さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。
前の記事でも今上陛下が東日本大震災の被害者に深く心を寄せられていることが述べられていましたが、歴史上多くの天皇陛下には、心から国民のことを思いやられる逸話が多く残っています。これは祭祀を通じて常に祈られる伝統から生れた無私の精神の伝統であり、それはまた天皇こそ日本という国の体現者そのものだということではないかと思います。
西洋の専制君主の中には、「朕が国家である」といった君主もいましたが、その場合の意味は、国家はその君主の所有物であり、自分が国家の意志そのもの、自分の意志が国の法律であり、自分がすべての支配者であるという意味であり、これは支那の歴史上の君主にも相当する態度です。
しかし日本の天皇は、国は天照大御神からお預かりしたものであり、国民はやはり神よりお預かりした元々(おおみたから=大御宝)であるとして、国安かれ民安かれと祈り続けてこられました。そして災害も災厄も全て自分の不徳のいたすところであると、一切を自分の責任とされてこられました。それは、まさに日本という国家と、天皇自身が自己同一化した気持ちであり、それゆえに、国民の幸せがほんとにうれしく思われ、国民の悲しみがほんとに悲しく思われて、国の受けた有形無形の傷がすべて天皇の痛みとなっておられるのだと思います。
この記事にもある昭和天皇の最後の戦没者追悼式へのご出席のご様子が、下の動画の5分過ぎくらいからありますが、ご病気を押してそれでも出席されるご高齢の昭和天皇のお姿には、涙なくしては見れないほど、まさに国民の父、あるいは祖父と感じずにはおれません。
昭和天皇と平和への願い

先の天皇誕生日の日に、天皇陛下は震災の一周年追悼式典にぜひ出席するために、手術の日取りを決められて、式典に出席されたという話をなさっておられましたが、被災者と共にあろうとずっと心を寄せてすごされているのです。
去年の冬にたまたま週刊誌を読むと、天皇陛下は、被災地の方々の電気や燃料の不足を思われ、また節電の呼びかけも為されていた頃ですので、皇居では無駄な明かりを消し、しかも暖房すらも、消されて沢山着こめば大丈夫と言われて天皇皇后様が過ごされているという話が書いてありました。老齢のご夫妻が、しかも天皇陛下はお体の不調にもかかわらず、自分の身の危険も覚悟で、被災者と心を共にしようとされ、またそれを全国の国民に身を持って示されようとなさっているのではという話でありました。
仁徳天皇も皇居が雨漏りしても、民のかまどから立ち上る炊飯の煙を見たいと、租税を免除された話や、醍醐天皇が真冬に羽織っておられたお召し物を脱いですごされ、貧しい民の生活を偲ばれたという話、さらに明治天皇が、ロシア戦争の間、真夏にも軍服をきちんと来て、暑さに耐え、真冬には、やはり軍服のみ着て暖房なしで寒さに耐えて、兵士の上を思われて祈るようにすごされた話などを思い出します。
わが国の天皇の国民へのお気持ちは、まさに親が子を思うような切ない思いやりの深さがあふれています。常に国民とともにあるという気持ち、それがわが国の天皇の本質を表しています。無私の愛こそ、天皇そのものです。
この天皇誕生日に、NHKはほとんど天皇陛下に関するニュースを流さなかったそうです。天皇陛下の会見も行われたというのに、その会見の全部を流さずに、一部をカットしてダイジェスト的に一度くらい昼間に流したらしいですが、主要な7時以後のニュースでは全く無視でした。これが日本放送協会という名前のついたメデイアというのだから、どこが日本なのかと思います。
松浦光修先生のコラムからの転載です。この国の国民が危機をどう乗り越えてきたか、そして今どのようにして乗り越えてゆくかを、天皇陛下のお姿の中に見るべきではないでしょうか。国民が力を発揮する中心核となるべきお方が、日本の歴史では常に天皇であったのは事実です。
東日本大震災から一年が経つ。あの日、一瞬にして多くの尊い命が失われ、一夜にしてあまたの大切なものが消えた 。
私の身近なところでは、現 在、二十歳の教え子が、高校時代の親友を失っている。旧交を温めた直後の出来事であったらしく。ふだんは寡黙な彼が、私の研究室で、亡き友の思い出を語り つつ涙したことが、つい昨日のように思い出される。しかも、大震災と同時に複数基の原発事故まで発生した。建国以来、一度も経験したことのない大惨事を前 にして、あの時、国民の多くは、暗夜の嵐のなかで、木陰に震ええる小鳥の心地であったと思う。
しかし天皇陛下は、早くも大震災発生の五日後に、国民に向けて「ビデオ・メッセージ」をくだされた。“私はいかなる艱難の時も、常に国民とともにある”との大御心を拝し、多くの国民は暁闇の地平から、一筋の曙光りが射し染めたかのような思いであったろう。
その後、両陛下は、あのご高齢で、しかも病をかかえたお体で、苦しみと悲しみをかかえた国民に寄り添うため、難路をたどり、くりかえし被災地に赴かれ、そしていつも、遠くの海岸までつづく瓦礫を前に、深々と一礼された。
まさに尊い「祈り」のお姿ではなかったか。
いかなる権力者の声高励ましよりも、いかなる著名人の巧緻な慰めよりも、亡き方々の御霊に、あるいは天地や海の神々に、目して「祈り」を捧げられている両 陛下の、あの御後姿こそが、国民にとっては最大の励ましであり、また慰めではなかったかと思う。むろん震災の傷は今も深く、その痛みが消える日は、そう容 易には来ないであろう。
しかし、あらゆる「災い」が世界に拡散しても、パンドラの箱の底に「希望」が残っていたように、国民は巨大な悲劇の中で、日本人として生まれ、大御心につつまれている歓びを、あらためて体感したのである。
「御民(みたみ)われ、生ける験(しるし)あり」との感慨は、何も遠い昔の万葉人のものだけではなかったことを、私たちは知った。
憂いにたえないことであるが、陛下は、本稿を執筆している二月下旬の時点で、いまだ御入院中である(*)。そのさなか、皇居の清掃奉仕におもむいた神職関係のある団体が、皇后陛下から御会釈を賜ったと、ネットのテレビが伝えていた。
天皇陛下を案じ、皇后陛下の御心のうちは、いかばかりであったかと胸が痛むが、しかし、その時、皇后陛下から発せられたお言葉は、こういうものであったという。「この国をお守りするために、お祈りをしてくださいね」。
(*)天皇陛下は三月四日、ご退院になりました。
マスコミの安倍叩きは、いかにも予想通りですが、印象操作はどんどん陰湿になっているようですね。NHKなどは、画質の色合いや音声の高音部をカットするなどいろいろな操作で、顔色を悪く見せる、声をひ弱な力の無いようにさせるなどしている可能性があるようです。チャンネル桜の映像の何の操作もせずに放送されたものと、NHKの顔色のどす黒い映像とは大きなちがいがあります。実際に生で見た人が安倍総裁の顔色は全く普通人の顔だったと言っているのですから、悪意を持った編集がなされていると思えます。
さらに博士の独り言 IIでは、週刊文春のひどさを記事に書いておられました。まずはそれから転載です。
変だぞ、週刊文春!
2012/12/27(木) 06:15:00
葬儀に模した「顔面相似形2003」
安倍晋三/鶴田浩二
「天国のカツカレーはどうですか? 健啖家で知られた総裁のご冥福をお祈りいたします。え?人違い?」 /週刊文春 平成25年1月3日・10日号グラビア面(切り抜き)より資料として参照のため引用
----------
老舗らしからぬ「悪趣味」
時折、資料として参照させていただいている文春誌面だが、表題のグラビアについては許容し難い。公称発行部数が68万部をゆうに超え、しかも老舗の誌面でのことだ。最早マンネリ化の感が否めない同誌の「顔面相似形」シリーズだが。
鶴田浩二氏に葬儀の写真を安倍総裁と合成し、新総理としてこれからの安倍総裁を永眠した死者に模し、「天国のカツカレーはどうですか? 健啖家で知られた総裁のご冥福をお祈りいたします。え?人違い?」とは、悪趣味の限りだ。むしろ悪意で構成したものともとれる。
示しても差し支えないジョークは多々有るのかもしれないが、ジョークには決してならない事柄の一つが生ける者に対する「葬儀」の投影である。言葉悪く恐縮だが、上記の場合も安倍総裁に「死ね」と云い、「まだ、生きていたんですか?」と中傷しているに等しい。
----------
デリカシーの喪失
各誌の誌面はもとより、新聞紙面やテレビ、ラジオなど。当ブログが指摘する「朝鮮化」が進み、敷島人が元来大切にして来た「デリカシー」を喪失しつつある かに窺えてならない。残念ながら文春にもその傾向が有り有りだ。たとえば、グラビア面は見ずに捨てているのでつい見逃していた一枚だが、「ついにスランプ を脱した真央ちゃん、魔法の言葉は「キレてないですよ」と、浅田真央選手とプロレスラーを「相似系」で並べるのもいかがかと思う。
浅田真央/長州小力(2007年)
-------
他、同特集で指摘すべき「一枚」は多々あるが、後稿の機会に重々指摘させていただきたい。
----------
「文春」誌面の前科
今から3年9ヶ月前の小稿で、文春のグラビアページの欺瞞を指摘した事が有った。当時、グラビア「ネタ」とされた中川昭一氏は、当時、バッシングの最中に おられたのである。下記は、そのグラビアの冒頭に「北の大地の×(バッテン)大臣」と記すページである。当ブログからは、「まさか、朝日新聞記者の事例の ように、ためにする自作自演でないことを願う」と指摘させていただいた。
週刊文春グラビア記事(切り抜き)平成21年3月12日号より
-------
その後、国思う調査隊員が中川氏の地元の有権者の方々に聞き込みをしばしば行ったが、文春のグラビアのように極端な「×」印がつけられたポスターは「見たことがない」とのコメントが全てであった。
拡大してみると、あくまで目視でのことだが、「×」印は絵の具とも推定できる。且つ、反射光の度合いから推定すれば、絵の具は未だ乾いていない。つまり、 光の反射具合からして、チューブから出したての絵の具はこのようにキラキラと光を反射する。いわば、グラビア用の写真を撮る際に、撮影者ならいスタッフな りが絵の具のチューブを取り出してポスターに「×」印を描き、それを撮ったものと推定し得るし、その可能性も否定できまい。そう観た方が、状況的にも物理 的にも「判りやすい」のである。
元写真はおよそ「カラー」版と思われるが、カラーにすれば、絵の具の状態ももっと判りやすいはずで、元写真が入手できれば精密機器による分析も可能だ。誌 面読者は阿呆ではないことを誌面に指摘しておきたい。「安倍潰し」をその目的とし、今後も数多と登場するであろうメディアの「植え付け」「印象操作」に対 しては、「科学特捜班」を研究者数人で組んでも良い。その覚悟で対峙してまいりたい。
次は近野滋之・民族主義者の警鐘からの転載です。

【ソウル澤田克己】韓国外交通商省の趙泰永(チョ・テヨン)報道官は24日の定例会見で、島根 県・竹島(韓国名・独島)を「韓国固有の領土」とする立場を改めて確認し、「(日本で計画されている)いわゆる『竹島の日』(2月22日)の行事自体を認 められない。地方自治体であれ、政府であれ、記念行事をすることは受け入れがたい」と述べた。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121224-00000013-mai-kr
一方、自民党の安倍晋三総裁が来年の「竹島の日」に政府主催の式典を行わない考えを示したことについては「報道通りであるなら幸いなことだ」と語った。
毎日新聞 12月24日
野田首相動静(12月24日)
午前10時現在、公邸。朝の来客なし。
午前中は来客なく、公邸で過ごす。
午後も来客なく、公邸で過ごす。
25日午前0時現在、公邸。来客なし。
尖閣・竹島も慎重…安倍氏、靖国参拝見送り意向http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121223-00000513-yom-pol
安倍政権は、政策の遂行も安全運転に徹する構えだ。
自民党は衆院選の政権公約を詳細に説明した「J―ファイル」で、沖縄県の尖閣諸島に「公務員を常駐」などと明記している。
しかし、安倍氏は22日、山口県長門市で記者団に、「『検討する』と何回も申し上げてきた。『検討する』ことに変わりはない」と述べた。党の考えは一貫 していると強調しつつ、公務員の常駐など尖閣諸島の実効支配強化策は当面「検討」にとどめ、関係が冷え込んでいる中国を刺激しない考えをにじませたもの だ。
安倍氏はJ―ファイルで「政府主催で2月22日の『竹島の日』に式典を開催」としたことについても、「慎重に考えたい」とトーンダウンさせている。日韓両国の首脳交代が、竹島問題で悪化した関係を修復する好機になるとみているためだ。
靖国神社への参拝に関しても、安倍氏は総裁就任直後の10月、秋季例大祭に合わせて参拝したが、来年の春季例大祭での参拝は見送る意向だ。
読売新聞 12月23日
さっきテレビで安倍さんのフンドシ姿の酷いイラストを出してました。テレ朝の報ステSUNDAYです。
>>245
そうそう、酷いイラストでした。
ドジョウ売りに扮した安倍さんが、両肩の点棒で二つの桶を担いでいたんだけど
着物の前をはだけたフンドシが、まるでオムツのようでした。
悪意を感じましたよ。(怒)


これが放映されたNHKを見ていた人の中には、安倍総裁の顔色が異常に悪かったことに気づかれた人もいただろう。
日刊ゲンダイなども、その流れでさっそく安倍総裁の健康不安説を煽り立てるような紙面を構成したが、我々のカメラで撮影した安倍総裁の顔色は別段異常には見えなかった。
果たしてこれはNHKお得意の印象操作なのだろうか?
一つの可能性として、カメラ調整や編集レベルでの操作の可能性を指摘しておきます。
左=チャンネル桜画像(未編集)、右=NHK画像




「これはもう自公政権の時から、あの同じなんだけど、外交問題でね、波風を立てるといけないというこう・・・
例えば経済界やメディアのこう・・暗黙の前提があるんですよ。
で、やみくもに・・あの・・波風を立てるのはよくないんだけど。
戦略的に波風を立てるということもあり得るわけで。
あの・・そういう意味では波風を立てる事をすごく嫌うっていうのは、これは・・これでは外交になりませんよね。」
「隣の国が嫌がることはしないなんて
それは・・そんな世の中みんな上手くいきません・・」
「正直申し上げて、麻生とか安倍とかいうような性格の人達が日本の総理を期待される時代てのは、あんまり日本という国が平時じゃなくて有事ですな。
非常事態だと思いますよ。
そういうのに向いた性格なんじゃないかしらねえ、両方とも。
思想的な考え、対中関係で、物事はなるべく波風立てないようにしようなんていう性格じゃありませんから両方とも。
きっちり・・やるべき時はきっちりやるべきです。」
サイタニのブログから、「何故憲法を変えなければならないか」の続きです。
日本において、天皇を戴くという歴史が2600年にわたって続いてきたのはなぜか。日本の天皇が西洋の専制君主といかに違うか、西洋は征服者であり支配者である君主ですが、日本の天皇は、神道における祭祀王という立場の君主です。これは民族の神話という古代から続く宇宙観、世界観、人生観という共通のものの考え方の中で、自然発生的に生れた君主であり、それゆえに、天皇の一番の役割は祭祀です。天皇は、神々やご先祖をお祀りになり、また国安かれ民安かれと祈られる君主なのです。祀りと祈りが天皇のご本質なのです。
日本は世界唯一の、そして最後の古代国家であり、それゆえに、外国人で日本の伊勢神宮などにお参りしたり、天皇陛下にお目にかかったりすると、ヨーロッパがまだキリスト教になる前の古代の感覚が蘇るような懐かしい気持ちになる人がいるようです。彼らは、日本の中に、人類共通の根っこが残っているのを発見するようです。
さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。
昨日は天皇誕生日であり、今上陛下は79歳となられました。国民の中には単なる休日あるいは連休として喜んでいる人もいるでしょうが、この日は今上陛下にとって、国民の祝賀を受けるめでたい日であると同時に、占領軍による巣鴨プリズンのA級戦犯処刑の日でもあり、心を痛められる日となっています。占領軍は、日本国民に如何にして罪の意識を植え付けるかということ、そして、自分たちの圧倒的な権力と武力で二度と日本人が逆らえないことを思い知らせるという方針に徹しました。
そのために極東軍事裁判という勝者が敗者をさばくという茶番のような裁判を行い、A級戦犯の7人を処刑しました。その死刑宣告は昭和天皇の誕生日に行い、執行は当時皇太子だった今上陛下の誕生日に行いました。これによって、日本人に永久に思い知らせるという意図が露骨にあったのです。
死刑執行の日、当時の昭和天皇は朝侍従がお顔を拝見した時に、目を真っ赤に泣きはらしておられたと聞きます。当時はまだ少年であられた今上陛下が自分の誕生日に起こったことで、心にどのような苦痛を抱かれ、傷を受けられたか、想像するのは畏れ多いですが、きっと生涯にわたって、お誕生日のたびにその事件は御心に蘇って来られるのではと思います。







