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毎年27万の胎児の生命が失われているのをご存知でしょうか。

2011年04月22日 22時29分20秒 | 現代日本


少子化と言われはじめて、もうずいぶん経ちますが、その一方で毎年27万の胎児の生命が失われているのをご存知でしょうか。そのうち十代の中絶件数は約二万七千件、実数はその二倍とも言われ、戦後六十余年に葬り去られた生命は七千三百万にのぼるといわれます。
 児童権利条約には、「児童は出生の前後において、適当な法的保護および世話を必要とする」と書かれています。いつから胎児は人間か、すなわち堕胎の殺人罪を妊娠何ヶ月とするか、これは各国で、いろいろ規定されています。しかし、カトリックでは、終始一貫、受胎の瞬間をとって生命の始まりとしています。受精した卵は顕微鏡的な存在ですが、将来のすばらしい全情報量をその瞬間、確実に受け渡されているのです。
 またカトリックでは堕胎を神の目から見れば、普通の殺人より重い罪との考えで、号天罪と呼ぶのだそうです。堕胎はその生命を宿した母が自ら殺すのだから、子供としてはどこにも訴えるすべなく、誰も泣いてくれる者もなく、その正義はいかなる意味においても回復されない。その流された生命は直接天に訴えるより仕方がないからだそうです。
 来日されたマザー・テレサは、こういわれました。
「日本は大変美しい国です。大変多くのものを神により与えられました。皆様 の持っていらっしゃるものを持っていない国は沢山あります。しかし、何故日本という国は、まだ生まれないたった一つの小さな生命を恐れるのでしょうか。も う一人食べさせなければいけない、教育させなければならない、自分に不都合なことがある、そういう理由で、親がわが子を恐れて、殺すことができるのでしょ うか。こんなに物があふれている国で、何故そういうことをするのですか。
中略
皆様は勇気を持って優生保護法と闘い、同時に養子縁組がより簡単になるように努力して頂きたいと思います。・・・略」
 日本で親の意思一つで、簡単に胎児の命を奪うことが出来るようになったのは、昭和23年7月13日に公布された優生保護法という法律以来です。それまでの日本では、昭和15年に制定された国民優生法という法律がありましたが、これは遺伝的疾患を有する者の増加を防ぐのが目的であり、厳重なる手続きを経て生殖を不可能ならしめる優生手術(不妊手術、及び、妊娠中絶)を行う事を認める法律となっています。
 ところが、日本が大東亜戦争に負けて占領軍が日本を席巻すると、GHQは「国民優生法」を改竄・廃棄して、母体保護に関する条文を追加した「優生保護法」が昭和23年7月13日に制定し、翌24年6月1日施行させました。もっとも形の上では日本の国会で日本人が提出したようにカモフラージュされています。
 それは、今では母体保護法という法律に変わっています。母体保護法は、優生保護法をさらに先鋭に、簡単に堕胎できるように、胎児の生命も尊厳も何も考慮せず、ただ人工中絶の手順のみの規定になってしまっています。
  これは、胎児を生命と思わず、手術の金儲けの手段と考える 産婦人科医師会や、ジェンダーフリーを叫ぶ女性団体からの要求により改定されました。
 渡部昇一氏が、いつか書いておられました。「子どもたちにお母さんの絵をかかせたら、角の生えた画を描いた子どもが何人かいた」と言う話を。「昔はお母さんの頭からは後光がさしたように感じられたのに」と。後光は、仏像、仏画やキリストの画像等の後ろに、いろいろな形で描かれているが、なぜ今の子どもは逆に母の頭に角を見るのか、感じるのか。お母さんが子どもを叱るとき、一つには堕胎の問題があるのでは、とおっしゃっています。
 戦後「少なく産んで良く育てる」の流行もあり、計画以上に妊娠したとき簡単に堕してしまいます。そして子供に「勉強しろ」と叱るとき「そのために私は三人も堕しているのに…」という思いが意識のそこにあるのかもしれない。「あるいはもっと素朴に霊魂の存在を信ずるならば、そのときの母親の背後には恨みを呑んで葬られた嬰児の姿がでるのでは…」と述べておられます。また流産児と青少年問題を研究したある人が、十代の犯行で本人取材をした結果、「母親に殺意を持ち、死ねと言ったり、殺そうとしたりする子は、親に殺された胎児のあの世からの最も強烈なシグナルである」と述べています。
 戦後近代民主主義の蔓延による個人主義=利己主義が家の崩壊をもたらし、「教育勅語」の廃止や日本弱体化政策により「親に孝に夫婦相和し兄弟に友に…」の伝統美風が希薄となり、唯物拝金思想はますます盛んになりました。
万物の霊長として、天文学的な確率で受胎し、神秘な力により成長する無限の可能性を持ったお腹の赤ちゃん、その赤ちゃんが経済的理由で、富と引換に殺されてゆく現代、これほどの、天への冒涜、神への冒涜があるでしょうか。古来より、山上憶良も「白金も 黄金(こがね)も玉も なにせむに 優れる宝 子に及(し)かめやも」と歌ったほどに、そしてそれが万葉集に載るほどに、日本人はこどもを慈しむ民族でした。
 戦後優生保護法が施行されるまでは、堕胎は罪でした。今も堕胎罪は残っていますが、まったくの空文化しています。胎児は一体誰が守ってくれるのでしょうか。母親が守らないで殺そうとする現代、胎児の悲しみは誰が感じてくれるのでしょうか。
 母体保護法があるのなら、胎児保護法も制定すべきです。胎児を殺す人にとって、胎児は母親のお腹に出来た肉腫のようなものだとでも言うのでしょうか。単なる邪魔な物質にすぎないのでしょうか。誰もかばうことは必要ないのでしょうか。

 古事記ではイザナギノミコトが黄泉比良坂で、千引岩を黄泉の国との境においてイザナイザナミノミコトと対峙されたときに、イザナミノミコトが「愛しき我が那勢命(うつくしきあがなせのみこと)かくしたまわば、汝(みまし)の国の人草一日に千頭絞り殺さむ」といわれました。そうするとイザナギノミコトは「愛しき我が那邇妹命(うつくしきあがなにものみこと)、汝(いまし)然したまわば、吾は一日に千五百の産屋立ててむ」と言われ、日本の人口はますます増えるというふうに宣言されました。そうならないのは、本来生まれるべき赤ちゃんを殺しているからです。
赤ちゃんは授かりものだと、昔の人は思っていました。しかしジェンダーフリーを叫ぶ女性団体は、「産む産まないは女性の権利」と言って、胎児を殺す権利が女性にあると言います。本当にそうでしょうか、生まれる前の胎児には、生存の権利はないのでしょうか。
流された七千三百万の胎児には、七千三百万のそれぞれの人生があったはずです。その人生を奪われた悲しみを、どうか感じて、日本においてこれ以上その悲しみを増やさないように母体保護法の改正、胎児保護法の制定にご協力ください。