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日韓合邦の真実

2011年10月21日 23時13分39秒 | 歴史

かつて日本は美しかった

からの転載です。

日韓合邦の真実をとても詳しく資料に基づいて書いておられます。破綻国家だった李氏朝鮮を近代化していくために、日本はかなりのお金をつぎ込みました。三回にわたる日韓合邦についての記事を転載しました。

 

転載開始

 日韓合邦は世界の意思

日韓合邦は日本の強制ではない。

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 明治43年(1910年)8月22日、大日本帝国と大韓帝国の間に「韓国併合ニ関スル条約」が 結ばれました。いわゆる韓国併合。日韓合邦です。この併合は日本帝国主義が武力によって行った強制だったというのは真っ赤なウソです。韓国には一進会とい う韓国民衆のエネルギーを結集した知識人たちの政治団体があり、熱烈に日韓合邦を望んでいたのに対し、日本は巨大なお荷物を抱えることに躊躇していまし た。

 当時は合邦国家というのは主流でありオーストリア・ハンガリー帝国、チェコスロバキアなどがあります。日韓合邦もなんらおかしな話ではなく、植民地の形態でもありません。
 また日韓合邦をイギリス、アメリカ、ドイツ、フランスなどの列強がすべて賛成しています。事大主義の韓国にあっちつきこっちつきされたのでは大陸が安定しません。決定的なのはハーグ密使事件でしょう。明治40年(1907年)に大韓帝国がオランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送り、自国の外交権保護を訴えるも国際社会から完全に拒絶されています。

 アメリカの著名な外交史家タイラー・デンネット
「韓 国人は、その最近の歴史も駐米外交官達も、ルーズベルト大統領の尊厳や賞賛の念をひき起こすことができなかった。大統領にとって長い間海上に遺棄され、航 海に脅威を与える船にも似た韓国が、今や綱をつけて港に引き入れられ、しっかりと固定されなければならないことは明らかだったように見える」

 アメリカは日韓合邦を肯定しており、日露戦争が終わったときさっさと韓国から在来公館を全部引き揚げてしまいました。ルーズベルト大統領は
「もはや朝鮮は国家の体をなしていない」と発言し、小村寿太郎外相に「将来の禍根を根絶させるためには保護化あるのみだ。それが韓国の安寧と東洋平和にとって最良の策である」と語っています。イギリスの外相ランズダウンも独り立ちできない韓国が日本の保護下に置かれることは当然だ、と語っています。第二次日英同盟では「グレートブリテンは日本が利益を増進するため、正当かつ必要と認める指導、監理および保護の措置を韓国において執る権利を承認する」と記されています。清もロシアも何の異議も唱えず何の抗議声明も行っていません

  韓国の国家財政は完全に破綻しており、列強からの借金は莫大な額になり返済のあては全くなく、帝国主義の時代にあって、政治、経済、社会、文化、教育、衛 生、すべての分野においてどうしようもないところまで陥っていたのです。日本が韓国を植民地支配したというなら収奪の対象になる財貨、物産がなければなり ません。しかし、韓国には道路はない、鉄道はない、港湾はない、橋はない、破壊されたハゲ山、堤防のない河川、野放しの農地、破壊された自然しかなく、これらを回復させるために何十年と日本国民の血税を充てなければならず、逆に日本が収奪されていったのです。



参考文献
 扶桑社「日本の植民地の真実」黄文雄(著)
 朱鳥社「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 展転社「大東亜戦争への道」中村粲(著)
 ワック出版「歴史通」2010.7『奴隷のいた国、いない国』高山正之
参考サイト
 WikiPedia「ハーグ密使事件」

添付画像
 李朝時代の西大門1900年(PD)

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日韓合邦を熱望したのは民衆の支持を得た「一進会」

日韓合邦は韓国民の意思だった。

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 明治43年(1910年)、日本と大韓帝国との間に「韓国併合ニ関スル条約」が結ばれました。日韓併合です。

 もういちど読む 山川日本史
「日露戦争中から戦後にかけて、3次にわたる日韓協約をむすんだ日本は、韓国を保護国として統監をおき、韓国の外交・内政・軍事の実権をつぎつぎと手中におさめていった。
  韓国では、韓国軍の解散に反対して義兵運動を展開するなどはげしく日本に抵抗したが、日本は軍隊を出動させて鎮圧した・・・日本政府は1910年(明治 43年)、ついに韓国併合をおこなって(韓国併合条約)、韓国を日本の領土とし、朝鮮総督府をおいて植民地支配をはじめた」


 教科書ではまるで日本が一方的に併合したように書いています。また「植民地」などというのもまったくおかしな話です。そして日韓合邦を熱望した一進会のことが全く書かれていません。とんでもない歴史観を学校で教えられているということです。

 日韓合邦は李容九(イ・ヨング)らの一進会(イルチンフェ)とよばれる政治結社が提唱していました。一進会は東学党の流れを汲んでいます。東学党は明治27年(1894年)の東学党の乱で歴史舞台に大きく登場しています。
  1824年、没落した両班(貴族)の家に生まれた崔済愚が、万人平等、人間尊重を説き、貧しかった農民の間に浸透していきました。しかし李朝政府は 1864年に民衆を惑わす邪道として彼を処刑します。しかし、二世教祖は隠れて教えの拡大を行い、三世教祖たちは首都で初代教祖の無実と不況の自由を訴え たため、李朝政府は弾圧に乗り出し、明治27年(1894年)に東学党の乱と呼ばれる武力闘争になっています。そして日清戦争勃発しました。

 日清戦争によって清国の敗北を見た東学の指導者たちは日本へ行って朝鮮開化党の志士たちと会合を重ね、清国やロシアと組むのではなく、日本と組まなければ朝鮮開化の道はないと理解し、「進歩会」と名を変え、大同団結して「一進会」を結成し100万余を号するようになりました。(当時の朝鮮の人口は900万余)

  日露戦争のとき、一進会の指導者李容九(イ・ヨング)は日本が勝利しなければならないとの確信から日本支援に踏み切り、全力をあげて鉄道建設を支援し、京 城から以北の鉄道建設に協力した一進会は15万人といわれ、日本の物資を搬送した会員は10万人以上と言われています。これは一進会の強制でも日本軍の強 制でも何でもなく、自弁です。

 明治38年(1905年)、日韓保護条約の方針が発表されると一進会は
「李朝政府の外交権を日本に委任せよ」と大規模デモを行い、伊藤博文が朝鮮統監として赴任してきた日には南大門に「歓迎」の巨大な幕が張り出されます。韓国の知識人が国債の償還をうたい、草の根や木の皮まで食べて生きながらえていた国民から義援金を集めようとしたとき、一進会は激しく抗議しました。

 ハーグ密使事件で高宗が退位し、韓国軍は皇宮護衛を残して解散すると京城で市街戦が始まり、各地で反日暴動が起こります。反日暴徒は日本軍とだけ戦ったのではありません。一進会とも戦ったのです。戦いの中で多くの一進会員が犠牲となりました。

 一進会は売国奴ではありません。韓国は世界から信頼を失っていただけでなく、経済的にも破綻し自立再生不能になっていたのです。一進会は朝鮮民族が滅亡から逃れるには国家を亡くしてでも日韓併合しかないことを知っていたのです。



参考文献
 扶桑社「日本の植民地の真実」黄文雄(著)
 朱鳥社「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
 山川出版社「もういちど読む 山川日本史」五味文彦・鳥海靖(編)
 草思社「親日派のための弁明」金 完燮(著)荒木 和博・荒木 信子(訳)
参考サイト
 WikiPedia「李容九」「甲午農民戦争」「東学」
添付画像
 李容九(PD)

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日韓合邦で搾取したのは日本ではなく韓国

日本が朝鮮半島を植民地化して搾取したというのは大嘘。

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 明治37年(1904年)、日本と大韓帝国の 間に第一次日韓協約が結ばれました。明治39年(1906年)、統監府を設置しました。ここから明治43年(1910年)の日韓合邦まで、日本は大韓帝国 の歳入不足を無利子・無期限で「立替」て交付しました。4年間で1428万円です。司法、警察など日本政府が受託した分野では日本政府が直接支出しまし た。4年間で9000万円です。韓国の歳入は明治39年(1906年)に748万円しかなかったのです。韓国は財政破綻、国家破産の状態でした。

  日韓合邦によって日本は本格的に大変なお荷物を背負わされることになりました。明治44年(1911年)の朝鮮半島の歳入は3565万円ですが、日本より 1235万も補充しています。しかも公債・借入金は別途1000万円もあり、これは内地の日本人から調達したものでした。朝鮮人は全く参画しませんでし た。そんな公債を買う朝鮮人はいませんでした。

 朝鮮半島の日本統治三十六年の朝鮮の財政は3565万円から31億円へと67倍になり、年平均15~20%が本土からの補充金によって支えられています。これには朝鮮半島の国防費は含まれていません。韓国人が言う朝鮮半島日本統治三十六年間は日本搾取の時代というのは全くのウソであり、逆であり、日本が半島に搾取されていたのです。

 台湾を見ると日本統治開始後10年で自立財政を果たしています。しかし、朝鮮半島は最後まで自立できていません。朝鮮人は歴史的に自立心、独立心が失われたいたのと、儒教からくる労働蔑視思想が障害になったものと思われます。

  韓国はこれまで「韓国が有史以来、独立を失ったのは、後にも先にも日帝三十六年の時代だけである。それ以前はずっと独立・主権国家だった」と主張していま すがとんでもない嘘っぱちです。668年の統一新羅が唐の属国となって以来、モンゴルの属国となり、明の属国となりました。清の時代に入って清の力が強く なっても清に隷属しなかったため、清の皇帝ホンタイジが1637年に朝鮮に大軍を率いて侵入したため朝鮮王は降伏し、清の属国となりました。1894年の 日清戦争は日本が朝鮮の独立をかけて戦っています。そして大韓帝国として独立しています。下関条約の一条には「清国は朝鮮の独立を承認する」とはっきり書かれています。

  韓国は千年もの間、大陸政権の属国だったのです。そして近代で独立したのは日本が清国と戦って与えています。現在の大韓民国も連合国が与えた独立です。自 分らの力で得たものではありません。そのため韓国人には事大主義が根ざし、「自立」意識が希薄のまま、他国に依存しなければ生きていけなくなったのだと思 います。それは現在でも続いており、平成9年(1997年)の通貨危機には日本からの援助を受けています。さらに現在も財政破綻の危機が起こっており、通 貨スワップによって日本からの保護を受けています。しかし彼らは竹島を不法占拠し、歴史を捏造、歪曲し、反日運動を繰り返し、恩を仇で返すことしかしてい ません。



参考文献
 扶桑社「日本の植民地の真実」黄文雄(著)
 PHP新書「世界史のなかの満州帝国」宮脇淳子(著)
 徳間書店「歴史を偽造する韓国」中川八洋(著)

添付画像
 ソウル東門1904年(PD)

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転載終わり

 

 


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (JJ太郎)
2011-10-22 18:58:25
こんにちは。
gooブログがありましたか。転載ありがとうございます。
ちょくちょく寄らせてツイートさせていただきます。
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