小さな自然、その他いろいろ

身近で見つけた野鳥や虫などを紹介します。
ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。

知られざる天皇陛下慰霊の旅

2012年12月30日 18時11分40秒 | 天皇、皇室

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。

前の記事でも今上陛下が東日本大震災の被害者に深く心を寄せられていることが述べられていましたが、歴史上多くの天皇陛下には、心から国民のことを思いやられる逸話が多く残っています。これは祭祀を通じて常に祈られる伝統から生れた無私の精神の伝統であり、それはまた天皇こそ日本という国の体現者そのものだということではないかと思います。

西洋の専制君主の中には、「朕が国家である」といった君主もいましたが、その場合の意味は、国家はその君主の所有物であり、自分が国家の意志そのもの、自分の意志が国の法律であり、自分がすべての支配者であるという意味であり、これは支那の歴史上の君主にも相当する態度です。

しかし日本の天皇は、国は天照大御神からお預かりしたものであり、国民はやはり神よりお預かりした元々(おおみたから=大御宝)であるとして、国安かれ民安かれと祈り続けてこられました。そして災害も災厄も全て自分の不徳のいたすところであると、一切を自分の責任とされてこられました。それは、まさに日本という国家と、天皇自身が自己同一化した気持ちであり、それゆえに、国民の幸せがほんとにうれしく思われ、国民の悲しみがほんとに悲しく思われて、国の受けた有形無形の傷がすべて天皇の痛みとなっておられるのだと思います。

この記事にもある昭和天皇の最後の戦没者追悼式へのご出席のご様子が、下の動画の5分過ぎくらいからありますが、ご病気を押してそれでも出席されるご高齢の昭和天皇のお姿には、涙なくしては見れないほど、まさに国民の父、あるいは祖父と感じずにはおれません。


昭和天皇と平和への願い 

 

 

 

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       平成24年11月18日 沖縄に行幸啓された天皇皇后両陛下を迎える沖縄県の方々
 
 
WILL「2013. 2月号」に高森明勅先生の『知られざる昭和天皇、今上陛下慰霊の旅』が掲載されています。一部抜粋させて頂きます。
 
「全国戦没者追悼式は昭和36年に日比谷公会堂で行われたのが第一回だった。第二回は、何と靖国神社の境内にテントを張って実施している。それでも、政教分離違反などという声はどこからも起こっていない。第三回からは、前年9月に完成した日本武道館で行う形になって現在に至っている。ちなみに、日本武道館の建設に当たっては昭和天皇からお手元金のご下賜があった。
 
昭和天皇は生前、昭和57年にお風邪で体調を崩して欠席されたほかは毎年、必ず追悼式に臨御されている。
特に昭和63年はがんを患われて那須の御用邸でご静養中にもかかわらず、8月13日にヘリコプターで帰京の上、身体ご不自由なお身体を押して式典に臨まれた。この時のお姿こそ、国民が拝した昭和天皇の最後のお姿だった。
この日、昭和天皇は次のような御製をお詠みになっている。
やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど
 
昭和というのは、国民の平和と世界各国の共存共栄を願ってつけられた元号であります。その願い「やすらき世」の祈りが「いまだならず くやしくもあるか」とお詠みになられているのです。
昭和61年4月29日、政府主催の御在位60年記念式典で昭和天皇はこのように仰せになりました。
「いま、ここに昭和の60年の歳月を顧み、先の戦争による犠牲を思うとき、なお胸が痛み、改めて平和の尊さを痛感します」
 
 
 
 
「硫黄島は戦争当時、日米両国にとって必要不可欠な島だった。我が国は本土防衛の防波堤であり、アメリカにとっては日本攻略の足掛かりだったからだ。
当初は「5日間で陥落させる」と豪語していたが、栗林忠道中将率いる日本軍は驚異の敢闘をみせた。米軍はおびただしい犠牲を強いられ占領を発表できたのは攻撃開始からほぼ1ヶ月後で、その後もゲリラ戦を続けた日本軍の最後の総攻撃は、さらにそれから10日余りのちのことだった」
平成6年2月12日、今上陛下は硫黄島に向かわれ、このような感想を仰せになられました。
「硫黄島における戦いは太平洋に浮かぶ孤島の戦いであり、加えて、地熱や水不足などの厳しい環境条件が加わり、筆舌に尽くしがたいものでありました。この島で日本軍約2万人が玉砕し、米軍の戦死者も約7千 人という多数に上りました。このたび、この島を訪問し、祖国のために精魂込めて戦った人々のことを思い、また遺族のことを考え、深い悲しみを覚えます。今 日の日本がこのような多くの犠牲の上に築かれたものであることに深く思いをいたしたく思います。鎮魂の碑の正面に立つ摺鉢山は忘れがたいものでありまし た」
 
平成17年6月27日、今上陛下はサイパン島に向かわれました。
両陛下が「バンザイクリフ」の崖を望み、静かに黙礼されているお姿は多くの国民が見られたことでしょう。
「こ の時、両陛下は同島にある韓国出身戦没者の慰霊塔『太平洋韓国人追念平和塔』にわざわざお立ち寄りになって、心を込めた拝礼を行われている。このことは、 事前に公表されたスケジュールには入っていない。だが、ご出発前からの天皇陛下の強いお気持ちで実施されたという。現地の韓国系住民でつくる「サイパン韓 人会」のキム・スンペ会長は、陛下のご拝礼について「予想外のこと。本当に嬉しい」と話していた。住民らを代表した素直な感想だろう」
 
にもかかわらず今年8月14日、韓国大統領李明博は韓国教育大学の教育者研修会でこのように述べたという。
「日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い。重罪人に相応しく、手足を縛って、頭を踏みつけて、地面にすりつけて謝らせてやる。重罪人は土下座もしない、言葉で謝るならふざけた話だ。そんな馬鹿な話は通用しない。それなら入国されない」」
日本のマスコミはきちんと訳して報道しないために、この過激な不敬発言を日本国民が知ることはなかったのです。
 
このサイパンで現地の高齢者施設「敬老センター」を訪れた時、そこの老人たちが「海ゆかば」を大合唱して陛下をお迎えしたというのです。
高森先生はこのように書かれております。
「島 民が日本軍や日本人に反感や恨みを抱いていたら、こんな迎え方はしないはずだ。陛下ご自身の強いご希望によって実現した異例の海外戦跡へのご訪問。その最 中に、このような形で『海ゆかば』にお触れになった陛下の胸中に去来した思いは一体、どのようなものだっただろうか・・・」
 
・・・・・・ 
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  マスコミが何をしようとも日本人の心は変えられない、
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転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

 

 

 

 

 


松浦光修先生のコラムから「震災から一年を迎えて-あらためて考える皇室と国民の絆」

2012年12月30日 17時55分54秒 | 天皇、皇室

先の天皇誕生日の日に、天皇陛下は震災の一周年追悼式典にぜひ出席するために、手術の日取りを決められて、式典に出席されたという話をなさっておられましたが、被災者と共にあろうとずっと心を寄せてすごされているのです。

去年の冬にたまたま週刊誌を読むと、天皇陛下は、被災地の方々の電気や燃料の不足を思われ、また節電の呼びかけも為されていた頃ですので、皇居では無駄な明かりを消し、しかも暖房すらも、消されて沢山着こめば大丈夫と言われて天皇皇后様が過ごされているという話が書いてありました。老齢のご夫妻が、しかも天皇陛下はお体の不調にもかかわらず、自分の身の危険も覚悟で、被災者と心を共にしようとされ、またそれを全国の国民に身を持って示されようとなさっているのではという話でありました。

仁徳天皇も皇居が雨漏りしても、民のかまどから立ち上る炊飯の煙を見たいと、租税を免除された話や、醍醐天皇が真冬に羽織っておられたお召し物を脱いですごされ、貧しい民の生活を偲ばれたという話、さらに明治天皇が、ロシア戦争の間、真夏にも軍服をきちんと来て、暑さに耐え、真冬には、やはり軍服のみ着て暖房なしで寒さに耐えて、兵士の上を思われて祈るようにすごされた話などを思い出します。

わが国の天皇の国民へのお気持ちは、まさに親が子を思うような切ない思いやりの深さがあふれています。常に国民とともにあるという気持ち、それがわが国の天皇の本質を表しています。無私の愛こそ、天皇そのものです。

この天皇誕生日に、NHKはほとんど天皇陛下に関するニュースを流さなかったそうです。天皇陛下の会見も行われたというのに、その会見の全部を流さずに、一部をカットしてダイジェスト的に一度くらい昼間に流したらしいですが、主要な7時以後のニュースでは全く無視でした。これが日本放送協会という名前のついたメデイアというのだから、どこが日本なのかと思います。

松浦光修先生のコラムからの転載です。この国の国民が危機をどう乗り越えてきたか、そして今どのようにして乗り越えてゆくかを、天皇陛下のお姿の中に見るべきではないでしょうか。国民が力を発揮する中心核となるべきお方が、日本の歴史では常に天皇であったのは事実です。

 

 

 

 東日本大震災から一年が経つ。あの日、一瞬にして多くの尊い命が失われ、一夜にしてあまたの大切なものが消えた 。
私の身近なところでは、現 在、二十歳の教え子が、高校時代の親友を失っている。旧交を温めた直後の出来事であったらしく。ふだんは寡黙な彼が、私の研究室で、亡き友の思い出を語り つつ涙したことが、つい昨日のように思い出される。しかも、大震災と同時に複数基の原発事故まで発生した。建国以来、一度も経験したことのない大惨事を前 にして、あの時、国民の多くは、暗夜の嵐のなかで、木陰に震ええる小鳥の心地であったと思う。

 しかし天皇陛下は、早くも大震災発生の五日後に、国民に向けて「ビデオ・メッセージ」をくだされた。“私はいかなる艱難の時も、常に国民とともにある”との大御心を拝し、多くの国民は暁闇の地平から、一筋の曙光りが射し染めたかのような思いであったろう。
その後、両陛下は、あのご高齢で、しかも病をかかえたお体で、苦しみと悲しみをかかえた国民に寄り添うため、難路をたどり、くりかえし被災地に赴かれ、そしていつも、遠くの海岸までつづく瓦礫を前に、深々と一礼された。
まさに尊い「祈り」のお姿ではなかったか。

  いかなる権力者の声高励ましよりも、いかなる著名人の巧緻な慰めよりも、亡き方々の御霊に、あるいは天地や海の神々に、目して「祈り」を捧げられている両 陛下の、あの御後姿こそが、国民にとっては最大の励ましであり、また慰めではなかったかと思う。むろん震災の傷は今も深く、その痛みが消える日は、そう容 易には来ないであろう。
しかし、あらゆる「災い」が世界に拡散しても、パンドラの箱の底に「希望」が残っていたように、国民は巨大な悲劇の中で、日本人として生まれ、大御心につつまれている歓びを、あらためて体感したのである。
「御民(みたみ)われ、生ける験(しるし)あり」との感慨は、何も遠い昔の万葉人のものだけではなかったことを、私たちは知った。

 憂いにたえないことであるが、陛下は、本稿を執筆している二月下旬の時点で、いまだ御入院中である(*)。そのさなか、皇居の清掃奉仕におもむいた神職関係のある団体が、皇后陛下から御会釈を賜ったと、ネットのテレビが伝えていた。
天皇陛下を案じ、皇后陛下の御心のうちは、いかばかりであったかと胸が痛むが、しかし、その時、皇后陛下から発せられたお言葉は、こういうものであったという。「この国をお守りするために、お祈りをしてくださいね」。

   (*)天皇陛下は三月四日、ご退院になりました。


マスコミ、安倍総裁の印象操作がひどい

2012年12月27日 15時30分37秒 | マスコミ

マスコミの安倍叩きは、いかにも予想通りですが、印象操作はどんどん陰湿になっているようですね。NHKなどは、画質の色合いや音声の高音部をカットするなどいろいろな操作で、顔色を悪く見せる、声をひ弱な力の無いようにさせるなどしている可能性があるようです。チャンネル桜の映像の何の操作もせずに放送されたものと、NHKの顔色のどす黒い映像とは大きなちがいがあります。実際に生で見た人が安倍総裁の顔色は全く普通人の顔だったと言っているのですから、悪意を持った編集がなされていると思えます。

さらに博士の独り言 IIでは、週刊文春のひどさを記事に書いておられました。まずはそれから転載です。

 

2012/12/27(木) 06:15:00 

 


葬儀に模した「顔面相似形2003」

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安倍晋三/鶴田浩二
 「天国のカツカレーはどうですか? 健啖家で知られた総裁のご冥福をお祈りいたします。え?人違い?」 週刊文春 平成25年1月3日・10日号グラビア面(切り抜き)より資料として参照のため引用
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老舗らしからぬ「悪趣味」

 時折、資料として参照させていただいている文春誌面だが、表題のグラビアについては許容し難い。公称発行部数が68万部をゆうに超え、しかも老舗の誌面でのことだ。最早マンネリ化の感が否めない同誌の「顔面相似形」シリーズだが。

 鶴田浩二氏に葬儀の写真を安倍総裁と合成し、新総理としてこれからの安倍総裁を永眠した死者に模し、「天国のカツカレーはどうですか? 健啖家で知られた総裁のご冥福をお祈りいたします。え?人違い?」とは、悪趣味の限りだ。むしろ悪意で構成したものともとれる。

 示しても差し支えないジョークは多々有るのかもしれないが、ジョークには決してならない事柄の一つが生ける者に対する「葬儀」の投影である。言葉悪く恐縮だが、上記の場合も安倍総裁に「死ね」と云い、「まだ、生きていたんですか?」と中傷しているに等しい。
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デリカシーの喪失

  各誌の誌面はもとより、新聞紙面やテレビ、ラジオなど。当ブログが指摘する「朝鮮化」が進み、敷島人が元来大切にして来た「デリカシー」を喪失しつつある かに窺えてならない。残念ながら文春にもその傾向が有り有りだ。たとえば、グラビア面は見ずに捨てているのでつい見逃していた一枚だが、「ついにスランプ を脱した真央ちゃん、魔法の言葉は「キレてないですよ」と、浅田真央選手とプロレスラーを「相似系」で並べるのもいかがかと思う。

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浅田真央/長州小力(2007年)
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 他、同特集で指摘すべき「一枚」は多々あるが、後稿の機会に重々指摘させていただきたい。
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「文春」誌面の前科

  今から3年9ヶ月前の小稿で、文春のグラビアページの欺瞞を指摘した事が有った。当時、グラビア「ネタ」とされた中川昭一氏は、当時、バッシングの最中に おられたのである。下記は、そのグラビアの冒頭に「北の大地の×(バッテン)大臣」と記すページである。当ブログからは、「まさか、朝日新聞記者の事例の ように、ためにする自作自演でないことを願う」と指摘させていただいた。

20121227002 20121227003
週刊文春グラビア記事(切り抜き)平成21年3月12日号より
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 その後、国思う調査隊員が中川氏の地元の有権者の方々に聞き込みをしばしば行ったが、文春のグラビアのように極端な「×」印がつけられたポスターは「見たことがない」とのコメントが全てであった。

  拡大してみると、あくまで目視でのことだが、「×」印は絵の具とも推定できる。且つ、反射光の度合いから推定すれば、絵の具は未だ乾いていない。つまり、 光の反射具合からして、チューブから出したての絵の具はこのようにキラキラと光を反射する。いわば、グラビア用の写真を撮る際に、撮影者ならいスタッフな りが絵の具のチューブを取り出してポスターに「×」印を描き、それを撮ったものと推定し得るし、その可能性も否定できまい。そう観た方が、状況的にも物理 的にも「判りやすい」のである。

  元写真はおよそ「カラー」版と思われるが、カラーにすれば、絵の具の状態ももっと判りやすいはずで、元写真が入手できれば精密機器による分析も可能だ。誌 面読者は阿呆ではないことを誌面に指摘しておきたい。「安倍潰し」をその目的とし、今後も数多と登場するであろうメディアの「植え付け」「印象操作」に対 しては、「科学特捜班」を研究者数人で組んでも良い。その覚悟で対峙してまいりたい。

 

次は近野滋之・民族主義者の警鐘からの転載です。

 
 
 
 
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良識ある日本国民の皆様には、韓国外交通商省の報道官が島根県主催「竹島の日」を認められないと発言したことはご存知だと考えます。
 
<竹島の日>韓国の報道官「自治体主催でも認められない」
 
【ソウル澤田克己】韓国外交通商省の趙泰永(チョ・テヨン)報道官は24日の定例会見で、島根 県・竹島(韓国名・独島)を「韓国固有の領土」とする立場を改めて確認し、「(日本で計画されている)いわゆる『竹島の日』(2月22日)の行事自体を認 められない。地方自治体であれ、政府であれ、記念行事をすることは受け入れがたい」と述べた。

 一方、自民党の安倍晋三総裁が来年の「竹島の日」に政府主催の式典を行わない考えを示したことについては「報道通りであるなら幸いなことだ」と語った。
毎日新聞 12月24日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121224-00000013-mai-kr
 
>島根県・竹島(韓国名・独島)を「韓国固有の領土」とする立場を改めて確認し、「(日本で計画されている)いわゆる『竹島の日』(2月22日)の行事自体を認められない。地方自治体であれ、政府であれ、記念行事をすることは受け入れがたい」と述べた
 
内政干渉だ!
 
島根県の「竹島」は日本固有の領土です。
 
2005年に島根県が2月22日を「竹島の日」に制定し、2006年より島根県主催で「竹島の日」に式典を開催していることは日本の国内問題です。
 
 
 
韓国政府は、野田政権から安倍政権に交代する隙間を狙って竹島領有権主張を強めています。
 
韓国国防省は12月21日、2012年版の国防白書を公表しました。
 
国防白書には、竹島について、「地理的・歴史的・国際法的に明白な大韓民国の領土」と記述しています。
 
2010年版の国防白書には、竹島を他の主要な島々と並べる形で「わが国の領土」とだけ記述していました。
 
つまり、韓国政府は2012年版の国防白書で、竹島領有権の記述を強化したのです。
 
それなのに、日本政府は韓国政府に対して抗議をしていません。
 
野田首相動静(12月24日)
 
 午前10時現在、公邸。朝の来客なし。

 午前中は来客なく、公邸で過ごす。
 午後も来客なく、公邸で過ごす。
 25日午前0時現在、公邸。来客なし。
 
>自民党の安倍晋三総裁が来年の「竹島の日」に政府主催の式典を行わない考えを示したことについては「報道通りであるなら幸いなことだ」と語った
 
相変わらず上から目線の物言いだな!
 
マスコミは、「自民党の安倍総裁は、来年の『竹島の日』の政府主催式典の開催を見送る方針を固めた」などと報道をしています。
 
そして安倍総裁が、自民党衆院選の政権公約「尖閣諸島に公務員常駐」や、「来年の春季例大祭での靖国神社参拝」を見送る意向だと報道しています。
 
尖閣・竹島も慎重…安倍氏、靖国参拝見送り意向

 安倍政権は、政策の遂行も安全運転に徹する構えだ。

 自民党は衆院選の政権公約を詳細に説明した「J―ファイル」で、沖縄県の尖閣諸島に「公務員を常駐」などと明記している。

 しかし、安倍氏は22日、山口県長門市で記者団に、「『検討する』と何回も申し上げてきた。『検討する』ことに変わりはない」と述べた。党の考えは一貫 していると強調しつつ、公務員の常駐など尖閣諸島の実効支配強化策は当面「検討」にとどめ、関係が冷え込んでいる中国を刺激しない考えをにじませたもの だ。

 安倍氏はJ―ファイルで「政府主催で2月22日の『竹島の日』に式典を開催」としたことについても、「慎重に考えたい」とトーンダウンさせている。日韓両国の首脳交代が、竹島問題で悪化した関係を修復する好機になるとみているためだ。

 靖国神社への参拝に関しても、安倍氏は総裁就任直後の10月、秋季例大祭に合わせて参拝したが、来年の春季例大祭での参拝は見送る意向だ。
読売新聞 12月23日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121223-00000513-yom-pol
 
>公務員の常駐など尖閣諸島の実効支配強化策は当面「検討」にとどめ、関係が冷え込んでいる中国を刺激しない考えをにじませたものだ
 
尖閣諸島の実効支配強化とは、すぐに出来ることではありません。
 
政府・与党が、尖閣諸島に港湾施設などインフラ整備の予算を組み、国会で承認されるまでには相当の時間が必要です。
 
安倍政権の4年間に、尖閣諸島のインフラ整備をして、初めて尖閣諸島に公務員を常駐できるのです。
 
>「政府主催で2月22日の『竹島の日』に式典を開催」としたことについても、「慎重に考えたい」とトーンダウンさせている。日韓両国の首脳交代が、竹島問題で悪化した関係を修復する好機になるとみているためだ
 
まだ安倍総裁は、来年の「竹島の日」の政府主催の式典を見送ることを「決定」したと公表していません。
 
自民党公式Facebookでも、「今の時点で新政権としてどのようにするということは決めているものではありません。」としています。
 
 
 
私は自民党支持者ではありません。
 
しかし、来年の参院選で改選が多い民主党の売国議員を落選させ、民主党の息の根を止めるためには、参院選で自民党や保守政党が圧勝する必要があるのです。
 
その為には、安倍政権が来年の「竹島の日」に政府主催式典を開催するべきなのです。
 
仮に、安部総理が来年の「竹島の日」政府主催式典を先送りにしても、韓国の朴槿恵大統領の就任式直後に、「竹島の日」政府主催式典を開催するべきです。
 
安倍総理が来年、「竹島の日」政府主催式典を開催すれば、保守政権になってよかったと、安倍総理は有言実行だと、日本国民は実感するでしょう。
 
>靖国神社への参拝に関しても、安倍氏は総裁就任直後の10月、秋季例大祭に合わせて参拝したが、来年の春季例大祭での参拝は見送る意向だ
 
安倍総裁は10月17日、秋季例大祭に合わせて靖国神社を参拝しました。
 
 
参拝を終えて靖国神社を出る安倍総裁
 
しかし安倍総裁は、「来年の春季例大祭でも靖国神社を参拝する」とは述べていません。
 
安倍総裁は総理として、大東亜戦争終戦の日、8月15日に靖国神社を参拝するべきです。
 
中共という国は、日本が一歩譲れば、二歩も三歩も踏み込んでくる国なのです。
 
これまでにも首相が靖国神社を参拝しなくても、中共は尖閣諸島や歴史問題などで日本を非難し続けています。
 
安倍総理は8月15日に靖国神社を参拝して、中共から「靖国神社」という対日カードを奪うべきです。
 
 
中韓に媚び続けるマスコミは、安倍政権は衆院選公約を守れない詐欺政権だと世論誘導をして、参院選で自民党を惨敗させるつもりなのでしょう。
 
安倍総裁と安倍自民党批判を続けているマスコミは、安倍総裁の印象操作も行っています。
 
ブログ「メイド・イン・ジャパン!」一部転載
 
12月23日
テレビ朝日
報道ステーションサンデー
 
245 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2012/12/23()
さっきテレビで安倍さんのフンドシ姿の酷いイラストを出してました。テレ朝の報ステSUNDAYです。
 
 
 
288 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2012/12/23()
>>245
そうそう、酷いイラストでした。

ドジョウ売りに扮した安倍さんが、両肩の点棒で二つの桶を担いでいたんだけど
着物の前をはだけたフンドシが、まるでオムツのようでした。
悪意を感じましたよ。()
 
 

 
 
■    動画
 
【印象操作?】NHK、異常に顔色の悪かった安倍総裁[H24/12/20]
 
 
動画要約
 
総選挙後の17日に行われた安倍晋三自民党総裁の記者会見。

これが放映されたNHKを見ていた人の中には、安倍総裁の顔色が異常に悪かったことに気づかれた人もいただろう。


日刊ゲンダイなども、その流れでさっそく安倍総裁の健康不安説を煽り立てるような紙面を構成したが、我々のカメラで撮影した安倍総裁の顔色は別段異常には見えなかった。


果たしてこれはNHKお得意の印象操作なのだろうか?


一つの可能性として、カメラ調整や編集レベルでの操作の可能性を指摘しておきます。


左=チャンネル桜画像(未編集)、右=NHK画像
 
 
編集画面
 
 
左=チャンネル桜画像(編集済)、右=NHK画像
 
 
左=チャンネル桜画像(未編集)、右=チャンネル桜画像(編集済)
 
 
 
明日発足する安倍新内閣に、麻生元総理の入閣が確実視されています。
 
2010年11月8日放送の「ビートたけしのTVタックル」に、麻生元総理と安倍元総理が出演しましたが、今度こそ有言実行するべきです。
 
ブログ「銀色の侍魂」一部転載
 
 
 
 
 
 
宮崎氏
「これはもう自公政権の時から、あの同じなんだけど、外交問題でね、波風を立てるといけないというこう・・・
例えば経済界やメディアのこう・・暗黙の前提があるんですよ。
で、やみくもに・・あの・・波風を立てるのはよくないんだけど。
戦略的に波風を立てるということもあり得るわけで。
あの・・そういう意味では波風を立てる事をすごく嫌うっていうのは、これは・・これでは外交になりませんよね。」
 

 
麻生元総理
「隣の国が嫌がることはしないなんて
それは・・そんな世の中みんな上手くいきません・・」
 
 
 
麻生元総理
「正直申し上げて、麻生とか安倍とかいうような性格の人達が日本の総理を期待される時代てのは、あんまり日本という国が平時じゃなくて有事ですな。
非常事態だと思いますよ。
そういうのに向いた性格なんじゃないかしらねえ、両方とも。
思想的な考え、対中関係で、物事はなるべく波風立てないようにしようなんていう性格じゃありませんから両方とも。
きっちり・・やるべき時はきっちりやるべきです。」
 
石原前都知事が日本維新の会に合流したことにより、多くの保守層は衆院選で自民党に投票したのです。
 
そして、民主党政権を倒したのであり、今しばらくは安倍政権が公約を実現できるかを見るべきです。
 
 
中韓に媚びるマスコミは政権公約を守れないと安倍政権潰しをするのですから、マスコミに屈しないためにも安倍政権は中韓に対して強硬外交をするべきです。
 
良識ある日本国民の皆様、安倍政権についてご考慮下さい。
 
安倍総裁は中韓・マスコミに屈せず頑張れ!
 
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「何故憲法を変えなければならないか」2

2012年12月26日 22時46分09秒 | 日本人と憲法

サイタニのブログから、「何故憲法を変えなければならないか」の続きです。

日本において、天皇を戴くという歴史が2600年にわたって続いてきたのはなぜか。日本の天皇が西洋の専制君主といかに違うか、西洋は征服者であり支配者である君主ですが、日本の天皇は、神道における祭祀王という立場の君主です。これは民族の神話という古代から続く宇宙観、世界観、人生観という共通のものの考え方の中で、自然発生的に生れた君主であり、それゆえに、天皇の一番の役割は祭祀です。天皇は、神々やご先祖をお祀りになり、また国安かれ民安かれと祈られる君主なのです。祀りと祈りが天皇のご本質なのです。

日本は世界唯一の、そして最後の古代国家であり、それゆえに、外国人で日本の伊勢神宮などにお参りしたり、天皇陛下にお目にかかったりすると、ヨーロッパがまだキリスト教になる前の古代の感覚が蘇るような懐かしい気持ちになる人がいるようです。彼らは、日本の中に、人類共通の根っこが残っているのを発見するようです。

 

 

 

 
 
い ままで天皇政治については、民主主義者や共産主義者側からいろいろ批判されて来たけれども、日本の天皇は、どんな徒党にも、どんな政党にも、どんな派閥に も、どんな階級にも属していられないで、国民ぜんたいの幸福を念願していろいろの政策に対して御裁可を与えられるのであるから、天皇政治ほど派閥に偏らず、公平無私な政治が行われる政治はないのである大東亜戦争の発端に於いても多数決で「アメリカを叩くほかに支那事変を早期解決にもって行くことができないので、アメリカに宣戦する」と議決せられたときにも、昭和天皇のみがその戦争に反対して、わざわざ明治天皇の御歌を筆写したものをポケットに携行しておられて、それをひらいて、
 
四方(よも)の海みな同胞(はらから)とおもふ世になど波風のたち騒ぐらん
 
 
と朗々と読み上げられて、戦争反対の意志を表明されたけれども、すでにその頃、民主主義の多数決制度が日本に行われていて、天皇政治ではなく、天皇機関説が実際に行われ、天皇は多数決せられた条件に、ただ御璽(ぎょじ)を押す一つの制度上の機関になつていたのである。大 東亜戦争を「軍閥が天皇を利用して」始めたというふうに解釈する左翼の人もあるけれども、本当は軍閥が民主主義の多数決制度を利用して軍の圧力で、軍の考 え多数決させるように強圧して始められたものなのである。そして戦争を開始してからは、戦時非常事態というわけで、今度こそ本当に天皇を利用して、国民の 総力を出させるために議会 の審議も翼賛(よくさん)政治で、「皇運を扶翼(ふよく)し」の一本もつていつたのであつた。戦争が始った以上、戦いに勝つためには国民の精神を最高尊貴 (そんき)の目標に集中せしめて全精カを結集する必要があるので、最も尊貴なものを目標に掲げたのであつて、このことは「天皇があるので戦争が始った」と いうこととは異るのである。
 
 
大東亜戦争開始の当時は天皇は機関であって自由意志が行われなかった。天皇は「四方の海同胞」の普遍愛の精神に立っていられて、明治天皇の御歌をお読みになつたが、天皇の平和意志は無視せられたのである。 天皇はどんな派閥にも、党派にも、階級にも属されない。だから昭和二十年八月九日、皇居の地下壕で「ポツダム宣言」受諾か否かの御前会議が行われた時に も、「無駄な戦争をつづけることは日本国民のためのみならず、世界人類にとつても不幸なことである。…自分の体はどうなってもよいから戦争をやめる」と仰 せられるのは「無私」であり「無我」であり、どんな利己心をも超えていられるのであり、「国民のためのみならず世界入類の不幸である」と仰せられたのは、その御慈愛が単に日本国民のみならず普遍的に全人類に及んだ愛で、偏った執着の愛でないことを示しているのである。このように公平無私不偏不党、普遍的な精神で行われる政治が天皇政治であるのである。民主主義の政党政治で、党利党略、自党の利益のためにはどんな権謀術数でも憚らずに用いる政治の如きは、天皇政治の足もとにも及ばないものであるのだ。

 

.国が栄えるためには、その国の国民が、共通の目的のために、国民の努力を集中できるような国家理想をもたなければならないのである。昔の日本国は「天皇」が国家理想の表現体であつた天 皇の大御心(おおみこころ)の中に「神意」を日本民族は見たのであつた。天皇は神聖で神聖であり、武家政治の時代に於いてすらも、その政権は天皇から授か る神聖なるものと感じとつていたので、征夷大将軍になるのも、関白太政大臣(かんぱくだじょうだいじん)になるのも天皇によって任ぜられたのである。その 頃は、内部に政権争いや戦争があっても、究極のところでは国民が一つの国家理想によって統一せられていたのである。
 
 
しかし現在の日本国民は、国民ぜんたいが心を一つにして努力を集中するよう国家理想を見失ったのである。占領軍の強圧によって書かしめられた天皇の“人間宣言の詔勅“と占領憲法とによって、天皇は”神“でなくなり、天皇を国家理想の表現体と見る人は暁天(ぎょうてん)の星のように少くなったのであるそして日本国の国家目的が民主主義杜会の建設であったり、共産主義杜会の建設であったりして、支離滅裂の各人てんでんバラバラな目的をもって国民の精神が分裂してしまっているのである。
国民全体共通の国家理想実現のために協同して努力できない日本国の現状ほど、われわれ愛国者にとって悲しむべきことはないのである。私は「目本国民よ、もう一度、神武天皇建国の日本精神に立ち帰れ」と叫びたいのである。
 
 
日 本の天皇政治を民主政治と対立し互いに相反するものだと考えるのは間違いであるのである。天皇政治の中に於てのみ、本当の「派閥のない民主政治」が育ち得 て、私利私欲の追求で互いに憎しみ合うような民主主義が姿を消す可能性があるのである。天皇のみが私利のない私欲のない、世界万民の幸福を希(こいねが) い給う偏りのない「神聖権威」であるからである。この偏りのない「神聖権威」を上に奉戴して民主主義の政治が行われるときに、私利私欲による派閥闘争の汚れたる精神が浄められることになり、本当にルール。を守った民主政治が行われることになるのである神聖権威を上に奉戴しないで、利己主義精神の顕現である個人が、利益追求の組合組織を国家と考えて、そこで、利益の相似た者同志が徒党を結んで政党を結成して、国会及び院外に於いて闘争するようなのは、「下の下」の民主主義政治なのである。現今の日本の民主政治は、この「下の下」の民主政治に過ぎないのである。
 

 
日本天皇の天皇政治がもし完全に行われるならば、国民を“大御宝(おおみたから)”としての政治が行われるのである。すなわち神武天皇建国御即位の詔(みことのり)には、次の如く君民一致の国是(こくぜ)が示されているのである。
 
「… 夫(そ)れ大人(ひじり)の制(のり)を立て、義(ことわり)必ず時に随う。苟(いやしく)も民に利有(くぼさあ)らば、何(いか)にぞ聖造(ひじりのわ ざ)に妨(たが)わん。且(ま)た当(まさ)に山林(やまばやし)を披(ひら)き払い宮室(おおみや)を経営(おさめつく)りて、恭(つつし)みて宝位 (たかみくら)に臨み、以て元元(おおみたから)を鎮むべし。上(かみ)は即(すなわ)ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまう徳(うつくしび)に答え、下 は皇孫(すめみま)、正しきを養いたまう心(みこころ)を弘めん。然(しか)して後に六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)を掩(お お)いて宇(いえ)と為(せ)んこと、亦可(またよ)からずや。」
 
 
国民のことを漢字にては"元元。の字をもって当てられていることに注意しなければならない。元はハジメであり、本であり、国家成立の本元をなすものは国民であるとの神武天皇建都即位の御理想は、天皇政治そのままに民主政治であることが表現されているのである。
 
 
上の詔勅を更によくよく拝読すれぱ、天皇はその国を私有のものと観(み)られないで、「上は即ち天津神の国に授けたまう徳に答え」(漢字を解読しやすい字におきかえた)と仰せられた。すなわち天の大神より国を授けられ、それを治めるように預けられたものであるという敬虔なお気持があらわれているのであって、武力で先住民族を征服して国土を奪取したというような考えが微塵もないことに注目しなければならないのである。
 
 
そして、「それ大人(ひじり)の制(のり)を立つ」と仰せられたのを解釈すると、漢字の「大」は〃天徳"をあらわすのである、すなわち「大人」とは"天徳を受けた人〃という意味であって、現代語でいえば「神の子」ということである。神武天皇はみずから「神の子」の自覚をもって、神からこの国を治めるようにと委託せられてこの国を神からお預り申しているというような、尊貴の白覚と同時に謙遜の徳をも,って、この国を統治せられた。これが天皇政治の特色であるのである。
 
 
「大人」と書いて、日本読みで〃ひじり"と読むのは、“ひ“は〃光"であり、〃じり"は著(いちじる)しいという意味で、〃神の子"すなわち〃光の子"であり〃光著し"との御自覚のあらわれであり、世を照らす真の光として自分は此の世に生まれたのであるという尊き自覚である。しかも、この〃聖"の 自覚は、自分がひとり尊くして専制君主として立つのではなく、「制を立て」法制を定めるのに、窮屈に杓子定規の制度を設けず、必ず「時に随う」すなわち時 代に応じて最も民意を反映した政治を行うと仰せられているのであっで、「苛しくも民に利有らば、何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)わん」というのは、民利に かなう政治を行うことは聖徳をもってする天皇政治の妨げには決してならぬ。民利を行うことこそ天皇政治である、と仰せられているのである。君民の利益が一致しているのが、天皇政治下の民主主義なのである。
 
そ こで思い出されるのは、仁徳天皇が当時の日本国民が貧しくなっているのをみそなわせられて、三年間租税を免除し、皇居が朽ちて所々がぼろぼろになって雨漏 りしても、それを補修し給うことさえ遠慮せられて、三年目に高殿に登り給うて眼下に街(まち)を見渡されると、国民の経済状態は復興して、炊煙濠々(すい えんもうもう)とたち騰(のぼ)って殷富(いんふう)の有様を示しているので、皇后さまを顧みて、「朕は富めり」と仰せられた。そして、
 
高き屋にのぼりて見れば煙たつ  民の窯(かまど)賑ひにけり
 
というお歌をお詠みになったというのである。天皇は、自已が貧しくとも、国民が裕かであれば、「朕は富めり」であらせられるこ れが天皇政治の中に生きている民主主義なのである。これを民主政治下の代議士が、汚職をもって自分を富ませながら、そして自己の貰う歳費の値上げを全員一 致で議決しながら、国民のたべる米の価格や、国民の足である交通料金その他の公共料金の値上げに賛成するのと比較してみるならば、いわゆる現代の民主政治 は一種の特権階級政治であり、天皇政治こそかえって民主政治であることがわかるのである。

谷口雅春著 「私の日本憲法論」




歴史のつめあと

2012年12月24日 19時18分17秒 | 歴史

 

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。

昨日は天皇誕生日であり、今上陛下は79歳となられました。国民の中には単なる休日あるいは連休として喜んでいる人もいるでしょうが、この日は今上陛下にとって、国民の祝賀を受けるめでたい日であると同時に、占領軍による巣鴨プリズンのA級戦犯処刑の日でもあり、心を痛められる日となっています。占領軍は、日本国民に如何にして罪の意識を植え付けるかということ、そして、自分たちの圧倒的な権力と武力で二度と日本人が逆らえないことを思い知らせるという方針に徹しました。

そのために極東軍事裁判という勝者が敗者をさばくという茶番のような裁判を行い、A級戦犯の7人を処刑しました。その死刑宣告は昭和天皇の誕生日に行い、執行は当時皇太子だった今上陛下の誕生日に行いました。これによって、日本人に永久に思い知らせるという意図が露骨にあったのです。

死刑執行の日、当時の昭和天皇は朝侍従がお顔を拝見した時に、目を真っ赤に泣きはらしておられたと聞きます。当時はまだ少年であられた今上陛下が自分の誕生日に起こったことで、心にどのような苦痛を抱かれ、傷を受けられたか、想像するのは畏れ多いですが、きっと生涯にわたって、お誕生日のたびにその事件は御心に蘇って来られるのではと思います。

 

 

 

 

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                    右側が破壊された「七士之碑」
 
 
12月23日は天皇誕生日であり、かつては天長節と呼ばれておりました。
それとともに日本国民としては忘れてはいけないことがあります。
東京裁判で「A級戦犯」と呼ばれて7名が処刑された日でもあるのです。
これは明らかに意図的にやられたのです。
この東京裁判が起訴された日は4月29日です。この日は昭和天皇の誕生日です。
 
皆さんはこの7名の名前を言えるでしょうか?
今や殉国の士の名前すらも忘れ去られようとしています。
 
処刑された7名の執行責任者は日本駐留軍司令官ヘンリー・ウォーカー中将で、処刑した後、7名の遺体をトラック2台に積んで久保山火葬場で火葬し、その後、遺骨を捨てたのです。1950年、朝鮮戦争が起こるとヘンリー・ウォーカー中将は韓国に赴き、12月、ウォーカー中将が戦場視察のため車で走っている時に事故死しました。
その日は戦犯7名の祥月命日である12月23日午前零時過ぎ、奇しくも死刑執行の同じ日の同じ時刻であったのです。
 
それを聞いたマッカーサーはじめ米軍首脳は恐れ、ウオーカーの副官は怨霊を供養するために翌年5月に興亜観音を訪れ、住職から「興亜観音に恩讐のへだてはない。恩親平等だ。それが松井閣下の心でもある」と言われ、ウオーカーと7人の霊を供養する墓標を霊仏観音の傍らに建てて法要を営んだのです。
 
昭和46年12月、過激派の東アジア反日武装戦線が七士之碑を爆破して破壊される事件がありましたが、今は修復されています。
 
我々 はこの事実とともに、東京裁判とはどういうものであったかを知っておくべきであります。東京裁判の判決後、日本の弁護人側は連合国最高司令官に再審を申立 しましたが却下されました。直ちにアメリカ連邦最高裁判所に訴願しましたが、これも却下されました。この時、却下理由として最高裁のダグラス判事がこのよ うに述べました。
「インドのパール判事が言うように東京裁判は司法裁判ではなく、政治権力の道具に過ぎないから最高裁の審議対象に馴染まない」。
 
7名はじめ「戦犯」という名のもとに多くの無実の日本人たちが処刑されましたが、それは「司法裁判」ではなく「政治権力の道具」のために亡くなったのです。
 
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日本が侵略したという嘘よりも何をされてきたかしっかり教えるべきである、
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