安倍総理が戦後レジームの脱却を志して、内閣運営を始められ、日本の新しい動きが始まりました。しかし、中国韓国は今まで日本を貶め悪者にして、利益を得ていた国ですから、なんとか日本の戦後レジームを継続させたいのでしょう。また日本国内でもこの戦後レジームによって、利益を得て地位を得てきた戦後利得者と呼ばれる勢力は、安倍総理の活動に抵抗しています。韓国は日本から被害を受けたという主張によって、日本から賠償や謝罪、援助を引き出してきました。また世界で日本を貶めて、自国のほうが上だという意識を持つことに満足をして来ました。
全くの捏造である従軍慰安婦問題も、全力で世界にアピールしています。今回は日本が関東大震災の時に朝鮮人虐殺が行われたという歴史が、最近のいろんな資料研究によって、実は間違いだということが知られて、東京都教育委員会が独自発行する高校日本史教科書(副読本)「江戸から東京へ」で、関東大震災時に朝鮮人が虐殺されたという表現を削除するということがありました。
こうした歴史の真実が明るみに出て、史実が訂正されることに、韓国は我慢がならず、また自国の利益が失われる危機感から、捏造しても、元に戻そうと躍起になっているようです。
色々なメディアのニュースも、写真も公開されたからといって、信用出来ません。支那の南京資料館や映画で使われた写真などは、皆捏造であり、これは水間政憲さんのグループが丹念に科学的に検証して、すべて嘘だということがバレています。反日教育を自国民に施すために、また世界に反日を広めるために、手段は選ばない人々です。
今までいくら真実を指摘しても国内のメディア、出版業界、教育会、官界を含めて、取り上げてもくれませんでしたが、ネットの普及で、やっと真実を無視できない時代になりました。
真実を再び覆い隠そうとする内外の反動勢力に、ダマされることなく、真実の日本を今度こそ取り戻しましょう。
韓国人写真研究家が関東大震災朝鮮人虐殺当時に撮影されたとみられる写真公開、吉原の弁天池に身を投じて亡くなった490人の遊女を引き上げた時に撮影した「吉原の池から引き上げた女郎の死体」の写真を悪用するな
良識ある日本国民の皆様には、韓国人写真研究家が関東大震災朝鮮人虐殺当時に撮影されたとみられる写真を公開したことはご存知だと考えます。
関東大震災朝鮮人虐殺当時の写真か 韓国研究家が公開
【ソウル聯合ニュース】関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺をめぐり、東京都教育委員会が来年度版の 高校日本史の副読本から「虐殺」の文言を変更すると発表したことに批判が高まる中、韓国記録写真研究家のチョン・ソンギル氏が3日、虐殺事件当時に撮影さ れたとみられる写真を聯合ニュースに公開した。
写真の上部には「大正十二年九月一日」と日付が書かれている。大正12年(1923年)9月1日は関東大震災が発生した日。
写真には数十人の遺体が写っており、遺体の下衣は取られている。遺体の周囲には男性らが長い棒を手にして立っている。
チョン氏は「犬が亡くなっても碑石を立てる日本人が自国の人だったら死人の遺体の下衣を脱がせただろうか。虐殺以上の蛮行」と憤った。棒を持っている男 性らは大震災当時、朝鮮人を虐殺した自警団と推定されるという。別の写真では腐敗した遺体が積み重なっている様子が収められている。
3~4年前、日本で写真を入手したチョン氏は「写真を見て驚愕した。女性の下衣が脱がされているなど、残酷で恥辱的だったので公開したくなかった」と話 す。だが、東京都教育委員会の発表をニュースで知り、歴史を正しく知らせるため公開を決めた。チョン氏は「恥辱的な歴史だが、虐殺で犠牲になった約 6000人に上る朝鮮人の魂はわれわれが守らなければならない。写真など資料を示し、日本人が過去に犯した蛮行を告発すべきだ」と強調した。
朝日新聞によると、東京都は高校日本史の副読本「江戸から東京へ」に記述されている「大震災の混乱のなかで数多くの朝鮮人が虐殺された」との記述を 「(朝鮮人虐殺犠牲者の追悼)碑には、大震災の混乱のなかで、『朝鮮人の尊い命が奪われました』と記されている」と変更することにしたと報じた。都教育委 員会は「誤解を招く表現」のため修正を決定したという。
関東大震災が起きた当時、日本政府は荒れた民衆の気持ちをなだめるため、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」などの流言飛語を流し、興奮した日本人により在日朝鮮人約2600~約6600人が虐殺された。
2013年02月03日中央日報
http://japanese.joins.com/article/893/167893.html?servcode=A00§code=A10
>関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺をめぐり、東京都教育委員会が来年度版の高校日本史の副読本から「虐殺」の文言を変更すると発表したことに批判が高まる中
批判しているのは反日勢力だけだ!
反日勢力は、「関東大震災朝鮮人大虐殺」を事実だと歴史を捏造して、日本人に朝鮮人への罪悪感を植えつけています。
当ブログ1月の記事にしましたが、東京都教育委員会が独自発行する高校日本史教科書(副読本)「江戸から東京へ」で、関東大震災時に朝鮮人が虐殺されたという表現を削除しました。
東京都教育委員会は、「日本人としての自覚を高めるため、高校生に日本史を継続して学ばせることが重要である」という基本的な考え方に基づき、平成24年度からすべての都立高等学校で日本史を必修化しています。
東京都独自の日本史教科書(副読本)「江戸から東京へ」
「江戸から東京へ」には、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」に関する記述として「大震災の混乱のなかで数多くの朝鮮人が虐殺された」と記述されていました。
しかし、2013年度版では、「碑には、大震災の混乱のなかで、『朝鮮人の尊い命が奪われました』と記されている」という記述に変更しました。
>韓国記録写真研究家のチョン・ソンギル氏が3日、虐殺事件当時に撮影されたとみられる写真を聯合ニュースに公開した
>写真の上部には「大正十二年九月一日」と日付が書かれている。大正12年(1923年)9月1日は関東大震災が発生した日
>写真には数十人の遺体が写っており、遺体の下衣は取られている。遺体の周囲には男性らが長い棒を手にして立っている
息をするように嘘をつくのが韓国人ですが、韓国記録写真研究家のチョン・ソンギルも大嘘つきです。
まず、チョン・ソンギルが公開した、虐殺事件当時に撮影されたとみられる写真をご覧下さい。
この写真では、関東大震災に撮影されたということも、虐殺された朝鮮人の遺体ということも証明はできません。
それに、写真上部に関東大震が発生した日、「大正十二年九月一日」と書かれていますが、この日付はチョン・ソンギルが後付けしたものです。
>チョン氏は「犬が亡くなっても碑石を立てる日本人が自国の人だったら死人の遺体の下衣を脱がせただろうか。虐殺以上の蛮行」と憤った
>3~4年前、日本で写真を入手したチョン氏は「写真を見て驚愕した。女性の下衣が脱がされているなど、残酷で恥辱的だったので公開したくなかった」と話す
嘘をつくにしても、もっと日本の文化を勉強してからにするべきです。
大正時代は洋装への過渡期で、関東大震災当時の女性は和装で下着(ズロース)を着けていた人は少なく、裾除けを当てていました。
そして、洋装が普及した要因といわれているのが、関東大震災で焼死した女性のご遺体なのです。
大正時代になると、洋装の過渡期を迎える。洋装は、特定の人のみが着用していたものから、庶民に 着用されるようになる。女学校に制服ができたことや大正時代から女性はさまざまな職業につくようになり、服装も簡素な洋服を着用するようになったことから 伺える。このことは、ズロース着用者を増加させる要因となったが、やはり、女性たちは、ズロースの陰部に密着する感覚になれておらず、陰部を冒涜する一種 の“恥ずかしさ”を覚えた。
またこの時代に洋装が普及した要因といわれているのが、1923年の関東大震災である。震災の際、焼死した女性の無様な姿を見て、和服の不便さが言われるようになり、政府の半官半民の団体である生活改善同盟会が「外出には、ズロースを」ということを呼びかけた。
しかし、この後も、女性は陰部を包み込む下穿きの感覚に慣れることが出来ず、また、このころ女性がズロースを穿くことは、“女らしさ”を損ねるもの、“つつましさ”“しとやかさ”を失うものとして考えられていた。このようなことから、ズロースはなかなか普及することはなかった。
昭和7年12月の「白木屋の火災」で、和装女性は下着を着けないという慣習を問題視し、当時の風潮とも相まってズロースの着用の要因となりました。
チョン・ソンギルの写真について、ガジェット通信は「明治44年に起きた『新吉原公園の惨状がその写真に該当する』と報道しました。
そして、「写真をみると前にある石の箇所に『新吉原公園之惨状」と書かれているが、チョン・ソンギルの同じ写真はその文字が消えている』と指摘しました。
韓国記録写真研究家が関東大震災の朝鮮人虐殺写真を訴える 別の写真を使い捏造の可能性?
またこの関東大震災当日の物とされている写真は、全く別の物だと言う疑惑も挙がっている。明治44年に起きた「新吉原公園の惨状」がその写真に該当する。 東北芸術工科大学のアーカイブを覗いてみると全く同じ写真が存在するのが確認出来る。そちらの写真をみると前にある石の箇所に「新吉原公園之惨状」と書か れているが、チョン・ソンギル氏が訴えかけている同じ写真はその文字が消えている。
仮にチョン・ソンギル氏がわざとこのような捏造をしたのなら、何のためにこのようなでっち上げを行ったのだろうか。アメリカやシンガポールに作られる慰安婦像を更に訴えかけ、賠償、謝罪を求めるのだろうか……。
2013.02.03ガジェット通信抜粋
http://getnews.jp/archives/287724
しかし、ガジェット通信の指摘は誤報のようです。
チョン・ソンギルは「新吉原公園之惨状」の文字を消したのではなく、もともと石板には何も刻まれていなかったのです。
チョン・ソンギルの写真は、サイト「関東大震災の写真集」にある、「吉原の池から引き上げた女郎の死体」と同じ写真です。
関東大震災で発生した大火災から逃れようとした吉原の遊女達が、次々と吉原の弁天池に身を投じて、490人の遊女が弁天池で亡くなったということです。
チョン・ソンギルの写真は、サイト「関東大震災の写真集」主宰者の父親が、弁天池で亡くなった吉原の遊女達を引き上げた時に撮影した写真なのです。
吉原公園の池
この池に飛び込んだ多くの女郎が窒息死
吉原の池から引き上げた
女郎の死体(拡大)
チョン・ソンギルの写真
真実を明らかにするために
敢えて、ガジェット通信のミスを指摘すると
チョン・ソンギル氏は
「新吉原公園之惨状」の文字を消してはいない。
もともと石板には何も刻まれておらず
当時流行した「ニュース絵はがき」として発売された際に
説明書きとして加えられた可能性が大きい。
だから、この写真が関東大震災のモノで間違いない。
チョン氏が入手した写真の上部に書かれた
「大正十二年九月一日」の文字も同様に
撮影当日、ではなく震災の日を記録する為に
元の持ち主が加筆したものと思われる。
但し、この爺さんが発言しているような
新発見の、韓国人にとってはお宝モノだと
涙するような証拠でも何でも無く
指方さんのお父様も入手できた
関東大震災当時のニュース写真なのである。
しかも、
震災後の火災で、炎に囲まれた多くの女性達が
逃れるために吉原公園の池に飛び込んで
何十人何百人と折り重なったため窒息して亡くなり
震災の翌日以降に、
ご遺体を池から棒を使って引き揚げて
お一人づつ並べてさしあげた直後の写真・・・
(中略)
違う角度からの写真がコチラ
国立科学博物館 資料室
「関東大震災」より
■浅草吉原弁天池
池の淵で、必死にご遺体の引き揚げ作業を
している事がよく分かります
■浅草 吉原公園
>チョン氏は「恥辱的な歴史だが、虐殺で犠牲になった約6000人に上る朝鮮人の魂はわれわれが守らなければならない。写真など資料を示し、日本人が過去に犯した蛮行を告発すべきだ」と強調した
>関東大震災が起きた当時、日本政府は荒れた民衆の気持ちをなだめるため、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」などの流言飛語を流し、興奮した日本人により在日朝鮮人約2600~約6600人が虐殺された
ふざけるな!
関東大震災で朝鮮人が虐殺されたことは事実ではなく、朝鮮人により日本人が殺害されたことが真実です。
ロシアの支援を受けた朝鮮独立運動家のテロ集団と、日本の社会主義者が共謀をして、日本を拠点にさまざまなテロ工作を行うようになりました。
朝鮮人テロリスト集団は、関東大震災を好機到来として、家屋への放火や、日本人を殺害して、混乱を増大させて独立運動を盛り上げようとしました。
関東大震災直後に、朝鮮人テロリスト集団と暴徒化した在日朝鮮人から、家族や町内を守ろうとして自警団が戦いました。
この過程で、巻き添えになって殺害された一般の朝鮮人犠牲者がいただけです。
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