小さな自然、その他いろいろ

身近で見つけた野鳥や虫などを紹介します。
ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。

今更ですが、橋下徹はやっぱりおかしい。

2011年11月30日 01時27分22秒 | 無題
ブログ蘇る日本! 日本を良くすることができるのは、わたしたち日本人です  からの転載です。この記事内に貼ってある動画、必見です。私もすっかり騙されていました。少し胡散臭いとは感じてはいましたが、言ってることがこれほど、言行一致していないとは思いませんでした。外国人参政権賛成、人権救済法案賛成、TPP賛成、と本来保守なら反対すべきことにすべて賛成なのも、おかしいことです。
転載開始


大阪府はお隣ですが、大阪の事情にはあまり詳しくないので、
記事にするつもりはありませんでしたが、
やはり、あの橋下徹はかなりおかしいようです。
 
 
正直テレビを見ていると、
橋下知事の下で大阪はなんだかいい感じで改革が進んでいるのかなー
と思ってしまっていましたが、
以前から大阪の保守派の知人から、
「橋下府知事はおかしい」とはちょくちょく耳にしていました。
 
 
それで、ここ数日選挙演説する様子をテレビを見て、確信しました。
俗っぽい言い方ですが、
熱弁をふるう橋本徹の眼を見ていると、
完全にイってしまっています。
 
今更ですが、橋下徹が熱弁すればするほど、
日本人の正気とはかけ離れていると直感しました。
人間として不誠実さ、傲慢さが顔に露骨に出てしまっています。
 
ああ、なるほど、大阪の保守派の知人が言っていたのはこのことかと
今さらながら、納得がいきました。
 
 
 
 
 
 
   
 
橋下徹は出身です。
橋下徹の同志・松井一郎も出身です。
別に出身であること自体が悪いわけではありません。
 
 
利権と関係が断ち切れずに、
今もべったりくっついていることが問題なのです。
 
 
 
 
テレビが橋下徹をやたらに持ち上げてるなーとは少し感じていましたが、
教育改革でも愛国的な発言をしているし、それほど悪くないんじゃないかと思っていました。
正直少し期待してしまっていたくらいですが、
大阪の保守派の知人によると、
教育面での愛国的発言も選挙を意識して、パフォーマンスをしているだけ」
なんだそうです。
 
大阪府の財政が黒字転換したとか言われますが、
これもどうやら大きなカラクリがあるようです。
 
 
 
 
¥¤¥᡼¥¸ 1
 
橋下徹大阪市長と松井一郎大阪府知事の誕生。
府民の熱狂的(?)支持。
反日マスゴミがつくった橋下改革路線。
 
悪い予感がします…。
 
 
 
 
橋下徹がいかにも愛国的で、リーダーシップがあるかのようにマスコミは報道していますが、みなさん、どうかよくよくご注意ください。

 
 【追加コメント】

どうも小泉フィーバーと似たところがあるように思います。
平松さんはどう見ても利権がらみで、バッサリ改革なんてできるように見えませんから、橋下氏はなんだかやってくれそうに見えてしまうんだと思います。
橋下氏のおかしな点を指摘するだけで、「ネガキャンをするな!」などと言われてしまいます。しかし、みんなもっと冷静に橋下氏が実際にやっていることを見るべきだと思います。口先のパフォーマンスばかり見ていてはいけないと思います。
大阪の府議議員(保守派)の情報を聞いていますと、マスコミ報道と実態は全然違うと思います。しかし、そんなことを言ってもほとんど無視されてしまう「空気」ができてしまっていますね。小泉旋風に似て、怖い動きだと感じます。 

1つ重要なことを言い忘れていましたが、橋下は野心家です。
将来的には本気で総理の座を狙っています。
その意味でも注意が必要です。

 

 

žºܸµ 転載元: 蘇る日本! 日本を良くすることができるのは、わたしたち日本人です  






畏くも天皇陛下、ご公務に復帰あそばされる

2011年11月30日 00時59分19秒 | 無題

美しい国からの転載です。人々を救うために職務を遂行して、殉職された消防殉職者の慰霊祭に、退院されたばかりの天皇陛下が皇后陛下とともに、出席され、黙祷と供花をされました。決して体調がまだ完全であらしたわけではないと思いますが、この誠意、真心が強く伝わってきて、本当に国民の慈父であらせられる気がします。

 

転載開始

イメージ 1
東大病院を退院あそばされ、手を振って宮城・御所に戻りあそばされる天皇陛下 御尊影=24日午後、宮城・乾門








謹んでお伝え致します。

畏きあたりにおかせられましては
29日午前、東京都港区のニッショーホールにおでましあそばされ、「東日本大震災消防殉職者等全国慰霊祭」にご親覧あそばされました。
畏くも天皇陛下におかせられましては、ご不例後に公務をあそばされるのは、退院後初めてです。
 畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては参列者と黙祷した後、祭壇に花を供えあそばされ、東日本大震災に伴う人命救助、消防活動などで死亡した殉職者を慰霊あそばされました。
 両陛下は会場を出る際、遺族らに声をかけられた。日本消防協会関係者には「みなさん心を痛めていらっしゃると思いますが、国民の安全のために、これからもがんばってください」という叡慮を賜わりました。
 今年は大震災などで亡くなった239柱が明治以来の消防殉職者に合祀された。


イメージ 2
東日本大震災消防殉職者等全国慰霊祭にご親覧あそばされ、関係者に声をかけられる天皇陛下、皇后陛下 御尊影=29日午前10時51分、東京都港区


畏くも天皇陛下におかせられましては震災発生後、7週連続で皇后陛下と7都県の避難所・被災地を行幸啓あそばされた。
被災地の負担を考慮あそばされ、すべて「日帰り訪問」を貫かれた。文字通り分刻みのスケジュールの中、各地で被災者一人一人と向き合われてきたことは国民の目に焼き付いています。
このほかにも、先帝陛下の玉音放送以来、今上陛下におかせられましては、初めて全国民にビデオで叡慮を伝えあそばされ、国民と苦難を分かち合いたいとして、御所で「自主停電」のお取り組みをなされた。

その後も各地に起こった災害、定まらぬ政情、すべてご一身に受止めあそばされた。
ご不例にて、入院中にも強く希望されていたという国賓のブータン国王夫妻を歓迎する宮中晩(ばん)餐(さん)会で、皇太子徳仁親王殿下に託されたお言葉は、2千字余りに及びました。
常に、国家の安寧と、世界平和、国民の幸せを祈り、願っておられる畏くも天皇陛下。
ご公務復帰は無理なさらずと願っていましたが、畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては、強く慰霊祭へのご親覧を望まれました。
自らの命も顧みず、一人でも多くの人命を救うために命を賭した殉職者の御霊(みたま)、遺族の方々に叡慮を伝えられたかったのではと推察いたします。
ご不例後にも関わらず、我々臣民は「大御心」を頂戴しました。

畏くも天皇陛下と国民は常ににともにあります。これが我が国体の精華であり、伝統であり、無窮に続いていくものなのです。





畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかにと願ってやみません。




尊 彌榮 彌榮 彌榮
  
  
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
 

転載元 転載元: 美しい国

 

 

 


TPP参加の後に、日本に進出してくるであろう遺伝子組換え企業モンサント社の世界戦略

2011年11月29日 00時09分50秒 | 無題
先 日ゲンダイネットで、TPP参加を推進している経団連の米倉会長の会社である住友化学が、アメリカのモンサント社と提携していることが報じられていまし た。これはTPP参加によって遺伝子組換え商品の表示義務が撤廃されることを見越して、ボロ儲けするためだと書いてありました。


このモンサント社について、動画がありましたので、見ていただきたいと思います。


 


この動画の内容を、忙しくて見られない人のために少しお話しします。



モンサント社は、バイオテクノロジー企業ですが、この会社は、かつてベトナム戦争で、アメリカ軍が使用して問題になった枯葉剤を製造した会社です。また多くの環境や健康への悪影響をもたらす商品で、もっとも問題の多い会社ともいわれています。


枯葉剤のほかにも牛成長ホルモン、人工甘味料アスパルテーム、さらにはPCBで問題を起こしています。この会社は、利益優先で、安全性の確認のための実験結果を捏造したり、データ改ざんをしたり、いろんなあくどいことをしている会社です。


PCBは電気製品の冷却材や、潤 滑剤として使われていましたが、1980年に製造販売が禁止されました。そしてモンサント社は数十年間にわたって環境汚染を隠蔽していたことが分かりまし た。アラバマ州アニストンではPCBを草地に埋めたり、小川に流したりして、住民に多くの被害が出ました。がんなどの病気で亡くなった人も多いそうです。


モンサントは政府にも住民にもこうしたことを隠しており、利益のためなら、一円たりとも経費を無駄にできないという内部文書もあるほど、人体への悪影響よりも利益優先主義でした。


し かもこれを知った政府は、住民側よりもモンサント社の側へ付いたというのです。そして、裁判の結果、モンサント社は五億ドルを住民側へ支払うことになりま したが、企業の幹部役員は一人も告訴されませんでした。アメリカでは、企業の幹部が罪を問われることはありません。何年も経って、住民へ賠償金を払うとき には、何年ものあいだの膨大な利益のほんの一部が払われているにすぎないのです。これでは企業はあくどいやり方をやめようとはしないでしょう。


さらには、この特定地域から、大気や水の汚染によってPCBが世界中に拡散してしまい、いまや世界中のすべての人や動物が、しろくまやペンギンまで、このPCBを体内に蓄積するようになってしまったという話です。


ところで、このモンサント社は、今ではあの枯葉剤の成分も入っていると言われるラウンドアップという強力な除草剤と、その除草剤に耐性を持つ遺伝子組換えを行った作物の種子(ラウンドアップレディ)をセットで売るという商売を世界中でしています。


アメリカの大豆農家は、最初にラウンドアップという除草剤を農地に撒いて、そこに遺伝子組み換えの大豆の種を蒔けば、一年間雑草は生えてこず、雑草を刈る重労働から解放され、経費も節約になると言います。


しかし、これほどの強力な除草剤を撒いて育てた大豆が安全であるかどうか、非常に疑問があります。アメリカでは遺伝子組換え商品であることの表示は禁止されているので、消費者はそれを判別することもできずに買わなければなりません。


今 では90%の大豆農家がこの遺伝子組換えの大豆を作っているそうです。さらにこの遺伝子組換えの大豆は知的財産として特許が取られているため、作物として 収穫された大豆を手元において、来年の種子として使うことはモンサント社によって禁止されており、農家は、毎年、種をモンサント社から買わねばなりませ ん。


種 を手元においておくと、モンサント社の遺伝子警察と呼ばれる係がやってきて、農家を訴え、農家を倒産に追い込みます。このシステムは、今や世界中でモンサ ント社の遺伝子組換えの種子を輸入する農家に使用されていて、モンサント社は世界の種子を支配することを目指していると言われます。


モンサント社はアメリカの政界にコネを持ち、またアメリカのFDA(食品医薬品局)のような政府機関にもモンサント社から人材を入れており、こうした政府機関と会社のあいだの人材の行ったり来たりの移動は回転ドアと呼ばれて、自社の都合の良い政策や認可を引き出します。


モ ンサント社の遺伝子組換えの安全性に疑問を持ったり、その危険に気づいて研究したり、発表すると、その研究機関や施設を解雇されることもよくあり、またそ うした科学者の信用を失墜させるためには、あらゆるネガティブなプロパガンダを行なって、嫌がらせのようなこともします。


アメリカで、遺伝子組換えの大豆が、安全であると認められることになった、ある科学者の実験論文は、およそ科学実験とは言えないほどのお粗末なもので、その中で実証されたものはないというくらい、曖昧な結果を、安全であると結論づけた論文でした。

その実験に使われたラットも、年老いたラットを使ったりしていたそうです。


FDA内部の多くの科学者は遺伝子組換えの危険性を訴えていた人が多かったそうですが、FDA上 層部は、それを隠し、全員の科学者が安全だと一致したという捏造をして、認可したそうです。アメリカの当時の共和党内閣(前ブッシュ)は、遺伝子組換えの バイオテクノロジーが経済を活性化させる大切な産業となると考え、多少安全性に問題があってもあまり厳しくしないほうがよいという方針で、世界に先駆け て、バイオテクノロジー企業を後押ししました。


インドでは綿花の栽培が盛んですが、この綿花の種子をモンサント社の遺伝子組換えのBTワタという、蛾の幼虫に強い種子を輸入したのですが、このBTワタが、病気にかかり、枯れてしまうという被害が出ており、そのために、綿の農家は収入を絶たれることもあり、自殺者が後を絶たない状態になっています。ところが、農家はBTワタ以外に綿の種子を手に入れることができないそうです。


モンサント社の世界支配は世界の種子を支配し、その結果世界の食料を支配するという、恐るべき戦略です。世界中の種子を遺伝子組換えにしようとしていると言われます。


この遺伝子組換えの種子が、今では自然の従来の種子と交配して、従来の種子が汚染されるという問題も起きているようです。お化けのような歪な花や実がなったりしている場合もあり、安全性にもかなり疑問が多いようです。


いったんモンサント社の種子を使い始めたら、モンサント社の除草剤等有害な薬剤を使わざるを得なくなり、それを拒否する小規模農家への圧力、嫌がらせはひどいものがあるそうです。このような企業が、TPP参加の後には、日本へ進出してくることは確実だといえるでしょう。 



明治大帝と日本国民の苦難

2011年11月27日 21時44分20秒 | 歴史

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。

大津事件は大国ロシアを怒らせたら、小さな島国である日本はどうなるのかというくらい大変な事件で、日本中が不安で、大騒ぎになったようです。明治大帝は国の中心として、日本という国を肩に背負われて、あらゆる心配をしながら、国の安寧を日々祈られていた方ですが、この事件では、本当に身を投げ出して国民の盾になろうとされたのではないかと思います。

この大津事件は後に事件の犯人である津田巡査の裁判をめぐって、世論や政府の死刑判決を求める声に対して、事件が皇太子の命に別状なく、さほど重症ではなかったこともあり、法治主義の精神を守り、無期懲役の判決を下します。これが後に、治外法権を撤廃できた一つの原因だと聞いたことがあります。だれだったか、日本の外交官か政治家かが、この判決の法治主義の精神をたたえた論文を条約国などに送って宣伝したとか聞いたことがあります。

とにかく明治の時代は、日本という小国が、世界の激流のなかで沈まずに漕ぎ出そうとした緊張の時代であり、明治大帝を中心に国民が強い愛国心で団結していた時代でした。

 

転載開始

 
イメージ 1
              (ニコライ皇太子とロシア軍艦)
   
明治時代、ロシアといえば、当時世界最大最強の軍国と言われていました。 
北欧からウラルを超え北アジアを侵略し、これを東西に貫く鉄道で結ぶ大事業に取り掛かっていました。 
このシベリア鉄道起工式にロシア皇帝アレキサンダー三世の御名代として、皇太子のニコライ二世が出席の途中に日本に立ち寄りました。 
軍艦7隻を従え、鹿児島、長崎を経て関西をめぐり、さらに東京から青森に向かいウラジオストックに渡る予定でした。 
当時の日本は人口3500万人、陸軍6個師、海軍はほとんどないに等しい状態でした。
ロシアの軍艦7隻だけでも日本にとっては大脅威でした。
ニコライ皇太子は各地で遠慮のない遊興を重ね、日本側は国賓として最高の礼を尽くしました。
 
このニコライ皇太子一行については様々な憶測が流れました。
シベリア鉄道の最終点ウラジオストックという名は東洋征服という意味であり、この時期清国に対抗して朝鮮半島内にロシア勢力が浸食し始めていました。このようなときに軍艦7隻も従え、ニコライ皇太子が鹿児島から青森まで視察するというのですから日本国民には“国難近し”という感じがありました。
 
明治24511日、
ニコライ皇太子とギリシャ親王殿下の一行は京都の常盤旅館を出発、
人力車を連ねて大津市を訪ね琵琶湖の風景を楽しんだ後、京都へ帰途に着きました。
この行列は実に人力車40数台、ニコライ皇太子の随員として有栖川宮威仁親王、川上操六、滋賀県知事をはじめ、その行列の長さは200メートルにも及びました。
この長い行列が日章旗と提灯に飾られた中を通過中、警戒中の津田三蔵巡査がニコライ皇太子に挙手の礼をして見送ってから、突然帯剣を抜いて二度斬りつけたのです。
ニコライ皇太子が後頭部を押さえて車から飛び降りると、津田巡査はなおも追って斬ろうとしました。これを見たギリシャ親王殿下が竹のステッキで防ぎ、二人の車夫が津田巡査を引き倒して刀剣を奪い取りました。傷は後頭部に二か所で重傷ではないが深い傷でした。
 
日本側は驚愕した。
ニコライ皇太子は滋賀県庁に運ばれ、急きょ、京都、大阪から呼び寄せられた日本の一流医師の診療を拒絶して、京都の宿舎に引揚げ、神戸に停泊していたロシア軍艦から駆け付けた医師によってようやく傷口を縫ったのでした。
この事件を奏上すると、陛下は非常に驚愕されました。
陛下は直ちに北白川宮親王を召され、御名代として京都に行くように命じ、
直ちに御前会議を開くと、事件の重大性が益々明らかになり、西郷従道内務大臣、青木周蔵外務大臣を続いて現地に派遣することを決定しました。
その夜、陛下は寝室に入られようともせず、ついに深夜に至って、陛下自ら京都に行幸され、国民3500万人に代ってロシア皇太子にお詫びしたいと仰せ出されたのです。
 
午前5時、宮城から新橋駅までの沿道にはすでに憂い顔の国民の群れが行幸を待っていました。
国民3500万人に代って、と言われた陛下のお言葉をそのままに国民は等しく日本国の運命と自分たちの命を陛下にお預けするほかなすすべはないと感じていました。
午前6時、陛下の横顔は深く憂いておられました。
国民は目頭をぬぐい、顔を両手で埋めて拝む女たちの姿が多くみられました。
陛下は列車内で軽く仮眠されただけで、不眠と心労の中、京都駅に御着になり、そのまま御所に御入りになり、直ちにロシア公使、京都府知事等を召されてニコライ皇太子の容態を聞かれました。
時刻はすでに深夜でありましたが、常盤旅館に宿泊治療中のニコライ皇太子をお見舞いしたい旨を申し入れましたが、先方の侍医の意見で取りやめになりました。
日本側から差し向けた橋本軍医総監、スクリッパー博士、高木、池田の両侍医も、先方から辞退され戻ってきました。
日本側の憂いは一層濃くなっていきました。
 
イメージ 4
          (常盤旅館)
 
陛下はその夜、西郷内相、青木外相、土方宮相等を召されて善後策を協議され、寝所に入られたのは午前3時でありました。それからわずか1時間余りの午前440分には、起床なされていました。
陛下も重臣も、一様に不眠と緊張の疲れから目を赤くしておりました。
午前11時、陛下は馬車だけで常盤旅館に行き、ニコライ皇太子を御訪問なされました。
この時、陛下はこう仰せられました。
「殿 下の御来遊に際して私は国家の大賓としてお迎え申し、御通過地の官民も出来る限りの御行為を示したいと思っておりますことは、鹿児島、長崎両県で親しくご 覧になったことと思います。私は殿下の御入京を、しきりにお待ち申しておりましたのに、はからずも一昨日、大津において難に遭われましたことを深く悲しみ ます。ことに、遠く離れておられる御両親のお心配は、いかばかりであろうかと、お察し申しております。暴行者は早速係官に命じて国法によって処罰すること はもちろんですが、その罪は憎みてもなお余りあるものです。私は殿下が自重加養されて1日も早く御快復になることをお祈りします。今、殿下の御容子を拝して少しく安心致しました。御快復後は、東京その他の都において、私の国の風物を広く御遊覧下さいます様希望いたします」
この丁重な御言葉に対してニコライ皇太子は病床から次のように答えられました。
「思いがけない難に遭い、陛下の御来臨を仰ぎ、恐縮に堪えません。この難のために、貴国に対する感情を害することはありません。けれども、私の身体は、只今、本国の両親に伺い中でありますから、その指示を待つほかありません」
   
陛下はこのお見舞いを済ませて御所に帰られてから、有栖川親王と榎本武揚枢密顧問を速やかにロシア王室に差し向けて、当方の不注意を詫び、皇太子のその後の容態を伝えるように命令されました。
すると間もなく、ニコライ皇太子が常盤旅館を引き払って、神戸港外に停泊中のロシア軍艦に引き上げるとの急報に接したのです。
陛下は「先ほど、お見舞い申した時にはさようなお話は全くなかったに・・」
陛下は驚かれ、再び御所を出られ、常盤旅館で皇太子の出発するまで約1時間お待ちになり、
その後汽車で神戸まで御同乗になられました。
三宮駅に着くと陛下自ら先導に立たれてニコライ皇太子を弁天浜御用邸にご案内になりました。すでに夕霧があたりに立ちこめた桟橋に、ニコライ皇太子の頭部の白い包帯と、陛下の黒いお姿が心持うつむいて痛々しい限りでありました。
その時、桟橋の上に立ち止まったニコライ皇太子が、ポケットから煙草ケースを取り出すと、陛下はマッチをポケットから出され、火を点じて皇太子の煙草に近づけたのです。
陛下の心遣いのほどを察し、侍立していたお伴の人たちは皆瞼を熱くしたといいます。
 
ロシア王室は皇太子の安全をはかるため、19日にウラジオストックに帰るように指示しました。
このロシア王室の意向は日本側には通知されなかったため、陛下はじめ、皇太子一行の行動に協議を重ねるばかりでした。
軍艦は19日出港とのことでしたので、日本側は
「御用邸に皇太子一行を招待して送別の宴を開きたい」と申し入れましたが、
「治療上の理由」で謝絶されました。
その代わりに、ロシア側から
19日に陛下に来艦してほしい」という旨の申出を受けたのです。
この招待の指名は明治天皇、北白川宮、有栖川宮の他侍従長以下数名と政府関係者は青木外相一人でした。
この招待を受けるかどうか閣議で大きな問題となりました。
19日はロシア軍艦の出向の日であり、黒煙を上げている軍艦はそのまま陛下と皇族を人質としてロシアに連れ去るかもしれない」
「人質とまではしなくても艦内でどんな辱めを受け、どんな難題を持ちかけられ、強迫されるか知れない」
各大臣の憂いは皆同じでありました。
「如何なる国難が来ようとも、我々国民は陛下をロシア軍艦に送ってはならぬ」
という意見の一致で、陛下に御辞退なさるように奏上しました。
すると陛下はこう言いました。
「お断りする理由はない。悦んで御招待に応ずる。私の一身を以て日本国の危急を救い得るならば満足である」
一同、声をのんで沈痛な顔を伏せたままでした。陛下はかえって一同にこう仰りました。
「お前たちが心配するように、ロシアへ連れて行かれたら、その時はお前たちが迎えに来ればよろしい、お断りするのは無礼である」
こうして19日の午前9時、我が国の運命をかけた行幸でありましたが、陛下は御所を御進発されました。
沿道には不安顔の国民で埋め尽くされていました。
 
陛下の御一行をボートでロシア軍艦にお送りした後、
神戸埠頭には西郷内相はじめ、高官たちがそのまま立ち並んで陛下の御帰りをお待ちしていました。
数千人もの一般国民の拝観者も、沖合に黒煙を上げている7隻の軍艦を見つめたまま2時間が経ちました。
午後2時、艦上の交歓は終わって、陛下は無事埠頭に帰りついた時、西郷内相は感極まって声を出して泣きだしました。
これをきっかけに埠頭に万歳の声が起こり、拝観していた国民からもどよめきが上がりました。
こうして7隻のロシア軍艦は西に向かって進発し、陛下は沿道の万歳の声の歓呼に包まれ、
午後515分に京都御所へお帰りになられたのです。
以上、世にいう「大津事件」の明治大帝と国民の苦悩でした。
 
この翌日の520日、
京都府庁の門前に白布を敷き、細紐で膝を縛った女性が剃刀で割腹自殺したのです。
膝の上には10通の遺書が並べられていました。
その中の「露国官吏様」という宛名にはつたない筆で、
「露国皇太子、すこしにても不憫に思し召しされ、是より、御入京遊ばされ候はば、
小女国人の身に取り忝なく奉存候。敬白 
明治二十四年五月十八日 千葉県長狭群前原鴨川町 畠山文次郎姉 勇子」
 
これこそ、当時の国民の気持ちをそのまま表したものでありました。
畠山勇子(はたけやま ゆうこ)。
彼女は陛下が身を以って日本国を救う覚悟で京都に行かれたと聞き、
魚問屋の主人に暇を取りたいと申し出て、衣類を質入れして旅金をつくり、
床屋で研がせた剃刀を懐中にして陛下の後を追って京都に行ったのです。
ところが、すでにロシア皇太子は神戸から軍艦に乗られたことを知りました。
遅れてしまったが、今からでも死を以てお願いしたら…と考えて、自殺したもので、
駆け付けた門衛と巡査に抱き起こされたまま息絶えたのです。
彼女は遺書の通り千葉県鴨川町の農家の娘で、最初は東京の万里小路家に女中奉公し、
次いで正金銀行頭取の原六郎宅に移り、事件当時は築地魚河岸の白鳥武兵衛宅に女中奉公をしていました。
当時27歳、日頃から政治を好んで語る気丈な性格の女性だったといいます。
明治時代にはこのような気性の婦人がたくさんいたのです。
 
イメージ 3
     (畠山勇子)
 
 
イメージ 2
        (明治大帝)
 
 
・・・・・・・・
 
          さくらの花びらへの応援お願いします。
                 歴史ブログランキングのクリックをお願い致します。
      ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ (本人様のブログでクリックを)



 


運命の曲り角にさしかかった日本国

2011年11月26日 14時20分27秒 | 無題

サイタニのブログからの転載です。これは今まで7回にわたり、サイタニさんのブログで連載されていました。少子化と言われながら、その裏で、堕胎されて闇から闇に葬られる胎児の命があるという現状についてなど、非常に考えさせられるものがあります。また日教組教育の目指すものがなんなのかも、恐ろしいものがあります。

 

日本の国に暗黒の帳は降りた

 
日本の国に今、暗黒の帳が降りたのです。生命尊重、という掛声の中に、
生命を尊重、するために胎の中にいる可愛い子供も、既に神がある使命を授け、
神の生命を宿して現実世界に出て来ようとしている途上にある者であるから
殺してはならないという吾々の理想の下に、戦後制定せられた、堕胎自由、の
優生保護法を改正しようと、われわれは既に十五年間にわたって戦って来た
のでした。
 
 
地球上の人間の魂は、まだ完全に霊化されていませんから、肉眼に見えない
胎児の霊魂など大切にしようといっても、なかなか共鳴してくれる人は少ないので、
大人が経済的にラクになるためには、無抵抗の小さき生命など殺してしまった
方がよいと利己的なことを考える人の方が多い。
 
 
そのため、堕胎自由、の今の法律の方が生活に便利であるーと考える人の方が
多いので、十五年間戦って来たわれわれの「優生保護法改正案」は残念ながら
昭和四十九年五月二十八日、日本の参議院に於いて審議未了・廃案と決定して
しまったのです。これから生まれ來ようとする胎児の霊魂に真黒な帳が堕ろ
されたのです。
 
これは日本人の大多数が、そして選良とみとめられている日本人中のエリートで
ある筈の国会議員の大多数が、生命の尊重、といっても、利己的生命の尊重
しか考えないで、抵抗のない弱い奴は殺してしまえ、と弱肉強食の考えを当然と
してもっているのだという証拠で、私は日本人として、日本人の大多数がこのような
程度にしか霊的自覚がひらかれていないのかと思うと悲しくなるのです。
 
 
そして医師会に属する医師の代表者として参議院議員になっている自民党議員
が抜けてしまったら、自民党の議員数は革新系の議員数よりも少ないことに
なるのです。それで、ある革新系の喜ばぬ法案を自民党が絶対多数で通過
せしめようとすると、医師会を代表して選出されている議員が賛成投票して
くれない限りは迚も通過させることができないのです。
 
それだから優生保護法を改正するといっても、医師会の賛同を得なかったならば
その改正法案は成立しないということになるのです。それだから田〇忠〇会長も
非常に苦心して、医師会と度々協議して、兎も角も、「経済的理由で胎児を殺して
もよい」という現行法律は「金のために人殺をしてもよい」という不道徳を容認する
法律だから、これだけは是非改正しようということに意見が一致したのでした。
医師会の武見会長も相当の人格者である。


堕胎をどの線に於いて禁止すべきか
 
釈尊は、山中に王様が隠匿して置いた金貨が草叢(くさむら)の中に
ザクザクとあるのを弟子の阿難が見つけて、そのことが報告されたとき、
阿難にむかって、あれは毒蛇じゃ、近寄っては怪我をする、と仰せられた
ということが仏典にある。
 
大本教のお筆先には「金は世の滅びの元であるぞよ。世を建て替えて
心やすき世に致すぞよ」と示されている。その建替えがまだ始まらないので、
世界中はドルショックで混乱状態に入るかと思うと、アラブの原油を値上げして、
世界中の物資の材料費、動力費、輸送費等が昂騰に昂騰をつづけて、
全世界、総インフレの恐慌状態を呈している。
 
 
まるで世界中の人間が、金、という名の毒蛇の毒気に当てられたような
恰好である。
 
経済上の理由で堕胎を公許するのは、金のために殺人を許容することになり、
その事は生命軽視の風潮を激化し、性道徳の退廃の原因にもなるから、
これを公許することを法律で抑制するように優生保護法を改正することは、
医師会の良識によって同意を得たのであるけれども、
 
 
堕胎を何でも不道徳であるという偏狭な(?)立場から堕胎を全面的に禁止
するのも愛の道に叶わないことがある。例えば医学上から診断して、
その胎児が生まれたら、多分サリドマイド児のような身体障害となると
鑑定される場合に、その両親となる者の希望によっては、その出産を
中絶してあげるのも、愛の道、にかなうのではないか。
 
 
というような医師として(スコブル)るもっともな主張もあって、経済上の
理由による堕胎を全面的に禁止する代わりに、その出産によって
身体障害児や、精神障害者が出ると医師が診断する場合には、
その妊娠を中絶することを得、というような条項を加えたいという医師会側の
申入れもあり、
 
 
医師会側の主張を全然容れない新優生保護法の制定は、国会で相当の
票決数をもっている医師会で反対されて成立不可能となるから、この方では
医師会側の主張に叶う条項を加えて、優生保護法改正案は国会に
提出されたのであった。

何故、私達は真理を伝えねばならぬか
 
一国の法律というものは、その国の大多数の国民の精神状態の最大公約数
みたいなものが条項となって制定せられることになるのである。
 
 
私たち一部の者が堕胎は胎児の虐殺であって、しかも抵抗も出来ない状態に
ある者を虐殺して、自分だけが物質的に恵まれた生活を送りたいとするので
あるから最も卑怯なる暗殺であると考え、業は、因果はめぐる、として循環して
自分自身に帰って来て、自分自身を不幸に陥れる事になるから堕胎を止める
べき法律を制定すべきものであると主張しても、
 
 
その国民の中に業の循環を信じない人で、利己的な人の方が、弱い小さな者は
殺してしまえ、その方が生き残っている吾々大人の生活が楽になるのだと考える
人の方が多ければ、堕胎防止の法律などなかなか容易に制定せられない訳で
ある。それ故に、われわれは「人間は神の子である」そして受胎して人間が地上
に生まれて来ようとしているのは神意によるのであるから、その出産を中絶しよう
と試みる行為は、神意に反逆する行為であるということを常に、凡ゆる機会を
捉えて人々に説くようにし、真理の啓蒙運動につとめなければならないのである。
 
要するに優生保護法の改正案の条項が堕胎防止の方向に制定されるか否かは、
われわれの生命尊重、の哲学がどの程度、現在の日本国民に浸透させ得るか
否かによるのである。私たちは失望することなく尚、誠を尽くして真理の宣布に
努力しなければならないのである。
 
優生保護法改正案が衆議院で審議される直前及び審議中のことであったが、
ウーマン・リブの若い女性群が数百名国会にも押しかけて来たそうであるが、
我々の所にも多勢押しかけて来て本部の壁に、優生保護法改正反対、の
ビラをベタベタ貼ろうとした。
 
 
彼らは大声で「子供を産むか産まないかは女の自由の権利である。それを
法律で縛ろうとするのは人間の自由を束縛しょうとする悪法である」と叫んで
いた。彼女等は人間の生命が地上に誕生するのは、人間という動物の
セックス遊びの副産物であって、セックス遊びをした人間自身が、その後
始末をする権利をもっているのであって法によって干渉せらるべきものでは
ないという考えをもっているのである。
 
このような考えをもつ若い女性群がどうして日本に育ったのであろうかとその
理由を考えて見ると、日教組の先生がたの中には「君たちは親に孝養を尽くす
義務も責任もないのである。何故かというと君たちは、自分で生まれたいと
望んで産んで貰ったのではなく君たちの親が自分の肉体を楽しませたい
ためにセックス遊びをして、その犠牲として生まれた犠牲者であるから、、
 
 
親に対して孝養をつくす義務も責任もないのである」という風に教壇で生徒に
教える者もあったということであるから、、そんな教師に担任されて教育を
受けた女生徒の中には、彼女らが成長して夫婦生活を営むようになった時、
「胎児は自分の性行為で、自分が拵えたものであるから、生かすも殺すも、
自分の自由だ。法律によってこの自由を縛られてなるものか」という考え
持つに至るのも無理はないのである。


汝は両親の性慾遂行の犠牲者だという教育
 
教育は人間の自覚を左右し、人間の運命はその自覚の如何に左右せられる
のである。而(しか)も、戦後の日本の児童の教育方針にゆだねられている
のである。
 
 
家永三郎教授の編纂した、新日本史、を文部省が児童を教育するには
不適当な書籍として教科書の検定にあたって省いたことは私は当然の
措置だと思うのであるが、著者の家永氏は、文部省を相手どって「教科書から
省いたことは、日本国憲法、第二十一条の『検閲はこれをしてはならない』と
いう条項にそむく違憲不法行為であってこのために教科書となっておれば、
この本がたくさん売れて印税がもっと幾百万円自分の収入になる筈で
あったのを教科書として売れないことにしたために損害を与えた。
 
 
これは国側の違法行為によって損害を与えた不届行為であるから、その
損害賠償を請求する」という訴訟を起こしたのであった。
 
 
これは家永教科書裁判として当時有名な争点となっていたものであるが、
その裁判に当たった杉本良吉判事は、国には国民を教育する教育権は
ないのであって、国は教育する施設を完備する責任があるだけであって、 
国民を教育する権利は国民自身にあると判決して、国側がこの
裁判には負けたのであった。
 
そして占領軍が占領中に起草してその軍政下に於いて制定せられて今も
有効と認められている「日本国憲法」の第二十三条には「学問の自由は、
これを保障する」とあるので、
 
 
学校では学問として何を教育しても好いことになっており、国、は教育
される学問の内容を審査することも出来ず、国民である教師が自由に
どんな教育でも施してよいということになれば、その教育者の思想内容
如何によっては、国を亡ぼすことになるのは勿論、
 
 
国民ひとりひとりの自覚を、神の子、という崇高なる自覚に導くことも出来るが、
ただの虫けらや獣類と同じく、性慾の本能に支配された、地球に生えた
カビ、の一種だ位に考え獣類と同等のものだから獣慾を満足することが
当然の権利だなどという自覚(?)に導くことが出来るのであって、
現在の教育の実態を観るならば、まことに残念ながら後者の状態に陥って
いるのである。

 
現代の日本では革命の闘士を養成するための教育が行われている
 
教育者の思想内容の如何によっては国家を滅ぼすことも出来るというのは、
日教組の憲法ともいうべき『教師の倫理網領』には「教師の使命は革命の
ための有能なる働き手となるために青少年を育成する」ことであると書かれて
いるのであって、
 
 
日教組の教師の教育は思想的に中立の立場に立って、偏らない中正な教育が
行われないのであって、国を亡ぼして共産圏の衛星国になることを悦ぶ
青少年になるように指導教育が行われることになっているのである。
 
 
教科書からは、忠義、も、孝行、の語句も追放し、世界で尊敬すべき人は
ソ連のスターリンや中共の毛沢東であるというように書いて、日本国の歴史に
いくら尊敬すべき人があっても、それは教科書から抹殺されてしまっている
のである。
 
 
いつだったか中村梅吉氏が文部大臣になった時、今まで日教組と文部省との
対談が長く行われなかったが、その時はじめて、日教組の委員長と中村文部
大臣とが意思疎通のために対談したが、その時、中村文部大臣が「あの教師の
倫理網領にある、革命のための有能なる働き手となるように青少年を育成する
のが教師の使命である、という条項を止めて貰いたい」と申し出られたが、
日教組の委員長はそれを拒絶したということが新聞に出ていて私は、これを
どうすることも出来ない日本の現情を悲しんだのであった。
 
日教組の『教師の倫理網領』に次いで、その実践的説明文とも言うべき
『新しく教師となった人々に』と題するパンフレットが出版されたのであるが、
それには、「日本教職員組合の運動方針には『教職労働者としての階級的立場
を明らかに闘う』と書いてありますが、われわれはそのように日本国の貧しい人々、
つまり労働者の側に立って、日本の横暴な資産階級のわがままと闘うので
あります。このことは、われわれの組織の根本的な態度でありますから、十分に
検討して、よくかみしめていただきたいのであります」
 
国民を資産階級と労働階級とに分けて、階級闘争をするのが日教組の運動方針
であるというのであるから、明らかにマルクス・レーニン主義の立場に立つ運動
であるから、このような運動を内容とする教育が、そのような思想をもった教師に
よって行われるとすると、如何なる学生が生まれて来て、次の時代の日本を担う
国民がどんな思想によって、どんな行動を展開するかは想像するに難しくない
のである。
 
 
学生騒動や交通ゼネストが、順法、の名に於いて行われている日本の現状は
当然の帰結である。この当然の帰結に対して、日教組の出した『新しく教師と
なった人々に』には、「いま、日本の進歩的な労働者、知識人は、そのための
闘争に起ち上がっております。われわれもそれにおくれてはなりません。いな、
むしろその戦列の先頭に立つべきです。それがみなさん、教師というものでは
ありませんか。ー教職組合は、いま、そのたたかいの前衛となって力をつくして
います。」
 
ここに至っては、日教組の「革命のための有能なる働き手となるように青少年を
育成するのが教師の使命である」と書いた『教師の倫理網領』は、決して空宣言
ではなかったと言い得るのであって、まことに日教組は、生きて活動している
革命運動家の集団であるということを公言しているのである。
 
 
注:ソ連崩壊後さすがに日教組もスターリンを尊敬するなんて書いていませんが、今の70歳以下の大人(政財界)はすべてといっていいでしょう。このような教師によって教育されてきていますので、国会議員はじめ財界のトップもトップの器で無い人がトップになっていますので、その下で働く人達は「うつ」にもなるでしょう!

 
権力者に対する反抗精神の養成
 
日教組の周密に計画されたる児童教育は、子供に対して、親に反抗せしめる
性癖を幼少時より養育するためにエディポス・コンプレックスを植えつける
教育を行うのである。
 
 
それだから「君たちは親が肉体の快楽のためにセックス行為をする犠牲として、
君たちは何も、産んでくれ、と頼みもしないのに、此の生存競争の激しい
苦しい世界に産み出されて来たのであるから、親に孝養を尽す義務も責任も
ないどころか親に対して賠償を要求する権利があるのである」と教壇から
生徒に教える式の先生が出て来るのも不思議ではないのである。
 
 
これによって、少年少女は、両親は子供という被害者に対する加害者の
位置にあると教えられるのである。従って幼少時にこのような教育を
受けた子供は父(又は母)に対する反抗精神、敵対精神を植えつけられるー
これによって少年少女が「革命のための有能なる働き手となる」ための
 
 
第一段階の教育が完了し、上長者に対する反抗精神が潜在意識に滲透し、
何でも権力者に反抗する国民をつくる基礎工事が完成したのである。
この上長者に対する反抗精神の養成について田中卓博士はその著
『祖国は呼びかける』に次の如く書いていられる。
 
「このように日教組というものは階級闘争をやる団体であることが
ハッキリしておるのであって…次に日教組の性格は、子どもに教える場合に、
抵抗教育、を最終目標としています。
 
 
抵抗教育、というのは、私が名附けたのではなくて、日教組が自分で『抵抗』を
目標と記しておるのであります。たとえば、日教組に属する大阪教職員組合
出版の『わたしたちの道徳教育は』」というパンフレットでありますがこの中で
彼等が言いますのに、
 
 
われわれの道徳教育は文部省のそれとは違うのだ。文部省は勝手に
道徳教育をやりなさい。われわれは別の道徳教育をやるのだというので
あります。」(『祖国は呼びかける』156頁)
この、抵抗教育、というのが上長者(即ち権力者)に対する反抗精神の
育成なのである。
  
 
抵抗教育とはこんな教育
 
日教組の所謂、抵抗教育、によって、どんな子供を育てるかというと、
「変革的な人間像」を子供につぎ込むのである。即ち『教師の倫理網領』の
目指しているところの、革命のための有能なる働き手となる青少年を育成
するのである。田中卓博士は、それを説明して次の如く言っていられる。
 
「変革的人間像といいますのは子ども達を教育して社会を変革するのに
役立つような戦士に育て上げていく。つまり社会変革に役立つ人間に子ども
達を育て上げる、これが変革的人間像を育成するいうことであります。
 
 
もっと分かりやすく言えば、紅衛兵というのがあったでしょう。紅衛兵が中共の
社会を変革していくのに役立てられたわけでありますが、ああいう紅衛兵の
ようなものを作っていけというのであります。
 
 
ですから文部省の言うように『規則やきまりを尊重』したり『社会道徳を守』ったり、
そんなことをしておったんじゃ駄目だ。そういうことをやっていると、それは
『服従』と『統制』だけであって、決して幸福にはなれない。そういうことを
平気で言っております。大変なことでしょう」(同書一五七頁)
 
こうして、抵抗精神、ー上長者に対する批判と反抗精神が養われる。それが今、
中共に行われている、孔子批判、の教育であり、造反有理、と支那でいつて
いるところの「反逆することも道理が有る」という逆説であり、革命を有理に
する教育の基本形態であるのである。
 
「女は自分の胎の中に出来た子供は産もうが産むまいが自分の自由の権利で
ある」という「女性解放運動」 (ウーマンリブ)の精神は、子供の方から見れば、
「頼みもしないのに、セックス享楽の犠牲として私を産みやがって!」と父親
母親を怨むところの反抗精神につながる人間観なのである。
 
そこには自己の享楽又は自己の生活の快適だけが目的で、人間を産んだり
殺したりすることが当然視されている人生観があるだけで、親の幸福のため
には子供を殺してもよいという精神が貫いているために、子供が生かされて
いて殺されなかったと雖(いえども)も、それはその親にとって子供が生きて
いることが自分に都合がよかったからに過ぎないということになっている。
 
 
そこには親と子供との生命の対立があって一体観がないのである。従って
親と子との関係は「一つの生命」によって融合していないで、利益関係で
結ばれているだけで精神的には互いに疎外された関係にあるのである。
 
 
それ故に子供は常に親の愛を信頼することができない永久に子供は
孤独感の中で成長して行くのである愛され愛したい両親はそこにいる
けれども信頼して親を愛することも愛されることも出来ない。そこに
「造反有理」の革命精神、反抗精神が育成されて行くのである。
 
 
 谷口 雅春著 「私の日本憲法論」(昭和42年)より