■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記からの優生思想に関する記事の最後の転載です。
この一連の記事で、想像以上に残酷な歴史を知り、驚きです。愛を説くはずのキリスト教も、イエスの教えとは真逆の現地人から富を搾取するための手段に使われ、奴隷を当り前のように認めていたのですから、彼らにとって、キリスト教とは一体何なのだろうと思わずにはおれませんね。
大熊氏が、生命を線引する行為が戦争だと言われていますが、たしかにそうです。殺してもいい命とそうでない命に線引するところから、人類の潜在意識に戦争の元になる考えが育っていくのではないでしょうか。だからこそ、氏は、おなかに宿る子供を親の都合で、殺しても良い胎児として線引する思想から、日本人を脱却させようと努力しておられるのです。どんなに小さい命でも、命は物ではないのです。年間100万も200万も胎児を殺しているなんて、異常ではないでしょうか。
白人至上主義がアメリカ大陸のインディアンやインディオをほとんど絶滅させた数にも驚きますが、それと同じ程の殺戮が、本当は母親のお腹の中で行われているのです。戦後累積堕胎数は一億以上とも言われます。現在の医学で観察された結果、おなかの中で、胎児は恐怖で必死に逃げようとしていることがわかっています。心拍数も異常にはね上がって器具から逃れようとします。その器具は、胎児の柔らかい体を引きちぎるように小分けにして引きずり出します。これが虐殺でなくて何でしょうか。
参照 赤ちゃんは中絶されるときに恐怖で逃げる。
東洋各地やブラジル
救世主は未信徒を改宗させ、霊魂の救済を行うように命じ、自己の利害をかえりみない宣教師を派遣したので、彼らは布教地で優遇を受ける権利がある。彼らの言に耳を傾けなかったり彼らを迫害した者に対する戦争は正当である。
アメリカ大陸の原住民
布教事業を妨害も圧迫もしない人々についてだが、彼らは自然法に反する重大な罪を犯すような野蛮な悪習を守り、それをやめようともしない。こういう者の土地を占拠し、武力で彼らを服従させる戦争は正当である。
ローマ教皇の勅書を支えた理論的根拠がこれであった。ここには人類が神の名において別の地域の人類を支配し、奴隷化することが許されているという審判の思想が存在する。
白人征服者は、まず鉄砲と十字架をもって上陸、まず小高い岡に十字架を立て、神の名によってこの地を白人本国国王の土地と宣言した。
宣教師は熱心に支那征服の容易なる所以を本国政府に説いたが、たとえばスペイン国王フェリペ二世は慎重策を命じた。
特に北米大陸とオーストラリアは、大昔から住んでいた原住民を抹殺して、ヨーロッパ白人だけの占有地にしてしまった。なかでも「白豪主義」ほど身勝手な宣言はなかった。
日本では早くから西洋野蛮論を唱えた達人がいた。それは明治維新の元勲の一人西郷隆盛である。
その報告書でラス・カサスは、搾取と原住民の殺戮が日常化している植民地の実態を暴露した。
詳細はこのページが参考になります。
「インディアスの破壊について簡潔な報告」
過日の旅スケッチ「神秘の世界遺産を巡るペルーの旅」最後に、こんな感想文を綴った。
キリングフィールド
- 「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。 彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた。」(日記)
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- 「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して『いいえ』と言わない。逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した。」
(日記)
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国王に調査報告を終え、少しばかりの援助を求めたコロンブスは、次の航海目標としてこう述べている。
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- 「彼らが必要とするだけのありったけの黄金… 彼らが欲しがるだけのありったけの奴隷を連れてくるつもりだ。このように、永遠なる我々の神は、一見不可能なことであっても、主の仰せに従う者たちには、勝利を与えるものなのだ。」
- 行く先々の島々で、コロンブスの軍隊は、海岸部で無差別殺戮を繰り返した。まるでスポーツのように、動物も鳥もインディアンも、彼らは見つけたすべてを略奪し破壊した。
- コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。コロンブスの襲撃戦略は、以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった。
- コロンブスが願い通り、「日本」に行きついていたら「日本人」が、インドの人(インディアン)と呼ばれて殺戮されただろう。その延長線に「日清・日露」「大東亜戦争(太平洋戦争)」があった事を忘れてはならない。↓(クリック)ここ数日書いた内容は、ことさらに大衆の目にさらさなくてよい。他国の恥ずかしい過去になるからだ。私たちの人類共通(人類という家族)の「恥ずかしい歴史」であり、兄弟姉妹の、こころの痛みである。ということは私たちの歴史でもあり、私たちの痛みなのだ。このような心を「仁」という。日本の歴代の天皇陛下が最も大事にされた「大御心」である。この「仁」があれば「優生思想」は流行しないだろうし幅を利かすこともないのである。「真の平和の心」である。戦争に本当の「正義」などはない。ひとりの犠牲もあってはならない。戦争とは、迷いと迷いが「ぶつかり合い」「瓦解する」姿ではある。だからこそ、中絶という「自分中心」の「胎内殺人(マザーテレサ言)」を無くさなくてはならないのである。こころの戦争(殺人)の延長にあるのが「国家間の戦争」であるのだ。また・・・かの大戦<(1)日清(2)日露><(3)大東亜戦争>が、このような「優生思想」に対する「戦い」の側面があることを知らない世代に、言いたい。安易に、真実を知らぬが故に素晴らしき先祖の名誉を汚すなかれ。今年は終戦70年である。私たちは清く正しく美しくあらねばならぬ。
人間のいのちは皆、尊いのです。いのちに線引きすると言う発想が「戦争」なのです。 -
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- 「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して『いいえ』と言わない。逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した。」
優生思想シリーズの三回目です。このシリーズは5回と書きましたが、4回で終わりのようです。
アメリカ大陸の文明と先住民が白人によって滅ぼされたことは知っていましたが、ここに書かれたその残虐性は、驚くものでした。原住民を人間とはみなしていないから、これほどのことができたのだという話ですが、日本人からすれば、人の姿をしたものを人間とみなさないことにも驚きますが、たとえホントの動物に対してだとしても、残虐なことはできなかったでしょう。
白人種は、神に似せて作られた人間が他の動物を支配するようにと神から言われたとする旧約聖書を、人間の好き勝手にする権利だと解釈しました。その傲慢な考え方と比べて、日本人は自然のもの、山、川、湖、さらには動物まで、神として祀っています。食物さえ、手を合わせて、いただきますと拝んで食べる日本人です。大量虐殺が、日本人にできるとは思えません。
アニミズムなどと幼稚な低い宗教性であるかのように言われたこともありますが、古来から日本人は命の尊さを深く感じ取っていたのではないでしょうか。
だからこそ、南京大虐殺など、実際の証拠は何も出てこないのは、当たり前のことです。
日本でも歴史上殺し合いの戦いはたしかにありましたが、そうした対等の戦い方と、弱いものを虐殺するのとは違います。
戦後の敗戦国に押し付けられた戦勝国のプロパガンダ的な史観、欧米中心の歴史をきちんと検証し、そこから脱却して、是は是、非は非として、正しく見直すべき時だと思います。
いのちは例外なく尊い。
20世紀初頭にセオドア・ルーズベルト政権は軍部に対し、近い将来に国際戦略で利害が対立するであろうと予想される国々との戦争シミュレーションを立案させた。
これが白人諸国ならまだ許せた。実際、当時の支那の大部分はイギリス、フランス、ドイツ、ロシアが押さえていた。
まず、アメリカはまず自国に太平洋艦隊がないということに気づく。そして、日本が太平洋を渡ってアメリカに攻め込んでくるのではないかと妄想し、すぐに軍艦を作り始めた。また大西洋の艦隊を集結して日本を訪問させ、自国の海軍力を誇示する行動に出た。
もともとはセオドア・ルーズベルトにとっては、このまま太平洋をほおっておくと、ロシアのバルチック艦隊を破った日本艦隊が覇権を握ってしまうと恐れたための威嚇行動であった。アメリカの海軍力を誇示することで、日本を牽制したのだ。
アステカ帝国滅亡(1521年)
コルテスのアステカ帝国征服はヨーロッパに伝えられ、ヨーロッパ人の武器と勇気と技術の勝利と称賛された。
これが動機となり、ヨーロッパ人の新大陸侵略、略奪の夢を駆り立てることとなった。
1531年、アンデス山中にたくさんの黄金を持つインカ帝国があることを聞きつけたピサロは、180人の手兵と27頭の馬を連れてインカ帝国に向かった。
ピサロはインカ帝国の王を家臣と共に広場へおびき出した。ピサロの従軍司祭の神父は通訳を通してキリスト教への改宗を要求した。それを王が拒否すると、司祭はピサロに王を攻撃するよう促した。司祭はまた、ピサロとその兵たちに、これからの流血の事態に対するいかなる責めからも、神の名において免ぜられると告げた。
ピサロの合図で歩兵に支援された騎乗兵が隠れ場所から現れ、非武装のインディオたちに襲いかかり、多数の貴族を含む数千人をあっという間に殺害してしまった。王は人質にされ、ピサロは帝国の支配権を握った。
インディオたちの相手を疑わない寛容な善意の対応を裏切っただまし討ちだった。このような白人の残虐非道な手は、5世紀後の大東亜戦争まで一貫して使われる常套手段である。
ピサロは王の腹違いの弟にインカの王位を継がせた。その最後のインカ王トゥパク・アマルも結局は捕らえられ、中央広場で斬首された。
司祭は兵士と一緒に先住民の部落に現れ、キリスト教を受け入れろと命令した。それを受け入れないと兵士に殺されたのだ。殺されなかった先住民は家を追われ、鉱山労働者、農奴、荷役動物になることを強制された。
カリブ海で白人は身の毛もよだつ残虐行為を行なった。インディオの母親から乳飲み児を奪い、連れていた腹を空かせた犬に投げ与えたり、インディオの子供の足をつかんで岩に投げつけたり・・・。白人はインディオの女と寝るのを習慣としていた。女が既婚であろうと未婚であろうと関係なかった。
1540年までにカリブ海のインディオは事実上絶滅させられたのである。
中南米の虐殺
少し遅れてブラジルに入植した白人(ポルトガル人)は原住民200万人を虐殺してほぼ死滅させた。
奴隷貿易
日本には、古代から奴隷と言う言葉も奴隷制度などの風習もなかった。日本では、同じ人間を牛馬と同じ感覚で家畜のようにこき使い、商品として売買するなどという非人間的なことはとても考えられなかったのである。
造物主の神は、その代理人としてまず人間を作り、その下に被造物の動物、その下に万物を作られた。人間は神の代理人であるから、動物を家畜として支配し殺し、食べてもよい。奴隷は家畜と同格だから人間のためすべてを捧げるのは当然とする。
推計では16世紀は90万人、17世紀は300万人、18世紀は700万人、19世紀は400万人が奴隷として売買されたと言われている。概算1500万人だが、1人の黒人を新大陸に連れて行くまでに5人の黒人が船の劣悪な環境により死亡したという推計があるから、アフリカから働き盛りの黒人が数千万人から1億人近くが連れ出されたことになる。
その後、ヨーロッパ列強によってアフリカは分割され植民地支配される。
現在のアフリカの貧困、民族紛争も、すべて白人の勝手な収奪、不合理な民族分割の結果である。
なお、16、17世紀に新大陸から大量の金銀がヨーロッパに略奪された。その過酷な鉱山労働に、インディオと黒人奴隷が酷使された。ヨーロッパにもたらされた金銀は、やがて産業革命からヨーロッパ資本主義の原資となった。
当時のアメリカ人にとって、奴隷の競売は財産作りの重要な手段だった。後の南北戦争のときの南軍の将軍たちの中には、奴隷商売で巨利を博したものが多かった。
近代に入ってから、これほど大掛かりに組織的に
奴隷たちの悲惨な実態は、ストウ夫人の
「アンクル・トムの小屋」で世界に知れ渡った。
キリスト教徒の正当戦争の根拠
転載元: ■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記
■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記 において、大航海時代から始る『優生思想』について、連載されています。前回その2回目を転載したのですが、一回目からすべて転載したいと思いますので、順番が逆になりますが、今回は第一回目です。
第一回目は、元のタイトルは、「尊い命ばかりである。」となっていますが、多くの方の興味を引くために、記事中に取り上げられている市丸利之助中将が敵国大統領であるルーズベルトに宛てて書かれた手紙『ルーズベルトに与うる書』に変えさせていただきました。
これを読むと、日本の戦争が決して侵略戦争ではないことがわかります。またこのシリーズ自体を読むことで、日本の戦いが自衛と同時に欧米植民地主義からアジア解放を目指したのだとわかります。
植民地解放が、単なる偶然の結果論だという人もいますが、日本が明治以降有色人種の一員として、人種差別を無くしたいという念願を持っていたのは事実であり、それ故に、国際連盟で、人種差別撤廃条約を提唱したのであり、その時には叶えられなかったとはいえ、戦争に踏み切る際に一つの大きな目標となったのは当然であり、昭和天皇の開戦の勅にもはっきりと記されているとおりだと思います。
この戦い(ヨーロッパアメリカ諸国のアジア侵略に抵抗する戦争)が終わるに当たって、私はあなたに一言、告げることがあります。
これについてあなたがたは日本の戦争に対し、或いは好戦的で残虐な国民であると、或いは黄色人種の跋扈だとか、或いは軍閥の専断によると言うけれど、これらはとんでもなく的外れの論である。
あなた方の精神的な弱さを悲しく思い、一言書かせていただきます。 あなた方の立ち振る舞いをみると、白人とくにアングロサクソン(イギリス系白人)によって世界の利益を独り占めにしようとし、その野望の為に有色人種を奴隷としてきたではないでしょうか。
好計を弄して有色人種を騙すという、いわゆる悪意のもとの「善政」によってかれらから考える力を奪い、無力にしてきたのです。
近世になって日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種とくに東洋民族としてあなた方の束縛から解放を試みましたが、
ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解が原因で人々が闘争することがいかに悲惨であるか、痛嘆せざるを得ません。
そんな中で、劣等と思われていた有色人種の日本が、日露戦争で白人国のロシアに勝ったことは、欧米の白人達にとっては、脅威であり、黄禍論(イエローペリル)が、ドイツのウィルヘルム2世やアメリカなどで盛んに論じられるようになりました。
② 日本の海軍力を削減させる
③ 日本の兵力を大陸に向けさせ消耗させる
転載元: ■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記
スポーツマンシップに則り娯楽のために行われる狩猟行為のこと。オーストラリア人による人間のスポーツハンティング。
サフル大陸(オーストラリア大陸)では、1788年(天明8年)よりイギリスによる植民地化がはじまるにつれ、動物のみならず、原住民であるアボリジニ(人間)をスポーツハンティングするようになる。
1803年にはタスマニアへの植民が始まってからは、同じくタスマニア島のアボリジニに対するスポーツハンティングが行われ、さらには、組織的なアボリジニー襲撃隊も編成され、島を一列で縦断し島民をすべて虐殺した。このようなアボリジニへのスポーツハンティングの背景には、アボリジニを人類以前の類人猿とみなす人種差別的な当時の考え方があった。
なお、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。
白豪主義とアボリジニの悲劇
先住民族図, The New Student's Reference Work, 1914年出版より
西洋人がオーストラリアを「発見」した段階では、50万人から100万人ほどのアボリジニがオーストラリア内に生活していた。言語だけでも250、部族数に至っては、700を超えていた。
●1933年、ナチス・ドイツで「断種法」制定●1948年、日本で「優生保護法」が成立。
■ヨーロッパ各国で成立した「断種法」とナチス・ドイツの「T4作戦」
いくつかの国がアメリカに倣って断種法を制定した。カナダのアルバータ州は1928年から1960年まで断種政策を実施し、それによって数千人が不妊化された。
1962年、世界中の遺伝学者がロンドンに招かれた。彼らは、「チバ財団」が主催したシンポジウムヘの出席を要請されたのである。出席者リストには、著名な科学者の名前がずらりと並んでいた。DNA二重螺旋の共同発見者であるフランシス・クリック、ダーウィンの進化論を弁護したトーマス・ハクスリーの孫でユネスコの前事務局長ジュリアン・ハクスリー、アメリカの2人のノーベル賞生物学者ヘルマン・ミューラーとジョシュア・レーダーバーグ、それに世界的に高名なイギリスの生物学者J・B・S・ホールデーンなどである。これらの科学者はシンポジウムで遺伝学研究の将来について論じ合った。
■人間は「生まれ」か「育ち」か
ゴルトンから約150年が経過した今、優生学は、科学的にも現実の政策としても概ね失敗に終わったように見える。多くの場合、優生学は政治的な目的のために利用されてきた。しばしば繰り返される粗末な遺伝的議論が、その背後にある政治的意図を覆い隠すことは困難だった。前出のダニエル・ケブルズによれば、「優生学を問題多いものにしているのは、そこに個人やその家族の権利と作り上げられた抽象概念『人種』 『集団』 『遺伝子プール』などが含まれているためだ」という。「優良白色人種の遺伝的繁栄」を目論む積極的優生思想は今ではせいぜいユートピアとして残っているだけである。「優良白色人種の遺伝的繁栄」は全ての白人の遺伝子的情報の操作を必要とするため、たとえ可能だとしても、厳格な監視を前提とする警察国家でしか実現できそうにない。また、それは何世代にもわたる長期戦略があってこそ、うまくいくのであり、比較的短期間で政権交代がくり返される今の世界で実行可能とは思えない。だが、優生学が個人的に自らの意志によって行なわれるなら、とりわけ遺伝病と闘う上ではうまくいくかもしれない。たとえば、サルジニア島やキプロス島の人々は、長い間サラセミアと呼ばれる重い貧血症候群に苦しんできた。これは赤血球中のヘモグロビンを十分に生み出せない血液の病気である。これらの地域では、結婚相手が病気の因子を持つかどうかを調べるために「婚前診断」が行なわれる。また、出生前診断により胎児が保因者であることがわかった場合には「選択的中絶」も行なわれている。結婚相手が保因者であることがわかると、約5分の1のカップルは結婚をやめる。これらの事例は、将来の優生学の方向性を示すものかもしれない。健康な子を産みたいと望む親の“個人的選択”に基づく優生学的措置は認められると思われる。それには新しい生殖遺伝子技術、たとえば、精子の幹細胞の移植、あるいは精子や卵子の遺伝テストが役立つことになるだろう。この種の個人的優生学についても様々な議論が行なわれている。アメリカの高名な生命倫理学者アーサー・カプランの次の言葉はおおいに参考になるのではなかろうか。「我々は自分たちの子どもを環境要因によって(親の期待する人間になるように)形作ろうとしている。ピアノを習わせたり、ほかにも、あらゆる勉強や稽古ごとをさせたりしている。私は、それが誰かを傷つけるのでないかぎり、そこに遺伝学を利用しても誤りではないと考える」。
●ローマ時代の人々は、著しい奇形や不治の病をもって生まれた赤ん坊を崖から投げ落とした。
●1895年、ドイツの優生学者アルフレート・プレッツが『民族衛生学の基本指針』を出版した。この本はドイツ優生学の出発点となった。
●1907年、アメリカ、インディアナ州で最初の「断種法」が制定され、その後、約30の州で同様の法律が制定された。
●1912年、ロンドンで「第1回国際優生学会議」が開かれた。
●1913年、アメリカの28の州が異人種間の婚姻を禁止した。
●1921年,1924年、アメリカで「移民法」が制定され、西欧・北欧以外の人々のアメリカヘの移住が著しく制限された。
●1929年、デンマークで「断種法」が制定された。その後1937年までにノルウェー・スウェーデンなどヨーロッパの数ヶ国で同様の法律が制定された。
●1939年、ナチス・ドイツが精神障害者や身体障害者を殺害する「T4作戦」を開始した。これにより1941年までに7万人強が殺された。
●1948年、日本で「優生保護法」が成立した。
●1963年、チバ財団のシンポジウムで世界中の生物学者が優生学について議論、高名な科学者たちが優生学を支持する発言を行なった。
●1969年、アメリカのアーサー・ジェンセンが黒人の知能指数は白人より低いが、それは遺伝的な要因によるかもしれないと発表した。
●1979年、アメリカで最初の「精子銀行」が設立された。当初、この銀行への精子提供者はノーベル賞受賞者のみで、また提供を受けられる女性はIQ140以上に制限された(後に男女とも資格がゆるめられた)。
●1995年、アメリカのリチャード・ハーンスタインとチャールズ・マレイが大著『ベル曲線』を出版し、知能の低い人間が比較的多い貧困層に対する社会保障制度を打ち切るべきだと提言した。
●1990年代後半、遺伝子科学の爆発的発展により、人間の受精卵の遺伝子を子宮着床前にチェックし、問題のある受精卵を廃棄することが医療分野で始まった。
以前、テレビで、瀬戸内シージャック事件のことを再現映像でやっているのを見ました。犯人が狙撃されるということで解決された初めての事件でした。番組の最後にナレーターが、事件のその後の話をしていて、とても痛ましく感じたのを覚えています。
狙撃したのは、警官の中で銃の腕がある人だったのでしょう。たまたま命令によってその役を担うことになったのでしょうが、その警官を、ある弁護士グループが、殺人罪として告発したのです。裁判では、正当防衛としてやむをえないということで無罪にはなりましたが、狙撃手は、この殺人罪として告発されたことで、非常に苦しんで心を病むような状態となったと言っていました。
今ならば考えられないことですが、当時は、狙撃に反対意見もかなりあったようです。
しかし、船上で銃を乱射している犯人を一体どうやって取り押さえるというのでしょうか。親兄弟の説得にも応じない犯人に、どう対処すると言うんでしょうか。犯人の銃で、重症を負った人はいても、死んだ人はいませんでした。だから狙撃はやり過ぎというのかもしれません。もし市民か警官の誰かが、打たれて死んでいれば、狙撃は仕方ない言ったかもしれません。
何だか、自衛隊の専守防衛という考え方にも似ているようです。被害に合うまでは、敵には手を出せないという、あのおかしな制限です。
狙撃手を告発した弁護士たちは、命令に従った警官を、心を病むほどに追い詰めても、自分たちのイデオロギーをアピールせずにはおれないのでしょう。
そして今でも、一部の人々は、教条主義的に自衛隊への、心の攻撃をやめようとしません。
以下、 行橋市市会議員 小坪しんや議員のブログから転載しました。
どう思いますか?
私は、人の心をもたぬ奴だと思いました。
許せないと思ったらシェア。
おかしいと思ったらRTしてください。
私は、このような活動に「反論できぬ自衛隊」に、
反論できぬことをわかってこのようなことをすること、許せません。
心を傷つけ、痛めつける以外の目的はあったのでしょうか。
甚だ疑問です。
何が言論の自由か。
ただの人でなしではないか。
日頃、守られる国民として何が恩返しできるだろうか。
許せないと思ったらシェア。
おかしいと思ったらRTしてください。
ひとつひとつの声は小さくとも、積み重ねれば世論を動かす。
物言えぬ自衛官に代わって
物言う政治家として、「おかしい。」と言いたい。
<自衛隊への感謝の思い> ~過酷な任務
自衛隊の災害派遣がどれほど過酷な任務がご存じですか?
東日本大震災以降、自衛隊への信頼は日増しに増加しております。
しかしメディアの「報道しない自由」により、その多くの活動はトリミングされているのが実態。
■報道しない自由
事実、御嶽山の災害派遣においても「海外メディア」のほうが写真・質ともに上だと感じた。
スポンサーにパチンコ・スロットをもつメディアは、自衛隊への国民の信頼が邪魔なのだろう。彼らは歪んでいる。
ゆえに報じぬ、伝えぬ、なかったことにしてしまう。
皆様は、以下の写真をご存じだろうか。
陸上自衛隊の公式FBにてアップされている、御嶽山の救助風景である。
見たことがないのであれば、それは我が国の報道が歪んでいる証左に他ならない。
どれほどの感謝をもって、この姿に応えよう。
「報道せぬ自由」を行使してくるならば
このICTの時代、「私たちにはできることがある」し
「なすべきこと」がある。
彼らの姿に応えたいと思い、本エントリーを上梓する。
皆様が応えてくれると信じ、筆をとる。
「拡散」という言葉は似あわないが、FBでもtweetでもいい、
メディアが伝えぬなら、私たちが伝えればいいのだ。
我々にはできることがある。
そして、なすべきことがある。
9月27日(土)から続く御嶽山における噴火に係る災害派遣は、10月16日(木)18時15分長野県知事からの撤収要請により、撤収しました。派遣規模は、人員延べ約7,150名、車両延べ約1,835両、航空機延べ298機でした。
防衛省ホームページ(最終報)→http://www.mod.go.jp/j/press/news/2014/10/16b.html
写真:Facebook 陸上自衛隊 Japan Ground Self-Defense Force
我が国において、もっとも信頼できぬものは、いわゆる大メディアである。
これはアンケート結果でも如実に表れた。
そして世界広しと言えども、いずれの国でもあっても。
最も信頼を置くのは「軍」である。
なぜならば
国民が本当に危機に瀕した際、自らの命を投げ打ってでも
守ってくれる最後の盾が、軍だからである。
これは世界の一般常識だ。
国際法を紐解くまでもなく、ただの、当然の常識である。
この当たり前のことを政治家が口にできずして、何が政治家だろうか。
政治家よ、恐れるな、前に出よ。
ゆえに私は、これらの事実と、自らの思いをまず口にしたい。
自衛隊にありがとう、と。
常日頃よりの感謝を伝えたい。
左翼、及びそれらの集団、特に日本共産党(実態としては共産党 日本支部)こと、旧称:コミンテルン日本支部などは
「自衛隊は違憲だ」「殺人集団」「暴力装置」などと好き勝手に言っている。
私がこれが許せない。
行橋市議会の徳永克子(共産党市議)は、ブログにて
私のことを「靖国派」とか『右翼の』と謎の称号をつけて何度も紹介してくださった。
私がこうしてブログを始めた原因でもある。彼女のほうがずいぶん先だ。
9期生の大ベテランが新人にすることか、情けない。
まぁ、良い、これは許そう。
許容する、ということだ。
いわゆる言論の自由というやつだろう。
思想信条の自由というやつもある。
私は許容した。
ならば、同じく「言論の自由」を行使させて頂く。
私にも思想信条の自由がございます。
私は、自らの「思想信条の自由」に基づき
自衛隊の行動は正しいと考える。
「言論の自由」に基づき、これを発信する。
徳永克子(共産党市議)が、9期生にも拘わらず一年半に渡って新人の私をごちゃごちゃ言ってくるのは「見た目にあさましい」と思う。
そう書く自由が私には、ある。
「護憲」を掲げる政党こそは、
もっとも憲法を順守すべきだ。
また他者に認められた憲法で保障された権利を尊重すべきだ。
護憲を掲げる日本共産党は、
憲法で保障された私の権利を最も守るべきだ。
外国人の権利より、日本国民である「小坪しんや」の権利を守ってくださいね?
それがダメだと言うのなら、護憲の旗は降ろし、改憲を旗を掲げよ。
「憲法はサヨクと共産党しか守りません。」と改憲するよりない。
政党要件を満たした公党であるため、国政でやるがいい。
その資格と権利を共産党さんはもっておられる。
私は、憲法を変えるべきだという立場にあるが
誤解して欲しくないが「憲法を守らない」などとは言っていない。
日本国の政治家として「憲法を順守」している。
確かに順守している。
変えたいとは思っているが、憲法九条だって守っている。
専守防衛とは「反撃しない」ではない。
撃たれたら
「どうかな、やろうかな」って、ちょっと考えてから
反撃するのが専守防衛だろう。
宣戦布告と先制攻撃は、徳永克子(共産党行橋市議)がしたことだ。
全部、巻き込んでやる。
人を撃てば、撃ち返される。
自衛隊をごちゃごちゃ言えば、やり返される。
当たり前のことだ。
国民よ。
左翼の横暴が許せないと声を挙げたい。
そして、自衛隊の奮闘。
ここに敬意を表したい。
共に、表したい。
本ブログは多くの自衛官も閲覧している。
地元に基地があるため、私自身も同級生に多くの自衛官を持つ。
同じく基地対策特別委員会にて副委員長を拝命していることもあり、高官にもいくばくかの知人がいる。
小さなことかも知れないが、このブログの上部・下部には「イイネ」「ツイート」のボタンが設置されている。
「FBのイイネの数」と「ツイートの数」は、数字で見ることができる。
私は、この数を彼らに見せたいと思う。
国民の声、支援の声として、見せたいと思う。
ちょっぴり笑ってくれると思うから。
頂いたコメントもそのまま見せようと思う。
だから、応援の声とか書いて欲しいなって思う。
政治家は戦うのが仕事。
物言えぬ自衛官を守るために、戦うことも仕事。
同じように「声を届ける」ことも仕事だと思う。
一つ一つは小さなクリックの数と。
頂いた思い・コメントを届けたい。
そう提案し発信することは、政治家の仕事だと思う。
共に、ありがとう、を伝えに行こう。
これはモニターの前からでもできる。
自衛隊の皆さん、いつもお疲れ様です。
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