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500年の侵略史にピリオド。

2015年03月26日 12時58分56秒 | 優生思想

■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記からの優生思想に関する記事の最後の転載です。

この一連の記事で、想像以上に残酷な歴史を知り、驚きです。愛を説くはずのキリスト教も、イエスの教えとは真逆の現地人から富を搾取するための手段に使われ、奴隷を当り前のように認めていたのですから、彼らにとって、キリスト教とは一体何なのだろうと思わずにはおれませんね。

大熊氏が、生命を線引する行為が戦争だと言われていますが、たしかにそうです。殺してもいい命とそうでない命に線引するところから、人類の潜在意識に戦争の元になる考えが育っていくのではないでしょうか。だからこそ、氏は、おなかに宿る子供を親の都合で、殺しても良い胎児として線引する思想から、日本人を脱却させようと努力しておられるのです。どんなに小さい命でも、命は物ではないのです。年間100万も200万も胎児を殺しているなんて、異常ではないでしょうか。

白人至上主義がアメリカ大陸のインディアンやインディオをほとんど絶滅させた数にも驚きますが、それと同じ程の殺戮が、本当は母親のお腹の中で行われているのです。戦後累積堕胎数は一億以上とも言われます。現在の医学で観察された結果、おなかの中で、胎児は恐怖で必死に逃げようとしていることがわかっています。心拍数も異常にはね上がって器具から逃れようとします。その器具は、胎児の柔らかい体を引きちぎるように小分けにして引きずり出します。これが虐殺でなくて何でしょうか。 

参照 赤ちゃんは中絶されるときに恐怖で逃げる。 [NEW]

 

 


 

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 いのちは例外なく尊い。

 
 
下記、コピペしましたが
興味のある方は検索して御調べ下さい。

 
ポルトガルのジョアン三世が1530年より前の時点で、異教徒に対して戦争しうる条件について一法学者に諮問したのに対して答えた文書「いかなる原因により異教徒に対して正当戦争を行うことができるか」の中で次のように述べている。
 
 
 
イスラム教徒やトルコ人

 

これまでキリスト教徒の国土を不当に占拠し領有していたのであるから、彼らに対して行ってきた、また今後行うであろう戦争は正当である。
 

東洋各地やブラジル
 

 救世主は未信徒を改宗させ、霊魂の救済を行うように命じ、自己の利害をかえりみない宣教師を派遣したので、彼らは布教地で優遇を受ける権利がある。彼らの言に耳を傾けなかったり彼らを迫害した者に対する戦争は正当である。

 

アメリカ大陸の原住民

 

布教事業を妨害も圧迫もしない人々についてだが、彼らは自然法に反する重大な罪を犯すような野蛮な悪習を守り、それをやめようともしない。こういう者の土地を占拠し、武力で彼らを服従させる戦争は正当である。


ローマ教皇の勅書を支えた理論的根拠がこれであった。ここには人類が神の名において別の地域の人類を支配し、奴隷化することが許されているという審判の思想が存在する。

  

 
先住民の領土征服の手口
 
 
残念なことに、近世500年は、白人が世界中の有色人種の土地を侵略し征服する歴史であった。

 


白人征服者は、まず鉄砲と十字架をもって上陸、まず小高い岡に十字架を立て、神の名によってこの地を白人本国国王の土地と宣言した。

 

  
後述するように(英雄と言われているコロンブスの日記)現地の人々の宝物を奪い、反抗する者は鉄砲で容赦なく無差別に殺戮した。まず、先住民に出会った時にこの先住民は「(奴隷として)高く売れるかどうか」見定めたと言う(戦後教育で親米の教育を受けた私たちである。これらの記述は私たち日本人が見てもショックである。)こうして自分たちの領土としたのである。これらの手法で小さな島々だけでなく、広大な南北アメリカ大陸、オーストラリア大陸、ニュージーランド、アフリカ大陸も白人の支配地に組み入れてしまった。

 

しかし、インド、支那、日本などは16世紀には白人に寄港地や居留地を許した程度であるのに、なぜアフリカ大陸、南北アメリカ大陸、フィリピンなどはさしたる抵抗もなく武力制圧され、完全支配を許したのであろうか。
 
<これは原住民の文化と歴史の厚みの差、宗教的発展段階の違い、日本や支那における宗教に対する政治の優位、西欧に届いていた東アジア文明優越の情報、インドから東南アジアへかけてのイスラム勢力の壁などが考えられるが、決定的なことは軍事的抵抗力であった。日本と支那は十九世紀初頭まで西洋を寄せ付けなかった。(大熊:そうか・・それで谷口雅春先生は、真の国際平和を祈りつつも、上っ面な「反戦平和主義」に警鐘を鳴らし、独立を守れる武力確保の強調をされていたのだ。)
 
ポルトガルとスペインは、日本と支那の武力征服を企てていた。ただ、支那のほうが征服しやすく、日本は手ごわいとみていた。

 


宣教師は熱心に支那征服の容易なる所以を本国政府に説いたが、たとえばスペイン国王フェリペ二世は慎重策を命じた。

 特に北米大陸とオーストラリアは、大昔から住んでいた原住民を抹殺して、ヨーロッパ白人だけの占有地にしてしまった。なかでも「白豪主義」ほど身勝手な宣言はなかった。

 
 
 
 
 
世界植民地侵略戦争
 
 
近世500年は、白人は世界中を迷惑な植民地戦争に巻き込みヨーロッパ国内ではそれに連動するかのごとく、百年戦争、三十年戦争、七年戦争など、白人同士の争いが延々と繰り返された。
 
 
植民地侵略者の白人がヨーロッパにおいて殺し合いをするのは(奪い合いで戦うのだから)自業自得の面もあるが、平和な生活をしていただけなのに、一方的に(宣戦布告もせずに、全て(民族の誇り・土地・金・産物・女性・労働力・歴史)を)奪われたのはアジア人。アフリカ人たち、土着の先住民である。

 
イギリスは、その数百年に及ぶ白人の世界植民地侵略戦争の勝利者となったわけだが、それは第一次世界大戦へと結びつく。
 
 
白人の世界制覇植民地化
 
 
近世白人の白人の世界制覇植民地化、人身売買奴隷化は人類史上、人道上の最大の犯罪ともいえる。
 
にもかかわらず現在まで世界をわがもの顔で闊歩している白人は、この大犯罪を反省することもなければ、謝罪する気配もまったくない。

日本では早くから西洋野蛮論を唱えた達人がいた。それは明治維新の元勲の一人西郷隆盛である。
 
 
 

ラス・カサス報告書
 
 
白人のアメリカ到達以来の、先住民に対する白人の残虐無法ぶりを見て、たまりかねて非を内部告発した者がいた。コロンブスと同時代のスペイン人、ラス・カサスであった。

 
聖職者だったラス・カサスは、キューバ島で広大な拝領地(エンコミエンダという)の住人として、物質的利益の追求をしていたが、回心してスペインに戻ってきた。彼はインディオの虐待を見て、自国の植民地政策を痛烈に批判し、スペイン国王に報告書「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を送ったのである。

 
その報告書でラス・カサスは、搾取と原住民の殺戮が日常化している植民地の実態を暴露した。

詳細はこのページが参考になります。

 
 
1552年にこの報告が公表されると、教会、政治家、商人たちからラス・カサスに対して非難が集中した。彼らはラス・カサスを「恥知らずの修道士」「狂信的で邪心ある司教」などと指弾し、報告が暴露した大虐殺の事実を覆い隠そうとした。

 
 
スペインと対立関係にあったオランダ、イギリス、フランスではこの報告書は翻訳されて広く普及した。これらの国は、インディオに対する人道的立場からではなく、敵国であるスペインの非人道、残虐行為を宣伝するために利用しただけである。
 
 
 
日本でこの報告の翻訳が出たのはなんと昭和51(1976)年だった。長い間日本の西洋史学界が、ヨーロッパ人の歴史の暗黒面を暴くことにおびえていたのだ。
 
 
 

「インディアスの破壊について簡潔な報告」 
  ラス・カサス著   (岩波文庫)
過日の旅スケッチ「神秘の世界遺産を巡るペルーの旅」最後に、こんな感想文を綴った。
 
 
この神秘のインカ帝国を金銀略奪のみを目的に、皇帝を殺し、人民を奴隷化したスペインの残虐行為。
 
 
 
 
 
 当時残酷なスペインの略奪行為を怒り、スペイン国王へ直訴した一人のスペイン神父がいた。神父の名はドミニコ会ラス・カサス。彼のスペイン征服者糾弾の文章は岩波文庫によって、今も生々しく読み取ることが出来る。
 
 
 
 
「彼らは、誰が一太刀で体を真っ二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を切り落とせるかとか、内臓を破裂させることができるかと言って互いに賭けをした。彼らは母親から地乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたりした。またある者は冷酷な笑みを浮かべ、幼児を背後から川へ突き落とし、水中に落ちる音を聞いて、「さあ泳いでみな」と叫んだ。
 
彼らはまたほかの幼児を母親もろとも突き殺したりした。
 
 
 
スペイン人たちから逃げ延びたインディオたちはみな山に籠もったり、山の奥深くへ逃げ込んだりして、身を守った。
 
するとスペインキリスト教徒(ここでは、神父のキリスト教に対する覚めた目が光っている。)たちは彼らを狩り出すために猟犬を獰猛な犬に仕込んだ。犬はインディオを一人でも見つけると、瞬く間に彼を八つ裂きにした。また犬は豚を餌食にする時よりもはるかに喜々として、インディオに襲いかかり、食い殺した。こうして、その獰猛な犬は甚だしい害を加え、大勢のインディオを食い殺した。(本書インディアスの破壊について簡潔な報告27ページより転記)」
 
 
 
しかし、この内部告発糾弾書は、ラス・カサス神父から国王に提出されたものであるが、印刷という書式をとったため、これは当時スペインと戦争中であったオランダによって即時オランダ語に翻訳されオランダ国内で読まれ、続いて英仏はじめ各国語に翻訳され、スペインは各国から強い国際非難を浴びた。スペインはとうとう本書「インディアスの破壊について簡潔な報告」を、発行禁止の国禁書にし、神父に対して、スペイン侵略者たちは、国を売る神父として多くの弾圧が加えられた。
 
 
 
  
スペインの残虐非道を告発した一人のスペイン神父がいた。彼のスペイン侵略者の残虐行為の勇気ある実態告発を是非一度岩波文庫で読んで頂き、どの時代にも、良心の声を守りとおして生きた人がいることも知って頂きたい。人間は、心の内なる声によって生きていく人にこそ、本当に素晴らしい人生を生きることができる。

 
 

キリングフィールド
 
 
毛沢東親衛隊の指導を受けたクメール・ルージュのポル・ポト派は、1975年(昭和50年)にカンボジアの首都プノンペンを制圧すると、都市住民をことごとく農村への強制移住させた。そして貨幣のいらない理想的原始共産社会を作ると称し、邪魔になる知識層の殺害を開始した。ポル・ポトは毛沢東の最も忠実で実行力ある弟子だった。カンボジアの人口800万人のうち、約250万人を殺戮した。
 
 
この大虐殺を支那共産党政府が背後で指導していたことが世界に知られると、支那は突如として日本軍の南京大虐殺説を持ち出した。終戦から三十年後のことである。米国も、原爆と、東京大空襲などの無差別殺人から「世間の眼をそらせるべく」南京大虐殺説を黙認。日本が謝罪側にあることを「よし」としている背景がそこにあるのである。
 
 
 
なお、ポル・ポト支配下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡のこと「キリング・フィールド」という。
 
 
黄金の国ジパング(日本)
 
コロンブスは、黄金の国ジパング(日本)に憧れインドを目指して「アメリカ大陸」に到達した。その後のネイティブアメリカン(先住民)は、インドの人(インディアン)と呼ばれて殺戮された(推定5千万人~1億人)。人類史上最大の大虐殺である。
 
下記の資料を観て戴きたい。彼(コロンブス)の「先住民から何を奪えるかという打算に満ちた航海日誌」が残っている。大変ショックである。
 
黄金の国ジパングと呼ばれた「日本」に行きついていたらどうなっていただろうか。おそらく日本は侵略されたであろうし、日本の歴代の治世者もそれを意識したであろう。まず、キリスト教を布教する。優しく恩を着せて、対立させて紛争(内乱)を起こさせて「占領する。」そして奴隷化する。
 
ウィキペディアより(コロンブス)
「私(コロンブス)がインディアに到着するとすぐに、私が見つけた最初の島で、彼ら原住民(アラワク族インディアン)たちに、私に差し出さなければならないものがこの品々の中にあるのかどうか教え込むために、私は力ずくで原住民の何人かを連行した。」(日記)
 
「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。 彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた。」(日記)
 
「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して『いいえ』と言わない。逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した。」
(日記)
 
国王に調査報告を終え、少しばかりの援助を求めたコロンブスは、次の航海目標としてこう述べている。
 
「彼らが必要とするだけのありったけの黄金… 彼らが欲しがるだけのありったけの奴隷を連れてくるつもりだ。このように、永遠なる我々の神は、一見不可能なことであっても、主の仰せに従う者たちには、勝利を与えるものなのだ。」
 
行く先々の島々で、コロンブスの軍隊は、海岸部で無差別殺戮を繰り返した。まるでスポーツのように、動物も鳥もインディアンも、彼らは見つけたすべてを略奪し破壊した。  
 
コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。コロンブスの襲撃戦略は、以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった。
 
 
コロンブスが願い通り、「日本」に行きついていたら「日本人」が、インドの人(インディアン)と呼ばれて殺戮されただろう。その延長線に「日清・日露」「大東亜戦争(太平洋戦争)」があった事を忘れてはならない。
 
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ここ数日書いた内容は、ことさらに大衆の目にさらさなくてよい。
 
他国の恥ずかしい過去になるからだ。
 
私たちの人類共通(人類という家族)の「恥ずかしい歴史」であり、兄弟姉妹の、こころの痛みである。ということは私たちの歴史でもあり、私たちの痛みなのだ。このような心を「仁」という。日本の歴代の天皇陛下が最も大事にされた「大御心」である。
 
この「仁」があれば「優生思想」は流行しないだろうし幅を利かすこともないのである。「真の平和の心」である。
 
 
戦争に本当の「正義」などはない。ひとりの犠牲もあってはならない。
 
戦争とは、迷いと迷いが「ぶつかり合い」「瓦解する」姿ではある。だからこそ、中絶という「自分中心」の「胎内殺人(マザーテレサ言)」を無くさなくてはならないのである。こころの戦争(殺人)の延長にあるのが「国家間の戦争」であるのだ。また・・・
 
 かの大戦<(1)日清(2)日露><(3)大東亜戦争>が、このような「優生思想」に対する「戦い」の側面があることを知らない世代に、言いたい。
 
安易に、真実を知らぬが故に
素晴らしき先祖の名誉を汚すなかれ。
 
今年は終戦70年である。
 
私たちは清く正しく
美しくあらねばならぬ。
 

人間のいのちは
   皆、尊いのです。
 
 
 いのちに線引きすると言う
   発想が「戦争」なのです。
 
 
 
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