小さな自然、その他いろいろ

身近で見つけた野鳥や虫などを紹介します。
ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。

昭和の日

2012年04月29日 23時21分11秒 | 無題
今日は昭和の日でした。昭和天皇陛下のことを思い出す時、いつも私は胸が熱くなるような、ちょっと切ないような気持ちがします。
昭和天皇がどれだけ敗戦した日本の国民を心配され、また経済復興を遂げた後も、世の中の道義の乱れていく様を気にしておられたり、時には国民が喜ぶさまを共に喜ばれたり、ほんとに父のような思い出国民を見守られ国民のために祈られていたことを思うと、国民がそれに応えきれていないことを、残念に思います。
日本人としての誇りを国民がしっかりとお見せできなかったことを、申し訳なく感じます。
最後まで、昭和天皇は沖縄訪問をされたく思われていたようですが、安心して沖縄訪問をなさる状況を作ってさしあげなかったことを国民としても心残りに思います。


 終戦間際の御前会議において、昭和天皇は次のように言われました。
 「… 私の任務は祖先から受け継いだこの日本という国を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本国民に生き残ってもらい、その人たちに将来 再び起ち上がってもらうほかにこの日本を子孫に伝える方法はないと思う。それに、このまま戦争をつづけることは、世界人類にとっても不幸なことであ る。……私のことはどうなってもかまわない。たえがたいこと、しのびがたいことではあるが、この戦争をやめる決心をした
(迫水恒久『大日本帝国最後の四 カ月』)

  列席し ていた閣僚たちは号泣しました。会議が終わった後、部屋を出て行かれる陛下に、阿南陸軍大将は取りすがるようにして慟哭しました。陸軍の立場として、「一 戦後和平」を考えて、徹底抗戦、本土決戦を主張してきた大将の男泣きでした。勝利の見通しをつけられない微忠を詫びての涙でした。その時陛下は

 「阿南、阿南、おまえの気持はよくわかっている。しかし、私には国体を守れる自信がある」(藤田尚徳『侍従長の回想』)
と言われました。先の御覚悟と この御確信は、全国御巡幸でお示しになり、みごとその成果となって現れました。

 

昭和天皇の御巡幸は昭和21年の2月19日の神奈川県下の昭和電工を皮切りに、昭和29年の北海道御視察に至るまで日数にして165日、総距離33,000キロに及ぶ驚異的な御事績でした。その間言葉をかけられたり、挨拶を交わされたりした国民は2万人に達し、御巡幸された土地の農産物や工業生産の能率は急上昇し、全国民の士気がよみがえったのでした。

 

昭和21年2月28日、昭和天皇は東京都世田谷区三宿の兵営住宅の戦災者3700名を慰問されました。ご案内したのは賀川豊彦氏で、氏は述懐して次のように言っています。
「その時、私は初めて天皇が物腰低く、親切で、丁寧で、平民として平民に接せられるにも全く精神的で、人道主義者として最善の努力をしていられるのに感心してしまった。とても私であればあんな努力と勉強はできないと思った。」
  賀川豊彦氏は、この言葉にもあるように、昭和天皇を平民と呼ぶほどの社会主義心棒者であり、またクリスチャンでもあり、神戸の貧民窟で長年、最下層の人々 と苦楽を共にした有名な思想家です。その彼が一番びっくりしたのは、昭和天皇が、上野駅からどっと流れて来た浮浪者の群れに対して、一々丁寧に挨拶をされ た時のことだと言っています。かつて、昭和天皇がまだ皇太子時代、摂政の宮であった時に、難波大輔というテロリストによって狙撃された虎の門事件というの がありました。氏はそれを思い出し、
いくら時代の変化とはいえ、左翼は解放せられている時代だし、暗殺しようと思えば何でもないのだが、………(陛下は)少しの恐怖もなく、親友に話するように、
一人一人に、二、三尺の所に接近して、
 「あなたは何処で戦災にあわれましたか? ここで不自由をしていませんか?」
と聞かれている。その御姿を拝して、
 三十七年間社会奉仕事業に専念してきた私としては陛下に負けると思った。
と白状しています。
 実 際、陛下はあの時、疲れていらして歩行することにも非常に努力していられることが、すぐ二、三尺後から宮内大臣の命令でついて行っている私にはよく解っ た。しかも、暗いトンネル長屋の昔を偲ばせる兵営住宅で、陛下は歩行困難な中を足をずらせて、探り探り歩いていらした。かれこれ一時間半以上も費やされ て、戦災者を慰問なされたのであった。それはなかなかの努力であった。もし暗殺しようと思へば、どこにでもその機会はあった。三千七百名はすべてプロレタ リアであった。    (賀川豊彦「平民『ヒロヒト』」より) 
 
昭 和20年12月23日から25日までサン・ニュース・フォト社企画の『天皇』の取材が赦されました。新聞カメラマンとしては、神武天皇以来初めての天皇取 材とあって、記者の二宮徳一氏はその思い出を克明に、『毎日グラフ』別冊「天皇・近代日本の70年」に執筆しています。それによると、撮影に入って2日目 は、昭和天皇の書斎での取材でした。昭和天皇ご自身、先に立って、書斎に入られたが、入口でまず電気ストーブのスイッチを切られたのでした。侍従がそっと 二宮氏に耳うちしました。
「お上はわれわれが、気をきかせてストーブを入れても、必ず、ご自身で消されるのです。夜遅くまで、寒いお部屋でお仕事をされるのです。」
そして二宮氏が初めて昭和天皇の部屋で目にしたものは、机の上の電話、ペン皿、書類箱でした。


一国の元首のそれを想像させる調度や文房具は何一つとしてなかった。ただ、今までページを繰られていた横文字の専門書と、ご自身で採集されたという貝殻の標本が生物学者としての陛下のお机であることを物語っているにすぎなかった。
ペン皿のちびた鉛筆、その横にインクの瓶。俺の家とあまり変わりないと思ったことを今も覚えている。
 と二宮氏は書いています。さらに、
 仕事の終わったことを申し上げると、陛下はすぐに部屋を出て行かれたが、その足許をみると、当時の言葉でいえば、玉歩を運ばせたまうそのスリッパは、後半分がすり切れて、爪先だけの、つっかけにすぎないお粗末な品だったことを付け加えておこう。

  スリッパを、後ろ半分がすり切れて無くなるまで、履き古すほどの節約ぶりは、想像を絶しています。陛下は戦災によって、宮殿を焼かれ、お文庫と言われる防 空施設に御移りになって以来、昭和36年までそこに住んでおられました。冬はしんしんと冷え、夏は蒸し暑く壁がじっとり湿気って汗をかくほどでした。天井 は戦後数年立つと、雨漏りがし始めました。漆喰が水を含んで天井が抜け落ちたこともあり、危険なこともありました。やっと昭和36年にお文庫のすぐ脇に新 御所ができて、普通の住居にお移りになられました。

新居にお体を運ばれたとき、昭和天皇の御手には、それまで仮住まいで使い古されたスリッパを提げておられたのでした。(高尾亮一元宮内庁管理部長“吹上御所、新宮殿”から)




祝! 「ちきゅう」が掘削深度の世界記録を樹立

2012年04月29日 22時37分31秒 | 日本の化学技術

くにしおもほゆからの転載です。

くにしおもほゆのブログ主であるwatch_compassさんは、科学分野の記事が専門のようで、いつもこうした日本の科学技術の紹介をなさっています。

日本にとって、科学技術は日本の経済を支える死活問題とも言える部分があります。ところが、今回偉業をなしとげた深海探査船「ちきゅう」は、民主党の事業仕分けで、10~20%も予算縮減の提言されたのです。これには世界も呆れていたようで、ハワイ大学の海洋地球物理学者グレッグ・ムーア氏は、これをとても嘆いたということです。

スーパーコンピュータやはやぶさの予算縮減など、日本の命運を握る科学技術の予算を削るやり方に、危機感を抱いた日本人は多かったのではないでしょうか。周辺諸国では日本の科学技術力が低下し、国際競争力が弱まる可能性が強いとして、この結果を「歓迎」していたようですけどね。

 

また日本が新記録樹立です。

報道されている記事だけでは、重要な内容が伝わりません。
この船とその調査の意味をとりあげました。
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「ちきゅう」最深掘削の世界記録更新 海面下7740メートルに到達

産経 2012.4.28 01:09
イメージ 1
  
地球探査船「ちきゅう」
 海洋研究開発機構は27日、東日本大震災の発生メカニズムを解明するため宮城県沖の海底を掘削していた地球探査船「ちきゅう」のドリルが、海面からの深さで7740メートルまで達し、海底の調査掘削の世界記録を更新したと発表した。
 ちきゅうは、4月から宮城県の牡鹿半島沖合で調査を開始。水深6883・5メートルの海底までドリルを下ろし、その下856・5メートルまで掘削。海面からの深さは7740メートルとなった。
 これまでは、1978年に米国の探査船による、マリアナ海溝チャレンジャー海淵での7049・5メートルが最高だった。
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くどいようですが、海底までの水深6883.5m+海底からの掘削856.5m=海面から7740mです。
まだまだ余力を持っています。
水深2,500mの深海域で、地底下7,500mまで掘削する能力があります。
まあ、記録を伸ばすためにやっている訳ではないし、先を越すようなライバルも今のところいないので、優先順位の高い場所から順次やってゆくでしょう。
 
なぜ掘っているのか
【理由1】
地球は大雑把に言って、表面に皮に相当する「地殻」、内部に「核」、その中間に「マントル」から成っています。
地殻の下にあるマントルは、組成などは推測されていますが、人類はいまだかって実際に目にしたことがありません。
地殻は陸で厚く、海では薄いです。
だから深海を深く掘削して、直接にマントル掘り出してみるのです。
これができた時には、人類の歴史に刻まれるでしょう。
【理由2】
地球に最初の生命がどうやって出来たかはとても大きい謎です。
遠い宇宙から隕石に内包されてやってきたという説もあります。
しかしこれだけでは説明しきれないことが多いのです。
深海の海底で生命が誕生したという説が最近有力になってきました。イメージ 2
この説を補強する証拠が「ちきゅう」によってサンプリングされています。
【理由3】
この使命がとても脚光を浴びてきました。
次の巨大地震に備えるために、海底の移動の様子を詳しく知ることです。
【理由4】
メタンハイドレートなどの資源が含まれる場所を詳しく調査することです。
沖縄海域では既に「ちきゅう」はレアメタルを含む金属が海底から噴出する場所を発見しています。
折から日本の大陸棚が31万平方キロメートル拡大したことも併せて、喜ばしいことです。
 
「ちきゅう」とは
日本海事協会が所有する59,500トンの深海掘削船です。
外観としては、掘削のためのやぐらがくそびえていて目立ちます。
安全に掘削する機能のほかに、ぴたりと同じ位置に長期間留めておくための最新の設備、また長期に留まるので研究者や乗員を移送するためにヘリポートも備えています。
日本が中心になっているのはもちろん、アメリカや他の多くの国から研究者が同乗して調査・研究をしています。
この分野でも日本は世界をリードしています。大いに誇ることです。
私に言わせると、資源探査用と海底の移動の調査用にもう1隻あってもいいのではないかと言いたいです。
 
 
 
ちなみにこの「ちきゅう」にも例の「仕分け」がいちゃもん言ってきたお蔭で、研究が一時滞りました。
彼ら仕分人達の発想は普通の日本人の対極でしたね。

「日本人が日本の国土を守る」

2012年04月26日 23時43分48秒 | 無題

美しい国からの転載です。

これもかなり前の記事になりますが、我が国の領土が領海という海の部分を多く持っていて、今や海は将来の資源の宝庫とされています。この海の守りこそ、我が国を守るということにつながっています。この領海が少しでも削られると、つまりそこが中国のものになると、その資源の喪失以上に、海上輸送路を我が国は絶たれる可能性さえあります。この海の守りをあまりにおろそかにしてきたのではないでしょうか。日本国民も政府も、我が国が海洋国家であることを深く考えて、領海領土の防衛を見なおす必要があります。

 

 

地図を見ても分かるように、日本は国土そのものよりも海洋において広範囲な権利を有する国なのです。
ちなみに、日本の国土は約38万km2で世界第60位、領海と排他的経済水域(EEZ)を合わせると約447万km2で世界第6位となります。


拙記事をご覧いただいている皆さんは、地球儀をご覧になったことはあると思います。日本と英国は大陸から離れた小さな領土です。しかし日英両国とも今や先進国の一翼を担っています。
これは、海洋国家の特性を生かした結果だとも言えるのだが、今一つ、領土主権かの問題から見ると、排他的経済水域が陸地から200海里(370・)と定められていることから、日本はオーストラリアよりも遥かに広いということです。


かつて小笠原諸島、
沖ノ鳥島(おきのとりしま)が 水没せんとするときに、日本は必死にコンクリートで周りを固めて領土権を守った経緯があります。また、同時に、東シナ海の尖閣諸島を守ることの大切さもそ のような意味があるからです。加えて、海洋国家にとっての特権は、大陸のように国境線が海にあるため領土問題の争いが少なく、国を守るために有利な条件を もっているのです。それは、ヨーロッパの2つの大戦を省みれば明かなことで、考えると、今極めて重要な政治的課題にしても北朝鮮の日本人拉致問題などは、 日本の海上の自衛権に問題があったことは明かであり、大いに反省すべきことなのです。海上自衛隊が自衛権の行使を発揮したことなど聞いたことがなく、全て は、海上保安庁にその責があるとされているのでは、今後の問題としても「海上自衛権」問題についてもしっかりした政府見解と自衛隊の行動が望まれるのは当 然の帰結です。

 わが日本国は平成8年7月に「排他的経済水域及び 大陸棚に関する法律」を施行した。これらは先にも述べたように、海域にも主権的権利の行使について定め、天元資源の監査・開発等・人工島、施設・構造物の 設置と海洋環境の保護・保全・海洋の科学的調査を定めるとともに、日本国の国境がそこまで達していることを宣明にすることです。尖閣諸島を守る戦いは日本 国にとっても重大な意義があるのです。

以下に、海上保安庁 Japan Coast Guard より参照抜粋すます。

現在のところ世界の海は国際法上大きく4つ(領海、接続海域、排他的経済水域、公海)に分けられています。
※まず領土の基準となるところは、海岸線で潮が一番引いた地点を基準にしてそれを結んだ線を領海の基線としています。

領海
・領海の基線からその外側12海里(約22km)以内の海域。
沿岸国の主権がおよぶ海域であり、外国船舶がその海域を航行するためにはその沿岸国が定める無害通航に関する法令の遵守が必要です。

接続海域
・領海の基線からその外側24海里(約44km)以内の海域(領海域の外側の12海里部分)
沿岸国が、領土・領海の通関上、財政上、出入国管理上(密輸入や密入国)、衛生上(伝染病等)の法令違反の防止及び違反処罰のために必要な規制をすることが認められた水域です。

排他的経済水域(EEZ=Exclusive Economic Zone)
・領海の基線からその外側200海里(370km)以内の海域(領海を除く)
沿岸国に経済的な管轄権が与えられているが、他国の航海に際しては自由通航となっている海域。
なお、排他的経済水域においては,以下の権利が認められています。
1.天然資源の開発等に係る主権的権利
2.人工島,設備,構築物の設置及び利用に係る管轄権
3.海洋の科学的調査に係る管轄権
4.海洋環境の保護及び保全に係る管轄権

公海
・特定の国家の主権に属さず各国が自由に自国の旗を掲げて航行できる海
 

石原都知事らしい米国での発表は見事です。
尖閣諸島が我国固有の領土であることを世界に発信したことを意味し、値千金といっても過言ではありません。
まして素晴らしいのは地権者です。
石原知事は尖閣諸島について、「極めて重要な島々であり、所有者は代々、国益を常に念頭に置いて、これを守ってきてくれた」と感謝の意も述べられました。
東京都が買ってくれるのならと交渉に応じられたそうですが、反日勢力からの誘惑も当然あったことでしょう。我欲にとらわれがちな今日の風潮ですが、頼りない政府に委ねるよりも英断であったと思います。
会見で、石原知事は、「都の予算は都民のために使うのが大原則では」との質問にも、「大原則は国のためだ」と述べられました。
東日本大震災復興に関わる、瓦礫処理の問題に然り、石原氏の言動には「愛国心」が背景にあります。
石原知事は過去に、数名の仲間と尖閣諸島に上陸し、灯台を建設した「日本青年社」が本格的な灯台を造ったことを「造ってくれた」と賞賛も忘れてはいません。同時に、、「当時の外務省が時期尚早として海図に載せなかった」ことが今日に至っていると批判しています。
平成7年は年明け早々に阪神・淡路大震災が襲い、街は壊滅状態となり、多くの死傷者を出した。そして復興への第一歩を踏み出し始めていた頃、議員勤続25 年を祝した永年勤続表彰という通常であれば政治家にとっての晴れ舞台で石原知事は辞職を表明し、辞職の弁で石原知事は、日本のことを「国家としての明確な 意思表示さえできない、さながら去勢された宦官のようである」と断じたのです。
そして「現在の政治に対する国民の軽蔑と不信はまさに自分自身の罪科である」と、沈没の様相を呈し始めている国家という巨大な船に対して、何の手の施しようもない自らの非力さを詫びたのです。
今日、心ある政治家が過去に感じ、挫折せざるを得なかった心境が感じられます。
石原知事の根幹を為すのは「自立」の哲学です。
国や自治体にとどまらず、個人としても、自らのことは自らが決定し、その責任は自らがとるという、人類、文明の普遍的な原理原則、かって日本人の誰もが持っていた精神です。
「東京から国を変える」というスローガンに真摯に取り組んでいる石原知事に多くの日本人が共感、共鳴しています。
今年、9月30日に満80歳を迎える石原知事ですが、筆者には「古武士の最後のご奉公」に思えてなりません。
筆者が尊敬してやまない、さくらの花びら大兄さまが、石原都知事、尖閣諸島の購入検討。議員たちが一向に動かない。とすれば私たちは一体どこの誰にこの国の安危をゆだねたらいいのだろうか。...   でも石原知事のことを述べられています。






反原発の急先鋒、山本太郎



我国には、動画や上記画像にも記載しています、摩擦を恐れ、安易に反日勢力に迎合する輩が存在します。
筆者は、彼らに尋ねたい・・・・
明治維新は何故為し得たのか?靖国神社の護国の神々、先人・先達は何故戦ったのか?
何故我国は、一国一文明の国であるのか?

「日本人が日本の国土を守る」 気概を肇国以来持っていたからではないでしょうか?
荒廃してしまった「国を護る」という日本人の精神・・・
我々の祖先が、命を賭して護った、国土に思いを馳せて欲しいと願うばかりです。



 

Lighthouse in Senkaku Islands 尖閣諸島 灯台物語

転載元 転載元: 美しい国


アメリカの教科書から日本海を消そうとする韓国勢力に負けるな!逆嘆願署名のお願い

2012年04月25日 15時13分04秒 | 日本海表記

国際派日本人養成講座からの転載です。緊急拡散です。大山捨松(上)の記事の最初に特別枠で載っていました。

なんと韓国人は、日本が軍拡主義によって、東海であった元々の名前を1928年に日本海に変えたと言い、日本の敗戦後も東海という元の名に戻っていないので、子供たちに正しい歴史を教えるためにアメリカの教科書から、日本海と言う名前を消して、正しい東海という名前に変えてくれとホワイトハウスに嘆願しているのです。

日本海はずっと昔から日本海であり、戦国時代に北オランダの地図にも日本海(sea of Japan)と書かれています。それなのに、こんな嘘八百の歴史捏造をよく臆面もなくやれるものです。何とか阻止しないと、アメリカの教科書が変われば、世界に波及する可能性があります。どうか署名をお願いします。

 

 

■■ 米ホワイトハウスに訴えよう! 「日本海は日本海」■■

 韓国人が米国の教科書で「日本海」を「東海」に書き換えさせる誓願をしています。韓国が不法占拠している竹島が「日本海」にあっては、日本の領土のようでまずい、という魂胆のようです。すでに2万5千人以上の署名を集め、誓願は成立しています。

「語学道場」さんが、それに対抗するための署名運動を始めました。2万5千人分まであと9,600人分が必要です。成立しなければ、日本人はこの問題に無関心、と米国政府に思われてしまいます。

 誰でも簡単にネットでできますので、署名をお願いします。
 → ネット署名の方法 http://bit.ly/HRxush

 

 

日本海に沈む夕日


米国内20カ所に慰安婦碑の設置・道路に慰安婦の名前・在米日本人の子供たちまで白眼視

2012年04月24日 00時30分52秒 | マスコミ

近野滋之・民族主義者の警鐘からの転載です。

従軍慰安婦問題は、戦争が終わって35年間、何らそうした事実があるとして問題になったことはありませんでした。吉田清治という人が、「私の戦争犯罪」という著書を出すまでは、存在しないものでした。この著書は後に、全くの捏造であることが判明しました。しかしその時から従軍慰安婦というイメージが定着して、それがあったかに語られはじめ、単なる売春婦が強制連行された性奴隷のように言われ始めました。

私も新聞で、そのドキュメンタリー的な話が連載されているのを読んだことがありますが、余りにヒドイ話で、ほんとにあったのなら許されない気がしました。

しかし、考えてみれば、これは矛盾だらけです。仮に従軍慰安婦というものがあったと仮定すれば、これがなんのためにあるかといえば、普通軍隊というのは、外国に侵攻して行けば、軍隊というのは個人の自由が制限される場所でストレスと生存の危機のために、種の保存本能などにより、どうしてもその地の女性に対してレイプなどが起こりがちであり、それを防止するために慰安所が作られるという話です。そうした現地女性へのレイプを防止する意図を持ったものが、それを作るために慰安婦狩りをするというのは、それこそ目的を見失って、意味不明のことをしていると言わざるを得ません。

だいたい慰安婦狩りなどそんな事実があれば、戦後すぐに問題となっていたに違いないし、極東裁判でも連合国が喜んで日本軍の悪として槍玉に挙げていたはずです。

朝日新聞は常に日本を貶めるために頑張っていると言わざるを得ませんね。この朝日新聞のせいで、アメリカ在住日本人の子供がいじめに合っているということです。在りもしない冤罪によって、いじめられる日本人の子供は、一体誰を恨めばいいのか、その子たちも、又、日本軍が悪かったと思って先祖を恨むでしょう。そうして、まるで原罪のように日本人は自虐意識を持ち、誇りを失い、国を呪う民族になっていくのでしょうか。

自虐意識を持った人間が他人に親切にできるでしょうか。自分に誇りを持ち、自分を愛することができて初めて、人間は他への思いやりもでてくるのではないでしょうか。自分のようなつまらない人間はないと考える人は、他人をも尊重することは出来ないと思います。同様に日本を愛することの出来ない人は、他国を尊重する精神も育たないと思います。

世界平和を本当に望み、それを実現しようとするなら、先ず自分の国を誇りに思い、自分という人間を大切に出来る人間を育てることです。自分の国の歴史を貶め、駄目な国だと思い、ひどい先祖の血を受け継いだ自分たちだと思っている限り、卑屈になることはあっても、誇り高い崇高な精神は出てこないと思います。

 

 

 

 

 
 
 
 
 
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良識ある日本国民の皆様には、朝日新聞が北朝鮮ミサイル騒動の本質は慰安婦問題だと報道したのはご存知だと考えます。
 
北朝鮮ミサイル―騒動の本質を見失うな
 
 北朝鮮の事実上のミサイル発射失敗をめぐって、政府の対応が混乱した。野党に追及され、政府は検証を進めている。
 一方で、お粗末な事態の再発を防ぐため、発射を探知した米軍の早期警戒衛星を、日本も持つべきだとの声が政府内から出ている。
 一連の議論は、どうにも筋違いだと言わざるをえない。

 今回のミサイル騒動の本質は、日常的な外交の問題であると認識すべきだ。
 確かに、政府の初動はぶざまだった。韓国国防省が発表し、米韓両国のメディアが速報しているのに、首相官邸の第一報は「発射を確認していない」。緊張感に欠け、誤解も招いた。
 米軍から発射情報を伝えられたが、日本のレーダー網でとらえる前に落下したため、うまく対処できなかったという。
 何のことはない。システムの不備というより、情報を扱う人間の問題なのだ。経緯を検証するのは当然だ。
 だが、これをもって開発費を含めて数千億円規模とされる早期警戒衛星を持つべしと唱えるのは、どうみても論理の飛躍だ。北朝鮮への対応を口実にした、過剰な要求でしかない。
 むしろ、韓国との情報交換を円滑に進めるなど、できる対策から進めることこそ必要だし、効果的だ。

 日韓両国はいまだに、やりとりした軍事情報を保護する協定を結んでいない。今回、韓国から発射情報が提供されなかったのはこのためだ。昨年1月の日韓防衛相会談で、協定の必要性を確認しあったのに、慰安婦問題などで足踏みしてしまった。
 つまり、ふだんの外交努力で日韓関係をもっと緊密にできていれば、今回の混乱は防げたかもしれなかった。
(朝日新聞4月21日)抜粋
http://www.asahi.com/paper/editorial20120421.html
 
>北朝鮮の事実上のミサイル発射失敗をめぐって、政府の対応が混乱した。野党に追及され、政府は検証を進めている
 
>今回のミサイル騒動の本質は、日常的な外交の問題であると認識すべきだ
 
私は本ブログ4月14日の記事で、北朝鮮のミサイル発射失敗での政府の対応を書き記しましたが、米軍から情報を得ていた藤村官房長官と、国会で「もしもし」という田中防衛相との危機管理能力の欠如が原因です。
 
 
 
 
 
 
>開発費を含めて数千億円規模とされる早期警戒衛星を持つべしと唱えるのは、どうみても論理の飛躍だ。北朝鮮への対応を口実にした、過剰な要求でしかない
 
納税の義務も果たさない朝日新聞に文句を言う資格はない!
 
3月30日に朝日新聞は東京国税局の調査を受けて、4800万円の悪質な所得隠しと、2億5千万円の申告漏れを指摘されています。
 
朝日新聞が2億5千万円申告漏れ 4800万円は悪質な所得隠し 国税

朝日新聞社(東京都中央区)が東京国税局の税務調査を受け、平成23年3月期までの5年間に法人所得約2億5千万円の申告漏れを指摘されていたことが30 日、関係者への取材で分かった。このうち約4800万円は悪質な所得隠しにあたると認定された。重加算税を含めた追徴税額は約8600万円で、同社はすで に修正申告した。
(産経新聞)抜粋
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120330/crm12033011090000-n1.htm 
 
>韓国との情報交換を円滑に進めるなど、できる対策から進めることこそ必要だし、効果的だ
 
>日韓両国はいまだに、やりとりした軍事情報を保護する協定を結んでいない
 
寝言は寝て言え!
 
韓国から得られる情報がないのはわかっていることで、北朝鮮が金正日の死亡を公表する直前、金正日が死亡したとされる2011年12月17日に、韓国の李明博大統領は、日韓首脳会談で来日していました。
 
韓国メディアでは、サムスンの役員が「18日に死亡説を知っていた」と報道しましたが、18日に李明博は、「誠意ある措置がなければ第2、第3の像が建つだろう」と、在韓日本大使館前の慰安婦像の撤去要請を一蹴していました。
 
 
 
 
韓国のネットでは、「金正日総書記は17日午前8時30分頃に死亡したそうだが、今日になって伝えられるなんて、われわれ韓国側の情報力は問題だ」という、韓国政府の情報収集能力に疑問の声が上がりました。
 
また、「17日死亡なのに大統領は日本に?、一体、国家情報院ラインは何をしているのか!」など、韓国政府の情報収集能力を批判する声も上がっていました。
 
北朝鮮は「人工衛星」を発射すると予告していましたが、韓国では緊迫した状況下でも、在韓日本大使館前で反日集会を行ったのですから、竹島を不法占拠している韓国には、北朝鮮と同じように経済制裁をすべきです。
 
 
 
4月11日、在韓日本大使館前での第1017回水曜集会「日本政府は慰安婦に謝罪せよ!」
 
>慰安婦問題などで足踏みしてしまった
 
>つまり、ふだんの外交努力で日韓関係をもっと緊密にできていれば、今回の混乱は防げたかもしれなかった
 
朝日新聞らしい(_)!!
 
朝日新聞は、日韓基本条約で解決済みの問題を日本政府が韓国政府の要求を受け入れて、慰安婦に対して謝罪と賠償を行っていれば、北朝鮮のミサイル発射失敗での混乱は避けられたと主張しています。
 
反日勢力が捏造した従軍慰安婦に、火をつけ油を流して炎上させたのが朝日新聞ですから、朝日新聞の主張は自爆で、北朝鮮ミサイル発射失敗で混乱をさせた張本人は朝日新聞ということになります。
 
朝日新聞は、朝鮮の済州島で慰安婦狩りをしたと捏造した吉田清治の著書、「私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行」を1991年に報道するなど、1990年代に従軍慰安婦問題を大炎上させました。
 
慰安婦にまつわる年表(朝日新聞関連のみ)

1989年
5月 主婦で「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」の事務局員、青柳敦子が『朝日ジャーナル』に意見広告 3
8月 吉田の著書が韓国で翻訳出版

1990年
1月4日 『ハンギョレ新聞』で、韓国の梨花女子大学教授の尹貞玉が「"挺身隊"怨念の足跡取材記」との連載で慰安婦問題を告発
7月10日 韓国で「挺身隊研究会」(現「韓国挺身隊研究所」)結成
11月 韓国で「韓国挺身隊問題対策協議会」が発足。ソウルの日本大使館前で「日本軍による慰安婦問題」に対する抗議デモを行なう。以降水曜デモが恒例に。

1991年
5月22日 『朝日新聞』大阪版が「木剣ふるい無理やり動員」との見出しで吉田 清治の慰安婦狩りの証言を写真入りで紹介
8月11日 『朝日新聞』が「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(植村隆韓国特派員・ソウル発)との見出しで記事掲載 9
8月14日 元慰安婦の金学順がソウルで記者会見
8月15日 『ハンギョレ新聞』により、金学順が「親に売り飛ばされた」と証言 していたことが判明
10月10日 『朝日新聞』大阪版が井上祐雅編集委員による吉田清治のインタビュー記事を掲載

1992年
1月11日『朝日新聞』が一面トップで吉見義明中央大学教授の防衛研究所における資料発見を「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報じる
1月13日十一日の『朝日新聞』の記事をうけ、加藤紘一官房長官が事実調査の前に「お詫びと反省」の談話
1月23日『朝日新聞』夕刊「窓」欄のインタビューで、吉田清治が「強制連行した女性は少なくみても九百五十人」と発言
 
朝日新聞「従軍慰安婦」記事数の変動

年  件数  特記事項
1985   3  ソ連にゴルバチョフ書記長登場。
1986   3
1987   2
1988   4
1989   6  ベルリンの壁崩壊。
1990   8
1991  110  ソ連崩壊。
1992  622
1993  350
1994  296
1995  384
1996  450
1997  375
1998  76
 
朝日新聞1991年8月11日付、植村記者のソウル発記事で、「女子挺身隊」の名で戦場に強制連行された人が出てきたと、「女子挺身隊の戦場に連行され日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち一人が名乗り出た」などと報じました。
 
名乗り出た元慰安婦の金学順は、8月14日に韓国で記者会見をしています。
 
金学順は、「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に、平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。3年間の検番生活を終え初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」と語りました。
 
当時、貧困な日本人にもあった身売り話しですし、同じ朝鮮人に売られただけです。
 
また、植村記者の記事にある「女子挺身隊」は、昭和18年9月に閣議決定されたものですから、金学順が17歳だった昭和14年には存在しない制度です。
 
朝日新聞の植村記者は、日本政府に訴訟を起こした「太平洋戦争犠牲者遺族会」の女性幹部の娘と結婚しているので、義母からの情報提供で、事実に反した反日記事を書きました。
 
 
 
 
1996年のインタビューで吉田清治は、「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」と、韓国での慰安婦の強制連行を捏造だと認めました。
 
 
 
 
私は本ブログ2月17日の記事にしましたが、2010年に、在米韓国系ロビー団体「韓国人有権者センター(KAVC)」により、米国パラセイズ・パーク市の図書館に「日本軍従軍慰安婦の碑」(キリム碑)が設置されました。
 
 
 
 
1930年代から45年まで日本帝国主義の軍隊に踏みにじられた20万人の女性と少女を称える
慰安婦とされた人々は想像することも出来ない残酷な人権侵害にあった
私たちは人類に対するこの残虐な犯罪を決して忘れてはいけない
 
 
「従軍慰安婦の碑」を先導した米国人(右)製作者のスティーブ・カバルロ
 
在米邦人の子供たちが、従軍慰安婦(性的奴隷)という捏造した歴史認識で「イジメ」にあっているという情報があります。
 
子供たちが、無実の韓国人女性を「レイプした日本人の子孫」として白眼視され始めているという情報もありますが、この問題も朝日新聞の責任です。
 
KAVCは今後、米国内20カ所で慰安婦碑の設置を宣言しています。
 
また、ニューヨーク市クイーンズ地区にある大規模住商複合団地も予定地で、ピーター・クー市議は、地域の道路に慰安婦の名前を付けると発表しています。
 
朝日新聞は日本の名誉を毀損して、在米日本人の子供たちまで白眼視されているのですから、従軍慰安婦報道は捏造だったと訂正記事を発信してから、廃刊すべきです。
 
良識ある日本国民の皆様、朝日新聞についてご考慮下さい。
 
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