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胎児の命は

2015年04月19日 13時14分13秒 | いのちを守る、人工妊娠中絶問題

赤ちゃんを中絶しないで。[いのちを守る親の会]

 
 堕胎は女性にとって、精神的にも肉体的にも大きな傷を残します。近年親子間の葛藤からいろんな事件に発展するケースが、時々ニュースを騒がせますが、こうした親子間のさまざまな問題、あるいは子供の非行、閉じこもりなど、そのような相談を受ける方が、調べたところ、その人が知る範囲では、そのような家庭において、母親が過去に人工妊娠中絶をしたことがある場合がほとんどであるという話をされたことがあります。

 結婚して今はまだ夫婦だけの生活を楽しんで、とか、今は共稼ぎでお金を貯めることに専念してお金がたまったら子供をつくろう、とか、そういう考えで、せっかく授かった子供を安易に堕胎して、そして何人目かで子どもを生んだとすると、その母親には、子供は授かりものという意識よりも自分が作った子供という自己所有の意識が勝るのではないかと思います。

 子供を自分の物と考える意識は、子供を時には過保護に、時には苛立つと虐待に近いこともしたり、子どもを自分の考えのとおりに支配したいという気が起こるのではないでしょうか。

 渡部昇一氏が書かれていたことがありますが、最近の子供は鬼のように角の生えた母親の絵を書く子がいる。そういう子の母親は、勉強しない子を叱るときに、意識の底に、「なんで勉強しないの。そのために私は二人も堕したのに」という気持ちがあって、それが雰囲気に出て来て子供はそれを敏感に感じるのでは、と。あるいは霊魂の存在を認めるとすれば、背後に堕胎された兄弟の霊を感じ取るのでは、とおっしゃっていました。

 そうした子供は、自分より前に本当は兄弟がいたということを表面の意識は知らなくても、無意識下に自分ももしかしたら殺されていたかも知れない。あるいは、兄弟は死んでいるのに、自分だけ生きているという後ろめたさ、そんなものを感じているのかも知れません。人間は表面の心は何も知らなくても、意識の底では多くの人間の意識と繋がっていて、ほとんどすべてのことを知っているという説もあります。

 表面の意識が目指すものと、そうした潜在意識の目指すものが違っている場合も多く、表面の意識が幸せを求めているのに、潜在意識は贖罪のための不幸を求めているという場合も多いという精神分析の話もあります。

 よく戦争中の残虐行為や、残虐な事件の話を聞きますが、そんな話は、聞くだに耳を塞ぎたくなるような身震いする話です。ところが、胎児の堕胎というのは、時にはそれ以上の悲惨な虐殺です。昔は、掻爬と言って子宮内に器具を入れて、胎児の柔らかい体をズタズタにして掻き出す方法が取られていました。最近では吸引という方法が取られるようです。これも似たようなものです。

胎児は狭い子宮を逃げるように動き、心拍数は1.5倍の200にもなります。時には声をあげる場合もあるといいます。そうやって出された胎児のずたずたにされた身体は、月数の少ないものはトイレに流されるという話を聞きました。


 これが人間の生命に対する行為と言えるでしょうか。そこにはまったく胎児の生命への畏敬の念はありません。


 そして自分たちの生活が乱されなかったという満足、つまり経済的安定やあるいは世間体が保たれたという安心感で、平気な何食わぬ顔で明日からの生活をつづけていく、これでは、よくあるニュースの殺人犯が、殺人を犯した後もまったく普通に生活して気付かれなかったと報道しているのとそっくりではないですか。

 

 これがほんとに民主主義で、幸福を追求する権利というものなのでしょうか。胎児は母親の胎内に出来たただの物質的な肉塊だと言えるのでしょうか。私たちはみな胎児の時期があったのです。もしその時堕胎されていたら、いない人間です。胎児も同じ人間ではないでしょうか。
 
 
 
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人工中絶をされる時、その器具より一心に逃げ、「こわい!やめて!」と必死に叫び、心拍数は1.5倍の200にもなります。
 
 
 

 


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