小さな自然、その他いろいろ

身近で見つけた野鳥や虫などを紹介します。
ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。

みそぎ  「古事記物語」

2012年04月06日 12時24分28秒 | 古事記

サイタニのブログ から古事記物語の転載です。

最後のほうで書いておられるサイタニさんの仰りたいことは、勉強とは自分が外から取り込むものではなく、自分のうちにあるものが引き出されること、押しこむのではなく、自分の中にあるものを引き出していくのが勉強ということでしょうか。

 

みそぎはらい 

 
 
伊耶那岐大神(いざなぎのおおかみ)は、今さらながら、悪夢からさめたような心になって、
「私は、本当にみにくくきたない国へ行って来てしまったものだ。あの国のみにくさ、このきたならしさが、まだ私にしみついてしまって、どうしてもはなれないようだ」
 
 
大神(おおかみ)は、天津神様(あまつかみ)のお言依(ことよ)さしになった、国生みの仕事を途中でやめてしまって現象世界におし流されてしまったことを静かに思い返され、「そうだ、この現象世界の悪夢をはらうためにみそぎはらいをしよう」とおっしゃいまして、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)においでになりました。

阿波岐原
 
 
大神は、みそぎはらいをするため、今まですがりついていたつえを投げすて、自分をつつんでいた帯をほどいて遠くへ投げすて、着物をぬぎ、はかまを取り、かんむりをすてた。そして左と右の手にまきつけていた、美しい玉のうで輪もはずして、すっぱだかになりました。
 
 
こうして、次つぎと今まで身につけていたものを一切ぬぎすてていきましたが、ぬぎすてるごとに、次つぎと、十二人の神々が生まれました。一切のものを投げすて、ぬぎすててしまいますととてもさっぱりとしたお気持ちになりました。これで初心に帰ったのです。(天神(あまつかみ)のみもとに参上できたのです。)
 
 
いよいよ、みそぎをしようとしまして、水の流れをごらんになりました。(これは吾が内なる御中主神の命をきく、ということです)
 
 
「上流の方は、流れがはやすぎていけない。下流の方はゆるやかすぎてにごりも多い」とおっしゃって、ちょうど中ほどの流れにはいって、すきとおるような水をなんどもくぐって、からだを洗い清めました。
 
 
このとき、あのきたない国に行ったために、からだについたけがれが落ちて、五人の神が生まれました。(神の名の意味はあまりにも深いので略します)こうして一切のけがれが洗い清められた時、もっとも貴(とうと)い神が生まれるために、墨江(すみのえ)の三前(みまえ)の大神がお生まれになりまして、みそぎはらいをお助け申しあげました。
 
 
大神が、左の目を洗いたまうと、宇宙一杯に、照りかがやくばかりに美しい女の神様がお生まれになりました。おん名を『天照大御神(あまてらすおおみかみ)』と申します。次に右の目を洗いますと、静かにやわらかな雰囲気をもった『月読命(つくよみのみこと)』が生まれました。
 そのつぎに鼻を洗いますと、天地が地ひびきするような『建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)』が生まれました。

 

中瀬(なかつせ)に堕迦豆伎(おりかずき)て滌(そそ)ぐ時に成坐(なりませ)
神名は八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、次に大禍津目神(おおまが
つひのかみ)この二神(ふたはしら)は、其穢繁(そのけがらしわし)き国に到
りし時けがれに因(よ)りて成れる神なり。
 
その禍(まが)を直(なお)さんとして成る神
名は神直(び)神次(かむなおびのかみ)に大直(び)神次(おおなおびの
かみ)に伊豆能売神(いずのめのかみ)
次に水底(みなそこ)に滌(そそ)ぐ時に成る神
名は底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)次に底筒之男命(そこつつの
おのみこと)
 
中(なか)に滌(そそ)ぐ時成る神名は中津綿津見神(なかつわたつみのか
み)次に中筒之男命(なかつつおのみこと)水上(みずのうえ)に滌(そそ)ぐ
時成る神名は上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)次に上筒之男命
(うわつつおのみこと)…
 
底筒之男命(そこつつのおのみこと)・中筒之男命(なかつつおのみこと)・
上筒之男命(うわつつおのみこと)この三柱神(みはしらのかみ)は墨江之
三前之大神也(すみのえのみまえのおおかみなり
 
 
 
この三人のお子様をみて、伊耶那岐大神(いざなぎのおおかみ)は、大変、およろこびになって次のように言いました。
「わたしは、今まで、たくさんの子どもを生んだが、生んで生んで、生みつくしたところで、本当に立派な三人の子供を生むことが出来た」とおっしゃいまして、首にかけていた、首かざりをサラサラと美しい音をたてながらとりはずし、天照大御神(あまてらすおおみかみ)のお首におかけになりながら、「おまえは、現象世界の中心である、高天原(たかあまはら)を治(おさ)めるでしょう」とお言葉を賜いました。

また月読命(つくよみのみこと)に申しましては、「おまえは、夜の食国(おすくに)を治めるでしょう」建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)には、「おまえは、海の世界を治めるでしょう」と申しました。
 
 
 
古事記の物語では、このみそぎはらいのところが、とても大切なところになっております。
このみそぎはらいによって、天之御中主神様(あめのみなかぬしのかみ)の化身である、天照大御神様(あめてらすおおみかみ)がお生まれになる一番の大仕事がどのように成就したかが暗示されているのです。
 
 
 
 
この物語によってわたしたちは、いろいろなことを教えて頂くわけです。たとえば、みなさんは、一所懸命勉強したり運動したり、芸ごとを習ったりしますが、この勉強のしかた、考え方がとても大切なのです。わたしたちは、一所懸命にやって、いろいろなことを身につけていくのだと思ったり、勉強していろいろおぼえて頭を良くするのだと思ったりしますが、その考えが間違っているのです

わたしたちは、マネキン人形ではありませんから、外からいろいろなものをくっつけたり、ぶらさげたり、体をつつまなくて良いのです。むしろ、そんなことをしたなら身動きが出来なくなってしまいます。このような、「人間神の子」の考え方から「神の子人間」という考え方にならないといけないのです。だから本当の勉強は、他にくらべて出来ないから、教えて頂いておぼえるのではなく、一切がわたしの中にある。劣等感、競争心等の考えを一切投げすてて『人間本来神の子の姿になる自分』という自覚をすることだ、ということなのです

そういたしますと、今できないことが、はずかしくもなんともなくなります。自分の中にある力を、どんどん出していく(それが本当の努力です)人のまねでないから楽しいのです。競争する相手は自分だけです。だから、『皆一番。皆最高』になるのでなければいけないのです。しっかりと現象心の目を洗って、実相世界のままの心ですべてを観る時、一番すばら
しい世界、天も地も光り輝く、天照大御神様(あまてらすおおみかみ)の世界がひらけてくるのです
 
 

古事記物語、  黄泉国(よもつくに) 続き 

2012年03月31日 15時11分16秒 | 古事記

サイタニのブログからの転載です。

逃げるイザナミノミコト、追いかけるヨモツシコメにイカヅチの軍隊、ここは冒険小説のように、面白いですね。

いろんな物を投げると、それが野ぶどうやタケノコに変わって、それを敵が食べている間に逃げるという発想もおもしろいですよね。普通なら、投げたものが敵にダメージを与えるというのが普通ではないかと思うのです。ところが反対に敵が喜んで、食べている。だからその間に逃げる。逆転の発想ではないでしょうか。

そのせいか、なんか必至で逃げながらも、変に悲壮感がなく、平和な感じがありますよね。

 

 

 

続き(三) 黄泉国(よもつくに)  
 
 
一所懸命逃げていく命(みこと)のうしろを、黄泉醜女(よもつしこめ)たちが、
むらがるように - 風のような勢いで追いかけてきます:…
伊耶那岐命(いざなぎのみこと)は、一所懸命に逃げましたが、死神(しにがみ)の
軍隊(ぐんたい)である黄泉醜女(よもつしこめ)たぢはすぐ追いついて来ました -
 
命(みこと)は頭にかぶっていた黒いかつらをとってぱっと投げつけました…
すると野ぶどうのつるがあたり一面におい茂り ー 野ぶどうの実(み)が、
びっしりと枝も折れるように実(みの)りました。
死の国の軍隊は、追いかけるのを忘れて、目の前の野ぶどうの実を食べるのに
夢中でした。

この絵は別のサイトから貰って来ましたが、なんかヨモツシコメにしては可愛い気が
 
伊耶那岐命は、その間にどんどん逃げてきましたが、ぶどうを食べおわった黄泉
醜女たちはすぐ又追いかげてきます。
追いつかれそうになつた命(みこと)は、こんどは右の髪(かみ)にさしていた
湯津津間櫛(ゆつつまぐし)をとって、櫛の歯をつぎつぎと投げつけました。
櫛の歯が地面におちると、によきによきとたけのこが生えてきました。
黄泉醜女たちは、そのたけのこを見ると、もう追いかける事はたちまち忘れて
しまって、お互いに先を争いながらガツガツとたけのこにむしゃぶりっくのでした。
 
それを知った伊耶那美命(いざなみのみこと)は、八人の雷神(いかずちのかみ)
に千五百の軍隊をつけて、これを追わせました。
雷神(いかずちのかみ)たちは、たつまきのような速さで追いかけて来て、すぐ
伊耶那岐命(いざなぎのみこと)に追いついて来ました。
命(みこと)は十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、うしろ手に振りながらこれを
ふせぎ、やっと夜と昼の国境(くにさかい)近くにある黄泉比良坂(よもつひらさか)
につきました。
 
 
御佩(みはか)せる十拳剣(とつかのつるぎ)を抜きて
後手(しりえで)に布伎都都(ふきつつ)逃げ来るを
猶追(なおお)いて
黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到りし時
其の坂本に在(あ)る桃子(もものみ)三箇(みつ)を取りて
待ち撃(う)てば
悉(ことごと)に逃(に)げ返(かえ)りき
爾(ここ)に伊耶那岐命(いざなぎのみこと)
其の桃子(もものみ)に告(の)りたまいしく、
 
「汝(なれ)、吾(われ)を助けしが如く
葦原中国(あしはらのなかつくに)に有(あ)らゆる宇都志伎青人草
(うつしきあおひとぐさ)の苦瀬(うきせ)に落ちて患(うれ)い惚(なや)
む時、助くべし」と告リて、
意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)という名を賜いき。
 
最後(いやはて)に、其の妹伊耶那美命(いもいざなみのみこと)
自(みずか)ら追い来ましき。
ここ山りびきいわよもつひらさかひさ
爾(ここ)に千引石(せんびきいわ)を其の黄泉比良坂(よもつひらさか)に
引き塞(さ)えて
 
其の石(いわ)を中に置きて
各対(あいむき)き立たして事戸(ことど)を度(わた)す時
伊耶那美命(いざみのみこと)言(もう)したまわく
「愛(うつく)しき我(あ)が汝兄(なせ)の命、かくしたまわば、
汝(みまし)の国の人草(ひとぐさ)、一日(ひとひ)に千頭(ちがしら)を
絞(くび)り
殺さん」ともうしたまいき。
 
ここに伊耶那岐命(いざなぎのみこと)、詔(の)りたまわく
「愛(うつく)し我(あ)が汝妹(なにも)の命(みこと)
汝(みまし)、しかしたまわば
吾(われ)、一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)立てん」
とのりたまいき。
 
 
走りつづけてすっかりつかれ切った命(みこと)は、あとすこしというのに、
この坂道を登りきらなければならない。ああ!もうだめかと思った時、
そこに桃の木がありました。
 
この絵も別のところから貰って来ましたが、三つ以上投げてます。
 
命は、桃の実を三っ取って死神(しにがみ)の軍隊に力一杯投げつけました。
すると雷神(いかずちのかみ)たちは、みんな黄泉国(よもつ)へ逃げ帰って
しまいました。
 
 
ほっとした伊耶那岐命(いざなぎのみこと)は、桃の木にむかって、
「あやういところを助けてくれて、本当にありがとう。お前は、今私を助けてくれた
ように、私のん生んだこの地球に住む、あらゆる人達が、苦しい目にあって、
うれい、なやんでいる時に助けてあげて下さいよ」と言って意富加牟豆美命
(おおかむすみのみこと)という名をあたえました。
 
 
黄泉国(よもつくに)の、どのような軍隊をさしむけても、伊耶那岐命(いざなぎの
みこと)をつかまえることが出来ないので、とうとうがまんしきれなくなった伊耶那
美命(いざなみのみこと)は、自分から追いかけて来ました。
 
 
けれども、この時はもう、伊耶那岐命は、黄泉比良坂(よもつひらさか)を登り
きっていました。
命は大急ぎで、千人もかかって引くほどの大きな岩を引いてきて、道をふさいで
しまいました。
台風のようないきおいで追いかけてきた伊耶那美命(いざなみのみこと)も、光明
の昼の世界へいってしまった伊耶那岐命(いざなぎのみこと)をどうすることもでき
ません。
 
 
 
お二人の神様は、昼と夜の間にある千引岩(ちびきいわ)を中にしてお立に
なりました。伊耶那岐命(いざなぎのみこと)が、唯物論の世界である黄泉国
との絶縁状をお渡しになりました時、
「私の愛する夫の命(みこと)よ、あなたがそのようになさいますのならあなたの
国の人を一日に千人殺すことにします」と申しました。
伊耶那岐命(いざなぎのみこと)は、
「美しい私の妻の命(みこと)よ、あなたがそのようにするのなら、私は一日に
千五百人生むことにしましょう」とおっしゃいました。

 
 
 
 
このお話は、神様が、人殺しをするということのお話ではありません。
陰(いん)(夜)の力であり、物質の世界である伊耶那美命様(いざなみのみこと)
の力と、陽(昼)の力であり、霊の世界である伊耶那岐命様(いざなぎのみこと)
のおカが、調和的につりあい働きあいしながら、常に陽の力が
主人公となって発展していくということが説かれているのです。
 
『たとえば、一本の樹木も、千の根の力と、千五百の枝葉の成長で美しく生い
茂ります』
 
『事業をする場合も、支出なしに収入だけある事業というのはないので
ありまして、千の支出に、千五百の収入で事業は発展していくのです。

 
『人間も、肉体的・物質的消費生活等は千のカでしながらも、精神的・霊的
生活は千五百のカでしていくとき、生き甲斐のある生活が出来ますし、
価値のある人生を送ることになるのです
 
 
ですから、この世の中は楽(らく)してもうけようとか、努力しないで何かしようかと
思ってみても本当のことは、なにもできないようになっていますし、らくしてもうけた
お金は身につかないと言われているのです。
(水蛭子・淡島・黄泉国のことです)』
 
 
『陰と陽のカは、どちらも千の力であった方が、つりあいがとれ調和するのでは
ないかと考えやすいのですが、そのような世界は○の世界になってしまって、
鉱物のような世界になってしまうのです。それは動的調和(生)でなく、むしろ静的
妥協(死)の世界なのです』
 
調和の世界はかならず常に進歩発展していく陽のカがまさっているのです
次にこの物語りで大切なのは、まっくらな世界は、『どんなに闇が深くとも、
湯津津間櫛(ゆつつまぐし)の男柱をとって一火(ひとつび)を燭(とも)して観(み)
る』ということです。一火(ひとつび)をともせばいかなる闇も消えるのです
 
次に現象の美しさ恋しさをいとしと思い追いかけてきた考えの黒御髪(くろみかづ
ら)を捨てることです。そして湯津津間櫛(ゆつつまぐし)の智慧(ちえ)の光に
照らして観(み)、最後に三つの桃の実である
 
『日本天皇の生命の実相』『日本国の生命の実相』『人間の生命の実相』
明らかに観るということであります。
 
 
 
 
 
 

古事記物語   黄泉国 (一)

2012年03月24日 17時06分01秒 | 古事記

サイタニのブログから古事記物語つづきの転載です。

 

 

 

黄泉国(よもつくに) 
 
 
 
「愛(うつく)しき我(あ)が那邇妹命乎子(なにものみことやこ)の
一木(ひとつけ)に易(かえ)つるかも」と
 
 
すなわちみ枕方(まくらべ)にはらばい
み足方(あとべ)にはらばいて哭(な)きし時、
み涙(なみだ)に成(な)れる神は、
香山(かぐやま)の畝尾(うねお)の木(こ)の本(もと)にます
泣澤女神(なきさわめのかみ)……


伊耶那岐命(いざなぎのみこと)
御佩(はか)せる十拳剣(とつかのつるぎ)を抜(ぬ)きて
その子
迦具土神(かぐつちのかみ)の頸(くび)を斬(き)りたまう、
ここに
その御刀(みはかし)の前に著(つ)ける血(ち)、
湯津石村(ゆついわむら)に走(たばし)りつきて、
成(な)る神、
名は石拆神(いわさくのかみ)…
 
次に御刀(みはかし)の本(もと)に著(つ)ける血(ち)も亦(また)、
湯津石村(ゆついわむら)に走(たばしり)り就(つ)きて、成(な)る神(かみ)、
名は甕速日神(みかはやひのかみ)。次に樋速日神(ひはやひのかみ)
次に建御雷之男神(たけみかずちのおのかみ)。亦の名は建布都神
(たけふつのかみ)。
亦の名は豊布都神(とよふつのかみ)、次に……
 
 
 
美しい妻の命が神避(さ)りました。伊耶那岐命(いざあなぎのみこと)は、
「美しく、いとしい妻を、たった一人の子供と取りかえてしまった」と、冷たい妻の
命のなきがらにすがりついてなげき、み枕辺(まくらべ)にはらばい悲しみ、
み足辺(あとべ)にはらばいながら泣きくれました。
その悲しみに流された涙によって生まれた神は、泣沢女神(なきさわめのかみ)。
今も大和の国の香山(かぐやま)の畝尾(うねお)の木(こ)の
本というところにいるということです。
 
 
伊耶那岐命(いざなぎのみこと)は、伊耶那美命(いざなみのみこと)を、泣く泣く出雲の国と、伯伎(ははき)の国の堺にある比婆之山(ひばの)にほうむりました。おとむらいがすんでも悲しい思いでおりますと、世の中は、戦争の道具である火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)によってあらそいがたえません。そこで伊耶那岐命は、十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き、迦具土神(かぐつちのかみ)の頸(くび)をお斬りになってしまいました。
 
 
この御刀(みはかし)により、石拆神(いわさくのかみ)・根拆神(ねさくのかみ)・石筒之男神(いわつつのおのかみ)・甕速日神(みかはやひのかみ)・樋速日神(ひはやひのかみ)・建御雷之男神(たけみかずちのおのかみ)・闇淤加美神(くらおかみのかみ)・闇御津羽神(くらみつはのかみ)という八神の神がお生まれになりました。(大変深い真理が示されていますが略します)
 
 
次に迦具土神(かぐつちのかみ)からは、正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)・淤騰山津見神(おどやまつみのかみ)・奥山津見神(おくやまつみのかみ)・闇山津見神(くらやまつみのかみ)・志芸山津見神(しぎやまつみのかみ)・羽山津見神(はやまつみのかみ)・原山津見神(はらやまつみのかみ)・戸山津見神(とやまつみのかみ)という八柱(やはしら)の神がお生まれになりました。
この十拳剣(とつかのつるぎ)の名は、天之尾羽張(あめのおはばり)といい、又の名は伊都之尾羽張(いつのおはばり)といいます。
 
 
お一人になった命(みこと)は、理想の国を現象世界に実現するお仕事も手につかず、「亡くなった妻は今頃、黄泉国(よもつくに)で何をしていることであろうか」等、あれこれ思っておりますと、今一目(ひとめ)逢いたいという気持ちをおさえる事が出来なくなってしまいました。
 
 
「よし、今一度黄泉国(よもつくに)まで行って、なんとかつれもどしてこよう -」
伊耶那岐命(いざなぎのみこと)は天神(あまつかみ)に言依(ことよ)せられた公(おおやけの)の仕事を忘れたわけではありませんでした。現象的に美しい妻を失ったさびしさ、悲しさの方か強くなってしまったのです。
 
お仕事をする気にもならずじっとしていることもできずはるばると黄泉国(よもつくに)までやって来ました……
 
 
伊耶那岐命(いざなぎのみこと)が尋ねて来たというので、伊耶那美命(いざなみのみこと)は、固く閉ざした扉のむこうまで出て来ました。(このような気持ちが、私達人間の日常心の中にわきあがるのは、この時の原理によります。だから、よく自分の心の動きと、物語りをくらべてみる必要があります)
 
 
「おお、美しく、いとしい妻の命(みこと)よ、貴女と二人で創造(つく)っていた理想の国は、まだ生みおわっておりません。どうか今一度、一緒に帰って仕事を手伝って下さい」と申しますと、伊耶那美命(いざなみのみこと)は、

 
「まあ、なんと残念なことでしょう、早く来て下さいませんでしたので、私はもう黄泉国(よもつくに)の食べ物を食べてしまいました。でも、天津神(あまつかみ)であるあなた様が、わざわざ来て下さったのですから、なんとか黄泉国の大神と相談してまいります。その間、どのようなことがありましても、けっして、けっして私を見ないようにして下さい」
 
 
伊耶那美命(いざなみのみこと)は、なんども念をおして奥へはいって行ったようでした。なつかしい伊耶那美命の声を聞きながら、伊耶那岐命(いざなぎのみこと)は、うまくいくかも知れないと、うれしそうに待っておりました。


(これも又、私達の日常におこってくる心となりました。それで、私達人間の場合は、
 ①待っていられないですぐ扉を追いかける。〈自殺行為〉
 ②何時までもじっと待っている。〈何の仕事も出来ず、やがて不平満々となって
   問題児となったり、ノイローゼ、口ばかり達者、だんまり等から慢性病等〉に
   なる。
 ③扉の前をいったり来たり。〈何をしても手につかない。すぐあきる。一人言
   ばかり言う〉
 ④やがてあきらめて帰る。〈永遠に問題は解決しない。人生に義務感ばかり残ったり、人を責めてばかりいたり、自己弁解の心ばかりがつぶやいていたり、顔は冷たく・固くなってくる〉


ですから、私達、にとってもっとも太切な事は、怖れない事です『この黄泉国の物語りを参考にして、神々の失敗を二度と繰り返さないようにする』と考えたら間いなのです。神様は『迷わない事を理想としたのではありません』、かと言って 『迷い悲しみ・なやみ・苦しむのを理想とした』のでもありません。 まさに”夢”想像の産物であり劇作なのです。
 
植物が種の殻を破る。美しく料理されたものを口へいれて、噛み味わう、という生理作用の一つなのです。せっかく口にいれたものを、はき出したり、胃に溜めたり、下痢や便秘をおこさない事なのです。怖れず呑みこむ、神を信じで前へ進む。『良い話・現象の理想を満足させる話は、一切信じてはいけない』のです。こうすれば良い、これはこうすべきだ、とか、思う心をしっかりと目をひらいて見てください。その心の満ち満ちているのが黄泉国(よもつくに)。
『だまされた』『うらぎられた』と、他を責めるのは、おかどちがいであることを示している大切な物語りです』みそぎの前兆なのです)
 
 
 
 
ところが、何時まで待っていても、中を出て来ません。注意されたことはわかっているのですが、少しでも早く顔を見たいものだと思うと、扉の外では待ちきれなくなってきました。
 
 
命(みこと)は、いつのまにか扉をあけて御殿の中へはいってしまいました。
中はまっくらで、何がどうなっているのかさっぱり見当がっきません。
命は、左の耳のあたりにたばねた髪にさしてある湯津津間櫛(ゆつつまぐし)をとり、端(はし)にあるふとい男柱(おばしら)を一本折り取って、あかりをともしてみました。
 
 
故(かれ)、左の御角髪(みみずら)に刺せる
湯津津間櫛(ゆつつまぐし)の男柱一箇(おばしらひとつ)取り闕(か)きて
一っ火燭(びとも)して入り見たまいし時
 
蛆(うじ)たかれ、ころろぎて
頭には大雷居(おおいかずちお)り
胸には火雷居(ほのいかずちお)り、
腹には黒雷居(くろいかずちお)り、
陰(ほと)には析雷居(さくいかずちお)り、
 
左の手には若雷居(わきいかずちお)リ、
右(みぎり)の手には土雷居(つちいかずちお)り、
左の足には鳴雷居(なるいかずちお)り、
右(みぎり)の足には伏雷居(ふしいかずちお)り、
あわせて八はしらの雷神成(いかずちがみなり)り居りき。

 
 
 
 
まっくらだったあたりは、さっと明るくなりました。
見ると、いとしい妻の命(みこと)の、あの美しかった手も足も、すっかりくさり始めて、ぷんぷんとしたにおいの中に、むくむくとまっ白なうじがわき、頭や、胸や、はらや、手や足に、八人の雷神(いかずちのかみ)が無気味にこちらをにらんでおります。
 
あまりの姿に、すっかり驚いた伊耶那岐命(いざなぎのみこと)は、今まで恋しかった心も、一ぺんに吹きとんでしまい、さっさと逃げ出しました。
みにくい姿を見られた伊耶那美命(いざなみのみこと)は、「あれほど、見てはいけないと言ったのに、私のこんなはずかしい姿を見てしまって、もう黄泉国(よもつくに)から帰すわけにはいきません - 」と言って黄泉醜女(よもつしこめ)という、みにくい魔女たちに追いかげさせました…
 


古事記物語   地球誕生の原理  

2012年03月21日 12時56分46秒 | 古事記

サイタニのブログからの転載です。

古事記物語の続きです。神様の名前は、それぞれの意味がこんなふうにあるのだとは、実に面白いですね。

 

 

 

地球誕生の原理 
 
 
すでに国を生みおわりましたので、大自然および自然現象の神様を生むことになりました。地球がどのように出来てきたのか、ということは、誰も見ておりませんので、これをおつくりになった神様以外わかりません。
 
 
ところで、古事記はすべての事を神々の御名(みな)とご事蹟(じせき)で暗示しております。それで、地球の歴史をあてはめて古事記のお話をしてみたいと思います。地球が外の世界からはなれて独立してから四十五億年たっているといわれています。地球は、今もなお造山活動を行なっていて、常に変化し、地球の存在とともにやすむことなくつづきます-。
 
 
このように、国生みの大仕事は大変な忍耐が必要でありますので、一番始めに、大事忍男神(おおことおしおのかみ)を生みました。この神様の名前のお力で地球は消えることなく発展をつづけることが出来るのです。地球のような天体の生まれる前、宇宙にはちりのような隕石(げんそ)の石土毘古神(いわつちびこ
のかみ)が生まれました。それが膨張してひろがるのを巣のように一つに集めるカの石巣比売神(いわすひめのかみ)が生まれて、はじめて星や地球のような天体が生まれてきました。

 
やがて地球内部の温度があがり火山活動がはげしくなってくる大戸日別神(おおとひわけのかみ)が生まれ、水蒸気は天に吹き上がる天之吹男神(あめのふきおのかみ)が生まれ地球の上には大屋毘古神(おおやびこのかみ)が生まれ雲が一面におおってきます。一つの地球という家のような世界ができてきます。
 
 
地球の内部からは水が温泉や火山ガスとして放出されてくる長い時代が、風木津別之忍男神(かざけつわけのおしおのかみ)の御名(みな)においておこなわれ、温泉が流れて川となり火山ガスは雲となり雨となってやがて大綿津見神(おおわたつみのかみ)という海の神様が生まれて大海原が生まれました。
海がはっきりしてきますと、川から海に流れいる河口に速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)・妹速秋津比売神(いもはやあきつひめのかみ)が生まれました。この二柱の神様が、河と海にわけて、国生みのお仕事を始めました。
 
 
大陸のどろは、この時生まれた沫那芸神(あわなぎのかみ)・沫那美神(あわなみのかみ)のおカで、はるばると水の流れに流されて、海へとはこばれていきました。このどろが海へはこばれますと、頬那芸神(つらなぎのかみ)・頬那美神(つらなみのかみ)が生まれて、大海の大きなうねりと共に、海の底深く、静まり、深めて重ねられていきます。
 
 
長い間このような時代を過ごしてやがて、天之水分神(あめのみくまりのかみ)・国之水分神(くにのみくまりのかみ)が生まれて、降りそそぐ雨も、わき出て流れる水も、ほどほどに良くなってきまして、ひさごをもって水をくみ必要に応じてほどこしてくれるという、天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)・国之久比奢
母智神(くにのくひざもちのかみ)がお生まれになり生物が生まれるのにふさわしい地球にして、なおこの中にある一切の悪い空気を吹ききよめる風の神、志那都比古神(しなつひこのかみ)が生まれました。
 
 
このようにして初めての生命である植物の神、久久能智神(くくのちのかみ)がお生まれになりました。このような時代になってきますと、かって海の底にたがれいった泥は、固いチャートという石になり、造山運動によって山が生まれてきました。この山の神を、大山津見神(おおやまつみのかみ)といい、野の神を野椎神(のづちのかみ)と申します。
 
 
   大綿津見の神
 
 
さて、すべての仕事は神の御名(みな)において神の御心(みこころ)のままにすべきなのでありますが、速秋津日子(はやあきつひこ)・速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)の名において国生みが完成し海と河とにわけられてそれぞれ活動がなされてから、ともすると神意(みこころ)をはなれ現象にとらわれたような活動を行なうようになります。

 
このくらげなすといったことがかさなりますと、ますます天神様(あまつかみ)の御心は忘れやすく、大山津.見神(おおやまつみのかみ)・野椎神(のづちのかみ)二柱の神が、山と平野に分けて、「ここからここまでは私のものである」というように、この現象世界を分け持っ生活をするよう.にな.つて来ます、」そのようにしていくとどうなるかということがここに示されております。

 
私達が目先の見えることだけにたよって生活をしていきますと、理想の世界もせまく、自分の生活もせまくるしいものになるという、天之狭土神(あめのさづちのかみ)・国之狭土神(くにのさづちのかみ)が生まれます。
 
 
 
そうなりますと、迷の霧が立ちのぼり、天之狭霧神国之狭霧神が生まれ、すべてのものに生きがいを失って暗黒思想となり、何のために生まれてきたのかわからないという、天之闇戸神(あめのくらとのかみ).国之闇戸神(くにのくらとのかみ)が生まれてきます。
 
 
 
こうなりますと、かじを朱った船や組や・ハンドルを失つた自動車のように、男も女も見わけがなくなり、互いに憶測、いっと、争いがわけもなく起こり、戦争へまで発展していく大戸惑子神(おおとまどいこのかみ)、大戸惑女神(おおとまどいめのかみ)が生まれてまいります。
 
 
 
そうすると・船や飛行機、さらにロケツトを生み出す鳥之石楠船神(とりのいわくすぶねのかみ)又の名が天之鳥船神(あめのとりふねのかみ)という神が生まれ物質が大量に生産されて新時代に発展していく大宜都比売神(おおげつひめのかみ)が生れます。
そして、ついに火の神が生まれます。火の神も、神の御心のままに使われると、熱となり、光となり動力となる火之夜芸速男神(ひのやはやおのかみ)・火之毘古神(ひのかがひこのかみ)となるのですが、物質中心の生活をしておりますと、戦争への道具にもなってしまう火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)が生まれてきます。
 
  火之迦具土神の誕生
 
この神様がお生まれになったために、対人関係の争いがおこり、国と国との戦争となり、物質を生産する機関が焼けてしまつて休業せざるを得なくなり、伊耶那美命様(いざなみのみこと)ご病気というお姿になられます。(相手の問題点だけが見えて現象の美しさがわからなくなる)
 
 
 
やがて戦争がおわりますと、戦争の前よりも鉱工業の生産が数倍増加するという金山毘古神(かなやまびこのかみ)・金山毘売神(かなやまびめのかみ)が生まれまして、迷いの自壊作用がおこり、ふたたび神の御名によって国生みがおこなわれ、平和な世界になるという波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)・波邇夜
須毘売神(はにやすびめのかみ)が生まれ、よいものが瑞々しく充ち満ちてくる弥都波能売神(みつはのめのかみ)生まれて、新しい結び(生産の方法)が発見されていろいろなものが湧くように造られる和久産巣日神(わくむすびのかみ)が生まれてくるということがかかれております。
 
 
 
しかし、伊耶那美命(いざなみのみこと)様は火の神を生んだのでおなくなりになつてしまいました。【現象の美しさが一区切りして去り、新時代の美しさが展開していく。この理念を具体的に述べているのが黄泉国(よもつくに)とみそぎのお話です。】




国生みの原理  (古事記物語)

2012年03月17日 18時14分11秒 | 古事記

サイタニのブログから、古事記物語の続きの転載です。

 

 

国生みの原理
 
 
 
『吾が身の成り余(あま)れるところを 汝(な)が身の寒(まず)しく成り合わざるところに判(わか)ちて 国土(くに)生みなさん』

 
『吾(あ)と汝(な)とこの天之御柱(あめのみはしら)を行き廻(めぐ)リ逢(あ)いて、美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)せん』

 
『汝(な)は右(みぎり)よリ廻(めぐり)り逢(あ)え我(われ)は左よリ廻り逢わん』
   
 
 
伊耶那岐命様(いざなぎのみことさま)は、伊耶那美命様(いざなみのみことさま)に、「今から陰(マイナス)の力である貴女(あなた)と、陽(プラス)の力である私の力とを、一つに結び合わせて、実相世界のように、すばらしい現象世界の国生みをするのですが、貴女(あなた)の姿や性質は、どのように出来ているのですか」とお尋ねになりました。

伊耶那美命様(いざなみのみことさま)は、
 
「私の姿は、どのように完成させたと思いましても、かならず『足りないところが一つ』何時でもあるのです」とお答えになりました。
伊耶那岐命様(いざなぎのみことさま)は、
 
「私の姿や性質は、よけいなものがのこらないように、ちょうどぴったりに完成させようとしましても、『かならずどこか一(ひとつ)が、なり余(あま)ってしまう』のです。ですから、私の余(あま)ったところと、貴方の足りないところとを、一つに結びあわせて、国生みいたしましょう」とおっしゃいまして、お二人は、天之御柱の前にお立ちになりました。
 
 
現象世界は波動の世界ですから、かならず、一方は足りないところ(とはいってもそれは不足して駄目というものではなく、表現して創造していく空間や時間や場所ができるということです。)又一方は一つの世界を創造完成しても、更に次の世を創造したくなってくる意欲がでてくるということなのです。

 
「貴女は、右よりめぐりまわって下さい。私は、左よりまわります。二人が出会いましたところで、国生みをいたしましょう」と 一まわりした時、伊耶那美命様(いざなみのみこと)が、「ああ、なんとすばらしい男の神様なのでしょうか」とおっしゃいました。伊耶那岐命様(いざなぎのみこと)は、
 
「今は、女性が先になったので、うまくいかないかも知れない」とお話になりました。それでも、お二人で、一所懸命(いっしょけんめい)国生みをなさいました。
いくら頑張って努力しても、陰の力が先になっていますので、ちょうど、服を
縫うのに糸を先にし、針をあとにしているようなものですから『骨折り損の、
くたびれもうけ』と生命をすりへらしてしまう水蛭子(ひるこ)が生まれました
そして、せっかく生んだと思うものも、みんな、水のあわのように、消えてしまう
という淡島(あわしま)が生まれるだけでした。 - これでは、国生みになりません…
 
 
せっかく、お二人の神様が、本気になってすばらしい国生みをしようとしたのに、
なぜ第一回から失敗してしまったのでしょうか?『失敗の理(ことわり)は何で
あったのでしょうか!』「これではいたしかたがない、どのようにしたなら良いの
か、天神様(あまつかみさま)にお尋ねしよう」
 
お二人は神想観(瞑想)をして現象世界から実相世界に参りました、
そして天神の神意(みこころ)をお尋ねになりました。
 
 
「お前達二人は、天之御柱(あめのみはしら)をめぐり、国生みなす時、これで充分うまくいくと思って仕事をしたのかな」と、にこやかにお聞きになりました。伊耶那岐命様(いざなぎのみこと)は、「いいえ、陰(マイナス)の力である女性が、陽(プラス)の力である男性の先に立って仕事をすることになったので、宇宙の法則に合わないのではないかと思いました」すると伊耶那美命様(いざなみのかみ)は、
 
でも、同じ二人が力を合わせて仕事をするのですから、すこしくらい順序が
ちがっていても、一所懸命にさえしたならば良いのではないかと思いました」と、お答えになりました。天神は、
 
『お前達の国生みは、法則をはなれてすることは出来ないのだよー
『お前達は、私の答を聞こうと、実相世界まで尋(たず)ねてこなくとも、心を静め、
我(が)の心を捨てて、端坐(たんざ)して私の心と波長(はちょう)を合わせれば
何時でも私の声を聞くことが出来るし、特に私の声を聞こうとは思わなくとも、
お前の魂に本能の心として思わしめているのだよ
 
 
『お前達が、天之御柱(あめのみはしら)をめぐり国生みしようとした時、お前達の
心に奥底深く、「宇宙の法則に合わないのではないか」と無心にささやいたあの声、あの想いが、実は私の声だったのだ -
「ああ!やっぱりそうでしたか」お二人の神様は、すっかり、うなだれてしまいました。
 
『国生みというのは、ただ一所懸命にしたらそれで良い、ということではない
『すべての人と事と物との中にひそんでいる私の声を聞きながら、宇宙の
法則を自分のものとして創造をすることが、一番大切なことなのだ」
 
 
やさしい天之御中主神様(あめのみなかぬしのかみ)のお言葉をお聞きして、
このようにわかり切ったような間違いをした自分が悲しくなりました。
「大神様のお言葉をお聞きしながら、それとも知らずに間違いをおこしてしまって、
私達はもう駄目なのでしょうか?」
 
 
『間違いということは、お前達自身が駄目だということではない-
『間違いという文字をみてもわかるように、それは、間が違つているという
ことなのだ…善も悪も。『わかりやすく言えば、どのよう.な人や事や物でも、
それ自身には、良いも悪いもない。それらの間が、どのように関連して、
何をしていくか、どのように使つていくかという、目的と法則とが、宇宙の
法則や理想、即ち私の心に合っていない、ということだ -
 
『お前達二人が、国生みの始めに、なぜ失敗のような目に合ったのかというと、
法則はどのようにも使うことが出来るけれども、神であるお前達も宇宙の法則で
ある私を無視して創造することは出来ないということを先ず第一に知る必要
あっただけの事だよ……
 
 
 
 
注:天皇陛下は常に国家・国民の幸せ、世界平和を祈っておられます。
  又、全ての責任はすべて自分にありと思っておられますので、
  神様に自分の心が神の心と違っていないかをお聞きになっておられると
    聞きました。だから女性では月に一度神前に御参りすることができなくなる
  ので女性では天皇は務まらないと言う事になります。
  天皇陛下の第一のお仕事は神前で祈る事です。それを公務を減らすと言う
  事で神前を減らそうとしています。天皇陛下の神意(みこころ)に適わない
  ことばかり、政治家、官僚はやっています。
  又原発が悪いのではなく、安全、な設計、仕事をしていなかったという事です。
   (サイタニ)
 
 
「今吾(あ)が生(う)める子良からず。
 なお天つ神の御所(みもと)に白(もう)すべし」
といいて、すなわち共(ともに)に参上(まいのぼ)りて、
天神(あまつかみ)の命(みこと)を請(こ)いき。
 
 
ここに天神(あまつかみ)の命(みこと)もちて
布斗麻邇爾卜相(ふとまににうらえ)てここに詔(の)る、
 
 
「女(おみな)言先(ことさき)て良からず
 還(かえ)り降(くだ)りて改(あらた)め言(い)え」
 
 
 
『今一つ大切な事は、失敗というのは、こうしたらこうなったという法則を発見
したことであり、失敗のように見えた時は、どのようにしたなら良いかという
ことを先ず国生みの始めに体験したのであるから、これからは安心して、自信
をもって国生みが出来るというものだー」
 
 
やさしく、思いやりのある天神様(あまつかみさま)のお言葉を頂いて、お二人の
神様は、喜びに目を輝かせた。「それでは、私達は赦されるのですか」
『知ってるはずだ、私の世界に罰(ばち)はない
、だから赦(ゆる)すも赦(ゆる)
さぬもない、困難にたわむれる楽しみがあるだけだ
「それでは、私達はこれからどのようにしたら良いのですか?」と、お聞きになりま
すと、『かんたんなことだ。失敗したことは過ぎた思い出として初心に帰り
法則のままに、新しくやりなおしたらそれで良いのだ。その真理が、共(とも)に
観(み)、共に感じ、共に歓(よろ)びいざない合う『いざ』というお前達二人の名の
意味だよ ー プラスとマイナスのある意味なのだ…』お二人の合掌をアンテナの
ようにして、天神様のお声が、静かに深くなりひびいておりました。
 
たとえ、本当に失敗のように見えても『失敗したから駄目だ』と考える事は
神様の御心にそむくことになってしまいます『失敗のように見える。その中にこそ』神様は深い創造の喜びを,秘めていらっしゃるのだ。この事をはっきりと
知ったお二人は、さわやかに立ちあがりました。そして、共に「いざゆかんー」
「いざ参りましょうー」といざない合いながら…。早速、『詔(の)り直(なお)す』こと
になりました。
 
高天原(たかあまはら)の中心に……天之御柱(あめのみはしら)を見立てー
八尋殿(りそうせかい)を見立てて……
伊耶那岐命(いざなぎのみこと)は左より歩きはじめました…
伊耶那美命(いざなみのみこと)は右(みぎり)よりめぐりゆきました…
一度離れてめぐり合ったお二人は、いまさらながらにお互いの美しさにひかれる
のでした。
 
伊耶那岐命(いざなぎのみこと)は、しみじみと、伊耶那美命(いざなみのみこと)の、あたたかく、やさしく、にこやかなお姿をみつめておりましたが、ほっと溜息をつくように -「ああ!なんとまあ、やさしく、美しく、愛(いと)しいおとめであろう・・・」とおっしゃいました。うつむいていた伊耶那美命も、そのお言葉にうれしく、にっこりと顔をあげ、思わず -「まあ!なんと、りりしく、おやさしいおとこの神様でしょう……」とおっしゃいました。
 
 
(おとめの言魂の一つは『音芽(おとめ)』。です。実相世界や心の世界が音(言葉・波動)となって現象世界に芽(姿.形)をあらわしていく。という力です。おとこの言魂の一つは『音古(おとこ)』です現象を現(うつ)し出す波の原動力をふりむく、
何時も天神(あまつかみ)の神意(みこころ)にまつろうとしながら『理(ことわり)』を
修めていくことです。
 
 
あなにやし、えをとめを -)ということは、現象にあらわれている(うつし出され
いる)美しさ、良さを、喜び、楽しみ、味わい讃歎することです。現象創造の第一
先ずそれが第一声でなげればならないのです。
〈あなにやし、えをとこを - )ということは、この現象の美しさ、良さは、まった
く、天神(あまつかみ)、のおかげである。と感謝し、理想は惟神(かんながら)に
あらわれることを確認し、日常生活を喜び楽しむことになります。
 
 
では(あなにやし、えをとこをー)が先行してはなぜまずいのか、と言いますと
、現象世界の中に理想がある。と観てしまうからです。良さがあらわれていないと
人をさぱき、自分をなげき、世をのろいますので、ひるこ・あわしまが生まれること
になるのです)
 
 
さて、このようにして、大宇宙 - 銀河系 - 太陽系 - 地球。そして地球上の国々-…というのが、淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけしま)から大倭豊秋
津嶋(おおやまととよあきつしま)、亦の名、天御虚空豊秋津根別(あまつみそらと
よあきつねわけ)、という嶋の名に内容を暗示しながら、生みおわり、更に又六嶋
を生みおわりました。