小さな自然、その他いろいろ

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格付け会社の嘘と欧州放射線リスク委員会は詐欺団体だ

2012年06月05日 18時01分36秒 | 経済

日本核武装講座からの転載です。

日本の国債の格付けが以前からおかしいことは気づいていましたが、他にもこんなにおかしいデータがいっぱいなんですね。

日本の評価が何かおかしい時に、マスコミはその評価を鵜呑みにして論調を組み立てていますが、これも変ですね。世界はどんなことにもその裏に利害が絡んでいて、信用出来ない部分があるということです。

日本人は馬鹿正直に捉えすぎて、日本はダメだダメだと思いすぎです。自分のことは自分で一番良く分かる部分があるのに、人の評価に乗って、おかしな改善策を出したりせずに、自信を持って自国の歴史のなかから自分に合うやり方を探してくるほうがきっと正しいことが出来ると思います。

 

スイスにIMDという団体がありまして、そこが2012年度の国別競争力なるものを発表しております。
それによると、日本の競争力は1つ落ちて27位だそうです。しかも隣の技術泥棒国家が22位で日本よりもうえなんだそうです。
 
 
download wcy ranking 2012より。
 
これでまた「ウリはイルボンより優秀ニダ」とホルホルしそうな感じだし、特亜の犬になり下がった日本のマスゴミが「日本はダメダメだ」と騒ぎそうですね。
しかし、このIMDなんていう団体は何を見ているんだろうね?
総じてコイツラ(スイスのビジネススクールである、経営開発国際研究所=IMD)が言いたいのは、アジア地区が下げているぞと言う事なんだろう。
 
順に見て行くと、香港が一位で、以下アメリカ、スイス、シンガポール、スウェーデン、カナダ、台湾、ノルウェー、ドイツ、カタールと続く。
アメリカとドイツを除くと小国ばかりだ。
自由貿易が盛んに行われる様になったので、小国であればあるほど、ある特定の分野に特化する事で、競争力があるように見えてしまうのです。(俗に言う統計が嘘を吐くのです)
これは両刃の剣とも言えるもので、その分野が落ち込んでしまうといきなり順位を落としてしまう事になります。
人口の比較的多い国、例えば日本ですが、一つ順位を落としたと言いますが、地震や津波の影響と言う事も出来るでしょう。
そういう人口の多い国は、色々な分野の産業を抱えております。それは非能率な分野もある半面、多くの物を自給できる事を意味しています。
まあ、アメリカが2位に入っているというのも、何か変な感じがします。
アメリカは景気が良くなると貿易赤字も増える国です。自国の製造業があまり振るわないので、外国から家電や自動車を買わなければ需要を満たせない国なんです。
考えられるとすれば突出した軍事力でしょうね。いつまで持つか解りませんが。
世界経済フォーラムという所からも同様のデータが出てきます。此方はIMDよりも細かく分析をしていますが、やっぱりこの罠から逃れられていないように見えます。
 
次は、労働生産性。
 
イメージ 1
 
日本国は20位で、OECD平均以下です。
ホントなのかよwww
しかも潰れそうなイタリアだの、アイルランドだのにも負けているってか?しかもギリシャの一つ上?
で、円高になっちゃうわけ?
それっておかしくないですか?
 
例えば、マネーゲームに現をぬかしたような国では、少ない人数で大きなお金を動かすので、労働生産性は上がっているように見える。
日本のように製造ラインの自動化が進んだ国では、自動化ラインは設備としてカウントされるから勢い労働生産性は下がって見えることになる。
N捨てで古館あたりが深刻そうな顔をして「日本はもう特亜抜きでは食べていけない国なんです。だから特亜とは仲良くしなければ」なんて言い出しそうですが、バカバカしい限りです。
統計データが実際の状況を説明していない良い見本です。
 
次は国債に行きましょうかw
 
 
日本国債を1段階格下げ フィッチ、債務残高理由に
 
欧米系の大手格付け会社フィッチ・レーティングスは22日、「日本の財政再建は切迫感が欠けている」として、日本国債の格付けを21段階のうち4番目の「AAマイナス」から5番目の「Aプラス」に1段階引き下げた。フィッチが日本国債を格下げするのは10年ぶり。
 格付けは、各国の政府が発行している国債に投資した場合、そのお金が将来返ってくる可能性がどれだけあるかを評価しており、格付けが高いほど 信用が高い。日本の「Aプラス」はイスラエルやスロバキア、マルタなどと同じで、「AAマイナス」の中国や台湾、チリより下になった
 
テーマ:格付け一覧
日本時間2012年5月23日現在での、フィッチ・レーティングスによる
最新国債格付け一覧(赤字が今回の格上げ対象国)

※日本とギリシャを変更

AAA  豪、カナダ、英、独、仏、スウェーデン、米、オーストリア
AA+
AA   ベルギー、
AA-  サウジアラビア
A+   日本中国、韓国
A    スペイン、スロベニア、
A-   イタリア、
BBB+ アイルランド、南アフリカ
BBB   ブラジル、タイ、ロシア
BBB-  キプロス、インド
BB+   ポルトガル、ハンガリー
BB    トルコ
BB-
B+
B     アルゼンチン
B-    
CCC+
CCC   ギリシャ   
CC
C     
RD    
 
 
日本のスワップで辛うじて息をしている韓国と一緒だってさwww
もう笑っちゃうしか無い。
で、その結果何が起きたかというと、フィッチの格下げをあざ笑うかのように円が高値を付けた訳だwww
フィッチの格付けを市場は一瞥もしていないって事ですね。
フィッチなんてもう止めちゃったらwww
 
日本の国債の格付けは、ずうっと下がりっ放しです。
しかし、以下を見れば解るように、国債利回りは下がり続けています。
 
イメージ 2
 
長期金利というのは10年物国債の利回りです。
債権とは御存じでしょうが、ハイリスクな債権はハイリターンでなければ売れません。ローリスクな債権はローリターンでも売れる訳です。
ですから、10年物国債の利回りが下がり続けているという事は、世界中の誰もが日本国は破綻しないと考えているって事なのです。
イタリアの国債利回りは6%、スペインもそれくらいですが、日本は0.8%です。
それでもイタリアとスペインは日本の一つ下に格付けされているのです。そして、A(シングルA)の格付けであれば今まで破綻した事が無いのです。(フィッチのシングルAが当てになるかどうかは知りません)
イタリアとスペインが直ぐに破綻する事は無いかもしれませんが、それでも日本の国債と近くなっているって判断はどう見てもおかしいですね。
 
 
このようにデータが現実を説明していないという例は数限りなくあります。
増してや欧州リスク委員会のように、詐欺まがいの(つーか、詐欺だよ)学者が放射能を排除する薬なんてものを売りさばいている団体が出してくるデータなんか、一瞥する価値すら無いのです。
 
 
(Dr クリストファー バズビーとは、欧州リスク委員会の中心人物です)
 
 
 

 
 
 
 
 

すったもんだの挙句・・・・動かすのかよw

2012年06月02日 02時24分05秒 | 経済

日本核武装講座からの転載です。

企業活動が原発停止で、できなくなると、経済不況はそのまま多くの人の生命に直結します。国内の企業活動の空洞化も起きてきて、失業問題も起きれば、いったい日本経済はどうなるのかと思います。民主党政府は、こんな時にも消費税増税をしようとしているのですから、生活困窮者にとっては、追い詰められていくことになります。その上暑い夏の不快指数が、節電のために上昇すれば、社会不安での事件も起きやすくなるのではないでしょうか。

大飯原発再稼働は、容認されて、少しほっとしました。原発は停止しているからといって、動いている時より安全になるわけではないことは、本当は専門家なら知っているはずですが、マスコミ報道でだまされて、皆止まっていれば、安全になると思い込んでいます。事実は、止まっていようがいまいが、安全性は変わらないという話です。だったら、動いて電気を作っている方がマシです。なんで原発問題というのは、非科学的な判断ばかりが横行するのでしょうか。

 

 

http://mainichi.jp/select/news/20120531k0000e010167000c.html?inb=yt

大飯再稼働:橋下市長、一転「事実上容認」 前日発言翻し

毎日新聞 2012年05月31日 12時00分(最終更新 05月31日 13時24分)
大阪市の橋下徹市長=三浦博之撮影
大阪市の橋下徹市長=三浦博之撮影
 大阪市の橋下徹市長は31日、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働について、「基本的には認めない」としていた前日の発言 を翻し、「事実上、容認する」と明言した。ただ、「期間限定(の再稼働)は言い続けていく」として、秋ごろをめどに運転停止を求める考えを示した。
 橋下市長は市役所で記者団に、「上辺(うわべ)ばかり 言っていても仕方ない。事実上の容認です」と語った。これまで大阪府・市のエネルギー戦略会議などでは、再稼働しなくても電力は足りるとする趣旨の議論が 展開されてきたが、「足りるというのは個人の意見だ。きちんとしたプロセスで確定した数字は前提にしなければならない」とも発言。政府が今夏、関西で 15%の電力不足が生じると試算していることを踏まえ、「この夏をどうしても乗り切る必要があるなら、再稼働を容認する」と述べた。また従来、「安全が不 十分な状態での再稼働はあり得ない」と繰り返していたが、「机上の論だけではいかないのが現実の政治だ。最後は有権者に判断してもらったらいい」と説明した。
 
 
原発を再稼働させるしかない。
冷静に物を考える事が出来る人達はずっと前からそう主張してきた。
ハシゲ以下、滋賀県知事、京都府知事はやっと正気に返ったのだろうか?
いや、まだまだなのか?
以下の台詞は悔し紛れの負け惜しみなのだろうか?
ハシゲ自身が図らずも言ってしまっているように、
脱原発なんて、
上辺ばかりで、机上論だった訳だな。
 
 
ただ、「2年も3年も動き続けるのはあってはならない」と期間限定であることを強調し、「大飯原発は例外」として、他の原発の再稼働は認めない考えを示した。家庭用の電力自由化やピーク時の料金値上げなど「電力供給革命が起こった」と、自身らの取り組みの成果も示した。
 橋下市長は30日、関西広域連合が再稼働について政府に「限定的な」判断を求める声明を出したことについて、「(再稼働は)政府の判断で、僕は基本的には認めない。(夏だけ稼働させるという)動かし方もあるんじゃないかという問題提起だ」と述べていた。【茶谷亮】
 
 
二年も三年も動き続けないのですよ。次の定期点検にはいりますから。
それがまた夏場や冬場であれば、結局は他の原発を動かさざるを得ませんでしょう。
 
結局は、仁坂和歌山県知事の
「15%節電は手荒なことをしないと達成できない。計画停電による生命のリスクも全部クリアできない。(原発を)止めることを思って議論しているわけでない」
との発言にビビりが入ったのでしょう。
 
和歌山県知事に言われてビビるくらいなら、最初から覚悟も無く『脱原発』なんて言うんじゃねーよ。
政治家の劣化が止まらないねェ
 
原発の話をするのに自動車の事を論って説明する事が多いのですが、自動車は年間で6千人からの人間を殺しているのです。
原発事故では政府がメンツを守ろうとしてか、避難指示を解除しないので深刻そうに見えるのですが、誰も死んでいません。
それどころか病気になった人も一人たりとも居ないのです。
札幌医大の高田純教授は、「以後心配ご無用」と言っています。それは正しいのでしょう。
原発を停めろと言っている人は、不思議な事に年間6千人殺している自動車を「停めろ」とは言いません。
オカシイじゃないですか?
原発事故では誰も死んだり病気をしたりしていませんが、現実に自動車は死人もけが人も後遺障害者も続出させているのです。放射脳さんたちは、原発よりももっともっと危ない物を平気で転がしているのです。
京都府の豊岡市では通学途中の子供に無免許運転でしかも居眠り運転の自動車が突っ込み、子供が何人か犠牲になりましたね。
「子供を守れ!脱自動車!」
なぜ、そう言わないのでしょうねえ?
 
 
自動車なんてものがこの世にあるから事故が起きるのです。
「脱原発」を喚き散らす放射脳供は自動車をやめて、どこへ行くにも歩いていくようになったら話を聞いてあげますよ。
「原発をやめろ」と主張している人が、レンタカーを借りて被災地を見に行ったそうです。
原発よりももっともっと危ない物を転がして、殺人者になるかもしれない?片やその人に殺されるかも知れないというリスクを無視して。自動車が人を殺すのは構わないが、誰も殺してない原発は容認できないなんて頭がオカシイんじゃないですか?
(保険はかけてあるのだろうから、事故を起こして人を死なせても金銭的な補償はできる。しかし、それは一方で金さえ払えば人を殺してもいいんだろという意識を実際の行動で示しているのと同じだ)
昔は新幹線も自動車も無かったから、松尾芭蕉は歩いて奥の細道を旅行したのです。
やってやれない事はありませんよ。放射脳さんたちwww
 
 
本当の話は、自動車が無いと死ぬ人間の数は6千人では済まなくなるのです。
パトカー、救急車、消防車は言うに及ばず、物流をつかさどるトラックなどもそうです。
多くの人を運ぶバスなどもそうです。支那人が運転すると危ないからバスを無くしてしまえとは誰も言いません。
それは、それらが無くなると、死ぬ人の数がもっと増えると解っているからなのです。
トラックやバスを無くしてしまうと、経済活動が麻痺します。経済活動というのは血液と同じですから、血液が巡らなくなると生物は死んでしまうのです。国だって地域だって同じです。
物資が届かなければ生活できません。病院へ行っても医者が出勤出来ません。火事が起きれば燃やしっぱなしです。犯罪者を捕まえるのも手間が掛かります。会社へ行けなければお金を稼ぐ事は出来ません。会社は作ったもの、買ってきた物を出荷できません。即ち商売できません。
そうなれば人だって生きていは居られなくなる事は容易に想像できるでしょう。
それらが全て『経済活動』と名が付いているのです。経済って人の行き死にに直結するのです。
同じ理屈によって、原発をやめれば死ぬ人が増えるのです。
それは世の中が電気で動いているからです。
 
 
関西電力は電気の5割を原発で作っています。
完全に停めたら電気が足りなくなるのは解りきっているでしょう。節電を呼び掛けるという事そのものが、足りない証拠なのですよ。
 
 
和歌山県知事の鶴の一声で、「原発を動かさなければもっともっと多くの人が生活出来なくなる。死ぬ人も増えてしまう」と気が付いたのであれば良いのですが・・・・・・
 
取り敢えず関西は救われたようですね。
 
 
ハシゲ率いる大阪維新の会は、大阪市を改革して、日教組を潰してくれればあとはお払い箱ですか?
 
 
 
 

節約生活の反省1 -生命の経済学

2012年05月30日 11時56分15秒 | 経済

蘇る日本! 日本を良くすることができるのは、わたしたち日本人ですからの転載です。

非常に現代の経済のおかしさをわかりやすく解説されています。また経済というものの心理的な部分がよくわかる気がします。確かに、今の状況すごく変ですよね。経済が活発であるというのはその社会の貨幣の循環率が高いということにほかならないですよね。使うことで、どんどん経済が活性化して、行くというのは、恰も人間の体の新陳代謝にもにて、適度な運動がで、どんどん身体が元気になるのにも似ています。節約ばかりが叫ばれる現代の不況、おかしいです。インフレならば節約もいいでしょうが、デフレの時期に節約すればするほど、経済は沈滞してしまいます。何か勘違いが起きている気がします。

 

 

 
  世界全体に不況が襲い、我が国にはデフレ不況、震災、原発という幾重もの困難がのしかかっています。政府・マスコミは「少子高齢化のため今後我が国の経済 成長は望めず、政府は財政破たんの危機にあり、大増税が不可避である。国民はひたすら経済不況に耐え忍び、節約に励め・・・」といった論調で語っていま す。
 
 しかし、不況、不況と言いますが、この不況は何かおかしくないでしょうか?
 まず私たちの目の前の現実を見ると、市場には製品が溢れかえっています。例えば、お店に行けば食料品も飲料水もその他生活物資も山のようにあります。家電量販店に行けば、テレビ、パソコン、携帯等々が所狭しと陳列されてます。在庫が積みあがってます。我が国全体として製品はあり余るほど沢山ありながら、お金を持たない人がとりわけ若い世代に多いので、それを使うことが出来ないでいます。
 
 
 また、被災地では道路、港湾、学校・役所、ビル・住宅などの建設が必要とされていますが、復興に必要な資材はあるし(※円高のため海外から資源を購入することも比較的容易い環境にある)、重機もあります。長引く不況で重機を多く持たない建設業者もあるそうですが、重機を生産する力は十分にあります。エネルギー資源については、メタンハイドレードという海底資源が我が国にはあります。さらに、我が国は航空母艦でも、長距離ミサイルでも、長距離爆撃機でも、核兵器でも、作ろうと思えばつくる力はあります。
 このように、一方であり余るほどの物資と十分な生産力があるというのに、私たちはただ「お金がない」という理由だけで「不況」で苦しんでいるのです。これが私たちが直面している「不況」の現実です。全く馬鹿げていませんでしょうか。
 
 
  北朝鮮のように、モノを生産する力が根本的に欠如しているならば、いくらお金があっても豊かにならないことは理解できます。なぜなら北朝鮮ではいくらお金 を持っていたところで、そもそも物資や製品が不足しているのだから、国民みんなに物資や製品が行き渡らせることができません。そんな状況であれば、それこ そお金は紙屑同然で、価値がないと言えます。
 
 
 
 しかし、我が国の場合は全く事情が異なります。日本は国家全体としてみれば、衣食住、さらに被災地復興、そして国防まで、自国の生産力でほとんど全部まかなうことができます。ほとんどどんなものでも、部品作りから、組み立て、完成まですべて自国でできてしまう――、こんな国は世界中探してもそうないはずです。我が国はそれほど豊かで素晴らしい生産力を持っているのです。
 
 にもかかわらず、我が国は深刻な不況で苦しんでいます。
 
 では、なぜこのようなデフレ不況に陥ったのでしょうか。谷口哲学に基づいて考えれば、私は根本的な原因は国民が恐怖心を抱いてしまったからだと思います。
 バブルが崩壊した、あるいは不景気になったからと言って、国家全体として見れば、土地が消えたわけでもなく、紙幣が消えてなくなったわけでもありません。物資もお金もありながら、物質的な環境はそのままでありながら、恐怖心を抱いたために不景気になったのだと言えると思います。
 
 
 
  そもそも国家全体のお金を合計すれば、(政府や中央銀行が貨幣を発行しない限り)基本的に同じだけのお金があるはずです。お金は使っても決して消えてなく なるわけではありません。政府が使っても、企業が使っても、家計が使っても、そのお金は必ず誰かの収入になり、お金の総量は決して減ることはありません。
 むしろ、その効用を考えれば、お金は使えば使うほどその価値が増えると 言えます。つまり、同じお金の分量しかなくとも社会に循環する回転率が増えるからです。10万円のお金でも世間をグルグル回って、1か月に10回自分の手 に戻っては出ていくとすれば、同じ10万円でも100万円に生かして使うことができます。しかし、それを手許に死蔵しておくと、10万円が10万円だけの 値打もない、何にも役に立たないということになります。
 私の尊敬する谷口雅春先生のご文章を抜粋します。
 
 しかし、金を使って帰ってくるならだれだって使いたいが、使えばなかなか帰ってこないので万一の時に貯蓄しておくことが必要だという人があります。これが世間の一般的な考え方であります。「生長の家」では「心の法則」ということを常に申しまして、身体は心で思うようになるというのでありますが、経済界も心で思うようになるのであります。「金は使ったらなかなか帰って来るものではない」と一般の人が固く心で思っている。だから自分の手許へ金がはいってきたが最後、金輪際出すまいとがんばります。 まちがった道徳家はそれを節約の美徳だとして推奨します。そこで流通と循環とが本体であるべき経済界に、金の流れをじゃまする詰まったところがあちらこち らにもできてきます。節約だといって、大金持ちまでが金をたんまりと持っていながら雇い人を解雇したり、人のつくったものを買わなくなったりします。こう なると、経済界は不景気になって出した金がなかなか手許に帰って来なくなります。すなわち心で思ったとおりになったのでありまして、実際の不景気が先に起 こるのでなく心に起こった不景気が、つぎの形をあらわしたので、経済界も心のままになるのであります。
(中略)
 経済界もこれと同じことでありまして、財を一箇所に停滞せしめないように根本からすれば問題はないのであります。なんでも一箇所に「積む」ということは よろしくない。これを日本人は太古からよく知っていた。だから古代日本人は「罪」を「積む」という言葉と同じ語源から作ったのであります。ところがたぶん 外国からでありましょう、「節約」という言葉が輸入されてきました。これを日本語では「しまつ」といいます。「しまつというのは「しまる」ことすなわち「引き締める」ことでありまして、出口をくくってしまうことであります。出口をくくってしまうから財が循環できなくなる。循環しないで一小部分の人間のところに富が蓄積するから、ここに近代の資本主義経済組織ができあがったのであります。
 マルクスは唯物史観を説きますが、「生長の家」は唯心史観であります。近代の経済組織は節約しなければ万一のために困ることが起こる、という人間の恐怖心が原動力となって築かれたと 観るのであります。この恐怖心がもとになって富が一部に蓄積され、有無相通ずる流通が完全に行われないために、貧富の懸隔がますます激しくなり、資本家が 無資産家を脅かすようになったのであります。だから、この不完全な経済組織を改造するには、何も制度そのものに斧鉞(ふえつ)を加えるにはおよばない。人間の心からこの恐怖心をとり去り、財をわれわれは蓄積しないでも、われわれの生活になくてはならぬものは必ず神が与え給う――換言すれば無尽蔵の大生命から与えらえる――という大信念を人間に与えるようにすればよいので、こうすれば財がある一箇所に片寄って有るという畸形な状態はなくなって、全体の人間に平等に富が循環するようになるというのであります。
(『生命の実相』第2巻、p.193~194)
 
 バブル崩壊、リーマンショック、政府(財務省)やマスコミによる「財政破たん」の大宣伝、マスコミによる連日の不景気なニュース・・・、そのようなマイナスの情報を聞かされて、国民は将来に漠たる恐怖心をもち、益々「節約」に励むようになったのではないかと思います。しかし、政府も企業も家計も「節約すればその分だけ自分が富む」と思い誤って、自己利益の保全のために「節約」に励んだものの、それで却って今日の深刻な不景気に陥ってしまいました。
 
 
 人は節約と言えば美徳のように考え、職工や労働者を解雇するといえば、その雇い主をいかにも没義道(もぎどう)な 不徳漢のように思いますが、それは大いに考え方が違っていると思います。節約するということは職工や労働者が労力を出して造ってくれた品物を使わないこと にするのでありますから、結局、職工や労働者の力を使わないようにすることであります。そしてまた解雇すると言うことも職工や労働者の力は使わないように することでありますから、節約と解雇とは結局同じものを二様にいっているにすぎないのであります。(中略)「物」を節約するのは「人間」の力を利用することを節約するのと同じことであるからであります。
(中略)
信仰心の深い人は「もったいない」ということをよくいわれますが、なんでも買わず使わずに不自由をがまんして窮屈な生活をしている方があります。「生長の 家」ではそんな節約ぶりには大反対であります。どんなものでも元は神さまが作ってくださったのだからもったいない――そのところまでは同じでありますが、 次は異(ちが)います。わたくしどもでは、つかわないではもったいないからできるだけ生かして使えというのであります。与えられていないものまでを無理をして使うのはいけませんが、与えられているものを生かさない節約は人類の敵であります。われわれが生命力を出して仕事をした。その仕事をだれもつかってくれなくてはその努力が生きて来ません。物を生かして使うということは、人がそれをつくるために注いでくれた生命を生かすと言うことになります。この世は持ちつ持たれつの世の中でありますから、人の注いだ生命を生かすことは自分の生命を生長向上発展さすことになるのであります。だから「生長の家」では買うことを節約せよとはいいません。買うて生かせと いうのであります。大いに生かすためには大いに買わねばなりません。こうしますと購買力はふえ、製造会社や販売店の収入が増加し、職工も社員も店員もその 収入が増加し、したがってますます購買力がふえ、新事業の計画もなんらの危険なく行うことができ、したがってあとからあとから増加する人間の職業にも道が 開けてくるのであります。こうなれば就職難も会社のつぶれる心配もないのであります。
(中略)
しかも、「買う」ということは、単に「寄付」するということよりもいっそうの美徳であります。寄付するということは、働かぬ者にまで、なまけてずるい者にでも与えることになる場合があるのでありますが、「買う」ということは、働きとという尊い生命活動に価(あた)いを支払い、次の生命活動を起こすだけの養いと勇気とを与えることになるので、いっそう尊いのであります
(『生命の実相』第2巻、p.188~190)
 
 
 谷口雅春先生は唯心論的観点に立って「生命の経済学」を説いておられます。いや、何も谷口雅春先生に限らず、古来日本人は「一切の富は神より来(きた)る」と観じてきたものと思います。神様のつくり給ふた世界は本来完全であり、豊かであり、調和しているわけであります。
 しかし、ユダヤの貨幣崇拝の影響もあろうかと思いますが、私たち国民は政府やマスコミにマイナスの言葉ばかり聞かされたこともあって、いつの間にか漠たる恐怖心を抱き、「金は使ったらなかなか帰って来るものではない」と思い誤ってお金に執着し、お金を貯めこむようになってしまいました(積む=罪)。すると、その恐怖心の反映としてこの世に不調和、不完全なスガタ、すなわち経済不況が夢幻の如く現れて来たというわけであります。
 しかし、この不況は所詮私たちの恐怖心の反映であって、決して不可抗な「デフレ不況」が起こっているわけではありません。換言すれば、私たち国民がちょっと心を転換するだけで、このような不景気など一気に吹き飛ばし、日本を富国強兵の立派な国に再興することは十分可能だということでもあります。
 政府やマスコミは徒に恐怖心を煽るような宣伝を広めていますが、そんな根拠のないデマに惑わされてはなりません。別に国家全体の貨幣の総量が減ったわけでも何でもありません。ただ恐怖心に縛られて、循環が悪くなっているだけのことです。
  諺に「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と言います。経済状況は畢竟私たち国民の心の反映に過ぎません。徒な恐怖心を抱くのをやめて、大いに日本の前途を信じ て、使うべきところには躊躇なくお金を使って同胞の働き(生命活動)を生かしつつ、自らの使命に邁進していきたいものだと思います。