サイタニのブログ から古事記物語の転載です。
最後のほうで書いておられるサイタニさんの仰りたいことは、勉強とは自分が外から取り込むものではなく、自分のうちにあるものが引き出されること、押しこむのではなく、自分の中にあるものを引き出していくのが勉強ということでしょうか。
みそぎはらい
伊耶那岐大神(いざなぎのおおかみ)は、今さらながら、悪夢からさめたような心になって、
「私は、本当にみにくくきたない国へ行って来てしまったものだ。あの国のみにくさ、このきたならしさが、まだ私にしみついてしまって、どうしてもはなれないようだ」
「私は、本当にみにくくきたない国へ行って来てしまったものだ。あの国のみにくさ、このきたならしさが、まだ私にしみついてしまって、どうしてもはなれないようだ」
大神(おおかみ)は、天津神様(あまつかみ)のお言依(ことよ)さしになった、国生みの仕事を途中でやめてしまって、現象世界におし流されてしまったことを静かに思い返され、「そうだ、この現象世界の悪夢をはらうためにみそぎはらいをしよう」とおっしゃいまして、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)においでになりました。
阿波岐原
大神は、みそぎはらいをするため、今まですがりついていたつえを投げすて、自分をつつんでいた帯をほどいて遠くへ投げすて、着物をぬぎ、はかまを取り、かんむりをすてた。そして左と右の手にまきつけていた、美しい玉のうで輪もはずして、すっぱだかになりました。
こうして、次つぎと今まで身につけていたものを一切ぬぎすてていきましたが、ぬぎすてるごとに、次つぎと、十二人の神々が生まれました。一切のものを投げすて、ぬぎすててしまいますととてもさっぱりとしたお気持ちになりました。これで初心に帰ったのです。(天神(あまつかみ)のみもとに参上できたのです。)
いよいよ、みそぎをしようとしまして、水の流れをごらんになりました。(これは吾が内なる御中主神の命をきく、ということです)
「上流の方は、流れがはやすぎていけない。下流の方はゆるやかすぎてにごりも多い」とおっしゃって、ちょうど中ほどの流れにはいって、すきとおるような水をなんどもくぐって、からだを洗い清めました。
このとき、あのきたない国に行ったために、からだについたけがれが落ちて、五人の神が生まれました。(神の名の意味はあまりにも深いので略します)こうして一切のけがれが洗い清められた時、もっとも貴(とうと)い神が生まれるために、墨江(すみのえ)の三前(みまえ)の大神がお生まれになりまして、みそぎはらいをお助け申しあげました。
大神が、左の目を洗いたまうと、宇宙一杯に、照りかがやくばかりに美しい女の神様がお生まれになりました。おん名を『天照大御神(あまてらすおおみかみ)』と申します。次に右の目を洗いますと、静かにやわらかな雰囲気をもった『月読命(つくよみのみこと)』が生まれました。
そのつぎに鼻を洗いますと、天地が地ひびきするような『建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)』が生まれました。
中瀬(なかつせ)に堕迦豆伎(おりかずき)て滌(そそ)ぐ時に成坐(なりませ)
る神名は八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、次に大禍津目神(おおまが
つひのかみ)この二神(ふたはしら)は、其穢繁(そのけがらしわし)き国に到
りし時のけがれに因(よ)りて成れる神なり。
その禍(まが)を直(なお)さんとして成る神
名は神直(び)神次(かむなおびのかみ)に大直(び)神次(おおなおびの
名は神直(び)神次(かむなおびのかみ)に大直(び)神次(おおなおびの
かみ)に伊豆能売神(いずのめのかみ)
次に水底(みなそこ)に滌(そそ)ぐ時に成る神
名は底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)次に底筒之男命(そこつつの
次に水底(みなそこ)に滌(そそ)ぐ時に成る神
名は底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)次に底筒之男命(そこつつの
おのみこと)
中(なか)に滌(そそ)ぐ時成る神名は中津綿津見神(なかつわたつみのか
み)次に中筒之男命(なかつつおのみこと)水上(みずのうえ)に滌(そそ)ぐ
時成る神名は上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)次に上筒之男命
(うわつつおのみこと)…
底筒之男命(そこつつのおのみこと)・中筒之男命(なかつつおのみこと)・
上筒之男命(うわつつおのみこと)この三柱神(みはしらのかみ)は墨江之
三前之大神也(すみのえのみまえのおおかみなり)
この三人のお子様をみて、伊耶那岐大神(いざなぎのおおかみ)は、大変、およろこびになって次のように言いました。
「わたしは、今まで、たくさんの子どもを生んだが、生んで生んで、生みつくしたところで、本当に立派な三人の子供を生むことが出来た」とおっしゃいまして、首にかけていた、首かざりをサラサラと美しい音をたてながらとりはずし、天照大御神(あまてらすおおみかみ)のお首におかけになりながら、「おまえは、現象世界の中心である、高天原(たかあまはら)を治(おさ)めるでしょう」とお言葉を賜いました。
「わたしは、今まで、たくさんの子どもを生んだが、生んで生んで、生みつくしたところで、本当に立派な三人の子供を生むことが出来た」とおっしゃいまして、首にかけていた、首かざりをサラサラと美しい音をたてながらとりはずし、天照大御神(あまてらすおおみかみ)のお首におかけになりながら、「おまえは、現象世界の中心である、高天原(たかあまはら)を治(おさ)めるでしょう」とお言葉を賜いました。
また月読命(つくよみのみこと)に申しましては、「おまえは、夜の食国(おすくに)を治めるでしょう」建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)には、「おまえは、海の世界を治めるでしょう」と申しました。
古事記の物語では、このみそぎはらいのところが、とても大切なところになっております。
このみそぎはらいによって、天之御中主神様(あめのみなかぬしのかみ)の化身である、天照大御神様(あめてらすおおみかみ)がお生まれになる一番の大仕事がどのように成就したかが暗示されているのです。
この物語によってわたしたちは、いろいろなことを教えて頂くわけです。たとえば、みなさんは、一所懸命勉強したり運動したり、芸ごとを習ったりしますが、この勉強のしかた、考え方がとても大切なのです。わたしたちは、一所懸命にやって、いろいろなことを身につけていくのだと思ったり、勉強していろいろおぼえて頭を良くするのだと思ったりしますが、その考えが間違っているのです。
わたしたちは、マネキン人形ではありませんから、外からいろいろなものをくっつけたり、ぶらさげたり、体をつつまなくて良いのです。むしろ、そんなことをしたなら身動きが出来なくなってしまいます。このような、「人間神の子」の考え方から「神の子人間」という考え方にならないといけないのです。だから本当の勉強は、他にくらべて出来ないから、教えて頂いておぼえるのではなく、一切がわたしの中にある。劣等感、競争心等の考えを一切投げすてて『人間本来神の子の姿になる自分』という自覚をすることだ、ということなのです。
そういたしますと、今できないことが、はずかしくもなんともなくなります。自分の中にある力を、どんどん出していく(それが本当の努力です)人のまねでないから楽しいのです。競争する相手は自分だけです。だから、『皆一番。皆最高』になるのでなければいけないのです。しっかりと現象心の目を洗って、実相世界のままの心ですべてを観る時、一番すばら
しい世界、天も地も光り輝く、天照大御神様(あまてらすおおみかみ)の世界がひらけてくるのです。