最近庭でヒョウモンチョウやアゲハチョウをよく見かける。チョウは実に優雅で、その羽の模様の美しさはとても繊細で、いったいこの左右対称の曲線の美しい網目模様や、斑点の模様は誰のために描かれているのだろうと思わずにはいられない。
もちろんチョウも種族の繁栄のために、オスがメスを呼び、メスがオスを呼ぶための模様や色彩であろうとは思うが、この虫たちが、この美しさを本当に理解して呼び合っているわけではなかろうに、虫たちにとっては、たまたまの形あるいは色に過ぎないのに、どうしてこうも美しいのかと不思議に思う。
もし人間がいなかったなら、この虫たちの美しさを美しいと感じるものはきっといないのだろう。鳥も爬虫類も、この虫たちを美しいなどと考えることもなく捕食し、世界はただの弱肉強食の世に過ぎないだろうけど、チョウを美しいと感じる人間のために、チョウは美しい姿をしてくれているのだろうか。などと考えたりしてしまう。
こういう自然の美しさを見ると、私はキリスト教信者ではないが、聖書の次の言葉を思い出す。
野の百合はいかにして育つかを思へ、労せず、紡がざるなり。されど我汝らに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装(よそおい)この花の一つにもしかざりき。今日ありて明日炉に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひたまへば、まして汝らをや、・・・
自然はどれだけ、気前よく、ふんだんにその美しい造形を次から次に出してくるのだろう。無限に尽きることなく無造作にそこにある美しさを見ると、キリスト教徒でなくても、仏教徒でなくても(家の宗旨は浄土宗だから仏教徒かも知れないが)、自然の中にある不思議な智慧に対して、畏敬の念が湧くのをおさえられない気がする。
ツマグロヒョウモンのオス
ツマグロヒョウモンのメス
うちの庭にいた幼虫です。しっぽのようなトゲがおしりのあたりにあって、パタパタとしっぽのように前後に動いていました。何の幼虫かわからないけど、アマチャヅルの葉っぱを食べていました。蝶か蛾の幼虫でしょうが、調べてもわかりませんでした。
芋虫と思うとちょっとギョッとしますが、よくみるとそれなりにきれいな模様です。ずっと見ていると、可愛くなってくるからふしぎなものです。