ブログ「よい国のニュース」から、『正論』記事「ペリリュー英霊が問う戦後精神/新保祐司」を読んで、深く共感を覚えました。特に、
>明治から大正にかけて諜報活動に従事した石光真清は有名な手記を書き遺(のこ)したが、その中で明治天皇の崩御に触れて「遠く満洲の涯(はて)に仆(たお)れた人々も、一斉に大地から黒く浮び上って、この偉大なる明治の終焉(しゅうえん)を遙(はる)かに地平線の彼方(かなた)から眺めているかに思われた」と書いた。
追悼式で「海ゆかば」が流れたならば、遙かに水平線の彼方のペリリュー島から英霊は黒く浮び上って今日の日本人を眺めるであろう。>
の部分で、思わず涙がこみあげました。
敗戦後、それまで国のために戦いなくなられた方々を英霊、勇士と崇めてきた国民が、一斉に手のひらを返したように、軍国主義者とか、侵略戦争の手先のように貶めたり、多少かばったつもりでも、軍国主義の犠牲者でした。
しかし、この犠牲者とか、被害者という言葉は、もしかしたら、軍国主義者という以上に、英霊を貶めているのではないかと、よく思ったものです。
犠牲者とか被害者というと、その人には、何ら罪がない、むしろ本来なら賠償される権利があるだとか、あるいは、なんとかわいそうな、気の毒な人だという同情に値するということだと思います。
これは、祖国を守ろうという意志を持って戦ったことを、何の価値もない行為というふうに、否定し貶めることです。しかも、自分の人生をたとえ時代の影響のもとで生きなければいけなかったとはいえ、そこには、やはり主体的にものごとを受け止め、行動した人々が多くいたはずなのに、それをすべて強制された人生であったかのようにとらえるのは、そうした人々の人生をただ流されて生きた木偶の坊的な人生と捉えることではないでしょうか。
たとえば、硫黄島でなくなった人々は、最後まで自決せずに、肉体的苦痛を耐えて戦い、米軍の本土への空襲を遅らせ、時間を稼いだというはなしです。飲まず食わずの中、玉砕せずに生き延びて戦うことの苦痛に打ち克って、なお戦い続け、戦死された英霊に対して、かわいそうな犠牲者などという傲りは、どこから来るのでしょうか。
それらは、戦後GHQに刷り込まれた自虐史観による日本悪玉論を単純に信じているからであり、その洗脳をなお脱しきれない故であり、それこそ戦後教育に流され続けた犠牲者といわねばならないでしょう。
ペリリュー英霊が問う戦後精神/新保祐司
8日から天皇、皇后両陛下がパラオ共和国を訪問され、大東亜戦争の激戦地ペリリュー島で戦没者を慰霊される。これは、戦後70年の今年における最深の行事といえるであろう。最深というのは、忙しさの中に埋没している日常的な時間を切り裂いて、歴史の魂に思いを致らし、日本人の精神を粛然たらしめるものだからである。
《「海ゆかば」を知らない日本人》
戦後60年の年には、サイパン島に慰霊の訪問をされた。そのときも、先の戦争を深く回想する契機を与えられたが、サイパン島は、バンザイクリフなどによって玉砕の島として日本人に知られているであろう。戦争の記録映像などでも、よく出て来るからである。
しかし、そのサイパン島や硫黄島などに比べてペリリュー島の方は、慚愧(ざんき)の至りであるが、戦後生まれの私も、この島の名前を知ったのは、そんなに古いことではない。日本人の多くが、知らなかったのではないか。
そのような島に天皇、皇后両陛下が訪問され、戦没者を慰霊されるということは、戦後70年間、大東亜戦争を深く記憶することを怠りがちであった日本人の精神の姿勢を厳しく問うものである。戦後の日本人が、いかに民族の悲劇を忘れて生きてきたかを叱責されるようにさえ感じる。
今年1月3日付本紙の「天皇の島から」の連載で、ハッとさせられる話が載っていた。パラオ共和国の94歳になる老女が取り上げられていたが、明快な日本語で「君が代」を歌い上げ、続けて「海ゆかば」を口ずさみ始めたという。歌詞の内容も理解していた。
この記事を目にしたとき、戦後60年の年に両陛下がサイパン島を訪問されたときのエピソードを思い出した。敬老センター訪問の際、入所者の一部の島民が「海ゆかば」を歌ったという話である。玉砕の悲劇を回想するとき、島民の心からおのずから「海ゆかば」が湧き出てきたのであろう。それに対して、日本人の方が「海ゆかば」を知らないのである。
《日本が失ったものの大きさ》
このように「海ゆかば」を通して先の戦争を記憶しているサイパン島の島民やパラオ共和国の老女に比べて、日本列島の島民はどうであるか。私もそうであったが、ペリリュー島を忘れていたではないか。サイパンやパラオの島民はずいぶん貧しいかもしれない。しかし、歴史の悲劇と戦没者を忘れないという精神においてどちらが品格が上であろうか。それを思うと、戦後70年間、日本が経済的発展の代償として失ったものの大きさに改めて気づかされる。
ペリリュー島については、40年ほども前に産経新聞社の前社長の住田良能氏が、支局時代にとりあげていたことを最近知って感銘を受けた。1978年、本紙の茨城県版に掲載された「ペリリュー島’78」には、「犠牲の大きい戦いであっただけに、米軍にとって、勝利はひときわ印象深かった。戦後、太平洋方面最高司令官だったニミッツ提督は『制空、制海権を手中にしていた米軍が、一万余の死傷者を出してペリリューを占領したことは、いまもって大きなナゾである』と述べ、また米軍公刊戦史は『旅人よ、日本の国を過ぐることあれば伝えよかし、ペリリュー島日本守備隊は、祖国のために全員忠実に戦死せりと』と讃(たた)えた」と書かれていた。
この「旅人よ、日本の国を」は名訳といっていいが、この文章の原型は、紀元前480年のギリシャでのテルモピレーの戦いを讃えた碑文につながっている。テルモピレーの戦いといえば、吉田満の『戦艦大和ノ最期』初版の跋文(ばつぶん)に、三島由紀夫が「感動した。日本人のテルモピレーの戦を目のあたりに見るやうである」と絶賛したことを思い出す。
戦艦大和の激闘が、テルモピレーの戦いの如くであったように、ペリリュー島の激戦も、テルモピレーの戦いであったのである。
《両陛下の慰霊に合わせ黙祷を》
この玉砕を悲惨な戦争とか戦没者を戦争の犠牲者とか決して言ってはならない。テルモピレーの戦いのように「祖国」のために戦った勇者に他ならないからである。
天皇、皇后両陛下が慰霊される時刻には、終戦記念日の正午に国民が黙祷(もくとう)をささげるように、ペリリュー島の戦没者に国民が黙祷するようにしてはどうであろうか。これまでほとんど忘れていたことに対するおわびも兼ねてである。
そして、今年の8月15日の全国戦没者追悼式には、「海ゆかば」を流してはどうか。明治から大正にかけて諜報活動に従事した石光真清は有名な手記を書き遺(のこ)したが、その中で明治天皇の崩御に触れて「遠く満洲の涯(はて)に仆(たお)れた人々も、一斉に大地から黒く浮び上って、この偉大なる明治の終焉(しゅうえん)を遙(はる)かに地平線の彼方(かなた)から眺めているかに思われた」と書いた。
追悼式で「海ゆかば」が流れたならば、遙かに水平線の彼方のペリリュー島から英霊は黒く浮び上って今日の日本人を眺めるであろう。そして、われわれはその視線に戦後の精神の在り方を厳しく問われることになるのではないか。(しんぽ ゆうじ)
さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。
私の家には、なぜか戦前の中等学校の教科書が何冊か残っていて、私はその中の修身教科書を手にとって、一体どんな内容だろうかと開いてみたことがありますが、いわゆる左翼のいうように国家に都合のいい人間に洗脳するための教科書というものでは決してないと感じました。
日本や世界の偉人を取り上げながら、いかに自立した精神力の強い人間を育てるか、また他人を思いやる心を育てるか、人間のあらゆる善なる心を育てようかと努めているという印象でした。それは子供の未来への大変深切な思いやりから、また日本の健全な国民を育てるという意図を持って編纂されていました。
多くの国に、この日本の修身教科書が雛形となって似たものが作られたと聞きますが、これはそのまま翻訳して世界中に広めても通用する内容でした。決して日本人が他国を見下すためになどという狭い国家観で書かれているものではありません。
記事中に左翼の主張が乗っていますが、その中に善意を装った人権否定の積み重ねから生み出される家族愛、友情、奉仕、愛国心、他民族や他国を見下す国家的な優越感。じわじわと子どもたちに植え付けていく過ちと書いてありますが、他民族や他国を見下す国家的な優越感で戦争を行ったのは、むしろ白人諸国です。植民地経営の非人道性を見れば明瞭です。
人種差別撤廃を掲げて戦ったのは日本です。歴史上、勝者が歴史を作ると言われ、勝者は善であり、敗者は、いかにも悪であるように歴史が塗り替えられるのが通常です。占領政策で如何に悪逆な国と貶められたか、その真実を見ずに、戦前を悪と思い込んでいては、今の世のいじめや家族崩壊などの社会の悪化は止められません。
ニュースで聞く、いじめの様子は、まるで今の教育現場が、力の強い弱い、立場の強い弱いなどで決まる恰も北朝鮮のような社会主義国の内部のようではないですが、そこには道徳という精神的な教えがなく、弱肉強食の力関係でいじめが発生して、それを止める力が存在しないように思えます。
たしかに過去にもいじめはあったかもしれませんが、このように陰湿だったり、一斉に見て見ぬふりをするしかないような社会は異常です。
心のノートが始まった時に、これが使われたことで、かなりいじめが減ったという事も聞きました。心の問題は、精神的なものの考え方で正すしかないのです。人類が過去から積み重ねて道徳という善と感じるものは、たいてい民族を超えて世界的に普遍な徳目となっているものです。そのようなものを教えることが押し付けということで教えられなかった弊害は、教えられた場合の弊害よりも少ないとは思えません。
戦後廃止された教育勅語をほんとうに読んだことのある人が何人いるでしょうか。教育勅語は悪いと教えられただけで、実際に見てみた人は少ないと思います。ところが実際に見てみると、本当に当たり前のことが書いてあるのです。人間として当たり前のことが、それを悪だとして排斥したきたところに、その当たり前のことが出来ない人間が増えた原因があるように思います。
人間として当たり前のこと、それを押し付けと言わずに素直におしえること、そうしないと、権利ばかり主張するわがままな人間ばかりがのさばるようになるのです。
「心のノート」は「これはまるで修身教科書だ」「これはあぶない」と警戒する。左翼はどうして道徳教育を嫌がるのか。

「これはまるで修身教科書だ」「これはあぶない」「しかも極めて巧みで悪質だ」
軍国少女・少年に育て上げられた自分自身の経験から即座に発せられた重みのある言葉です。
日本よい国 つよい国。世界に輝くえらい国。
戦後、日本の家族は核家族になり、更にはその核家族さえ今はいとも簡単に瓦解し てしまう。
国家の統治の大権は常に天皇にあり、幕府も帝国議会や内閣も天皇よりその権限を委託されたのである。一人ひとり考えも本来違う国民が、天皇という中心を持 つことで、日本人は、ひとつの家族のようにまとまってきたのである。歴代の天皇が、常に無私の心で国民を大切にいつくしまれてきたことは、歴史を調べれば それが決して嘘ではないことがわかる。
だからこそ、どんなに貧窮されても続いてきたのである。日本の天皇は、祈る君主であり、祈りこそ最大の役目であっ た。それが西欧の君主との絶対的な違いであり、西洋の民主主義が、君主から民衆の権利を獲得することで発展した歴史と、日本の歴史との違いを、はっきり認 識すべきなのである。
西洋と日本との人間観の違い、世界観の違い、自然観の違い、そうしたものがあって、それぞれの歴史があるのである。西洋の歴史を、 そっくり日本の歴史に当てはめて、西洋と同じ用語で、日本の歴史を語ることは、日本の国、日本の歴史の個性を無視し、間違った認識に陥らせることになると 思うのである。

それは国が一致団結したからです。中心帰一したからです。神仏を重んじ畏くも天皇陛下と皇室を奉じ、そして尊皇の志篤い、見事なリーダーが出現しました。しかし現代、平成の第四の国難はどうでしょう。国や国民は一致団結しているでしょうか?。
果たして奇蹟は起こるでしょうか?。かって「やまと魂」「日本人としての矜持」を持っていたわが民族も戦後六十数年を経て日本人は骨抜きになり、ました。 だから現在(いま)、ただ混迷を深めるばかりで国家は漂流し、右往左往し、いまにも沈没寸前の状況です。即ち亡国の危機なのです。第四の国難は日本とは何 なのかを忘れた危機なのです。かっての国難を切り抜けた優れたリーダーも見当たらず、多くの国民が危機と認識していないことこそ今迄と違うのです。それこ そが大変な危機なのです。
奇蹟が起こる要素がないのが大危機。政治、経済、教育全ての根本にあるものは日本の霊性、感性です。だからわが国の霊性、感性を立て直す作業から始めなけ ればならないのです。それが祈りです。祭祀を中心とした神事です。往古の昔より、わが国は政(まつりごと)は祭り事(まつりごと)と言いました。祭政一致 です。
美し国(うましくに)からの転載です。
日本人は古来より、万物に神が宿り、人間もまた神の子孫という自覚をもって、自然万物人間同士が和の心をもって調和する社会をめざしてきました。そしてその和の中心となるべきお方を天皇(すめらみこと)と仰いで、助けあい譲りあう社会を形成してきました。それは神を祀ることを一番に使命とされる無私なる存在である天皇を中心としてきたからです。
チャンネル桜で聞いた話ですが、東日本大震災では、アメリカ軍がトモダチ作戦として、大いに支援をしてくれましたが、その時に、アメリカ軍には海外への災害支援部隊のマニュアルというのがあって、それはこうした大災害の起こった地域は人間の獣性というものがあからさまになることが多く、我先に物を奪う、他人を犠牲にしても自分が生き残ろうとする、そんな傾向が顕著で、そのために支援部隊が襲われたりして、非常に危険を伴う任務となるので、そのための注意事項が詳細に隊員たちの心得として配られていたというのです。
ところが日本に支援に行ってみると、むしろ自分の被害はさて置いても、他を心配し、自分達のところはいいから、「あちらにもっとひどい被害を受けたところがあるからそちらから助けてくれ」とか、現に怪我している人が、「私はいいから、あの人をまず助けてくれ」という人々がほとんどだったというので、アメリカ軍がひどく感動したという話でした。
人間は普段は皆同じように生活していますが、こうした非常時にその本性があらあわれます。日本人はこうした非常時には普段以上に冷静になると言われます。皆が全体のために自分を抑えて行動することが自然にできる国民です。
そのような国民が古来から自然発生的に創りだした国柄が万世一系の天皇を中心とする国柄であり、それは国民性の中に無私で全体のために奉仕したい和の心が、その中心者に無私なる存在を置くのであり、国民自身の中にある人間の尊厳を自覚する心が天孫降臨の神話を生み出し、現御神としての天皇を中心とする国柄を創りだすのであり、これは全く国民性が生み出し創作する国家という一つの芸術なのだと思います。
西洋の支配非支配の考えが強い君主の国柄は、西洋の人々の合理的科学的なものの考え方などからくる国民性による国柄であり、この支配非支配の構図を世界の普遍的な史観として日本に当て嵌めたことが、近代のマルクス主義などの唯物史観であり、これによって、恰も日本の天皇を専制君主のように考えたことで、日本は日本なるものを見失い、日本的な考えや伝統を悪として破壊し続けてきました。特に戦後はアメリカのウォーギルト・インフォーメーション・プログラムの占領政策によって、自虐史観がはびこり、日本の個性としての大切な物が悪として切り捨てられる一方でした。
現代の荒廃が、一体何から来ているかといえば、和の心を失った、権利中心主義、個人中心主義、快楽追求的唯物民主主義の行き過ぎから来ていると言わざるをえません。
祖国日本を思う心
その先人の血と涙と汗によって築かれて来た歴史の重さを思う時、先人たちが信じて捧げてきたものへの共感、同化なくして御国の将来は決して無いと言っても 過言ではありません。それを否定し、批判することは先人たちの否定、自らのルーツの否定に他なりません。冒涜(ぼうどく)そのものと言えるでしょう。何 故、同じ日本人でありながら全く異人種の日本人が蔓延る(はびこ)ることになったのでしょうか?
それはGHQの占領、強制政策でした。先ず、公益無私、即天去私、滅私奉公、大家族破 壊、君民一体などの日本人の美徳の破壊にほかなりません。その上に、人権、自由、個人主義、平和、平等と言った欧米流のものを浸透させて行ったのです。そ れにより誤まった、歪んだ人生観が日本全体を支配するようになりました。同胞への愛、社会、御国への感謝、神仏やご先祖への感謝は蔑(ないがし)ろにされ たのです。
転載元: 美し国(うましくに)
美し国(うましくに)からの転載です。
戦後、国のためという言葉が死後になって以来、私たちは国のために命を捧げた人びとのことも顧みなくなってしまいました。国家がその国のために命を捧げた人を国をあげて慰霊もしなくなリました。子孫はそんな人のいたことすら知らないままで過ごしています。世界の国々がみな自国の為に命を捧げた先人を敬い、永久に記憶に残そうと毎年セレモニーをおこなう中で、日本のみが戦没者をあえて心にとどめまいと心から消し去ろうとしているかのようです。
こうした子孫の仕打ちを英霊たちはどのような悲しみを持って見ているでしょうか。天皇陛下と一部の遺族だけが心から慰霊の気持ちを持たれているのでしょう。政府は終戦記念日にも、靖国神社に一人の閣僚もお参りしなかったのです。
これは、結局三木首相が私人表明の参拝をしたこと、さらに中曽根首相の時に中国の内政干渉を受けて参拝中止をしたこと、それらが民主党内閣で実を結んだと言えます。国家が英霊たちの慰霊を国をあげて行わなくても良いということにしてしまったのであり、それは英霊への裏切りと言えます。死者との約束を破る、こんなことが許されるのでしょうか。

筆者も例年姫路・護国神社に参拝、護国の神々を偲び、感謝の誠を捧げています。
日本全国で戦没者追悼式が行われます。
大東亜戦争を知らない世代が日本の総人口の2/3になり、戦没者追悼式典に参列される方々も高齢化が進み、戦没者に対する「慰霊のこころ」が年々気薄になっています
靖国神社では、粛々と参拝される遺族の方々の神経を逆撫でするような反日デモが毎年、靖国神社周辺にて行われています。
このような奇怪な行動は世界的に見てもわが国だけではないでしょうか?
平成12年8月12日、バレンツ海において演習中、ロシア海軍・北方艦隊 の原子力潜水艦「クルスク」が沈没し、 乗員118人全員の死亡が確認されるや、各国政府は一斉に追悼 の意を表明しました。ロシア政府の事故への対応のまずさや情報の 隠匿が国際的に強く批判されましたが、それとはまったく別に 他国の軍人であっても、国家のために一命を捧げた人々に敬意 を表するのは国際常識です。
そして次のように讃えています。
「これらの日本の海軍軍人によって示された勇気は、誰も が認めるべきであり、一様に讃えるべきである。このよう に鉄の棺桶に乗って死地に赴くには、最高度の勇気がいる。 これら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持って、祖国に捧 げるオーストラリア人が果たして何人いるのであろうか。」と・・・・
海軍葬の模様はオーストラリア全土にラジオ放送され、松尾大尉ら 4人の棺は日本国旗で覆われ火葬に付された。特殊潜航艇は今 もキャンベラの戦争記念館に保存されています。
同日、マダガスカルのディゴアレス湾に停泊する イギリス海軍艦船に対しても、特殊潜航艇による攻撃が仕掛け られ、戦艦1隻、タンカー1隻が沈められた。これに対しては イギリスの首相チャーチルが、ノーベル文学賞を受けた「第2 次大戦」の中で、「二人の日本海軍軍人は祖国のために献身し、 類いまれなる功績をたてた」と賞賛しています。国同士 が戦い合っていても、祖国のために一命を捧げた英霊への尊敬 と哀悼の意は、人類として共有するまごころなのです。
しかし、日本政府は、戦没者追悼式典は行われても、護国の神々の御霊に対しては、国を挙げて行なっていません。残念でなりません。
戦争を知らない世代に慰霊の意味を理解するのは容易ではありません。
パリを訪れた日本人旅行者なら、かならずといって良いほど、ドゴール広場に立つ「凱旋 門」を訪れる。しかし、これがフランス国民にとっては戦歿同胞を追悼する記念碑であり、無名戦士の遺骨が埋葬されている聖なる場所だと知っている人は少な いだろう。第一次大戦に散った無名戦士の遺体が大正9年、パンテオン(万神殿、フランス国家に献身した文武の偉人の埋葬所)から凱旋門の下に移された。無 名戦士の一遺体にすべての戦没者者を代表させているのである。凱旋門とは生還した出征兵士を迎えるだけでなく、生きて母国に帰れなかった戦没者を迎える所 でもあるのであるのです。冗談を言いながら、記念写真をとっている日本人観光客の姿を「心ない」人々だと思っているフランス人もいるかもしれないのです。
ハワイにある太平洋国立記念墓地では、日本人観光客は戦歿者の墓石を跨いだり紙屑を散らかすから、バスの中から見学してもらうことにしたと言われています。


皆さん、現地へ向かう途上ではわりとなごやかなんです が、いよいよその海域に到着して慰霊祭に臨むと様子が一 変します。故人の名を泣き叫ぶ方。故人からの最後の手紙 をそっと開き、涙される方。ファィンダーが涙で曇って見 えなかったことが幾度あったことでしょう。
レイテ海戦に参加した戦艦「扶桑」乗員のある遺族は、 海面をじっと見つめ、「兄貴、来たぞ!」と叫んだ瞬間、 ぽろぽろ涙が海上にこぼれ落ちました。「兄貴、一緒に帰 ろうな」と、レイテ島の石を拾い、それを兄と思って持っ て帰るというんですね。 慰霊祭の後、甲板の縁に駈け寄って「親父」と叫んで海 に飛び込んだ男性もいました。お父さんの顔も知らずに育 った遺児の方でした。真下にお父さんが眠っている。「こ れで俺も親父と一緒になれた」と。
終戦五十年の年には、パラオ諸島で給油艦「石廊」の水中慰霊を七十歳の方と行い、全国で放映された。
それを見ていたのが当時、七十七歳だったある老人。 彼はその日からずっと日本海で泳ぎの練習を続けたという。
沈没から六十年を迎えた一昨年、八十六歳になっていた彼に、水中慰霊祭をやるから来るかと尋ねたら、即座に「行く」という答えが返ってきた。
二人で現地へ向かい「ここ(船上)から花束を投げるか」と言ったが、彼は 「いや、潜ってやらせてくれ。死んでも俺はやる」
と言う。結局水深二十五メートルまで潜り二人で慰霊を行った。船が沈没した当時、老人は部下二十人を率いる上等機関兵だったという。
自分だけが偶然、機関室を離れていたところへ直撃弾が落ち、そこで部下全員の命を失った。
六十年もの間、部下たちを思い続けてきた老人の気持ちは、一体いかほどのものであっただろう。
そういう思いが喉まで出かかって戦後を生きて来た人が たくさんいる。そして報道などで私のことを知って「ア ッ」と思うわけです。故人終焉の地に行って慰霊したいと いう長年の悲願を叶えたいと、ワラをもつかむ思いで私に 連絡して来られるのです。こういう遺族の心に思いを馳せる時、我々の心は自分の事ば かり考えて個我に閉じこもった状態から、他者に向かって開か れた状態になり、他者の苦しみ、悲しみを感じ取れるようにな る。それが慰霊の心である。
沈没した当時のまま、英霊の遺骨とともに朽ち果てていく運命にある。
しかし今日の日本を考える時、私はこの平和の礎となってくれた英霊たちの存在を思わずにはいられない。
坪本氏の嘆きは、護国の神々の御霊の嘆きであり、瀕死の状況にあるわが国への、わが民族への警鐘でもあるのです。
「海征かば 水漬く屍・・・」
67年の歳月、虚しく波にいたぶられてきたのかと思うと、心が痛み、言葉がありません。
わが民族の護るべき「誇り」の為に、莞爾として散りし御霊に国家は何を以って報わんや・・・・
敢然と散りし御霊に幾多の御霊に、後世の我々は如何に応えん・・・
転載元: 美し国(うましくに)







