<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?><rss version="2.0" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">
 <channel>
  <title>小さな自然、その他いろいろ</title>
  <link>https://blog.goo.ne.jp/ginga7788?fm=rss</link>
  <dc:creator>ginga7788</dc:creator>
  <dc:date>2015-04-20T17:03:34+09:00</dc:date>
  <language>ja</language>
  <copyright>Copyright:(C) 2020 NTT-Resonant Inc. All Rights Reserved.</copyright>
  <image>
   <url>https://blogimg.goo.ne.jp/user_photo/36/66332356a92458580b8ed9b6c97a8a93.jpg?e42d3f</url>
   <title>小さな自然、その他いろいろ</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/ginga7788?fm=rss</link>
   <description>身近で見つけた野鳥や虫などを紹介します。ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。</description>
  </image>
  <description>身近で見つけた野鳥や虫などを紹介します。ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。</description>
  <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs>
  <item>
   <title>西村幸祐氏　「戦後70年　ニッポンの肖像―日本人と象徴天皇」NHKスペシャルの狂気 </title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/7efa54d068b35d0d141aa1d26d044c4d?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
西村氏の<a href="http://t.co/5GNFbSPv9v" rel="nofollow" target="_blank">TwitLonger </a>から転載しました。
私もこの放送を見ていましたが、昭和天皇が靖国参拝をやめられた理由はA級戦犯が祀られているからだと断定して述べていることに腹が立ちました。
<br />
昭和天皇は、マッカーサーに会いに行かれたときに、今回の戦争の全責任は私にあると言われ、絞首刑にしてもらってもいいから、国民を助けてほしいと言われたといいます。国民は自分の命令に従っただけなので、罪はないと言われたそうです。開戦の時に、ただ一人反対されたのは昭和天皇であるにもかかわらず、そのように言われたのです。
<br />
それなのに、A級戦犯が祀られているからなどという理由で行かれないわけがありません。大体ゆかれなくなったのは、昭和５０年に三木首相が私的参拝などと言い始めて、マスコミがそれを取り上げ、その結果、与野党で議論になってしまい、政治問題化したのがきっかけであり、翌５１年から、昭和天皇は御親拝をお控えになられるようになったのです。A級戦犯の合祀は、それより後の５３年からです。全く関係ありません。
<br />
昭和天皇は、A級戦犯の処刑された日に目を真っ赤に泣きはらしておられたといいます。また、東條首相にも同情しておられ、ご家族にもお声をかけられていたという話を聞いたことがあります。
<br />
以前富田メモなどという、検証もしっかりとされないで、公開もされないメモを日経新聞がスクープ記事にして、勝手に断定した記事を書きましたが、昭和天皇をよく知る人々がおかしいと疑念を抱いたのは当り前で、靖国参拝の正当性にケチをつけようという陰謀にしか思えません。
<br />
西村氏も書いているように、A級戦犯は、日本では国会の全会一致で名誉回復がなされたのです。あの東京裁判の非法治主義的な裁判をまともな裁判とみなすのはおかしいのであり、日本人は、敗戦したとはいえ、戦勝国のリンチのような裁判の犠牲者を、死刑になってもまだ鞭打って、靖国参拝すら反対するのはおかしいのではないでしょうか。
<br />

「戦後70年　ニッポンの肖像―日本人と象徴天皇」NHKスペシャルの狂気
<br />
４月18日・19日と二夜連続して放送されたＮＨＫスペシャル「戦後７０年　ニッポンの肖像<br />－日本人と象徴天皇－」は本当に酷い番組だった。<br />昨夜午後6時10分の情報番組で、よく韓国人が色々な場面で使う日本が極端に小さく描かれたアジアの地図を、ＮＨＫが平気で使用して話題になっている。つまり、その番組の制作スタッフが韓国人に乗っ取られていることが露わになった訣だが、それよりもっと悪辣な番組がＮＨＫスペシャルだったのである。<br /><br />特に昨夜の「第２回 平和を願い続けて」で、解説に登場した保坂正康氏と御厨東大名誉教授が滅茶苦茶で嘘ばかり言って視聴者を騙す。敗戦直後にＧＨＱに占領されて検閲下で放送を開始したＮＨＫが、まさにそのアイデンティティを確認した瞬間だった。<br />昨夜のＮＨＫスペシャルで、昭和天皇が靖国親拝をおやめになったのは、いわゆるＡ級戦犯、つまりＡ類の戦犯が靖国に合祀されたからという嘘を振り撒いた。保坂と御厨という戦後体制にしがみつくく反動的な御用知識人の醜い本質が、昨日また改めて露わになったのである。<br /><br />日本にはもうすでに東京裁判によるＡ類戦犯は存在しない。なぜなら、以下のリンク（「インドのモディ首相が来日する、大きな意味」）で説明したように、日本はＳＦ講和条約に調印したのは東京裁判の判決を受け入れただけで、裁判そのものを受け入れた訣ではないからです。<br />しかも、もっと重要なことは、サンフランシスコ講和条約の第11条で「戦犯」の赦免や減刑についは、「判決に加わった国の過半数が決定する」とあり、全国で戦犯釈放運動が広がり、当時の有権者のほとんどである4000万人(当時の日本人口8454万人)の署名が集り、昭和28年に戦犯の赦免決議が国会に於いて社会党や共産党を含めて一人の反対もなく全会一致で採択されたという事実があります。<br /><br />そして、国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条にもとづく11カ国の同意を得て、いわゆるＡ級戦犯は昭和31年に、ＢＣ級戦犯は昭和33年までに赦免し釈放されました。<br />その結果、すでに処刑されていた【戦犯】は「法務死」とされ、靖国神社にも合祀された訣です。<br /><br />●1952年（昭和27年）6月9日参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」<br />●1952年（昭和27年）12月9日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」<br />●1953年（昭和28年8月3日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」<br />●1955年（昭和30年）7月19日衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」<br /><br />以上の決議は、全て全会一致、社会党・共産党も賛成しています。当時の日本人の民度の高さが偲ばれます。その高い民度は、占領軍である米国と連合国軍最高司令官総司令部（ＧＨＱ）によって、日本が解体される前の、つまり戦前の教育を受けていたから保たれていたものです。<br /><br />インドのモディ首相が来日する、大きな意味<br /><a href="https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10201665439598004&amp;set=a.1426340718754.52270.1839870176&amp;type=1" rel="nofollow" target="_blank">https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10201665439598004&amp;amp;set=a.1426340718754.52270.1839870176&amp;amp;type=1</a>
 
 
 ]]></description>
   <category>マスコミ</category>
   <dc:date>2015-04-20T17:00:57+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/7efa54d068b35d0d141aa1d26d044c4d</guid>
  </item>
  <item>
   <title>胎児の命は</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/76845f4e42c8f991044972b8f6991333?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p>赤ちゃんを中絶しないで。［いのちを守る親の会］ </p>
 
　堕胎は女性にとって、精神的にも肉体的にも大きな傷を残します。近年親子間の葛藤からいろんな事件に発展するケースが、時々ニュースを騒がせますが、こうした親子間のさまざまな問題、あるいは子供の非行、閉じこもりなど、そのような相談を受ける方が、調べたところ、その人が知る範囲では、そのような家庭において、母親が過去に人工妊娠中絶をしたことがある場合がほとんどであるという話をされたことがあります。<br /><br />　結婚して今はまだ夫婦だけの生活を楽しんで、とか、今は共稼ぎでお金を貯めることに専念してお金がたまったら子供をつくろう、とか、そういう考えで、せっかく授かった子供を安易に堕胎して、そして何人目かで子どもを生んだとすると、その母親には、子供は授かりものという意識よりも自分が作った子供という自己所有の意識が勝るのではないかと思います。<br /><br />　子供を自分の物と考える意識は、子供を時には過保護に、時には苛立つと虐待に近いこともしたり、子どもを自分の考えのとおりに支配したいという気が起こるのではないでしょうか。<br /><br />　渡部昇一氏が書かれていたことがありますが、最近の子供は鬼のように角の生えた母親の絵を書く子がいる。そういう子の母親は、勉強しない子を叱るときに、意識の底に、「なんで勉強しないの。そのために私は二人も堕したのに」という気持ちがあって、それが雰囲気に出て来て子供はそれを敏感に感じるのでは、と。あるいは霊魂の存在を認めるとすれば、背後に堕胎された兄弟の霊を感じ取るのでは、とおっしゃっていました。<br /><br />　そうした子供は、自分より前に本当は兄弟がいたということを表面の意識は知らなくても、無意識下に自分ももしかしたら殺されていたかも知れない。あるいは、兄弟は死んでいるのに、自分だけ生きているという後ろめたさ、そんなものを感じているのかも知れません。人間は表面の心は何も知らなくても、意識の底では多くの人間の意識と繋がっていて、ほとんどすべてのことを知っているという説もあります。<br /><br />　表面の意識が目指すものと、そうした潜在意識の目指すものが違っている場合も多く、表面の意識が幸せを求めているのに、潜在意識は贖罪のための不幸を求めているという場合も多いという精神分析の話もあります。<br /><br />　よく戦争中の残虐行為や、残虐な事件の話を聞きますが、そんな話は、聞くだに耳を塞ぎたくなるような身震いする話です。ところが、胎児の堕胎というのは、時にはそれ以上の悲惨な虐殺です。昔は、掻爬と言って子宮内に器具を入れて、胎児の柔らかい体をズタズタにして掻き出す方法が取られていました。最近では吸引という方法が取られるようです。これも似たようなものです。<br /><br />胎児は狭い子宮を逃げるように動き、心拍数は１．５倍の２００にもなります。時には声をあげる場合もあるといいます。そうやって出された胎児のずたずたにされた身体は、月数の少ないものはトイレに流されるという話を聞きました。<br /><br /><br />　これが人間の生命に対する行為と言えるでしょうか。そこにはまったく胎児の生命への畏敬の念はありません。<br /><br /><br />　そして自分たちの生活が乱されなかったという満足、つまり経済的安定やあるいは世間体が保たれたという安心感で、平気な何食わぬ顔で明日からの生活をつづけていく、これでは、よくあるニュースの殺人犯が、殺人を犯した後もまったく普通に生活して気付かれなかったと報道しているのとそっくりではないですか。<br /><br />　<br /><br />　これがほんとに民主主義で、幸福を追求する権利というものなのでしょうか。胎児は母親の胎内に出来たただの物質的な肉塊だと言えるのでしょうか。私たちはみな胎児の時期があったのです。もしその時堕胎されていたら、いない人間です。胎児も同じ人間ではないでしょうか。 
 
 
<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/sitiyu33/GALLERY/show_image.html?id=12215204&no=0"><img class="popup_img_112_121" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-16-b3/sitiyu33/folder/569695/04/12215204/img_0?1425380032" alt="イメージ 1" width="112" height="121" /></a>
人工中絶をされる時、その器具より一心に逃げ、「こわい！やめて！」と必死に叫び、心拍数は１．５倍の２００にもなります。<br />
 
 
 
<p> </p>]]></description>
   <category>いのちを守る、人工妊娠中絶問題</category>
   <dc:date>2015-04-19T13:14:13+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/76845f4e42c8f991044972b8f6991333</guid>
  </item>
  <item>
   <title>天皇陛下ありがとうございます </title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/f43d2e79458b3bce2e9b984edb8ce9d1?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p><a href="http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/13146423.html" rel="nofollow">■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記</a> から転載しました。</p>
<p><br /></p>
<p>天皇皇后両陛下の心をこめた慰霊のお姿に、感動を抑えられません。この記事にあるように、ペリリュー島の戦いで生き残られた杉村武雄さんが、天皇皇后両陛下の慰霊に思わずありがとうございますという思いで手を合わせられたのは、英霊となった戦友たちがどれだけそのことを喜んだかがわかるからだろうと思います。</p>
<p><br /></p>
<p>天皇陛下の慰霊は、まさに日本の国の魂が英霊たちに語りかけ慰めたことになるのでしょう。</p>
<p><br /></p>
<p>杉村さんにとっても、戦友たちの英霊にとっても、気持ちが報われた瞬間であったことでしょう。</p>
<p><br /></p>
 


<img class="popup_img_574_339" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/23/13146423/img_0?20150412064004" alt="イメージ" width="560" height="331" /><br />
 
天皇陛下ありがとうございます。
　
 
<img class="popup_img_703_530" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/23/13146423/img_1?20150412064004" alt="イメージ" width="560" height="422" /><br />
 
<br />
戦後70年の戦没者慰霊のためパラオを訪問された天皇、皇后両陛下は4月9日、太平洋戦争の激戦地となったペリリュー島で「西太平洋戦没者の碑」に献花して、平和への祈りを捧げられた。<br />
<img class="popup_img_602_350" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/23/13146423/img_2?20150412064004" alt="イメージ" width="560" height="326" /><br />
 
<br />
<br />
ペリリュー島では旧日本兵の守備隊1万人がほぼ全滅し、アメリカ兵も千数百人に上る犠牲者を出した。
<br />
同島の南端にある「西太平洋戦没者の碑」は、パラオの島々や周辺の海などで亡くなった戦没者を慰霊するため、日本政府が1985年に建てたもの。
<br />
この碑は日本の方角に向けられ「さきの大戦において、西太平洋の諸島及び海域で戦没した人々をしのび、平和への思いを込めてこの碑を建立する」と記されている。
<br />
戦没者の遺族や、遺骨収集のためパラオを訪れる人たちのほとんどが、この慰霊碑に足を運び、線香や花を供えている。
<br />
摂氏30度近い熱帯の暑さの中で、天皇陛下はアイランドフォーマルと呼ばれる開襟シャツの姿。
<br />
厚生労働省の村木厚子事務次官の先導で、天皇、皇后両陛下はゆっくりと慰霊碑に進んだ。
<br />
両陛下は、パラオでの戦闘に参加した元日本兵や犠牲者の遺族らも見守る中、日本から持参した白い菊の花束を慰霊碑の前に供えた。
<br />
石碑の前で深く一礼した後、ペリリュー島の南10kmにあり、やはり旧日本兵がほぼ全滅したアンガウル島にも一礼した。
<br />
<br />
この後、両陛下はアメリカ軍上陸地点付近にあるアメリカ陸軍の慰霊碑にも供花、今回は、日本の英霊のみでなく、アメリカ軍人、パラオ人で避難された(疎開された)後に餓死された方も含めて「戦争で戦病死された全ての方の慰霊」であるとされている。
<br />
その深い誠と愛に国を超えて大きな感動の渦が巻き起こっている。
 
<img class="popup_img_643_357" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/23/13146423/img_3?20150412064004" alt="イメージ" width="560" height="311" /><br />
 
 
ぺリリュー島で戦った杉村さんも泣いていた。天皇陛下ありがとうございます。。。といって。。。これは、全ての英霊の魂の声であろう。
<br />
 
<img class="popup_img_557_328" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/23/13146423/img_4?20150412064004" alt="イメージ" width="557" height="328" />
 
日本から運ばれた「白菊」だ。
　天皇陛下からの捧げものである。。
<br />
 
<img class="popup_img_529_326" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/23/13146423/img_5?20150412064004" alt="イメージ" width="529" height="326" />
 
　　　　　思わず、合掌する杉村さん。
 
<img class="popup_img_491_278" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/23/13146423/img_6?20150412064004" alt="イメージ" width="491" height="278" />
 
 
　　天皇陛下ありがとうございます。。
 
<img class="popup_img_732_536" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/23/13146423/img_7?20150412064004" alt="イメージ" width="560" height="410" /><br />
 
　８１歳を超えてなお・・
　　　　慰霊を続ける陛下。
<br />
<br />
　　風邪気味の中を・・・
　　　　どうしても・・と、
<br />
　　今回の訪問となった。
<br />
　　強行軍である。
　　　　休憩もなく・・・・
<br />
　　日本に戻られた。。。
<br />
　　　天皇陛下
　　　　ありがとうございます。
<br />
<img class="popup_img_574_339" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/23/13146423/img_8?20150412064004" alt="イメージ" width="560" height="331" /><br />
 
<br />
<br />
なんと・・尊い、おかたを
　いただいた　日本は　尊い
　　　　国であることだろうか。
<br />
<br />
　すべてを　礼拝し尽くされる
　　現人神　天皇陛下を頂く
　　　　　日の本ゆえに・・・
<br />
　　天皇国日本は
　　　　神国なのである。。。
<br />

<br />
　　　　２０歳の時に詠んだ和歌
<br />
　　ひのもと　　　　　　ひかりの　
　　日本の国は太陽
　　　　の国なれば
　　た　み
　国民は明るく
　　　人を照らせよ
<br />
　　　　　大熊良樹

<br />
日本の神とは「西洋の神」とは違うのです。日本では「全て」に神を見るのです。すごさ。能力。働き。理念。命。 性質。躍動。個性。
<br />
その中でも・・全てを祈る、祭司長。天皇さまは、まさに、神なのです。
<br />
われわれ日本人の父であり母であり、
神であり、日本人のお手本でもあるのであります。
<br />
その陛下(明治天皇)の示された日本人の徳目「教育勅語」はやがて世界の道徳の「最高峰」として認知される日が来るでしょう。わたしの師である谷口雅春先生もそのことを言い残されています。(最終寄稿は「教育勅語」についてです。)
<br />
その事を一番知らないのは
「日本人」でありましょう・・・。
<br />
機は熟してきました。
　　　
 
<br />
<br />
<img class="popup_img_1024_678" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/23/13146423/img_9?20150412064004" alt="イメージ" width="560" height="371" /><br />
 
 
 

<img class="popup_img_1662_2084" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/23/13146423/img_10?20150412064004" alt="イメージ" width="560" height="702" /><br />
 

 

<p class="scrapSource"><img src="http://i.yimg.jp/i/jp/blog/p3/images/icn_scrap2.gif" alt="転載元" width="13" height="14" align="absMiddle" /> 転載元: <a href="http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/13146423.html">■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記</a></p>
<!-- /entryBody --><!-- __entry_body_end__ --><!-- nice button -->
 
]]></description>
   <category>日本人の誇り</category>
   <dc:date>2015-04-13T12:01:40+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/f43d2e79458b3bce2e9b984edb8ce9d1</guid>
  </item>
  <item>
   <title>両陛下パラオ御訪問・「ペリリュー島の戦い」とは</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/ddb95971914d4f301537231965b5278c?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p>ペリリュー島の戦いのことは、以前<a href="http://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cDovL3Jkc2lnLnlhaG9vLmNvLmpwL2Jsb2cvYXJ0aWNsZS90aXRsZWxpbmsvUlY9MS9SVT1hSFIwY0RvdkwzSmtjMmxuTG5saGFHOXZMbU52TG1wd0wySnNiMmN2WVhKMGFXTnNaUzkwYVhSc1pXeHBibXN2VWxZOU1TOVNWVDFoU0ZJd1kwUnZka3d6U210ak1teHVURzVzYUdGSE9YWk1iVTUyVEcxd2Qwd3lTbk5pTW1OMldWaEtNR0ZYVG5OYVV6a3dZVmhTYzFwWGVIQmliWE4yVld4Wk9VMVRPVk5XVkRGb1UwWkpkMWt3VW5aa2EzZDVVMjVPYVUxdFVqWlVSelZ6WVVkR1NFOVlXazFpVlRVeVZFY3hkMlF3ZDNsVGJscHBZbFZ3TWxreU1YSmtNRGxWV2pOYVQxSkhUWGhVYTFKS1RVVTVSRTVYT1d0U2VrWjY-">さくらの花びらさんのブログ</a>で読んだことがある程度の知識しかなかったのですが、日本政策研究センターの記事を読んで、このペリリュー島の戦いが、後の硫黄島の戦いにつながる本土防衛のための決死の戦いであり、さらには沖縄戦につながっていくことがわかりました。</p>
<p>このペリリュー島、硫黄島陥落後に、米軍が日本本土を無差別爆撃し、東京大空襲では、一夜で１０万人の市民が亡くなったと言われています。米軍は住民が逃げられないように、爆撃範囲の外枠を焼夷弾で燃え上がらせて、全滅させるように爆撃したと言われます。東京だけではなく大都市圏は皆そうした空襲を受けました。犠牲の多くは老人や女性や幼い子供だと言われます。それでも、学童疎開など、地方の田舎へ避難した人々も多かったはずです。もしも、ペリリュー島や硫黄島の戦いが米軍の予定のごとくあっという間に終わって、米軍がその時点で日本本土に攻めてきていたら、亡くなった人の数はその数倍になっていたはずです。 </p>
<p>本土に残った人々が米軍の本土攻撃に備えることができるようにと、少しでも時間を稼ぐために自分たちの命のかぎり、まさに死によって動けなくなるまで苦痛に耐えて戦った人々がいたということを、私たちは忘れてはならないでしょう。</p>
<p>本土に残る日本人を守るために、自分たちの命を捧げたのですから、それはまさに、「人その友のために命を捨つる、それより大なる愛はなし」とイエスが言いそして実行したように、彼らの行為はイエスに例えられるべきものだと思います。そんな方々に侵略戦争という汚名を着せ、間違った戦争で心ならずも亡くなったなどという同情の言葉を、まるで自分たちとは異世界の話のように語り、現代という高みの見物席から過去を見て憐れむのは、もういい加減やめにしてほしいと思います。</p>
<p>戦争はたしかに悲惨です。やらないに越したことはありません。しかし避けられない戦争もあるし、生き延びるためには戦わねばならないこともあります。それをイデオロギー的な教条主義で裁いたり、戦勝国のプロパガンダに乗せられて自分たちの先人を愚かな犯罪者のように言うのは、実はこれほど恥ずかしいことはないのだと気付くべきです。</p>
<p> </p>

<p> </p>
<p>　天皇皇后両陛下には、戦没者の慰霊などのため、今日明日の２日間パラオ共和国を公式に御訪問になる。先の大戦の激戦地だったペリリュー島では「西太平洋戦没者の碑」で御慰霊になる見込みだという。ここでは、ペリリュー島の戦いについて、振り返っておきたい。</p>
<p><img style="height: 232px; width: 350px; float: left; margin: 5px 10px;" src="http://www.seisaku-center.net/sites/default/files/uploaded/palau.jpg" alt="" />　南太平洋に浮かぶパラオは日本から真南に3200㎞、グアム島の西南、パプアニューギニアとフィリピンの中間に位置し、大小200の島からなる島嶼国家。ペリリュー島はその一つで、南北9㎞、東西3㎞、面積13平方㎞のサンゴ礁の島である。</p>
<p>　大東亜戦争では昭和18年末から19年秋にかけて、日本の絶対国防圏とされた地域が米軍に次々と攻略された。特にサイパン、テニアン、グアムのマリアナ諸島を失ったことは大きな痛手で、米軍はここから日本本土の空襲が可能となった。</p>
<p>　米軍が次の目標としたのが、フィリピン諸島の外廓たるパラオ諸島だった。本土防衛のためにはフィリピン死守が不可欠だが、そのためにはパラオ諸島を敵に渡してはならなかった。なかでも重要視されたのが、最適の飛行場があるペリリュー島だった。</p>
<p>　日本軍はここを死守すべく、歩兵第二連隊長中川州男（なかがわ・くにお）大佐率いる1万余人を布陣。一方、米軍は4倍の4万2千人、小銃8倍、戦車10倍と圧倒的な戦力差で迫り「3日、たぶん2日」で陥落させると豪語していたという。</p>
<p>　ところが、日本軍は昭和19年9月から11月まで、3日どころか70余日間戦い抜き、米軍に死者1684人、戦傷者7160人という甚大な被害を与え、そして玉砕した（日本軍の生還はわずか34人）。この勇戦敢闘が、敵軍を心底から畏怖させたことは次の通りである。</p>
<p>　「ペリリュー島日本守備隊は祖国のために全員忠実に戦死せり」（米軍公刊戦史）　</p>
<p>　「敵は抵抗力の最後の一オンスまでしぼり出し、征服者（米軍）に最大の損害を強要した。ペリリュー戦はそれまでのいかなる戦いとも質を異にし、その後の硫黄島、沖縄戦の類型を示した」（米海兵隊戦記）</p>
<p>　「ペリリューの複雑きわまる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の損害比率（約40％）を甘受しなければならなかった」（米太平洋艦隊司令長官Ｃ・Ｗ・ニミッツ）</p>
<p>　さらに、元海兵隊員コードリン・ワグナー氏は平成6年にこう回想している。</p>
<p>　「私は海兵隊の一員としてペリリュー戦に参加した。こんな島なら二日間で落すつもりだった。しかし、一ケ月たっても落ちなかった。日本軍人はよく戦い全員が戦死した。当時戦った勇者に会いたくてもそれができない。皆さんは郷里に帰ったら、アメリカの老軍人が日本軍の勇戦を讃えていたと伝えて欲しい」（『大東亜戦争の秘話』展転社）</p>
<p>　今日ではペリリュー島の戦いは完全に忘れられているが、両陛下の御訪問に合わせ、追悼の機会としたい。</p>]]></description>
   <category>日本人の誇り</category>
   <dc:date>2015-04-09T16:27:09+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/ddb95971914d4f301537231965b5278c</guid>
  </item>
  <item>
   <title>ペリリュー英霊が問う戦後精神/新保祐司</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/5bf0a9cd6a064bc7ef6b5331da1c3e29?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p> ブログ「よい国のニュース」から、『正論』記事<a href="http://soneaozora.jugem.jp/?eid=1899">「ペリリュー英霊が問う戦後精神/新保祐司」</a>を読んで、深く共感を覚えました。特に、</p>
<p>＞明治から大正にかけて諜報活動に従事した石光真清は有名な手記を書き遺（のこ）したが、その中で明治天皇の崩御に触れて「遠く満洲の涯（はて）に仆（たお）れた人々も、一斉に大地から黒く浮び上って、この偉大なる明治の終焉（しゅうえん）を遙（はる）かに地平線の彼方（かなた）から眺めているかに思われた」と書いた。</p>
<p>　追悼式で「海ゆかば」が流れたならば、遙かに水平線の彼方のペリリュー島から英霊は黒く浮び上って今日の日本人を眺めるであろう。＞</p>
<p>の部分で、思わず涙がこみあげました。</p>
<p>敗戦後、それまで国のために戦いなくなられた方々を英霊、勇士と崇めてきた国民が、一斉に手のひらを返したように、軍国主義者とか、侵略戦争の手先のように貶めたり、多少かばったつもりでも、軍国主義の犠牲者でした。</p>
<p>しかし、この犠牲者とか、被害者という言葉は、もしかしたら、軍国主義者という以上に、英霊を貶めているのではないかと、よく思ったものです。</p>
<p>犠牲者とか被害者というと、その人には、何ら罪がない、むしろ本来なら賠償される権利があるだとか、あるいは、なんとかわいそうな、気の毒な人だという同情に値するということだと思います。</p>
<p>これは、祖国を守ろうという意志を持って戦ったことを、何の価値もない行為というふうに、否定し貶めることです。しかも、自分の人生をたとえ時代の影響のもとで生きなければいけなかったとはいえ、そこには、やはり主体的にものごとを受け止め、行動した人々が多くいたはずなのに、それをすべて強制された人生であったかのようにとらえるのは、そうした人々の人生をただ流されて生きた木偶の坊的な人生と捉えることではないでしょうか。</p>
<p>たとえば、硫黄島でなくなった人々は、最後まで自決せずに、肉体的苦痛を耐えて戦い、米軍の本土への空襲を遅らせ、時間を稼いだというはなしです。飲まず食わずの中、玉砕せずに生き延びて戦うことの苦痛に打ち克って、なお戦い続け、戦死された英霊に対して、かわいそうな犠牲者などという傲りは、どこから来るのでしょうか。</p>
<p>それらは、戦後GHQに刷り込まれた自虐史観による日本悪玉論を単純に信じているからであり、その洗脳をなお脱しきれない故であり、それこそ戦後教育に流され続けた犠牲者といわねばならないでしょう。</p>
<p> </p>

<p> ペリリュー英霊が問う戦後精神/新保祐司</p>
<p>８日から天皇、皇后両陛下がパラオ共和国を訪問され、大東亜戦争の激戦地ペリリュー島で戦没者を慰霊される。これは、戦後７０年の今年における最深の行事といえるであろう。最深というのは、忙しさの中に埋没している日常的な時間を切り裂いて、歴史の魂に思いを致らし、日本人の精神を粛然たらしめるものだからである。</p>
<p>　《「海ゆかば」を知らない日本人》</p>
<p>　戦後６０年の年には、サイパン島に慰霊の訪問をされた。そのときも、先の戦争を深く回想する契機を与えられたが、サイパン島は、バンザイクリフなどによって玉砕の島として日本人に知られているであろう。戦争の記録映像などでも、よく出て来るからである。</p>
<p>　しかし、そのサイパン島や硫黄島などに比べてペリリュー島の方は、慚愧（ざんき）の至りであるが、戦後生まれの私も、この島の名前を知ったのは、そんなに古いことではない。日本人の多くが、知らなかったのではないか。<br />そのような島に天皇、皇后両陛下が訪問され、戦没者を慰霊されるということは、戦後７０年間、大東亜戦争を深く記憶することを怠りがちであった日本人の精神の姿勢を厳しく問うものである。戦後の日本人が、いかに民族の悲劇を忘れて生きてきたかを叱責されるようにさえ感じる。</p>
<p>　今年１月３日付本紙の「天皇の島から」の連載で、ハッとさせられる話が載っていた。パラオ共和国の９４歳になる老女が取り上げられていたが、明快な日本語で「君が代」を歌い上げ、続けて「海ゆかば」を口ずさみ始めたという。歌詞の内容も理解していた。</p>
<p>　この記事を目にしたとき、戦後６０年の年に両陛下がサイパン島を訪問されたときのエピソードを思い出した。敬老センター訪問の際、入所者の一部の島民が「海ゆかば」を歌ったという話である。玉砕の悲劇を回想するとき、島民の心からおのずから「海ゆかば」が湧き出てきたのであろう。それに対して、日本人の方が「海ゆかば」を知らないのである。<br />《日本が失ったものの大きさ》</p>
<p>　このように「海ゆかば」を通して先の戦争を記憶しているサイパン島の島民やパラオ共和国の老女に比べて、日本列島の島民はどうであるか。私もそうであったが、ペリリュー島を忘れていたではないか。サイパンやパラオの島民はずいぶん貧しいかもしれない。しかし、歴史の悲劇と戦没者を忘れないという精神においてどちらが品格が上であろうか。それを思うと、戦後７０年間、日本が経済的発展の代償として失ったものの大きさに改めて気づかされる。</p>
<p>　ペリリュー島については、４０年ほども前に産経新聞社の前社長の住田良能氏が、支局時代にとりあげていたことを最近知って感銘を受けた。１９７８年、本紙の茨城県版に掲載された「ペリリュー島’７８」には、「犠牲の大きい戦いであっただけに、米軍にとって、勝利はひときわ印象深かった。戦後、太平洋方面最高司令官だったニミッツ提督は『制空、制海権を手中にしていた米軍が、一万余の死傷者を出してペリリューを占領したことは、いまもって大きなナゾである』と述べ、また米軍公刊戦史は『旅人よ、日本の国を過ぐることあれば伝えよかし、ペリリュー島日本守備隊は、祖国のために全員忠実に戦死せりと』と讃（たた）えた」と書かれていた。<br />この「旅人よ、日本の国を」は名訳といっていいが、この文章の原型は、紀元前４８０年のギリシャでのテルモピレーの戦いを讃えた碑文につながっている。テルモピレーの戦いといえば、吉田満の『戦艦大和ノ最期』初版の跋文（ばつぶん）に、三島由紀夫が「感動した。日本人のテルモピレーの戦を目のあたりに見るやうである」と絶賛したことを思い出す。</p>
<p>　戦艦大和の激闘が、テルモピレーの戦いの如くであったように、ペリリュー島の激戦も、テルモピレーの戦いであったのである。</p>
<p>　《両陛下の慰霊に合わせ黙祷を》</p>
<p>　この玉砕を悲惨な戦争とか戦没者を戦争の犠牲者とか決して言ってはならない。テルモピレーの戦いのように「祖国」のために戦った勇者に他ならないからである。</p>
<p>　天皇、皇后両陛下が慰霊される時刻には、終戦記念日の正午に国民が黙祷（もくとう）をささげるように、ペリリュー島の戦没者に国民が黙祷するようにしてはどうであろうか。これまでほとんど忘れていたことに対するおわびも兼ねてである。<br />そして、今年の８月１５日の全国戦没者追悼式には、「海ゆかば」を流してはどうか。明治から大正にかけて諜報活動に従事した石光真清は有名な手記を書き遺（のこ）したが、その中で明治天皇の崩御に触れて「遠く満洲の涯（はて）に仆（たお）れた人々も、一斉に大地から黒く浮び上って、この偉大なる明治の終焉（しゅうえん）を遙（はる）かに地平線の彼方（かなた）から眺めているかに思われた」と書いた。</p>
<p>　追悼式で「海ゆかば」が流れたならば、遙かに水平線の彼方のペリリュー島から英霊は黒く浮び上って今日の日本人を眺めるであろう。そして、われわれはその視線に戦後の精神の在り方を厳しく問われることになるのではないか。（しんぽ　ゆうじ）</p>
<p> </p>
<p> </p>]]></description>
   <category>日本人の忘れたもの</category>
   <dc:date>2015-04-08T14:51:40+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/5bf0a9cd6a064bc7ef6b5331da1c3e29</guid>
  </item>
  <item>
   <title>高橋富代氏　「アメリカよ、日本を打つならまず自らの手を清めよ　～幾多のお吉たちへの鎮魂歌～」 </title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/83808207ede990a280173265b21e4e38?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p>下田市議会議員　高橋富代氏の</p>
<a href="http://tomiyo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-446c.html" rel="nofollow">「アメリカよ、日本を打つならまず自らの手を清めよ　～幾多のお吉たちへの鎮魂歌～」 選外のアパ論文</a>
 
<p>に感動しました。</p>
<p>幕末のペリー来航以来、近代国家として必死に歩み始め、白人中心の世界へ漕ぎだした我が先人たちの苦労と栄光、そしてついには敗戦となった歴史を、まさに自分の国の歴史として感じ取るならば、今現代の日本が本来の歴史と誇りと力を奪われていることに悲しみと苦痛を覚えずにはおれないはずです。高橋氏の論文は、そんな多くの日本人の心を代弁しているように感じます。</p>
<p><br /></p>
<p>以下に転載しました。</p>
<p><br /></p>
<p><img src="http://www.tomisan.net/_src/sc981/dscn0700.jpg" alt="高橋とみよ" width="213" height="200" /><br /></p>
<p> </p>
<p> </p>

<p> </p>
<p> </p>
<p>アメリカよ、日本を打つならまず自らの手を清めよ<br />～幾多のお吉たちへの鎮魂歌～ <br /><br />静岡県下田市議会議員　高橋富代 </p>
<br />　アメリカに愛着がある。私は下田の生まれで、物心ついた頃から黒船祭がありアメリカという国が水兵さんの姿で、時にはアメリカ大使の姿で日常にあった。 
<p> </p>
<br />　先の戦争が、アメリカに巧妙に仕掛けられたのだと長じて認識してもなお、相模湾の潮騒と黒船祭を幼児期の原体験に育った私は、同国への憧憬を捨て切れずにいた。
<p> </p>
　それが、突然崩れ去ったのは、二〇一四年四月二五日のことである。 <br />朴槿恵大統領とソウルで会談したオバマ大統領が共同会見で言い放った言葉で、私のアメリカへの片思いは終わった。この片思いは多くの日本人が、アメリカに対して抱いて来た心情と同種だと思う。ハリウッド映画や、ホームドラマで見つめてきた、豊かで明るい正義の国アメリカ！ <br /><br />　「甚だしい人権侵害だ」とオバマ大統領は切り出した。「慰安婦らの主張は尊重されるべきだ」「過去を正直かつ公正に認識しなければならない」と日本を裁き「安倍首相や日本国民もそのことを分かっているはずだ」とまで口にした。 
<p> </p>
<br /> 　一九四四年に朝鮮人慰安婦たち二十人へのアメリカ陸軍の尋問調書が収められているのは、他ならぬ米国立公文書館である。調書の「序」にわく「慰安婦は売春婦、Professional camp followerにすぎない」と。 
<br /> 　しかしオバマ大統領にとっては真実など意味もなく、同盟国である日本を韓国と共に貶めることなど、蚊を叩く程度のことなのだ。と、そう私は唐突に思い知ったのだった。 
<br /> 　 <br />　安倍総理の靖国参拝にアメリカが「失望した」と言ってきた時に、すでに違和感はあった。東京裁判の開廷者であるアメリカが、Ａ級戦犯の何たるかを知らぬはずもなく、要するにでっち上げの戦犯であり、日本が勝っていれば、アメリカに戦犯が大量に生まれていただけのことだ。しかし私は、芽生えた不審の念に視線を当てることを避けた。アメリカを敵に回したら、防衛の要である日米同盟が壊れ去る、と潜在的恐怖心があったのだと思う。加えて、パブロフの犬的調教として、日教組、そして当時はＧＨＱのコントロール下にあったＮＨＫなどから、戦後七十年弱かけて刷り込まれていたのであろう。「アメリカ様に逆らってはならぬ」と。逆らえば餌をもらえず、叩かれるのだ、と。 
<br /> 　しかし、いともあっさり韓国に寄り添い日本を足蹴にしたアメリカ大統領に私は、悟らざるを得なかったのだ。親米保守であった私の足元が瓦解した瞬間であり、「鞭」の存在に気づいた瞬間であった。日本の頭上に常にふりかざされていた、アメリカの鞭である。この鞭は、日本が歴史の真実、つまりはアメリカが世界に知られたくない事実を日本人が知り始めた時、まず威嚇のために床にピシリと鳴り、日本が自立しようと立ち上がった時は脳天に振り下ろされる鞭である。それと共にＮＨＫも、民放のある番組も新聞も、いまだ戦時下のプレスコードを抜け出していないという現実に私は息を呑んだ。日教組も、彼らが実質作る教科書も、時には入試問題さえ、日本毀損と弱体化のいまだ道具である。 
<br /> 　オバマ大統領はあろうことか、東京大空襲の「ドーリットル爆撃隊」の隊員に、 議会最高位の勲章を授与する法案に署名した。日本各地の大空襲では無抵抗の赤ん坊や、小学生まで含めて民間人計三十三万人が空襲で殺された。原爆と合わせると七十七万人の非戦闘員が命を落としている。ドーリットル爆撃隊への授章理由は「傑出した勇気」だそうだ。 
  <br /><br />　中韓の執拗な日本攻撃と反日の源流はつまるところ、東京裁判と、ＧＨＱの日本弱体化政策に帰する。思えば、進駐軍が日本のマスコミにかけた規制「プレスコード」には、連合軍への批判禁止に加えて「.朝鮮人への批判」と「中国への批判」があったではないか。わざわざ「朝鮮人」と特定して批判を禁じた意味を日本人は考えるべきであろう。在日優遇または犯罪お目こぼし政策は、彼らを自己増殖するトロイの木馬として日本に埋め込んでいったということではないか。「朝鮮進駐軍」容認がその一例である。差別的見地で言うのではない、歴史の実相を直視するところから始めぬと、日本の進むべき道が見えて来ぬ。日本人として戦った朝鮮の人々を、日本の被害者として置き換えたのも、ＧＨＱの力技ではあった。 
<br /> 　奴隷使役国の誹りを世界から受けぬために、アメリカは自国以上の悪者に日本を仕立てる必要があった。日本には奴隷制の歴史はないので、でっち上げたのが朝鮮半島の「植民地化」呼ばわりであり、人々を奴隷にしたというフィクションが、しかし東京裁判でノンフィクションとしてすり替えられた。インディアンを殺戮し土地を奪い、奴隷をこき使い、苦力を牛馬のように扱ったのはアメリカである。ハワイ王国の滅亡もアメリカによる。
 <br />　日韓併合は白人たちの概念にある植民地には該当しない。圧政と搾取が植民地であるが、日本が行ったのは合邦である。韓国の近代国家への礎を作ったのは日本である。
 <br /><br />　先の戦争の大義は、それまで白人が有色人種を動物扱いで使役、暴利を貪っていた世界を一気に日本が突き崩し、世界の悪しきパワー・バランスを壊したことにある。日清日露の勝利は、白人たちにとっては黄色い猿が仰天すべきことをやってのけたということであり、彼らは憎みかつ怯えたのである。知力を備え文化さえ持った「猿の惑星」の猿を呆然と見つめ、そして我に返った彼らは猿を叩き、再び立ち上がれなくなるよう手足を折ったのである。 <br />　 <br />　占領軍の検閲対象の一箇条に「ＧＨＱが日本国憲法を起草したことに対する批判」というのがあることに留意されたい。これは語るに落ちる話であり、昨今憲法改正について緒論かまびすしいことであるが、連合軍がプレスコードという形で、はからずも告白しているではないか。日本弱体化のために我々は日本国憲法を起草したのだ、それゆえ批判することまかりならぬ、と。
 <br />　となれば、日本が自立した国家たらんとするなら憲法改正は避けて通れぬ道であるということである。
 <br />　「プレスコード」には次の条項もある。「占領軍兵士と日本女性との交渉」を報道してはならぬ、と。交渉とはおそらく米兵による日本女性の強姦をも含む。これは多かった。ここに思いを致す時、私は米兵たちのレイプ頻発を防ぐため、性の防波堤となり、日本全土のあちこちに横たわった無数の「お吉」たちの顔が浮かぶ。生活苦から慰安婦を志願した女達もいるだろうが、彼女たちが身を挺してアメリカ兵たちを受け止めてくれたからこそ、強姦の発生件数が抑制されたのである。
<br /> 　連合軍にはわずかの豪州、英国の兵もいたが、圧倒多数はアメリカ兵だったのだから、「アメリカ兵」と一括した呼び方も許されると思う。
 <br />　日本に進駐したアメリカが、まず要求したのは慰安所の設置だった。各地にそれは要求され「千葉公文書」として知られる史料には、昭和二十年九月五日、館山に上陸した米軍第一一二騎兵連隊相手に、慰安所が設置された詳細が記されている。
 <br />　そのことを憤るほど私は偽善者ではない。異性から長く遠ざかった若い兵士たちが、どれほど猛り立っているか、動物としてのオスの衝動である。これを、率直に認めないから清教徒の多いアメリカの、きれいごとの嘘がものごとの本質を歪める。日本に設けられた慰安所は「余暇・娯楽協会」とアメリカ風美名で呼ばれたが、売春宿である。アメリカ軍は公には売春施設を認めない。だから、なかったことにする。シカゴ・サン紙特派員マーク・ゲインは慰安所を「米軍を腐敗させようとする日本の謀略。その武器は酒と女で、目的は占領軍の士気と占領政策の破壊」とすり替え、占領期間中米兵による日本人殺害毎年平均三五０人。一０００人以上の婦女子暴行（調達庁調べ）には触れない。一０万人が亡くなった東京大空襲は「死者六千人」と縮小。なんという偽善と嘘。外国特派員協会はＧＨＱの情報発信基地だったが、その体質はいまだ生きている。 
<br /> 　「余暇・娯楽協会」はやがて封鎖される。ルーズベルト夫人の反対が原因であるが、彼女の「清らかさ」ゆえに、巷では再び強姦が増え、一般の日本女性が犠牲者になったのである。
 <br />　私が、大勢の無名のお吉たちに対して悲しみと憤りを感じるのは、身を挺して日本女性の貞操を守った彼女たちの犠牲を無視、アメリカは自らの手は汚れてはいないとして、日本を一方的に打ち据えるからだ。日本女性への狼藉を防ぐために、日本各地で横たわった大勢のお吉たちは、何のために払った犠牲であったのか。アメリカは、その時そこにそんな日本女性たちがいたことを見ようともしない。いや、いなかったことにしてしまったのである。私はそれを許さない。彼女たちの墓碑銘は私が刻み続ける。 
<br /><br /> 　日本人は、やったことは、やったと言う。時にはやってもいないことをやったとさえ言ってみせる。河野談話がそれである。善人が自縄自縛で苦しむ姿が日本である。神道にベースを置く日本の精神性は「直き」を善しとし、正直を旨として、いつまでも相手の非にはこだわらぬ。水に流し、恩義には恩義で報いる。いかに大空襲と原爆で非戦闘員を虐殺されようが、同盟国に蒸し返し言い立てはしない。その平明さが日本人である。しかしアメリカ人は、というより外国人は異なる精神性の持ち主である。自らの益と非の隠蔽のためには、顔色も変えず相手の寝首をかく。それを言い立てても仕方がない。日本人の思考と感性で外国と向き合わぬことである。外国は腹黒く不正直であると思い知ろう。 
<br /> 　言うも気恥ずかしい初歩のセオリーであるが、しかしその初歩を戦後六十九年間怠って日本は現在のていたらくである。韓国と中国の二重の反日包囲網を更に、アメリカの「反日」が取り囲む。黄色い猿は優秀で、幾つかの幸運はあったにせよ戦後の焼け野原からあっという間に立ち上がり、経済大国となった。ならばカネをむしり取ってやれというわけで、中韓への理不尽なＯＤＡ、国連へ実権を与えられぬままの出費、などなど金銭面での弱体化が試みられるが、それでも日本はしぶとく、またぞろアメリカは日本殴打を再開、その一環がアンジェリーナ・ジョリの反日映画「UNBROKEN」であろう。日本軍が生きたまま、捕虜の肉を食らったというストーリーで、 これは特派員協会の会員であったＮ・Ｙタイムズのニコラス・クリストフという男が「日本兵が中国人の子供を殺して肉を食った」書き散らした捏造と軌を一にする。 ちなみにクリストフの妻は中国人である。 ハリウッドは間歇的に日本貶め映画を市場に出す。だが日本人は、アンジェリーナ・ジョリの来日にファンが群がり、ＧＨＱがwar guilt information programに託して刷り込んだ、自虐史観と侮辱に鈍感な感性はいまだ機能している。アメリカが日本人に為したのは、神道の事実的追放である神道指令、学校教科における修身・日本史・地理放逐の「三科指令」であり、日本人はこれにより民族の誇りを抜き取られて現在に至る。言霊の幸わふ瑞穂の国から、その豊穣で美しい言葉が絶えつつある。言葉が痩せることはすなわち国の精神性の貧困を意味する。男系で百二十五代続いた天皇陛下を国の要としつつ、四方の海の要塞に守られて育まれた固有の文化を大事にしたい。言葉を守ることは防衛なのだ。 
<br /><br /> 　朝鮮戦争時における米兵相手の元韓国人慰安婦が韓国政府を相手取って訴訟を起こしたのはこの六月のことであるが、朴槿恵大統領もアメリカも内心頭を抱えたのではないか。慰安所を開いたのは、皮肉にも朴槿恵大統領の父上である朴正煕・韓国元大統領であり、慰安婦を抱いていたのはアメリカ兵なのである。韓国は韓国でベトナム戦争の時、現地女性を「性奴隷」として虐待殺戮の事実がある。
<br /> 　いったい、誰が日本を打つ白い手をしているというのか。日本の慰安所は合法で規律正しかった。ちなみに、 一説によると 進駐軍相手には「慰安夫」もいた。（『戦後の日本を知っていますか？―占領軍の日本支配と教化』百瀬孝監修）昭和二一年、名古屋は松坂屋の近く、焼け残った木造アパートに身体検査に合格した数人の若者が集められ、アメリカ女性兵の相手を したとされている 。売買春を、短絡的に女性の人権論に話をすり替える人たちが絶句すると思うので敢えて書いた。安倍政権による河野談話の見直しで形勢不利になったと見るや、韓国は「女性の人権論」に論点を置き換え、慰安所に日本軍が関わっていたと責めているが、売買春がさほど悲惨なら、日本に五万人いる売春婦（韓国・国会国政監査発表）を、早急に救い出しに来て欲しいものである。韓国が売春大国であることは「韓国女性政策研究院」が調査の上で、認めている。 
<br /> 　 <br />　私の地元下田の唐人お吉を連想させるため、そしてまた慰安婦問題はライフワークだと思い定めているのでその記述が多くなったが、慰安婦は突出してわかりやすいアメリカ側の負の記号なのである。アメリカは現実を認めるべきだ。日本だけではない。ノルマンディーに上陸したアメリカ軍に対して、ル・アーヴル市長が慰安所の設置をアメリカ軍に懇願したが、軍はこれを拒否。その結果「往来をアメリカ兵たちによる強姦に遭遇せずに道を歩く事はできない」と言われるほどレイプが頻発したのである。 
<br /> 　アメリカよ、自らの汚れた手を見よ。その手で日本を撃てるなら撃て。バイブルに手を添えて宣誓する時の潔白さで、慰安婦問題には向き合え。日本は自らと、祖父と父の名誉を懸けた戦いである。これに負けるわけにはいかぬ。 
<br /><br /> 　対中国があり日米同盟は必要だが、しかしアメリカもまた日本を必要としている。過度の依存とそれ故の過剰な謙虚さは、長い目で見れば結局日米関係を損ねる。まずアメリカが礎石を置いた中韓の重層的反日の構造を把握しないと、それへの対抗策を見出し得ない。結論を先に述べるなら、安倍総理の戦後レジウムからの脱却が急務で、そのためには憲法改正が必須。自衛隊から国防軍ヘの昇格を。それを即戦争と結びつけるのは幼稚である。日本が侵略したい国など、世界のどこにもありはしない。そこからの侵略から守りたいと思う国ならある。 
<br /> 　 <br />　しかし東京裁判史観からの脱却に、政府レベルでは限度があるのではないか。たとえば、安倍政権の河野談話見直しは、韓国（とアメリカ）に痛打だった。それならなぜいっそ、談話を破棄するなり河野洋平氏を国会喚問せぬのだろう。後者は「前例がない」という納得しがたい理由で、呼ばぬという。 
<br /> 　ひょっとしてアメリカへの慮りであり、またアメリカからの「圧力」ではないかと、穿ってしまうのだ。明らかなことは唯一つ、何らかの理由で、政府が米国に対して及び腰であることだ。ならば、民間で立ち上がり声を上げるしかないではないか。いかなアメリカとて、国民の声までは封殺できぬ。政府を頼むな、自ら立ち上がり戦え。一部が怯える如き「ナショナリズムの復活」などではない。自力で立ち、自分で身を守れる普通の国になろう、と言っているだけのことである。 
<br /><br /> 　具体案は幾つかあるが、たとえばアニメの製作。題材はこれもたとえばヨーコ・カワシマ・ワトキンズの「竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記」。この製作委員会を民間で立ち上げ、寄付を募る。その行動自体が大きな問いかけになろう。日本の汚名をそそぎ、真実を世界に伝えるに日本のアニメ技術と人気を使わぬてはない。尖閣であれだけのお金が集まった。映画がヒットすれば、回収は出来る。利益が出ればそれと合わせて、次のアニメ制作を企画する。具体的腹案は割愛するが、私は動いてみようと思う。 ]]></description>
   <category>従軍慰安婦問題</category>
   <dc:date>2015-04-04T23:28:03+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/83808207ede990a280173265b21e4e38</guid>
  </item>
  <item>
   <title>５００年の侵略史にピリオド。</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/3be933e61dbbd3fb5e39017c1b0020cf?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<a id="blogTitleAnchor" href="http://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cDovL2Jsb2dzLnlhaG9vLmNvLmpwL3BhbmRhNDE0MTUxNTEvMTMwNTA5MTYuaHRtbA--">■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記</a>からの優生思想に関する記事の最後の転載です。
この一連の記事で、想像以上に残酷な歴史を知り、驚きです。愛を説くはずのキリスト教も、イエスの教えとは真逆の現地人から富を搾取するための手段に使われ、奴隷を当り前のように認めていたのですから、彼らにとって、キリスト教とは一体何なのだろうと思わずにはおれませんね。
大熊氏が、生命を線引する行為が戦争だと言われていますが、たしかにそうです。殺してもいい命とそうでない命に線引するところから、人類の潜在意識に戦争の元になる考えが育っていくのではないでしょうか。だからこそ、氏は、おなかに宿る子供を親の都合で、殺しても良い胎児として線引する思想から、日本人を脱却させようと努力しておられるのです。どんなに小さい命でも、命は物ではないのです。年間１００万も２００万も胎児を殺しているなんて、異常ではないでしょうか。
白人至上主義がアメリカ大陸のインディアンやインディオをほとんど絶滅させた数にも驚きますが、それと同じ程の殺戮が、本当は母親のお腹の中で行われているのです。戦後累積堕胎数は一億以上とも言われます。現在の医学で観察された結果、おなかの中で、胎児は恐怖で必死に逃げようとしていることがわかっています。心拍数も異常にはね上がって器具から逃れようとします。その器具は、胎児の柔らかい体を引きちぎるように小分けにして引きずり出します。これが虐殺でなくて何でしょうか。 
参照　<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/63109682.html">赤ちゃんは中絶されるときに恐怖で逃げる。 </a><img class="spriteNew" src="http://i.yimg.jp/images/clear.gif" alt="[NEW]" width="28" height="11" /> 
 
 

<p> </p>
<a class="userDefTextLink" href="http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/GALLERY/show_image.html?id=13050916&no=0"><img class="popup_img_300_300" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/16/13050916/img_0_m?1427005979" alt="イメージ 1" width="300" height="300" /></a>
 
 
 
 
<a class="userDefTextLink" href="http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/GALLERY/show_image.html?id=13050916&no=1"><img class="popup_img_240_264" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/16/13050916/img_1_m?1427005979" alt="イメージ 2" width="240" height="264" /></a>
 
 
  

 
 いのちは例外なく尊い。 

 
 
下記、コピペしましたが
興味のある方は検索して御調べ下さい。

 
ポルトガルのジョアン三世が1530年より前の時点で、異教徒に対して戦争しうる条件について一法学者に諮問したのに対して答えた文書「いかなる原因により異教徒に対して正当戦争を行うことができるか」の中で次のように述べている。
 
 
 
イスラム教徒やトルコ人
<p> </p>
これまでキリスト教徒の国土を不当に占拠し領有していたのであるから、彼らに対して行ってきた、また今後行うであろう戦争は正当である。
 
<br />東洋各地やブラジル
 
<p> 救世主は未信徒を改宗させ、霊魂の救済を行うように命じ、自己の利害をかえりみない宣教師を派遣したので、彼らは布教地で優遇を受ける権利がある。彼らの言に耳を傾けなかったり彼らを迫害した者に対する戦争は正当である。 </p>
 
<br />アメリカ大陸の原住民
<p> </p>
<p>布教事業を妨害も圧迫もしない人々についてだが、彼らは自然法に反する重大な罪を犯すような野蛮な悪習を守り、それをやめようともしない。こういう者の土地を占拠し、武力で彼らを服従させる戦争は正当である。 </p>
<br />ローマ教皇の勅書を支えた理論的根拠がこれであった。ここには人類が神の名において別の地域の人類を支配し、奴隷化することが許されているという審判の思想が存在する。
<p>  </p>
 
先住民の領土征服の手口
 
 
残念なことに、近世500年は、白人が世界中の有色人種の土地を侵略し征服する歴史であった。
<p> </p>
<br />白人征服者は、まず鉄砲と十字架をもって上陸、まず小高い岡に十字架を立て、神の名によってこの地を白人本国国王の土地と宣言した。
<p> </p>
  
後述するように(英雄と言われているコロンブスの日記)現地の人々の宝物を奪い、反抗する者は鉄砲で容赦なく無差別に殺戮した。まず、先住民に出会った時にこの先住民は「(奴隷として)高く売れるかどうか」見定めたと言う(戦後教育で親米の教育を受けた私たちである。これらの記述は私たち日本人が見てもショックである。)こうして自分たちの領土としたのである。これらの手法で小さな島々だけでなく、広大な南北アメリカ大陸、オーストラリア大陸、ニュージーランド、アフリカ大陸も白人の支配地に組み入れてしまった。
<p> </p>
しかし、インド、支那、日本などは16世紀には白人に寄港地や居留地を許した程度であるのに、なぜアフリカ大陸、南北アメリカ大陸、フィリピンなどはさしたる抵抗もなく武力制圧され、完全支配を許したのであろうか。
 
＜これは原住民の文化と歴史の厚みの差、宗教的発展段階の違い、日本や支那における宗教に対する政治の優位、西欧に届いていた東アジア文明優越の情報、インドから東南アジアへかけてのイスラム勢力の壁などが考えられるが、決定的なことは軍事的抵抗力であった。日本と支那は十九世紀初頭まで西洋を寄せ付けなかった。＞(大熊：そうか・・それで谷口雅春先生は、真の国際平和を祈りつつも、上っ面な「反戦平和主義」に警鐘を鳴らし、独立を守れる武力確保の強調をされていたのだ。)<br />
 
ポルトガルとスペインは、日本と支那の武力征服を企てていた。ただ、支那のほうが征服しやすく、日本は手ごわいとみていた。
<p> </p>
<br />宣教師は熱心に支那征服の容易なる所以を本国政府に説いたが、たとえばスペイン国王フェリペ二世は慎重策を命じた。
<p> 特に北米大陸とオーストラリアは、大昔から住んでいた原住民を抹殺して、ヨーロッパ白人だけの占有地にしてしまった。なかでも「白豪主義」ほど身勝手な宣言はなかった。 </p>
 
 
 
 
 
世界植民地侵略戦争
 
 
近世500年は、白人は世界中を迷惑な植民地戦争に巻き込みヨーロッパ国内ではそれに連動するかのごとく、百年戦争、三十年戦争、七年戦争など、白人同士の争いが延々と繰り返された。
 
 
植民地侵略者の白人がヨーロッパにおいて殺し合いをするのは(奪い合いで戦うのだから)自業自得の面もあるが、平和な生活をしていただけなのに、一方的に(宣戦布告もせずに、全て(民族の誇り・土地・金・産物・女性・労働力・歴史)を)奪われたのはアジア人。アフリカ人たち、土着の先住民である。
<br /> 
イギリスは、その数百年に及ぶ白人の世界植民地侵略戦争の勝利者となったわけだが、それは第一次世界大戦へと結びつく。
 
 
白人の世界制覇植民地化
 
 
近世白人の白人の世界制覇植民地化、人身売買奴隷化は人類史上、人道上の最大の犯罪ともいえる。
 
にもかかわらず現在まで世界をわがもの顔で闊歩している白人は、この大犯罪を反省することもなければ、謝罪する気配もまったくない。
<br />日本では早くから西洋野蛮論を唱えた達人がいた。それは明治維新の元勲の一人西郷隆盛である。 
 
 
 
<br />
ラス・カサス報告書
 
 
白人のアメリカ到達以来の、先住民に対する白人の残虐無法ぶりを見て、たまりかねて非を内部告発した者がいた。コロンブスと同時代のスペイン人、ラス・カサスであった。
<br /> 
聖職者だったラス・カサスは、キューバ島で広大な拝領地（エンコミエンダという）の住人として、物質的利益の追求をしていたが、回心してスペインに戻ってきた。彼はインディオの虐待を見て、自国の植民地政策を痛烈に批判し、スペイン国王に報告書「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を送ったのである。
<p> <br />その報告書でラス・カサスは、搾取と原住民の殺戮が日常化している植民地の実態を暴露した。</p>
<p>詳細はこのページが参考になります。</p>
 
 
1552年にこの報告が公表されると、教会、政治家、商人たちからラス・カサスに対して非難が集中した。彼らはラス・カサスを「恥知らずの修道士」「狂信的で邪心ある司教」などと指弾し、報告が暴露した大虐殺の事実を覆い隠そうとした。
<br /> 
 
スペインと対立関係にあったオランダ、イギリス、フランスではこの報告書は翻訳されて広く普及した。これらの国は、インディオに対する人道的立場からではなく、敵国であるスペインの非人道、残虐行為を宣伝するために利用しただけである。
 
 
 
日本でこの報告の翻訳が出たのはなんと昭和51（1976）年だった。長い間日本の西洋史学界が、ヨーロッパ人の歴史の暗黒面を暴くことにおびえていたのだ。 
 
 
 
<br />「インディアスの破壊について簡潔な報告」　
　　ラス・カサス著　　　(岩波文庫)<br />過日の旅スケッチ「神秘の世界遺産を巡るペルーの旅」最後に、こんな感想文を綴った。
 
 
この神秘のインカ帝国を金銀略奪のみを目的に、皇帝を殺し、人民を奴隷化したスペインの残虐行為。
 
 
 
 
 
　当時残酷なスペインの略奪行為を怒り、スペイン国王へ直訴した一人のスペイン神父がいた。神父の名はドミニコ会ラス・カサス。彼のスペイン征服者糾弾の文章は岩波文庫によって、今も生々しく読み取ることが出来る。
 
 
 
 
「彼らは、誰が一太刀で体を真っ二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を切り落とせるかとか、内臓を破裂させることができるかと言って互いに賭けをした。彼らは母親から地乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたりした。またある者は冷酷な笑みを浮かべ、幼児を背後から川へ突き落とし、水中に落ちる音を聞いて、「さあ泳いでみな」と叫んだ。
 
彼らはまたほかの幼児を母親もろとも突き殺したりした。
 
 
 
スペイン人たちから逃げ延びたインディオたちはみな山に籠もったり、山の奥深くへ逃げ込んだりして、身を守った。
 
するとスペインキリスト教徒（ここでは、神父のキリスト教に対する覚めた目が光っている。）たちは彼らを狩り出すために猟犬を獰猛な犬に仕込んだ。犬はインディオを一人でも見つけると、瞬く間に彼を八つ裂きにした。また犬は豚を餌食にする時よりもはるかに喜々として、インディオに襲いかかり、食い殺した。こうして、その獰猛な犬は甚だしい害を加え、大勢のインディオを食い殺した。（本書インディアスの破壊について簡潔な報告２７ページより転記）」
 
 
 
しかし、この内部告発糾弾書は、ラス・カサス神父から国王に提出されたものであるが、印刷という書式をとったため、これは当時スペインと戦争中であったオランダによって即時オランダ語に翻訳されオランダ国内で読まれ、続いて英仏はじめ各国語に翻訳され、スペインは各国から強い国際非難を浴びた。スペインはとうとう本書「インディアスの破壊について簡潔な報告」を、発行禁止の国禁書にし、神父に対して、スペイン侵略者たちは、国を売る神父として多くの弾圧が加えられた。
 
 
 
  
スペインの残虐非道を告発した一人のスペイン神父がいた。彼のスペイン侵略者の残虐行為の勇気ある実態告発を是非一度岩波文庫で読んで頂き、どの時代にも、良心の声を守りとおして生きた人がいることも知って頂きたい。人間は、心の内なる声によって生きていく人にこそ、本当に素晴らしい人生を生きることができる。<br /><br />
 
 
<br />キリングフィールド
 
 
毛沢東親衛隊の指導を受けたクメール・ルージュのポル・ポト派は、1975年(昭和５０年)にカンボジアの首都プノンペンを制圧すると、都市住民をことごとく農村への強制移住させた。そして貨幣のいらない理想的原始共産社会を作ると称し、邪魔になる知識層の殺害を開始した。ポル・ポトは毛沢東の最も忠実で実行力ある弟子だった。カンボジアの人口800万人のうち、約250万人を殺戮した。
 
 
この大虐殺を支那共産党政府が背後で指導していたことが世界に知られると、支那は突如として日本軍の南京大虐殺説を持ち出した。終戦から三十年後のことである。米国も、原爆と、東京大空襲などの無差別殺人から「世間の眼をそらせるべく」南京大虐殺説を黙認。日本が謝罪側にあることを「よし」としている背景がそこにあるのである。
 
 
 
なお、ポル・ポト支配下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡のこと「キリング・フィールド」という。 
 
 
黄金の国ジパング(日本)
 
コロンブスは、黄金の国ジパング(日本)に憧れインドを目指して「アメリカ大陸」に到達した。その後のネイティブアメリカン(先住民)は、インドの人(インディアン)と呼ばれて殺戮された(推定５千万人～１億人)。人類史上最大の大虐殺である。
 
下記の資料を観て戴きたい。彼(コロンブス)の「先住民から何を奪えるかという打算に満ちた航海日誌」が残っている。大変ショックである。
 
黄金の国ジパングと呼ばれた「日本」に行きついていたらどうなっていただろうか。おそらく日本は侵略されたであろうし、日本の歴代の治世者もそれを意識したであろう。まず、キリスト教を布教する。優しく恩を着せて、対立させて紛争(内乱)を起こさせて「占領する。」そして奴隷化する。
 
ウィキペディアより(コロンブス)
「私(コロンブス)がインディアに到着するとすぐに、私が見つけた最初の島で、彼ら原住民（アラワク族インディアン）たちに、私に差し出さなければならないものがこの品々の中にあるのかどうか教え込むために、私は力ずくで原住民の何人かを連行した。」(日記)
 
「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。 彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた。」(日記) 「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して『いいえ』と言わない。逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した。」 
(日記)

 

国王に調査報告を終え、少しばかりの援助を求めたコロンブスは、次の航海目標としてこう述べている。

 
「彼らが必要とするだけのありったけの黄金…　彼らが欲しがるだけのありったけの奴隷を連れてくるつもりだ。このように、永遠なる我々の神は、一見不可能なことであっても、主の仰せに従う者たちには、勝利を与えるものなのだ。」 行く先々の島々で、コロンブスの軍隊は、海岸部で無差別殺戮を繰り返した。まるでスポーツのように、動物も鳥もインディアンも、彼らは見つけたすべてを略奪し破壊した。   コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。コロンブスの襲撃戦略は、以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった。  
コロンブスが願い通り、「日本」に行きついていたら「日本人」が、インドの人(インディアン)と呼ばれて殺戮されただろう。その延長線に「日清・日露」「大東亜戦争(太平洋戦争)」があった事を忘れてはならない。
 
　　　　↓(クリック)
 
<a class="userDefTextLink" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%B9" rel="nofollow" target="_blank">コロンブスの大陸発見について</a>
 
 
 
 
 
 
ここ数日書いた内容は、ことさらに大衆の目にさらさなくてよい。
 
他国の恥ずかしい過去になるからだ。
 
私たちの人類共通(人類という家族)の「恥ずかしい歴史」であり、兄弟姉妹の、こころの痛みである。ということは私たちの歴史でもあり、私たちの痛みなのだ。このような心を「仁」という。日本の歴代の天皇陛下が最も大事にされた「大御心」である。
 
この「仁」があれば「優生思想」は流行しないだろうし幅を利かすこともないのである。「真の平和の心」である。
 
 
戦争に本当の「正義」などはない。ひとりの犠牲もあってはならない。
 
戦争とは、迷いと迷いが「ぶつかり合い」「瓦解する」姿ではある。だからこそ、中絶という「自分中心」の「胎内殺人(マザーテレサ言)」を無くさなくてはならないのである。こころの戦争(殺人)の延長にあるのが「国家間の戦争」であるのだ。また・・・
 
　かの大戦＜(１)日清(２)日露＞＜(３)大東亜戦争＞が、このような「優生思想」に対する「戦い」の側面があることを知らない世代に、言いたい。
 
安易に、真実を知らぬが故に
素晴らしき先祖の名誉を汚すなかれ。
 
今年は終戦７０年である。
 
私たちは清く正しく
美しくあらねばならぬ。
 

人間のいのちは
　　　皆、尊いのです。
 
 
　いのちに線引きすると言う
　　　発想が「戦争」なのです。
 



 



 



<a class="userDefTextLink" href="http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/GALLERY/show_image.html?id=13050916&no=2"><img class="popup_img_600_800" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/16/13050916/img_2_m?1427005979" alt="イメージ 3" width="560" height="747" /></a>



 



 



 


]]></description>
   <category>優生思想</category>
   <dc:date>2015-03-26T12:58:56+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/3be933e61dbbd3fb5e39017c1b0020cf</guid>
  </item>
  <item>
   <title>５００年の侵略史から目を背けるな。</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/448b85b4536b1deb3a770b1f1d237634?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p>優生思想シリーズの三回目です。このシリーズは５回と書きましたが、４回で終わりのようです。</p>
<p> アメリカ大陸の文明と先住民が白人によって滅ぼされたことは知っていましたが、ここに書かれたその残虐性は、驚くものでした。原住民を人間とはみなしていないから、これほどのことができたのだという話ですが、日本人からすれば、人の姿をしたものを人間とみなさないことにも驚きますが、たとえホントの動物に対してだとしても、残虐なことはできなかったでしょう。</p>
<p>白人種は、神に似せて作られた人間が他の動物を支配するようにと神から言われたとする旧約聖書を、人間の好き勝手にする権利だと解釈しました。その傲慢な考え方と比べて、日本人は自然のもの、山、川、湖、さらには動物まで、神として祀っています。食物さえ、手を合わせて、いただきますと拝んで食べる日本人です。大量虐殺が、日本人にできるとは思えません。</p>
<p>アニミズムなどと幼稚な低い宗教性であるかのように言われたこともありますが、古来から日本人は命の尊さを深く感じ取っていたのではないでしょうか。</p>
<p>だからこそ、南京大虐殺など、実際の証拠は何も出てこないのは、当たり前のことです。</p>
<p>日本でも歴史上殺し合いの戦いはたしかにありましたが、そうした対等の戦い方と、弱いものを虐殺するのとは違います。</p>
<p>戦後の敗戦国に押し付けられた戦勝国のプロパガンダ的な史観、欧米中心の歴史をきちんと検証し、そこから脱却して、是は是、非は非として、正しく見直すべき時だと思います。</p>
<p> </p>
<p><br /></p>
<p><a href="http://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cDovL3Jkc2lnLnlhaG9vLmNvLmpwL2Jsb2cvYXJ0aWNsZS90aXRsZWxpbmsvUlY9MS9SVT1hSFIwY0RvdkwzSmtjMmxuTG5saGFHOXZMbU52TG1wd0wySnNiMmN2WVhKMGFXTnNaUzkwYVhSc1pXeHBibXN2VWxZOU1TOVNWVDFoU0ZJd1kwUnZka3d6U210ak1teHVURzVzYUdGSE9YWk1iVTUyVEcxd2Qwd3lTbk5pTW1OMldWaEtNR0ZYVG5OYVV6a3dZVmhTYzFwWGVIQmliWE4yVld4Wk9VMVRPVk5XVkRGb1UwWkpkMWt3VW5aa2EzZDVVMjVPYVUxdFVqWlVSelZ6WVVkR1NFOVlXazFpVlRVeVZFY3hkMlF3ZDNwUmJXaHBZbFpLYjFSclVrWk5SVEZWVmxob1QxWkZWakpVVmxKT1pEQTFWVkZVVms1U1IyUXhXVlZvVTJSSFNrSk1VekF0" rel="nofollow">(３)５００年の侵略史から目を背けるな。</a></p>
<p><br /></p>

<p> </p>
<p> </p>
<p>いのちは例外なく尊い。</p>
 
 
下記、コピペしましたが
興味のある方は検索して御調べ下さい。
 
 
 

 
<br />20世紀初頭にセオドア・ルーズベルト政権は軍部に対し、近い将来に国際戦略で利害が対立するであろうと予想される国々との戦争シミュレーションを立案させた。
 
軍部は仮想敵国を色で区分しそれぞれとの戦争作戦を立案した。これは「カラープラン」といわれるが、日本は色が「オレンジ」に区分されたことから「オレンジ計画」の名が付けられた。
 
その他では、ドイツは黒、イギリスは赤、フランスは金というように色分けされていた。
 
 
 
日露戦争で日本がロシアに勝ったためにアメリカは日本に恐怖心を抱いてしまったのだ。アメリカは桂・ハリマン仮条約破棄により、日本は支那大陸にアメリカを入れない、日本は支那大陸を独占するつもりだ、などと思い込んだ。こうして支那大陸に進出し、アジアにおける領土を拡大したいと目論むアメリカは、日本を疎ましく思い始めた。
<br />これが白人諸国ならまだ許せた。実際、当時の支那の大部分はイギリス、フランス、ドイツ、ロシアが押さえていた。
 
ところが、ロシアが押さえていた遼東半島に、日露戦争によって突如、日本が入ってしまったため、アメリカが嫉妬し始めたのだ。有色人種である日本が自分たちより先に支那大陸に拠点を気づいていることが我慢ならなかった。
 
 
 
アメリカは日本を仮想敵国として想定し始めた。オレンジ計画の内容は一変し、日本を打破する具体的な戦術が盛り込まれたのである。
 
 
オレンジ計画(獣人計画)
 
　民族の尊厳と誇りを消す計画　
 
(自国の歴史を軽蔑させて
　　アメリカに憧れる戦後の歴史教育)
 
御参考(小学生で堕胎が続発)↓クリック
 
<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/62866988.html" rel="nofollow" target="_blank">http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/62866988.html</a>
 
<br />まず、アメリカはまず自国に太平洋艦隊がないということに気づく。そして、日本が太平洋を渡ってアメリカに攻め込んでくるのではないかと妄想し、すぐに軍艦を作り始めた。また大西洋の艦隊を集結して日本を訪問させ、自国の海軍力を誇示する行動に出た。
 
 
 
　 白船事件（1908年）
 
その後修正された「オレンジ計画」には、日本の都市を爆撃することや、沖縄を占領することなどの戦略が練られていた。このころから、アメリカは日本との戦争を現実的な問題として考えていた。
 
 
 
明治41年（1908）3月、アメリカは突如として対日威嚇行動に出た。アメリカ大西洋艦隊を大挙して太平洋に回航させ、日本近海に近づけるという行動に出た。日本の連合艦隊の2倍の規模もある大艦隊の接近は日本に恐怖をもたらした。
 
船は白いペンキが塗られていたのでかつての黒船と区別して「白船」と言われた。
 
<br />もともとはセオドア・ルーズベルトにとっては、このまま太平洋をほおっておくと、ロシアのバルチック艦隊を破った日本艦隊が覇権を握ってしまうと恐れたための威嚇行動であった。アメリカの海軍力を誇示することで、日本を牽制したのだ。<br />
 
アメリカのハースト系新聞その他は、日本軍がこれを迎え撃った場合は大戦争が始まるということで、世界に一斉に恐慌の報道を流した。
<br /> 
日本政府とマスコミは白船歓迎作戦に出た。迎合作戦が成功し、何事もなくアメリカ艦隊はサンフランシスコへ去っていったが、その2週間後、日本の連合艦隊は九州の東南沖で大演習を行なった。警戒を怠らなかったのは当然である。
 
 
・・・備考・・・・
 
 
<br />アステカ帝国滅亡（1521年）
 
1519年、白人（スペイン人）のコルテスがペラクルスに上陸するとインディオたちは手厚く迎えた。
 
アステカ皇帝は黄金製の宝物で歓迎した。白人はこの宝を略奪してヨーロッパに帰国すれば大金持ちの英雄になれると考えた。コルテスらは部族同士の争いに乗じ、アステカ皇帝に反抗する部族を手なずけ活用するという常套手段でアステカ帝国を滅亡させた。
 
当時、原住民たちは銃どころか、鉄鉱製の剣すらなかった。馬もなく、訓練されたスペインの兵士に勝てるわけがなかった。コルテスは近代兵器で首都を攻撃、アステカ皇帝を捕虜として衆人の前で殺害した。
<p> <br />コルテスのアステカ帝国征服はヨーロッパに伝えられ、ヨーロッパ人の武器と勇気と技術の勝利と称賛された。</p>
<p> これが動機となり、ヨーロッパ人の新大陸侵略、略奪の夢を駆り立てることとなった。</p>
<p> </p>
インカ帝国滅亡
 
現在、アンデスの町々の街頭で子供をあやしながら手芸品を売ったり、物乞いをしている、山高帽をかぶった小柄なインディオの女性を見かけるが、彼女らが生き残ったインディオの子孫である。
 
 
わずかの兵でアステカ帝国を滅亡させ、莫大な黄金を得たコルテスのニュースは、カリブ海を探検中のピサロにも届いた。
<br />1531年、アンデス山中にたくさんの黄金を持つインカ帝国があることを聞きつけたピサロは、180人の手兵と27頭の馬を連れてインカ帝国に向かった。<br />
エクアドルからボリビアまで広がるインカ帝国は、建国してまだ100年足らずだったが、道路、貯蔵庫、農業台地、鉱山都市と驚くべき偉業が遂げられていた。
 
<p> ピサロはインカ帝国の王を家臣と共に広場へおびき出した。ピサロの従軍司祭の神父は通訳を通してキリスト教への改宗を要求した。それを王が拒否すると、司祭はピサロに王を攻撃するよう促した。司祭はまた、ピサロとその兵たちに、これからの流血の事態に対するいかなる責めからも、神の名において免ぜられると告げた。</p>
<p> </p>
<p> ピサロの合図で歩兵に支援された騎乗兵が隠れ場所から現れ、非武装のインディオたちに襲いかかり、多数の貴族を含む数千人をあっという間に殺害してしまった。王は人質にされ、ピサロは帝国の支配権を握った。</p>
<p> </p>
<p> インディオたちの相手を疑わない寛容な善意の対応を裏切っただまし討ちだった。このような白人の残虐非道な手は、5世紀後の大東亜戦争まで一貫して使われる常套手段である。</p>
<p><br /></p>
捕らえられたインカ帝国の王は、白人が欲しがっているのが黄金であるのを知っていたので、釈放してくれるならば部屋一杯の黄金を差し出すと申し出た。
 
その大量の黄金が出された途端に、ピサロは約束を破って王を裁判にかけ、ロープで絞め殺した。<br />ピサロは王の腹違いの弟にインカの王位を継がせた。その最後のインカ王トゥパク・アマルも結局は捕らえられ、中央広場で斬首された。
 
1996年末の、ペルーの日本大使館公邸人質事件で、ゲリラ集団が名乗ったのもトゥパク・アマルであった。
 
インカ帝国から得た富を主因としたスペイン黄金時代、文学や宮廷美術の全盛期は1550年から1680年までの長きに及ぶと考えられる。
 
 
 
カリブ海のインディオ絶滅
 
コロンブスがアメリカに到達したのち、白人（スペイン人）はまず西インド諸島にやってきて、エスパニョーラ島（現在ハイチ島）のインディオ（原住民）に対して皆殺し作戦を行なった。女、子供も逃がさず、強姦して殺戮した。
 
1496年までに、この島は完全に白人に制圧された。同様な襲撃は、キューバやカリブ海の他の島々に対しても行なわれた。征服者達は国王とキリスト教の名においてやってきたのだ。教会は、しばしば侵略者の手先として、進んで新しい土地の略奪に参加した。
<p> <br />司祭は兵士と一緒に先住民の部落に現れ、キリスト教を受け入れろと命令した。それを受け入れないと兵士に殺されたのだ。殺されなかった先住民は家を追われ、鉱山労働者、農奴、荷役動物になることを強制された。</p>
<p> <br />カリブ海で白人は身の毛もよだつ残虐行為を行なった。インディオの母親から乳飲み児を奪い、連れていた腹を空かせた犬に投げ与えたり、インディオの子供の足をつかんで岩に投げつけたり・・・。白人はインディオの女と寝るのを習慣としていた。女が既婚であろうと未婚であろうと関係なかった。</p>
<p> <br />1540年までにカリブ海のインディオは事実上絶滅させられたのである。</p>
<p> </p>
<br />中南米の虐殺
 
白人のアメリカ到達以降、中南米では白人により数千万人といわれる大虐殺が行なわれた（ヨーロッパ人がもたらした伝染病の天然痘による死者を含む）。
 
エスパニョーラ島（現在のハイチ・ドミニカ）300万人のほぼ全員が虐殺された。
<br /> 
現在のプエルトリコとジャマイカで100万人。キューバ80万人、ニカラグア50～60万人、メキシコ400万人、ホンジュラス200万人、グァテラマ400～500万人、ベネズエラ4～5万人、ペルー400万人の原住民を死滅させた。
<br />少し遅れてブラジルに入植した白人（ポルトガル人）は原住民200万人を虐殺してほぼ死滅させた。
白人は、白人以外は人間として認めていなかった。それゆえこのような大虐殺を行なえたのである。
 
 
白人の虐殺は、20世紀半ばの日本に対するアメリカの原爆投下や都市無差別空襲、ソ連の満洲侵略の暴挙といったホロコーストまでつながっている。
インディオたちが受けた被害は人的犠牲だけではない。大量の金、銀など宝物がヨーロッパに持ち去られた。
 
白人の新大陸征服の目的の一つが黄金の獲得だったからである。1660年までにヨーロッパへ持ち去られた金はわかっているだけで181トンである。インディオたちが長い間かかって勤労して営々と貯めた宝物を、白人は何の努力もせず、所有者を殺また、インディオたちをプランテーションで強制労働させて砂糖の収奪も行なった。<br />
 
砂糖はヨーロッパにとって中世以来の貴重品だった。砂糖は食品だけでなく医薬品でもあり保存料でもあった。砂糖のために新大陸の海岸地帯は、サトウキビ一色のプランテーションに置き換えられ、インディオに強制労働を強いた。
 
 
さらにヨーロッパ人が味を占めたコーヒー、ココア、茶もプランテーションとして農地を拡大させた。これらの嗜好品は寒いヨーロッパではまったく産出しないものだった。白人の贅沢を支えるために、「新大陸」の先住民たちの生活は破壊され、残虐な労働を強いられたのである。 
 
<br />奴隷貿易
 
奴隷とは、人間としての権利・自由を認められず、家畜や物と同じように所有され譲渡・売買され、他人の支配の下に労働を強制される人々のこと。
<br />日本には、古代から奴隷と言う言葉も奴隷制度などの風習もなかった。日本では、同じ人間を牛馬と同じ感覚で家畜のようにこき使い、商品として売買するなどという非人間的なことはとても考えられなかったのである。<br />
 
ヨーロッパの白人たちが有色人種を奴隷にして罪の意識を感じなかったのは、旧約聖書に都合のよい解釈があったからである。 

<br />造物主の神は、その代理人としてまず人間を作り、その下に被造物の動物、その下に万物を作られた。人間は神の代理人であるから、動物を家畜として支配し殺し、食べてもよい。奴隷は家畜と同格だから人間のためすべてを捧げるのは当然とする。
<br /> 
キリストの神の教理による奴隷制度の正当化により、南北アメリカやアフリカ大陸で、白人の人間家畜としての奴隷の大量貿易、大量酷使、大量殺戮が行なわれたのである。
 
 
最初にアメリカ大陸に到着したスペイン人は、先住民から金銀宝物を略奪し、反抗する住民を殺戮しまくった。そのため鉱山の採掘を行なう労働者や、砂糖、コーヒー、タバコといった白人に都合のよい植物耕作のための人手が足りなくなった。そこで白人が思いついたのが、アフリカから黒人奴隷をアメリカ大陸に連れてくることだった。
 
 
16世紀から18世紀にわたる奴隷貿易は、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸の三大陸にまたがる三角貿易によって欧州に莫大な利益をもたらした。これに参加した国はポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスである。最も巨利を博したのはイギリスとフランスである。<br />
 
奴隷商人たちは、ヨーロッパから安物のビー球、銃器、木綿の工業製品を持ってアフリカ・ギニア海岸に行き、黒人奴隷と交換し、奴隷をブラジルや西インド諸島に売り飛ばした。それで得た金で砂糖、綿花、タバコ、コーヒーなどを買って船に積みこんでヨーロッパに帰った。
 
<p> </p>
<br />推計では16世紀は90万人、17世紀は300万人、18世紀は700万人、19世紀は400万人が奴隷として売買されたと言われている。概算1500万人だが、1人の黒人を新大陸に連れて行くまでに5人の黒人が船の劣悪な環境により死亡したという推計があるから、アフリカから働き盛りの黒人が数千万人から1億人近くが連れ出されたことになる。
<p> </p>
黒人奴隷を一番多く移入した国はカリブ諸島で約40％、次に砂糖のプランテーション労働などのためにブラジルへ38パーセント、残りはアメリカ南部のプランテーションである。
<p> </p>
<br />その後、ヨーロッパ列強によってアフリカは分割され植民地支配される。
<p> </p>
<br />現在のアフリカの貧困、民族紛争も、すべて白人の勝手な収奪、不合理な民族分割の結果である。
<p> </p>
<br />なお、16、17世紀に新大陸から大量の金銀がヨーロッパに略奪された。その過酷な鉱山労働に、インディオと黒人奴隷が酷使された。ヨーロッパにもたらされた金銀は、やがて産業革命からヨーロッパ資本主義の原資となった。
<p> </p>
また、この金でヨーロッパ商人はアジアから香辛料、茶、ゴムなどを大量に買い入れて儲けた。これもヨーロッパに巨万の富をもたらした。
<p> </p>
アメリカに連れてこられた奴隷
 
奴隷船から荷揚げされた奴隷たちは、奴隷承認に売り渡され、奴隷市場で家畜のように売り出された。奴隷承認は鎖で数珠つなぎにして町に乗り込み、目抜き通りで競売を行なった。奴隷たちは競売台に立たされ、品定めをされ、親子兄弟をばらばらにして売られていった。
<p> </p>
<br />当時のアメリカ人にとって、奴隷の競売は財産作りの重要な手段だった。後の南北戦争のときの南軍の将軍たちの中には、奴隷商売で巨利を博したものが多かった。
 
<br />近代に入ってから、これほど大掛かりに組織的に
200年にわたって人間の売り買いを行なってきた国は、世界広しといえどもアメリカだけである。
<p> </p>
1860年、アフリカ人奴隷の総数は400万人になっていた。奴隷の大半は綿花生産の労働者として投入されていた。
<p> </p>
<br />奴隷たちの悲惨な実態は、ストウ夫人の
<p> 「アンクル・トムの小屋」で世界に知れ渡った。 </p>
 
<br />キリスト教徒の正当戦争の根拠
 
16世紀より、白人は世界中の有色人種の土地を侵略し征服しまくったわけだが、ローマ教皇の文書（もんじょ）には非常にしばしば異教徒の原住民に対する残忍な措置を許す内容が認められる。
 
異教徒の土地を武力占拠し、原住民を奴隷化してもよいというキリスト教徒にとって正当戦争の思想上の根拠とは何であるのでしょう。疑問です。
<p> </p>

人間のいのちは
　　　皆、尊いのです。
 
　いのちに線引きすると言う
　　　発想が「戦争」なのです。
 

<a class="loupe userDefTextLink" style="visibility: visible;" title="拡大" href="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/89/13050889/img_1_m?1426656202" rel="nofollow" target="_blank"><br /></a>
 

 
<!-- /#entryBody -->
<p> </p>
<p><br /></p>
<p class="scrapSource"><img src="http://i.yimg.jp/i/jp/blog/p3/images/icn_scrap2.gif" alt="転載元" width="13" height="14" align="absMiddle" /> 転載元: <a href="http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/13050908.html" rel="nofollow">■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記</a></p>
<p class="scrapSource"> </p>
<p class="scrapSource"> </p>
<p class="scrapSource"> </p>]]></description>
   <category>歴史</category>
   <dc:date>2015-03-23T23:52:45+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/448b85b4536b1deb3a770b1f1d237634</guid>
  </item>
  <item>
   <title>『ルーズベルトに与うる書』</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/80b8530c5cf0bbd287f359e173212ca6?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<p> <a href="http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/13050479.html" rel="nofollow">■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記</a> において、大航海時代から始る『優生思想』について、連載されています。前回その２回目を転載したのですが、一回目からすべて転載したいと思いますので、順番が逆になりますが、今回は第一回目です。<br /></p>
<p>第一回目は、元のタイトルは、「尊い命ばかりである。」となっていますが、多くの方の興味を引くために、記事中に取り上げられている市丸利之助中将が敵国大統領であるルーズベルトに宛てて書かれた手紙『ルーズベルトに与うる書』に変えさせていただきました。</p>
<p> </p>
<p>これを読むと、日本の戦争が決して侵略戦争ではないことがわかります。またこのシリーズ自体を読むことで、日本の戦いが自衛と同時に欧米植民地主義からアジア解放を目指したのだとわかります。</p>
<p> </p>
<p>植民地解放が、単なる偶然の結果論だという人もいますが、日本が明治以降有色人種の一員として、人種差別を無くしたいという念願を持っていたのは事実であり、それ故に、国際連盟で、人種差別撤廃条約を提唱したのであり、その時には叶えられなかったとはいえ、戦争に踏み切る際に一つの大きな目標となったのは当然であり、昭和天皇の開戦の勅にもはっきりと記されているとおりだと思います。</p>
<p><br /></p>



<img class="popup_img_550_400" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/79/13050479/img_4?20150317232003" alt="イメージ" width="550" height="400" />
 


 
 


（戦後７０年）西洋列強諸国の
<br />
５００年の世界侵略史にピリオド
<br />
を打ったアジアの小国。日本。
<br />
しかし、その父祖の歴史を「全否定」
<br />
されてしまった。
<br />
 
戦争に負けたのでなく、戦後７０年間
<br />
「負け続けているのだ」と智慧者は言った。
<br />
ここで再検証して戴きたい。
<br />
 
 

 
 
優生思想との戦いという側面も 
<p><br /></p>
いのちに差別なし。
　　　
　尊い命ばかりである。
 
いのちの尊さは平等だ。 
<br />
 
<img class="popup_img_772_800" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/79/13050479/img_1?20150317232003" alt="イメージ" width="560" height="580" />
 
 
民族や宗教、主義主張の違いでない。
 
重要なのは「いのちを貶めるか」、
<br />
「いのちを尊ぶか」という事である。
<br />
 
決して、自分も含めて、どのような人の
<br />
いのちをも、貶めて(おとしめて)
 
<br />
はいけない。全ての命の本質は
<br />
「神」(至上=素晴らしい存在)である。
<br />
 
今日、日本において１日２０００人以上の赤ちゃんが中絶されている理由は「優生思想」（１００年前に立てられたオレンジプラン）に基く、邪魔な「人間は殺していい」という人種差別思想(のちのナチスに継承された思想)なのです。
 
この４日間のブログに掲載する資料を観てください。また、気になるキーワードがあれば、検索して御調べ下さい。
 
西洋の聖母マザーテレサが「中絶」を「平和の破壊者」であると断言し。マザーテレサには珍しく、「胎内殺人」とまで言い絶対的に非難した理由。
 
東洋の叡智である、谷口雅春先生が、中絶こそ日本の「実相顕現の障碍である」と「神命の書」を渾身の思いで残された理由が、よくわかるはずです。
 

<br />
今日から４日間書く事は、人種や民族や肌の色や、立場を越えて「全ての人は例外なく尊い存在」であると言う事を伝えるために、いのちを「貶める」優生思想を告発するために、光を見出すべく、歴史の「反面教師」についてを書かせて戴きます。「優生思想」や「いわれなき人種差別」等は告発しますが、その事で決して特定の国や人々を「否定」するものではありません。どの国にも大概、美点があり立派な人々も多くいるものです。　　　　　　　　　　　　　　　
大熊　良樹　拝
 
 
<br />
市丸中将は、硫黄島の戦いで散華された方です。玉砕に当たり、米国大統領にあてたこの「書」は、市丸中将の死後、「死に臨んだ日本の一提督の米国大統領宛の手紙」と題されて、米国の各大手新聞で、その全文が紹介されました。また、戦後ベストセラーになったジョン・トーランドの「昇る太陽－日本帝国滅亡史」でも紹介されました。そして全米で、大絶賛されています。「書」はいまも、ナポリスの海軍兵学校の博物館に展示されています。
 
硫黄島の戦いは、昭和２０(1945)年２月１９日の米軍上陸から、３月２６日の玉砕まで繰り広げられました。日米の諸島に置ける戦いでは、唯一、米軍の死傷者数が日本軍のそれを上回った戦いです。
 
島にいた日本の守備隊は、陸軍が栗林忠道中将率いる１万3,586名、海軍が市丸利之助中将率いる7,347名、合計２万933名です。
 
米軍は、そこに１１万の大軍をもって挑みました。武力においても、火力においても、兵員の数においても、はるかに勝る米軍との激戦において、市丸中将は、最後の総員突撃を敢行するに際して、「ルーズベルトに与うる書」を遺されています。
 
　内容は、弱肉強食の「＜１９世紀的覇権主義＞５００年侵略史」を否定。世界の人種各々がそれぞれの地域で自主独立し、もって恒久的世界平和を実現するという、まさに現代の世界の人々にとって目標とすべき理念の顕彰と覇権主義への「警告」となっています。その後のソ連と米国の「冷戦」まで預言している事には驚きます。
 

 
 
　　平成２７年３月１７日(火)
<br />

 　
<br />
＝ルーズベルト ニ 与ヘル書＝
 
市丸中将が、歴史に其の名を刻んだのは、硫黄島防衛の海軍指揮官と、云うだけではない。
 
米国大統領F・ルーズベルトに対して、日本軍司令官としてその「優生思想」(人種差別)を批判し、ある意味で、西洋列強諸国の世界侵略と、「優生思想」(人種差別)に対する戦争であることを告発する手紙を書いた事に於いて重大な意味があるのである。
 
市丸中将が「手紙」を書き始めたのは２月１６日であり、ハワイ出身の三上弘文兵曹に英訳させた。中将は、３月１７日に地下２０メートルの洞穴に、動けるものを全員集め、副官である間瀬式次中佐が「ルーズベルトニ与フル書」を読み上げた。
 
 
後２６日にこの書の和文のほうを通信将校の村上大尉が腹に巻きつけました。英文のものは赤田邦夫中佐（二七航戦参謀）が身に付けた。
 
市丸中将たちが、後の突撃攻撃を行って散華されたのは、３月２６日です。市丸中将は、栗林中将とともに、軍服にある一切の肩章を外し、ひとりの皇国臣民として、最後の突撃を行っい、散華されています。
 
この最後の突撃のときの遺体の数は、わずか１９６柱でした。陸海合わせて２万933名いた守備隊は、３月２６日の吶喊攻撃のとき、動ける者は、すでに１９６名になっていたのです。
 
 
「ルーズベルトに与うる書」は、米海兵隊員の手で二人の遺体から発見されました。<br />
 
従軍記者エメット・クロージャーは、発見の経緯と手紙の本文を４月４日、本国に向けて打電した。そして「書」は、米国内の様々なメディアで紹介され、「書」に書かれた理想は、形を変えて米国の理想となり、いまや世界の人類の常識とまでなっている。米国人の良心に敬服します。
 
 
戦後、１９７５（昭和５０）年１月に、在米日本大使館に通産省から出向していた村上大尉の長男村上健一氏は、アナポリス(米合衆国海軍兵学校) 記念館で日英両文の「手紙・与フル書」を親しく見ることができた。
 
因みに、この手紙は、欧米の横暴と日本の正義を訴えるものとして、余りにも本質を突いているが為に、米国で一般に公表されるまでには数ヶ月間、発表が見送られたという。
 
残念ながら、ルーズベルト大統領その人は、市丸中将の書簡が米本国に打電された８日後に他界しているが、
 
市丸中将の「書」は、全米の良心を動かし、いまや人類の常識として「かの戦争の持つ性質」や「かの戦争の原因」を洞察するのに欠かせない重要な文書資料として立派に生き残っている。
 
文書資料 というよりも、あの大戦に自らを捧げた全英霊の「魂の声」ともいえるのではないだろうか。戦後７０年の今、全国民がこころして、先祖の声として、慎んで拝読すべき遺書でありましょう。
<br />

<br />
 
<img class="popup_img_199_266" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/79/13050479/img_3?20150317232003" alt="イメージ" width="199" height="266" />
 
市丸利之助海軍少将
（いちまるりのすけ）
<p><br /></p>
 
 
＜ルーズベルト ニ 与エル書」現代語訳全文＞
 
日本海軍市丸海軍少将より、フランクリン・ルーズベルト殿に、この手紙を送ります。
<br />この戦い(ヨーロッパアメリカ諸国のアジア侵略に抵抗する戦争)が終わるに当たって、私はあなたに一言、告げることがあります。
 <br />
ペリー提督の下田入港を機として、日本が世界と国交を結ぶようになって百余年、この間、日本の歩みというものは至極難儀を極め、自らが望んでいるわけでもなく日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変と経験し、不幸なことに貴国と交戦するにまで至った。<br /> <br />これについてあなたがたは日本の戦争に対し、或いは好戦的で残虐な国民であると、或いは黄色人種の跋扈だとか、或いは軍閥の専断によると言うけれど、これらはとんでもなく的外れの論である。
 
あなたがたは真珠湾の不意打ちを唯一つの対日戦争に対する宣伝資料としているようであるが、日本が自滅を回避するために、このような戦争を始めるところまで追い詰めらた事情は、あなたがたが最もよく存じているところではないだろうか。 
 
おそれ多くも日本の　天皇陛下は、皇祖皇宗建国の大みことのりに明らかであるように、養正（すなわち正義）、重暉（すなわち明智）、積慶（すなわち仁慈）を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される国家統治計画に基づいて、
 
地球上のあらゆる人々はその自らの分に従って『その生まれた土地においてその生を享受する』このような恒久的世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。このことはかつて、
 
「四方の海　皆はらからと思ふ世に　など波風の立ちさわぐらむ」<br />
という明治天皇の御製に言われていることと同じであります。 
 
これを聞き、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト閣下が感嘆したことをあななたも良く知っていることでしょう。 
 
我々日本人にはいろいろな階級の人がおりますが、つまるところ彼らは色々な職業につきながら、この天業を助けるために生きているのです。我々軍人もまた、戦争という生業でこの天業を広く推し進める助けをさせて頂いています。 
 
今の我々は、あなた方の物量を誇る航空戦力や艦砲射撃に対して圧されている状況にありますが、 精神的には充実しており、士気はますます高揚し、歓喜に溢れているのです。
 
これが天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理でありますが、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。 
<br />あなた方の精神的な弱さを悲しく思い、一言書かせていただきます。 あなた方の立ち振る舞いをみると、白人とくにアングロサクソン(イギリス系白人)によって世界の利益を独り占めにしようとし、その野望の為に有色人種を奴隷としてきたではないでしょうか。
 
<p>  好計を弄して有色人種を騙すという、いわゆる悪意のもとの「善政」によってかれらから考える力を奪い、無力にしてきたのです。<br /> <br />近世になって日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種とくに東洋民族としてあなた方の束縛から解放を試みましたが、</p>
 
あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、むしろひたすら有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、公然と日本人種の絶滅(優生思想)を口々にするようになったのです。
 
あなたたちはどうして神意に背くのでしょうか。 
 
大東亜戦争により、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれ各地の民族が善政を行い、 そしてあなた方がこれを破壊しなければ、全世界が恒久的平和を実現するのも決して遠くはないのです。
 
 
 あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているのにも満足せず、数百年来あなた方の搾取から逃れようとする哀れな人類の希望の芽を、どうして若葉のときに摘み取ってしまうのですか。 
 
 
ただ単純に東洋のものを東洋に帰すということに過ぎないのです。　
 
あなた方白人はどうしてそうも貪欲で狭量なのでしょうか。 大東亜共栄圏はあなた方の存在を少しも否定しません。
 
 むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するということに日本天皇陛下の神意があるということを理解できる雅量をあなた方に望んでいるのです。 
 
<br />ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解が原因で人々が闘争することがいかに悲惨であるか、痛嘆せざるを得ません。
<p><br /></p>
今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することはつつしみますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、一次大戦終結のとき、その開戦の責任一切を敗戦国であるドイツ一国にかぶせ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に対する反動であることを看過できません。 
 
あなた方がいかに善戦してヒトラー総統を倒したとしても、どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するつもりでしょうか。 
 
おおよそ世界が強者の独占するものであるならば、永久に闘争を繰り返し、遂に界人類に安寧幸福の日は来ることはないでしょう。 あなた方は今、世界制覇(世界侵略)の野望を一応は実現しようとしております。あなた方も得意になっているのでしょう。
 
しかしながら、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚(因果応報)したのです。 願わくば、私の言外の意を汲んで戴き、その轍を踏むことがないように。　　　　　　　　　 　　
　　　　　　市丸利之助海軍少将
　　　　　　　（いちまるりのすけ）
 
 

 
<br />
日露戦争と大東亜戦争 
 
日清戦争のわずか2年後である1897年(明治３０年)に、アメリカは日本を仮想敵国として、対日戦略プログラム　「オレンジ計画」　を策定し、日本はまさしくこのシナリオ通りに開戦に追い詰められた。
 
この　「オレンジ計画」　を最初に策定したのは、アメリカ第25代大統領のウィリアム・マッキンレーです。(ハワイを合併した大統領)その　「オレンジ計画」　を引き継ぎ、推進させていったのが、なんとテディベアでも有名で、優しく、親日家であるような印象の第26代大統領セオドア・ルーズベルトJr.であります。
 
「素質の劣った人々が子孫を残さぬように望むと共に、犯罪者は断種、そして精神的に病を患うものは子供をもつことを禁止するべきである。」これは、第26代アメリカ合衆国大統領のセルドア・ルーズベルトの残した言葉です。
 
当時の欧米では優生学が流行り、人種差別が当たり前のように行われていた時代でありました。また、その中中でも、ルーズベルトは「人種改良論者」であったのでした。
 
  また、阿片戦争の頃から中国とアヘンを含む貿易を手広く行って財を為した母方の祖父の影響で、ルーズベルト本人が幼い頃から中国文化に深い愛着を持ち、中国人に対して同情的かつ友好的な考えを持つ親華派であることを明言し、その中国と渡り合っている日本人に対しては強い反感を抱いていた。
 
駐米イギリス公使ロナルド・キャンベル（Ronald Hugh Campbell）との会話記録では、ルーズベルトは、＜スミソニアン博物館の研究者による、日本人の頭蓋骨は「われわれのより約2000年、発達が遅れている」という見解を紹介した上で、「人種間の差異を重視し、人種交配によって文明が進歩する」＞などと明言し「インド系やユーラシア系とアジア人種、欧州人とアジア人種を交配させるべきだ。だが日本人は除外する」、また具体的に「日本人が(戦争で)敗北した後は、他の人種との結婚をあらゆる手段を用いて徹底的に奨励すべきである」などとキャンベルに語った。<br /> <br />そんな中で、劣等と思われていた有色人種の日本が、日露戦争で白人国のロシアに勝ったことは、欧米の白人達にとっては、脅威であり、黄禍論（イエローペリル）が、ドイツのウィルヘルム2世やアメリカなどで盛んに論じられるようになりました。
 
 欧州勢に比べて、海外植民地政策に遅れたアメリカが狙う獲物は只一つ、阿片漬けにしている中国ですが、この利権同じく狙ってくる日本は、アメリカにとっては目障りで邪魔な存在でしかありませんでした。
 
日露戦争では日本に味方してくれた米国だが、「オレンジ計画」では、「日本とは現在友好関係にあるが将来極東支配を目論む日本の領土拡大政策が原因で衝突せざるを得ないとし、その場合日本はこの戦争に国力を総動員するであろうから、米国はマーシャル、マリアナ諸島に進行して海上封鎖を強めて日本の補給路を遮断する。
 
そして艦隊決戦によって米国が勝ちを制して沖縄を占領し、最後は空爆によって生産施設を破壊して降伏させる。」といった内容になっており、太平洋戦争はほぼこのとおりに推移しました。更に、
 
① 中国と組んで反日宣伝を推進する<br />② 日本の海軍力を削減させる<br />③ 日本の兵力を大陸に向けさせ消耗させる
 
 といった戦略を確実に実行に移し、中国全土の反日運動、度重なる海軍軍縮会議、中国に対する援助等、すべてこれらのプログラム通りに実行に移しました。
 
また「オレンジ計画」　は、武器の発達と共に、修正が加えられ、1941年9月27日に日本とドイツ、イタリアが三国同盟を結ぶと、アメリカは新たな対日戦争計画「オレンジ５」を策定しました。
 
その内容は、日本は資源を求めて領土拡大を図るだろうから、補給路を断ち、制海権を握って日本の海上輸送を封鎖。沖縄を占領し、空爆によって日本本土を爆撃。戦闘能力を奪って日本を孤立させ、無条件降伏を迫るというもの。
 
アメリカはそのために海軍を増強したが、真珠湾攻撃が始まる二ケ月以上も前のことである。アメリカは、日米開戦の前に、日英同盟の解消、海軍主力艦の制限、ブロック経済、対日禁輸など、日本の封じ込めを図り、日本をアメリカとの開戦に誘導した形跡がありアメリカとの戦争を不可避状態にするように仕向けた。
 
 日本はアメリカの対日圧迫政策を回避するために、中国や南洋へと資源を求めて進出するという、まさに、アメリカが描いたシナリオどおりに進み、1941年12月8日の真珠湾攻撃につながり、その結果もたらされたのが「新型爆弾」である原爆の投下である。
 
また原子爆弾を日本に落とすための、　「マンハッタン計画」　を強力に推し進めたのが、フランクリン・D・ルーズベルト、しかしながら1945年4月12日に脳卒中で死亡し、実際に日本に原爆投下の支持を出したのは、トルーマン大統領である。
 
  1944年の10月14日、ルーズベルトは日本の降伏を早めるために駐ソ大使W・アヴェレル・ハリマンを介してスターリンに対日参戦を提案した。同12月14日にスターリンは武器の提供と南樺太と千島列島の領有を要求、ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を促した。
<br />
<br />

<img class="popup_img_497_461" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/79/13050479/img_5?20150317232003" alt="イメージ" width="497" height="461" />
 
<p> </p>
 　　だから、アメリカ人が「悪」だと
<br />
言うんじゃないんだ。それじゃ、
<br />
「イスラム国」と同じになってしまう。
 
 
本来「悪」など無いのだ。いのちに
<br />
「悪いいのち」など無い。それを、
<br />
「善悪」に分けて「選別」し「葬る」
<br />
この発想(優生思想)が＜悪＞なのだ。
 
 
皆素晴らしいいのちである。障害が
<br />
あろうとも「尊さ」に替わりはないの
<br />
である。一番弱い立場の人の、人権や
<br />
尊厳が守られるときに、平和な世の中
<br />
と言えるのではないだろうか。。
 
 
<img class="popup_img_385_419" src="http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-03/panda41415151/folder/172638/79/13050479/img_2?20150317232003" alt="イメージ" width="385" height="419" />
 
 
<p><br /></p>
<p class="scrapSource"><img src="http://i.yimg.jp/i/jp/blog/p3/images/icn_scrap2.gif" alt="転載元" width="13" height="14" align="absMiddle" /> 転載元: <a href="http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/13050479.html" rel="nofollow">■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記</a></p>
<p class="scrapSource"> </p>
<p class="scrapSource"> </p>
<p class="scrapSource"> </p>
<p> </p>]]></description>
   <category>歴史</category>
   <dc:date>2015-03-21T15:41:38+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/80b8530c5cf0bbd287f359e173212ca6</guid>
  </item>
  <item>
   <title>優生思想は弱い者イジメの思想</title>
   <link>https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/943787b84187c46eefadc7150aa55d78?fm=rss</link>
   <description>
<![CDATA[
<a id="blogTitleAnchor" href="http://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cDovL2Jsb2dzLnlhaG9vLmNvLmpwL3BhbmRhNDE0MTUxNTEvMTMwNTA4ODkuaHRtbA--" target="_blank">■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記</a>からの記事を転載しました。
<br />
優生思想が、白人至上主義とつながっており、残酷な植民地支配をもたらしたことは知られていますが、これはほんとうに恐ろしい考え方だと、この記事を読んでつくづく思いました。この考え方は、唯物思想の極地であり、それゆえに利己主義の極地だといえるのではないでしょうか。
<br />
この優生思想で思い出すのは、次の文章です。
<br />
「　日本人が理解する唯一の言葉というのは、私たちが日本人に対して原爆投下することのように思います。獣と接するときは、それを獣として扱わねばなりません。」
<br />
これは　広島・長崎への原爆投下に対して、アメリカのキリスト教団体がトルーマン大統領に抗議した際の、公式回答書に書かれていたものです。
<br />
アメリカが日本本土に向けて、原爆投下や東京を始め数十万の民間人を大空襲で焼き殺したその残虐性の裏には、このような日本人蔑視の思想があります。
<br />
そして日本人が二度と立ち上がれないようにと、自分たちに歯向かうことのないように日本民族の精神改良を試みたのが、占領政策であり、特にウォーギルトインフォメーションプログラムと言われるものだったのです。
<br />
これらが、優生思想とつながっていることは明らかです。
<br />
さらには、優生保護法という中絶を認める法律も、日本の議会が成立させたように偽装はしていますが、日本人の人口減少政策であり、徐々に民族を衰退させる意図があり、これもやはり優生思想からくる政策だったと思います。
<br />
この優生思想は今では失敗が認められてなくなったかのように見えますが、記事を読むと、決して絶滅することなく、形を変えて生きているようです。知恵の木の実を食べて、神と等しい力を手に入れた人間は、すべてを支配せずにはおれないのかもしれません。
<p> </p>

 
 
 
「優生思想は
       弱い者イジメの思想」



  

下記、コピペしましたが
興味のある方は検索して御調べ下さい。
 


 

 
 
 　平成２７年３月１８日（水） 
 

 
スポーツハンティング
 
スポーツハンティング（Sport Hunting ）とは<br />スポーツマンシップに則り娯楽のために行われる狩猟行為のこと。オーストラリア人による人間のスポーツハンティング。<br /> <br />サフル大陸（オーストラリア大陸）では、1788年(天明８年)よりイギリスによる植民地化がはじまるにつれ、動物のみならず、原住民であるアボリジニ(人間)をスポーツハンティングするようになる。<br /> <br />1803年にはタスマニアへの植民が始まってからは、同じくタスマニア島のアボリジニに対するスポーツハンティングが行われ、さらには、組織的なアボリジニー襲撃隊も編成され、島を一列で縦断し島民をすべて虐殺した。このようなアボリジニへのスポーツハンティングの背景には、アボリジニを人類以前の類人猿とみなす人種差別的な当時の考え方があった。<br /> <br />なお、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。<br /> <br /> 白豪主義とアボリジニの悲劇
 <br />先住民族図, The New Student's Reference Work, 1914年出版より 
<p> <br />西洋人がオーストラリアを「発見」した段階では、50万人から100万人ほどのアボリジニがオーストラリア内に生活していた。言語だけでも250、部族数に至っては、700を超えていた。</p>
<p> </p>
しかし、1788年よりイギリスによる植民地化によって、初期イギリス移民の多くを占めた流刑囚はスポーツハンティングとして多くのアボリジニを殺害した。「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」と記された日記がサウスウエールズ州の図書館に残されている。
<p> </p>
   920年頃には、入植当初50-100万人いたアボリジナル人口は約7万人にまで減少していた。同1920年、時のオーストラリア政府は先住民族の保護政策を始め、彼等を白人の影響の濃い地域から外れた保護区域に移住させたが、これはむしろ人種隔離政策的な性質があったようである。
 
  1869年から公式的には1969年までの間、アボリジニの子供や混血児（ハーフ・カーストと呼ばれ売春婦として利用される事があった）を親元から引き離し白人家庭や寄宿舎で養育するという政策が行なわれた。様々な州法などにより、アボリジニの親権は悉く否定され、アボリジニの子供も「進んだ文化」の元で立派に育てられるべきという考え方に基づくものと建前上は定義されていたが、実際はアボリジニの文化を絶やしアボリジニの存在自体を消滅させるのが目的であった。
 
ケビン・ラッド首相は、2008年2月13日の議会で、先住民アボリジニに政府として初めて公式に謝罪した。
 
 
 
セルドア・ルーズベルト「素質の劣った人々が子孫を残さぬように望むと共に、犯罪者は断種、そして精神的に病を患うものは子供をもつことを禁止するべきである。」これは、第26代アメリカ合衆国大統領のセルドア・ルーズベルトの残した言葉です。
 
 
優生学はイギリスのゴールトンに端を発し、その思想はナチに受け継がれ、後のユダヤ人の大量虐殺につながった・・・というのが、一般的によく知られている史実だと思います（→優生学）。
 
 
しかし、実はゴールトンとヒトラーはとても巨大な力によってつながれていたということはあまり知られてはいないようです。その巨大な力こそがアメリカ合衆国でした。アメリカにはよいところも数多くありますが、光と陰で言うならばこれは陰の面であり、強調するのも問題ですが、知らないと「とんでもない歴史」を繰り返すでしょう。
 
キ―ワードは「優生思想」です。
 
 
 
まず、優生学には2つの性格があります。先のルーズベルトの言葉にあるような、望まれない性質をもった人間を排除しようとするやり方を、「消極的優生学」と言います。
 
また、ルーズベルトは「優秀な素質をもった人々には子供をつくることを奨励すべきである。」とも言っています。
 
この思想は「積極的優生学」と定義されます。犯罪や貧困に加え、白人至上主義に代表されるような人種差別が横行していた当時のアメリカにおいて、優生学は上流または中流階級の人々に受け入れられました。
 
 
■優生学を強く支持した20世紀初頭のアメリカ
 
ゴルトン以後の数十年間、優生学は上流階級を著しく重視する形で根づき、次第に人種主義的色彩を帯びるようになった。とりわけアメリカでは、この風潮に対する強い支持が見られた。20世紀初頭のアメリカ大統領でノーベル平和賞を受賞したセオドア・ルーズベルトは、自らが優生学の支持者であることを公表していた。彼は、アングロサクソン系の男女が十分な数の子供を残すことができなければ、それは“人種的自殺”につながると警告した。
 
1905年～1910年の間、優生学はアメリカで発行されていた一般雑誌で２番目によく取り上げられたテーマであった。1920年代から30年代初頭にかけてのアメリカの優生学は「消極的優生思想」を直接的に実行する制度を生み出すことになった。(これがホロスコートの起原です。弱い立場の者を消す。)
 
 
アメリカは連邦レベルでは「断種法」を成立させたことはないものの、約30の州が精神疾患や精神遅滞の人々を対象にする断種法を制定した。1907年～1960年までの間に少なくとも６万人が断種法の適用を受けて不妊にさせられた。
 
この政策の全盛期にあたる1930年代に断種された人の数は平均して毎年約５千人に達した。この時代（1933年～1938年）には、ナチス・ドイツの消極的優生政策は次第にエスカレートして、ついには精神薄弱者・精神病患者・身体障害者等を大量殺害するまでになった。
 
1939年、ドイツ政府はドイツの病院に入院していた精神障害者や身体障害者を殺害する「Ｔ４作戦」を開始した。この作戦では約７万人の障害者が一酸化炭素ガスで殺害された。
 
 
 
●中世ヨーロッパのキリスト教社会では“望まれない子”を公共の場に遺棄した。正常な子どもは拾われることもあったが、障害をもつ子どもは見捨てられた。
 
 
●1883年、イギリスの人類学者フランシス・ゴルトンが「優生学（eugenics）」という言葉を作り出した。
<br />●1933年、ナチス・ドイツで「断種法」制定●1948年、日本で「優生保護法」が成立。
<br />■ヨーロッパ各国で成立した「断種法」とナチス・ドイツの「Ｔ４作戦」
<br />いくつかの国がアメリカに倣って断種法を制定した。カナダのアルバータ州は1928年から1960年まで断種政策を実施し、それによって数千人が不妊化された。
 
ヨーロッパで最初に断種法を制定したのは1929年のデンマークであり、次いでドイツが1933年に、ノルウェーが1934年に、スウェーデンとフィンランドが1935年に、エストニアが1936年に、さらにアイスランドが1937年に断種法を制定した。同様の法案は第一次世界大戦前にイギリス・オランダ・ハンガリー・チェコスロバキア・ポーランドなどでも審議されたものの、制定されなかった。
 
 
1920年代のドイツでは優生学的政策はまだ強い反発を招くものだった。実際、1925年のドイツ国会では、遺伝的理由で目が見えない人、遺伝的理由で耳が聞こえない人、てんかん患者、精神薄弱者に対する強制断種を規定した法案が審議されたが、まったく賛意を得られなかった。それが劇的に変化したのは1933年１月にナチスが政権を握ってからである。1933年７月、ドイツで断種法が制定された。この法律により強制断種された人の総数は20万人～35万人と言われている。
 
 
この時代（1933年～1938年）には、ナチス・ドイツの消極的優生政策は、“遺伝に由来すると見られる疾患を有する者”に対する断種に止まっていた。しかし、ナチス・ドイツの優生政策は次第にエスカレートして、ついには精神薄弱者・精神病患者・身体障害者等を大量殺害するまでになった。1939年、ドイツ政府はドイツの病院に入院していた精神障害者や身体障害者を殺害する「Ｔ４作戦」を開始した。この作戦では約７万人の障害者が一酸化炭素ガスで殺害された。
 
 
第二次世界大戦後、各国の優生政策は以前より小規模になったが、カナダとスウェーデンでは1970年代まで精神障害者に対する強制断種を含む大規模な優生政策が実施され続けた。日本では不良な子孫の出生の抑制を目的とする「優生保護法」が1948年に制定された。この法律では、遺伝性疾患を有する者だけでなく、遺伝性以外の精神病患者・精神薄弱者・ハンセン氏病患者に対する断種が定められ、遺伝性疾患を有する者が、たとえ遠縁の血縁者にであれ、存在する場合には、不妊化を承認するとされた。だが、この政策は対象者の同意を前提にしており、その点で戦前の法律とは明確に一線を画していた。
 
 
■1962年、非公式会議で高名な生物学者たちが優生学を支持した
<br />1962年、世界中の遺伝学者がロンドンに招かれた。彼らは、「チバ財団」が主催したシンポジウムヘの出席を要請されたのである。出席者リストには、著名な科学者の名前がずらりと並んでいた。ＤＮＡ二重螺旋の共同発見者であるフランシス・クリック、ダーウィンの進化論を弁護したトーマス・ハクスリーの孫でユネスコの前事務局長ジュリアン・ハクスリー、アメリカの２人のノーベル賞生物学者ヘルマン・ミューラーとジョシュア・レーダーバーグ、それに世界的に高名なイギリスの生物学者Ｊ・Ｂ・Ｓ・ホールデーンなどである。これらの科学者はシンポジウムで遺伝学研究の将来について論じ合った。
 
この会合は非公式であり公開されなかったため、彼らは何ものにもとらわれず、あらゆる観点から議論できると感じた。だが、それによって彼らは、かなり危うい領域にまで足を踏み込んだ。たとえば、フランシス・クリックは、全ての人々が等しく子どもをもつ権利をもつかどうかという問題を提起した。イギリスの生化学者ノーマン・ビリーは次のように答えた。「もし、人々の健康や医療施設や失業保険など公共の福利に対して責任を負わねばならない社会で、誰もが子供をもつ権利があるのかと問われるなら、私の答はノーである」。
 
他方、Ｘ線を照射された生物の遺伝子に突然変異が生じることを発見してノーベル賞を受賞したヘルマン・ミューラーは別の観点を持ち込んだ。「おそらく、人口の20％近くが遺伝的欠陥を受け継いでいる。もし、この推定が正しければ、人類の遺伝的劣化を阻止するために、その20％の人々は子孫を残すことを許されるべきではない」。ヘルマン・ミューラーは率直な発言で知られる社会主義者であり、1930年代の数年間、ソ連で研究をしていた。彼の生涯にわたる関心事は人間社会の改善と遺伝学にあり、彼は、自分がその目標に対して重要な責務を果たしたと信じていた。彼の同僚であるジョシュア・レーダーバーグは細菌遺伝学の研究でノーベル賞を得た人物である。彼もまた同様の考えを示した。「人間の出産状況は暗い。もし、我々が遺伝的な改良という創造的可能性を無視するなら、我々は罪深くも、知識の宝庫を無駄にすることになるのではなかろうか」と彼は問いかけ、次のように結んだ。「最近の分子生物学の進展は、人類がこの目的に到達するためのすぐれた優生学的手段を提供してくれる」。これらの人たちはいずれも傑出した科学者であり、その分野を極めた専門家であり、高い名声を勝ち得ている。だが、多くの人々は、彼らのこのような発言に対しては複雑な感情を抱くのではないだろうか。というのは、フランシス・クリックを初めとするこれらの生物学者たちは優生学について肯定的に論じているからである。
 
<br />■人間は「生まれ」か「育ち」か
 
 
「人間の優劣や性質を決めるのは生まれ（遺伝）か、それとも育ち（環境）か」。これは英語でしばしば、“ネイチャー・オア・ナーチャー？”という表現の問いかけとして知られる。1946年、アメリカの優れた遺伝学者セオドシウス・ドブジャンスキーとコロンビア大学のＬ・Ｃ・ダンが一般向けの書物『遺伝と人種と社会』を著した。この本はベストセラーになった。彼らはその中で次のように主張した。
 
「我々は、自分の両親およびその他の祖先が残した一束の可能性として、この世界に生まれ出た。われわれの後天的性質は我々を取り巻く世界によって生じる。だが、後天的性質として何が生じるかは、それを受け取る先天的性質によって決まるのである」。そして、この筆者たちは、先天的なものと後天的なものは分かちがたいと結論している。したがって、問題はどちらがより重要かではなく、むしろ、それらがどう組み合わさって人間の性質を決めるかである。そこで、ドブジャンスキーは次のように問いかける。「人間の遺伝型の違いと、生まれ、育ち、成長した環境の違いは、どの程度人々の間に見られる違いを決定づけているのか」。この記述は、科学がこの問題に対して投げかけ得る最良の疑問であろう。というのは、特定の性質が遺伝によるか環境によるかという問題に対して、これ以上の主張をするなら、そこには政治的な動機が入り込んでいると見るべきだからである。政治的に左寄りの人々の社会運動は常に社会的平等や社会保障に焦点を当てるため、生来的・遺伝的なものの役割を軽視する傾向がある。他方、政治的に右寄りの人々は、遺伝的性質は環境より重要だと考える傾向がある。1960年代、多分アメリカの公民権運動の結果として人種差別に対する社会的関心が高まり、遺伝主義の支持者は鳴りをひそめた。そして、この時期、優生学的な動機に基づく多くの社会政策が撤廃された。1967年、アメリカの最高裁判所は「異人種間婚姻禁止法」を廃止し、また、アメリカ議会は1968年、「移民法」における人種主義的様相を基本的に取り除いた。しかし、“生まれと育ち論争”は終結したわけではなく、恐らく今後も終わりはしないだろう。とりわけ、アメリカでは遺伝主義者側が議論を一歩進め、そこに「知能」の問題をもち込んだ。それは、知能には人種に基づく違いが存在するのかということだ。この論争は1969年、カリフォルニア大学バークレー校の教育学教授アーサー・ジェンセンによって始められた。彼は黒人の知能指数（ＩＱ）が白人のそれよりも低いことを示す研究結果を発表した。それによれば、黒人の知能テストの成績の平均値は白人のそれより15点も低かった。そこで、ジェンセンは、知能の遺伝性は高いと考え、知能テストの成績における人種間の違いについて「遺伝的因子が部分的役割を果たしているかもしれない」と結論した。1970年代はじめ、スタンフォード大学の物理学者ウィリアム・ショックレーは、アーサー・ジェンセンの研究に基づき、黒人の知能の劣等性を主張する運動を展開した。当時、黒人の出生率が高いためにアメリカの平均知能が引き下げられると予測していたショックリーは、財政優遇措置に基づく断種によって、そのような事態を防げると考えた。ショックリーの運動もジェンセンの研究と同じように、一部の人々の支持を得たものの、反対の声の方が強かった。批判の多くは、知能テストの成績における黒人と白人の違いは何よりもまず生活環境に起因するだろうと指摘していた。平均的な黒人は社会の貧困層に属しており、白人に比べて、知的技能を学び磨いていく上で劣悪な環境に生きている。これでは黒人の子どもが知能テストで悪い成績をとるのは当然だというのである。この論争はその後20年以上も経った1995年に再燃した。リチャード・ハーンスタインとチャールズ・マレイが『ベル曲線』を発表したのである。彼らはこの本の中で、貧困で大家族の家庭では知能の低い者が平均を上回って多く、知能指数が最高レベルの人々は子どもの数が最も少ないと指摘した。ハーンスタインとマレイは更に別々の環境で育てられた一卵性双生児について行なった知能の遺伝的研究を引用した。これらの研究は、人間の知能の40～80％は遺伝的要素によるものだと結論している。これらの研究や世界各地で行なわれた知能に関する研究を基にして、彼らは、知能指数の高い男女がより多くの子どもをもつよう奨励する一方、知能指数の低い男女の子どもの数がより少なくなるような何らかの政治的措置を講じないかぎり、アメリカ人の平均知能指数は10年ごとに約１％ずつ低下していくだろうと警告した。ハーンスタインとマレイの議論は20年前のジェンセンやショックリーの主張と基本的には変わっていない。ただし、彼らは医学的な不妊を提言したのではなく、貧困層の女性の出産に対する様々な補助を打ち切るべきだと、言い換えれば、知能の低い人間が比較的多い貧困層に対する社会保障制度を廃止すべきだと主張した。
■「集団の優生学」から「個人の優生学」へ
<br />ゴルトンから約150年が経過した今、優生学は、科学的にも現実の政策としても概ね失敗に終わったように見える。多くの場合、優生学は政治的な目的のために利用されてきた。しばしば繰り返される粗末な遺伝的議論が、その背後にある政治的意図を覆い隠すことは困難だった。前出のダニエル・ケブルズによれば、「優生学を問題多いものにしているのは、そこに個人やその家族の権利と作り上げられた抽象概念『人種』 『集団』 『遺伝子プール』などが含まれているためだ」という。「優良白色人種の遺伝的繁栄」を目論む積極的優生思想は今ではせいぜいユートピアとして残っているだけである。「優良白色人種の遺伝的繁栄」は全ての白人の遺伝子的情報の操作を必要とするため、たとえ可能だとしても、厳格な監視を前提とする警察国家でしか実現できそうにない。また、それは何世代にもわたる長期戦略があってこそ、うまくいくのであり、比較的短期間で政権交代がくり返される今の世界で実行可能とは思えない。だが、優生学が個人的に自らの意志によって行なわれるなら、とりわけ遺伝病と闘う上ではうまくいくかもしれない。たとえば、サルジニア島やキプロス島の人々は、長い間サラセミアと呼ばれる重い貧血症候群に苦しんできた。これは赤血球中のヘモグロビンを十分に生み出せない血液の病気である。これらの地域では、結婚相手が病気の因子を持つかどうかを調べるために「婚前診断」が行なわれる。また、出生前診断により胎児が保因者であることがわかった場合には「選択的中絶」も行なわれている。結婚相手が保因者であることがわかると、約５分の１のカップルは結婚をやめる。これらの事例は、将来の優生学の方向性を示すものかもしれない。健康な子を産みたいと望む親の“個人的選択”に基づく優生学的措置は認められると思われる。それには新しい生殖遺伝子技術、たとえば、精子の幹細胞の移植、あるいは精子や卵子の遺伝テストが役立つことになるだろう。この種の個人的優生学についても様々な議論が行なわれている。アメリカの高名な生命倫理学者アーサー・カプランの次の言葉はおおいに参考になるのではなかろうか。「我々は自分たちの子どもを環境要因によって（親の期待する人間になるように）形作ろうとしている。ピアノを習わせたり、ほかにも、あらゆる勉強や稽古ごとをさせたりしている。私は、それが誰かを傷つけるのでないかぎり、そこに遺伝学を利用しても誤りではないと考える」。
参考までに優生学の歴史の年表を載せておきます。
●紀元前４世紀、古代ギリシアの哲学者プラトンが「理想社会の支配者は、望ましい男女が交合するようにひそかに手配すべし」と示唆した。
<br />●ローマ時代の人々は、著しい奇形や不治の病をもって生まれた赤ん坊を崖から投げ落とした。
<br />●1895年、ドイツの優生学者アルフレート・プレッツが『民族衛生学の基本指針』を出版した。この本はドイツ優生学の出発点となった。
●1905年、ドイツに世界最初の優生学会「民族衛生学協会」が誕生した。同様の優生学会はイギリスやアメリカにも相次いで誕生した。
<br />●1907年、アメリカ、インディアナ州で最初の「断種法」が制定され、その後、約30の州で同様の法律が制定された。
<br />●1912年、ロンドンで「第１回国際優生学会議」が開かれた。
<br />●1913年、アメリカの28の州が異人種間の婚姻を禁止した。
<br />●1921年,1924年、アメリカで「移民法」が制定され、西欧・北欧以外の人々のアメリカヘの移住が著しく制限された。
<br />●1929年、デンマークで「断種法」が制定された。その後1937年までにノルウェー・スウェーデンなどヨーロッパの数ヶ国で同様の法律が制定された。
 
●1935年、ナチス・ドイツのＳＳ長官ヒムラーが「レーベンスボルン政策」を開始した。<br />●1939年、ナチス・ドイツが精神障害者や身体障害者を殺害する「Ｔ４作戦」を開始した。これにより1941年までに７万人強が殺された。
<br />●1948年、日本で「優生保護法」が成立した。
<br />●1963年、チバ財団のシンポジウムで世界中の生物学者が優生学について議論、高名な科学者たちが優生学を支持する発言を行なった。
 
<br />●1969年、アメリカのアーサー・ジェンセンが黒人の知能指数は白人より低いが、それは遺伝的な要因によるかもしれないと発表した。
<br />●1979年、アメリカで最初の「精子銀行」が設立された。当初、この銀行への精子提供者はノーベル賞受賞者のみで、また提供を受けられる女性はＩＱ140以上に制限された（後に男女とも資格がゆるめられた）。
<br />●1995年、アメリカのリチャード・ハーンスタインとチャールズ・マレイが大著『ベル曲線』を出版し、知能の低い人間が比較的多い貧困層に対する社会保障制度を打ち切るべきだと提言した。
<br />●1990年代後半、遺伝子科学の爆発的発展により、人間の受精卵の遺伝子を子宮着床前にチェックし、問題のある受精卵を廃棄することが医療分野で始まった。
 
 
 
 
 
 
 ]]></description>
   <category>歴史</category>
   <dc:date>2015-03-18T12:51:32+09:00</dc:date>
   <guid isPermaLink="true">https://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/943787b84187c46eefadc7150aa55d78</guid>
  </item>
 </channel>
</rss>
