日本核武装講座からの転載です。
日本の国債の格付けが以前からおかしいことは気づいていましたが、他にもこんなにおかしいデータがいっぱいなんですね。
日本の評価が何かおかしい時に、マスコミはその評価を鵜呑みにして論調を組み立てていますが、これも変ですね。世界はどんなことにもその裏に利害が絡んでいて、信用出来ない部分があるということです。
日本人は馬鹿正直に捉えすぎて、日本はダメだダメだと思いすぎです。自分のことは自分で一番良く分かる部分があるのに、人の評価に乗って、おかしな改善策を出したりせずに、自信を持って自国の歴史のなかから自分に合うやり方を探してくるほうがきっと正しいことが出来ると思います。
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日本核武装講座からの転載です。
企業活動が原発停止で、できなくなると、経済不況はそのまま多くの人の生命に直結します。国内の企業活動の空洞化も起きてきて、失業問題も起きれば、いったい日本経済はどうなるのかと思います。民主党政府は、こんな時にも消費税増税をしようとしているのですから、生活困窮者にとっては、追い詰められていくことになります。その上暑い夏の不快指数が、節電のために上昇すれば、社会不安での事件も起きやすくなるのではないでしょうか。
大飯原発再稼働は、容認されて、少しほっとしました。原発は停止しているからといって、動いている時より安全になるわけではないことは、本当は専門家なら知っているはずですが、マスコミ報道でだまされて、皆止まっていれば、安全になると思い込んでいます。事実は、止まっていようがいまいが、安全性は変わらないという話です。だったら、動いて電気を作っている方がマシです。なんで原発問題というのは、非科学的な判断ばかりが横行するのでしょうか。
http://mainichi.jp/select/news/20120531k0000e010167000c.html?inb=yt
大飯再稼働:橋下市長、一転「事実上容認」 前日発言翻し
蘇る日本! 日本を良くすることができるのは、わたしたち日本人ですからの転載です。
非常に現代の経済のおかしさをわかりやすく解説されています。また経済というものの心理的な部分がよくわかる気がします。確かに、今の状況すごく変ですよね。経済が活発であるというのはその社会の貨幣の循環率が高いということにほかならないですよね。使うことで、どんどん経済が活性化して、行くというのは、恰も人間の体の新陳代謝にもにて、適度な運動がで、どんどん身体が元気になるのにも似ています。節約ばかりが叫ばれる現代の不況、おかしいです。インフレならば節約もいいでしょうが、デフレの時期に節約すればするほど、経済は沈滞してしまいます。何か勘違いが起きている気がします。
しかし、金を使って帰ってくるならだれだって使いたいが、使えばなかなか帰ってこないので万一の時に貯蓄しておくことが必要だという人があります。これが世間の一般的な考え方であります。「生長の家」では「心の法則」ということを常に申しまして、身体は心で思うようになるというのでありますが、経済界も心で思うようになるのであります。「金は使ったらなかなか帰って来るものではない」と一般の人が固く心で思っている。だから自分の手許へ金がはいってきたが最後、金輪際出すまいとがんばります。 まちがった道徳家はそれを節約の美徳だとして推奨します。そこで流通と循環とが本体であるべき経済界に、金の流れをじゃまする詰まったところがあちらこち らにもできてきます。節約だといって、大金持ちまでが金をたんまりと持っていながら雇い人を解雇したり、人のつくったものを買わなくなったりします。こう なると、経済界は不景気になって出した金がなかなか手許に帰って来なくなります。すなわち心で思ったとおりになったのでありまして、実際の不景気が先に起 こるのでなく心に起こった不景気が、つぎの形をあらわしたので、経済界も心のままになるのであります。
(中略)
経済界もこれと同じことでありまして、財を一箇所に停滞せしめないように根本からすれば問題はないのであります。なんでも一箇所に「積む」ということは よろしくない。これを日本人は太古からよく知っていた。だから古代日本人は「罪」を「積む」という言葉と同じ語源から作ったのであります。ところがたぶん 外国からでありましょう、「節約」という言葉が輸入されてきました。これを日本語では「しまつ」といいます。「しまつ」というのは「しまる」ことすなわち「引き締める」ことでありまして、出口をくくってしまうことであります。出口をくくってしまうから財が循環できなくなる。循環しないで一小部分の人間のところに富が蓄積するから、ここに近代の資本主義経済組織ができあがったのであります。
マルクスは唯物史観を説きますが、「生長の家」は唯心史観であります。近代の経済組織は節約しなければ万一のために困ることが起こる、という人間の恐怖心が原動力となって築かれたと 観るのであります。この恐怖心がもとになって富が一部に蓄積され、有無相通ずる流通が完全に行われないために、貧富の懸隔がますます激しくなり、資本家が 無資産家を脅かすようになったのであります。だから、この不完全な経済組織を改造するには、何も制度そのものに斧鉞(ふえつ)を加えるにはおよばない。人間の心からこの恐怖心をとり去り、財をわれわれは蓄積しないでも、われわれの生活になくてはならぬものは必ず神が与え給う――換言すれば無尽蔵の大生命から与えらえる――という大信念を人間に与えるようにすればよいので、こうすれば財がある一箇所に片寄って有るという畸形な状態はなくなって、全体の人間に平等に富が循環するようになるというのであります。(『生命の実相』第2巻、p.193~194)
人は節約と言えば美徳のように考え、職工や労働者を解雇するといえば、その雇い主をいかにも没義道(もぎどう)な 不徳漢のように思いますが、それは大いに考え方が違っていると思います。節約するということは職工や労働者が労力を出して造ってくれた品物を使わないこと にするのでありますから、結局、職工や労働者の力を使わないようにすることであります。そしてまた解雇すると言うことも職工や労働者の力は使わないように することでありますから、節約と解雇とは結局同じものを二様にいっているにすぎないのであります。(中略)「物」を節約するのは「人間」の力を利用することを節約するのと同じことであるからであります。
(中略)
信仰心の深い人は「もったいない」ということをよくいわれますが、なんでも買わず使わずに不自由をがまんして窮屈な生活をしている方があります。「生長の 家」ではそんな節約ぶりには大反対であります。どんなものでも元は神さまが作ってくださったのだからもったいない――そのところまでは同じでありますが、 次は異(ちが)います。わたくしどもでは、つかわないではもったいないからできるだけ生かして使えというのであります。与えられていないものまでを無理をして使うのはいけませんが、与えられているものを生かさない節約は人類の敵であります。われわれが生命力を出して仕事をした。その仕事をだれもつかってくれなくてはその努力が生きて来ません。物を生かして使うということは、人がそれをつくるために注いでくれた生命を生かすと言うことになります。この世は持ちつ持たれつの世の中でありますから、人の注いだ生命を生かすことは自分の生命を生長向上発展さすことになるのであります。だから「生長の家」では買うことを節約せよとはいいません。買うて生かせと いうのであります。大いに生かすためには大いに買わねばなりません。こうしますと購買力はふえ、製造会社や販売店の収入が増加し、職工も社員も店員もその 収入が増加し、したがってますます購買力がふえ、新事業の計画もなんらの危険なく行うことができ、したがってあとからあとから増加する人間の職業にも道が 開けてくるのであります。こうなれば就職難も会社のつぶれる心配もないのであります。(中略)しかも、「買う」ということは、単に「寄付」するということよりもいっそうの美徳であります。寄付するということは、働かぬ者にまで、なまけてずるい者にでも与えることになる場合があるのでありますが、「買う」ということは、働きとという尊い生命活動に価(あた)いを支払い、次の生命活動を起こすだけの養いと勇気とを与えることになるので、いっそう尊いのであります。(『生命の実相』第2巻、p.188~190)








