さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。
バンザイクリフと呼ばれる崖から飛び降りる人の映像を見たことがある人は多いでしょう。この映像を撮るために、アメリカ軍が撮影班を仕立て、この崖に日本女性たちを狩り立てて、飛び降りるように仕向けたという話が、この記事に出てきます。そうやって撮られた映像だったということです。戦後アメリカ軍は日本の自虐意識を創り上げるために、多くの捏造した話まで使って日本軍の残虐行為を宣伝しましたが、日本軍捕虜、一般人への残虐行為は隠され、発表することも許されませんでした。
殺された日本人が、私達が日教組の教育で学んだように、日本が戦争さえしなかったなら殺されなかったと、日本を恨んでいると思ったら大間違いだと思います。彼らの無念の思い、それは卑劣なアメリカ、支那、連合国軍に対するかたきを取って欲しいという思いだったに違いありません。現に広島の原爆被災直後に、現地に入った人たちが見た、今にも死んでゆく人々は、口々にこのかたきを取って欲しいというものだったといいます。
もちろんいまさら復讐など考える人はいないでしょうが、だからといって、平和主義と称して、諸国民の公正と信義に信頼して、日本一国が武装を放棄して、不戦の誓いをすることが一体ほんとうに正しいことでしょうか。
戦争は出来る限り避けたほうがいいに決まっています。しかし、武装というのは、戦争をするためだけにあるものではないと思います。戦争を避けるためにも武装が必要なのです。国家が毅然と自主独立するためにも武装は必要であり、国家の威厳を保つためにも必要です。
他国の言いなりにならないためにも必要です。今の日本は、独立しているとは実質的には言えないのではないでしょうか。以前、フランス大統領のサルコジ氏がG8に日本を呼ぶ必要はないのではないかといったという話を聞きました。日本はいつもアメリカの言いなりで自分の意見を言わないのだから、呼んでも意味が無いと言ったという話です。こんな祖国を、亡くなった人々が期待していると思ったら大間違いだと思います。
「軍艦行進曲」に限らず、戦前に作曲され、今はほとんど演奏される事もない名曲は数多くある。
ところが、軍艦マーチの様な軍歌ならまだしも、国歌「君が代」を聴いただ けで心臓に異状を起こす病人が、教員の中にいるというから、驚くというよりも呆れた話だ。「週刊ポスト」の1月13・20日号に橋下大阪市長の「君が代条 例」に関連した特集記事が載っている。《東京の都立高校元教諭で「不起立のジャンヌ・ダルク」の異名を持つ女性教師(左下写真)は、自身のHPでこう心情 を述べている。「(式典で君が代を聞くと)心臓がバクバクし、中国大陸に侵攻した日本軍の若い兵隊が中国人捕虜を銃剣で突くように命じられた姿が浮かん だ。私は“お前は突くのか”といわれているようだった」》
敗戦後,日本を占領した連合国軍が真っ先にやったのは、日本を永久に弱体 化させる事であった。日本軍の強さは十分知り尽くしていた。こんな国が又復活したら自分達が困るから、2度と立ち上がれない様に徹底的に日本軍を悪者に仕 立て上げたのである。その口車にまんまと乗せられているのが日本人で、一番大切な教育の現場とマスコミが手先となって洗脳を行なったのだ。彼等は自分達の 父祖が辱められている事に何の痛痒も感じないらしい。
上海特別陸戦隊の大山勇夫海軍大尉の最期を知っているか。通州事件でどれ だけの日本婦女子が惨殺されたか。もし、そんな事件は知らないと言う様なら、もう2度と戦争の事で知ったかぶりするのは止せ。 南京大虐殺はこの事件をヒ ントにして彼らが言い出だしたもので、婦女子への残虐な行動や、子供の殺し方など日本人には想像もつかない状況が馬脚を顕わにしている。
それに、こんな頭の弱い女をジャンヌ・ダルクに例えるのも大間違いの笑い話である。大 体、ジャンヌ・ダルクは戦場の殺人行為に真偽の判断すらつかず、心臓がパクパクする様な、か弱い女ではない。祖国の存亡を賭けたオルレアンの戦いでは兵士 たちの先頭に立って指揮を執り、イギリス軍を破ったと伝えられているが、常に軍と共にあり、心臓パクパクなんて事はなかった。
サイパン島には「バンザイ・クリフ」と呼ばれる悲劇の名所が ある。戦場となったサイパン島で敵に捕らえられる事を恐れた日本の女性が次々に身を投げた断崖で、実際に飛び降りる女性達の姿は今も映像に残されている。 涙なくしては見られないシーンだが、実はこの映像には演出が加えられていたのである。撮影班は、カメラを最も良い位置に据え付けるとOKのサインを送り、 合図を見たアメリカ兵たちは、まるで猟犬が獲物を追い立てる様に撮影スポットに女性たちを追い込んで行く。こうして身投げする女性たちの姿が鮮やかに残さ れたのだ。あらゆる残虐行為の中で最も悪質な行為と言えるだろう。