美しい国からの転載です。
これは嬉しい感動的なニュースです。今回の震災で、被災地の方々にとって、何よりの励みになったのが、天皇陛下が被災地へ足を運ばれ、慰問され、また、何度も被災地へ心を寄せて行こうと国民に呼びかけられて、常に被災地と心を共にされていたことであろうと思います。
そんな被災地の方たちにとって、陛下の歌碑が破壊されていないで、無事な形で見つかったことは、まるで復興の予兆のような、希望を感じるうれしい出来事であるに違いありません。
この記事で、「美しい国」のブログ主のカマちゃんがおっしゃっているように、、国難の時には、わが国は常に天皇のもとに心を一致団結させて、乗り越えてきました。これは、天皇という存在が常に無私なる存在であり、ただ国と民のためにひたすら祈られる存在であったからであり、国民は、この天皇という存在を神聖に感じ、天津神と人間とを結びつける仲介者として、親のごとくに慕うことの中に自分の生きる美意識を感じてきました。国民全体がこの美意識を感じて、歴史を紡いできたのです。
この歴史は、世界にも稀な、奇跡のような国柄だと思います。この国柄を護り、未来へ繋いで行くのが、現代に生まれた国民の使命だと思います。
畏くも今上陛下が平成9年10月、大槌町で開かれた「全国豊かな海づくり大会」に行幸あそばされ、マツカワやヒラメの稚魚を放流したときのことを詠まれ、大槌町が陛下行幸を記念し、10年3月、大会会場に造った公園に御製碑を建てました。
岩手県大槌町を訪問した際に詠まれた御製を刻んだ歌碑が今月初め、同町のがれきの中から見つかっていたことが29日、分かりました。東日本大震災の津波で行方不明になっていた。関係者は「復興の象徴になる」と喜んでいます。
平成4年山形べにばな国体 発炎筒投擲事件の時の動画です。
皇后陛下は陛下の為には盾にもなる覚悟、尊敬の涙が耐えません、同様の事件が皇太子殿下時代にもありました。
昭和五十年七月十七日、沖縄解放同盟(黒ヘル)と戦旗派(赤ヘル)の過激派二人が、沖縄のひめゆりの塔の壕内に数日前から潜み、慰霊のためひめゆりの塔を訪れた皇太子ご夫妻に火炎瓶を投げつける事件があったとき、警備責任者としてその現場にいた佐々淳行氏は次のように述べています。
「いきなり火炎ビンを投げつけられれば、男性でも後ずさりするのが一般的だろう。実際、沖縄県警は退避してしまい、残ったのは皇宮警察本部の警衛官十七名のみだった。
その時、皇太子妃(皇后陛下)は皇太子殿下(今上陛下)の前に半歩進まれ片手を殿下(陛下)の前に差し出し、身を呈して暴漢から守ろうとされたのである。
その光景は、今も私の目に焼き付いて離れない。」と・・・
佐々淳行氏が「天皇ー最高の危機管理機構」と題し、(ワック出版「歴史通」五月号掲載)次のように述べられています。
平時、我が国では、天皇陛下を『権威』としていただいている。しかし、一旦緩急あって非常事態に直面すると、時の政権は、天皇に『権力』をもっていただい て事態を収拾してきた。そして、体勢が安定すると、また権威に戻っていただく形を繰り返してきた。代々、天皇陛下は、神道において天と国民を結ぶ仲保者・ 祭祀長という立場を占めてこられたのである。」と・・・
畏くも両陛下におかせられましては、東日本大震災後、避難所の人々を親しく激励あそばされた。激励された人々の顔は皆すがすがしく、異口同音に元気を戴きました、勇気付けていただきました、と感激を語っていました。
また陛下のご不例ご平癒ならぬ御身で、東日本大震災追悼式典へのご親覧、訪英、地方行幸とご高齢にも関わらず、ただひたすらに御国の安寧と、臣民の幸せ、世界平和を願われています。
北畠親房公が神皇正統記に記したように、「(万世一系の)我が国のみこのことあり。異朝にはこの類なし」とはこのことです。
被災地の復興を願われ、万民の幸せと、安寧、彌榮を願われる両陛下の御意そのままと拝し、拙き両目にも、心の汗溢れ来る思いを禁じえません。
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳