日本核武装講座からの転載です。
企業活動が原発停止で、できなくなると、経済不況はそのまま多くの人の生命に直結します。国内の企業活動の空洞化も起きてきて、失業問題も起きれば、いったい日本経済はどうなるのかと思います。民主党政府は、こんな時にも消費税増税をしようとしているのですから、生活困窮者にとっては、追い詰められていくことになります。その上暑い夏の不快指数が、節電のために上昇すれば、社会不安での事件も起きやすくなるのではないでしょうか。
大飯原発再稼働は、容認されて、少しほっとしました。原発は停止しているからといって、動いている時より安全になるわけではないことは、本当は専門家なら知っているはずですが、マスコミ報道でだまされて、皆止まっていれば、安全になると思い込んでいます。事実は、止まっていようがいまいが、安全性は変わらないという話です。だったら、動いて電気を作っている方がマシです。なんで原発問題というのは、非科学的な判断ばかりが横行するのでしょうか。
http://mainichi.jp/select/news/20120531k0000e010167000c.html?inb=yt
大飯再稼働:橋下市長、一転「事実上容認」 前日発言翻し
毎日新聞 2012年05月31日 12時00分(最終更新 05月31日 13時24分)
大阪市の橋下徹市長=三浦博之撮影
大阪市の橋下徹市長は31日、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働について、「基本的には認めない」としていた前日の発言 を翻し、「事実上、容認する」と明言した。ただ、「期間限定(の再稼働)は言い続けていく」として、秋ごろをめどに運転停止を求める考えを示した。
橋下市長は市役所で記者団に、「上辺(うわべ)ばかり 言っていても仕方ない。事実上の容認です」と語った。これまで大阪府・市のエネルギー戦略会議などでは、再稼働しなくても電力は足りるとする趣旨の議論が 展開されてきたが、「足りるというのは個人の意見だ。きちんとしたプロセスで確定した数字は前提にしなければならない」とも発言。政府が今夏、関西で 15%の電力不足が生じると試算していることを踏まえ、「この夏をどうしても乗り切る必要があるなら、再稼働を容認する」と述べた。また従来、「安全が不 十分な状態での再稼働はあり得ない」と繰り返していたが、「机上の論だけではいかないのが現実の政治だ。最後は有権者に判断してもらったらいい」と説明した。
原発を再稼働させるしかない。
冷静に物を考える事が出来る人達はずっと前からそう主張してきた。
ハシゲ以下、滋賀県知事、京都府知事はやっと正気に返ったのだろうか?
いや、まだまだなのか?
以下の台詞は悔し紛れの負け惜しみなのだろうか?
ハシゲ自身が図らずも言ってしまっているように、
脱原発なんて、
上辺ばかりで、机上論だった訳だな。
ただ、「2年も3年も動き続けるのはあってはならない」と期間限定であることを強調し、「大飯原発は例外」として、他の原発の再稼働は認めない考えを示した。家庭用の電力自由化やピーク時の料金値上げなど「電力供給革命が起こった」と、自身らの取り組みの成果も示した。
橋下市長は30日、関西広域連合が再稼働について政府に「限定的な」判断を求める声明を出したことについて、「(再稼働は)政府の判断で、僕は基本的には認めない。(夏だけ稼働させるという)動かし方もあるんじゃないかという問題提起だ」と述べていた。【茶谷亮】
二年も三年も動き続けないのですよ。次の定期点検にはいりますから。
それがまた夏場や冬場であれば、結局は他の原発を動かさざるを得ませんでしょう。
結局は、仁坂和歌山県知事の
「15%節電は手荒なことをしないと達成できない。計画停電による生命のリスクも全部クリアできない。(原発を)止めることを思って議論しているわけでない」
との発言にビビりが入ったのでしょう。
和歌山県知事に言われてビビるくらいなら、最初から覚悟も無く『脱原発』なんて言うんじゃねーよ。
政治家の劣化が止まらないねェ
原発の話をするのに自動車の事を論って説明する事が多いのですが、自動車は年間で6千人からの人間を殺しているのです。
原発事故では政府がメンツを守ろうとしてか、避難指示を解除しないので深刻そうに見えるのですが、誰も死んでいません。
それどころか病気になった人も一人たりとも居ないのです。
札幌医大の高田純教授は、「以後心配ご無用」と言っています。それは正しいのでしょう。
原発を停めろと言っている人は、不思議な事に年間6千人殺している自動車を「停めろ」とは言いません。
オカシイじゃないですか?
原発事故では誰も死んだり病気をしたりしていませんが、現実に自動車は死人もけが人も後遺障害者も続出させているのです。放射脳さんたちは、原発よりももっともっと危ない物を平気で転がしているのです。
京都府の豊岡市では通学途中の子供に無免許運転でしかも居眠り運転の自動車が突っ込み、子供が何人か犠牲になりましたね。
「子供を守れ!脱自動車!」
なぜ、そう言わないのでしょうねえ?
自動車なんてものがこの世にあるから事故が起きるのです。
「脱原発」を喚き散らす放射脳供は自動車をやめて、どこへ行くにも歩いていくようになったら話を聞いてあげますよ。
「原発をやめろ」と主張している人が、レンタカーを借りて被災地を見に行ったそうです。
原発よりももっともっと危ない物を転がして、殺人者になるかもしれない?片やその人に殺されるかも知れないというリスクを無視して。自動車が人を殺すのは構わないが、誰も殺してない原発は容認できないなんて頭がオカシイんじゃないですか?
(保険はかけてあるのだろうから、事故を起こして人を死なせても金銭的な補償はできる。しかし、それは一方で金さえ払えば人を殺してもいいんだろという意識を実際の行動で示しているのと同じだ)
昔は新幹線も自動車も無かったから、松尾芭蕉は歩いて奥の細道を旅行したのです。
やってやれない事はありませんよ。放射脳さんたちwww
本当の話は、自動車が無いと死ぬ人間の数は6千人では済まなくなるのです。
パトカー、救急車、消防車は言うに及ばず、物流をつかさどるトラックなどもそうです。
多くの人を運ぶバスなどもそうです。支那人が運転すると危ないからバスを無くしてしまえとは誰も言いません。
それは、それらが無くなると、死ぬ人の数がもっと増えると解っているからなのです。
トラックやバスを無くしてしまうと、経済活動が麻痺します。経済活動というのは血液と同じですから、血液が巡らなくなると生物は死んでしまうのです。国だって地域だって同じです。
物資が届かなければ生活できません。病院へ行っても医者が出勤出来ません。火事が起きれば燃やしっぱなしです。犯罪者を捕まえるのも手間が掛かります。会社へ行けなければお金を稼ぐ事は出来ません。会社は作ったもの、買ってきた物を出荷できません。即ち商売できません。
そうなれば人だって生きていは居られなくなる事は容易に想像できるでしょう。
それらが全て『経済活動』と名が付いているのです。経済って人の行き死にに直結するのです。
同じ理屈によって、原発をやめれば死ぬ人が増えるのです。
それは世の中が電気で動いているからです。
関西電力は電気の5割を原発で作っています。
完全に停めたら電気が足りなくなるのは解りきっているでしょう。節電を呼び掛けるという事そのものが、足りない証拠なのですよ。
和歌山県知事の鶴の一声で、「原発を動かさなければもっともっと多くの人が生活出来なくなる。死ぬ人も増えてしまう」と気が付いたのであれば良いのですが・・・・・・
取り敢えず関西は救われたようですね。
ハシゲ率いる大阪維新の会は、大阪市を改革して、日教組を潰してくれればあとはお払い箱ですか?