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小さな自然、その他いろいろ

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毎年27万の胎児の生命が失われているのをご存知でしょうか。

2011年04月22日 22時29分20秒 | 現代日本


少子化と言われはじめて、もうずいぶん経ちますが、その一方で毎年27万の胎児の生命が失われているのをご存知でしょうか。そのうち十代の中絶件数は約二万七千件、実数はその二倍とも言われ、戦後六十余年に葬り去られた生命は七千三百万にのぼるといわれます。
 児童権利条約には、「児童は出生の前後において、適当な法的保護および世話を必要とする」と書かれています。いつから胎児は人間か、すなわち堕胎の殺人罪を妊娠何ヶ月とするか、これは各国で、いろいろ規定されています。しかし、カトリックでは、終始一貫、受胎の瞬間をとって生命の始まりとしています。受精した卵は顕微鏡的な存在ですが、将来のすばらしい全情報量をその瞬間、確実に受け渡されているのです。
 またカトリックでは堕胎を神の目から見れば、普通の殺人より重い罪との考えで、号天罪と呼ぶのだそうです。堕胎はその生命を宿した母が自ら殺すのだから、子供としてはどこにも訴えるすべなく、誰も泣いてくれる者もなく、その正義はいかなる意味においても回復されない。その流された生命は直接天に訴えるより仕方がないからだそうです。
 来日されたマザー・テレサは、こういわれました。
「日本は大変美しい国です。大変多くのものを神により与えられました。皆様 の持っていらっしゃるものを持っていない国は沢山あります。しかし、何故日本という国は、まだ生まれないたった一つの小さな生命を恐れるのでしょうか。も う一人食べさせなければいけない、教育させなければならない、自分に不都合なことがある、そういう理由で、親がわが子を恐れて、殺すことができるのでしょ うか。こんなに物があふれている国で、何故そういうことをするのですか。
中略
皆様は勇気を持って優生保護法と闘い、同時に養子縁組がより簡単になるように努力して頂きたいと思います。・・・略」
 日本で親の意思一つで、簡単に胎児の命を奪うことが出来るようになったのは、昭和23年7月13日に公布された優生保護法という法律以来です。それまでの日本では、昭和15年に制定された国民優生法という法律がありましたが、これは遺伝的疾患を有する者の増加を防ぐのが目的であり、厳重なる手続きを経て生殖を不可能ならしめる優生手術(不妊手術、及び、妊娠中絶)を行う事を認める法律となっています。
 ところが、日本が大東亜戦争に負けて占領軍が日本を席巻すると、GHQは「国民優生法」を改竄・廃棄して、母体保護に関する条文を追加した「優生保護法」が昭和23年7月13日に制定し、翌24年6月1日施行させました。もっとも形の上では日本の国会で日本人が提出したようにカモフラージュされています。
 それは、今では母体保護法という法律に変わっています。母体保護法は、優生保護法をさらに先鋭に、簡単に堕胎できるように、胎児の生命も尊厳も何も考慮せず、ただ人工中絶の手順のみの規定になってしまっています。
  これは、胎児を生命と思わず、手術の金儲けの手段と考える 産婦人科医師会や、ジェンダーフリーを叫ぶ女性団体からの要求により改定されました。
 渡部昇一氏が、いつか書いておられました。「子どもたちにお母さんの絵をかかせたら、角の生えた画を描いた子どもが何人かいた」と言う話を。「昔はお母さんの頭からは後光がさしたように感じられたのに」と。後光は、仏像、仏画やキリストの画像等の後ろに、いろいろな形で描かれているが、なぜ今の子どもは逆に母の頭に角を見るのか、感じるのか。お母さんが子どもを叱るとき、一つには堕胎の問題があるのでは、とおっしゃっています。
 戦後「少なく産んで良く育てる」の流行もあり、計画以上に妊娠したとき簡単に堕してしまいます。そして子供に「勉強しろ」と叱るとき「そのために私は三人も堕しているのに…」という思いが意識のそこにあるのかもしれない。「あるいはもっと素朴に霊魂の存在を信ずるならば、そのときの母親の背後には恨みを呑んで葬られた嬰児の姿がでるのでは…」と述べておられます。また流産児と青少年問題を研究したある人が、十代の犯行で本人取材をした結果、「母親に殺意を持ち、死ねと言ったり、殺そうとしたりする子は、親に殺された胎児のあの世からの最も強烈なシグナルである」と述べています。
 戦後近代民主主義の蔓延による個人主義=利己主義が家の崩壊をもたらし、「教育勅語」の廃止や日本弱体化政策により「親に孝に夫婦相和し兄弟に友に…」の伝統美風が希薄となり、唯物拝金思想はますます盛んになりました。
万物の霊長として、天文学的な確率で受胎し、神秘な力により成長する無限の可能性を持ったお腹の赤ちゃん、その赤ちゃんが経済的理由で、富と引換に殺されてゆく現代、これほどの、天への冒涜、神への冒涜があるでしょうか。古来より、山上憶良も「白金も 黄金(こがね)も玉も なにせむに 優れる宝 子に及(し)かめやも」と歌ったほどに、そしてそれが万葉集に載るほどに、日本人はこどもを慈しむ民族でした。
 戦後優生保護法が施行されるまでは、堕胎は罪でした。今も堕胎罪は残っていますが、まったくの空文化しています。胎児は一体誰が守ってくれるのでしょうか。母親が守らないで殺そうとする現代、胎児の悲しみは誰が感じてくれるのでしょうか。
 母体保護法があるのなら、胎児保護法も制定すべきです。胎児を殺す人にとって、胎児は母親のお腹に出来た肉腫のようなものだとでも言うのでしょうか。単なる邪魔な物質にすぎないのでしょうか。誰もかばうことは必要ないのでしょうか。

 古事記ではイザナギノミコトが黄泉比良坂で、千引岩を黄泉の国との境においてイザナイザナミノミコトと対峙されたときに、イザナミノミコトが「愛しき我が那勢命(うつくしきあがなせのみこと)かくしたまわば、汝(みまし)の国の人草一日に千頭絞り殺さむ」といわれました。そうするとイザナギノミコトは「愛しき我が那邇妹命(うつくしきあがなにものみこと)、汝(いまし)然したまわば、吾は一日に千五百の産屋立ててむ」と言われ、日本の人口はますます増えるというふうに宣言されました。そうならないのは、本来生まれるべき赤ちゃんを殺しているからです。
赤ちゃんは授かりものだと、昔の人は思っていました。しかしジェンダーフリーを叫ぶ女性団体は、「産む産まないは女性の権利」と言って、胎児を殺す権利が女性にあると言います。本当にそうでしょうか、生まれる前の胎児には、生存の権利はないのでしょうか。
流された七千三百万の胎児には、七千三百万のそれぞれの人生があったはずです。その人生を奪われた悲しみを、どうか感じて、日本においてこれ以上その悲しみを増やさないように母体保護法の改正、胎児保護法の制定にご協力ください。


天皇陛下の祈り「国平らかに、民安かれ」

2011年04月21日 09時35分44秒 | 現代日本
 yahooブログ「美しい國」からの転載です。

転載開始




 畏くも天皇陛下はにあらせられましては、「祈る王」「祭祀王」といわれます。「地上の支配者」であるヨーロッパの国王とは異なります。
 第84代順徳天皇(在位:承元4年11月25日(1210年12月12日)- 承久3年4月20日(1221年5月13日)が宮中のしきたりを書きつづられたのが『禁秘抄』で、その冒頭には、「およそ禁中の作法は、神事を先にし、他事を後にす」と、何よりも神事を優先させなければならないことが明記されています。天皇陛下にとってもっとも重要なことは神祭りなのです。順徳天皇がことのほか重い天皇の使命を、皇室存亡の危機のまっただ中で明言されたことは重要なことです。
 天皇陛下は日々、祈られます。『禁秘抄』には「恒例毎日の次第」という一章があって、天皇が毎朝、身を清められたあと、京都御所・清涼殿の石灰壇(いしばいのだん)に立たれ、東南の方角に向かって、伊勢の神宮ならびに内侍所(ないしどころ=賢所)、各神社を遥拝されることが記されています。
 天皇陛下の祈りの精神がもっとも濃厚に示されるのが、即位後に行われる天皇一世一代の大嘗祭でしょう。秘儀とされる大嘗祭の儀で、新帝は皇祖天照大神ほか天神地祇に、手ずから神饌を供され、祈られます。

 天皇陛下は何を祈られるのでしょうか。神社の祝詞(のりと)に相当する「申詞(もうしことば)」は天皇直伝で一般には知られないのですが、14歳で即位された順徳天皇に父・後鳥羽上皇が大嘗祭の直前、その秘儀のことをお教えになったことが後鳥羽上皇の日記(建暦2[1212]年10月25日)に記されています。

 「伊勢の五十鈴の河上にます天照大神、また天神地祇、諸神明にもうさく。朕(ちん)、皇神の広き護りによりて、国中平らかに安らけく、年穀豊かに稔り、上下を覆寿(おお)いて、諸民を救済(すく)わん。よりて今年新たに得るところの新飯を供え奉ること、かくのごとし」(「後鳥羽院宸記」=『皇室文学大系4』所収)

 天皇陛下はひたすら「国平らかに、民安かれ」と祈られるのです。

 神道思想家といわれる今泉定助氏によれば、「天皇統治の本質」天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅にあるように「安国と平らけくしろしめす」ことだといいます。「しらす」政治とは民意を知って統合することで、「うしはく」政治つまり権力による支配ではないとするのです。

 大日本帝国憲法には、「大日本帝国は万世一系の天皇、これを統治す」と規定していますが、この「天皇の統治」は本来、「しらす」の意味でした。
戦前と戦後、昭和天皇陛下に侍従として仕えた木下道雄は『新編宮中見聞録』に、次のような昭和天皇の戦前の逸話を次のように紹介しています。

 昭和の初め、汚職事件の渦中にある高官の起訴について天皇の裁可を求める上奏書をもって内閣書記官が慌ただしく駆けつけてきました。一刻を争う上奏書でしたが、昭和天皇は司法大臣の起訴理由書を繰り返し御覧になるばかりで、なかなか裁可されません。しばらくしてようやく天皇陛下は裁可の印を捺されました。書類を受け取り、部屋を辞する木下に天皇陛下は語られました。「私が悪いのだよ」と。

 のちに昭和天皇陛下はよく晴れた夕暮れ、天を仰ぎつつ、木下にたずねられました。「どうすれば政治家の堕落を防げるであろうか。結局、私の徳が足りないから、こんなことになるのだ」と。

 昭和天皇陛下は罪を犯した官僚を憎むのではありません。汚職がはびこる世の中を憂い、ご自身を責めておられたといいます。

 昭和天皇陛下であればこそ、皇祖と国民に対して「戦争責任」を誰よりもつよく意識されていました。旧憲法下の天皇はあくまで立憲君主であって、国務大臣は天皇を補弼(ほひつ)する責任があり、天皇の詔勅は国務大臣の副書を必要としました。天皇は憲法上、無答責のお立場にありました。それにもかかわらず、昭和天皇は身を引き裂かれるほどの責任を痛感され、御自身を責め続けられました。
 昭和20年8月に長い戦争の時代は終わります。
日本が開闢(かいびゃく)以来、経験したことのない屈辱の歴史でした。
数百万の尊い人命が失われ、かけがえのない美しい国土は無惨にも焦土と化しました。しかも「敵国」の軍隊が進駐し、日本はその支配下に置かれ、「國體」がおかされることになりました。
 昭和天皇陛下の御心中はいかばかりであったでしょう。終戦の詔書に「帝国臣民にして戦陣に死し、戦域に殉じ、非命に斃(たお)れたる者、およびその遺族に想いをいたせば、五内(ごだい)、ために裂く」と玉音賜っています。国と民のために祈りの日々を送られる昭和天皇陛下であれば、なおのことあられたと推察します。
 昭和天皇陛下が最後まで推敲を重ねてやまなかったお歌は、岡野弘彦氏によれば、「身はいかになるともいくさとどめけりただ倒れゆく民をおもひて」であったと聞きます。
 昭和天皇陛下の強い大御心により、御巡幸が始まります。
 御巡幸は21年2月に始まり、昭和天皇は戦後復興、国家再建の先頭に立たれました。敗戦で憔悴した國民は昭和天皇陛下のお出ましを感激をもってお迎えし、「ずいぶん苦しかったろうが、よく帰ってきたね」と引き揚げ者をいたわり、 「親のいうことをよく聞いて、立派な人になってくださいよ」と子供を励ます昭和天皇に涙しました。天皇と名もなき国民の一体感が戦後復興の大きな原動力となりました。

 民とともにある天皇陛下はいつの時代も、國家の栄光ばかりではなく、苦悩のただ中におられます。
 戦後最大の國難ともいわれる東日本大震災。
 今上陛下の御心を深く痛めておられます。
 「天皇陛下に私なし」といわれますが、天皇陛下はひたすらすべての民のために祈られます。

 東大紛争当時、警視庁の治安担当警備課長だった佐々淳行氏は、『東大落城─安田講堂攻防七十二時間』に次のように書いています。

 ──安田講堂の攻防が決着したあと、秦野章警視総監が内奏のために宮中に参内した。昭和天皇から御嘉賞のお言葉があれば、機動隊員の士気高揚につながると期待されたが、内奏がすんで帰庁した秦野氏は妙な表情を浮かべていた。

 「天皇陛下ってえのはオレたちとちょっと違うんだよなァ。安田講堂のこと奏上したら、『双方に死者は出たか?』と御下問があった。幸い双方に死者はございません、とお答えしたら、たいへんお喜びでな、『ああ、それは何よりであった』と仰せなんだ。機動隊と学生のやり合いを、まるで自分の息子の兄弟げんかみたいな目で見ておられるんだな」

 「公正無私」を第一義とされるのが天皇陛下です。天皇陛下にとっては右翼も左翼もありません。多様な考えを持ち、多様な暮らしをする國民すべての天皇陛下なのです。「まつろわぬ民」のためにさえ、代々、祈りを継承してこられたのが天皇陛下なのです。

 今日なお多様で多面的な國家、民族、社会の中心に位置し、「国平らかに、民安かれ」と日々、祈り続けておられる天皇陛下の価値というものを私たちが失わないかぎり、日本人が民族の英知を失わないかぎり、天皇陛下と國家は、國民とともに、未来永劫に発展していくことでしょう。
 そして、臣民として唱えられずにいられません。


皇尊 彌榮 彌榮 彌榮


天皇陛下、皇后陛下 万歳! 万歳! 万歳!

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東日本大震災の被災地の皆様の苦難を思い、
犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。
また、自衛隊、各国の救助隊はじめ、関係者一同の皆様の努力に敬意を表します。

転載終わり
転載元: 美しい国

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天皇陛下から東北地方太平洋沖地震被災者へのビデオメッセージ



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 戦後、日本がアメリカに占領され、占領憲法を押し付けられて、その憲法が未だに一度も改正されることもなく平和憲法として、日本人はそれを人類の理想であるかのように崇め守ってきました。あの前文の屈辱的な宣言を読んで、なぜ多くの国民に悔しさが湧かないのかが不思議です。
 戦後日本の家の制度は破壊され、個人としてバラバラに分断され、家督相続の制度はなくなり、親の面倒すら見るのを嫌がるという風潮になってきました。先日も、と言っても震災前のことですが、テレビのワイドショーを見ていたら、マレーシアから来た女の子たちが、日本の老人福祉を見て、なぜ家族が世話しないのかと質問し、日本のような先進国に憧れてきたけれど、施設の老人の寂しそうな姿を見て、経済繁栄の代わりに得るものが、こういうモノなら、今のままの方がいいと言っていました。マレーシアでは家族はみな老人を大切にし、老人の世話をすることを皆喜んでやると言っていました。
 戦後押し付けられた民主主義という価値は、個人を大切にすると言いながら、その本質は利己主義であり、自分を育てはぐくんだ、親や先祖や国家や郷土というものに感謝の気持ちを抱かず、それらをほったらかしても、自分の楽しみを追求する権利を保証するというものに過ぎません。
 また、日本は昔から豊葦原の千五百秋の瑞穂の国の神勅もあるほど、稲作は重要な文化でした。田んぼの風景の美しさは、まさに日本の風景でした。しかし、長年、減反政策は続き、美田は荒廃し、日本人は、米をあまり食べなくなり、小麦粉つまりメリケン粉で作ったパンを食べるようになりました。まさにアメリカ思想を飲み込むことの象徴のようにメリケン粉を食べているのですから、心の様はある意味形の上にも象徴的に現れるのかもしれません。この戦後の日本の思想のみでなく生活文化の様々な荒廃を、日本人の御先祖様はどのような思いで見ていることだろうと思います。
 そんな中、天皇陛下は、歴史上今までにないほど、祭祀をご熱心にされて、それまで中断されて行われてこなかったような古い祭祀まで、復活されて一所懸命に神を祀られ祈られておられるということです。天皇とはもともと祭祀王ですから、ある意味それがお仕事ではありますが、ご高齢の陛下には大変負担の大きいことであろうと思います。みそぎや潔斎など、肉体的な負担を伴うものも多いと聞いています。
 それほどまでに祭祀を熱心になさる陛下のご心境を拝察して、誰かが、日本の今の現状にとても危機感をお持ちであるからだといいました。幕末の孝明天皇も、やはり国を憂えられ、非常な危機感の中、一生懸命祭祀をなさったという話ですから、きっとそのとおりなのでしょう。
 天皇陛下は、古来より、親が子を思うように国民を慈しまれ、時には誇りに思われ、時にはとても心配なさって絶えず国民のために祈られてきました。

 昭和天皇の御製で、国民に向けたお気持ちを読まれたものに、

ふりつもる み雪にたへていろかへぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ
                               (昭和天皇御製)
 

「松ぞ雄々しき人もかくあれ」と願われながらも、国民の現状をご覧になると、きっと苦悩されておられたのであろうという気がします。

  わが庭の そぞろありきも 楽しからず 
                     わざはひ多き 今の世思へば   
                               (昭和天皇御製)



 戦後の国民のいろんな闘争の激しい険悪な状態は、昭和天皇もひどく御心を傷められた御様子で、そうした昭和天皇を香淳皇后はお慰めする言葉もないと、和歌に詠まれていたことがあります。


  つぎつぎにおこる禍ごとをいかにせむ慰めまつらむ言の葉もなし

  みこころを悩ますことのみ多くしてわが言の葉もつきはてにけり
                                (香淳皇后御歌)


 そして、今上陛下もやはりさまざまなニュースが流れる中、どれほど国民のことを心配されておられるか、私達が時には憤りを覚えながらニュースを聞く以上の悲痛なご心境ではないかと御拝察いたします。
 そのような中、今回の震災がおこり、天皇陛下は、ビデオメッセージを発表されました。これはまさに勅語であろうと思います。このメッセージの中で、陛下は、「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。」というふうにおっしゃっておられます。国民がみな家族のように苦難を分かち合い助けあうことを望んでおられるのです。
 私達日本人は、古来より、天皇を国の中心として仰いで、長い歴史を過ごしてきました。貴族や武家政権で、実質的な統治権は離れても、その統治権は天皇からお預かりしたものであるという意識は常にあり、真の権威は変わることなく天皇にありました。
そうした国柄の日本が、戦後の占領憲法で、統治権を天皇にないとする占領憲法のもとで、65年という歳月を過ごしてきました。長い日本の歴史の中で異例の歳月です。
 この憲法が、日本国民の中から生れたものではなく、押し付けられ、さらに極東裁判史観によって洗脳された状態で、平和憲法と称して続いてきたもので、その成立も本来違法であり、その精神にも日本の文化や伝統から生れたものは何もないのははっきりしています。
 西欧の階級闘争から生れた民主主義を、日本は、まるで今までは民主主義のなかった悲惨な国であったかのように、ありがたがって受け入れましたが、日本は、歴史上革命が起こったことのない、万世一系の天皇が中心におられる国です。それは革命の必要がなかったということであり、天皇と国民が親と子のように信頼しあって、天皇は国民を大御宝と呼ばれ、大切に慈しまれ、国民もそんな天皇に命を捧げても悔いないほどの忠の心を持ってきました。それこそが日本流の民主主義と言ってもいい国柄ではないでしょうか。
 あの敗戦後の昭和天皇のマッカーサーとの会見の逸話、そして全国を巡られた御巡幸のお姿、そして震災のたびに被災地を慰問される今上陛下のお姿、まさに日本の国柄のありかたです。今回の震災で、多くの国民が日本人であること、そして日本の国というものに、心を振り向けたといわれます。
 今こそ、真の日本の国柄を真剣に考える機会ではないでしょうか。天皇という存在が日本人の心の支えであり、日本の中心と言える存在であることを、はっきり認識するときが来ていると思います。
 占領憲法の違法性をはっきりと暴露して、無効宣言をすべきです。そして、幕末から明治維新を起こしたように、今こそ大政奉還すべき時だと思います。誤った物質主義の唯物史観に彩られた民主主義を脱して、真の日本的な神武建国以来の民主主義に帰る時だと思います。





警戒警報!沖縄から全国に中国人がノービザでやってくる  ネットデモ

2011年04月20日 22時42分55秒 | 現代日本
yahooブログ「レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋 ~最後の晩餐へご招待」からの転載です。


転載開始


震災復興・原発は後手後手なのに、
民主党政府は一体何やってるんだ?
日本を本気で破滅させる気か?







訪沖中国客をノービザに
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-04-14_16634/
沖縄タイムス2011年4月14日
 【東京】国民新党の下地幹郎幹事長は13日、官邸で福山哲郎官房副長官と会談し、東日本大震災の影響で観光客が減少している沖縄の支援策として、中国から沖縄への入域者を対象にノービザ(査証不要)制度を導入するよう要請した。下地氏によると、福山氏は導入に向けた方向性を今月中にも政府内で取りまとめる意向を示した。

 ノービザ制度をめぐっては、不法滞在など入管法違反の事案を懸念する警察当局の反対もあり、実現の障壁となっていた。福山氏は、警察庁を含めた関係省庁と詰めの協議に入っているとの認識を示したという。

 要請後、下地氏は記者団に「震災の影響で沖縄への観光客数は激減している」と述べ、早期の対応策が必要と強調した。下地氏は震災直後から、枝野幸男官房長官にノービザ制度を導入するよう働き掛けていた。枝野氏は「検討する」と回答していたという。

 下地氏は、震災の影響で出荷調整に遭ったキクを国が公的補助で全て買い取るなどの支援策も求めた。





転載終わり

日本国憲法がニセモノの憲法である第一証拠

2011年04月19日 15時54分58秒 | 歴史
 yahooブログ[サイタニのブログ]からの転載です。

転載開始


   連載 「私の日本憲法論」
     占領憲法の非真理性とその影響



日本国憲法がニセモノの憲法である第一証拠

 日本国民の中にも、むろん、今の偽造憲法をいつまでも護持したいと思っている人があります。


それはちょうど、ニセ紙幣をたくさんもってそれからいつまでも恵福を得たいと思っている人はニセ紙幣と知りながら、「イヤこれはニセ紙幣ではない、本物の紙幣だ」と言いはって、それを通用させたがるのは当然のことであります。


しかし今の偽造憲法が、ニセモノであることは、第一その憲法には、われわれが祖先から使ってきた国号が使ってないことであります。


われわれの国家は「大日本帝国」と称したのでありますが、このアメリカ作文の憲法には「日本国憲法」とあり、「大日本帝国」とは別の国号が使ってあるのであります。


占領軍が日本を軽蔑する意味で、"大日本帝国"の"大"の字をとり去り、
天皇を廃絶または呪詛
する意味で"帝"の字をとり去り、国号をことさらに変更して、その憲法を作文したのでありますから、


日本国憲法がわが国の憲法でないことは当然であります。このことは、現行の憲法がわが国の真の憲法ではない、ニセモノの憲法であるという第一の証拠であります。






:平成の御代(みよ)になって、わずか20年余の間に、関東大震災クラスの震災が二度も生じてしまったのか、そのことにも思いを致さなければなりません。

  まず指摘されなければならないのは、いずれも村山富市、管直人という社会党、社民連(現民主党)を出自とする政権下で生じたということであります。   
 国旗・国家を蔑ろにする姿勢はもとより、何よりも許せないのは、護国の英霊に対する冒涜にも等しい言動であります。


  靖国神社に参拝しないどころか、かの大東亜戦争をして「侵略戦争」と難ずる左翼政権に対して、どれほど英霊が悲しみ慟哭していられることか。
  そうとでも考えなければ、どうして九段会館の天井が崩れて犠牲者が出たりしますでしょうか。九段会館と言えば、昔の「軍人会館」であります。そこで犠牲者が出たということ、このことは我々は決して看過してはならないと思います。

  今回の震災では、地震に伴う津波が大きな災害をもたらしました。水は悲しみ象徴であります。一波二波三波と猛烈な勢いで押し寄せる津波を見て、人工中絶流産児の霊界における悲しき涙を想起した人も多いのではないでしょうか。

  これまでも、日本人は、こういう災害にあったときほど日本人としての誇りに目覚めてきました。既に、世界各国の多くの方々が秩序整然と復興に向けて立ち上がっている日本人の姿に感動の声すらあげております。
  世界に冠たる日本人の魂を今こそ見せる時であります。それが何よりも震災でお亡くなりになった方々の御霊を無にしないことであると信じつつ……。
  この苦難を一致団結して克服してまいりましょう。

  村山の時は、母体は自民党でしたから、
又、反日・左翼の総理ですが、日本人ですから、しかし菅は韓国人ですから潜在意識に日本憎しみがある限り日本国民を苦しめ続けるでしょう。

  早く、反日・左翼の韓国人菅を総理から降ろさないと、被災者が苦しみます。
  民主党の日本人国会議員に告ぐ、反日・左翼の韓国人の下で働いてどうする。目を覚ませよ!


転載終わり

  
  


少量の放射能は怖くない、百薬の長にもなる 

2011年04月19日 14時47分58秒 | 現代日本
 放射線については、広島長崎の被爆者の被爆直後の研究から微量でも体に悪いと言われてきましたが、最近の長期の統計データをもとにした研究や動物実験では、微量の放射線はむしろ免疫機能を活性化させ、癌の発生率を抑えるということがわかってきているそうです。
 しかし、放射線が少しでも悪いという前提で活動したり、生活を立ててきた人々にとっては、このような学説は都合が悪いものかもしれません。なかなか受け入れられない人もあるのでしょう。


JBpress
少量の放射能は怖くない、百薬の長にもなる 
3月19日の記者会見で、枝野幸男官房長官は福島県内で採取された牛乳、茨城県内で採取されたホウレンソウから、食品衛生法上の暫定基準値を超える放射線量が検出されたことを公表した。

国民に広がる基準値不信


放射線を測定する原発の作業者たち〔AFPBB News〕
 ただ、検出された放射性物質濃度の牛乳を1年間摂取し続けた場合の被曝線量はCTスキャン1回程度のものである。またホウレンソウについても、年平均摂取量で1年間摂取したとして、CTスキャン1回分のさらに5分の1程度であり問題ないという。
 食品衛生法の基準を超える放射線量が検出されたということは問題であるが、直ちに国民の健康に被害を与えるものではなく問題はないと言うなら、なぜ出荷制限をするのだろう。普通の人が抱く疑問であるが、これに対する十分な説明はない。
 政府は基準、基準と言うが、この基準値自体がいい加減ではないかといった「基準値不信」が国民に広がっているようだ。
 出荷制限されていない野菜であっても、売れ行きが激減するなど、風評被害が広がっているのがその証左である。基準値不信を増大させる出来事は続く。
 4月4日、文部科学省は、福島第一原発から北西約30キロの福島県浪江町の累積放射線量が先月23日から今月3日までで10.34ミリシーベルトに達し、屋内退避の基準となる10ミリシーベルトを超えたと発表した。

後を絶たない風評被害

 これに対し内閣府原子力安全委員会は「今のところ屋内退避区域とする必要はない」とする見解を示した。
 6日には枝野官房長官は記者会見で「年間1ミリシーベルト」と定めている一般人の被曝限度量の引き上げを検討するよう、原子力安全委員会に指示したことを明らかにした。新聞によると「20ミリシーベルト」を一案として検討しているという。
 今回の原発事故に際しては、枝野幸男官房長官が自ら丁寧に情報公開に努めていることは評価したい。にもかかわらず、「政府は隠している」「状況はもっと厳しいはずだ」「政府の発表は信じられない」といった声が後を絶たず、風評被害が続く。
 「基準値を超えた」「だが、直ちに健康に被害を及ぼすものではない」といった会見が繰り返され、基準値が現実に合わなくなると基準値自体を引き上げようとする。これでは基準値不信に陥っても不思議ではない。
 放射線の基準値については、1946年にノーベル生理学・医学賞を受賞した米国遺伝学者H・J・マラー博士の説に基づいているという。マラー博士は、ショウジョウバエのオスへのX線照射実験で「当てた放射線量と発生した染色体異常の数は比例する」というデータを得た。

1ミリから20ミリシーベルトに引き上げられる日本の基準


茨城県北茨城市の平潟港魚市場で、3月11日の震災後初めての取引をする仲買人たち。平潟漁協では1日に獲れたコウナゴから1キロ当たり4080ベクレルの放射性ヨウ素が検出された〔AFPBB News〕
 これに基づきマラー博士は「放射線の害はその強さに直線的に比例する」という仮説を立てた。このマラー仮説が放射線基準に関する定説となっているらしい。
 これに基づき国際放射線防護委員会(ICRP)は、「どんな微量でも放射線は危険である」とし、1人当たりの自然放射線の年間被曝量の上限を2.4ミリシーベルトに定めている。
 日本の場合は1ミリシーベルトを基準としていたが、前述の通り今回20ミリシーベルトまで引き上げようとしている。
 ただ、ここで疑問が湧くのは、どんな微量の放射線でも危険であれば、日本各地にあるラジウム温泉などは有害で湯治どころではないはずだ。また成層圏を飛ぶ旅客機などは地上の150倍の放射線を浴びている。
 毎日、強い放射線を浴びているパイロットやキャビンアテンダントなどはがん患者が続発しているはずだが、そういう話は聞かない。(東京―ニューヨーク間の1回の往復で200マイクロシーベルトの放射線を浴びるという)

放射線量の多い地域の住民はがんにかかりにくい

 温泉以外にも世界には自然放射線のきわめて強い地域が存在する。例えば中国の広東省陽江県の自然放射線は年間6.4ミリシーベルト、ブラジルのガラパリの海岸では最高6ミリシーベルト、アフリカのある地方の場合は10.2ミリシーベルトにも達するそうだ。
 だが最近の研究では、これらの地域でのがん死亡率は通常の地域よりも少ないそうだ。
 こういった多くの矛盾は明らかにマラー仮説が実態に合っていないことを示すものだ。国民は薄々この矛盾に気がついており、基準値に対する信頼を失い、疑心暗鬼になっているのだろう。
 最近の研究では、これまでのマラー仮説を覆す学説も出てきている。
 この学説は「低線量の放射線は、生体に悪影響を与えないばかりか、むしろ有益な作用をもたらす」というもので、上記矛盾をしっかり説明できることが分かっている。「放射線ホルミシス効果」と言われるものだ。

少量の放射線はむしろ体に有益、ホルミシス効果


温泉の放射線は有効なのに・・・〔AFPBB News〕
 社団法人「ホルミシス臨床研究会」のウェブサイトには放射線ホルミシス効果について詳細が載っている。
 ここから引用してみる。

 「放射線は大量に浴びると放射線障害を起こすなど体に害があり、ひどい場合は死に至ります。ただ、この地上には自然放射線が満ちあふれており、私たちはいつも微量の放射線を浴びています。そしてどうやら、自然放射線の10倍から100倍くらいの放射線を浴びると体や健康にさまざまな良いことが起こるということがわかってきています」とある。
 事実、これまで報告されている限りでは、250ミリシーベルト以下の被曝で治療が必要と認められた症例は1つも存在しないという。
 前述のラドン温泉、ラジウム温泉では放射線が出ており、太古の昔から湯治に活用されている。鳥取県東伯郡三朝町(旧国伯耆国)にある三朝温泉(みささおんせん)は、ラジウムおよびラドンが含まれており、世界でも有数の放射能泉である。

療養に適した温泉の被曝量は年間30ミリシーベルト

 高い放射線ホルミシス効果が認められ、観光客だけでなく療養目的で訪れる湯治客も多い。三朝温泉のラドン濃度は1立方メートル当たり約2000ベクレルであり、年実効線量として約30ミリシーベルトに相当するという。
 このほかにも我々は思いのほか強い放射線を受けて生活している。これについてはまず、ホルミシス臨床研究会は次のように説明している。

 「微量でも有害とされる放射線を我々は日夜浴びながら生活しています。自然界は様々な放射線であふれていて、大地や海、土に育つ植物、そして空から降り注ぐ放射線を浴びながら暮らしています。さらに、地球を取り巻く大気を吸い、大地や海の恵みである食物を食べることで日々の生活の中であらゆる種類の放射線を浴び続けているのです」

 そのうえで、「1回のCTスキャンで患者は6.9ミリシーベルトもの放射線を浴びます。もし患者が毎月1回スキャンを受けたと仮定すれば、年間 80ミリシーベルト以上もの放射線を浴びる勘定になります」とし、それでも彼らはがんになっていないとこれまでの定説に疑問を投げかける。
 さらに「米国のアルゴンヌ国立研究所によるラジウムの蛍光塗料に携わっていた作業者たちに対する骨がん追跡調査でも、積算被曝線量が10シーベルト以下では、人体に影響がないことが明らかになりました」と記述している。

自然界の100倍の放射線が最も有益


宇宙では地球上とはけた違いの放射線を受ける。写真は国際宇宙ステーション〔AFPBB News〕
 放射線ホルミシス効果を最初に提唱したのは、ミズーリ大学教授トーマス・D・ラッキー博士だそうだ。
 NASA(航空宇宙局)より、宇宙飛行士への放射線の影響についての調査依頼を受けたラッキー博士は10年以上の歳月をかけて研究を続け、高レベルの放射線は生体に有害であるが、低レベルの放射線は有益であるという「放射線ホルミシス」現象を発見した。
 ラッキー博士によると、「最も理想的な環境は自然放射線の100倍」の約100ミリシーベルト/年、時間当たりの線量率に換算すると、274マイクロシーベルト/日、1時間当たりでは11.4マイクロシーベルトの線量を四六時中受けるのが理想だという。
 この学説の成否は専門家に任せるとして、疑問に感じるのは、なぜこのような学説の存在を、メディアは触れようとしないのかということである。
 東京電力をかばうつもりは全くないが、最近の報道は「東電の不誠実な対応」「後手後手の政府」そして「拡大する放射能汚染の恐怖」とパニックを煽るがごとくである。

すべてのメディアが同じ論調であることの恐ろしさ


 どの新聞、テレビを見ても同じ論調であるのはちょっと異様とさえ感じる。山本七平の言う「空気」が支配し、とても違う学説を述べる雰囲気ではないのかもしれない。
 だが多様な学説を国民に提供せず、ただ1つの見解を押しつけ、結果として国民が判断する機会を奪っているメディアの責任は重い。
 某新聞によると4月5日、福島県災害対策本部は新学期に備え、県内の小中学校など1400カ所の放射線量を緊急測定したという。その時、ある小学校では地表面で毎時10~11マイクロシーベルトと計測し、学校長は「本当に厳しい数値だと思う」と述べたとある。
 だが、放射線ホルミシス効果では、この値は健康に理想的な線量である。数ある新聞社のうち、1社くらいは「放射線ホルミシス効果」に言及したうえで、「問題ないどころか健康に有益という学説もある」といった報道があってもいいのではないだろうか。
 被災者の心を傷つけるということであれば、別のコラムなりで説明することもできるはずだ。
 著名なジャーナリスト、ウォーター・リップマンは「ジャーナリズムとはステレオタイプを打破することだ」と述べた。日本の報道を見ているとステレオタイプの打破どころではなく、読者の情念の上に乗っかって記事を書くことを狙っているとしか思えない。

“風評被害”で廃船になった原子力船「むつ」

 しかも大政翼賛会的な右へ倣え記事である。これまでもカドミウム、ダイオキシン、アスベストと同類の事件があったが、やはり大政翼賛的記事に終始した。今回は放射線となっただけで構図は全く変わっていない。
 かつて、原子力船「むつ」が、青森県尻屋岬東方800キロで試験航海中、放射線漏れを起こした。漏れた放射線は自然界にある環境放射線と同程度であることが確認されたにもかかわらず、 マスコミは「放射能漏れ」 と報道した。
 このため「むつ」は「放射能を撒き散らす船」のような印象を与えることになり、 地元住民は帰港に反対し、1200億円以上を費やした開発プロジェクトは失敗に終わった。
 自然界と同程度であろうが、とにかく放射線漏れは恐ろしいという日本人の情念に寄りかかった報道であり、とてもジャーナリズムの役割を果たしたとは言えない。
 1社くらいは「『放射能漏れ』は誤りであり『放射線漏れ』である。その線量は自然界にある環境放射線と同程度である」と報道する新聞社があってもよかったと思う。今また同じ過ちを繰り返しているようだ。

「いわし民族」からの脱却を

 日本人は「いわし民族」だと言った作家がいた。大勢が群れをなし、同じ方向を向いて泳いでいるが、何かの衝撃で一瞬にして大群が180度方向を変える。
 過去、日本は「いわし民族」的行動で、繁栄もすれば滅亡の危機に瀕したこともある。
 もうそろそろ「いわし民族」を卒業し、個人が判断し、個人のリスクで行動する成熟が日本に求められる。いつまでも風評被害が蔓延するような国であってはならない。日本のメディアの果たすべき責任は重い。