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「私の日本憲法論」 サイタニさんのブログより転載 

2011年04月12日 05時01分25秒 | 現代日本
 サイタニのブログからの転載です。サイタニさんが書かれていた、連載 「私の日本憲法論」を、まとめて転載しました。とても面白く、納得する内容なので、紹介します。

転載開始

    連載 「私の日本憲法論」
      日本国憲法の背景となる哲学 

人間は何処に在るか

皆さんのような政治問題、時事問題等について専門家でいらっしゃる方々の前で憲法の話などする柄ではないのでありますが、この間○○先生の時事問題の三部作が出来上がった祝賀の集りに是非とも話してくれと言われまして、日本国の憲法の背景にある哲学はどういうものであるか、何処に誤りがあるか、と云うようなことを話しましたら大変喜ばれまして、今まで憲法の問題を取り上げて来た人と又別の立場から論じている点があるので是非とも○○で話してもらいたいと云う要請がありました。


一応辞退したのでありますけれども、当番団体の誰かが話すことになって
いるので是非話してほしいと云うので、敢えてこの席を汚した次第であります。
 

禅宗の『無門関』という本があります。これには四十八則の公案が載って
いるのであります。ご存知の通り公案というのは悟りに導くところの問題の
提起であります。

この四十八則の公案の中で最も重大な公案が私は二つあると思うのであります。
その一つは第六則の世尊拈華(せそんねんげ)という公案であります。それから
もう一つは第八則の奚仲造車(けいちゅうぞうしゃ)という公案であります。


この奚仲造車の公案には「奚仲造車を造ること一百福、両頭を拈却(ねんきゃく)し、軸を去却して、甚麼辺(なにへん)の事をか明む」と云うことが書かれているのであります。

奚仲というのは支那古代の人でありまして、初めて車を発明した人であると言われているのであります。その奚仲が初めて一百台の車を拵(あつらえ)た。ところがどうしたのかその車の「両頭を拈却し」 即ち両方の頭を拈(ね)じりちぎり、

「軸を去却して」即ち心棒を引き抜いて取り外して、部分品をバラバラ
分解して、そして何か紛失したと見えて捜し廻っているのであります。
それで或る人が「奚仲さん、あなたは何を捜しているのですか」と問うたら、奚仲が答えて言うのに、

「今迄ここに車があったのに何処かへ行ってしまった。
車は何処へ行ったのだろうと思って捜しているのです」
と。
これが公案であります。

果たして車は何処に在るかと云う問題であります。皆さんはその「車」が何処に在ると考えになるでしょうか。部分品を幾ら捜し廻っても「車」は無いのであります。これは公案でありますから単に車の問題ではないのであって、


人間の悟りの問題であります。「車が何処にあるか」と云う問題は言い換えると「人間は何処にあるか」という問題にもなるのであります。



人間は何処にあるか
 

人間をバラバラにして部分となし、腕を此処へ放り出してその腕に対して
「お前サイタニか」と問うても、その腕は返事をしないのであります。腕という部分品にはサイタニはいないのであります。それでは両脚はどうであろうかと、


又両脚を切って其処へ放り出してその両脚に対して「お前サイタニか」と
問うても返事はしないのであります。又胴体を切って其処へ放り出して尋ねて見ても同じ事であります。「いやサイタニは頭で考え目で見て口で喋る、


だからサイタニはあの首から上にいるんであろう」という訳で、この首を切って其処へ差し出して「お前サイタニか」と問うても、もう其処にはサイタニはいないのであります。


部分を幾ら捜し廻っても人間はいないと云うことなのであります。果して人間は何処にあるかと云う問題が奚仲造車(けいちゅうぞうしゃ)の公案に含まれている問題であります。


禅宗の寺へ行って弟子にしてもらおうと思って、和尚に面会して「どうぞ弟子にして下さい」とお願い申したら、その寺の老和尚が「お前何処から来た」と言う。
「はい、私は横浜の何処其処の者であります。其処から参りました」と云うような返事でもしたら、「もうお前帰れ!」と云う訳で弟子にしてもらえないと云うことであります。
 

禅宗で「お前何処から来たか」と言うのはそのような横浜とか東京とか云う所から来たか来ないかと云うことを問うているのではないのであります。
「お前の生命とか云うものは何処から来たか」と云う意味なのであります。


それでこの"奚仲造車"の公案は、「車は何処から来たか」という意味なのであります。それでこの"奚仲造車、の公案は、「車は何処から来たか、人間は何処から来たか」「車は何処に在か、人間は何処に在か」と云う問題の提起ですね。


単刀直入に「車は何処に在か」と云う問題に対する解答を致しますと、
それは車を発明して製造した奚仲の心の中にあるのであります。
その心の中にある車は部分ではないのでありまして、車全体なのであります。
心の世界に先ず全体が造られて、その心の世界に在る全体の設計又は構造と云うものが具体化して来るのであります。



理念の人間  

この心の中につくられた原型を哲学的に言いますと「理念」というので
あります。即ち「理念の車」が先ず霊的世界に造られて、それが
天降って来て現象世界に部分品が出来て、その部分品が「理念の車」
の設計通りに集められて「現実の車」が造られると云うことになる
のであります。


ところでこの「現実の車」(肉眼に見える車)は実際に肉眼に見え手で
触れることが出来るから、非常に具体的であって確乎とした存在で
あるように
見えているけれども、実は、「理念の車」の模倣品に過ぎ
ないのであります。「理念の車」のイミテーションであります。
ですからこれは「理念の車の影」と言ってもよいのであります。

吾々の感覚に触れて確乎として在るかの如く見えているところ
現象的存在は、みなこれらは「理念」の投映せる影であって本当に
在るのではない
のです。「理念」のイミテーションであると
考えられるのであります。

本当の車は、心の世界に造られたところの霊的存在、或いは理念的で
ありましてその理念と云うのは、真理と言っても宜しいが、永遠不滅の
存在であります。


「現象の車」は、奚仲が車を発明して以来、何十億台の車が造られて
壊されて又新たに造られたかも知れないけれども、「理念の車」は
壊れることなく永遠不滅なのであります。


「理念の車」と云うのは、真中に心棒があって周囲が円くて回転する
もの、
即ち車の根本設計であります。理念は永遠不滅でありますから、
そのイミテーションであるところ「現象の車」は壊れても、壊れても、
不滅の「理念の車」の真似をして、或いは自動車となりトラックの車
となり電車の車となり汽車の車となり、或いは機械を運転する車
となって無数に影を映して来るのであります。


同様にして、人間についても、「理念の人間」なるものが永遠の存在
あって、吾々が肉眼で見ている処のこの肉体的存在と云うものは、
その影である。
即ち理念のイミテーションなのです。


影でありイミテーションであり模倣品でありますから、確乎とした存在
ではないのであります。ですからこの肉体は、どんなに健康な人でも
皆終いには老衰し病み且つ死ぬ。
影であるから消えてしまう
のであります。


しかし吾々人間の本体、これを我々は「実相」と言っておりますが、
人間の「実相」と云うものは永遠不滅の存在であり、これのみが
本当の実在
であるのであります。



真の日本国家なるもの憲法論 


車の話や人間の話を致しましたが、これは実は「日本国家は何処に在るか」
云う問題の前提として、即ち「日本国家は何処に在るか」 と云う問題を明らかに
する為の準備としてお話申し上げたのであります。


車は、車を発明した人の心の中に在る。それが理念の車であって永遠の存在で
ある。人間は、人間を発明して製造した不可思議なる存在―言い換えると神様―
の心の世界に在る。



これはキリスト教でも聖書の「創世記」に、「神その像(かたち)の如くに人を
創造(つく)り」と書かれているのであります。神の言葉によって造られたところ
の、姿なき神様の完全な姿を現実化したところの完全人間、神様の心の中に
在る
ところの永遠存在の霊的人間、これが本当の人間であります。

ところで日本国家は何処から来たかと云う問題であります。
現実的に言いますならば神武天皇が大和に都を造り給いて、そして
六合兼都(りくごうけんと)・八紘為宇(はっこういう)の詔勅を降ろし給うた

あの時に、日本は建国されたのであります。

しかしながら、もっと遡りますと、日本の建国は古事記或いは日本書記に
書かれております如く、天照大神が「豊葦原千五百秋之瑞穂国は、是れ
吾が子孫の王可き地なり。宣しく爾皇孫就きて治せ、行(くませ)。宝祚の
隆えまさむこと、当に天壌と窮無かるべし」
と詔を以て仰せられたあの時に
始まるのであります。


天照大神の「天」と云うのは天球であります。地球に対する天球ー即ち宇宙の
ことであります。そして「照」と云うのはその宇宙を照らし給うことであります。
天照大神(あまてらすおおみかみ)とは宇宙を照らし給う大神であります。


宇宙の大神の具体的顕現として現われた天照大神様の心の中に、
日本国なるものの根本的設計、即ち「理念の日本国」と云うものが造られまして、
その理念が天降って来て現実化したのが神武天皇の建国であると云うことに
なっているのであります。


天照大神様の天孫降臨の神勅そのものこそ、日本国の根本的設計であり
「理念の日本国」そのものである訳であります。


キリスト教の聖書では「ヨハネ伝に」「太初言あり、言は神と偕にあり、言は
神なりき万の物これによりて成り、成りたる物に一つとして之によらで成り
たるはなし」と書かれているのでありまして、全てのものは言葉によって
出来た
と云うことが書かれているのであります。

天照大神の神勅即ち御言葉によって出来たところ日本国の根本設計は、
理念日本国」の実相そのものであって、これは永遠不滅の存在であります。
現象の日本国は途中で色々変化するにしても、


この天照大神様の神勅にある処の「是れ吾が子孫の王可き地なり」
仰せられたその根本設計が壊れると云うことは有り得ないのであって、
もしこの根本設計が壊れたものが出て来たら、それは日本国ではない
と云うことになる訳なのであります。


それは丁度、車と云うものは、真中に心棒があって周囲が円くて回転する
ものであると云う車の根本設計たる理念が造られたら、現象の車はどんなに
壊れても途中損んでも、又新たにその根本設計に従って、真中に心棒が
あって、周囲が円くて回転するところ姿が出て来ることになるのであります。


日本の国も神武天皇が具体的に建国なさいましてから後に幾変遷があった
に致しましても天照大神様の御意の中に造られた日本国の根本的設計在り方
ー即ち根本的理念と云うものは永遠の存在として壊れないものなのであります。
これが日本国の実相であります。




注:故に共産国にしようと左翼がやっても、日本国家という根本設計は
  変わりませんし、
日本を共産国にしようとしている考えが間違いで
  ある事
がこれによりわかるのであります。



全体が先か部分が先か

ところでこの日本国の実相に反するところの条項が現行の日本国憲法の
第一条に書かれているのであります。


それは「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この
地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
と書かれている箇条であります。

天照大神の神勅には「是れ吾が子孫の王たる可き地なり」と書かれておりまして、
主権が天皇に在ると云うことは、はっきり日本国の根本的在り方ー即ち
「日本国の理念」(霊的原型)として其処に定められているのであります。


ところが現行の日本国憲法に於いては主権は国民に在ると云うことになって
いるのであります。此処に非常に重大な摺り替えが行われているのであります。
それは「部分が先か、全体が先か」と云う問題に繋がって来るのでありますが、


国民と云うのは国家を構成する部分であります。
それなのに「主権の存する国民」というのは部分に主権が在り、部分が
相談をして国家と云う全体を其処に造った
のであると云う唯物論的立場に
立って日本国憲法は書かれているのであります。

そこに根本的な間違いがあるのであります。日本のどんな歴史を見ても、
或いは戦後興って来た新しい歴史家、即ち神話を抹殺する歴史家の歴史の
本を読んでみても、日本の建国が、国民が相談をして「吾々国民がバラバラに
いたら外国から攻めて来た時に防ぐのに都合が悪いから、一つ団結して国家を
造りましょう」と、国民と云う部分が相談をして日本国を造ったと云う記録はない
何処にも無いのであります。


日本国なるものは、天照大神の御意の中にその国の原型即ち日本国の
理念
が造られて、その理念の日本国が天降って来て、その理念の投影と
して具体的な部分が集まり、其処に理念日本国の影なる現象日本国
云うものが現れて来ているのであります。



ですから全体が先でありまして、部分は後から全体の設計に従って集められた
のであり、これが日本国の存在の根本的在り方なのであります。

しかしこれは日本国の存在だけの問題ではないのでありまして、有りと
あらゆるものは先ず心の世界に造られて、
その姿の模倣として現実界の
ものは姿を現わしていると云うことになっているのであります。


この国会の議員会館でも、やはり建築家の心の中に先ず完全に其の全体の
姿が描かれた。
全体が先であります。そしてその建築家の心の中の議員
会館の建物の姿が因になってセメントだとか鉄材であるとか木材であるとか、
いろいろの部分が最初造られた全体の設計の模倣をして現実化して出来た
ものである訳です。

全ての存在は、心の世界に描かれたところの理念的存在が因である。そして
その理念的存在は初めから「全体」として在るのです。ここに「全体が先か、
部分が先か」
と云う問題が起こりますが、


通俗的に言うと「鶏が先か、卵が先か」といわれている問題であります。
鶏がいなかったら卵が出来ないし、卵がなかったら鶏が生まれて来ない
のである。で、永遠に循環的な論議を繰り返して行くことになります。


しかしながら、何も地球上に無かった時代に鶏が生まれて来る場合に卵が
ヒョックリと砂の上にでも出て来て、それから鶏が出て来たと云うようなことは
ないのでありまして、これはやはり、「神」と言ってもいいが、


大自然の「不思議な力」
が先ず最初に心の中に鶏の全体の設計即ち
「理念の鶏」を造った
のであり、そして部分が集まって現実の鶏はでて来た
のであります神様の心の中に描かれたところの鶏の「全体」の完全な姿の
「理念」が天降って来て、現象的な肉体を構成する「部分」が、

その「理念」の根本設計の姿に配列されて、具体的な鶏が出来たと云う
ことになるのであります。

転載終わり