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親日国トルコとのまた新しい1ページが加わる。宮崎氏の記念公園に銅像

2013年02月05日 16時09分41秒 | 親日国

 くにしおもほゆからの転載です。

トルコは親日の国で、この国との友好の始まりは明治時代に日本を親善訪問した特使一行を乗せた軍艦「エルトゥールル号」がその帰路に暴風雨に会い、和歌山県沖で遭難し、地元民により命がけの救助と介護が行われたことによります。台風で漁にいけない貧しい地元民は、自分たちの食べるものさえ無くなってしまうという状況にあったにもかかわらず、非常時のために飼っていた、最後に残ったにわとりまでも、トルコ人に食べさせ介護しました。

この時の恩義をトルコ人は忘れず、語り継ぎました。また日露戦争ではロシアの南下政策で常に被害を受けていたトルコは、日本の勝利を喜び、それに強く励まされて、ロシアを撃退しています。

トルコ人はこのエルトゥールル号事件のことを国民全員で語り継ぎ、イラン・イラク戦争の時に、イランに取り残された日本人の救出に、日本政府が自衛隊機をはじめ国内機を飛ばせないという日本の国内事情から、トルコへ頼んだ救出要請に、ただ黙って引き受けてくれました。当時朝日新聞などは、日本の援助がほしいからではないかなどと、トルコを侮辱するような理由を推測して書いていましたが、本当は、このエルトゥールル号事件の時の恩義をずっと語り継ぎ、その恩義を返せることを喜んでなした行為でした。自国民を差し置いて、日本人を優先して救出してくれたのでした。そのために、イラン在住のトルコ国民は、文句も言わず陸路で脱出したほどです。

トルコはほんとに親日国です。これは日本の先人たちの無私の深切心が作り上げたものですが、こうした心をきちんと受け止め理解し、親日になってくれる国こそ、本当の国と国との友情が実現したものと言えます。こうした国を本当に大切にすべきです。

 

 

 

また新しい1ページが加わる。宮崎氏の記念公園に銅像まで作ってくれるトルコは本当に親日だ。大切にしよう!

宮崎淳さんは2011年10月に起こったトルコの大地震を救援するため「国際NGO 難民を助ける会」のメンバーとして活動されていましたが、宿泊したホテルが翌月の余震によって倒潰し、救出はされたものの病院で亡くなっておられます。
 
写真は現地で慕われていた宮崎さん、そして丁重な葬儀の式典です。
日本とトルコの強い絆については良く知られていますが、御存じない方は一番下の報道記事に簡単に載っていますのでご覧ください。
 
 
 
 
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トルコ:宮崎さん忘れない…地震救援、死亡 銅像も設置へ

毎日新聞 2013年02月03日 10時19分(最終更新 02月03日 12時49分)
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トルコで制作中の宮崎淳さんの銅像=エンシジ・ムラートさん提供
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宮崎淳さんの銅像が設置される公園「ミヤザキ・パーク」=エンシジ・ムラートさん提供
 11年11月、トルコ東 部の大地震の救援活動中に亡くなったNPO法人職員の宮崎淳(あつし)さん(当時41歳)=大分市出身=の銅像が今夏、トルコ国内の黒海に臨む「ミヤザ キ・パーク」と名付けられた公園に設置される。「被災者を救おうとトルコまで来てくれた宮崎さんのことを忘れないように」と、公園がある市の市長が企画し た。宮崎さんの母恵子さん(69)は「悲しみは癒えないが、遠いトルコの方々が息子の活動をたたえてくれて元気が出る」と話している。
 トルコ東 部をマグニチュード7.2の地震が襲ったのは11年10月。多数の人々ががれきに閉じ込められた。宮崎さんは東京都のNPO法人「難民を助ける会」の職員 として被災地に入ったが、11月9日の余震で宿泊先のホテルが倒壊し、亡くなった。会に入ったのは約3カ月前で、トルコは宮崎さんにとって初めての海外支 援国だった。
 銅像が設置されるのはトルコ西 部のゾングルダク県コズル市。地元の芸術家が宮崎さんの顔写真を基に高さ約2メートルの銅像を制作した。昨年夏に市長と会った同県出身で福岡市在住のエン シジ・ムラートさん(36)によると、制作費を市が予算化した。市長は「東日本大震災後の報道を見て、日本人の我慢強さに感動した。その後に、トルコで日本人が犠牲になり、とても悲しかった」と話していたという。公園には既に「ミヤザキ・パーク」と書かれた看板がある。

 ◇各地の公園、診療所に「ミヤザキ」命名

 「難民を助ける会」によると、トルコで は、宮崎さんが亡くなった東部ワン市の大学内の診療所や高校の実験室、イスタンブール市の防災用の公園など、既に複数の場所に宮崎さんの名前を冠した名称 が付いているという。特に被災地では宮崎さんの名前は多くの市民の記憶に残っているといい、恵子さんは「昨年5月に被災地を訪れた時に、子供たちからも 『宮崎さん』と声をかけられ、胸が詰まった」と話す。
 「難民を助ける会」の堀江良彰事務局長は「宮崎さんが聞けば、照れくさがると思うが、彼の気持ちが銅像のような形で現地に残るなら、うれしい」と話している。【遠藤孝康】

 ◇親日国のトルコ◇

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宮崎淳さんにトルコ全土で哀悼の意 大統領は天皇陛下に感謝の書簡

2011/11/14 19:10 (J-CASTニュース)
トルコ東部で発生した地震で、救援活動のため現地を訪れていたNPO法人「難民を助ける会」の宮崎淳さんが亡くなったことに、トルコではインターネット上で哀悼の意を表す人が現れている。
トルコの大統領は天皇陛下に書簡を送り、宮崎さんへの弔意を示した。遺体がトルコを離れる際は、空港でトルコ政府によるセレモニーが行われた。

「トルコ国民は自己犠牲の精神を決して忘れません」

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トルコ外相はツイッターで「宮崎さんの家族は我々の家族だ」とつづった
トルコ東部では現地時間2011年11月9日、マグニチュード5.7の地震が発生、宮崎さんが宿泊していたホテルが倒壊した。数時間後に救出、病院に搬送されたが、その後亡くなったという。
同地では10月23日、死者600人に上る大地震が起き、宮崎さんは現地で救援活動に携わっていた。そのさなかに被害に見舞われ、日本だけでな くトルコの人たちも胸を痛めた。事故後ツイッターでは、英語で「勇敢な宮崎さんの死を大変悲しんでいます」「宮崎さんこそ手本となる人物だ」といった、宮 崎さんを称える書き込みが見られる。「日本の皆さんに申し訳ない」との言葉もあった。
在日本トルコ大使館は11月11日、ウェブサイト上で宮崎さんの活動について、「感謝と敬意とともにいつまでも我々の記憶に留まるでしょう」との声明を発表した。だがトルコ側の「思い」はこれだけにとどまらない。
トルコの英字紙やカタールのアルジャジーラ(英語版)は、トルコのアブドラ・ギュル大統領が天皇陛下に手紙を送ったと報じた。書簡の中でギュル 大統領は、日本から送られた被災地への支援に対して「2国間の友好と親密さの証だと感じた」と記した後、宮崎さんと、今回の地震で負傷した「難民を助ける 会」の近内みゆきさんについて触れ、
「私たちトルコ国民は、おふたりの自己犠牲の精神を決して忘れません。被災地・バンにおける献身的な活動を通じて、私たちの心の中に長く記憶されることでしょう」
と最大級の賛辞を贈った。
またトルコのアフメット・ダーヴトオール外相も、ツイッターで「宮崎さんの家族は、これからずっと私たち(トルコ人の)家族だ」と投稿、大切な家族の一員を失った宮崎さん一家の心中に配慮したメッセージを送った。

イスタンブールの空港でトルコ政府が式典

宮崎さんの遺体は現地時間11月12日夕方、トルコを離れた。出発前にはイスタンブールの空港で、トルコ政府による追悼式典が催された。ひつぎ は日の丸に包まれ、政府関係者や現地の救助隊員が見送った。被災地のために活動した宮崎さんへ、最大限の敬意を示したものと考えられる。ひつぎは14日、 大分市の実家に到着した。
日本とトルコは、地理的には遠く離れているが双方で「助け合い」の歴史を刻んできた。古くは1890年、紀伊半島沖で当時のオスマン帝国の軍艦 が沈没した際、近隣住民が生存者を介抱して最終的には日本側がトルコに送り届けた「エルトゥールル号遭難事件」が挙げられる。これに対してトルコは、イラ ン・イラク戦争さなかの1985年、イランに取り残された日本人を脱出させるため撃墜の危機があるにもかかわらず航空機を派遣し、救出に成功した。
両国はまた「地震国」との共通点があり、一方が震災で大きな被害を出すともう一方が救助の手を差し伸べてきた。1999年8月、死者1万 7000人以上を出したトルコ北西部地震では、日本政府がすぐに人命救助隊を派遣。外務省によると、95年の阪神淡路大震災で救援活動を経験した隊員も 送っている。また震災復興として、236億円の緊急円借款供与と、約5億2800万円の緊急物資・無償援助を実施した。これに対してトルコも2011年3 月11日の東日本大震災で、赤十字社に相当する赤新月社から援助隊約30人が来日し、被災地での救助活動にあたった。トルコ政府は、飲料水や毛布といった 物資も提供している。


参考