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TPPはアメリカの仕掛ける罠、経済での国家の主導権を奪われる日本

2011年01月30日 12時09分04秒 | 現代日本
 TPPについて本当に心配しています。菅首相は経済のことはさっぱりわからないくせに、アメリカの言う事を鵜呑みにして、TPPを進めようとしています。(菅総理が経済に疎いことは、財務大臣の時に、自民党の経済通の人が代表質問したときに、質問の内容が理解できなくて、たしか乗数効果という経済用語を知らなくて、質問者が用語の説明からはじめたり、財務官僚がそばで一生懸命レクチャーをしていたりしても、結局良く理解出来なかったらしい、あの場面を思い出します。) 
 TPPに軽率に加入してしまったら、日本は取り返しの付かない経済の低迷を迎える可能性があります。財界も一月程前には、このTPPについて知らなかっ たと言うのに、今では打って変わって推進しています。ほんとに分かっているのか怪しい気がします。単にFTAやEPAに乗り遅れて韓国に遅れをとったとい うことで、よく吟味しないままTPPを使って、自由貿易による輸出拡大を狙っているようですが、こんな単純な考えでいいのでしょうか。だいたい経団連の米倉さんは、中国船領海侵犯の時に、中国との経済関係が悪くなると困るから、船長を早く釈放してくれと政府に要請したような、国益よりも企業利益優先の考え方の人です。このような人が推進するTPPが日本の将来を考えての方針であるはずがないと思います。
 yahooブログ「蘇る日本! 日本を良くすることができるのは、わたしたち日本人です 」でこのTPPについて分かりやすい記事を書いておられるので、転載したいと思います。



TPPはアメリカの仕掛ける罠。日本はデフレ脱却(内需拡大)に主眼を置くべし。
 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)については、産経新聞までもがTPP参加に賛成を表明していますがが、昨年秋にこの言葉がマスコミに躍り出た当初から私は強い疑念をもってきました。別に私に先見の明があるわけではありませんが、あまりに偏った情報ばかりが先行している上、これほど重要なことなのに誰もなかなか問題点を指摘しないことに「これはおかしい!」と思ったので、2回にわたり記事にさせて頂きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/yomigaerunippon/9258605.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yomigaerunippon/9555247.html


 今では、「がんばれ日本!全国行動委員会」をはじめ、三橋貴明氏、中野剛志氏、藤井厳喜氏が明確にTPPに反対を唱えられているので、もうはっきりお気づきになった方が多いかと思いますが、これは明らかにアメリカが日本を食い物にしようとして企てた罠です。
 マスコミでは農業のことばかりが報道されていますが、農業もさることながら、アメリカの狙いは「製造業での競争がダメなら、日本を金融で支配してしまえ」ということだと私は思っています。アメリカは実質失業率が18%とも、19%とも言われており、オバマ大統領は本当に必死になっていて、トヨタを叩こうが何をしようが、まさになりふり構わず、しかも輸出をわずか5年で倍増させることを柱の一つとして経済を立て直そうとしています。(支那も、アメリカにいいように”自由化”される日本を虎視眈々を狙っています。)
 TPP参加は、全く日本の国益にかなわず、むしろ日本のデフレが加速され、経済が奈落の底におとされかねないと真剣に危惧されます。

 TPPの問題点の詳細については後に掲載する動画や記事をご覧いただければと思いますが、なぜ私が当初からTPPが胡散臭いと思ったかと言いますと、それはTPPに限らず、そもそも日本政治においては”お題”は天から与えられることになっているからです。「金融ビッグバン」にしろ、「規制緩和」にしろ、「郵政改革」にしろ、「財政健全化」にしろ、いつもお題は天から与えられます。その「天」とは・・・? そうです。アメリカ様のことです(米政府だけでなく、 IMFも、国債格付け機関も含む)。いつも日本はアメリカに改革の”お題”を与えられて、それについて真剣に「考えさせられ」ています。

 TPPも、つい数か月前まで誰も知らなかったはずですが、昨年10月ごろから突如としてTPPが日本の国家的課題のようにマスコミで騒がれ、しかも、直ちに加盟しなければ日本は経済競争に完敗するかのような報道が数多くなされました。具体的な数値の裏付けのないまま、ただ「開国か?鎖国か?」と扇動的に主張したり、「バスに乗り遅れるな」「韓国に負けてしまう」などと煽り立てる論調には、強い違和感を感じざるを得ませんでした。(仮にTPP加盟で5%の関税が削減されたところで、ドルや元やウォンやユーロがさらに10%安になれば、日本の製造業の輸出は伸びません。)

 関岡英之氏の『拒否できない日本 ―アメリカの日本改造が進んでいる 』をご存知の方は多いと思いますが、自民党政権の時代、アメリカは堂々と日本に対して年次改革要望書を出し、内政干渉まがいの改革を強いてきました。民主党反米政権になって、アメリカは年次改革要望書を出さなくなりましたが、尖閣問題で日本が安全保障に危機感を覚え、親中から一気に親米に傾いたと見るや、アメリカはここぞとばかりにTPPなるものを迫ってくるようになりました。これは決して偶然ではないでしょう。支那の脅威にさらされる日本の足元を見ながら、アメリカは日本に対してTPP参加を迫り、「日本の国内市場をよこせ」と言ってきたのです。「前門の虎、後門の狼」とも言うべき状況です。
 菅首相の頭の中には”国益”はなく、ただ”政権の延命”しかありません。「平成の開国」ならぬ、「平成の売国」と言うべきものです。

 そしてマスコミは、例によって、TTPという与えられた”お題”について扇動的に報じるばかりで、客観的な報道をほとんどしていません。かつて江藤淳氏が指摘された通り、私たちはアメリカの情報コントロールの下で今もなお「考えさせられている」のが現実ではないでしょうか? (『閉ざされた言語空間』)


 さて、私の話はここまでとして、TPPの問題点について諸先生の見解をお聞きいただければと思います。

 まず最初はこちら(↓)です。田中康夫氏は私の好きなタイプの政治家ではありませんが、TPPについての見方は正しいと思います。

 降って沸いた「TPP」の謎?! 10/11/06
   

 中野剛志氏は、元官僚で、現在京都大学助教授、気鋭の若手研究者です。非常に鋭い指摘です。



中野剛志:TPPはトロイの木馬─関税自主権を失った日本は内側から滅びる
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/01/tpp_5.html


 藤井厳喜氏は、私は学生時代に一時期お世話になった先生です。国際政治について、私は藤井先生にたくさんのことを学ばせて頂いています。



5/5【経済討論】TPPと世界経済の行方[桜H23/1/15]

    ※11:55あたりから、三橋氏、中野氏の議論が秀逸。


※関連動画
http://www.youtube.com/watch?v=yntLQfdu_28&feature=related

転載終わり

三橋貴明さんも、アメリカと中国が、日本のデフレを継続させることで、彼らが自国に有利になる状況を作り上げるように陰謀を巡らす国家戦略について書いておられますので、その記事も合わせて引用します。

 現在の日本のデフレが続くと、少なくともアメリカと中国は喜びます。朝日ニュースターの番組でも話しましたが、現在の日本は「デフレかつ円高」ではなく、「デフレだから円高」です。すなわち、日本のデフレが続き、実質金利が高い状況が続く限り、円高は継続する可能性が高いわけです。ましてや、アメリカがQE2(量的緩和第二弾)として、ドルの供給量を増やしている以上、当たり前です。 


デフレ、円高が続くと、日本企業の海外移転は活発化します。これは「移転先の一つ」中国にとって、大変うれしい事です(最近はチャイナ・リスクが意識され始めてはいますが)。


また、円高はアメリカ側から見れば、ドル安です。大統領が「五年間で我が国の輸出を二倍にする」と宣言した以上、円高ドル安はアメリカにとって渡りに船です。後は、農産物の関税撤廃や、アメリカの競争力が(嫌な意味で)高いサービスの自由化を日本に押し付けてしまえば、ドル安攻勢でアメリカの輸出額増大に日本市場が大いに貢献してくれるわけです。


例えば、経営悪化が深刻化している新聞の大スポンサーであるアメリカの金融機関が影響力を強め、新聞各紙を「TPP賛成」に誘導します。TPPに反対する人に対しては、
「平成の開国に反対する『鎖国主義者』だ!」
「農業の構造改革が必須だ。反対する者は農業構造改革に反対する抵抗勢力だ!」
 などと、イメージ優先でレッテルを貼り、「TPPに反対できない空気」を作った上で、管直人政権が「TPP解散」に打って出る。


中国は中国で、同国の市場への依存度が他の産業に比べて高い耐久消費財のメーカーを炊きつけ、これらの企業が大スポンサーであるテレビなどで「日本の内需は絶望的」「日本はグローバルで生きるしかない」理論を広める。日本のデフレでマスコミの経営は悪化を続けていますから、尚のこと一部のスポンサーの影響力は強まる、という構図です。


結果的に、日本のデフレは悪化し、アメリカも中国も大喜びというわけです。(そして、マスコミの経営も益々悪化し、一部のスポンサーの影響力がさらに強まるわけですね)


まあ、陰謀論というよりは、普通の「国家戦略」なわけですが。頭のいい中国共産党やアメリカのシンクタンクは、普通にこの程度のことは考えているでしょう。

シベリア抑留者の誇り  ~ウズベキスタンとの友好の絆

2011年01月29日 18時10分45秒 | 歴史
 第二次大戦で、日本がポツダム宣言受諾後し、日本軍の武装解除後にソ連が不可侵条約を破って侵攻してきました。多くの日本兵や在外日本居留民が連行され、シベリアに拉致されました。そして飲まず食わずの抑留生活で強制労働させられ、ソ連のあらゆるインフラ整備に使役されたのです。その過酷な生活でたくさんの人が亡くなりました。
 その奴隷状態の労働はいつ果てるともしれず、希望の持てない日々が続きました。1953年3月にスターリンが死んだことを契機に、やっと日本政府との間で釈放交渉が始まり、その年の11月に祖国へ帰る迎えの船が到着しました。なんと拉致から8年以上の年月が経っていたのです。このシベリア抑留について、ねずきちさんのブログ「ねずきちのひとりごと」に感動的な話が話が載っていましたので、転載します。


国立ナポイ劇場



中東に近いロシアに、ウズベクスタンという国があります。

「スタン」というのは、「国」という意味です。

ウズベクスタンは、古代からシルクロードの中継地として発展したオアシス都市として栄えたところで、13世紀にはモンゴル帝国に征服されるけれど、14世紀になるとティムール王朝が興って、中央アジアから西アジアに至る広大な帝国を築き上げた歴史を持ちます。

そのウズベキスタンの首都都タシケント市に“国立ナポイ劇場”(写真)があります。
この建物は、戦後間もない昭和23(1948)年に、約2年の月日をかけて完成したものです。

その後、タシケント市には、二度、大地震が起こりました。
地震で、市内の建造物は、そのほとんどが倒壊しています。

ところが、二度の大地震に、ナポイ劇場はビクともしなかった。

タケシントのウズベク人たちは、劇場を眺めて次のように語ってくださっているそうです。

「戦いに敗れても日本人は誇りを失うことなく骨身を惜しまず働いて立派な仕事を残した。素晴らしい民族だ」

そうです。この建物は日本人のシベリア抑留者が造ったのです。

同じ抑留者でも、ドイツ人たちは、ロシア兵に反抗もするし、自分たちの権利を主張しました。
ロシア兵たちもドイツ人たちは、同じ白人種であることから、あるていど大目に見ていたといいます。

ところが日本人は黄色人種です。反抗したら殴られる。殺される。ひどい差別を受けた。

それでも日本人たちは、威張らず、文句も言わず、黙々と作業をした。

その姿に、市内の作業現場では、タシケント市民は、ソ連と戦争をした日本人に、かえって尊敬と畏敬感をいだいたといいます。

ナポイ劇場の建造は、500人の日本人抑留者が担当しました。
そのうち60人が、建築途中で亡くなられています。
10人にひとりが亡くなったのです。
どれだけひどい環境下にあったか、その数字だけをみてもあきらかであろうと思います。

使役させられた日本人たちの様子がどうであったのかは、山崎豊子の小説「不毛地帯」に詳しく紹介されています。

裸にされて並ばせられると、すぐ前に立っている男の肛門まで、上から見えた。
ろくな食事も与えられず、全員がそこまでガリガリにやせ細っていた。
建設工事の途中、あまりの労苦に耐えかねたひとりの日本人が、クレーンの先端まで駆け上がって「天皇陛下万歳!」と叫んで飛び降り自殺した等々、涙をさそう逸話が数多く紹介されています。

シベリアに抑留された日本人は65万人です。
このうち、2万5千人が、このタシケント市内の13箇所の収容所に入れられました。

シベリア抑留者というのは、ただソ連によって強制連行され、抑留させられた、というわけではありません。

シベリアに連行された日本人は、旧満鉄の職員や技術者、関東軍の工兵たちなどです。
要するに技術者集団です。

ソ連は、ヤルタ協定を一方的に破棄して対日参戦しただけでなく、満洲や朝鮮半島、樺太などを一方的に占有し、日本軍から奪った武器弾薬兵器は、シナの八路軍(中国共産党)や、北朝鮮金日成らに無料同然で売り渡しました。

そして、日本人技術者たちを強制連行してソ連のインフラ整備のために無料で使役しています。

65万人の技術者集団です。
彼らを単に抑留するだけなら、食費やら施設の維持費等で、建国したてのソ連は大赤字となります。
65万人に給料を払うなら、たとえば今の相場で月30万円の給料を出すとなれば、それだけで月に2千億円、年間2兆4千億円の費用がかかる。

それを、給料無料、ろくな食事も与えないで、日本人の持つ高い技術と能力、旧満州にあった機械や設備をまるごと持ち帰って、ソ連の建国のために使役した。

道路敷設、水力発電施設の建設、鉄道施設の充実強化、森林伐採、農場経営、建物建築等々。

旧ソ連は、莫大な国費を要するそれら国内インフラの整備事業を、拉致した日本人65万人を使ってソ連全土で展開したのです。

ソビエト社会主義連邦共和国は、かつて人類の理想郷のように言われました。
人々は働かなくても、国家から給料がもらえます。

人々が働かなくても、町のインフラは次々と整い、道路ができ、鉄道がひかれ、建物ができる。

あらゆる工業生産物も、生まれる。
農業も振興され、食料生産高も飛躍的に向上する。
人々が「働かなくても」です。

労働者階級は、ほんのちょっと仕事をするまねごとをするだけでよい。
クレムリンが、計画経済○か年計画を策定するだけで、国民はなにもしなくてもみるみる経済が成長し、豊かになる。
国家の力で、インフラは整備され、工業・農業の生産高は飛躍的に向上する。
これぞ理想郷。これぞ人類の夢の社会・・・。

ところが誰も生産活動に従事しないで、労働成果物だけが生まれるわけがありません。
では、いったい誰が労働していたのか。

それが、シベリア抑留者達です。
なかでも日本人は良く働いた。

資材は、満洲からのお持ち帰り品です。
足りないものはない。人もモノも全部揃っている。しかも労働力を使うために必要な賃金(カネ)は、栄養失調寸前の申し訳程度の食糧支給だけ。犯罪者として抑留しているのですから、もちろん給料なんてない。

ちなみにいまでもロシアに残る社会インフラで、ちゃんと稼動している施設は、ほぼ日本人抑留者が造ったか、ソ連以前の帝政ロシア時代の建造物かどちらかです。
旧ソ連時代にできたものは、あまり多くない。あっても陳腐化して使い物にならない。

要するにソ連は、人だけでなく、モノと技術を一緒にソ連に運んだのです。
そして日本人を奴隷のように使役し、モスクワの町やらイルクーツクの街並み、カザフやウズベキの街や道路、発電所、建築物等を作らせた。

ウズベキスタン



ウズベキスタンのタケシント市に抑留された2万5千人の日本人達も、同じです。

運河や炭鉱などの建設や、発電所、学校などの公共施設の建築などの強制労働につかされ、過酷な気候条件と厳しい収容所生活で、栄養失調や病気、事故などで、合計813人の日本人がこの地で亡くなられています。

しかし、彼らが造った道路や発電所などの施設は、いまでもウズベキスタンの重要な社会インフラとなっている。
それどころか、国立ナポイ劇場の建物などは、いまやウズベキスタンの人たちの誇りとさえなっている。

ウズベキスタンの市民たちは、劇場が建設された当時のことをよく覚えているといいます。

日本人たちが、捕虜なのにどうしてあそこまで丁寧な仕事をするのか、真面目に働くのか不思議がったといいます。

中山恭子元内閣特命大臣がウズベキスタンに大使として赴任したのは、平成11(1999)年のことです。

いまも国民に電気を供給している水力発電所の建設を仕切った元現場監督に会ったそうです。

その元監督は、まじめに、そして懸命に汗を流していた日本兵抑留者たちの思い出話を、中山恭子大使に涙ながらに語った。

苛酷に働かされた工事でも、決して手抜きをせずまじめに仕上げてしまう日本人。
栄養失調でボロボロの体になりながらも、愚痴も文句も言わないどころか、明るい笑顔さえあった日本人。

昨日、具合悪そうだったけれど、笑顔を向けてくれた日本人が、今日は来ていない。
どうしたのかというと、昨夜栄養失調で死んだという。

それほどまでに過酷な情況にあってなお、きちんとした仕事をしてくれた日本人。

だから、いまでもウズベキスタンの母たちは子供に「日本人のようになりなさい」と教えているといいます。

ウズベキの人たちは、当時抑留されていた日本人たちの姿を見て、
「日本人の捕虜は正々堂々としていた。
ドイツ人捕虜が待遇改善を叫んでいたのに対して、彼らは戦いに敗れても日本のサムライの精神をもっていた。
強制労働でも粛々と作業につく姿を見て、我々市民は彼らに何度か食料を運んだのです。」

日本人墓地があります。
細い木で組んだ粗末な十字架が、そこにいくつも並んでいる。

聞くと、旧ソ連時代、日本人の墓など作ってはならない、墓はあばいて、遺体は捨てろ、という命令もあったのだそうです。

それでも、ウズベクの人たちは、ひっそりと日本人の墓を護りぬいてくれた。
それは、日本人が作ってくれた建物や発電所などが、いまでもウズベクの人々の生活をささえてくれてることへの、せめてもの恩返しだったのだといいます。

実は、中山大使赴任の三年前の平成8(1996)年、ソ連崩壊で、独立したウズベキスタンでは、大統領のカリモフ氏が自ら進んで、壮麗なナポイ劇場に、日本人抑留者の功績を記したプレートを掲げてくれています。

そこには、ウズベク語、日本語、英語でこう書かれています。
「1945年から46年にかけて極東から強制移住させられた数百人の日本人がこの劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」

ナポイ劇場正面に掲げられたプレート



ひたむきに努力をし、異国の地で果てた日本人。

この報せを受けた中山恭子大使の夫・中山成彬元国土交通大臣は、みんなの力で、ウズベクの日本人墓地の整備をしようと、呼びかけます。

そして宮崎の事務所を拠点にして、元抑留者や応援者たちに声をかけ、寄付金を募った。
寄付は、宮崎県内から半分、県外から半分が集まります。

そして中山夫妻は、ウズベクに行き、このお金でお墓の整備をと、申し出ます。

すると、ウズベクの大統領は、これを拒否した。

「亡くなられた日本人に、わたしたちは心から感謝しているのです。
このお金は受け取れません。
わたしたちで、日本人のお墓の整備をさせてください。」

そしてウズベクの人々は、日本人墓地を、美しい公園墓地にし、日本人を顕彰します。

中山成彬ご夫妻は、集めた寄付金で、それならウズベクの学校に教育機材をご提供しましょうと申し出ます。
そしてパソコンや教材などを買いそろえ、寄贈した。
これは喜んでウズベクの人々が受け取ってくれます。

中山成彬先生



さらに残った費用で、日本人墓地と、ウズベクの中央公園に桜の木を贈ろうと話します。

きっと生きて祖国に帰りたかったであろう人たちに、せめて、日本の桜を毎年、ずっと見せてあげたい。

そして中山成彬氏は、日本さくらの会に交渉し、日本から桜を、ウズベクに寄贈します。

ところが、桜の木は弱酸性の土でないと育ちません。
ウズベクの土はアルカリ性です。
これでは桜が枯れてしまう。

そこで日本から弱酸性の土も一緒に運び込むことなった。

いま、ウズベクの日本人墓地と、中央公園には、日本から寄贈された1900本の桜の木が、毎年美しい花を咲かせています。

ちなみに、あまりにも桜が美しいことから、「桜どろぼう」が出た。
桜の木を根こそぎ持って行ってしまう。

ウズベクでは、そのための対抗策として、日本から寄贈された桜を守るために、なんと専門の「さくら番」を雇い、桜の木の保護をしてくれました。いまでもずっとです。


シベリア抑留者の悲劇。
その悲劇の中でも笑顔を失わず、立派な仕事を残した日本人。

祖国に帰れなかった彼らのために、お墓の整備や桜の寄贈を呼び掛け、これに応じてくださった心優しい日本人。

その心を大切にするために、1年365日、桜番を雇い、警護までしてくれているウズベクの人々の誠意。

本当の外交と言うものは、虚偽の捏造にあらず。
こういう人と人との真心のつながりこそが、真実の友好を結ぶものであると思うのですが、みなさん、いかがでしょうか。







「仁」の伝統

2011年01月28日 21時18分08秒 | 現代日本
 yahooブログの「美しい国」に、古来よりの日本の伝統的な道徳について書いてありました。戦後の感覚、現代の感覚では、古臭いと思われる方もあるかもしれませんが、我が國の長い歴史の中では古来よりずっと、敗戦を迎えて価値観がすっかり変わるまでは、この道徳が尊ばれて、日本人の根本の精神となって来ていたのです。この儒教の精神における、仁、忠、孝といった徳目のそれぞれの意味や関係を分かりやすく述べておられますので、転載いたしました。


仁 の 伝 統
秋篠宮文仁親王妃紀子殿下が、平成18年9月6日午前8時27分、親王様をご出産あそばされた。親王殿下のお名前は、悠仁(ひさひと)親王殿下と名付けあそばされました。皇族男子の諱(いみな)に、「仁」の文字を含むのは、皇室の伝統であることは、ご存知でしょうが、畏くも明治天皇陛下は睦仁(むつひと)、大正天皇陛下は嘉仁(よしひと)、昭和天皇陛下は裕仁(ひろひと)、今上天皇陛下は明仁(あきひと)と申し上げる。皇太子殿下は徳仁(なるひと)、秋篠宮殿下は文仁(ふみひと)と申される。他の皇族の男子の方々も、みな「仁」の文字がついている。
ちなみに、諱(いみな)は 畏くも、天皇陛下、皇后陛下はじめ皇室におかれましても、本人以外が諱を呼称することが避けられており、親王(内親王)・宮家当主に対しても、皇室最上位にあたる天皇をはじめ直系・傍系尊属にあたる皇族でさえ諱を用いず宮号を用いて呼称するのが慣例となっている。一般人が呼称する際には、天皇直系1親等の親王・内親王を「○○宮(親王殿下)」・「○○宮(内親王殿下)」、宮家当主を「○○宮(殿下)」と呼称することがほとんどであります。
すなわち、皇室にあらせられましても、諱(いみな)で名前を呼ばれないのに、臣民が諱(いみな)で呼称するのは不敬の極みであります。
皇室廃止論者は、あえて諱で呼称し、侮辱する傾向があり、天皇・皇室に特別な敬意を示さないことを間接的に表現する手段となっているので皇室を敬愛される皆様は、気をつけられたい。

本題に戻りますが、
 この伝統は、平安時代以来のものというから、皇室がいかに「仁」という徳を重んじてきたかがわかるでしょう。

「仁」とは何か。「仁」とは、いつくしみ、思いやりをい表します。
 「仁」は、シナの孔子が提唱した徳目ですが、儒教の道徳思想の中心にすえられ、宋学では「仁」を天道の発現と見なし、一切の諸徳を統(す)べる主徳とした。智仁勇の三徳または仁義礼智信の五常等の徳目の中にあって、他を統括するのが、「仁」なのです。
 いにしえの大和言葉で言えば、「うつくしび」がこれに当たる。「うつくしび」「慈愛」の文字をあてるように、「仁」とは、慈愛を垂れ、大切にすることである。
 歴代の天皇は、国民を我が子のように慈しみ、大切にされてきた。それは、記紀において、国民を「大御宝(おほみたから)」と呼ぶことによく表われています。
初代・神武天皇以来の伝統であって、その精神を一文字で表すのが、「仁」なのであります。

これに対し、臣民(国民)が畏くも天皇陛下に対して臣民が表すこころが、「忠」です。「忠」は、偽りのない心、まごころ、まことをいいます。忠実、忠心などと使われる。君主に対しては、臣下として、真心・誠を尽くすのが、「忠」である。
 シナにおいては、「忠」よりも「孝」が優先された。君主と親のどちらかを選ばねばならない時には、「孝」を優先するのが、美談とされています。
余談になりますが、シナの孔子が提唱した儒教ですが、シナでは殆ど実践されず、実践したのが我國なのです。
 「孝」とは、子が親を敬い、親によく尽くすことをいいます。「孝」は、自分の親を大切にすることにとどまらず、祖父母・曽祖父、さらに祖先を大切にするこころです。親への孝行は、先祖への孝養につながるというのが我國の考え方です。
 わが國では、皇室は国民の本家のような存在と考えられ、自らの祖先をさかのぼると皇室につながると考えてきました。だから、親を大切にし、祖先を崇めることは、皇室を尊ぶことに通じ、「孝」「忠」が別々ではなく、一つに連続しているのです。
 しかも、源にさかのぼれば、皇室が本(もと)であって、国民が末(すえ)という関係になり、そこで、「忠」「孝」では、「忠」が本と考える。これを「忠孝一本」といいます。
 「孝」は、私的な家族道徳ですが、「忠」は、公的な社会道徳である。シナが私的な「孝」を優先するのに対し、日本では公的な「忠」を根本とする。これは、臣民と皇室が大家族のように結ばれていると信じられてきたお国柄においてのみ可能なことであり、漢民族と異民族の闘争の歴史である易姓革命の國、シナには到底真似すらできないことなのです。
皆さんご存知でしょうが、皇室は天照大神を皇祖祖神としています。
臣民もまた祖先は神々につらなると考えてきました。だから、わが國では祖先を崇め、皇室を尊ぶことは、神を敬うことにつながり、また、神を敬うことは、親孝行をし、祖先を大切に祀り、皇室を尊ぶことと、一つにつながっている。敬神崇祖と忠孝一本が、日本人の生き方の根底にあります。
 親・先祖・皇室・神 このつらなりのどれ一つを欠いても、仁・忠・孝は成り立たちません。

畏くも天皇陛下が「仁」を行いあそばされ、臣民が「忠」を行い、各家庭に「孝」が行われている状態をを表す言葉が、「和」であります。
 日本人は、古くから國名を「わ」と呼び、「倭」文字を嫌い「和」の字をあてました。国の中心となる「やまと(山門)」には、「大和」の字をあてました。
いかに日本人が「和」を重視してきたかがおわかりいただけると思います。
 聖徳太子は、「和」を十七条憲法に明文化し、國家臣民の理念として確立あそばされました。それを受けて、先人は「和」の精神を発展させてきました。
 「和」を実現するには、畏くも天皇陛下が仁を行い、臣民が忠を行い、各家庭で孝を行うことが絶対条件なのです。十七条憲法、五箇条のご誓文、教育勅語の間には、千年の時を超えて貫かれているものがある。そこに表われているのが、日本人の精神、やまと魂なのです。

転載終わり

  古事記は、「天地のはじめの時高天原になりませる神のみ名は天之御中主神」で始まります。日本人は、ものにはみな中心があると考えました。これは支那の中庸という書物にもそうした考え方は書いてありますが、これの影響もあると言われますが、もともと日本人にあった考えとして、それを理論付けるために応用したとも言えます。この中庸には、喜怒哀楽未だ発せざるを「中」という、発して切に当たる、これを「和」というと書いてあります。物事のまだ展開しないすべてを包含した元の存在、それが未発の「中」であり、そこから展開して、それが見事に切に当たって、調和した状態それが「和」であるというのです。
 引用した記事に、『畏くも天皇陛下が「仁」を行いあそばされ、臣民が「忠」を行い、各家庭に「孝」が行われている状態をを表す言葉が、「和」であります』と書いてあるのを見て、改めて「和」という言葉の持つ意味がわかった気がします。私達日本人の祖先が、どういう理念を描いて国家を築いてきたか、どのような社会を理想としたかがわかります。


シジュウカラが来ました。

2011年01月28日 16時03分45秒 | 自然観察日記
 最近近くの公園に、シジュウカラが来ていることが良くあります。一度見かけてから、もう一度見たいとは思っていましたが、けっこう簡単に見ることができるようになりました。フェンス越しに割と近くから見ているのに、逃げません。4羽か6羽くらいが桜の枝を飛び回っています。たいていの小鳥は雑食が多いですが、シジュウカラも木の実や虫を食べるようです。樹の皮を剥ぎとって、中の虫を食べたりするらしいので、桜の木でもそういう虫を探しているのかもしれません。






嘴の先に小さな丸いものをくわえています。


これも同じようにくわえているように見えます。

 シジュウカラを見ていたら、同じ木にメジロが2羽やって来ました。シジュウカラを完全に無視して、同じように枝を動きまわっています。シジュウカラの方もメジロには無関心で勝手にやっています。メジロも虫を取りに来たのでしょうか。メジロはうちの庭に来るときは、花の蜜を吸いに来ることが多いですが、桜の木にはまだ固い芽しかついてないので、虫を探しているのかもしれません。




メジロはめまぐるしく動きまわります。

 この時期のさくらは裸木なので、鳥が来るとよく見えるので撮影には都合がいいです。しかも去年の暮に、公園の周りのカイヅカイブキの生垣が取り払われてフェンスになったので、フェンス越しにすっかり見渡せて、鳴き声を聞いて出てみると、すぐに声の主が探し出せるようになりました。
 ただし、例年春になるとカイヅカイブキの生垣の内側の茂みにウグイスが来て、中を飛び回りながら鳴いていたのが、今年は来ないだろうなあと、少し残念に思っています。
 生垣がフェンスになって、良かったことは、公園につぐみが来ているのを撮影しやすくなったことです。今まで公園でつぐみの声がするので、公園の入口へ回って覗くと、たいてい飛び立っていく姿ばかりで、撮影できませんでした。それが入り口に回らなくても、フェンス越しに公園を歩いているつぐみを撮影できるようになりました。つぐみもフェンス越しだと、フェンスに安心しているのか飛び立ちません。素早くあちこち歩きまわっています。地面で虫でも探しているのかもしれません。







 公園が近いので、うちの庭にもシジュウカラが来ました。柿の樹の枝に止まったところを撮影しました。


背中の模様がよくわかります。腹側は白くて真ん中に縦に黒い筋がありますが、背中は肩のあたりがきれいな緑で、その下の翼の折り畳みの黒い筋模様がきれいです。


やはり虫をとっているようです。柿の幹のゴツゴツした部分をつついています。

 その二日後には、ジョウビタキのメスが来ました。ジョウビタキはたまに来ます。ジョウビタキは見ただけでオスとメスがわかるので、雌を見ると、なんとなくおっとりとした顔に見えて、いかにも美しい令嬢が上品そうに立っているようなイメージに見えます。背中の模様を写したかったのですが、後ろを向いてくれませんでした。










「戦後教育の問題点」文科省と教育現場に左翼思想が

2011年01月27日 18時29分26秒 | 現代日本
 yahooブログの 美しい国からの転載です。今の教育の現状のひどさが、どこから来ているのかを戦前と戦後を比べて、原因を追求されています。
         

毎日のように新聞、マスコミ等で報道される殺人、詐欺、イジメ、自殺。これらを一括りに「社会の荒廃」といいますが、なぜこうなってしまったのでしょうか。
戦前日本を訪れた諸外国の識者は、一応に治安がよい、礼儀正しい、親切、聡明、勤勉、と評しています。
なぜ、戦後こうなってしまったのか戦後教育に関して考えてみたいと思います。

「戦前教育」の優れていた点
本ブログでも幾度か紹介させていただきましたが、戦前は、明治天皇陛下より下賜給わった、「教育勅語」によって国民に分かり易く「教育の目的」が示されていたのです。
 「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々美ヲ済セルハ我カ國体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ茲ニ存ス」の一節にあるように、教育の目的は、「忠孝」など人としての徳目を身につけることなのであり、そもそも、一国の道徳は、永いやまと民族の歴史の営みを通じ醸成されたものであって、これを次代の国民に連綿と継承させるのが教育の最大の務めであります。
教育勅語は、よい日本人として如何に生きるべきか「人の道」を家族から友人、社会、国家という広がりの中で具体的に明治天皇陛下がお示しになられたものです。
教育勅語にお示しになられた原則を補完する為に「修身教育」がおこなわれました。
本ブログでも修身教科書は幾度かご紹介させていただきましたが、日本の偉人のみならず、世界の偉人、の生き方を具体的に教えました。
また、教育が国家政策の中心であったからです。
これは、義務教育の教員を大事にしていたことからも窺えます。義務教育の教員養成は、軍関係の陸士・海兵と同様、授業料免除の上、手当が出され、正教員免許は、師範学校卒業生だけに出されました。大卒であっても義務教育の正教員資格は与えられませんでした。
また、兵役が短縮されるなど優遇されていました。

「戦前教育は国語教育重視」
戦前の時間割では、国語が小学校四年生までの総授業時間の約半数を占めており、国際的に見ても傑出していました。
現在見られるような「教科の平等」ではなく、あくまでも国語重視でした。
その理由は、母国語こそが全ての知的活動の基盤であり、表現だけでなく思考そのものが国語を通じて行なわれる。国語力なくして算数も理解できないとの基準でした。
言葉は人間のすべてといっても過言ではありません。
言葉を身につけるのは、小学校間が最も適していたからです。国語による読書を通じ、情緒や道徳を学ぶことができ、古典・詩歌を読むことで、感情、情緒が養われ、家族愛・郷土愛・祖国愛・人類愛が養われていったのです。
過去、現在においても、「言語を一定期間奪われると民族は亡びる」と言われています。なぜなら、民族としての情緒、道徳、文化、伝統の中核に母国語があるからです。
これは、世界の歴史が証明しています。
戦前世代の方々の国語力はここから生まれています。
誇りある文化を失いつつある日本、荒れ果てた民心、青少年の著しい学力低下、といった現状を考える時、小学校国語の質と量にわたる飛躍的充実は、日本再生のための不可欠な第一歩です。

「戦前の「複線型」学校制度」
複線型であった戦前の学校制度は、今日の「単線型」の学校制度よりはるかに優れており、人それぞれの志向に合った学校制度でした。
「複線型」の学校のため、子供自身が自己の能力・志向に合った学校を選ぶことができ、「待避線」もあるために余裕を持って進学でき、中学校入試に力不足であった子供でも、高等科で勉強して中学に入り直すことができました。
現在の平等を謳う教育よりも、戦前のほうが落ちこぼれをださず、英才を輩出したシステムがこれだったのです。
現在のように、東大一辺倒ではなく、専門分野毎に頂点の学校が複数存在したからです。
また志望者は、上級校への進学もでき、例えば、師範学校卒業生は、高等師範進学さらに、文理大への進学ができた。仕事で学費をえて進学することもできたわけである。そのようなコースを経た大学教授の方が昭和五十年代まで学部教育に携わっておられた。当時の教育学部には、児童・生徒と学校現場を知り抜いた「師範出身」の教授が、学部学生を指導して、より実際的な教員養成が可能にしていました。
実によく考えられた教育システムです。
英国の学校制度は、戦前の日本と同じく「複線型」です。
英国が、一旦「英国病」にかかり衰退しながらも、近年、見事に復活して活力を取り戻していることからも戦前の日本教育がすばらしかったかが明らかです。

「戦後教育の問題点」


「教育勅語放棄」
「教育勅語」放棄が、「道徳崩壊」に繋がった。すべての根本はこれにあります。
教育勅語は、国民精神の基盤であったのですから当然の結果ですが。
明治天皇の御代に、日本が僅かな年月の間に西欧列強に伍して近代法治国家たりえたのは、「帝国憲法」と「教育勅語」の両輪があってこそです。
戦後の日本は、敗戦ショックとGHQの指令により、「帝国憲法」「教育勅語」をあっさり放棄してしまいました。
戦後四十年にわたる日本の繁栄は、教育勅語の精神を持つ世代が生み出したもので、教育勅語の精神を持つ世代が引退した頃(昭和五十年代後半)から、あらゆる分野においておかしくなり、日本は経済、文化、精神とも衰退への道辿っているようにおもえる。従って、戦後の「教育勅語」排除こそ、今日の国家衰退の一大誘因であり、惜しみても惜しみきれません。
 「教育勅語」には、世界に通用する徳目が述べられている。これを放棄したことによって、戦後日本においては、徳目を教えることさえ困難な現状です。教育勅語排除によって、日本の教育現場から「道徳」が抹殺されたといっても過言ではありません。




「文科省と教育現場に左翼思想が」

時折メディアに登場する、元文科省官僚寺脇研氏は、競争を勝ち抜くことを目標とした二十世紀的な考え方は終わり、二十一世紀は共生の時代へと変わっているのです。・・・勉強のできる子だけがすばらしいのではありません。学校の試験であまり点数がとれなくても他の方面ですばらしいところがあり、その力を地球のために、それぞれ発揮していくという時代になっていきます。」などと言い、「ゆとり教育」を推進しました。寺脇研氏は、、「競争排除」と「悪しき平等主義」に汚染された人物なのです。
資源のない我國が世界第二位の経済大国であったのも、多くの國民が勤勉で優秀でよく勉強し、競争したからなのです。寺脇氏はその点を全く無視して、ひたすら勉強なんかしなくてもよいと言う。文科省の政策立案に関与する人物の許し難い暴言であり、「競争」がなくなった将来日本が、国際競争力を失い極貧国になることを待望する「頭脳テロリスト」の名に値すします。
学力低下への不安から、子供を塾に通わせる意識は高くなり、塾費用は増加し、そのため、ゆとり教育の導入後、教育費を得るために母親が仕事をせざるを得なくなり、親子の接触が減り、かえって家庭での物心的ゆとりがなくなりました。


「日教組の問題点」

日教組の最大の問題点は、日教組がいまだ全体主義(共産)革命の夢・幻から目覚めていないことです。
未だに、昭和二六年九月策定の「教師の倫理綱領」を後生大事に護っています。日教組は日本が遅れた國で、個人の確立」のために、日本の社会構造を根本から取り替える処置(共産革命)をとって、全く新しい社会体制、つまり、全体(共産)主義体制を作り上げねばならないと言っています。その新体制(共産主義)では、日教組を含む労働者階級が政治を支配するという幻想を抱いています。
日本は非常に遅れた体制にあると言う現状認識は、一九三二年コミンテルンテーゼ(ソ連共産党がコミンテルン日本支部に出した指令書)の認識のままなのです。
また日教組は、「搾取と貧困のない平等社会」を謳い文句に
革命の担い手として子供たちを教育しています。
(教師の倫理綱領)に、「一、教師は日本社会の課題にこたえて青少年とともに生きる  平和の擁護、民族の独立、搾取と貧困のない社会の実現は、われわれに課された歴史的課題であり、民主主義を信ずるわれわれの不動の念願である。少年は、各人の個性に応じて、この課題の解決のための有能な働き手となるように、育成されなければならない。日本の青少年が自由と幸福をかちとる道は、この必要にこたえるための学習を組織し、指導する。教師は自ら深い反省に立って、勉学し、努力する。」この条項が顕著な例です。
もはや聖職者の仮面を被った革命家でしかないのです。


「戦後教育が教えたもの」

戦後教育が教えたものは、「人権」「平和」「生命」の三者です。教育勅語、修身教育を破棄した教育現場が教えたものは、道徳の徳目ではなく、「政治スローガン」としてとらえられるべきものであり、戦後教育の本質が、教育の名を借りた「政治教育」であったのです。
国民としての義務を教えない「人権教育」とは、世界のいかなる国にも存在しない「教育」です。
「教育」ではなく「甘やかし」に過ぎません。
平成十一年版東京書籍中学「公民」教科書には、中学社会科「公民」教科書は、「権利」を三二頁にわたり詳しく説明する一方、「義務」についてはたった五行の記載しかせず、義務の内容も、納税の義務」・「子供に教育を受けさせる義務」・「勤労の義務」の三点しかありません。
権利のみ殊更に拡大解釈して教え「義務」を矮小化する教育は、「道徳・秩序の破壊教育」であり「国家解体教育」と言っても過言ではありません。
権利主張は、人を「欲求丸出し人間」に変え、ついには社会規範である道徳をも破壊します。
昨今、弁護士の需要が急増し、テレビ等でも「法律相談所何某」とかの番組が注目されているのがその顕著な例です。
平和にしても然りです。
日本國民は建国以来、平和を愛する民族でした。
平和を声高らかに唱えながら、五十年以上に及ぶ「平和」の時代に、日本國民はいかなる価値を生み出したでしょうか?
「平和」を「最高の価値」として子供達に教える場合でも、「平和」をいかに守り通すかを教えなければ片手落ちではないでしょうか?
左翼が「平和」を叫んでいる間に、多数の同胞が北朝鮮に拉致されていました。左翼はその北朝鮮を崇拝している有様です。これが左翼の意図する「平和」なのでしょうか。
日本の北方領土、竹島、更に尖閣諸島(一九九二年、中国政府は国内法で既に自国領土として編入)など韓露中の三国によって侵略されたか、現在進行中でもある。これを平和とは言わない。「平和」という文字が我國の主権さえも縛ってしまったのです。
生命」は尊い。しかし、その「人の生命の尊さ」の拠って来る所を教えない限り、「生物としての生存の価値」としか写らないでしょう。
子供達に、自ら人として日本國民として拠って来るところ、歴史や国語教育を通して「国民としての誇り」を教えないまま、「生命が一番」と教える教育は、日本を「自己中心人間」が蔓延し、国を変えてしまうでしょう。
己だけを優先させる餓鬼の世界へと。