■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記 から転載しました。
天皇皇后両陛下の心をこめた慰霊のお姿に、感動を抑えられません。この記事にあるように、ペリリュー島の戦いで生き残られた杉村武雄さんが、天皇皇后両陛下の慰霊に思わずありがとうございますという思いで手を合わせられたのは、英霊となった戦友たちがどれだけそのことを喜んだかがわかるからだろうと思います。
天皇陛下の慰霊は、まさに日本の国の魂が英霊たちに語りかけ慰めたことになるのでしょう。
杉村さんにとっても、戦友たちの英霊にとっても、気持ちが報われた瞬間であったことでしょう。
天皇陛下ありがとうございます。
戦後70年の戦没者慰霊のためパラオを訪問された天皇、皇后両陛下は4月9日、太平洋戦争の激戦地となったペリリュー島で「西太平洋戦没者の碑」に献花して、平和への祈りを捧げられた。
ペリリュー島では旧日本兵の守備隊1万人がほぼ全滅し、アメリカ兵も千数百人に上る犠牲者を出した。
同島の南端にある「西太平洋戦没者の碑」は、パラオの島々や周辺の海などで亡くなった戦没者を慰霊するため、日本政府が1985年に建てたもの。
この碑は日本の方角に向けられ「さきの大戦において、西太平洋の諸島及び海域で戦没した人々をしのび、平和への思いを込めてこの碑を建立する」と記されている。
戦没者の遺族や、遺骨収集のためパラオを訪れる人たちのほとんどが、この慰霊碑に足を運び、線香や花を供えている。
摂氏30度近い熱帯の暑さの中で、天皇陛下はアイランドフォーマルと呼ばれる開襟シャツの姿。
厚生労働省の村木厚子事務次官の先導で、天皇、皇后両陛下はゆっくりと慰霊碑に進んだ。
両陛下は、パラオでの戦闘に参加した元日本兵や犠牲者の遺族らも見守る中、日本から持参した白い菊の花束を慰霊碑の前に供えた。
石碑の前で深く一礼した後、ペリリュー島の南10kmにあり、やはり旧日本兵がほぼ全滅したアンガウル島にも一礼した。
この後、両陛下はアメリカ軍上陸地点付近にあるアメリカ陸軍の慰霊碑にも供花、今回は、日本の英霊のみでなく、アメリカ軍人、パラオ人で避難された(疎開された)後に餓死された方も含めて「戦争で戦病死された全ての方の慰霊」であるとされている。
その深い誠と愛に国を超えて大きな感動の渦が巻き起こっている。
ぺリリュー島で戦った杉村さんも泣いていた。天皇陛下ありがとうございます。。。といって。。。これは、全ての英霊の魂の声であろう。
日本から運ばれた「白菊」だ。
天皇陛下からの捧げものである。。
思わず、合掌する杉村さん。
天皇陛下ありがとうございます。。
81歳を超えてなお・・
慰霊を続ける陛下。
風邪気味の中を・・・
どうしても・・と、
今回の訪問となった。
強行軍である。
休憩もなく・・・・
日本に戻られた。。。
天皇陛下
ありがとうございます。
なんと・・尊い、おかたを
いただいた 日本は 尊い
国であることだろうか。
すべてを 礼拝し尽くされる
現人神 天皇陛下を頂く
日の本ゆえに・・・
天皇国日本は
神国なのである。。。
20歳の時に詠んだ和歌
ひのもと ひかりの
日本の国は太陽
の国なれば
た み
国民は明るく
人を照らせよ
大熊良樹
日本の神とは「西洋の神」とは違うのです。日本では「全て」に神を見るのです。すごさ。能力。働き。理念。命。 性質。躍動。個性。
その中でも・・全てを祈る、祭司長。天皇さまは、まさに、神なのです。
われわれ日本人の父であり母であり、
神であり、日本人のお手本でもあるのであります。
その陛下(明治天皇)の示された日本人の徳目「教育勅語」はやがて世界の道徳の「最高峰」として認知される日が来るでしょう。わたしの師である谷口雅春先生もそのことを言い残されています。(最終寄稿は「教育勅語」についてです。)
その事を一番知らないのは
「日本人」でありましょう・・・。
機は熟してきました。
転載元: ■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記