 これは、大きな吊り鐘を指一本で動かそうとしているようなものでした。西郷隆盛や桂小五郎等各藩の有力者はまず不可能であると思っていました。三百年続いた江戸幕府が崩れるはずがない。ただ武力倒幕以外にないというのが常識的な論でした。しかし、龍馬の押す一本の指は、大きな吊り鐘を少しづつではあるが動かし始めたのでした。龍馬の大政奉還案は、土佐の後藤象二郎に受け継がれ、藩主の山内容堂を動かし、大政奉還の建白書となって確実に動き出したのです。

 しかし、山内容堂は、あくまで武力によらず大政奉還をすすめようとしました。ところがそれでは、薩摩も長州も岩倉具視も承知しませんでした。その背後に武力がなければ、実現不可能というのでありました。こうして大政奉還は暗礁に乗り上げたような形になりましたが、まずは、徳川慶喜の側近に龍馬や後藤象二郎は交代で、根気強く説いたのでした。徳川家のためにも是非必要であるというこの二人の説得は、だんだんと人を動かしていきました。

 一方、倒幕派も、密勅を願い出ており、それを今か今かと待っていました。その討幕の密勅の前に大政奉還が成就しないと、日本中が大混乱になります。さすがの龍馬もあせりを感じていました。後藤象二郎に龍馬は、“もし、将軍が大政奉還を成就しない時は、自分の率いる海援隊をもって将軍を襲い、自分もそこで腹を斬るつもりである”とまで言いました。この龍馬の覚悟に、後藤象二郎も、建白書が受け入れられなければ、死あるのみと意を決したと言います。

 大政奉還か倒幕かで、時は刻一刻とたっていきました。薩摩や長州は、今か今かと討幕の密勅を待っていて、いつでも倒幕軍を動かせる状態になっていました。もう「これ以上待てない」というところまで、特に薩摩はきているのでした。

 慶応三年十月十三日、将軍慶喜は二条城に全国四十藩の代表を集めました。慶喜は大政奉還の決意を伝え、意見を請うたのでした。その場に出席していた後藤象二郎も、薩摩の小松帯刀も歓喜し、さらに将軍に拝謁を願いでて、感謝の言葉とともに一刻も早く朝廷に上奏していただくよう願い出たのでした。そうしないと、もし反対意見が出、それに乗じて薩摩が軍を動かせば、もう血で血を洗う革命戦争ともなりかねないからでした。

 慶喜は十四日にその旨朝廷に申し上げ、十五日には御所に参内し、大政奉還は実現したのです。

 こうして、日本にとっての奇跡が演じられました。慶喜が大政奉還を決意した十四日のその夜に、薩摩と長州へ、岩倉具視や西郷、大久保が工作した倒幕の密勅が下ったのでした。その数時間の差が、日本を革命戦争から救ったのでした。密勅をうけとっても、すでに大政奉還の知らせが薩摩と長州にはとどいていたのです。慶喜の決意が一日延びれば、日本は内戦となり、それをイギリスやフランスが見逃すはずはないからです。

 大政奉還の知らせを聞いた龍馬は、ただただ涙が出てしようがなかったと言います。やっと成就した、これで刃に血ぬらずして事が成った。今までどれだけの志士がこのために生命を落としたことか・・・と同時にそれは、慶喜に対する同情の涙でもありました。慶喜公はよく決意なさった。さぞ苦しかっただろう、これから先は、薩長からも幕臣からも受難を一身に受けねばならない・・・

「大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給えるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん」

 と声をふるわせつついったのでした。

 やがて龍馬の日本政府の草案が出来た。西郷が、「この案には坂本さんの名がありませんな」といった時、「世界の海援隊でもやりましょうかな」といった言葉は有名である。

 そして大政奉還が成就した一月後、龍馬はその誕生日に三十四歳で一生を終えた。

『竜馬がゆく』の最後の文に言わく――

「天がこの国の歴史の混乱を収集するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした」と・・・




天皇陛下、皇后陛下 千葉県の被災地へ

2011年04月16日 02時07分10秒 | 現代日本
 yahooブログ「美しい国」からの転載です。記事の終にブログ主が書いておられるとおり、私たち一人一人が他に依存する気持ちを捨てて、自分自身の責任を果たすために行動することが必要ですね。

転載開始



東日本大震災の被災地、千葉県旭市に到着あそばされた天皇陛下、皇后陛下 御尊影=14日午前


天皇陛下、皇后陛下 千葉県の被災地へ




千葉県旭市の県東総文化会館に到着あそばされ、森田健作知事、明智忠直市長(右端)に迎えられる 天皇陛下、皇后陛下 御尊影=14日午前



避難所の千葉県旭市海上公民館で被災者に声を掛けられる天皇陛下、皇后陛下 御尊影 。 左後方は森田健作同県知事=14日午後1時35分






避難所の千葉県旭市海上公民館で被災者に声を掛けられる皇后陛下 御尊影







避難所になっている旭市海上公民館に到着し、手を振りあそばされる天皇陛下、皇后陛下 御尊影 =14日午後1時31分、千葉県旭市




避難所の千葉県旭市海上公民館で被災者の話をお聞きになる天皇陛下 御尊影





津波で家屋などが倒壊した現場を訪れ、明智忠直・旭市長(左から3人目)から説明を受けあそばされる天皇陛下、皇后陛下 御尊影




津波で被災した現場を訪れ、祈りあそばされる天皇陛下、皇后陛下 御尊影



畏くも天皇陛下、皇后陛下にあらせられましては、14日午前、東日本大震災で津波被害を受けた千葉県旭市に入りあそばされました。
旭市は津波被害で、千葉県最多となる13人の犠牲者を出し、2人が行方不明になっており、天皇陛下、皇后陛下にあらせられましては、避難所で生活する人々を見舞われるほか、被災地域を視察あそばされました。



以下産経ニュースより引用

天皇、皇后両陛下は14日、東日本大震災で津波被害を受け13人が死亡した千葉県旭市を訪れ、避難所2カ所を見舞い、被災地を視察された。今回の震災で、両陛下が被災地に入られたのは初めて。
 両陛下は、80人が避難する海(うな)上(かみ)公民館を訪問後、津波で大きな被害を受けた飯岡地区にバスで向かい、出迎えた住民らに「怖かったでしょう」「大丈夫ですか」などと声をかけて気遣われた。近くで津波の犠牲者が出たことを聞くと、自宅跡に向かい、並んで一礼された。
 続けて、75人が避難する飯岡保健センターもお見舞いに。自力で逃げて助かった知的障害の男性(36)に、陛下は「えらいですね。がんばってくださいね」と言葉をかけられ、皇后さまも手を握って励まされた。
 被害状況を説明した森田健作知事によると、両陛下は大きな津波の到達まで2時間半かかったことに強い関心を示された。陛下は「これから防災の勉強をしていかなければいけませんね」と話されたという。
 この日は秋篠宮ご夫妻も新潟県の避難所を訪問された。関東以外の避難所を皇族方が見舞われたのは初めて。両陛下は来週、茨城県を訪問される見通しとなっている。




一向に進まぬ政府の対応、危機感のない内閣の対し、陛下の胸中はいかばかりか・・
ただただ、天皇陛下、皇后陛下の大御心に感謝の意はつくせません。
深く、大きなご叡慮にあらせられます。

日本人は今、何を求めて努力し、國は何を目指して進んでいるのでしょう・・・
共に育ち、共に暮らしているこの國を愛し、世界に冠たる日本人の優れた資質を大切に想うならば、政治家も有権者も、経営者も勤労者も家庭の主婦も、お互い他に依存する安易な心を捨て、自らが果たすべき責任に厳しく取り組み、皇国日本の、百年の計、未生の子孫の為にも道を誤らない為にも、先人、祖先の伝統を護り、皇室を敬い、共に歩まねば、神州日本の再興は苦難の道となりましょう・・・・




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皇尊 彌榮 彌榮 彌榮



日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・


被災地の皆様の苦難を思い、
依然、安否の確認のとれない方々の無事を祈り、犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。
また、自衛隊、各国の救助隊はじめ、関係者一同の皆様の努力に敬意を表します。





転載終わり