さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。
自国にいのちを捧げた人を、どの国でも最高の栄誉をもって讃え、追悼します。これは最高の同胞愛であり、この犠牲の上に、国が成り立っている事を知っているからです。
それ故に、他国に対しても、そうした追悼施設に敬意を払うことは、最高の儀礼と考えられています。それはまた、それらの国々が「国にはいつか、悲惨を覚悟で戦わねばならぬ場合のあることも知っている」ということなのです。
この老いた韓国人の著者が、「僕は洋の東西、時の古今を問わず、自国のためと信じて戦場に狩りだされ、命を賭した全ての国のすべての若者に、最大の敬意と同情を捧げる。」と言ったように、世界の殆どの人がこうした気持ちをもっているのです。
今回、靖国神社に火をつけた犯人は、この気持を持たない人間でしょう。この気持ちがわからないで、自国の英雄気取りとはおかしな事です。まさに記事にある通り、馬鹿者でしょう。
と ころが、この犯人を笑えないのが、日本の国民です。靖国と聞いても、軍国主義としか思わない人間、それどころか、英霊を貶め、騙されて犬死したのだと言っ たり、この人々が侵略戦争を行ったせいで日本に生まれて恥ずかしいなどと思う若者もいるといいます。これはまさに日教組教育の成果でしょう。
「国にはいつか、悲惨を覚悟で戦わねばならぬ場合のあることも知っている」と いう気持ちを失った国民は、同胞を見殺しにし、時にはチベットなどの悲惨な現状も見て見ぬふりをするということになってしまうでしょう。「平和主義」と名 前だけは博愛精神のようですが、決して博愛ではいられないのが、平和主義です。自分が傷つくことをいやがって、どうして人を助けられるでしょうか。平和主 義とは、自分だけが平和で、人は死んでもいいということにほかなりません。さらには、自分だけが助かれば、国家が滅びてもいいということにほかなりませ ん。
国 家が続いていくのは、国民の努力の賜物です。今私達が平穏に生きられるのは、そのように努力し、いのちを捧げた人びとがいるからだということを、知るべき です。国家と同胞の誇りのために、いのちを投げ出して戦うということは、究極の奉仕精神、愛の行為であり、それ故に、とくに特攻隊のように、死ぬとわかっ て行く人を、この著者は、言葉を持たないと言っているのです。かつては日本人であり、現在は韓国人である著者の、そこには特攻隊への共感と尊敬があり、それは素直に人間としての心の奥底からの真情が吐露されているのです。
この真情が湧かない人は、日教組教育を受けた日本人、反日教育を受けた韓国人、こうした歪な洗脳によって心が素直さを失って、見るべきものが見えなくなったかわいそうな人というしかありません。
昨日は靖国神社の放火に対する記事を書きました。
巷では、その犯人は在日韓国人であり、ツイッタ―にこのように書き込んでいました。
「・・靖国神社なんて、世界中から忌み嫌われてる神社、放火したって、誰も悲しまないだろ!?逆に、世界中がみんな喜ぶよ。俺は英雄」
”俺は英雄”。
靖国神社に放火して英雄であるわけがありません。
韓国では反日行動をとればとるほど英雄気分になると言いますが、こういうのを愚かな馬鹿者というのです。
真の英雄とは、お国のために、たとえ負け戦であるとわかってはいても、赤誠の命を投げ出して、お国のために尽くすことであり、この誰にも簡単に出来ない尊い自己犠牲の精神こそ誠の英雄たるものであります。その我が国の英雄たちが死して会おうと言いあったのがこの靖国神社です。
もし放火の犯人が在日韓国人であり、本当に英雄になりたければ、自分の同胞たちを飢餓や弾圧、拷問、さらには獄死させ、非人道的に苦しめている独裁者・金一族の北朝鮮に対して命を捧げて戦うのが真の英雄たる道であります。
靖国に火を放って、すぐに逃げ出して隠れているような小者が英雄であるわけがないのです。
日本統治時代を生きた韓国人が書いた著書『日本統治時代を肯定的に理解する』という本があります。
その中には今の反日韓国人が主張することと全く違うことが書かれています。
「日本統治時代に生まれ、数え年二十歳で終戦を迎えた者として、この世を去る前に率直な心情を書き残したい気持ちで」書いたものであると「序」の部分に書いてあります。
台湾も、朝鮮も日本の統治を知る世代は日本の”ありがたさ”を肌身で感じて理解されています。
そして、日本の統治時代を知らない世代の韓国人が、ありもしないことで日本を攻め立てるのはやがては韓国自身が困ることになるはずである、と指摘しているのです。
この著書の中に、「阿川弘之氏『特攻隊のまぼろし』を読む」と題した部分があります。
今回の事件とかさねてみると見えてくるものがあります。
・・・・・
まず、「特攻隊のまぼろし」を一部引用させてもらおう。
初老に近い中年男たちが、七、八人、ビールを飲みながら国際問題を論じている。
大学教授、新聞記者、綜合雑誌の編集長、会社顧問の自衛隊OB、大物議員の元秘書、職種経歴はさまざまなれど、ある意味でみんなそういう問題の専門家、世代としては、日教組最も華やかなりし頃、初等教育を受けた世代に属し、直接の戦争体験はもっていない。(中略)
「みんな」の中に一人だけ、第二次大戦に従軍した爺い、つまり私(阿川)が混じっていて、新しい国際関係論なんかよくわからないから、黙って聞いていたら、話が台湾のことに及んだので、ちょっと口を出した。(中略) そのへんから、台湾の将来について議論が白熱化してくる。李登輝さんはじめ台湾の人たちが、半世紀かけて築き上げたあの蓬莱(ほうらい)の島を、北京(中国共産党)の方で、これ以上もう待っていられない、「武力解放」すると言い出したら、我々(日本人)はどうするのか。台湾人は正直な話、「一つの中国」なんて望んでいやしない。(中略)
日 本の統治時代に入って以後、台湾では日本流の近代化が行われ、日本流の生活様式が取り入れられた。押し付けだったにもかかわらず、彼らは今尚それを高く評 価してくれているし、さらに大きく発展させている。その、大陸に先んじて近代化し、大陸よりはるかに自由で豊かになった台湾人の生活を、武力で奪い取る動 きが起こった時、アメリカはすぐ海軍を出動させるだろうが、日本政府は例によって、曖昧なこと以外も言えず、何の実際的援助も出来やしない。そんな政府の む方策に準じて、我々も知らん顔していいのか。
「小生、はばかりながら、国際的にはこれでも退役ジェネラルなんだ。台湾空軍のF16を一機貰い受けて来る。A君、お前テストパイロットだったんだから操縦桿握れ。B君、君は台湾問題に情熱を傾けた国会議員の元秘書だろ、俺の席の横にもぐり込め。三人で中華人民共和国海軍のミサイル艦に突入、特攻戦死して、せめてもの日本男児の心意気を世界に示そうじゃないか」(中略)
私は、どんな面から考えても、先の大戦末期の特攻戦法を容認出来ない。この放談も、もし本気なら受け入れかねるお話なのに、聞いているうちに涙が出て来た。(中略)
日本の対米戦争に則して言えば、戦争の悲惨を一番痛切に味わったのは、ガダルカナルその他の島で餓死自決した陸海軍将兵と、特攻隊に編入されて出撃し、還ってこなかった若者たち、及びその遺族だろう。
ただし、彼ら無念の魂魄がこの世にとどまっているとして、
「戦争は悲惨だから、いたる所に涙の種をまき散らすから、祖国よ、どんなことがあっても二度と武器をとるな。日本を除いて、世界には平和愛好国ばかり、誰に何をされても見て見ぬふりをしてろ」と訴えるかどうかは疑問である。
この五十四年間、彼ら、特に特攻隊員の「死せる魂」は、祖国の経済的な復興ぶり、世相人心の移り変わり、少年少女のお作法、一部の人の護憲平和運動を、多分、小首をかしげる思いで眺めて来た。
「若い命がいかに大切なものか、それを捨てさせられるのが、自分にとっても家庭にとってもどんなにつらい悲しいことか、我々、身にしみて知っている。あんたたちの観念論とちがうんだ。しかし、国にはいつか、悲惨を覚悟で戦わねばならぬ場合のあることも知っている。いつまで羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹いているのかね。生き残りの皆さん」と言いたいのを、黙してずっと語らずにきた。
それが、今日は驚いたろう。戦後生まれの日本の子供、いや中年男三人、隣邦を救うため、特攻を口にしはじめた。これはこれはと、彼らの頬に、戦死後初めての静かな笑みが浮かんだのではあるまいか。
そう空想したら、涙が出て出て止まらなくなったのであった・・・」
朝鮮動乱が起こった1950年6月25日当時、僕(著者)はソウル大法大四年に在学中だった。
6月28日にソウルが共産党軍に陥落してから家族とともに楊平に疎開し、10月、ソウルの修復と同時に復帰、すぐ陸軍通訳将校に志願入隊。
短期訓練の後、12月に任官して54年7月まで満3年9カ月、軍に服務した。
この朝鮮戦争で、韓国軍41万5千人と、米軍3万3千629人、その他連合軍約3千6百人が戦死した。
これらの犠牲の上に韓国は共産侵略を免れ、曲がりなりにも今日の自由と繁栄を築きあげたのだ。
今、韓国や国外に住む韓国人とその子孫は、すべて自身が有能なるがゆえにこれだけの水準に達したと思うであろうが、もしこれらの犠牲なくば、今は全て金正日のバッジを胸につけ、彼の独裁の下に恐怖と飢餓におののくか、あるいは既に飢え死にしたであろう。
僕は1953年7月の休戦協定以来、今に至るまで、韓国国民最大の課題は韓国の民主化、次が北朝鮮国民を共産独裁の苦痛から救い出すことであると信ずる。
北にある我が数千万の同胞は、いわば左翼独裁集団に拉致され、人質として首根っこを押さえられている状態なのに、金大中政権は太陽政策なる名分を振りかざして彼らに大量の食料と肥料を与えている。
人民は依然として飢えて死ぬのに、政権は益々太っていくのは実に見るに堪えない。これは北朝鮮の人民にとって日本統治35年の圧迫をはるかに上回る精神的苦痛であり、物質的悲劇である。
韓国は、北朝鮮が国境線に並べたミサイルに怖じけづいたのか「戦争は悲惨なもの。どんなことがあっても避けねばならぬ」と、いきなり平和の天使と化した。政治家も一般国民も正義感に欠け、卑怯なのだ。同胞愛のかけらも見当たらない。
拉致犯に首根っこを押さえられている同胞を救うには、軍に相当の犠牲があろうとも戦わねばならぬ。しかるに韓国軍のやっていることは何か。極端な不正腐敗に兵務非理、現役勤務将校兵らの間に原因不明の事故死が続出するありさまは何たることか。
「国はいつか、悲惨な覚悟で戦わねばならぬ場合がある」という話に、僕は全面的に同意する。
そして今の韓国こそ、まさにそういう場合であると信ずる。
かつて朝鮮の若者たちも特攻隊に参加した。当時、朝鮮は日本に合併されて35年経った時点であるから、彼らの一部は日本人と同じ気持ちで、祖国に奉公する一念で、滅私奉公を遂げたのであろう。またその中には日本の国民たるを意識して、こうして日本のため一身を犠牲にすることは、朝鮮人の社会的地位を高めるためになるとして、身を挺した者があったかもしれない。
僕は洋の東西、時の古今を問わず、自国のためと信じて戦場に狩りだされ、命を賭した全ての国のすべての若者に、最大の敬意と同情を捧げる。その中でもこの特攻隊の、死ぬと知りつつ敵に突っ込んだ犠牲精神に対し、僕は言うべき言葉を持たない。・・・
ここには多くの言葉を要しないでしょう。
そして、今の日本人にも思い当たる部分はあるはずです。
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