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小さな自然、その他いろいろ

身近で見つけた野鳥や虫などを紹介します。
ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。

(パソコンで赤ちゃんを救える)「赤ちゃんのいのちを救う」御協力を。

2013年10月07日 12時14分38秒 | 人工妊娠中絶

一般社団法人「いのちを守る親の会」京都本部 <公式ブログ>からの転載です。

この現場の様子を聞いて、人間として許せるでしょうか。胎児は一人の生命です。このブログ主の訴えに、賛同された方は、ご協力をお願いします。

 

(パソコンで赤ちゃんを救える)「赤ちゃんのいのちを救う」御協力を。

 
 
 

平成25年10月7日(月)


(パソコン・スマホ・

携帯電話で赤ちゃんの尊い

いのちを救う事ができます。)


「赤ちゃんのいのちを救う」御協力を。
お願いします。
 

 
(1)中絶防止「情報」
  「ニュース」「画像」「お話」
       募集しています。 
 
(2)生んで下さい
  「いい話」「教訓」「実話」
       募集しています。

 あなたの情報で
  赤ちゃんが救われます。。。
 
あなたから戴いた「情報」等を使って
 当法人の「ボランテイア」スタッフが

  「赤ちゃんを救えキャンペーン」を
    ウエッブ上で展開致します。。。
 
 また2次的には
    効果的な情報は
     紙媒体にして全国に配布します。

 3次的には資料集や
  共有情報集にまとめて、
    展示会や専門サイトを作成します。

 全国の「母体保護法改正」
    運動に提供。協力して、
       「赤ちゃんを守る法律」
            を制定致します。  
 
  
ウエッブ上の「検索」。
 本で読んだ内容。
  お薦めの本。人物。事柄。
   病院情報。なんでも結構です。。
 
  実話(体験談)など
    聞いた話でも大歓迎です。
 
 また、生命尊重活動をされている
   学者・医者・活動家を
      御紹介下されば、取材や
   対談もしてゆきたいと思います。

 
 
(事例)ある対話を御紹介します。   
 
 

(問い)中絶した胎児は、中絶者本人に見せられるのでしょうか?12週以降は 火葬すると聞いて「驚きました」。

11週までの中絶ですと、胎児を掻き出したり、吸い取ったりして母体から出されるのですか?・・・
テレビの出産シーンで は「元気な男の子ですよ」などといい、見せてくれる映像を見ますが、中絶の場合、胎児は中絶者本人に見せられるのでしょうか?それとも希望しなければ、見 せられる事はないですか?


  (答え)   11週までの中絶胎児は、手術に使用した脱脂綿などの「出血のついたゴミ」と一緒に医療廃棄物として処理されます。多くの場合、吸引器具の中に入り込んだりそうはされた衝撃で赤ちゃんの身体は摘出時点でバラバラになっているのでそれを「あえて手術を受けた親に見せる」ようなことはしません。
 
 12週以降の流産死産・中絶胎児は、確かに「死産届けを出し、火葬にする」ことが必要です。
 
しかし、これは「どうしても堕胎した親が胎児を引き取って火葬場に持っていく」必要はありません。
 
「病気などの事情で、泣く泣く20週近い赤ちゃんをあきらめざるを得なかった」 「妊娠中期で胎内死亡してしまった子を娩出した」 ような事情のある方でもなければ 「赤ちゃんを自分の手元に引き取って、親の手で送ってあげる」ことを望まない方も少なからずおられます。
 
「親の手で赤ちゃんを送る」ことを望まなければ堕胎された赤ちゃんと対面するはありません。
 
(念のため「お別れの対面をしますか?」と聞いても、殆どの方は、その罪悪感から拒否するようです。

ですから、そのようなことを言う医者も殆どありません。)
 
下記の文章で紹介されたような「現場」もあるようです。
 

 
 

「中絶の現場」
 助産師
     西 岡  愛 子
 
 
・・・・・ 私はがっかりした。 こりゃ、私がやらなくちゃならない。 とっさにそう思うと、罪悪感が胸に迫った。
 
 やりたくない。 早く先生かえって下さらないかしら。
 そう思っている中に卵胞が見えて来た。 仕方がない。
 
 私は破膜した。 羊水が前方にとび散った。
  それと同時に痛みがますます強くなって児頭が下って来た ・・・・・

 赤ちゃんを引っぱり出した時には、実に、実に名状し難い程、いやあーな気持になった。
 
 その時 「どうした ―― 」

 といって、先生がとびこんできた。
 
           

  「先生、生まれました」
 「おっ。 そうか」

 赤ちゃんは大きく顔をしかめたと思ったら、次の瞬間、カン高い声をはり上げて、泣き出した。 
 
患者は精神的に苦しみはじめた。 
 
普通ならば、赤ちゃんの泣き声をきいて

喜びにおどるのだが ・・・・・。 
 
こんなにちがうものか。
 
 「あっ ・・・・・」
 
 と、低くうめいて両手で顔をおおった。

 赤ちゃんは羊水や、血液がのど元につかえて苦しそうである。
 この子はどう見ても八ヶ月に入っている。
 
 私はとっさにこの子を助けてやろうと決心した。

 病院を首になってもよい。 

私が器官カテーテルを取り上げて、
その一端を口にくわえると、
先生が私の顔をみながら首を横にふった。
 
 ほっとけというのである。 かまうことはない。 
 私は首になる人間だ。
 
 そう思ったら満身に勇気が出て、
赤ちゃんののどにつまっている羊水や、
その他の物を吸い出した。

 赤ちゃんは楽になったと
見えて泣き声が澄み切ってきた。
 
              
 
 先生は不服顔に私を一寸にらんで、横を向いてしまった。
 よけいなことをする奴だ。 はっきりいっている。 
 
先生は赤ちゃんの上に息が早く止まる様にフタをしようとして、パットを取り上げたが、中途でやめた。
 先生は何故かそれをしなかった。

 赤ちゃんは大きな声を出して泣いているが、
しかし時間の問題である。
 
 この病院には未熟児の哺育施設がない、酸素がない。 

従ってそのままにしておくより外は
ないのである 
・・・・・

 私は赤ちゃんを湯から上げて浴用タオルにくるんだ。
着物がないので、おむつ四、五枚を代用にした。
 
 そっと軽い毛布の中に入れた。
 先生は私のすることをじーとみていたが、

そのままほっといたらいいのにといっているのがその顔色からはっきりうかがわれた。

 「いらんことをする奴だ。全く」 
 先生はプーとふくれて
 あらぬ方を見ている 
 
              
 

・・・・・〈この後、妊婦の処置を終えて〉

 赤ちゃんは泣きやんでいたが、肩で息をしている。 
 
余命いくばくもない。 かわいそうに。 

手の施しようがないのである
 ・・・・・

先生が出て来られた。
 
  「まだ、泣いとるなあ―。 大きい子だ。 
   しかし、後、時間の問題だよ」
 
 そして、私の所に来て
 「しかし、おれは幸せだよ。
 ここへ来て入院患者(中絶)の絶え間がないからな」
 
 私は自分の顔が青ざめていることが
この時はっきり分った ・・・・・

 「これをあなたは見ていないのだ」
 

 西岡愛子著  大平書房刊 (昭和39年初版)
 
 
           
 
 

 
 あなたの情報提供

   で「いのちが

     救われます。」
 

   情報提供の仕方 


(1)このブログのコメント
(2)このブログのゲスト
(3)当法人の「メール※」。

このブログと言うのは転載元の
のことです。

 
※warai88waraiyahoo.co.jp
(を@に入れ替えて送信下さい。) 

迷惑メールと見分けるために
大熊理事長様」と必ず、
「見出し」に記入ください。
 

 ■御協力お願致します。


 

 
 











 

<ほんとうの健康とはなにか・・>

2013年10月04日 15時21分49秒 | 人工妊娠中絶

昨日転載した方のもう一つのブログ■社会教育家(生命を守る運動家)和来紘太郎の本名ブログ■大熊良樹から転載です。


 

<ほんとうの健康とはなにか・・>

 
 


<ほんとうの
  健康とはなにか・・>


    平成24年1月9日(月曜)
  
おはようございます。
      文堂です。
 
 先日
  「皆さんの
   いのちは
     健康ですか。」
    問いかけましたが。。。
 
   今日は、
  「本当の健康とはなにか」
      について・・・・・
 
1948年に設立された国連の
  世界保健機関
    【WHO】憲章の前文に
 
「健康とは≪身体的・精神的・
  社会的に完全に良好な状態であり、
     単に病気あるいは虚弱で
          ないことではない≫」
  という有名な
    定義がありますが、
 
 50年たった1999年。
   (13年前になりますが・・)
 
  健康の定義として広く
    用いられたこの一文に、
 
 世界保健機関(WHO)自らが
   改定を行い、以下の条文を
             発表しました。

 

 

 「健康とは①身体的・②精神的・

  ③霊的・社会的に完全に
      良好な動的状態であり、

  単に病気あるいは虚弱
       でないことではない」 

 (Health is a dynamic state of complete physical,
    mental, spiritual and social well-being and not         merely the absence
          of disease or infirmity. 原文


  1999年改訂文章には、
  「動的」を表す「ダイナミックdynamic)」。
注目すべきは「霊的」を意味する
  「スピリチュアルspiritual)」を
        加えたわけであります。。

 国連機関であるWHOは特定の
   宗教観に基づくスピリチュアルの
      解釈はしておらず、日本の厚労省も
  あえてその箇所には触れず、
    各学会でも困惑を携えながら
        議論を進められて
             いるという事です。。。

 

 

 

   人間は霊的存在であり、
      霊性というのは、
   人間の本質
       あると思います。


いわゆる
  「神性」「仏性」というのが、
   ≪ 人間の本性  ≫
     であると 私は思います。

 

 
 人が幸福に生きてゆくには、
  その「人間観」が何よりも
     重要であり、

 

 

 

その人の人間観によって、 
  その人の人生観が決定
  されるのではないでしょうか。

 

 

 

 「健やかな
  人間観を持ちたい
   ものでありますね。」

 



今日も見て戴き

  ありがとうございました。

      文堂 九拝

 

転載終わり


世界保健機関(WHO)の憲章に書かれた「健康」の定義が、「健康とは①身体的・②精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、単に病気あるいは虚弱でないことではない」とあることには驚きました。 

人間は霊的存在だと認めているということです。そういえば、近年西洋では、西洋文明の行き詰まりから、霊的なものを求めるスピリチュアリズムが起こってきており、更にはそれを東洋に求め、一番に日本に期待しているということを、竹本忠雄氏が書いて居られました。

その日本において、戦後多くの胎児が簡単に抹殺されてきました。経済的理由によって、ほとんど医者の審査のみで、ほぼ自由に制限なく行われてきました。累計では一億を超える胎児が闇から闇に葬り去られたといいます。子宮から切り刻まれて汚物のように掻き出されて捨てられました。多くの胎児は、人間として供養されることもなく、ゴミとして処理されました。

人間が霊的存在であるならば、胎児ももちろんにんげんであり、霊的存在であるはずです。そのような胎児を平気で殺しておいて、今生きている人間だけが幸福であればいいという考え方の社会が、本当の平和社会といえるのでしょうか。親の生活のために幸福のためには、生まれてくる胎児が邪魔だという考え方で、その人は本当に幸福になれるのでしょうか。

以前サイタニさんが、問題児を持つ親には、たいてい、人工妊娠中絶をした経験があるとおっしゃっていましたが、簡単に親の都合で、胎児を殺してしまうような人間観、そこから本当に健全な家庭、健全な社会が生まれるのでしょうか。人間とは何か、人間はどうあるべきか、どう生きるべきかという根本的な問題を疎かにして、胎児を殺して来たことが、今の日本の社会を歪めているのではないでしょうか。




年間100万人の赤ちゃんのいのちを救え!!

2013年10月03日 15時20分15秒 | 人工妊娠中絶

一年間に人工妊娠中絶される胎児は、届出数だけでも22万件くらいあるそうです。実際の数字は、この2倍とも3倍とも、あるいは100万件とも言われています。

胎児を殺すということを、産めない事情があれば仕方がないと考え、当然のように堕胎手術をする人、あるいは勧める人もいます。胎児はまだ人間ではない、まだ人間として出来上がっていないから、生まれる前に処理するのは、別に殺人ということでもないと考える人もいます。

だったら人間はいつから人間なのでしょうか。人間はこの肉体だけの存在であり、魂とか霊魂を信じない人ならば、人間として生まれた時に初めて人間になると考えるかもしれません。しかし本当にそうでしょうか。

戦争に於ける殺人を非難する人でも、人工妊娠中絶はいとも簡単に行う人がいます。しかし胎児も同じ対等の人間だとすれば、これは殺人であり、しかも胎児というもっとも弱い立場にあるものを一方的に殺す行為であり、非常に卑劣な行為と言えます。

どんな事情があろうと、胎児から見れば、その残虐さ卑劣さは、群を抜いています。

最近、この胎児を救おうとして立ち上がられた方のブログを見ました。そのブログを転載したいと思います。

 

(コピーして)大切な人に伝えてください。(保存版)

 

 


 

 生命の尊厳教育     
 「100万人の
   赤ちゃんの
    生命を救う運動」
  国民プロジェクト    
     一般社団法人
「いのちを守る親の会」 

 


 

赤ちゃんは生きるために
「いのち」を授かったのです。

 

だから親の事情で
「赤ちゃん」を殺さないでください。

 

親が守ってやらねば、
赤ちゃんは「生きたい」と
言えないのです。

 

「いのちを守る親の会」
が相談支援。出産支援。里親支援
をさせて戴きます。

 

まずはご連絡下さい。

 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
下記の「荻野 久作先生」の文章は、「生命」を考える上で
大変、有名な一文です。

「 ななさん」という産婦人科医がこれを紹介した時に・・
「僻地の産科医」という方から 衝撃の書き込みが・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 先日、理由あって人工妊娠中絶術を施行しました。

胎児が少し大きくなってからの手術でしたので、
肋骨と思われる骨の一部が見えて、背筋が凍りました。

多くを語るよりも、ご紹介したい談話があります。
荻野式避妊法を考案された荻野久作先生による、歴史に残る談話
「”オギノ式”乱用者に告ぐ」です。 (産婦人科医:なな)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

  「”オギノ式”乱用者に告ぐ」
                [医師] 荻野 久作
              (荻野式避妊法考案者) 
 
どんな職業についている人でも、
それぞれの仕事の上の喜びというものがある。

 大工さんは、木の香も新しい家を前にして、胸をふくらませるであろうし、

教師もまた、巣立っていく教え子の後姿に自分の夢を描いているに違いない。
 
 私が専門にしている産婦人科医の場合も、それはまったく同じである。
難しいお産を無事に切り抜けたとき、

 まだ人間の態をなしていないような赤ん坊が手足をばたつかせて、

「オギャア」と第一声を放つその瞬間ほど、
我々の心を解きはなしてくれるものはない。
 
この道を歩みはじめてから六十年近く、私はもう八十歳を越えているが、
それでも勤務先の病院でこの「オギャア」を毎日のように耳にするたびに、
朗らかな気分になる。
 
 沈痛な面もちで、為すこともなくただうろうろと廊下を歩き回っている若い夫に、なにか祝福の言葉でも贈ってやりたいような気分になるのも、
おそらくは「生命の誕生」というものが持つ犯しがたい価値に由来するのであろう。

私は、産婦人科医を、すばらしい職業だと信じている。 (中略)

一人一人のケースについて、我々産婦人科医が本気で悩んでいたら
自分が死んでしまうだろうから、
 
 
あとは教育なり政治なりにおまかせするのが順当だが、
どうしても言っておきたいことがある。

それは、世の男性諸君がもっと真剣に、
子供とは何であるかを考えるようになってほしい、ということである。

子供を育てていく自信があったら、
親の誇りと責任に於いてすばらしい子供を生むように夫婦で協力する。
 
もし、子供を生むのはまだ無理だと考えるなら、そんな自信が湧いてくるまで、妊娠しないように慎重な配慮をするのが当然である。(中略)

性に対する不当な抑圧感が解けて、じめじめした感じが無くなったことは喜ばしいが、反面、よい加減な解説書が巷にあふれて、
 
科学に対する安易な考え方を植え付けてしまう傾向も、困ったものである。 (中略)

金があればレジャーに費し、欲情のおもむくままに、深く考えもせずに行動して、その結果については人間としての最低の責任すら果たせないような、そんな人間に、いったい何がなせるというのであろうか。

       ~昭和39年、文藝春秋第42巻第2号より~

 


 

コメント<1>中絶経験者です。 

 

中絶経験者です。
最低の責任すら果たせなかった人間です。
でも、心のどこかでその事実が認められません。

苦しさをいつも抱えて、一生懸命生きています。

・・・涙がとまらなくなってしまいました。

我が子に対する罪の意識、逃げた相手への恨み、
そして辛いお仕事させてしまった先生への申し訳なさ。

 死ぬまで消えることはないと思います。

先生は、「産むことは考えられませんか?」
と声をかけてくださいました。

当時の自分の力ではシングルマザーとして
生きていくことはできませんでした。

 でも、あのお医者さまの一言が、今も心に残っています。

 我が子の命をかえりみて下さった、

たった一人の人が、あのお医者さまでした。
 
あの時以来、産婦人科医という存在を、絶対的に信用しています。
なな先生、こんな私ですが、陰ながら応援しております。

 

written by 元・オギノ式乱用者 / 2007.09.20 19:19

 

<コメント2>医師です。

 

中絶行為は気分の悪いものです。

 

どのように小さな赤ちゃんでも、
経腹エコーガイド下(子宮穿孔の危険が高そうな場合には行います)で中絶手術を行うと、私たちの鉗子から手足をばたつかせて逃げようとする。

 

もっと週数のいった赤ちゃんで、
手術ではなく分娩と同じ形態をとる「中期中絶」では
生きられないとわかっていても、最初泣きます。

泣いて段々声が弱くなって痙攣して
 
黒くなって亡くなっていきます。

その事実を、まだ妊娠していない若い

方々は知るべきです。

  

性教育のためなら、エグイと言われようと、
寝付けなくなろうと、一度はみてほしいくらいです。

 

あまりの残酷さに泣きだす人だっているはず。

  

産めない方々の心痛はわかりますけれど、
医療者として、そのたびに何かが

擦り切れる気がします。

 

どうして、産めないとわかりながらも
避妊をしてくれない、またはきちんと考えも
しない方々のかわりに、

 

私自身の手でご丁寧に赤ちゃんを
殺してさしあげねばならないのか。

 

産む選択ができなかった方々へ、
せめて自分の体験を、人に話すこと。
 
妊娠って簡単にするんだよってことを、他の同世代や、自分のご子孫に、話してあげてください。

 


written by 僻地の産科医 / 2007.09.20 21:24

 

              

 


 
 情報(妊娠して困られている方へ。)
 

   
   一般社団法人
     「いのちを守る親の会」 
    電話 (0774)23-7077
 FAX(0774)66-5299

24時間365日    
 
    ※平日9時~夕方6時まで
    (緊急電話は24時間受信中)
 

 
※相談支援中は、
  メッセージを入れてください。
   あるいは、おかけ直し下さい。
 
 ※緊急電話は、
   大熊理事長に直接
    お電話戴いても結構です。

 


 

 






堕胎は殺人である。

2013年03月28日 21時46分08秒 | 人工妊娠中絶

最近、野田聖子議員が堕胎禁止の法律を作れば少子化を防ぐことができるという発言をしたと聞きました。野田議員は、リベラルな思想の持ち主だと思っ ていたので、この発言はちょっと意外でした。

わが国では、堕胎をほとんど無制限に認めている法律があり、以前は優生保護法、今は母体保護法と言う名がついています。この法律を改正しようとして、かつては一部の人々、主に宗教団体が多かったのですが、熱心に運動していました。この問題についてテレビで取り上げていたのを30年前くらいに見たことがありますが、当時これに最も反対するのが、ウーマンリブ運動で女性の権利を叫ぶ人々でした。

彼女らは、産む産まないを決めるのは女の権利であり、産みたくなければ、胎児を堕ろすのは、女性本人の自由であり、たとえそのために人類が絶滅したとしても、その産まない自由の権利は認められなくてはいけないとテレビで叫んでいるのを見たことがあります。

日本では、昔の人は、子供を授かると言いました。うちの菩提寺の浄土宗の法要で説教法話をされていたお坊さんが、今の人は、子供を授かると言わずに、子供が出来たという、そして「できちゃった婚」などといって、子供は自分たちが作ったのだという意識しかないというようなお話をされていました。

自分たちが作ったものだから、胎児を生かすか殺すかは自分たちの権利だと思うのでしょう。

戦後の日本人は、宗教というものを公のあらゆるものから出来るだけ省こうとし、政治、教育など、とにかく宗教色をなくしてきましたが、それはほんとに正しかったのかと思います。もちろん特定の宗教団体的なものは省くのは当然ですが、日本人が生活の中に自然に持っていた宗教的な感覚まで、完全に拭い去ろうとしたのは、行き過ぎだったように思います。ちょっとした宗教的な慣習、たとえば地鎮祭とか、靖国神社参拝などという、民族的な感性に由来するものまで否定して来たのは、間違いだと思います。

アメリカでは現に大統領就任式では、聖書に手をおいて、宣誓します。こうした人間が誓うという厳粛な行事には、宗教が登場しても何もおかしくないと思うのでしょう。

人間が自分の自我以上の存在、村上和雄教授の言われるサムシンググレートというべき存在を認める敬虔な心で、自分及び他者の命の尊厳を感じる気持ちがないと、社会は、人間の自我の欲望のみで動くようになってしまいます。そこには本当の慈しみも、悲しみも、思いやりも、なくなってしまうのではないでしょうか。

子供を自分たちの製造物や、所有物のように考えたりするところから、どうして自分自身の尊厳すら見いだせるでしょうか。この意識のどこから、自殺や殺人を根本的に否定する考え方が生まれてくるでしょうか。子供たちに「生命の大切さ」を教えると言っても、授かった生命を自由に堕胎している社会が、どこにその大切さの根拠を示すことができるのでしょうか。

みどり松のブログからの転載です。

 




「 堕胎は最大の盗罪である」


           谷口 雅春  先生   

人間は、神の生命が天降って来て、

そして神の生命の個性的顕現として、

その人で無ければ出来ない特殊な個性を与えられ、

使命を授かって地上に顕現しているのである。


この事実の内にこそ人間生命の尊重の根拠があるのである。

唯物論的人間観ではその根拠が失われてしまう。

指紋の同じ人間が一人も居ない、

それと同じ様に、全ての人間は、

神から与えられた使命が異なるのである。



だからその人間が出現して来つつあるのを途中で殺す、

言い換えると堕胎する ―― 

人工妊娠中絶するということは、

せっかく神が個性を与えて特殊なる使命を

与えて神の生命が自己実現して来ようとしているのを

中断してしまうことになる。


それは取返しのできない過ちをしたことになるのである。


その人間の魂は、別の人間を以ては

代用することの出来ない、全然違う個性と使命を

持って生まれて来るのであるから、

彼は絶対価値の生命である。


かけ換えのない、代用品の無い貴い生命であるのを

殺して仕舞うというのは、

神の計画に対する非常なる反逆である

ということになるのであります。


人間の魂は、肉体を殺しても死なないのである。

だから堕胎して胎児を殺しても霊魂は

霊界で生きて居り、個性は存続している。


けれども、彼が地上に天降って出現する筈で

あった時と場所は二度とないのである。


同じ機会というものは再度ない。

若し中絶して霊界へ帰った魂がもう一ぺん

出直して地上に生まれ出て来る時には、

もうその前回とは全然異なる環境であり、

異なる時代であり、異なる場所であるから、

その魂を磨くべきすべての資料が違ってくるのであって、

二度と代用される環境も機会も無いのである。


それ故、彼にとって絶対価値の魂が、

二度とふたたびない時と場所と条件とに

触れるべく出現して絶対的価値ある使命を

果そうとしているのを、それを中断してしまうのが

堕胎なのであるから、これは絶対価値を奪うものであって、

何億何兆円の価値あるものを奪うよりも

尚一層大なる盗罪であると言わねばならないのである。


親殺しの尊属殺人刑が廃止されて

普通の殺人犯と平等に判決されたが、

尊属は大抵、地上で長く使命を果し

て来た人たちが多いが、胎児は、前途に一層多くの、

かけがえのない遂行すべき使命をもっているのであるから、

普通の殺人よりも、もっと彼から奪う事が大であるから

最も大なる犯罪である。

      『白鳩』誌(昭和 48年9月号より)
                     







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