美しい国からの転載です。今回の東日本大震災では、多くの殉職者を出しました。この方たちは、多くの人が逃げていく方向と逆向きに進んで行って、ひとりでも救える人を救おうと最後の最後まで努力された方々です。命をかけて職務を全うされた方たちです。ほんの少し早く職務を切り上げて逃げれば、逃げられないことはなかったでしょうに、まだ逃げ遅れている人がいると思うと、その方たちを見捨てては、自分が逃げられないお気持ちで、結局最後まで職務を遂行されたのでしょう。職務に対する誠実な日本人の心、これがこの災害で、たくさん見られました。自衛隊の方々もそうでした。まるで真岡交換手の方たちを思い起こさせるような未希さんの最後まで響いた放送の声、ほんとうに素晴らしい日本人魂でした。
この職務に殉職された方々の姿は、先の大戦で戦死された多くの英霊の方々の姿でもあったのではないでしょうか。硫黄島のお話は映画以来その実態が世に知られるようになりましたが、あのひどい状況で、自分の苦痛を長引かせるような、アメリカ軍への命の限りの抵抗で、本土への爆撃を遅らせ、疎開出来る人をひとりでも多くしようと時間を作り出そうとしたあの英霊達の思い、その姿と重なってきます。私たちは、冷静な気持ちになって、あの大戦で亡くなられた多くの英霊の方々を思い起こしてみる必要があるのではないでしょうか。勝者の歴史で塗り替えられた侵略者という汚名を拭い去って、あとに残るものを少しでも生き残らせ、将来生まれるもののためにと、国のために亡くなられた英霊の方々へ、感謝の心を捧げるべきなのではないでしょうか。
それらすべての方々を民間人であっても、私は殉職と呼びたい。
最後まで、役場の放送で避難を呼びかけた女性職員もあったし、
命を懸けて、職務を全うした人が多いのに、今の国会を見ていると悔しさがあふれてきます・・・・・
「大きな津波が来ます。高台に避難してください」「津波が来ます。急いで避難してください」
震災発生直後のようすをとらえた映像で、轟音(ごうおん)や悲鳴に混じって途切れ途切れに聞こえる拡声器の警察官の声が耳に残る。最後の最後まで住民に避難を呼びかけていた、あの警察官は無事でいるのだろうか。
映像には、車のない港の堤防沿いの道を走るパトカーもあった。アナウンスしながら逃げ遅れた者がいないか確認しているようだった。あのパトカーは津波から逃げ延びたのだろうか。
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岩手県宮古市鍬ケ崎(くわがさき)の宮古漁港は損壊した跡は残るものの、魚の積み込み作業が行われ、活気が戻っていた。その傍らにある宮古署港町交番は今も無残な姿をさらしている。
勤務していた2人の警察官は津波にのみ込まれ、殉職した。
交番には花束が手向けられ、国旗が掲げられている。誰が津波で汚れた国旗を洗ったのだろう。
「お勤め、お疲れさまです。安らかにお眠りください」。折り鶴とともに高校生のメッセージ。「鍬ケ崎のためにありがとうございました」という書き置き。 一つ一つ読んでいると、がれきの向こうから路線バスがゆっくりと走ってきた。前から2列目に座る老女が窓越しに交番に向かって、静かに手を合わせるのが見 えた。
5人体制の港町交番で、中村邦雄さん(54)と村上洋巳さん(43)は、その日非番だった。地震発生で2人は官舎から自主参集で署に上がった。制服に着替えた中村さんは家族に「じゃあ、行ってくる」と軽く声をかけた。
2人は津波警報でごった返す署からパトカーで漁港周辺に向かった。小野寺勝善副署長は「自らの判断で持ち場の住民誘導を行っていたのでしょう」。
中村さんと村上さんが激しい口調で高台への避難を呼びかける姿が多くの人に目撃されている。港に防潮堤はなく、第1波で周辺が浸水した。
立ち往生した救急車から搬送中の病人を救助しているところを第2波が襲った-。
3月14日パトカー発見、4月4日に村上さんの遺体が発見された。中村さんの遺体はいまだに見つかっていない。
住民が供える花や飲み物が絶えぬ港町交番。すでに取り壊しが決まっている。
◇
2年前の夏、佐賀県唐津市肥前町高串の増田神社を訪ねた。JR唐津駅からレンタカーで山道を抜けると、目の前は海を挟んで長崎県だ。山にへばりついたよ うな高串は小さな漁港と温泉以外、何もないように思えた。中学生だろうか、釣り竿(ざお)を持つ男の子に増田神社の場所を聞くと、「『増田さま』は先の二 股を右です」と教えてくれた。
明治28(1895)年、新米の増田敬太郎巡査はコレラが流行していた高串に赴任する。当時は防疫も警察の任務だ。現場を一目見た増田巡査は感染拡大の原 因は隔離の不徹底と判断した。すぐさま感染者を隔離し、交通を遮断、誰も手を出そうとしない遺体を背負い、埋葬した。そして、赴任3日目に発病する。
「村人の世話をするために来た私がかえってお世話になるようになり、申し訳ありません。高串のコレラは私が背負っていきますからご安心ください」。その翌日、増田巡査はこう言い残して死亡、25歳だった。
遺言通りコレラは収束、以来、高串で伝染病の流行はなく、地元の人々は感謝の思いで巡査を神様とあがめるようになった。巡査を火葬した小松島は神聖な島とされ、漁師は島に一礼してから沖合に向かう。
毎年7月の夏祭りでは、白馬にまたがる巡査の山車が繰り出される。最期まで住民の命を守る使命を全うした巡査は「警神」と呼ばれている。
◇
今回の震災で多くの警察官が警神となった。死亡・行方不明は宮城県警14人、岩手県警11人、福島県警5人。女性警察官もいる。多くは避難する住民の最後尾で任務を全うした。
私たちは、父を失った子に、夫を失った妻に、子を失った父母に何ができるだろうか。神社とは言わないが、最後の任務をできる限り詳細に記録し、遺族に残しておきたい。
「みんなを助けようとして最期まで『みんな逃げて』と叫んでいたんだよ。最期まで警察官だったんだよ」。遺(のこ)された幼い子にそう言い聞かせること ができるように。警察官だった父を、夫を、子を自慢できるように。いつまでも遺族や住民の胸に残る警神であってほしい。いくら感謝しても足りない一国民の 願いである。(将口泰浩
転載元: 美しい国
新“敬天愛人”のブログからの転載です。最近の森永氏の正論は実に見事ですね。以前はこの人の言うことがなんか信用出来ない気がして嫌いでしたが、震災以来、実に立派なことを言われています。何処かでかじった話では、三橋貴明氏の著書を読んで共感したとかなんとかだという風に聞きました。震災以来、こんな感じで、人が変わったように正しいことを言うようになった方がいらっしゃいますね。震災を通して、目覚めたというか、進化したというかそういう効果が一部の人のあったことは確かですね。とにかく、タイトルにもあるように、まさに、よく言った!!森永卓郎先生ですね。
御来訪感謝申し上げます。
以前はどうしようもないノー天気な発言で眉をしかめることが多かった経済評論家の森永卓郎氏ですが、最近の言動を見聞きしていると、不肖敬天愛人にとっては、彼に神が降臨したのではないかとつい思ってしまうほど説得力のある「神発言」が見られるようになりました。
今日、紹介させていただく森永氏の論説文も、原発事故の後遺症に悩む福島の人間として心底共鳴できるものであり、また、同時に福島に限らず東北・北関東の被災地の人々にとっても心に沁みる意見であろうと感じます。
彼は敬天と同い年ですが、こちらが恥ずかしくなるほど人間的に非常にバランスのとれた考えを示しております。
最初から最後まで正論そのものであり、敬天如きがコメントをすることは何もないのですが、引用記事のあとに若干の感想コメを入れさせていただきます。
色文字、太字は敬天が勝手に編集したものです。
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原発とどう向き合うのか - 森永卓郎
2011年09月27日00時00分
東日本大震災以降、私はともに貧困や抑圧と戦ってきた大切な友人たちと対立することになってしまった。それは、私が電力不足を回避するためには、しっかりと安全を確保することを前提としながらも、電力不足を解消するために原発を再稼働させるべきだと発言したことからだった。
もちろん私は、安価で安定した電源に代替しながら、徐々に原子力発電所を廃止していったほうがよいと思う。しかし、急激に脱原発を進めると、国民にさらなる貧困と抑圧を与えることになる。そのことをしっかり考えなければならないと思うのだ。
国民生活の抑圧は、今年の夏にすでに現れた。計画停電の実施に引き続いて、東京電力、東北電力管内では、電力節減令が発動された。電力節減令の本質は、 電気の配給制度だ。罰則が適用される大企業はもちろん、そうではない中小企業や一般家庭でも徹底的な節電が求められた。問題は、それがどれだけ国民生活を 圧迫したかということだ。
例えば、我が家では今年の夏、日中は一度もエアコンを使わなかった。熱中症になるからエアコンをつけようと何度も妻に言ったのだが、「エアコンをつけた ら室外機のファンが回って、近所にばれる」と言って、妻は私の言うことを聞かなかった。毎日繰り返される節電キャンペーンは、まさに「節約耐乏。ぜいたく は敵だ。欲しがりません勝つまでは」という戦時中のスローガンであり、節電をしない者は非国民だという密告社会を作ってしまった。
自由主義経済は、稼いだお金の範囲内で、好きなことに自由にお金を使えるということが、大原則だ。それをさせなかったのは、統制経済に戻したのと一緒だった。 あらゆる面で、国民生活は圧迫されたが、例えば、日中の電車の運行が間引きされたため、5分おきには必ず来るはずの東京の地下鉄が、10分おきにしか来な い時間帯ができた。駅舎や車内はおろか、一部ではホームまで照明が落とされ、暗くなった。知人の視覚障害を持つ男性は、ホームからの転落を恐れて、電車に 乗るのが怖くなったという。駅のエスカレーターの下りが停止され、お年寄りや妊婦は怖い思いをするようになった。結局、しわ寄せは弱い人に行ったのだ。
企業活動でも、例えば自動車メーカーは電力節減令のかかる平日の電力消費を抑制するために稼働日を土日にシフトした。そのために子育て中の従業員は、土 日に子どもを保育してくれるところを探すために、走り回った。それだけではない。自動車メーカーは土日シフトをしたが、重機メーカーはしなかった。その結 果、自動車メーカーと重機メーカーの双方に部品を納めている中小メーカーは、納入のために、休みなく働かなければならなくなったのだ。
他にも被害は枚挙に暇がないが、15%の節電というのが、国民の多大な犠牲の上に達成されたことは、紛れもない事実だ。しかし、そこまでして、節電をする必要があったのか。つまり、そこまでして、原発を停止する必要があったのだろうか。
事故が深刻な影響を与えたのだから、停止は当然という意見はある。しかし、原発を停止させたからといって、新たな事故のリスクは減るのか。 いま日本の大部分の原発が定期点検からの再稼働ができずに停止中だ。その原発のなかには、使用中の核燃料が納められている。冷温停止しているからと言っ て、安全だということは絶対に言えない。電源供給が絶たれれば冷温停止中であっても、水素爆発を起こすのだ。福島第一原子力発電所でも、爆発した4号機は 冷温停止中だった。
私は、核燃料を建屋のなかに抱えている限り、運転中でも、冷温停止中でも、リスクは大して違わないと思う。だったら、安全を確保したうえで動かしたほうがよい。 それは電力供給の確保という理由からだけではない。原子力発電所には建設のために1000億円単位の莫大なコストがかかっている。もし、停止したままにし ておくと、ムダな減価償却費が発生し、それが利用者の電気料金に跳ね返ってくるのだ。エネルギー経済研究所の推計では、原子力発電所の再稼働がままならず 全停止になった場合は、家庭の電気料金が2割もアップするという。減価償却費がかかってくるうえに、燃料を割高な化石燃料に切り替えなければならなくなる からだ。
振り返ってみると、今回の原子力発電所の事故は、あきれかえるほどの、ずさんなミスの積み重ねから発生したものだった。現場に電源車が到 着したのに電源ケーブルが接続できなかったとか、1号機では電源供給が絶たれても、余熱で冷却を続けられるシステムがついていたのに、バルブを開け忘れた ためにそれが稼働しなかったり、そもそもディーゼル発電機が地下に置かれていたり、その燃料タンクが地面に置かれていたりと、津波対策がまったくなされて いなかったことなどだ。
こうしたミスをきちんと改め、何重もの安全対策を加えれば、当面のリスクは大幅に減るはずだ。もちろん、それをやっても原発のリスクはなくならないということも事実だ。
だから、いま我々が取り組むべきことは、事故原因をしっかり究明して、原発のしっかりした安全対策を講じることと、安価で安定した原発以外の電源を開発していくという二つなのではないか。
脱原発を唱える人たちは、いままで大変な苦労を重ねてきた。いくら原発のリスクを訴えても、なかなか国民が耳を貸してくれなかったからだ。しかし、敵失 によって生まれた原発事故をチャンスと捉え、一気に自分たちの目指す脱原発に、世の中を持っていこうとしているのではないだろうか。私は、そのやり方は、 アンフェアだと思う。これまで原発推進派がやってきたことと、やり方が変わらないからだ。
いま必要なことは、原発のリスクを正しく評価し、そのリスクと脱原発がもたらすコストを比較して、どのようなスケジュールで、原発をどの程度他の電源で代替していくのかという現実解を求めることだ。やたらと放射能の被害を叫んで、恐怖を煽ることは、判断を狂わせるし、何より被災地に大きな風評被害を与えることになる。
風評被害という意味で、もう一つどうしても触れておきたいのは、放射能汚染された食品についてだ。私は、政府の規制値を下回っていたとしても、放射能の 影響が皆無だとは思っていない。しかし、私は自分自身の食生活から、被災地の食品を排除していない。選択肢がある時には積極的に被災地のものを食べるよう にしているし、被災地の食品も通販で取り寄せた。なぜそうしているのかというと、そうしないと被災地の産業が救えないからだ。いつまでも義 援金や財政の力で被災地での生活をすべて支えることなどできない。被災地の復興に一番重要なことは、被災地に働く場が戻ることだ。そのためにはまず、被災 地の農林水産業が元気を取り戻さなければならない。しかし、政府が安全基準を設定して、それを上回る放射能が検出された食品は出荷を止めているのにもかか わらず、産地を公表したとたんに、被災地の野菜や肉や魚は、大幅な安値になってしまう。だから、誰かが現地の食品を食べないと、被災地は本来の姿を取り戻せないのだ。
もちろん放射能の感受性の高い子どもたちの食べるものには気を配らなけれならないし、被災地のものを食べたくない人に強要することもできないと思う。
ただ、一つだけ確実に言えるのは、被災地の食品を毛嫌いする人を、私は信用しない。いままで、さんざん被災地にリスクをばらまくことで、安い電力を使ってきたのに、事故が起こったら、さっさと被災地を見捨てるような人を信用しろというのはとても無理な話だからだ。
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名古屋の大学の武田某のように、自分だけがいい子になろうと正義感ぶって必要以上に不安を煽っていた方が同じようにいい子ぶりたいマスコミ受けがする し、商売にもなるのです。不安を煽れば煽るほど不安に駆られた大衆は不安を少しでも解消しようと、不安を煽る人間の著書などに群がりたがります。これを恐 怖ビジネスあるいは脅迫ビジネスと言います。家相占いや人相占いで根拠なき凶相を吹き込み、運が上向くと称して高価な印鑑を売りつける商法と何ら変わりま せん。
だからこそ、全国的に知名度の高い森永氏のようなタレント評論家といっても良い人気者がこういう発言をしたことは、生意気な言い方をすれば、高く評価したいのです。
なぜなら、こういう発言をしても彼は一銭にもならないのです。それどころか、マスコミ界や学会にも多く巣食う左翼脳の反原発派たちから攻撃を受けること になりかねないのです。被災地以外の人口が圧倒的に多い現実を鑑みれば不必要に恐怖を煽った方がビジネスになり、比較して少数派である被災地の人間の立場 に立った良識的な意見を述べても、目に見える得は何もないのです。但し、人として目に見えない徳を積むことにはなります。
特に最後の4行は、こういう人としてバランスのとれた人間が多く居れば、被災地の人間にとっては何よりのエールになり、援護射撃になり、「頑張ろう」がスローガンだけでなくなって、本気で頑張ろうという気にさせてくれるし、希望を見出すことにもなるのです。
心より、森永卓郎氏に敬意を表したいと思います。
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転載元: 新“敬天愛人”のブログ
サイタニのブログからの転載です。楠正成のお話をこの様にきちんと聞くことは、現在では、あまり機会がありません。本来は、多くの人が知っているべき話です。
続き 楠木正成公幕府と戦う
「今日は、各々陣を張って休むとしょうぞ。」
幕府軍の武将達はそれぞれに陣幕を張り、長旅で疲れた兵達は鎧兜をぬいで
正成は幕府の大軍を相手にするため、様々な策と綿密な作戦を練って
この大軍でわずかな楠木軍を押しつぶせないはずはない、と幕府軍の武将達は
今度はいっこうに矢が飛んで来ません。
勢いづいた兵達は、城壁を登り始めました。
幕府軍の兵は塀の下になり、混乱しているところに、大岩が次々と投げ落とされ
幕府軍は何万という大軍で城のまわりを取り囲み、食糧が尽きるのを待つ
急いで造った赤坂城にはたくさんの食糧を備えることができませんでした。
「正成は、食糧がわずかとなった。もはや、この城で戦を続けることはできぬ。
正成は、護良親王に事次第を申し上げました
「正成…おぬしは、どんなことがあっても生きのびよ。父君は、おぬしを心から
正成は、金剛山の奥深くへと消えてゆきました。それから一年の間、正成の


転載元: サイタニのブログ
夕日の丘からからの転載です。日本の情報管理のゆるさには、以前からいろいろな人が警鐘を鳴らしていましたが、全くこれを改める気配もなく、スパイ防止法に反対する政党もいて、国家としての生命の危機にも感じられるほどです。まるで、誰かがわざと情報管理を甘くしているような気さえします。これって外国の普通の国家に比べたら、ちょっと異常ではないでしょうか。
転載元: 夕日の丘から
successのブログからの転載です。市民派という言葉くらい、まやかしの言葉はありません。市民運動家だったという菅元総理、市民派弁護士出身の仙谷氏、彼らの実態を知れば、彼らが人の痛みにどれほど鈍感であるかが判ります。市民ではあっても、国民とは言いたくない、コスモポリタンでありたいのが本音の彼ら、外国人の権利を拡大して、日本人の権利を小さくして、日本という国を多民族国家にしたいと考える人々、根底には日本という歴史国家を廃して、共産主義を実現したいという思いがあるのでしょう。
ひょっとしたら、つらく、厳しいものかもしれない
なんてことを、と思うかたも おられるかもしれない。
でも、氏の言葉には、「真」 がある、
そして 「義」 もある。
そう感じて、ここに紹介させていただきます。
【正論】 筑波大学大学院教授・古田博司
さらば市民派のきれい事
の正義
2011.9.2 産経新聞 正論
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110926/trd11092602310000-n1.htm

http://d.hatena.ne.jp/nyankosensee/20080820/1220149728
古田博司氏
≪悲しみ苦しみ続けてはならぬ≫
ばかばかしい、もっと悲しもうという市民派は、彼らだけで満ち足りた人々である。
≪われわれは試練を乗り越える≫
もう悩むことは何もない。われわれは試練を乗り越える。素の自分で死んだ仲間とともにまじめに生きればよい。
彼らのいう「政治主導」とは独裁であり、独裁を「民主集中制」と偽ったレーニンと同様である。
≪多くのこと教えてくれた失政≫
success
日本は、世界のためにも
一刻も早く 立ち直らなければならない
転載元: successのブログ







