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福島原発のプルトニウムは恐れるに足らず

2011年04月06日 22時33分19秒 | 現代日本
 yahooブログ「蘇る日本!日本を良くすることができるのは、わたしたち日本人です」から、原発に関する記事を転載します。(Part1) (Part2) に分かれていますが、同時に転載します。
プルトニウムはもう毒だといわれてきましたが、どうやら、そういう事実はないようです。ウランなどの普通の放射線物質と同じであるらしいです。

転載開始


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(Part1)


福島原発問題についてもいろいろ書きたいこともあるのですが、
多忙のため、なかなか記事が書けません。

今回はひとまず心配されているプルトニウムに関する情報を掲載いたします。
記事を読んでいただければ分かるかと思いますが、
誤解を恐れずに結論を言えば、
福島原発のプルトニウムは恐れるに足らず、
ということです。

もっとも、馬鹿政権の妨害行為によって、現場での作業が難航しています。
むしろ、そのせいで事態が悪化し、
最悪の場合、福島原発の現場におられる皆さんに健康被害が及ぶのではないか、
それが本当に心配です。

なお、放射線について心配のある方は、
中部大学の武田邦彦教授がいろいろと情報を発信されていますので、
対処法をご参考にされるとよいかと思います。
http://takedanet.com/


プルトニウムについて分かりやすく解説された記事(ryokuin_seidan様)がありましたので、
まずこちらを転載させていただきます。
※文字の色と大きさを朱雀が少し変えさせて頂きましたが、文章内容は全く変えていません。


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(転載開始)

3号炉のトラブルから、MOX燃料のプルトニウム のことなどへも心配が及んでいるようですから、少し書いておきます。

プルトニウムの毒性が非常に強いという話ですが、いわゆる青酸カリのように、ちょっと舐めただけですぐ死ぬような毒性は確認されていないようです。また普通程度の毒としても殆ど確認されていないようです。どうも、完全なウソのようです?

一時、ダイオキシンが猛毒であるという話が広がりましたが、ダイオキシンに触れる機会の多い、多くの人を調べた結果、そのような強い毒性は確認されませんでした。
そんな猛毒だったら、たばこを吸っている人は遥か昔に死滅しているでしょう。
そのような話と同じで、プルトニウムも、根拠は確認されていないようです。

毒というより、放射性物質としては厄介なものであることは確認されているようです。
それは、放射性物質の中では体内に残留しやす部類だという事と、ほぼ半永久的に放射線を出し続ける という事です。そういう意味での毒というより、危険性はあるようです。




ついでに これから原発から出てくる 放射性物質 について ちょっと・・・

今のところヨウ素ばかりが騒がれていますが、今後、プルトニウムなども出てくるのか?

そんな心配をしている人もいるようです。

図表は、原発から出てくる放射性物質の幾つかの
沸点の一覧です。

今まで、なぜヨウ素ばかりが騒がれていたのか?
実は 5 のヨウ素だけでなく 1,2,3 のキセノン、ラドン、クリプトンなどの放射性物質も既に放出されています。
なのに 5 ばかりが騒がれているわけですが、なぜ 1,2,3 は問題とされないのか?

キセノン、ラドン、クリプトン などは沸点が非常に低い物質なので、原発から出てきて冷えても、常温でガス状態のままで、地上に降下してきません。

大気中に拡散してしまいます。簡単に言うと消えてなくなってしまうわけです。さらに放射線以外は人体に特別な影響はないようで、今回のドタバタ騒動でもほとんど触れられることがありません。
でも、実際はこれらも原発から出ています。
先日の水素爆発を見ても、ガス状態になった物質は、あちこちから漏れ出している わけです。

ヨウ素が問題になるのは、1,2,3 と比較すると、沸点が高いので、原発から出ると、個体(微粒子)になってしまって、地上に降下してくるからです。そして人体に入ると、甲状腺に集中的に蓄積して障害を起こすという困った性質を持っているからです。

原発から何がどのように出てくるかを考える時には 石油精製を参考 にするとわかりやすいと思います。基本は同じようなものです。 以下のHPは石油精製の説明図ですが、
http://www.jpca.or.jp/junior/01howto/tour1.htm
 1.蒸留塔の左下から、加熱してガス化した原油を送り込みます。
 2.蒸留塔の中を上昇しながら冷やされます。
 3.冷やされると沸点の高いものから、次第に液体に戻ります。
 4.高さ(温度)によって、異なる種類の成分が液化し、分離できます。

原発でも同じようなことが起こります。
 1.燃料棒が露出して異常な高温になると、いろいろな物質が気化したり、溶けだします。
 2.しかし、そうして燃料棒から離れれば、冷えて温度は低下してゆきます。
 3.するといろいろな物質が、ふたたびもとの個体、液体にもどります。

原発の場合は、高温の燃料棒を中心に、燃料棒から離れるにつれて、温度が下がり、色々なものが液体、固体に戻ります。石油精製の蒸留塔を横に寝かせたようなものです。
沸点の低いものほど外へ出やすいわけです。



9,10,11 の バリウム、ランタン、モリブデン は先日、高濃度に汚染された水から検出されました。
13,14 の ウラン、プルトニウムはまだ検出されていませんが、これらは全て沸点、融点が高いので、燃料棒からあまり離れていない、近いところですぐに固まり、そこに溜まります。原発でいえば、圧力容器内の水の中や、格納容器内あたりです。

反対に 1,2,3 キセノン、ラドン、クリプトン などは、沸点が非常に低いので、燃料棒から離れて、冷えて、常温になってもガスのままなので、どこまでも拡散してゆきます。

5 のヨウ素が問題になるのは、1,2,3 と比較すると、沸点が高いので、原発から出ると、個体(微粒子)になってしまって、広範囲の地上に降下してきます。
7 のセシウムは 5 と 9,10,11 の中間くらいの沸点です。セシウムはヨウ素よりも沸点がだいぶ高いので、より早く液体に戻ります。飛散はヨウ素よりも少なくなります。原発内の建屋、配管などから周辺地域に飛散します。

そんなふうに、出てくる物質(沸点)によって、およそ留まる範囲が決まります。
大半が原子炉内、建屋内にとどまる物質もあれば
遥か彼方まで飛散するものもあります。

以上のようなことから、ウランやプルトニウムは中々外部へは出てこないわけです。
ヨウ素のようには広範囲に、大量に飛散する心配はありません。
そういう意味においては比較的安心なわけです。

ただし、炉内からの水漏れが発生した場合はその水と共に出てきます。
今それが原因で原発対策が足踏み状態になっているわけです。

話としては、わりと単純な話です。
沸点の話しですから 中学の理科くらい?
この種の話を、やたら難しそうに話している 専門家というのもいますが? 一体なんなの?


(転載終了)
http://blogs.yahoo.co.jp/ryokuin_seidan/53405461.html



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なお、補足ですが、物質一般に言えることですが、
物質そのものに毒性があるという考え方は正しくないと思います。

例えば、青酸カリは自殺するときに使われる劇薬として広く知られていますが、一方で青酸カリは少量だとむしろ滋養にもなります。
食塩は少量なら健康維持に必要なものですが、取りすぎると健康に悪いです。
また、御飯は腹八分目なら健康にいいですが、無茶苦茶大量に食べると死に至ります。

物質はそのものに毒性があるというより、
その分量によって大きく性質が変わってくる
ということだと思います。


朱雀


(Part2)

 以下は、中部大学・武田邦彦教授のブログからの転載です。




(転載開始)

今回の福島原発では、1号機、2号機、4号機が通常のウラン燃料を使っています。

ウラン燃料というのはウラン235を核爆発させるもので、多くの原子炉で使われているものです。

これに対して3号炉は、プルトニウムという元素を燃料に使っています。これはウラン235を核爆発させますとプルトニウムはできますので、それを回収して再度、燃料として使うのです。

つまり、普通のウラン235の燃料の時には4.5%程度のウラン235の純度で燃料として使うのですが、プルトニウムは9%程度で使用します。

また少しややこしいのですが、ウラン235燃やすとプルトニウムができます。お役目が終わって燃料を取り出すときにはある程度のプルトニウムを含んでいます。

ところで、プルトニウムがなぜ問題かというと、一つにはプルトニウムというのは自然界にはない元素でウラン235の核爆発で作られます。第2番目はプルトニウムには非常に強い毒性があるという考えられていることです。

大震災と福島原発の事故の後なので、これまで話を控えていましたが、広島の原爆がウラン235、長崎の原爆がプルトニウムでした。

そこで今回、万が一、3号炉が水素爆発したときに、プルトニウムの飛散が予想されますので、それに対して事前に準備をしておくべきかどうかを中心に話をしたいと思います。


プルトニウムの毒性は次の三つです。

1. 放射線が強い、

2. 放射線の中でも体の表面や内蔵の表面を損傷する、

3. 人体へ特別強い毒性を持っていると言われている。


わたくしがウラン濃縮の研究をしている当時、プルトニウムの毒性を知ることが大切だったので、かなりの量のアメリカの文献を読んだことがあります。

ウランが核爆発をする条件とか、プルトニウムの毒性の基礎的な研究は、第2次世界大戦時代のアメリカに最も多く、特に初期の研究では研究者の死につながるような事故等も伴いながら研究をしています。従って、その時代の文献はとても大切です。

また長崎原爆、チェルノブイリ等、関係する資料も比較的整理されています。

それらによると、プルトニウムの特性は次のように考えられます。

1. 放射線は強いのですが、放射線の量を常に測定して管理しておけば、他の放射性物質と同じと考えられる、
2. 放射線の中でも体の表面や内臓の表面を損傷する特徴があるが、これもプルトニウムばかりでなく他の放射性物質でもその程度は同じ、
3. プルトニウムだからといって人体に特別な毒性はない。



1.や2.はすぐ理解できると思います。まず外から来る放射線は人間にとって「どの放射性物質から出ている放射線か」かということをわかりません。放射線の種類やエネルギーによって人体に対する影響が決まるだけです。

プルトニウムか体内に入った場合ですが、ほとんどは口から入ったら、胃や腸を通って比較的早い時期に排泄されます。その時に、消化器官の表面に放射線があたりますが、これもプルトニウム以外の放射性物質と同じです。
このようなことから、プルトニウムだから毒物だということないというのがわたくしの判断です。

このようなわたくしの判断は今までも機会のあるときに、話してきましたが、それに対して、主に原発反対派の人から強い反論があります。

それはプルトニウムの毒性は特別で「角砂糖5ヶで日本人が全滅する」と言われます
わたくしは責任ある立場でしたから、事実を調べるために、随分文献を読んでみましたが、このような毒性を見つけることはできませんでした。
科学的事実に賛成派も反対派もないのですが、この件についてはわたくしは「推進派」と同じ考えです。繰り返しますが、科学的事実には推進派も反対派もありません。ただ国民の健康だけを考えて判断する必要があります。
それなのに、「プルトニウムの毒性」という問題を、科学ではなく思想の問題に置き換えてしまうことが、これまでこの問題がハッキリしなかった原因です。
おそらくこのブログでも、ここで「プルトニウムの毒性は特別なものではない」と書きましたので、「武田はけしからん」という反論もあると思いますが、プルトニウムの毒性は科学的事実ですから微量のプルトニウムによって、大きな損傷を受けたという医学的事実が必要なのです。

ところで、「プルトニウムの毒性は特別である」という考えに対して、2006年に電気事業連合会が反論を出しています。

ただ、電気事業連合会の普通の説明と同じで、「プルトニウムを燃料に使うことは安全である」ということを繰り返しているだけで、厳しく言えば答えになっていないという面があります。

少なくともプルトニウムの毒性に対して心配している人がいるのですから、形式的な答えではなく、実質的に踏み込んだ答えをしていればプルトニウムに対する不安感はかなり弱まったと考えられるからです。

わたくしはこのブログで常に国際放射線防護委員会 (ICRP)の勧告に基づいて作られた日本の法律の考え方と数値を使っていますが、それによると、プルトニウムはごく普通の放射性元素として分類されています。
わたくしがウラン濃縮研究をしているときに、ウランとプルトニウムの人体内での振る舞いがかなり似ていることを知りました。

ウランもプルトニウムも、

1) 比較的、消化器表面を損傷する放射線を出すこと、
2) 人間にとってウランもプルトニウムも必要のない元素なので口から入ったら比較的短時間で排泄されること、
3) ウランやプルトニウムは腎臓に行きますが、それは排泄のためであり、だから早期に排泄されること、

4) ウランを間違って飲んだ例では、障害がでていないこと、等です。


生物関係の方面ではよく知られているように、「人間は必要なものは取り込み、不必要なものを排泄する」という機能を持っています。

例えば人間の血液に必要な「鉄」を考えますと、鉄の放射性同位体が体の中に入ると、人間の身体は「放射性かどうか」を見分けることができないので、その鉄を体に取り込んでしまいます。

体に取り組むとそのあとずーっと放射線を浴びることになります。

逆に、ウランが入ってきてもどこに使っていいかわからないので、すぐ排泄してしまうのです。

このように、ウランやプルトニウムが人間に対して強い毒性を持たないのは、人間が使う元素ではないということが決定的な理由だとわたくしは考えています。

従って福島原発からプルトニウムか飛散しても、これまで通り放射線の強さに注意していれば大丈夫ということになります。


プルトニウムを燃料に使う3号炉について、わたくしはこれまで、危険度を他の号機に対して2.5倍にしていました。この理由は、第1にプルトニウムの特性をもう一度調べてみようと思ったこと、第二に燃料の中の放射性物質の状態がウラン燃料と違い、やや危険側にあるということで、2.5倍をかけていました。

現在でも3号炉については、やはり2.5倍程度の数字は必要と思います。これはプルトニウムを燃料とする軽水炉の大事故が初めてであるということです。

3号炉に関する最終的な結論は、「注意しておかなければいけないが、決定的にわたくしたちの健康に影響を及ぼすものではない」ということです。

(平成23年3月27日 午前8時 執筆)  武田邦彦

(転載終了)


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転載終わり


死者への礼儀

2011年04月06日 16時02分55秒 | 現代日本
 私のうちのすぐ近所にある公園は、今が桜の満開でである。少し前はまだまだ花のほころびる気配はないように見えていたのに、先週の金曜くらいに一輪二輪ほころんでいるのを見つけたと思ったら、翌日はもう3部咲きくらいになって、あっという間に満開になった。いのちが萌え出るときの勢いというものはこういうものだと思う。
 今回の震災で、日本人は日本人としての意識を持ち始めたが、この意識ももしかしたら思った以上の速さで、日本人としての目覚めをもたらすかもと少し期待を持った。
 ところで、この公園は例年ならば、いつも近所の方が数人集まって花見をされているのだが、さすがに今年はそういうこともない。当然である。まだ震災からひと月も立っていない時期に、同じ日本人の同胞がたくさん亡くなられているのに、花見酒で浮かれることなどできない。気持ちの問題であるとともに、死者への礼儀でもあると思う。石原都知事の花見の自粛論は当然だと思うのに、これに異議を申し立てる蓮舫の感覚がおかしい。いろんな元気の出るイベントを自粛するのとはわけが違う。復興を目指していろんなイベントを盛り上げるのは、それなりに意義があると思うが、この時期の花見はやはり、自粛するのが当たり前の感覚だろう。
 先日も日米合同での自衛隊とアメリカ軍による遺体捜索が行われて、自衛隊の献身的な作業を見て、最初は様子見だったアメリカ軍が、自衛隊の無私の作業姿に感動して、本気を出して取り組んでくれたという話だ。
 以下は、自衛隊隊員同士のメール文面だそうだ。

:『海には数メートルおきにご遺体が浮いている』
 『幼い亡骸を目にすると、わが子とダブってたまらない』

:『自衛隊にしかできないなら、危険を冒してでも黙々とやる』
 『国民を守る最後の砦。それが、われわれの思いだ』

:『流木にはさまれ、両手をあげていた。最後まで救助を信じていたように…』

:『自宅が全壊、家族も行方不明という隊員が普通に働いている。
  かけてあげる言葉がみつからない』

:『被災地に来て12日目。風呂はまだ1回しか入れていない』

:『毎日、乾パンや缶メシと水だけ』

:『被災者の心細さを考えたら…。がんばる』など。

 ほんとに自衛隊の方々には頭がさがる。ニュースで、妻を無くした夫が一人で、妻の遺体を探して、毎日瓦礫の中を回っている様子や、息子を探す親の姿などは身につまされるものがある。一人でもご遺体を遺族の元に返してあげたいという気持ちは、こうした現場を見るほどに強く感じることだろう。家族にとって、愛する人の遺体を瓦礫の中に放置することの忍びなさは、どれほどのものかと思う。
 それを思うにつけ、戦後日本が、多くの戦没者の遺骨を海外に放置したまま収集が遅々として進まない現状が思い起こされる。
 今回の震災で、その遺族の様子を見て、改めて戦没者の遺骨を放置していることのひどさをしみじみ感じた。南方で、戦死した息子や夫の遺骨のもどってこないままお墓を立てることのどれだけ悲しい思いがあっただろう。また遺族も爆撃で亡くなっている人もいたかもしれない、そうした戦死者の本来ならば救国の英霊として、国民全体から尊敬を受けるべき立場の御霊達が、占領軍のプロパガンダによって、侵略戦争という汚名を浴びて、まるで犯罪者のような蔑みと、哀れみとのみを受けて、政府も本気で遺骨収集に乗り出さず、経済発展のみに心を向けて、こうした戦死者の御霊を無視し続けた来た。祖国から遠く離れ、祖国に帰りたい思いを抱きながら愛する祖国のために戦った方々を、国民は経済繁栄の中で、まったく省みることなく過ごしてきた。その方々のせめて御霊を祀った靖国神社は、軍国主義の象徴のように言われ、朝日新聞のわざとらしい火付け記事以来、天皇の御親拝もなくなり、首相の参拝すら毎年問題化されるようになった。
 こんな我が国の死者への礼儀を失った戦後の年月、戦死した英霊やその遺族の悲しみは、ずっと溜まり続けてきたに違いない。死んでしまえば魂などないと思う人は、それでも平気で繁栄を謳歌したのだろうが、もしも魂というものがあると考えるなら、その悲しみの大きさはいかばかりだろう。硫黄島では、防空壕など以外にも、アメリカ軍が作った空港の滑走路の下に遺骨が大量に眠っているという。飛行機の離着陸のたびに踏みつけられる遺骨の悲しみ、本土を守るために散った英霊に対しての仕打ちがあまりにひどすぎるのではないだろうか。
 ある人が、今回の津波は英霊の涙ではないかといったと言うが、英霊は何も子孫を苦しめようと思われたわけではいだろうが、どこかにその悲しみが溜まりに溜まって、溢れ出す限界まで来ていたのかもしれない。気象は昔から、その時代の人間の在り方と不思議に連動しているといわれている。去年靖国を参拝した閣僚は、戦後初めて一人もいないという状況になった。私は天罰だなどとは思わないが、どこかに溜まっていた悲しみの涙が、おもわず溢れてしまったのではないかという想像さえしてしまう。