前回のさくらの花びらさんの記事を読んで、国際派日本人の情報ファイルの記事を思い出しましたので、転載します。
この記事にある、NHKが放送したという、『真珠湾からの帰還』という番組を見ていなかったので、この記事を見たあとYOUTUBEで探して見ましたが、予告編しか見つかりませんでした。
まるで英霊が俳優達にのりうつって演技をしているかに思えたと言っておられますが、なにかそういう微妙な時代の変化を感じる気もします。一方では女性宮家など、日本解体勢力も必死に悪あがきをしているようですが、何かが変わりつつあるのかとも思います。
先週は「憲法の精神」が「国家の基本法」であること、そして「日本国の憲法の精神」とは「日本人が侍としての日本人の自尊心(プライド)を持つこと」と述べましたが、今週は憲法から少し離れて、その自尊心について考えたいと思います。
皆さんは先週土曜日に、あの反日で有名なNHKが放映した「真珠湾からの帰還」という、真珠湾攻撃等の大東亜戦争に動員された軍人さん達を描いた番組を見られたでしょうか。
この番組では真珠湾攻撃に出撃しつつも、敵国に捕虜となり、戦後の日本に帰国された酒巻和男氏を主人公として描かれておりましたが、この番組を慟哭の思いで見られた若い方々も多いのではないかと思いますが、この番組は以前、このメルマガで取り上げた倉本聡脚本の「歸国」に劣らない、立派な番組でありました。
無法松は慟哭の思いと言う以上に体が硬直する思いで見ておりましたが、これは失礼ながら今のNHKの人々が作ったのではなく、靖国の英霊達が現実に蘇り、今の俳優達に乗り移って演技をされたかのように無法松には感じました。
この番組の中で、酒巻氏が「私はもう少しで日本人の誇りを見失うところでした。」と語る場面がありましたが、これは無法松をはじめとして、今の多くの日本人達が心の奥底に留めておかなければならない言葉であると思います。
そして「日本人の誇り」とはこのドラマにあるように、司馬遼太郎氏が言われたような単なる合理的精神では決してない、「侍としての日本人の誇り(プライド)」であります。
■無法松の本音■
この無法松の述べたNHKの番組は恐らく、真珠湾攻撃から70周年の今年に記念して放映されたものだと想像されますが、兎も角、この番組や「歸国」そして「坂の上の雲」などの番組が増えてきて、やはり、何かが我が国で起きているように無法松は感じております。
これらの番組だけでなく、お天気についても言えます。それは最近の雨の降り方です。雨が降るといきなり土砂降りとなるのはなぜでしょうか。
それは靖国の英霊達が日本列島に歸国され、戦後66年を過ぎようとしている今の日本人達の体たらくさに号泣されておられるからではないでしょうか。
そして、泣くだけでは現実の世の中は動かないから、いよいよ、英霊達が俳優の体を借りて、今の日本人達に「日本人の誇りを取り戻せ!!」と訴えておられるのだと無法松は思います。
このように言うと、無法松は単なる夢想家に過ぎないと言われそうですが、御先祖様の思いを知り、それを現実化していくことこそが、「祖国の歴史を知る。」と言うことであり、そのことによって我が国は精神的にも復活し、物質的だけでなく、精神的に真の世界平和に貢献していくことができると無法松は考えております。
さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。
自国にいのちを捧げた人を、どの国でも最高の栄誉をもって讃え、追悼します。これは最高の同胞愛であり、この犠牲の上に、国が成り立っている事を知っているからです。
それ故に、他国に対しても、そうした追悼施設に敬意を払うことは、最高の儀礼と考えられています。それはまた、それらの国々が「国にはいつか、悲惨を覚悟で戦わねばならぬ場合のあることも知っている」ということなのです。
この老いた韓国人の著者が、「僕は洋の東西、時の古今を問わず、自国のためと信じて戦場に狩りだされ、命を賭した全ての国のすべての若者に、最大の敬意と同情を捧げる。」と言ったように、世界の殆どの人がこうした気持ちをもっているのです。
今回、靖国神社に火をつけた犯人は、この気持を持たない人間でしょう。この気持ちがわからないで、自国の英雄気取りとはおかしな事です。まさに記事にある通り、馬鹿者でしょう。
と ころが、この犯人を笑えないのが、日本の国民です。靖国と聞いても、軍国主義としか思わない人間、それどころか、英霊を貶め、騙されて犬死したのだと言っ たり、この人々が侵略戦争を行ったせいで日本に生まれて恥ずかしいなどと思う若者もいるといいます。これはまさに日教組教育の成果でしょう。
「国にはいつか、悲惨を覚悟で戦わねばならぬ場合のあることも知っている」と いう気持ちを失った国民は、同胞を見殺しにし、時にはチベットなどの悲惨な現状も見て見ぬふりをするということになってしまうでしょう。「平和主義」と名 前だけは博愛精神のようですが、決して博愛ではいられないのが、平和主義です。自分が傷つくことをいやがって、どうして人を助けられるでしょうか。平和主 義とは、自分だけが平和で、人は死んでもいいということにほかなりません。さらには、自分だけが助かれば、国家が滅びてもいいということにほかなりませ ん。
国 家が続いていくのは、国民の努力の賜物です。今私達が平穏に生きられるのは、そのように努力し、いのちを捧げた人びとがいるからだということを、知るべき です。国家と同胞の誇りのために、いのちを投げ出して戦うということは、究極の奉仕精神、愛の行為であり、それ故に、とくに特攻隊のように、死ぬとわかっ て行く人を、この著者は、言葉を持たないと言っているのです。かつては日本人であり、現在は韓国人である著者の、そこには特攻隊への共感と尊敬があり、それは素直に人間としての心の奥底からの真情が吐露されているのです。
この真情が湧かない人は、日教組教育を受けた日本人、反日教育を受けた韓国人、こうした歪な洗脳によって心が素直さを失って、見るべきものが見えなくなったかわいそうな人というしかありません。
靖国神社の神門に油がまかれ、放火されたとの話を聞きました。すぐに消し止められ、大事には至らなかったという話ではありますが、非常に怒りを覚える仕業です。ネットでは、放火を予告する在日外国人らしき書き込みもあったというはなしです。
靖国神社は日本の国を命をかけて守ってきた先人の御霊を祀る神社です。この神社に放火するなど、もしそれが外国人の仕業ならば、いかに日本が舐められているかということではないでしょうか、また日本人ならば、戦後の自虐史観がどれだけその精神をいびつに歪めているかということです。
民主党政権になってから、一度も閣僚が靖国参拝したことはありません。自民党政権の時ですら、中国韓国に配慮だか遠慮だかして、終戦の日に靖国参拝を首相がしなかったのが日本政府です。自国の英霊に堂々と参拝できないような国が、どうしてその英霊を祀る神社の権威を外国人に示すことができるでしょうか。もし国をあげて、靖国神社を大切にしていれば、たとえ反日の外国人でも、あるいは日本人でも、このような所業は行い得なかったと思います。
これは、戦後もうすぐ70年になろうとするのに、いまだにあの東京裁判史観に、日本人が呪縛され続けていることのあらわれではないでしょうか。本来は国家護持すべき靖国神社を、まるで軍国主義の象徴であるかのように、日本人自身が忌避し、一部の保守思想の人々のみの参拝で、多くの日本人は自分とは全く関係のないものとして無視しているのが現状です。
外国では、こうした国のために亡くなった兵士を祀る施設は、国家が実に丁寧に維持しており、国をあげて慰霊が行われているといいます。国民もこれらの自国の兵士の御霊に誇りと尊敬を持ってお参りします。
このような先人への誇りと尊敬が我が国では得られないのは、敗戦後の占領軍による、極東軍事裁判で、戦争そのものの責任者、指導者を戦犯として裁いたことによります。これは満州事変から大東亜戦争までの17年8ヶ月に及ぶ期間の指導者百名以上の中から28名が被告に指定され、審理が行われました。
この裁判の基準となる”極東国際軍事裁判所条例”は、いかなる国際法にもない恣意的なものであり、遡及法(事後法)というべき、法治主義においては禁忌の法をもって裁いたのです。だから、東京裁判は勝者が敗者を裁くという歴史上いまだかつてない裁判といわれ、連合国による復讐裁判であり、さらには日本人を洗脳するためのプロパガンダとしての道具であったのです。
占領軍はこの東京裁判の儀式によって、巧みな言論統制を使いながら、二年六ヶ月という長い歳月の間に、416回もの公判を開き、次々と罪状を暴き立て、平和と人道に対する犯罪として、人類の文明に対する犯罪としてきめつけ、抗弁することもゆるさず、「侵略戦争」という烙印を押したのです。大東亜戦争という日本人の側からの戦いの呼び名も太平洋戦争と呼ぶように強制されました。これによって、敗戦の虚脱状態にあった日本人は、大きな衝撃を受けて自虐史観という傷を心に負うことになりました。
しかし、本当に侵略をしたのは、欧米列強の方ではなかったでしょうか。アフリカ人を奴隷として、人間として扱わなかったのは白人です。アメリカ大陸で多くの現地人を少数民族になるまでほとんど根絶やしにしてしまったのは白人です。アジア、アフリカを植民地にして、過酷な支配をしたのは白人です。彼らは白人は生物の頂点にあるとして、その下の有色人種以下すべての生物を支配する権利を持っていると信じていました。
そんな白人の植民地主義を打ち破って、大東亜解放の戦争を行ったのが日本です。左翼はそれは単なる結果論であって、日本も植民地主義で白人と同じであったと言います。
しかし単なる結果論で、あくまで戦争を行ったことは悪かったと、それで片付けていいような当時の世界だったでしょうか。
たとえ百歩譲って結果論であるとしても、当時の植民地支配の白人支配の世界を、もし日本が大東亜戦争を行わなかったならば、その解放はなかったのではないか、あるいは解放がどれだけ遅れていたか。それは人類の大きな悲劇であり、どれだけの有色人種が一方的に酷使され、一方的に殺されて、地獄の日々を生きなければならなかったでしょうか。
この解放に立ち上がることのできた国は、アジアで唯一未だ嘗て植民地支配を受けたことのない日本にしか出来なかったことは明白です。
植民地支配は過酷で、多くの植民地では現地人は教育も受けられず、歴史も文字も失ってしまった国さえありました。もちろん戦う武器だってありません。近代国家に立ち向かうには、武器を持ち、訓練された軍隊でないと、単なる現地人の暴動ではすぐに鎮圧されてしまうでしょう。また長年の支配から、白人にはかなわないという諦めの意識が出来上がって、気力も失っていました。
日本は開戦をなるべく避けようと努力しましたが、ルーズベルト大統領の陰謀で日本が戦争に引きずり込まれたことは、今や公開されたベノナ文書で明らかです。
開戦した日本人は、大東亜解放を旗印に戦いました。この大東亜解放の旗印を単なる国民を騙すための旗印だとか、日本も欧米と同じ植民地主義だとかいう人は、この事実の世界史上に於ける意義をあまりに軽視しているのではないでしょうか。
開戦後の勢いに乗って、現地で一時的にせよ白人を駆逐し、その後の現地を支配した日本が、現地人に教育を施し、現地人に防衛のための軍事訓練を施し、国の経営の仕方を教えたことをなんと思っているのでしょうか。
この訓練が日本が敗戦したあとの、現地の独立運動を支えたのです。また有色人種であり、体格の小さい日本人が白人を駆逐した事実は、現地の人々に大きな希望をもたせ、自分達にもできるという自信を与えたのです。さらに敗戦が決定的になった日本は武装を解除する口実で、現地人にこっそり武器を渡しました。また一部の人々は現地の人と独立運動を一緒に戦いました。これらの事実は、世界史上、大きな出来事です。
これを、たまたまとか、結果論などと言ってしっかりと認識しないことは、世界平和だとか、人権とか言いながら、本当の平等思想も、アジアへの共感も持たない机上の空論にすぎません。
戦後、多くのアジアの国々が独立していき、さらにはアフリカも独立して行きました。このきっかけが大東亜戦争であったことは間違いのないことです。
だからククリックド・プラモード氏 (タイ国元首相 )も
「日本のおかげ でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米 英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの 重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」
と言ってくださったのです。多くのアジアの人々がそのように思っているのです。実際に多くの日本兵は、心底それを信じて戦った人は多かったのです。
もし天の意思というものがあるならば、まさに日本はこの有色人種の解放を使命付けられた国であったでしょう。そして、白人を駆逐した後、現地人を訓練し終わった日本は、敗戦というかたちで、撤退することにより、現地の国々がみずから起ち上がり独立を果たすというシナリオを、考えたと言わざるをえません。
アジアを解放し目的を遂げた日本は、みずからは敗戦の傷を負ってしまいますが、この大東亜戦争で、植民地を失った欧米が本当に勝者かといえば、その戦勝の目的が達せられなかった国々ですから、目的達成の意味でいえば、真の勝者は日本かも知れません。
今こそ日本人は、もう一度大東亜戦争の意味を見直し、東京裁判史観を脱却するべき時です。左翼政党社会党の後継というべき民主党のこの土下座外交は、東京裁判史観の結実したものです。
戦後まるでわが意を得たように左翼社会主義者が言論界マスコミ教育界と牛耳って来ましたが、彼らの理想としたソ連や中共が、どれだけ大量の人民虐殺を行ったか、あるいは日教組の信奉する北朝鮮がやはり人民を虐殺し搾取し、我が国の国民を拉致してきたことをどう言い訳するのでしょうか。
日本軍を糾弾しながら、社会主義を理想とする人々のこの矛盾、民主主義と言いながら、実は社会主義の信奉者たちの、日本解体の意図を実現させてはなりません。一刻もはやく、東京裁判史観を脱却しなくてはなりません。
古い雑誌に、日本の文化的風習である、浄めの話が載っていました。
日本人は早くから海は神聖なものと信じてきました。禊(みそぎ)や祓(はらい)をすれば身のけがれが取り除かれるものだと疑いませんでした。藻塩や塩を浄めのために使うのは、すでに我々の中で日常化しています。
われわれ日本人は海から生まれ育ち、海と共に生きてきました。周りを海に囲まれた環境からいって自然のことです。その海にみなぎる水は水平に平等に横たわり極まるところがありません。そして清らかに澄む水に穢(けがれ)を除く神秘さがあると昔から信じられてきました。水に身体を浸し、身体についた穢れを洗い流す禊(みそぎ)はその精神を端的に物語ったものです。
海水から生まれる塩にも神聖さがあるとするのは水の浄化力を具象化したものです。塩が神供として使われ、あるいは海藻や潮水を神前にささげるのは、塩が穢れをはらうと信ずるからです。所によっては潮水のかわりに海砂や川砂を使います。それが「お潮井」の行事です。
われわれの日常を見回してみましょう。相撲の仕切りの時に力士がまく塩。弔いのあとに五体を清める浄め塩などの習俗が思い出されます。また瀬戸内海や九州の漁村では一家の主人が早朝、浜辺に行き潮水桶に海水を汲んできて神棚に供えたり、門前にまいて辺りを浄める風習があります。農村の中には早稲の刈り入れの時、最初に刈る稲に塩井をかけ「神の穂」にする儀礼が残っています。先にふれたみそぎの例ですが、祭礼の前に潮掻き(しおかき)といって、潮垢離(しおごり)つまり潔斎をする習わしが、ほうぼうの漁村で見られます。
この「浄」のイメージは、われわれの古典「古事記」や「日本書紀」の中のイザナギ、イザナミの神の物語に見ることができます。イザナミの神は火の神を生んだので黄泉国(よもつくに)に帰りました。イザナギの神はその后を恋しく思い黄泉の国に行ってみると、そこは暗黒と汚濁の世界です。イザナギの神は奥へ行き、頭にさしていた櫛の歯の一本を折って火を灯し、中をご覧になるとイザナミの神の体にウジがいっぱい湧き、頭、胸、腹などに八種の雷神がいる、といったものすごさです。イザナギの神は一生懸命になって、そこを逃げ出されました。
生と死の戦いからやっと解放されたイザナギの神は命の根源である心身を浄めなければなりません。明るく健やかな生命こそ、限りない幸せを生み金剛不壊(こんごうふえ)の境涯をささえるものだからです。イザナギの神は禊(みそぎ)の場所を求めて筑紫(つくし)の日向(ひむか)橘の小戸の阿波岐(あはぎ)が原に行かれました。
筑紫は日本文化の発生の地であり、日向はやがて差し昇る太陽を迎えることのできる陽明の方角であり、橘は良き今の続く常世(とこよ)のめでたさを象徴する霊木であり、その青々として緑なす地帯が阿波岐(檍)原だったのです。
イザナギの神は、その神聖な海辺の中つ瀬を選んで身を沈め、体についたけがれを振り落として浄められました。すると最初はマガツヒノカミなど汚い神々が生まれました。禊祓というのは洗濯ですから汚い汁が出るというわけです。最後に生れたのがウワツツノオ、ナカツツノオ、ソコツツノオの三柱の神でした。「古事記」では「三柱の神は、墨江の三前の大神なり」と書いています。これが住吉の大神で禊ぎという浄めによって天照大御神が誕生されました。
反日勢力を斬る(2)から、2件の記事を転載しました。
北朝鮮金主席の死亡ニュースでの野田政権の対応はもはや、政権担当能力のあまりのなさを露呈しました。

青山さんも関西テレビの番組アンカーで、北朝鮮が特別放送を正午にやるという連絡を首相にいれ、それはかつて94年に、金日成国家主席が亡くなった時にそうやったんですということを、10時39分に連絡したんですよ。総理が、新橋(の街頭演説)に向けて出発してしまうまで、1時間、ま、20分ぐらいあったわけですよね。
つまり、総 理大臣にはそれを考える時間があった、はずであって、これは日本外交にとっては重大な問題で、その1時間以上あった時間の間に、新橋行くのなんか当然やめ なきゃいけないし、それどころか、これは金正日総書記が突然死んだという重大事かもしれないから、それが正午の放送で確認されたらすぐに、アメリカ・韓 国・ロシア・中国、ぞれぞれの首脳に電話できるように、日本は国民を誘拐されたままなんですから、日本が真っ先にかけてその電話首脳会談できるように、事前の手はずをするはずだったのが、全くやってなかったということなんですね。
と、いっておられました。もう野田総理には、頭を働かせる力がないのかと思ってしまいます。と言うか民主党全体が、政治家としての才覚も経験もないズブの素人集団という気がします。批判や宣伝のみで政権交代を成し遂げたものの、中身のなさがこれほど暴露されてしまったら、もう解散して欲しいですね。やればやるほど、悪化していく気がします。
ことの重要性をまったく認識しない連中である。
野田首相は最初、北朝鮮の特別ニュースの予告を知らないで新橋に向かおうとしたかのように報じられたが、実際には秘書室から「特別放送は金日成以来」だと知らされていた。
Ponkoですら朝のうちに特別ニュースを正午にやると聞いた時、金正日主席に何かあったと確信したくらいだから、秘書室からのメモがあろうが無かろうが、野田首相はそれなりの対応を考えたはずである。
しかし、野田首相は敢えて新橋に向かい、正午の平壌放送を聞いて慌てて引き返した。
もうやる事なす事がチグハグで、こんな首相では安全保障上の緊急事態が発生した時にはとても頼りになれない。
「特別放送は金日成死亡以来」 首相、報告軽視し演説出発
野田佳彦首相が19日正午の北朝鮮の金正日総書記死去を伝える特別放送を待たずに街頭演説に向かった問題で、首相が事前に内閣情報調査室(内調)から「特別放送は金日成主席の死去以来」と報告を受けていたことが21日、分かった。
自民党部会での内調の説明などによると、内調は19日午前10時8分、首相秘書官室に「正午から特別放送がある」と伝達。同22分に「関連情報を集め連 絡を」と指示を受け、同39分に過去の特別放送・重大放送の一覧表を秘書官室に送った。外務省も午前11時23分、首相秘書官に「特別放送は1994年の 金主席死去以来だ」と伝えた。
藤村修官房長官は21日の記者会見で、報告が首相に伝わったことを認めた上で「対応は迅速だった」と釈明。関係省庁局長級の合同情報会議では「緊張感を持ち危機対応にあたるように」と指示した。
そして言う事がいい。
連絡してくれなかった事務方が悪いと。
緊急安保会議は10分足らずで終わったというから、どうせ大した議論もしなかっただろう。
いや議論する知見も経験もなく、閣僚たちの単なる顔見せで会議をしましたという形を取り繕ったに過ぎない。
「首相はあまりにも脳天気」 自民・高村氏
また、山岡賢次国家公安委員長が19日午後の安保会議に間に合わず、欠席したことに関し「参院は問責をしたので山岡氏を大臣として認めないというのはわかるが、首相まで大臣として認めていないように思われる」と揶揄した。
頂いたコメントの中に、マスコミは全て民主党批判デモをスルーしたとあったが、産経新聞だけは5面で控えめに報じていた。
自民党政権時代だったら各紙ともに一面トップで取り上げただろうに。
「原発反対」の左翼デモは報じる必要はないが・・・
「解散しろ! 増税反対!」首相演説予定の新橋が騒然
約300人が集まった聴衆からは「野田政権が早く終わりますように」などのプラカードを突きつけられたり、蓮舫氏に「引っ込め」「どっち向いて政治しているんだ」などの激しいヤジが飛んだりした。政府の原子力政策に反対するグループも押し寄せ、「原発いらない!」「帰れ!」と繰り返した。
政権批判を一身に受けるはずだった首相は、訃報に助けられた形だが、首相周辺は「これも国民の声だから受け止めなきゃいけない」。首相の全国でのつじ説法はこの一件で早速困難になったようだ。
まさか政権の座が転げ込んでくるとは露程も思わず、政権交代の折には斯くあるべしという政策も何もなく、只々、与党自民
なにせマニフェストの一丁目一番地は「コンクリートから人へ」だったからである。
衆院選に圧勝し、多数の国民の支持を受けて、歌舞伎役者よろしく大見得を切ったのである。
その会議の直後、前原氏は記者のインタビューを受けて、「キャッチャーとして(野田政権を)支える姿勢に変わりはない」と辞任を否定した。
ピッチャーにサインを送っても、全部首を横に振られて勝手に球を投げ込まれては、口先番長も球の拾い様もあるまい。
リードの出来ないキャッチャーは失格であり辞めるべきである。
まさにマニフェストは全滅である。
これほどまでにマニフェストを実行できない政党は今まで見たことが無い。
それでも今後とも政権を担当していく資格があるとでもいうのか。
民主・前原氏、辞任を否定
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転載元: 反日勢力を斬る(2)









