■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記 から転載しました。
天皇皇后両陛下の心をこめた慰霊のお姿に、感動を抑えられません。この記事にあるように、ペリリュー島の戦いで生き残られた杉村武雄さんが、天皇皇后両陛下の慰霊に思わずありがとうございますという思いで手を合わせられたのは、英霊となった戦友たちがどれだけそのことを喜んだかがわかるからだろうと思います。
天皇陛下の慰霊は、まさに日本の国の魂が英霊たちに語りかけ慰めたことになるのでしょう。
杉村さんにとっても、戦友たちの英霊にとっても、気持ちが報われた瞬間であったことでしょう。
転載元: ■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記
ペリリュー島の戦いのことは、以前さくらの花びらさんのブログで読んだことがある程度の知識しかなかったのですが、日本政策研究センターの記事を読んで、このペリリュー島の戦いが、後の硫黄島の戦いにつながる本土防衛のための決死の戦いであり、さらには沖縄戦につながっていくことがわかりました。
このペリリュー島、硫黄島陥落後に、米軍が日本本土を無差別爆撃し、東京大空襲では、一夜で10万人の市民が亡くなったと言われています。米軍は住民が逃げられないように、爆撃範囲の外枠を焼夷弾で燃え上がらせて、全滅させるように爆撃したと言われます。東京だけではなく大都市圏は皆そうした空襲を受けました。犠牲の多くは老人や女性や幼い子供だと言われます。それでも、学童疎開など、地方の田舎へ避難した人々も多かったはずです。もしも、ペリリュー島や硫黄島の戦いが米軍の予定のごとくあっという間に終わって、米軍がその時点で日本本土に攻めてきていたら、亡くなった人の数はその数倍になっていたはずです。
本土に残った人々が米軍の本土攻撃に備えることができるようにと、少しでも時間を稼ぐために自分たちの命のかぎり、まさに死によって動けなくなるまで苦痛に耐えて戦った人々がいたということを、私たちは忘れてはならないでしょう。
本土に残る日本人を守るために、自分たちの命を捧げたのですから、それはまさに、「人その友のために命を捨つる、それより大なる愛はなし」とイエスが言いそして実行したように、彼らの行為はイエスに例えられるべきものだと思います。そんな方々に侵略戦争という汚名を着せ、間違った戦争で心ならずも亡くなったなどという同情の言葉を、まるで自分たちとは異世界の話のように語り、現代という高みの見物席から過去を見て憐れむのは、もういい加減やめにしてほしいと思います。
戦争はたしかに悲惨です。やらないに越したことはありません。しかし避けられない戦争もあるし、生き延びるためには戦わねばならないこともあります。それをイデオロギー的な教条主義で裁いたり、戦勝国のプロパガンダに乗せられて自分たちの先人を愚かな犯罪者のように言うのは、実はこれほど恥ずかしいことはないのだと気付くべきです。
天皇皇后両陛下には、戦没者の慰霊などのため、今日明日の2日間パラオ共和国を公式に御訪問になる。先の大戦の激戦地だったペリリュー島では「西太平洋戦没者の碑」で御慰霊になる見込みだという。ここでは、ペリリュー島の戦いについて、振り返っておきたい。
南太平洋に浮かぶパラオは日本から真南に3200㎞、グアム島の西南、パプアニューギニアとフィリピンの中間に位置し、大小200の島からなる島嶼国家。ペリリュー島はその一つで、南北9㎞、東西3㎞、面積13平方㎞のサンゴ礁の島である。
大東亜戦争では昭和18年末から19年秋にかけて、日本の絶対国防圏とされた地域が米軍に次々と攻略された。特にサイパン、テニアン、グアムのマリアナ諸島を失ったことは大きな痛手で、米軍はここから日本本土の空襲が可能となった。
米軍が次の目標としたのが、フィリピン諸島の外廓たるパラオ諸島だった。本土防衛のためにはフィリピン死守が不可欠だが、そのためにはパラオ諸島を敵に渡してはならなかった。なかでも重要視されたのが、最適の飛行場があるペリリュー島だった。
日本軍はここを死守すべく、歩兵第二連隊長中川州男(なかがわ・くにお)大佐率いる1万余人を布陣。一方、米軍は4倍の4万2千人、小銃8倍、戦車10倍と圧倒的な戦力差で迫り「3日、たぶん2日」で陥落させると豪語していたという。
ところが、日本軍は昭和19年9月から11月まで、3日どころか70余日間戦い抜き、米軍に死者1684人、戦傷者7160人という甚大な被害を与え、そして玉砕した(日本軍の生還はわずか34人)。この勇戦敢闘が、敵軍を心底から畏怖させたことは次の通りである。
「ペリリュー島日本守備隊は祖国のために全員忠実に戦死せり」(米軍公刊戦史)
「敵は抵抗力の最後の一オンスまでしぼり出し、征服者(米軍)に最大の損害を強要した。ペリリュー戦はそれまでのいかなる戦いとも質を異にし、その後の硫黄島、沖縄戦の類型を示した」(米海兵隊戦記)
「ペリリューの複雑きわまる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の損害比率(約40%)を甘受しなければならなかった」(米太平洋艦隊司令長官C・W・ニミッツ)
さらに、元海兵隊員コードリン・ワグナー氏は平成6年にこう回想している。
「私は海兵隊の一員としてペリリュー戦に参加した。こんな島なら二日間で落すつもりだった。しかし、一ケ月たっても落ちなかった。日本軍人はよく戦い全員が戦死した。当時戦った勇者に会いたくてもそれができない。皆さんは郷里に帰ったら、アメリカの老軍人が日本軍の勇戦を讃えていたと伝えて欲しい」(『大東亜戦争の秘話』展転社)
今日ではペリリュー島の戦いは完全に忘れられているが、両陛下の御訪問に合わせ、追悼の機会としたい。
manaさんの論文の最終章の転載です。
日本は昔から性善説の考え方の国で、罪を犯したものも、被害にあったものも本来は対等の人間であり、罪を犯したあわれを罪人のために悲しみ、また自分にも責任の一端を感じるような、民族でした。そのために、謝るということをある種の宗教的な悔い改めに相当する意味として受け止め、過去の罪を水に流して元の対等な人間関係を取り戻すという考え方をする民族です。日本人は、非常に宗教的な感性をもった民族であり、それ故に「生かされている」という感覚で、自己にも他人にも、人間としての本来の平等性を感じることの出来る人々だと言えます。
しかし外国は、対立の歴史から発展した国々が多く、謝罪は、自他の非を決するものであり、相手から賠償を勝ち取る口実であり、それゆえに対等の人間関係が一転して善と悪の上下関係となってしまうきっかけの出来事となります。
このような世界の中で、戦後日本は、悪の国として、謝罪すればするほど貶められるという悪循環に嵌ってしまいました。
大航海時代から始まった白人のアジア・アフリカ植民地時代を終わらせる可能性を持つものは、当時日本をおいて他にはありませんでした。もし日本が大東亜戦争を戦わなかったならば、有色人種差別は終わることはなく、あるいはもっと長い年月をその終わりのために費やしていたでしょう。
この事実を無視して、日本を侵略国と貶める国々は、自分たちの基盤を貶めているのと同じです。今こそ、日本は、第二次大戦の真の意味をもう一度検証して、日本の戦いを見つめなおして、押し付けられた歴史ではない、自分たちの歴史を取り戻す時です。
日本は敗戦によってさえ、古来よりの皇統を失うこと無く国柄を保ち得た国です。そこには、非常に強い民族の底力が、脈々と波打って続いているのであり、一見末期症状のように情けない姿を見せてはいても、その下に、古い殻を脱皮したあとの新生日本が隠れていると信じています。皇統連綿と続いた天皇の御存在は、扇の要に例えられたり、また、おきあがり小法師の中心に例えられます。無私なる中心を持つ日本国は、その中心に回帰することで、国民もまた無私となって、身を捨てて公に尽くすことで、危機を突破してきました。
私たち日本人がどのような国柄を有し、どのように生きてきた民族であるかを自覚するときに、日本の誇りを取り戻すことが出来るのではないでしょうか。
転載開始
東条英機陸軍大将・首相
manaさんの論文の(2)を転載します。
戦後の自虐史観を洗脳するために、占領軍がどんな情報統制をしたかを、現代の私たちは、きちんと知っておかねばならないと思います。今の日本が陥っている戦後レジームという状態の根因はアメリカ占領軍の日本を二度と立ち上がらせないようにしたいという非常に強い確固とした意志が、国際法に違反し、ポツダム宣言にも違反した占領政策を施行したことにより始まっているのです。
吾々現代人は、占領軍がポツダム宣言にのっとって日本を占領し、占領政策を行ったと思い込んでいます。しかし、ポツダム宣言は、日本国軍隊の無条件降伏ではあっても、日本国自体は有条件降伏であり、これは日本も世界もその認識でした。
ルーズベルト大統領は、カイロ宣言に於いては、日本国を無条件降伏させる意図を明確にしていました。しかし、アメリカのわが国上陸の準備戦ともいうべきフィリピンでの戦闘や硫黄島の戦い、沖縄の戦いにおいて、日本は非常によく勇猛に戦い、米軍の死者は、日本軍の死者を上回るものでした。これによって、アメリカは米軍の人的損害の計り知れない予想から無条件降伏を諦め、有条件降伏という方針に変更せざるをえませんでした。
これによって、日本は政府を喪失したドイツとは異なり、連合国が日本政府に命令することはあっても、自らが日本を支配することはないと考えられていました。これはリスボンのNBC放送の解説員もそうした見解を述べていました。
ところが、戦艦ミズーリで降伏文書に調印したその直後に、日本政府は、マッカーサー司令部から、『日本全域の住民は、連合国最高司令官の軍事管理のもとにおく。行政、立法、司法のすべての機能は、最高司令官の権力のもとに行使される。英語を公用語とする』『米側に対する違反は米国の軍事裁判で処罰する。』『米国軍票をを法的通貨とする』という布告を受け取りました。これは完全に軍事植民地として支配するということでした。
この日本を無条件降伏させて支配するというアメリカの執念は、ポツダム宣言違反をしても、国際法違反をしても、日本を二度と立ち上がらせないという強い意志のもとで、占領を行うことになりました。このことを現代の国民はしっかりと知っておく必要があります。
現代教わる歴史が、戦勝国中心の歴史であり、江藤淳氏が、その本のタイトルに付けられた『忘れたことと忘れさせられたこと』にあふれた歴史であり、また日本の多くの美風や良俗が封建的という言葉で貶められて、失わされたことをもう一度、見直し検証して、その真実を見つめる必要があります。
転載開始
とこしへに わが国護る 神々の 御あとしたひて われは逝くなり
板垣征四郎陸軍大将・陸軍大臣







