日本核武装講座からの転載です。
「武力を用いることを余儀なくされるような事態になることは自分としては不愉快だし気乗りもしないが、しかし中国人は武力に対しては常に屈するが理屈には決して従わない国民だ」と言ったイギリスの外交官エルギン卿の言葉は、たしかに真実で、これは歴史の事実が証明しています。中国人は武力で負けた場合にのみ、相手を尊敬すると言われます。戦わずして屈した相手はとことん卑しむというのが彼らの考え方で、今の日本は、中国人に馬鹿にされているのです。外交官というのは、けっして日本の為を思う存在ではない事がよくわかります。歴史も知らず、ただ自分たちチャイナスクールのためだけに、中国の代弁者になっているとしか思えません。丹羽大使も中国の代弁者ですし、日本には日本の為の主張を述べる外交官はいないようです。
孫崎享氏:軍事衝突が発生すれば日本は必ず負ける。尖閣諸島は台湾の近くにあり、台湾問題は中国にとってもっとも重要な問題であるため、中国の防衛の最前線でもある。軍事紛争が発生すれば、中国が尖閣諸島を獲得する可能性が高い。
核を持ち出された時点で日本の負けが決まる。
世界にとって尖閣諸島という小島がどちらに帰属しようと大した問題では無い。
重要なのは、両国国民も密接な日中関係と経済成長の相互促進こそが両国民にすばらしい生活をもたらすという同様の意識を持つことである。この点から言っ て、尖閣諸島問題を解決する最善策が見つからなければ、周恩来総理とトウ小平氏のやり方に沿って争いを棚上げすることが最善の手段かもしれない。
結局、そこで我田引水になる訳だ。
転載元: 日本核武装講座
さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。
明治に日本が世界の荒波に東洋の一小国として漕ぎだした時代、ロシアの脅威は日本の国の存亡の危機を感じさせずにおれないものでした。対応を誤れば、すぐにも、世界一の陸軍国と言われ、強大な力ですぐにも押しつぶされかねない恐怖が国民全体にあったことでしょう。この記事にある、ニコライ皇太子襲撃事件は、そんなわが国の恐怖が今にも現実化するような重大事件でした。
明治天皇は、日本の国と国民を如何に安泰に守りきるかに大変苦心されて、ロシアの皇太子に誠意を尽くされたようです。それはちょうど昭和天皇が終戦時に我が身を顧みずに終戦の決断をされたのと同じく、明治天皇自らの命にかえてもと思われたにちがいありません。
その後の日露戦争での毎日の御生活の様子の中にも、天皇という御存在が、わが子を守る親のごとくにひたすら身を挺して国と国民を思われ、祈られ、質素で慎ましい生活をなさる方だという事実に涙せずにはおれません。

美し国(うましくに)からの転載です。
戦後、国のためという言葉が死後になって以来、私たちは国のために命を捧げた人びとのことも顧みなくなってしまいました。国家がその国のために命を捧げた人を国をあげて慰霊もしなくなリました。子孫はそんな人のいたことすら知らないままで過ごしています。世界の国々がみな自国の為に命を捧げた先人を敬い、永久に記憶に残そうと毎年セレモニーをおこなう中で、日本のみが戦没者をあえて心にとどめまいと心から消し去ろうとしているかのようです。
こうした子孫の仕打ちを英霊たちはどのような悲しみを持って見ているでしょうか。天皇陛下と一部の遺族だけが心から慰霊の気持ちを持たれているのでしょう。政府は終戦記念日にも、靖国神社に一人の閣僚もお参りしなかったのです。
これは、結局三木首相が私人表明の参拝をしたこと、さらに中曽根首相の時に中国の内政干渉を受けて参拝中止をしたこと、それらが民主党内閣で実を結んだと言えます。国家が英霊たちの慰霊を国をあげて行わなくても良いということにしてしまったのであり、それは英霊への裏切りと言えます。死者との約束を破る、こんなことが許されるのでしょうか。

筆者も例年姫路・護国神社に参拝、護国の神々を偲び、感謝の誠を捧げています。
日本全国で戦没者追悼式が行われます。
大東亜戦争を知らない世代が日本の総人口の2/3になり、戦没者追悼式典に参列される方々も高齢化が進み、戦没者に対する「慰霊のこころ」が年々気薄になっています
靖国神社では、粛々と参拝される遺族の方々の神経を逆撫でするような反日デモが毎年、靖国神社周辺にて行われています。
このような奇怪な行動は世界的に見てもわが国だけではないでしょうか?
平成12年8月12日、バレンツ海において演習中、ロシア海軍・北方艦隊 の原子力潜水艦「クルスク」が沈没し、 乗員118人全員の死亡が確認されるや、各国政府は一斉に追悼 の意を表明しました。ロシア政府の事故への対応のまずさや情報の 隠匿が国際的に強く批判されましたが、それとはまったく別に 他国の軍人であっても、国家のために一命を捧げた人々に敬意 を表するのは国際常識です。
そして次のように讃えています。
「これらの日本の海軍軍人によって示された勇気は、誰も が認めるべきであり、一様に讃えるべきである。このよう に鉄の棺桶に乗って死地に赴くには、最高度の勇気がいる。 これら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持って、祖国に捧 げるオーストラリア人が果たして何人いるのであろうか。」と・・・・
海軍葬の模様はオーストラリア全土にラジオ放送され、松尾大尉ら 4人の棺は日本国旗で覆われ火葬に付された。特殊潜航艇は今 もキャンベラの戦争記念館に保存されています。
同日、マダガスカルのディゴアレス湾に停泊する イギリス海軍艦船に対しても、特殊潜航艇による攻撃が仕掛け られ、戦艦1隻、タンカー1隻が沈められた。これに対しては イギリスの首相チャーチルが、ノーベル文学賞を受けた「第2 次大戦」の中で、「二人の日本海軍軍人は祖国のために献身し、 類いまれなる功績をたてた」と賞賛しています。国同士 が戦い合っていても、祖国のために一命を捧げた英霊への尊敬 と哀悼の意は、人類として共有するまごころなのです。
しかし、日本政府は、戦没者追悼式典は行われても、護国の神々の御霊に対しては、国を挙げて行なっていません。残念でなりません。
戦争を知らない世代に慰霊の意味を理解するのは容易ではありません。
パリを訪れた日本人旅行者なら、かならずといって良いほど、ドゴール広場に立つ「凱旋 門」を訪れる。しかし、これがフランス国民にとっては戦歿同胞を追悼する記念碑であり、無名戦士の遺骨が埋葬されている聖なる場所だと知っている人は少な いだろう。第一次大戦に散った無名戦士の遺体が大正9年、パンテオン(万神殿、フランス国家に献身した文武の偉人の埋葬所)から凱旋門の下に移された。無 名戦士の一遺体にすべての戦没者者を代表させているのである。凱旋門とは生還した出征兵士を迎えるだけでなく、生きて母国に帰れなかった戦没者を迎える所 でもあるのであるのです。冗談を言いながら、記念写真をとっている日本人観光客の姿を「心ない」人々だと思っているフランス人もいるかもしれないのです。
ハワイにある太平洋国立記念墓地では、日本人観光客は戦歿者の墓石を跨いだり紙屑を散らかすから、バスの中から見学してもらうことにしたと言われています。


皆さん、現地へ向かう途上ではわりとなごやかなんです が、いよいよその海域に到着して慰霊祭に臨むと様子が一 変します。故人の名を泣き叫ぶ方。故人からの最後の手紙 をそっと開き、涙される方。ファィンダーが涙で曇って見 えなかったことが幾度あったことでしょう。
レイテ海戦に参加した戦艦「扶桑」乗員のある遺族は、 海面をじっと見つめ、「兄貴、来たぞ!」と叫んだ瞬間、 ぽろぽろ涙が海上にこぼれ落ちました。「兄貴、一緒に帰 ろうな」と、レイテ島の石を拾い、それを兄と思って持っ て帰るというんですね。 慰霊祭の後、甲板の縁に駈け寄って「親父」と叫んで海 に飛び込んだ男性もいました。お父さんの顔も知らずに育 った遺児の方でした。真下にお父さんが眠っている。「こ れで俺も親父と一緒になれた」と。
終戦五十年の年には、パラオ諸島で給油艦「石廊」の水中慰霊を七十歳の方と行い、全国で放映された。
それを見ていたのが当時、七十七歳だったある老人。 彼はその日からずっと日本海で泳ぎの練習を続けたという。
沈没から六十年を迎えた一昨年、八十六歳になっていた彼に、水中慰霊祭をやるから来るかと尋ねたら、即座に「行く」という答えが返ってきた。
二人で現地へ向かい「ここ(船上)から花束を投げるか」と言ったが、彼は 「いや、潜ってやらせてくれ。死んでも俺はやる」
と言う。結局水深二十五メートルまで潜り二人で慰霊を行った。船が沈没した当時、老人は部下二十人を率いる上等機関兵だったという。
自分だけが偶然、機関室を離れていたところへ直撃弾が落ち、そこで部下全員の命を失った。
六十年もの間、部下たちを思い続けてきた老人の気持ちは、一体いかほどのものであっただろう。
そういう思いが喉まで出かかって戦後を生きて来た人が たくさんいる。そして報道などで私のことを知って「ア ッ」と思うわけです。故人終焉の地に行って慰霊したいと いう長年の悲願を叶えたいと、ワラをもつかむ思いで私に 連絡して来られるのです。こういう遺族の心に思いを馳せる時、我々の心は自分の事ば かり考えて個我に閉じこもった状態から、他者に向かって開か れた状態になり、他者の苦しみ、悲しみを感じ取れるようにな る。それが慰霊の心である。
沈没した当時のまま、英霊の遺骨とともに朽ち果てていく運命にある。
しかし今日の日本を考える時、私はこの平和の礎となってくれた英霊たちの存在を思わずにはいられない。
坪本氏の嘆きは、護国の神々の御霊の嘆きであり、瀕死の状況にあるわが国への、わが民族への警鐘でもあるのです。
「海征かば 水漬く屍・・・」
67年の歳月、虚しく波にいたぶられてきたのかと思うと、心が痛み、言葉がありません。
わが民族の護るべき「誇り」の為に、莞爾として散りし御霊に国家は何を以って報わんや・・・・
敢然と散りし御霊に幾多の御霊に、後世の我々は如何に応えん・・・
転載元: 美し国(うましくに)
日本核武装講座からの転載です。
日本のマスコミは、どうして、視点が市民運動の主張のみを取り上げて安全性を論じるだけなのでしょうか。何故日本の領土の国防という視点で記事を書いている新聞がないのでしょうか。まるで、そうした視点をあえて国民に気づかせないようにしているかに見えてしまいます。
中国紙でさえも、尖閣諸島を守るためという視点で書いているのに、自国の新聞がそれを書かないとは、あまりに変ではないでしょうか。日本の新聞は中国政府の御用新聞ではないかとさえ思ってしまいます。実際に、日中報道協定で、中国に不利なことは書かないというジャーナリストの心情に反する協定が結ばれているのだから、まさにその通りなのかと思います。

オスプレイを積載し関門橋の下を航行する「グリーンリッジ」(22日午後8時24分、読売ヘリから)=佐藤俊和撮影
米軍が日本に配備する垂直離着陸機MV22オスプレイ12機を載せた民間貨物船「グリーンリッジ」は22日夜、山口県下関市と北九州市の間の関門海峡を通過し、瀬戸内海に入った。
オスプレイに与党反発=原発再稼働問題も再燃
オスプレイは岩国基地での試験飛行を経て、10月には米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に配備される計画だ。計画を強行すれば、沖縄県民世論が反米一 色に染まりかねないとの危惧も前原氏にはある。前原氏は同日、国会内で国民新党の下地幹郎幹事長と会談し、オスプレイ配備に反対する考えで一致。23日に は首相に配備延期を申し入れる予定だ。
また、民主党の護憲派議員を中心とした「リベラルの会」の平岡秀夫元法相らも20日午後、首相官邸で斎藤勁官房副長官と会い、事故原因の究明や安全性の再確認、配備先自治体の理解などの条件が整わなければ、配備しないよう求めた。
1.韓国人には強気で押せ。抵抗する場合は大声で命令しろ。
2.命令を聞かない場合は身体で解らせろ。
3.同じことをくり返す場合、犬のように何回でも同じ様に叱れ。
こちらが上と言うことを身体で解らせろ。
4.理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。
5.身体で解らせた場合、根に持つ場合があるので、後で身辺には気をつけて行動しろ。
但し、徹底的に解らせる迄、手を抜いてはいけない。
6.相手を3才児と思い、信用したり頼りにはするな。重要な仕事は任せるな。
一方、日本では自民党の「兵器オタ」縊死罵が、







