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両陛下パラオ御訪問・「ペリリュー島の戦い」とは

2015年04月09日 16時27分09秒 | 日本人の誇り

ペリリュー島の戦いのことは、以前さくらの花びらさんのブログで読んだことがある程度の知識しかなかったのですが、日本政策研究センターの記事を読んで、このペリリュー島の戦いが、後の硫黄島の戦いにつながる本土防衛のための決死の戦いであり、さらには沖縄戦につながっていくことがわかりました。

このペリリュー島、硫黄島陥落後に、米軍が日本本土を無差別爆撃し、東京大空襲では、一夜で10万人の市民が亡くなったと言われています。米軍は住民が逃げられないように、爆撃範囲の外枠を焼夷弾で燃え上がらせて、全滅させるように爆撃したと言われます。東京だけではなく大都市圏は皆そうした空襲を受けました。犠牲の多くは老人や女性や幼い子供だと言われます。それでも、学童疎開など、地方の田舎へ避難した人々も多かったはずです。もしも、ペリリュー島や硫黄島の戦いが米軍の予定のごとくあっという間に終わって、米軍がその時点で日本本土に攻めてきていたら、亡くなった人の数はその数倍になっていたはずです。 

本土に残った人々が米軍の本土攻撃に備えることができるようにと、少しでも時間を稼ぐために自分たちの命のかぎり、まさに死によって動けなくなるまで苦痛に耐えて戦った人々がいたということを、私たちは忘れてはならないでしょう。

本土に残る日本人を守るために、自分たちの命を捧げたのですから、それはまさに、「人その友のために命を捨つる、それより大なる愛はなし」とイエスが言いそして実行したように、彼らの行為はイエスに例えられるべきものだと思います。そんな方々に侵略戦争という汚名を着せ、間違った戦争で心ならずも亡くなったなどという同情の言葉を、まるで自分たちとは異世界の話のように語り、現代という高みの見物席から過去を見て憐れむのは、もういい加減やめにしてほしいと思います。

戦争はたしかに悲惨です。やらないに越したことはありません。しかし避けられない戦争もあるし、生き延びるためには戦わねばならないこともあります。それをイデオロギー的な教条主義で裁いたり、戦勝国のプロパガンダに乗せられて自分たちの先人を愚かな犯罪者のように言うのは、実はこれほど恥ずかしいことはないのだと気付くべきです。

 


 

 天皇皇后両陛下には、戦没者の慰霊などのため、今日明日の2日間パラオ共和国を公式に御訪問になる。先の大戦の激戦地だったペリリュー島では「西太平洋戦没者の碑」で御慰霊になる見込みだという。ここでは、ペリリュー島の戦いについて、振り返っておきたい。

 南太平洋に浮かぶパラオは日本から真南に3200㎞、グアム島の西南、パプアニューギニアとフィリピンの中間に位置し、大小200の島からなる島嶼国家。ペリリュー島はその一つで、南北9㎞、東西3㎞、面積13平方㎞のサンゴ礁の島である。

 大東亜戦争では昭和18年末から19年秋にかけて、日本の絶対国防圏とされた地域が米軍に次々と攻略された。特にサイパン、テニアン、グアムのマリアナ諸島を失ったことは大きな痛手で、米軍はここから日本本土の空襲が可能となった。

 米軍が次の目標としたのが、フィリピン諸島の外廓たるパラオ諸島だった。本土防衛のためにはフィリピン死守が不可欠だが、そのためにはパラオ諸島を敵に渡してはならなかった。なかでも重要視されたのが、最適の飛行場があるペリリュー島だった。

 日本軍はここを死守すべく、歩兵第二連隊長中川州男(なかがわ・くにお)大佐率いる1万余人を布陣。一方、米軍は4倍の4万2千人、小銃8倍、戦車10倍と圧倒的な戦力差で迫り「3日、たぶん2日」で陥落させると豪語していたという。

 ところが、日本軍は昭和19年9月から11月まで、3日どころか70余日間戦い抜き、米軍に死者1684人、戦傷者7160人という甚大な被害を与え、そして玉砕した(日本軍の生還はわずか34人)。この勇戦敢闘が、敵軍を心底から畏怖させたことは次の通りである。

 「ペリリュー島日本守備隊は祖国のために全員忠実に戦死せり」(米軍公刊戦史) 

 「敵は抵抗力の最後の一オンスまでしぼり出し、征服者(米軍)に最大の損害を強要した。ペリリュー戦はそれまでのいかなる戦いとも質を異にし、その後の硫黄島、沖縄戦の類型を示した」(米海兵隊戦記)

 「ペリリューの複雑きわまる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の損害比率(約40%)を甘受しなければならなかった」(米太平洋艦隊司令長官C・W・ニミッツ)

 さらに、元海兵隊員コードリン・ワグナー氏は平成6年にこう回想している。

 「私は海兵隊の一員としてペリリュー戦に参加した。こんな島なら二日間で落すつもりだった。しかし、一ケ月たっても落ちなかった。日本軍人はよく戦い全員が戦死した。当時戦った勇者に会いたくてもそれができない。皆さんは郷里に帰ったら、アメリカの老軍人が日本軍の勇戦を讃えていたと伝えて欲しい」(『大東亜戦争の秘話』展転社)

 今日ではペリリュー島の戦いは完全に忘れられているが、両陛下の御訪問に合わせ、追悼の機会としたい。


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