ローマ人は、食事を健康維持のためでなく、快楽をむさぼるために行ない、食べては吐き、さらに食べるということを繰り返して楽しんだと言われます。そこには、自然からの恵みを感謝する心はなく、食事に供せられる動物植物の生命への冒涜だという気がします。
日 本人は、食事を前にして、「いただきます」という挨拶の言葉をのべますが、それは命をいただくという意味だそうです。命をいただくということの有り難さを あらわす言葉であり、それはいかにも日本人の自然観を感じさせる素晴らしい言葉ですが、そんな日本人が、性に関しては、このローマ人以上の冒涜を犯してい るのではないでしょうか。
食欲というものは、その個体の生命維持のために必ず食事を摂るようにと、自然が個々の生命に与えたものですが、 性欲というのは、自然が、子孫繁栄のために個人に与えたものです。その快楽の部分のみを摘み取って、その結果宿った命を人工妊娠中絶して殺してしまうの は、ローマ人の食事の快楽追求のやり方と同じく、それはまさに神をも恐れぬ所業というべきものではないでしょうか。
昭和45年に、政府が人工妊娠中絶に関して経済的に割と豊かな世帯の女性に対して調査したところ、その40%が賛成だと答えたそうです。その理由は、家族の数を少なくして、より快適な生活を送りたいとする願いからだそうです。
こ れは明らかに、大人が自分の欲望をむさぼることはしても、出産や育児の苦痛や苦労を負うのはゴメンだという利己主義の精神です。子供は一人か二人でよい。 それ以上の面倒は見たくないから、殺してしまえばいいということです。そして快楽の部分のみは享受するのであり、これが女性の権利であると言うのです。
産 む産まないは女性の権利であり、快楽追求は基本的人権だというのです。それでは胎児の権利というものはないのでしょうか。胎児の権利を代弁するものは本来 母親です。しかしその母親が、胎児を殺しても構わないというのなら、胎児は誰も守ってくれるものなく、殺されるだけです。
早期の段階の妊娠中絶は、全く人間として扱われずに、切り刻まれて、以前は汚物と一緒に流されてしまうのみでした。今は医療廃棄物というゴミとして処理されると聞きましたが、そこには供養という概念も全く出て来ません。
胎 児は受精の段階で既に霊魂が宿っていると言われます。切り刻まれて殺されるというだけでも余りにもむごたらしい惨殺ですが、さらに汚物やゴミのように扱わ れて処分されるのです。そこには生命への尊厳は全く感じられません。これでその霊魂が親や社会を恨まないと言えるでしょうか。もちろん高級な霊魂もいて、 全く恨まないという胎児の霊もいるようですが、そうでないものはこのような非業の死を恨まずにはおれないでしょう。
母体保護法という名の胎児虐殺を認める法律を改めるべきです。これほど胎児を殺すことをほとんど無制限に許している国は、世界でも日本ぐらいだという話です。
生命尊重と言いながら、物言わぬ胎児を殺し、その犠牲の上に、快適さを貪ろうとする戦後の日本は、一体自然への敬虔さを忘れたのでしょうか。
戦 後の自虐史観から、日本文化の中心だった神道的な自然観は顧みられることなく、科学的であることが重んじられ、霊的な考え方は排斥されて、精神的なものを 鼻で笑うような、唯物論的な風潮がすべてを支配していきました。そして多い時は年間三百万もの胎児が殺されていたのです。
人という日本語 (大和言葉)は、日止(ひと)と書くと正しい意味と成る言葉であり、お日さまから分かれた生命がそこにとどまって人間となったのであり、男は日子(ひ こ)、女は日女(ひめ)と呼びました。それは、人を単なる物質的肉体的存在ではなく天から天降ったもの、すなわち霊的存在であり、天から命を頂いた存在と 認識していたのです。大人だけが人ではありません。どんな小さな胎児も、天から天降った尊い存在だという思いがあって、子宝としてほんとに慈しんだので す。
そんな日本人が、人を霊的存在だと思わなくなったのは、日本国憲法という国の基本法が、人間を肉体的なものとして扱い、肉体的権利のみを基本的人権として、自由に快楽追求の権利として、最大限に認めるべきだという思想で制定されてからだという気がします。
国家が個人の基本的人権に奉仕するように定められた憲法は、そこに求心力がなく、バラバラの個人ばかりを重んじる遠心力の大きい憲法です。戦勝国が、敗戦国に与えた占領憲法であり、日本の国家解体を目指すような日本弱体化憲法ですから、当然といえば当然なのです。
日本国憲法は、いずれ破棄されるべきものだと思いますが、とりあえずは、母体保護法という胎児虐殺を許す法律を早急に改正すべきです。そして胎児保護法を制定するべきです。このような非道を許していて、道義国家も何もあったものではありません。
今 現在移民受け入れの議論がでていますが、日本人の胎児を年間100万人(現在の推定数)殺しておいて、外国から移民を受け入れるというのは、まるで日本民 族の減少を推進する民族浄化策のようではないですか。
人工妊娠中絶によって日本人の人口を年々減少させ、代わりに毎年20万人づつ移民を入れていけば、最終的には、日本人は日 本列島での少数民族になってしまい、もはや日本という名の別の国になってしまうことでしょう。
しかも、移民のうちで、その大半を占めるの はおそらく中国人です。中国系移民が日本民族を超える人口になったとき、ウクライナで起こっているような、例えば、クリミア半島が住民投票でロシア編入を 決めたように日本列島が中国系移民の圧倒的多数の投票によって中国編入が決まるということもあり得ないことではないと言えます。
そんなことが起る前に、日本人の胎児を殺すことをやめて、きちんと産むよ うにすべきです。
むやみに産んでも育てられないという意見もありますが、だから殺していいということにつながるはずはありません。
この世界は因果応報の世界です。自然科学でも動反動の法則があるように、精神の世界も、霊的世界も、皆因果応報の法則があるのです。殺すものは殺される、 奪うものは奪われるのです。一時的に完全犯罪が成立したように見えても、長い目で見れば必ずその報いは現れます。それは人間の潜在意識は、必ず罪の意識を 持つのであり、そしてそれを贖罪するように自分の運命を作り上げるものなのですから。
「ねずさんのひとりごと」に
[緊急投稿]国は小保方晴子さんを護れ!
の記事が投稿されました。前から、「くにしおもほゆ」さんなどの記事で心配していましたが、このねずさんの記事を読んで、これは容易ならぬ事態なのだということを感じました。小保方さんが論文の書き方で叩かれて、そのために論文撤回の圧力を受けておられることが、実はいろいろな組織団体の思惑があって、小保方さん自身の功績やそのための彼女の身の危険、また日本の国益まで絡んでいることが、ねずさんの解説でよくわかりました。

国は本当に小保方さんを守ってほしいものです。日本が、外国のように、公然と国益を守ることを自然にできる国であればと思います。今の日本は、戦後、国の施策に、いろいろな制約が課せられて、国益がまるで国民とは別のところにでもあるかのように思わせられ、国家は国民と対立するものであるように洗脳されてきました。
しかし本当に歴史を見てみれば、日本ほど、国民と国家が一体となっていた国はありません。もちろん少しの例外はあるでしょうが、それでも外国の国家と国民の歴史を見ると、国民いわゆる一般庶民が、国家を相手に戦わざるをえない歴史があって、日本とは比べ物にならないほど、庶民が虐げられた歴史があります。
日本では、戦後の教科書では、いかにも外国と同じように、あるいはそれ以上に庶民が虐げられていたかに教えられていますが、実際の歴史を研究した人の話を聞くと、そんなことはないようです。近年江戸時代が見直されてきましたが、過去に庶民がこれ程に平和に幸福に知的に暮らしているのは世界でも珍しいと思います。戦国時代などは戦乱の世で大変ではあったでしょうが、それでも戦っているのは大名だけで、庶民が戦乱に巻き込まれることはそうはなかったし、外国のように、庶民が都市ごと全滅させられるということもありません。
古代より、国民は大御宝(おおみたから)、あるいは天皇の赤子という言葉で表現されるほどに、大切にされてきました。実際の為政者も、そんな国民を天皇からお預かりしているという大義を貫くことで、その地位を安泰にしてきたのです。日本を建国された神武天皇の建国の勅にもハッキリと民が大切だということが書いてあり、また道義国家としての建国が宣言されているのです。
こうした古事記日本書紀の記録こそが、本来の日本の憲法の元になるべき不文憲法なのですが、今のアメリカ製日本国憲法が民族の不文憲法を完全に無視していることに、多くの人が何の疑問も持たないことが、少し情けない気持ちになります。
話がそれましたが、日本は、もっと国益を守るために政府が動いてもいいと思うのですが、最近は民間ならよくて、政府が関与することは極力避けるという方針が強すぎるように思います。
とにかくねずさんの記事を読んで、幅広い視野で、このニュースを考えていただきたいと思います。
スタップ細胞のニュースが最初に流れた時には、ほんとに嬉しいニュースでした。そして女性の目から見ても素敵な小保方さんの雰囲気に、とても魅せられたものです。
ところが、その後に出てきた疑惑報道には、マスコミしか情報源がない段階では、小保方さんがほんとに叩かれるような人なのか、それともただのずさんさなのに、杜撰ももちろんいけませんが、行き過ぎで叩かれているのかわからないまま、心配していました。せっかくの発見が真実であってほしいと願いながらも、見守っていました。
しかしここに来て、先日の理研の会見には、何か組織としてのずるさを感じずにはおれませんでした。小保方さんだけにすべての責任を追わせる卑怯さを感じました。
小保方さんに関しては真偽の程はさっぱりわからないながらも、反論されたことには、なにかホッとした気持ちでした。小保方さんの仰る通りならば、どうか頑張ってほしいと思わずにはおれません。
そんな中、くにしおもほゆさんの記事に、香港中文大学の李教授がスタップ細胞作成の再現に成功したという記事が載っていました。くにしおもほゆさんは、心配しておられます。
小 保方さんは、論文の作成過程はともかくとして、もしスタップ細胞が実在するものならば、科学のとてつもない領域への扉を開きかけた可能性があるとおっ しゃっています。そして、もし論文撤回などで、日本の科学界が、せっかくの小保方さんの功績をなかったコトにしてしまえば、特許など、大きなこの分野の国 益を日本は逃してしまうことになると仰っています。
これと同じことを、チャンネル桜の番組、「クライン孝子のいいたい放談」でも、クライ ン孝子さんが仰っていました。論文の作成過程の話とはまた別の問題として、このスタップ細胞を世界の科学者たちに、一から平等のスタートに帰してしまうこ とは、日本の国益を大きく損ねるとおっしゃっていました。
クライン孝子さんの直感と洞察力には、いつも一目置いて見ていますが、外国におられるからかどうかは存じませんが、こうした世界的視野で問題を見ることの出来る人にふえてほしいものです。
小保方さんにも頑張ってスタップ細胞の実在を証明して欲しいですし、日本の国益を考えて物事を拙速に判断しないように、学識者の方の度量を期待したいものです。
くにしおもほゆから転載です。
STAP細胞作製の再現に成功か「言葉が出ないほど驚き」香港中文大学の李教授
だから「それはそれ、これはこれ」という見方をしましょう。







