チエンマイの原風景 からの転載です。GHQの言論封鎖は、一般国民に走らされないように進められましたが、この時に消された童謡の歌詞は多く、このお山の杉の子もそうです。戦後書き換えられ、あるいは途中までで番数を切られてしまったり、日本の当時の庶民の素朴な思いを綴った歌詞は、少しでも軍に関する言葉が出たり、国を守るという言葉も、愛国的な気持ちになるような言葉は徹底的に封殺されました。そしてそれは、そのまま現代にまで続いています。原作者が心を込め、深い愛情を込めた歌詞も、消されたままです。
お山の杉の子
お山の杉の子
尊敬する『道後』さんよりご自身が兵隊ソングとして良く歌う曲として紹介されたのがこの『お山の杉の子』です。
この歌は、もともと昭和19年に作られたものが始めです。昭和19年といえば、既に日本が戦争状態に入って久しく、銃後を守るのは単に夫を戦地に送り出す家庭だけではなく、父を夫を失った家庭もありました。小さな子供たちは小国民と呼ばれましたが、そんな子供たちを励ますための歌が公募され、それに第一位となったのがこの『お山の杉の子』でした。
作 詞は、徳島の小学校教員吉田テフ子でした。その後、彼女は作家を目指しますが、歌となった詩は、この詩一つだけでした。彼女の生家の裏山には立派な杉山が あったといわれますので、彼女はそうした山を見ながら、幼い子供たちの成長と国の隆盛を重ね合わせたのでしょうか。又この杉という木は日本特産の常緑針葉 樹であり、そうした意味からも日本の子供たちには似合っているのかもしれません。吉田テフ子は、この歌を通して戦争孤児となった子供たちにも夢と希望を 持って成長し、立派な国民となるよう願っているのです。そして、この歌に曲を付けたのが日本コロムビア専属の作曲家である佐々木すぐるですが、彼は校歌も 含めて2000曲に及ぶ曲を手がけたといわれますが、代表作が『月の砂漠』であり、この『お山の杉の子』です。これを歌ったのが安西愛子、加賀美一郎とコロムビア児童合唱団でした。発表と同時にこの軽快な歌は忽ち全国に広がったといいます。
お山の杉の子記念碑
お山の杉の子 - 真理ヨシコ
今私たちが知っている『お山の杉の子』は、上のものでしょう。この動画には4番までしか歌われていませんが、6番までの完全な歌詞が次のものです。
1.
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の 禿山(はげやま)は
いつでもみんなの 笑いもの
「これこれ杉の子 起きなさい」
お日さま にこにこ 声かけた 声かけた
2.
一(ひい)二(ふう)三(みい)四(よう)
五(いい)六(むう)七(なあ)
八日(ようか)九日(ここのか)
十日(とおか)たち
にょっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子顔出して
「はいはいお陽(ひ)さま 今日は」
これを眺(なが)めた椎の木は
あっははのあっははと 大笑い 大笑い
3.
「こんなチビ助 何になる」
びっくり仰天(ぎょうてん) 杉の子は
思わずお首を ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも 考えた
「何の負けるか いまにみろ」
大きくなって 皆のため
お役に立って みせまする みせまする
4.
ラジオ体操 ほがらかに
子供は元気に 伸びてゆく
昔々の 禿山は 禿山は
今では立派な 杉山だ
誰でも感心するような
強く 大きく 逞(たくま)しく
椎の木見下ろす 大杉だ 大杉だ
5.
大きな杉は 何になる
お舟の帆柱(ほばしら) 梯子段(はしごだん)
とんとん大工さん たてる家(うち) たてる家
本箱 お机 下駄 足駄(あしだ)
おいしいお弁当 食べる箸(はし)
鉛筆 筆入(ふでいれ) そのほかに
たのしや まだまだ 役に立つ 役に立つ
6.
さあさ 負けるな 杉の木に
すくすく伸びろよ みな伸びろ
スポーツ忘れず 頑張(がんば)って 頑張って
すべてに立派な 人となり
正しい生活 ひとすじに
明るい楽しい このお国
わが日本を 作りましょう 作りましょう
昔々の その昔
椎(しい)の木林(ばやし)の すぐそばに小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の 禿山(はげやま)は
いつでもみんなの 笑いもの
「これこれ杉の子 起きなさい」
お日さま にこにこ 声かけた 声かけた
2.
一(ひい)二(ふう)三(みい)四(よう)
五(いい)六(むう)七(なあ)
八日(ようか)九日(ここのか)
十日(とおか)たち
にょっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子顔出して
「はいはいお陽(ひ)さま 今日は」
これを眺(なが)めた椎の木は
あっははのあっははと 大笑い 大笑い
3.
「こんなチビ助 何になる」
びっくり仰天(ぎょうてん) 杉の子は
思わずお首を ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも 考えた
「何の負けるか いまにみろ」
大きくなって 皆のため
お役に立って みせまする みせまする
4.
ラジオ体操 ほがらかに
子供は元気に 伸びてゆく
昔々の 禿山は 禿山は
今では立派な 杉山だ
誰でも感心するような
強く 大きく 逞(たくま)しく
椎の木見下ろす 大杉だ 大杉だ
5.
大きな杉は 何になる
お舟の帆柱(ほばしら) 梯子段(はしごだん)
とんとん大工さん たてる家(うち) たてる家
本箱 お机 下駄 足駄(あしだ)
おいしいお弁当 食べる箸(はし)
鉛筆 筆入(ふでいれ) そのほかに
たのしや まだまだ 役に立つ 役に立つ
6.
さあさ 負けるな 杉の木に
すくすく伸びろよ みな伸びろ
スポーツ忘れず 頑張(がんば)って 頑張って
すべてに立派な 人となり
正しい生活 ひとすじに
明るい楽しい このお国
わが日本を 作りましょう 作りましょう
し かし、残念ながらこの歌詞は吉田テフ子の本来のものではなく、彼女の元歌に詩人サトウハチロウが手を加えたもので、そこには本来の響き、意味合いが消され て、可愛い子供の歌になっています。サトウハチロウの補作によって出来た歌詞は、戦後の日本復興を願っているようです。荒廃した国土開発、森作りと言う国 家事業を植林という事業から始めようとでもしたのでしょうか。たまたまそれに選ばれた木が杉であり檜でした。確かに戦後の日本の植林事業で全国に杉の木が 広がったようです。とはいえ、元歌の意味合いを殺し、可愛い少年に日本国の再建を託すかのような歌詞にサトウハチロウが手を加えなければならなかった所に この歌の悲劇と時代相を感じます。
吉田テフ子の『お山の杉の子』が 世に出てわずか9ヶ月、昭和20年8月15日を境に日本のすべてが180度転換してしまいました。白が黒となり、善が悪となり、人々は価値観の逆転を強い られました。進駐してきたGHQは、日本の社会のあらゆる部門を統制と検閲という網の目で捉え、目と耳を塞ぎ、口を閉じさせたのみならず、この『お山の杉の子』も また戦時色濃い歌であり、軍国主義を感じさせる、ということで発売禁止の憂き目を見ました。それでも心ある人々は、何とか世に出そうとしての改定も試みら れたようですが、GHQの許しを得るまでには至らず、結果的に許されて今に至るのが今われわれが良く耳にするサトウハチロウ補作の上記のものです。サトウ ハチロウは、歌の中から終戦以前の色を消し去ることを目指したようで、特に3番以降にサトウハチロウの手が入っています。特に6番に至っては、補作という より書き換えという方が相応しいほど殆どが消され、原文は始めの一行だけという淋しいものです。
では、戦時中の孤児を励まそうとして作った吉田テフ子作の本来の『お山の杉の子』は、どのような歌詞だったのでしょうか。次の動画に残っています。
お山の杉の子(元歌)
作詞:吉田テフ子(ちょうこ)作曲:佐々木すぐる
歌唱:安西愛子、加賀美一郎(他)
歌唱:安西愛子、加賀美一郎(他)
(一)
昔 昔の その昔
椎の木林の すぐそばに
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の はげやまは
いつでもみんなの 笑いもの
これこれ杉の子 おきなさい
お日さまニコニコ 声かけた 声かけた
昔 昔の その昔
椎の木林の すぐそばに
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の はげやまは
いつでもみんなの 笑いもの
これこれ杉の子 おきなさい
お日さまニコニコ 声かけた 声かけた
(二)
一、二、三、四、五、六、七
八日 九日 十日たち
によっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子 顔出して
はいはいお日さま 今日は
これを眺めた 椎の木は
あっははの あっははと大笑い 大笑い
一、二、三、四、五、六、七
八日 九日 十日たち
によっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子 顔出して
はいはいお日さま 今日は
これを眺めた 椎の木は
あっははの あっははと大笑い 大笑い
(三)
こんなちび助 なんになる
びっくり仰天 杉の子は
思わずおくびを ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも かんがえた
なんの負けるか いまにみろ
大きくなって 国のため
お役に立って 見せまする 見せまする
こんなちび助 なんになる
びっくり仰天 杉の子は
思わずおくびを ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも かんがえた
なんの負けるか いまにみろ
大きくなって 国のため
お役に立って 見せまする 見せまする
(四)
ラジオ体操 一二三(いちにっさん)
子供は元気で 伸びていく
昔々の はげ山は はげ山は
今では立派な 杉山だ
誉れの家の 子の様に
強く大きく たくましい
椎の木見おろす 大杉だ 大杉だ
ラジオ体操 一二三(いちにっさん)
子供は元気で 伸びていく
昔々の はげ山は はげ山は
今では立派な 杉山だ
誉れの家の 子の様に
強く大きく たくましい
椎の木見おろす 大杉だ 大杉だ
(五)
大きな杉は 何になる
兵隊さんを 運ぶ船
傷痍の勇士の 寝るお家 寝るお家
本箱 お机 下駄 足駄(あしだ)
おいしいおべんと 食べるはし
鉛筆ふで入れ そのほかに
たのしや まだまだ役に立つ 役に立つ
大きな杉は 何になる
兵隊さんを 運ぶ船
傷痍の勇士の 寝るお家 寝るお家
本箱 お机 下駄 足駄(あしだ)
おいしいおべんと 食べるはし
鉛筆ふで入れ そのほかに
たのしや まだまだ役に立つ 役に立つ
(六)
さあさあ負けるな 杉の木に
勇士の遺児なら なお強い
体を鍛え 頑張って 頑張って
今に立派な 兵隊さん
忠義孝行 ひとすじに
お日様出る国 神の国
この日本を 守りましょう 守りましょう
さあさあ負けるな 杉の木に
勇士の遺児なら なお強い
体を鍛え 頑張って 頑張って
今に立派な 兵隊さん
忠義孝行 ひとすじに
お日様出る国 神の国
この日本を 守りましょう 守りましょう
上の詩が吉田テフ子が懸賞文で一等賞を受賞したものです。そして、赤字で記した部分が今われわれの眼からかき消されているところです。
さあさあ負けるな 杉の木に
勇士の遺児なら なお強い
体を鍛え 頑張って 頑張って
今に立派な 兵隊さん
忠義孝行 ひとすじに
お日様出る国 神の国
この日本を 守りましょう 守りましょう
勇士の遺児なら なお強い
体を鍛え 頑張って 頑張って
今に立派な 兵隊さん
忠義孝行 ひとすじに
お日様出る国 神の国
この日本を 守りましょう 守りましょう
6番のこの歌詞は、確かにGHQの占領政策から見れば不適当かもしれません。しかし、国の将来を担う子供たちに
身体強健にして忍耐力あり、神州日ノ本の国を守る兵となり、忠義孝行に励みましょう
と いう歌詞は、独立国日本の子供たちが歌うとすれば決して不適切ではないと思います。むしろ、この歌詞にこそ日本の国体が現れ、日本人たる意識を持つのでは ないでしょうか。そして、GHQの思惑とは別に、戦後の日本人はこの歌の通り脇目もふらず、忍耐を共に荒れた山野を緑に変え、廃墟の町を復興させてきまし た。
しかし、その果実を摘み取るや否や、次の植林を忘れたかのように、無気力と利己主義が蔓延り、『はい』と大きな明るい声で返事することを忘れ、『国のため』に尽くすことを時代遅れと罵り、社会の『役にたつ』ことを二の次にし、家の『誉』を忘れ、『国を守る』ことを口にしなくなって久しく、わずか65年にして社会は歪に歪んでしまいました。
ひっこめながらも かんがえた
なんの負けるか いまにみろ
なんの負けるか いまにみろ
今この文句を読むと、これこそわれわれ日本人が先祖代々営々と受け継いできた『刻苦』『精励』『勤勉』『努力』と いう徳目に合致し、いつの時代でも通用するものであり、今の時代にこそ思い出すべき言葉だと思います。わが父母が戦後にこの精神を持って常に一番を目指 し、廃墟の国の再建を目指して努力し続けてきたお陰で世界に冠たる経済力をもった日本を再考させたのです。しかし、それを忘れた今、日本人は盲た民ででも あるかのように国を忘れ、自己の繁栄をのみ追い求め、国家の衰退に一顧だにしようとはしなくなりました。
もう一度、初心に戻って頑張ることが求められているのではないでしょうか。
亡霊の様なGHQの検閲の手枷足枷を外し
この日本を再建させましょう
転載終わり