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『ルーズベルトに与うる書』

2015年03月21日 15時41分38秒 | 歴史

 ■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記 において、大航海時代から始る『優生思想』について、連載されています。前回その2回目を転載したのですが、一回目からすべて転載したいと思いますので、順番が逆になりますが、今回は第一回目です。

第一回目は、元のタイトルは、「尊い命ばかりである。」となっていますが、多くの方の興味を引くために、記事中に取り上げられている市丸利之助中将が敵国大統領であるルーズベルトに宛てて書かれた手紙『ルーズベルトに与うる書』に変えさせていただきました。

 

これを読むと、日本の戦争が決して侵略戦争ではないことがわかります。またこのシリーズ自体を読むことで、日本の戦いが自衛と同時に欧米植民地主義からアジア解放を目指したのだとわかります。

 

植民地解放が、単なる偶然の結果論だという人もいますが、日本が明治以降有色人種の一員として、人種差別を無くしたいという念願を持っていたのは事実であり、それ故に、国際連盟で、人種差別撤廃条約を提唱したのであり、その時には叶えられなかったとはいえ、戦争に踏み切る際に一つの大きな目標となったのは当然であり、昭和天皇の開戦の勅にもはっきりと記されているとおりだと思います。



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(戦後70年)西洋列強諸国の

500年の世界侵略史にピリオド

を打ったアジアの小国。日本。

しかし、その父祖の歴史を「全否定」

されてしまった。

 
戦争に負けたのでなく、戦後70年間

「負け続けているのだ」と智慧者は言った。

ここで再検証して戴きたい。

 
 

 
 
優生思想との戦いという側面も 


いのちに差別なし。
   
 尊い命ばかりである。
 
いのちの尊さは平等だ。 

 
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民族や宗教、主義主張の違いでない。
 
重要なのは「いのちを貶めるか」、

「いのちを尊ぶか」という事である。

 
決して、自分も含めて、どのような人の

いのちをも、貶めて(おとしめて)
 

いけない。全ての命の本質

「神」(至上=素晴らしい存在)である。

 
今日、日本において1日2000人以上の赤ちゃんが中絶されている理由は「優生思想」(100年前に立てられたオレンジプラン)に基く、邪魔な「人間は殺していい」という人種差別思想(のちのナチスに継承された思想)なのです。
 
この4日間のブログに掲載する資料を観てください。また、気になるキーワードがあれば、検索して御調べ下さい。
 
西洋の聖母マザーテレサが「中絶」を「平和の破壊者」であると断言し。マザーテレサには珍しく、「胎内殺人」とまで言い絶対的に非難した理由。
 
東洋の叡智である、谷口雅春先生が、中絶こそ日本の「実相顕現の障碍である」と「神命の書」を渾身の思いで残された理由が、よくわかるはずです。
 


今日から4日間書く事、人種民族や肌の色や、立場を越えて「全ての人は例外なく尊い存在」であると言う事を伝えるために、いのちを「貶める」優生思想を告発するために、光を見出すべく、歴史の「反面教師」についてを書かせて戴きます。「優生思想」や「いわれなき人種差別」等は告発しますが、その事で決して特定の国や人々を「否定」するものではありません。どの国にも大概、美点があり立派な人々も多くいるものです。               
大熊 良樹 拝
 
 

市丸中将は、硫黄島の戦いで散華された方です。玉砕に当たり、米国大統領にあてたこの「書」は、市丸中将の死後、「死に臨んだ日本の一提督の米国大統領宛の手紙」と題されて、米国の各大手新聞で、その全文が紹介されました。また、戦後ベストセラーになったジョン・トーランドの「昇る太陽-日本帝国滅亡史」でも紹介されました。そして全米で、大絶賛されています。「書」はいまも、ナポリスの海軍兵学校の博物館に展示されています。
 
硫黄島の戦いは、昭和20(1945)年2月19日の米軍上陸から、3月26日の玉砕まで繰り広げられました。日米の諸島に置ける戦いでは、唯一、米軍の死傷者数が日本軍のそれを上回った戦いです。
 
島にいた日本の守備隊は、陸軍が栗林忠道中将率いる1万3,586名、海軍が市丸利之助中将率いる7,347名、合計2万933名です。
 
米軍は、そこに11万の大軍をもって挑みました。武力においても、火力においても、兵員の数においても、はるかに勝る米軍との激戦において、市丸中将は、最後の総員突撃を敢行するに際して、「ルーズベルトに与うる書」を遺されています。
 
 内容は、弱肉強食の「<19世紀的覇権主義>500年侵略史」を否定。世界の人種各々がそれぞれの地域で自主独立し、もって恒久的世界平和を実現するという、まさに現代の世界の人々にとって目標とすべき理念の顕彰と覇権主義への「警告」となっています。その後のソ連と米国の「冷戦」まで預言している事には驚きます。
 

 
 
  平成27年3月17日(火)


  

ルーズベルト ニ 与ヘル書=
 
市丸中将が、歴史に其の名を刻んだのは、硫黄島防衛の海軍指揮官と、云うだけではない。
 
米国大統領F・ルーズベルトに対して、日本軍司令官としてその「優生思想」(人種差別)を批判し、ある意味で、西洋列強諸国の世界侵略と、「優生思想」(人種差別)に対する戦争であることを告発する手紙を書いた事に於いて重大な意味があるのである。
 
市丸中将が「手紙」を書き始めたのは2月16日であり、ハワイ出身の三上弘文兵曹に英訳させた。中将は、3月17日に地下20メートルの洞穴に、動けるものを全員集め、副官である間瀬式次中佐が「ルーズベルトニ与フル書」を読み上げた。
 
 
後26日にこの書の和文のほうを通信将校の村上大尉が腹に巻きつけました。英文のものは赤田邦夫中佐(二七航戦参謀)が身に付けた。
 
市丸中将たちが、後の突撃攻撃を行って散華されたのは、3月26日です。市丸中将は、栗林中将とともに、軍服にある一切の肩章を外し、ひとりの皇国臣民として、最後の突撃を行っい、散華されています。
 
この最後の突撃のときの遺体の数は、わずか196柱でした。陸海合わせて2万933名いた守備隊は、3月26日の吶喊攻撃のとき、動ける者は、すでに196名になっていたのです。
 
 
「ルーズベルトに与うる書」は、米海兵隊員の手で二人の遺体から発見されました。
 
従軍記者エメット・クロージャーは、発見の経緯と手紙の本文を4月4日、本国に向けて打電した。そして「書」は、米国内の様々なメディアで紹介され、「書」に書かれた理想は、形を変えて米国の理想となり、いまや世界の人類の常識とまでなっている。米国人の良心に敬服します。
 
 
戦後、1975(昭和50)年1月に、在米日本大使館に通産省から出向していた村上大尉の長男村上健一氏は、アナポリス(米合衆国海軍兵学校) 記念館で日英両文の「手紙・与フル書」を親しく見ることができた。
 
因みに、この手紙は、欧米の横暴と日本の正義を訴えるものとして、余りにも本質を突いているが為に、米国で一般に公表されるまでには数ヶ月間、発表が見送られたという。
 
残念ながら、ルーズベルト大統領その人は、市丸中将の書簡が米本国に打電された8日後に他界しているが、
 
市丸中将の「書」は、全米の良心を動かし、いまや人類の常識として「かの戦争の持つ性質」や「かの戦争の原因」を洞察するのに欠かせない重要な文書資料として立派に生き残っている。
 
文書資料 というよりも、あの大戦に自らを捧げた全英霊の「魂の声」ともいえるのではないだろうか。戦後70年の今、全国民がこころして、先祖の声として、慎んで拝読すべき遺書でありましょう。



 
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市丸利之助海軍少将
(いちまるりのすけ)


 
 
<ルーズベルト ニ 与エル書」現代語訳全文>
 
日本海軍市丸海軍少将より、フランクリン・ルーズベルト殿に、この手紙を送ります。

この戦い(ヨーロッパアメリカ諸国のアジア侵略に抵抗する戦争)が終わるに当たって、私はあなたに一言、告げることがあります。
 
ペリー提督の下田入港を機として、日本が世界と国交を結ぶようになって百余年、この間、日本の歩みというものは至極難儀を極め、自らが望んでいるわけでもなく日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変と経験し、不幸なことに貴国と交戦するにまで至った。
 
これについてあなたがたは日本の戦争に対し、或いは好戦的で残虐な国民であると、或いは黄色人種の跋扈だとか、或いは軍閥の専断によると言うけれど、これらはとんでもなく的外れの論である。
 
あなたがたは真珠湾の不意打ちを唯一つの対日戦争に対する宣伝資料としているようであるが、日本が自滅を回避するために、このような戦争を始めるところまで追い詰めらた事情は、あなたがたが最もよく存じているところではないだろうか。
 
おそれ多くも日本の 天皇陛下は、皇祖皇宗建国の大みことのりに明らかであるように、養正(すなわち正義)、重暉(すなわち明智)、積慶(すなわち仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される国家統治計画に基づいて、
 
地球上のあらゆる人々はその自らの分に従って『その生まれた土地においてその生を享受する』このような恒久的世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。このことはかつて、
 
「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」
という明治天皇の御製に言われていることと同じであります。
 
これを聞き、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト閣下が感嘆したことをあななたも良く知っていることでしょう。
 
我々日本人にはいろいろな階級の人がおりますが、つまるところ彼らは色々な職業につきながら、この天業を助けるために生きているのです。我々軍人もまた、戦争という生業でこの天業を広く推し進める助けをさせて頂いています。
 
今の我々は、あなた方の物量を誇る航空戦力や艦砲射撃に対して圧されている状況にありますが、 精神的には充実しており、士気はますます高揚し、歓喜に溢れているのです。
 
これが天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理でありますが、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。

あなた方の精神的な弱さを悲しく思い、一言書かせていただきます。 あなた方の立ち振る舞いをみると、白人とくにアングロサクソン(イギリス系白人)によって世界の利益を独り占めにしようとし、その野望の為に有色人種を奴隷としてきたではないでしょうか。
 

  好計を弄して有色人種を騙すという、いわゆる悪意のもとの「善政」によってかれらから考える力を奪い、無力にしてきたのです。
 
近世になって日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種とくに東洋民族としてあなた方の束縛から解放を試みましたが、

 
あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、むしろひたすら有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、公然と日本人種の絶滅(優生思想)を口々にするようになったのです。
 
あなたたちはどうして神意に背くのでしょうか。
 
大東亜戦争により、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれ各地の民族が善政を行い、 そしてあなた方がこれを破壊しなければ、全世界が恒久的平和を実現するのも決して遠くはないのです。
 
 
 あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているのにも満足せず、数百年来あなた方の搾取から逃れようとする哀れな人類の希望の芽を、どうして若葉のときに摘み取ってしまうのですか。
 
 
ただ単純に東洋のものを東洋に帰すということに過ぎないのです。 
 
あなた方白人はどうしてそうも貪欲で狭量なのでしょうか。 大東亜共栄圏はあなた方の存在を少しも否定しません。
 
 むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するということに日本天皇陛下の神意があるということを理解できる雅量をあなた方に望んでいるのです。
 

ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解が原因で人々が闘争することがいかに悲惨であるか、痛嘆せざるを得ません。


今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することはつつしみますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、一次大戦終結のとき、その開戦の責任一切を敗戦国であるドイツ一国にかぶせ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に対する反動であることを看過できません。
 
あなた方がいかに善戦してヒトラー総統を倒したとしても、どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するつもりでしょうか。
 
おおよそ世界が強者の独占するものであるならば、永久に闘争を繰り返し、遂に界人類に安寧幸福の日は来ることはないでしょう。 あなた方は今、世界制覇(世界侵略)の野望を一応は実現しようとしております。あなた方も得意になっているのでしょう。
 
しかしながら、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚(因果応報)したのです。 願わくば、私の言外の意を汲んで戴き、その轍を踏むことがないように。            
      市丸利之助海軍少将
       (いちまるりのすけ)
 
 

 

日露戦争と大東亜戦争
 
日清戦争のわずか2年後である1897年(明治30年)に、アメリカは日本を仮想敵国として、対日戦略プログラム 「オレンジ計画」 を策定し、日本はまさしくこのシナリオ通りに開戦に追い詰められた。
 
この 「オレンジ計画」 を最初に策定したのは、アメリカ第25代大統領のウィリアム・マッキンレーです。(ハワイを合併した大統領)その 「オレンジ計画」 を引き継ぎ、推進させていったのが、なんとテディベアでも有名で、優しく、親日家であるような印象の第26代大統領セオドア・ルーズベルトJr.であります。
 
「素質の劣った人々が子孫を残さぬように望むと共に、犯罪者は断種、そして精神的に病を患うものは子供をもつことを禁止するべきである。」これは、第26代アメリカ合衆国大統領のセルドア・ルーズベルトの残した言葉です。
 
当時の欧米では優生学が流行り、人種差別が当たり前のように行われていた時代でありました。また、その中中でも、ルーズベルトは「人種改良論者」であったのでした。
 
  また、阿片戦争の頃から中国とアヘンを含む貿易を手広く行って財を為した母方の祖父の影響で、ルーズベルト本人が幼い頃から中国文化に深い愛着を持ち、中国人に対して同情的かつ友好的な考えを持つ親華派であることを明言し、その中国と渡り合っている日本人に対しては強い反感を抱いていた。
 
駐米イギリス公使ロナルド・キャンベル(Ronald Hugh Campbell)との会話記録では、ルーズベルトは、<スミソニアン博物館の研究者による、日本人の頭蓋骨は「われわれのより約2000年、発達が遅れている」という見解を紹介した上で、「人種間の差異を重視し、人種交配によって文明が進歩する」>などと明言し「インド系やユーラシア系とアジア人種、欧州人とアジア人種を交配させるべきだ。だが日本人は除外する」、また具体的に「日本人が(戦争で)敗北した後は、他の人種との結婚をあらゆる手段を用いて徹底的に奨励すべきである」などとキャンベルに語った。
 
そんな中で、劣等と思われていた有色人種の日本が、日露戦争で白人国のロシアに勝ったことは、欧米の白人達にとっては、脅威であり、黄禍論(イエローペリル)が、ドイツのウィルヘルム2世やアメリカなどで盛んに論じられるようになりました。
 
 欧州勢に比べて、海外植民地政策に遅れたアメリカが狙う獲物は只一つ、阿片漬けにしている中国ですが、この利権同じく狙ってくる日本は、アメリカにとっては目障りで邪魔な存在でしかありませんでした。
 
日露戦争では日本に味方してくれた米国だが、「オレンジ計画」では、「日本とは現在友好関係にあるが将来極東支配を目論む日本の領土拡大政策が原因で衝突せざるを得ないとし、その場合日本はこの戦争に国力を総動員するであろうから、米国はマーシャル、マリアナ諸島に進行して海上封鎖を強めて日本の補給路を遮断する。
 
そして艦隊決戦によって米国が勝ちを制して沖縄を占領し、最後は空爆によって生産施設を破壊して降伏させる。」といった内容になっており、太平洋戦争はほぼこのとおりに推移しました。更に、
 
① 中国と組んで反日宣伝を推進する
② 日本の海軍力を削減させる
③ 日本の兵力を大陸に向けさせ消耗させる
 
 といった戦略を確実に実行に移し、中国全土の反日運動、度重なる海軍軍縮会議、中国に対する援助等、すべてこれらのプログラム通りに実行に移しました。
 
また「オレンジ計画」 は、武器の発達と共に、修正が加えられ、1941年9月27日に日本とドイツ、イタリアが三国同盟を結ぶと、アメリカは新たな対日戦争計画「オレンジ5」を策定しました。
 
その内容は、日本は資源を求めて領土拡大を図るだろうから、補給路を断ち、制海権を握って日本の海上輸送を封鎖。沖縄を占領し、空爆によって日本本土を爆撃。戦闘能力を奪って日本を孤立させ、無条件降伏を迫るというもの。
 
アメリカはそのために海軍を増強したが、真珠湾攻撃が始まる二ケ月以上も前のことである。アメリカは、日米開戦の前に、日英同盟の解消、海軍主力艦の制限、ブロック経済、対日禁輸など、日本の封じ込めを図り、日本をアメリカとの開戦に誘導した形跡がありアメリカとの戦争を不可避状態にするように仕向けた。
 
 日本はアメリカの対日圧迫政策を回避するために、中国や南洋へと資源を求めて進出するという、まさに、アメリカが描いたシナリオどおりに進み、1941年12月8日の真珠湾攻撃につながり、その結果もたらされたのが「新型爆弾」である原爆の投下である。
 
また原子爆弾を日本に落とすための、 「マンハッタン計画」 を強力に推し進めたのが、フランクリン・D・ルーズベルト、しかしながら1945年4月12日に脳卒中で死亡し、実際に日本に原爆投下の支持を出したのは、トルーマン大統領である。
 
  1944年の10月14日、ルーズベルトは日本の降伏を早めるために駐ソ大使W・アヴェレル・ハリマンを介してスターリンに対日参戦を提案した。同12月14日にスターリンは武器の提供と南樺太と千島列島の領有を要求、ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を促した。



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   だから、アメリカ人が「悪」だと

言うんじゃないんだ。それじゃ、

「イスラム国」と同じになってしまう。
 
 
本来「悪」など無いのだ。いのちに

「悪いいのち」など無い。それを、

「善悪」に分けて「選別」し「葬る」

この発想(優生思想)が<悪>なのだ。
 
 
皆素晴らしいいのちである。障害が

あろうとも「尊さ」に替わりはないの

である。一番弱い立場の人の、人権や

尊厳が守られるときに、平和な世の中

と言えるのではないだろうか。。
 
 
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転載元 転載元: ■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記

 

 

 

 



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