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国は宗教的活動をしてはならないと占領軍が定めた

2013年07月21日 14時29分48秒 | 日本人と憲法

サイタニのブログからの転載です。

国家が特定の宗教団体に関与するのは良くないけれど、民族の古代からの祭祀の習慣というものを、 特定の宗教と同一視して、祭祀さえも行なってはいけないというのは、おかしいのではないかと思います。日本における神道はいわゆる一般的な宗教と違って、布教活動をするわけでもなく、昔から生活とともにあったものです。これは日本人の生活の中に溶け込んでいる物事の考え方や捉え方という、民族的感性から出た伝統的な慣習であり、日本人の根幹に関わるものです。それを宗教として国家活動から完全に排除するというのは、歴史を無視するものだと思います。

国家が戦没者を慰霊する時に、全くの宗教性を抜きに慰霊するのは、まるで魂を込めずに仏像を作るようなもので、やはり真の慰霊にはならないという気がします。宗教団体には国家が関与するべきではないと思いますが、国家にはそれにふさわしい宗教祭祀が必要で、日本には、神道というまさに民族に最も合ったものが既にあるのに、それさえダメだというのは、民族国家としての日本を弱体化させることを意図していると思わざるをえません。

戦勝国が敗戦国に押し付けた憲法ですから、これはそう考えるのが当然ではないでしょうか。

 

 
 
靖国神社の国家祭祀について
     「やまと新聞」月曜随想(昭和四十六年六月二十八日号)
 
 
渋谷駅前の十字街頭近くに高く聳える高層建築の書店がある。大盛堂という名の書店である。何も書店が高層建築の中にあっても不思議ではないが、珍しいのはその高層建物ぜんたいが書店であることである。この書店は各階が文学、哲学、法律、宗教…:と いう風に階別に分類された書棚になっていて検索に便利でありあらゆる書籍がその階層に従って秩序正しく配列されているのである。戦後のある時期までは一階 だけが書店であったものだが、戦後の道路拡張計画で店の前面を削りとられたので、従来横に平面的に延びていた書店面積が縦に立体的に伸びていったのであ り、それが却(かえ)って特色があり、各階にはエレヴェ一ターで昇れるので、便利であり、商勢の発展にも寄与しているらしいのである。
 
 
その店主は-会社組織であるから杜長であるが戦中は南方派遣の軍隊に属して身をもって勇戦 奮闘して来た人で、その戦争体験を通して『英霊の絡叫』『玉砕』等の記録小説を書いたが、それらの著書を三島由紀夫氏に見てもらって、その一冊には序文を 書いてもらった、そのお礼のしるしに愛刀“関の孫六”を三島由紀夫氏に奉納したのが、計らずも、三島氏自決の際の介錯の刀になったというのは奇縁というほ かはないのである。,
 
 
と ころでこの書店杜長のお名前は船坂弘君といわれる。日本教文杜の書店配本係をしていた女社員がこの船坂氏を訪れた際、同氏から私にと、ことづけて贈呈して 下さった本が同氏書きおろしの『殉国の炎』という記録小説である。読んでみると戦線の光景が生き生きとした力強い名文で書かれていて、それが眼前に髣髴 (ほうふつ)として来るような気がする。しかし私の心を打ったのはその小説の本文よりも、その“はしがき”に、「平和のために」と題して、氏が昭和四十 年、南の果てに点在する玉砕島に遺骨の収集と供養に回られた際の戦場あとの光景が描かれている文章である。戦場跡に散乱する赤錆の武器の光景を描いた後に、

「だ が、私を本当に哭(な)かせたものは、海浜やジャングルに投げ出されている、それらの破壊された兵器の残骸ではなかった。ひとたび緑の雑草におおわれてい る激戦のあった場所や、幽気を孕む洞窟に足を踏み入れると、そこには必ず、眼をそむけずにはいられないような、次元の違う別箇の世界が現存し、その想像を 絶する悲惨さに、足もすくんでしまったのである。戦跡は意外であった。そこに、二十.数年前に戦死したまま、ずっと放置されていた兵士たちの悲しい姿を、私はまざまざと見せられたのである。
 
長 い間、雨に打たれて朽ち果て、風化された白骨は、もうすでに黄色く変色し、それらが枯木のように折り重なって、無数の骨、骨、骨……この骨の山が、かつて の善良な青年たちであり、純粋で疑うことも知らず、皇軍の必勝を教えられたまま信じ、日本の楯となって本土の人々の身代わりになろうと、身を粉にして闘 い、生きて虜囚の辱しめを受けまいと、最後まで敢闘を続けた兵士たちなのだ。彼等は人間として、当然享受出来る幸せを投げ棄て、国家のために尊い生命を捧 げた兵士たちであり、同時に私の親しい仲間でもある。そう思うと、その悲惨さに堪えられず、激しい憤りを覚えて、長い慟哭さえ押しとどめることも出来な かった。私はその時以来、毎年、必ず、収骨慰霊に渡島し、もう前後九回におよぶ。これからも私の身体が動く限り、これを続け、彼等英霊たちの冥福を祈りた い。これは多くの英霊が、私を招いているからでもある」
 
船坂氏のこの文章は私の胸を激しく深く打ったのである。民間人である船坂氏がこのように遺骨収集のために幾回も南の 孤島に渡っているのに、政府としてはどうしてもっと大掛りの遺骨収集団を派遣して、そんな気の毒な遺骨が露出したまま風雨にさらされているのが一片もなく なるように、収骨してとむらってやることを実行しないのだろうと思った船坂氏が「その悲惨さに堪えられず激しい憤りを覚えた」と書いていられるのは、政府 が、この国家の犠牲者をこんな悲惨な状態のままで放置しているその冷淡さと、政治の無策に対する激しい憤りであったのだろうと想像されるのである。
 
革新党、キリスト教側の反論(過去記事226日掲載)
 

けれども政府が国家を代表して、国家の行事として遺骨を収集して慰霊する行事を行なうことは、現行の日本国憲法ではできないーという壁にぶつかることに私は思い当たったのである。それはこの憲法の第二十条に、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と占領軍が定めて往ったのであり、日本国民は今に至るまで、この憲法を改正しようとせず、この欺瞞憲法の枠の中で、 行動を束縛されて自由を得ず、こそこそと反対党の目をぬすんで、自衛隊は「戦力ではない」と詭弁を弄して創設してみたり、護国の英霊をまつることは「国」 としては行なうことは出来ないということになっているので、靖国神社国家祭祀の法案も政府提出法案とせず議員立法として最近の通常国会に提出せられたので あるが、革命党の反対気勢が高いために、この法案を最初に出したら、審議が長びいて、他の重要法案が審議できず、参院選挙戦の期日に食い込んでしまうおそ れがあるというのでこの法案は、後回しにされ、ついに審議未了廃案になったのである。

しかも、この法案の通過を間接的に妨害するために、津市における地鎮祭を市当局が行ったことは、前掲の憲法第二十条に触れる行為であるとて、「政府機関や市当局は地鎮祭すらも行ってはならぬ」という判決を名古屋高等裁判所は下したのであった。

革 新系の政党が、靖国神社を国家または国の機関が祭祀することに反対するのは、神社の祭祀は一種の「宗教的活動」であるから国や政府機関が行うのは、右の憲 法に触れるということと、戦争に命をささげた英霊を尊崇したり、頌徳したり、遺徳をしのぶということは、好戦的精神を国民に養成し、それが戦争につながる という理由のようである。

特にキリスト教側からは、大東亜戦争中、 日本政府が国内のキリスト教を禁止同様に圧迫したことに対する反感から、戦争を一種の犯罪として見、その犯罪に従事して敵兵を殺すという殺人行為をした者 を国家がまつるということは以っての外だという議論も出ているのである。それゆえにこの法案の提出者側が提示した、提案理由、は非常に遠慮がちなもので、 次のように書かれている。

・・・・省略・・・・

次元を低めた法案の廃案は神意である。
(過去記事227日掲載)
 
この提案理由を読んでみると、一字も、祭祀、という語を用いず、「まつる」とも言わず護るといい、護持する、といっていて、出来る限り、宗教語を避けそ の「まもる」又は、護持する、ことが、憲法第二十条に定められたる「国及び政府機関」がしてはならない「宗教活動」とみとめられて、違憲のそしりを受けな いように、謂わば「表現の微妙なカラクリ」によって、「英霊を祭祀すること」を「祭祀するのではない」「まもるのだ」「護持するのだ」と言いのがれる工夫が凝らされているのであるそしてその靖国神社なる建物を「国民の負担においてまもる」ことは、神社に「祭祀たる英霊」にこたえるためではなく、「英霊に対する国民の尊崇の念にこたえる」ためになっているのである。それを提案理由の中から箇条書きにしてみると

一、英霊に対して全国民的な尊崇の念を表すために、
二、遺徳をしのび、
三、これを慰め、
四、その事績をたたえ
五、その偉業を永遠に伝えること、となっているのである。

この第三項「これを慰め」以 外は、神社に祭祀してある英霊の冥福を祈るという意味は全然ないのであって、靖国神社を、神社、という名称だけを温存しつつ、その実質は単なる「尊崇の念 を表し、遺徳をしのび、事績をたたえ、偉業を永遠に伝える」ための記念碑的存在たらしめることによって、占領憲法の「国家祭祀の禁止条項」から言いのがれようとしているのである。

し かも国家が祭祀することを祭祀といわずに「護持」といってその記念碑的建物を保存維持する経費を国家が負担するというような、半ば唯物論的表現になってい るのである。しかも、この提案理由の説明によれば「国民の名において、かつ国民の負担においてまもること、すなわち靖国神社を国家護持すること」となって おり、国民、と、国家、とが混同されているのである。

つまりこの提案理由書によれば、
占領憲法の最大の欠点であるところの「国民はあるが国家はない」ということが露骨にあらわれていることである。このような国家がない占領憲法の下に於いて、国家のために命を棄て、「天皇陛下万歳」と叫びながら死んで往った英霊の心が慰められるであろうか。
そして、国家護持、と称する意味不明の表現の下で、ノリトを誦えることも宗教活動、として遠慮しなければならないような状態で、国民がその護持の費用を受けもってくれても、果たして「英霊の心は慰め」られるであろうかと私は疑問に思うのである。
そ れは次元の高い靖国神社を、次元の低い記念碑に落としてしまうことになるのである。そして国家、と、国民、とを混同した曖昧な心構えで「国民の名に於い て」「国民の負担において」「国家護持する」という趣旨で、この法案が通っていたならば「国家のために命を捧げた英霊」を「国をつぶした戦犯協力者」とし て攻撃している共産党員の如きが政権を握ったときに共産党員は礼を以て神社を護持し得るか。本当に英霊は「礼をもって」その国家護持を受け給うであろう か。「神は非礼を受け給わず」ということは敬神家の常識であるのである。従って先般提案の「靖国神社法案」が審議に到らず廃案になったことは「神は非礼を 受け給わず」のあらわれで、私は神意であると思うのである。

恰(あたか)も、この原稿を書いていると き「靖国会」から、徳川氏が病気療養中なのでその代理者としての塙三郎氏から、私が嘗(かつ)て、現憲法下ではその第二十条により靖国神社の国家祭祀には 抵抗が多いから、同条の信教の自由に基き天皇陛下が御自身の御意志にて靖国の神霊を祭祀するのは違憲ではない。そして、その費用は天皇の皇室費(御生活 費)の中から支出すればよいのであって、それは国会で皇室費を増額すれば事足りるのだから、これは頗(すこぶる)簡単なことなのであるーこんな意味をこの 欄に書いたことがあるのを塙氏がどこからかお聞きになって、

「天皇御自身の御意志によって、靖国神社 の忠霊をお祭り申し上げる事が若し実現出来ますならば、二百五十万の忠霊はどんなにか感動することでありましょう」と大いに賛意を表して来られたのであ る。塙氏は「靖国神社は先ず宗教法人たることを辞退して普通の公益法人にしてその財産を管理し」と書いておられたが、信教は自由であるから靖国神社が宗教 法人そのままで天皇陛下が御視察あらせられても一向差支えはないと私は思っている。そしてその費用は、吾々が先祖の霊を祭る仏壇を購入し維持するのに、自 分の家計の中から支出するのと同じように皇室の中から 天皇御自身の費用として支出することにすればよい訳である。天皇陛下万歳、と唱えて国家に命ささげ た忠誠の英霊のために謹んでこの稿を認(したた)める
 
 

谷口雅春著「私の日本憲法論」より


博士の独り言 IIの「侵略「中国で日本語学習者増加」考」を読んで

2013年07月20日 17時55分15秒 | 日本人と憲法

博士の独り言 IIの「侵略「中国で日本語学習者増加」考」という記事を読みました。

中国では日本語を学習する人が増えているそうです。人のいい日本人は、中国人は日本が嫌いという90%にも達するアンケート結果がある割には、日本に好感を抱いている人が意外といるのかも、あるいは嫌いと言いながら、日本に憧れている心理があるのではと思ったりしがちですが、博士が仰るには、こうした国は、日本人とはまるで違う常識が働いており、日本人が考え及ばない心理でいるらしいです。


最 近、支那(China)のネットでも頻繁に用いられるようになった言句に「日本は中国領」(要旨)とする表現が増えて来ている。単に、日本を中傷、罵倒す るのみならず、この日本をすでに中国領(日本自治区)とみなして、水も空気も土壌も汚れ切った自国から出て、“領土の日本へ住もう”という厚顔無恥な民意 の言が目立って来ている。

と書いておられます。唖然とするようなネットの内容ですが、しかし考えてみれば、これは支那人の本音ではないでしょうか。チベットやウイグルを侵略して、平然と彼らを虐殺して民族浄化を行い、多くの支那人をそこに移住させているやり方を考えれば、その延長に今度は日本をというのはむしろ非常にありうる考え方です。水資源などの自然豊かな日本の国土を略奪して、自分たちのものにしてそこに住もうというような考えが出ても、全くおかしくありません。

尖閣、沖縄は、その入口として、まさに進行中ということです。

これが平和を愛する諸国民を信頼して戦争放棄を歌った現行憲法の欺瞞を見て見ぬふりをし続けてきた日本が置かれた現状です。

民主党政権の頃だったか、堀江貴文氏が、「尖閣なんて、別に日本にとって何の役にも立たないじゃないか、こんなもの中国にあげてしまえばいい」とか言って、紛争を起こさないほうが大切だみたいなことを言っているのを聞いたことがありますが、国際社会というものが、平和愛好者ばかりだなどと思っているのがおかしなことで、一般個人間の関係以上に弱肉強食の世界です。一歩引いたらそこで終わりになって解決ではなく、どんどん押してくるのです。二歩も三歩も引き続けて、最後は崖に突き落とされるまで続くと考えたほうがいいのです。

更に博士は次のような日本在住の支那男性の話を書いておられます。


「あなたたちと戦います」
 
  先日、人づてだったが、支那の南部から日本へ来て約五年(商店開業)という男性に話を聞いた。「日本と貴国がもしも戦争になったら、あなたはどうするの か?」と率直に尋ねた。返って来た言葉は、「もしも戦争になったら、あなたたちと戦います」と。「あなたとだって戦います。当然でしょう」との言葉であっ た。中国共産党政府が敷いた「国民総動員法」(中国共産党政府が“有事”と判断した場合に、日本では在日支那人が皆兵化させる法律」についてもよく知って いて、「我々の使命だ」とも言いきっていた。ここまでにするが、話の訊き方が良かったのかもしれないが、あるいは「聞けば」健康被害を起こする人も出そう なほど日本に対する過酷な言句がその後に並んでいたのである。
 
  「あなたは人民解放軍の関係者か?」と意図的に尋ねたところ、ふいを衝かれてか、「日本人は大人しくしていた方がいい。その方が身のためだ」と逃げた。日 本で開業して世話になって来た。日本人なら多少なりとも相手国に感謝や敬意を抱いているであろう。だが、彼の国のメンタリティは我々と対照的なまでに異な る。その一面を確認できた場面でもあった。


日本人は外国人が皆日本人と同様の考え方をするかのごとく錯覚して、信用しきっていることが多いですが、ある日突然その外国人が豹変した時に、自分や家族を守れるのでしょうか。

民主党政権下の外国人参政権など、もう異常とも言える法案などもありましたが、国家を守るということを今こそ真剣に考えなくてはならない時代はありません。戦後教育で腑抜けにされた日本人を脱皮して、先人が如何にこの国を守りぬき私たち子孫に受け渡したかを、魂を開いて心の目で見る必要があるでしょう。



なぜ憲法をかえなければならないか。外人に国を倒す自由をみとめた現憲法

2013年06月09日 16時23分06秒 | 日本人と憲法

今日もサイタニのブログからの転載です。

この記事には、かつて美濃部都知事が、朝鮮大学校を認可した時の事が書かれていますが、日本国憲法に定められた教育の自由を盾にとって「学校の認可に日本を衛るという政治的配慮を用うべきでない」ということを、まるで正義の論理であるかのように振りかざして、反日が目標のような学校を認可したのです。日本の左翼思想の人々が、如何に日本国家を嫌悪し、打倒したく思ってかということが、ここにはっきりと表れています。

維新の会の橋下代表や東国原氏などが地方主権などということを盛んに言っていますが、地方に若しこうした左翼思想の知事、首長が出れば、美濃部都知事と同じようなことをやるかもしれません。左翼のやり方は、分断して支配するということが得意ですから、ほんとに危ないと思います。


 

特集 なぜ憲法をかえなければならないか
民主主義の矛盾について
 
 
外人に国を倒す自由をみとめた現憲法
昭和四十三年
武藤貞一氏はまた一言われる。
「国家と個人主義とは絶対に両立すべからざるものだ。国家は共同の利益の結晶体で、すなわち公共体である。公共体は、大局的には個人の利益を防護するためのものだが、局部的には個人の犠牲の上に成立っている。権利義務の"義務"は犠牲と同意義である……」
 
民主主義憲法すなわち現行の日本国憲法は、結局個人主義憲法であるから、国家を防衛するためにはできていないのであるその成立の経過手続きそのものから、日本弱体化のためにつくって占領軍が押しつけたものであるから、国家を防衛する戦力も交戦権もみとめていないのは無論であるが、国民が言論で国家を倒す自由や、革命教育を行って国家を倒す自由をみとめているのであるから、この憲法が存続する限り、日本国家は累卵(るいらん)の危機にさらされているのであるこの憲法を楯にとって美濃部都知事は、学校の認可に日本を衛るという政治的配慮を用うべきでないとして、朝鮮人をして反日的言論と教育とで日本国を倒す自由をみとめて"朝鮮大学校"を公式に認可したのである。外人をして「日本国を倒すための言論と教育の自由」をみとめしめた日本国憲法こそ、世界唯一の怪物というべきである。
 
美濃部東京都知事が、灘尾文部大臣(当時)いうことをきかないで、知事の権限内のこととして、日本国覆減革命教育をほどこしている"朝鮮大学校"を公認したことは"知事選挙のとき共産党・社会党(現民主党)に支持されて当選したのでそれらの党の突き上げによる"との説をなす者もあるが、そうかも知れない、そうでないかも知れないが、民主主義が"下剋上"主義であるかぎり、このことのあるのは当然のことである。
 
「民 主主義は、当然のことながら、階級と秩序と倫理と情操を打破する。生徒の民主主義は、教師を同列の人間としてこれを軽蔑することであり、生徒が教師を殴り つけたり、監禁したりするのは、民主的エリートの行為として称賛されねばならないし、また、子が親を、弟が兄を、妻が夫を虐待することが民主的理念に適 (かな)い、いやしくもこれを逆にして、子が親に、弟が兄に、妻が夫に服従したり敬愛したりすることは、甚だしき民主主義の背戻行為(はいれい)であって 犯罪に等しい。旧道徳、旧封建的、義理人情的な一切のものを踏みにじらなければ、民主主義とはいえない。民主主義とはそういうものなの
である」
 
と武藤貞一氏は喝破(かっぱ)している。国家を愛し、国家を衛るところの国に対する忠誠などという精神は封建的であるから、自国をつぶす革命教育を行う外人学校を公認し、国家の文教方針を代表する文部省の指示に反して、外人がいやしくもその首都にいて革命教育を現に行いつつあるものを許す。この怪物の正体をわれわれはよく見きわめなければならない。
 
〃下剋上"も ここまで来ればすでに狂気の沙汰であるが、そういう者が進歩的文化人にとってはエリートなのである。日本弱体化のために押しつけられた日本国憲法の下に於 いては、国家は個人の利益を擁護するための組合組織に過ぎないのであるから、個人の利益及び思想・行動の自由は、国家の存在権に優先するのである。国家が潰れようが、そんなことは個人の思想及び行動の白由の前には、顧慮する必要がない建前になっているのが現行の民主憲法なのである。
 
 
 
冷酷非情な唯物論の世界
 (過去記事2月24日掲載)
 
唯物論と民主主義とが結びつくとき、個々の人間の基本人権を尊重するという高い理想の名目の下に、理想に反する極端な個人主義が生れるのだ。そこには、個人の権利のみ人権として主張せられて「全体」に対する義務や奉仕がわすれられる「全体主義はいけない」と民主主義国家では考えられがちであるからである。しかし、全体が健康にならないで部分の臓器が健康になれるはずはないのである
 
現在日本の民主主義は唯物論に立脚しているが故に、人間と人間との関係は「物質」と「物質」との関係同様に扱われるに至るのである。
・・・・中略・・・・
 
そこにはただ非常な冷酷があるばかりであって温かい"愛〃はないのである。なぜなら唯物論的集団の世界に於いては、おのおのの人間は物質の一単位に過ぎないから、その離合集散は非情に行われるのが当然なのである。
 
人間を唯物論的に取扱うとき、
・・・・中略・・・・
祖先→父母→子孫というような生命のつながりも、霊魂のつながりもなくなる。子は父母に背き、祖先を無視し、祖先崇拝や父母に"孝養"などという考えは"古い"として棄て去られる。そして「個」のいのちは神から断絶し、祖先から断絶し、父母から断絶し、人間は独立独歩であると宣言する。独立独歩は壮大な宣言でよさそうであるけれども、それは神からも祖先からも父母からも断絶した独立独歩であるから、
・・・中略・・・
彼は唯物論的主義の生活に於いて避けられない孤独と寂寥(せきりょう)とに魂がさいなまれ、人生無意義の感ふかく、生き甲斐を失ってしまうのである。その結果、暴動学生になるか、フーテン族になるか、快楽主義者になるか、極端な利己主義者になるかが落ちである。
 
物 質はただ非情な、電圧や水圧や、金力による圧カによって、機械的に物理的に動くのである。大学で争闘している学生の中には、一人日当千円で傭われて来てい る者があり、警官の放水で濡れた者は、五百円の割増金がついているのだという噂をきいた時に、私は愕然(がくぜん)としたのである。かつて日教組の街頭行 列による示威(じい)運動が和歌山に於いて行われたとき、やはり他県から日当で雇われて行列に来ているものがあるということをきいたことがあったが、それ は汚れた大人のことであると思って気にもとめなかったが、純粋に「人類愛」という、幻想にせよ、錯覚にせよ、使嗾(しそう)によるにせよ、ともかく、高邁 な理想を心に描いて、血を流すことをもいとわず、不惜身命(ふしゃくしんみょう)に邁進する学生たちだと思っていたのに、その中にそのような不純な者が 混っていたときいては驚くほかはないのである。その"金“はいったいどこから出ているのだろうか、第三国からだろうか。日本の革新団体からであろうか。金銭で身を売って、同胞相争うて血を流すような冷酷非情の世界、それが唯物論に結びついた民主主義世界なのである。噫(ああ)!!私は世界全体の健全なる繁栄と幸福のために個人主義的民主主義の迷妄を払拭して、新しき霊的全体主義に人類が目覚めることを待ち望むのである。
 
 
谷口雅春著「私の日本憲法論」
 

なぜ憲法をかえなければならないか 民主主義の矛盾について

2013年06月07日 12時28分25秒 | 日本人と憲法

この前の日曜日にサンデーモーニングをチラッと見たら、憲法改正についてのナレーションが流れていて、96条改正というのは、9条改正の隠れ蓑みたいなことを話していて、9条がいかに人類の理想で素晴らしい条文であるか、また戦争だけは何が何でもやってはいけないという話を、街の声や、9条の会のメンバー達のコメントで固めてそれが多数派の意見であるかのごとく流していました。

アメリカの日本占領政策では、日本は好戦国のように言って東京裁判を行い、自虐史観で洗脳しましたが、実際には日本は、アメリカとコミンテルンの策謀でついに戦争に引きずり込まれましたが、それまでにどれだけ戦争を回避しようと努力したかは歴史を見ればわかります。日本ほど、平和主義の国はなかったと思います。

それでも戦争せずにはおれなかったのは、世の中には、戦争以上に悲惨なこともあるからです。9条の会などのコメントを聞くと、戦争が一番悲惨だと言う論理ですが、戦争でしか切り抜けられない悲惨さもあるし、戦争しなかったならばもっと悲惨になる現実もあるのです。

チベットウイグルが今どれほど悲惨であるか、日本人は殆ど詳しい情報を知りませんし、マスコミも報道しませんが、チャイナの侵略により国を失い、民族浄化策をとられて、男性は殺され、女性は支那人と結婚させられるという、民族の絶滅を意図されているような悲惨な現実も起こっているのです。

またかつては、欧米の植民地主義で、アジアは歴史も伝統も奪われて、植民地のアジア人は、教育も受けられないために、民族の文字も歴史の記憶すら失った国もあるのです。奴隷のように労働させられるのみで、歴史的記憶を失わされた民族は、誇りを失い、立ち上がり反抗する力もなくなります。

旧アメリカ大陸の土着民族は、ほとんど絶滅に近い人口減少となり、今ではインデアンは、保護区で、ひっそりと生きるしかありません。またマヤやインカ帝国もその子孫は、スペイン人との混血以外は生き残っておらず、文明はほろびて遺跡でしか見ることはできません。

かつてアフリカからアメリカに連れて来られた黒人奴隷は、その死体を検証すると、疲労骨折で腕が折れている人もたくさんいるほど、激しい労働で、牛馬のように扱われていたのです。完全に白人たちは黒人を人間ではなく動物と見なしていたのです。

これが、第二次大戦以前の世界であり、現代とはまるっきり違う世界だったのです。白人による人種差別、弱肉強食的列強の世界だったのであり、その中で、日本は大東亜の解放を旗印に戦い、アジア人をヨーロッパに対抗できるように訓練を施し、援助し、武士道をもって戦ったのです。

 

他の植民地のような運命を日本が戦わずに受け入れていたら、おそらく今の繁栄はなかったでしょう。敗戦したとはいえ、そこから立ち上がることが出来たのは、たとえ戦力に差があったとはいえ、米国と対等に戦ったからです。

明治以来富国強兵に力を入れて、なんとか欧米に追いつき、植民地にならずに、強国日本を作り上げたからです。欧米に出る杭は打たれる式に叩かれたとはいえ、それでも植民地になるよりはずっと良かったはずです。さらには、大東亜戦争によって、アジアが植民地という境涯から独立するきっかけを与えたのであり、植民地全盛時代の歴史を変える役目も果たせたのですから、戦わないことによる悲惨さよりも、戦ったことの悲惨さのほうが、ずっとマシだったと思います。

敗戦後にアメリカ占領軍からまるで民主主義という立派な教えを授けられたかのように、過去の日本はダメな日本だったけど、それ以後は民主主義という立派な教に基づいて国を運営するようになったなどというのは、大間違いです。

アメリカのくれた民主主義は、特に日本国憲法は、唯物論に基づいた肉体主義的民主主義であり、人間の霊性を尊重するような崇高さは全くなく、利己主義個人主義を肥大させるものでしかありません。アメリカや欧米が、それまで何をしたかを考えれば、その民主主義を歌った日本国憲法が、日本を良くしてやろうなどという気持ちで与えられたものであるはずがないことは歴史を見れば一目瞭然です。

 

サイタニのブログにこの憲法の唯物論的民主主義がよく分かるように説明されているので、転載します。

 

特集 なぜ憲法をかえなければならないか
民主主義の矛盾について
 
日本民族を浮浪の民族に
昭和四十三年
 
アメリカはその唯物論的民主主義を押しつけ的に輸入させて、日本を歴史なき国にすることによって日本民族を根の生えていない浮草のように、どこの国に隷属してもよいような浮浪の民族にしようとした。そして神話教育、歴史教育を系統的に教える歴史科を廃して、社会科の中に、日本の歴史中の恥部のみを選んで載せて学童を教育することによって、「伝統ある日本」を愛するところの愛国心を消滅せしめこれによって日本を弱体化しようとしたのである。
 
この計画はみごとに功を秦して、日本国民の四分の一くらいは、日本の国をソ連が治めてくれようが、中共が治めてくれようが、個人の肉体的幸福と物質的福祉とが得られればそれでよい、というような、愛国心なき精神の若者が氾濫することになったのである。かつては"外国の第五列"と 謂われることを恥辱とした日本の若者が、東大の学園紛争に於いては、毛沢東の肖像を高く掲げて、日本国家権力機構の手先であるとして警官隊に向って火焔瓶 や石を投げて激しく戦ったのであった。国家権力に対して「毛沢東」の肖像と赤旗とをもって武装して戦っている彼らは、すでに「外国の軍隊」なのである。そ れに対して日本の自衛隊は沈黙している。そして警察も学園自身の要請がなければ学内に立ち入れないし、その要請も、暴動側の学生の承認がなければできないという確認書を、学校当局と学生代表とが取り交わしたというのである。
 
彼らは「歴史と伝統とをもつ日本の国」を愛する愛国心などは毛頭ない。アメリカの占領軍が唯物論的民主主義を輸入せしめることによって、日本を弱体化する計画はこのように成功し、しかもその弱体化は日本のあらゆる階層に癌の転移の如くひろがりつつあるのであるから、すみやかに、の唯物論的民主主義の根元である占領憲法を追放しなければ日本には「日の丸」の国旗は消え、「赤旗」が国旗となり、日本のいたるところに、「毛沢東」の肖像写真が、あたかも中共の紅衛兵騒動の時にひろがったように、へんぽんとして翻(ひるがえ)ることになるであろう。
 
 
歴史と伝統を否定する唯物論
(過去記事2月21日掲載) 
 
唯物論的民主主義においては、すべての「伝統」とか「歴史」とか「精神的連続」とかいうものは否定せられる。それは人間をも"物質的単位"をもって計上して、歴史とか家柄とかいう、精神によって伝わる価値を否定してしまうのである。なぜなら、「物質」には歴史はないからである。
・・・・・中略・・・・
 
すなわち物質は常に、「歴史から断絶」するものであり、ただ素粒子の数量的関係によって価値が定まる物質を構成する素粒子の数の少いものは質量が軽いし、素粒子の数の多いものは質量が重いのである。その元素が、どんな生成の歴史を通して今の元素としてあらわれているかは問うことはないのである。
それと同じことが人間にあてはめられた教育が唯物論的民主主義教育である。水素の核融合によってできたヘリウムは、水素はヘリウムの親元素であっても、そこにはもう親子としての関係はない。ヘリウムはヘリウムであり、水素は水素であり、その歴史は相互に断絶するごとく、「子は親に対して孝養をつくす義務も責任もない」といって子供は教育せられるのである学園で暴動して、その両親がどんなに悲しんでいても、親の嘆きなどは彼らにとって屍チヤラである。彼らは人間の形をしているけれども、その精神は一個の物質分子であり、いのちの歴史からも家系からも国家の歴史からも断絶したバラバラの物質的存在であるのである
 
彼らは「日本の国民」という伝統も歴史をも精神の中にもっていないでただ日本の国土という地球の一部分にわいたところの寄生微生物みたいなものである。寄生微生物は、人間の肉体の中で発生し生存していても、「人体」の一部分であるという自覚をもっていないで、「自分に主権あり」とて、自分ばかり都合がよければよいとむやみに増殖して、「人体」ぜんたいの生存を危くしてしまうのである
 
唯 物論的民主主義は、人間を物質的単位において考察し、「個」が「全」の内包する歴史と伝統とからの断絶を目指すがゆえに、すべての存在をその「番号的空間 位置」と「数量」とによって表示されるのである。たとえば地名または町名の如きも、歴史的雰囲気をもつ称呼は廃止せられて、"六 ―三三―二四号〃というように便利的に取扱われるだけであって、その地名または町名の、みやびな言語の雰囲気やその地または町においてかつて何が行われ、 いかなる人が生れて来たかの歴史の連続や記憶や連想による複雑な厚みのある精神的内容は、ことごとく抹殺されるのである。
 
このような民主主義の下においては、そのうちに町名だけではなく、人間をも番号によって、「何番の何号」というふうに囚人式に取扱かれることになりかねないのであるすでにその一端が人間の命名において強制せられているのである。私は、先日ある人に女の子が生れたので、「美沙子」と命名してあげたら「沙」の字は当用漢字にないからとて、出生届が却下せられたということを聞いたのである。その文字のもつ歴史とか、風格とか、二ユアンスとか、味わいとか、美的感覚とかいうものを唯物論的民主主義は拒絶するのである。
 
そして人間はただの電算機となる。それは番号と符号とによって便利に動く機械となるのである。ただ私はこの唯物論的民主主義の憲法下で不思議に思うことは、ゲバ棒をもって数干人が集団して示威運動することは「表現の白由」でゆるされていながら美的感覚や、歴史的伝統ある連想をもついろいろの美しい漢字や熟語の使用を禁じて、文字や言語のもつ歴史抹殺することによって、われわれ文学芸術家の「表現の自由」を制限していることである。
 
こ れは結局、現代日本の民主主義なるものが、日本人の心から歴史を抹殺して日本国を伝統と歴史とから断絶し、歴史なき浮浪の民族に過ぎないという潜在意識を 養成して、日本民族の民族精神の根元を断ち、「伝統ある日本」への愛国心を根絶し、他国の侵略に唯々(いい)として盲従しやすい国民を養成する方向に、隠 れたる侵略者の手が動いていることを示すものである。国を愛する人たちに注意していただきたい。
 
 
民主主義という次期独裁者のカクレミノ
(過去記事2月22日掲載) 
 
武藤貞一氏はその機関誌「動向」の四十三年五月号巻頭に"民主亡国"と題して次のようなことを書いている。「民主主義とは、下剋上のことである。民主主義とは、個人主義、エゴイズム、反公共主義のことである民主主義は、独裁、専制、権力主義を排するための言葉であることはもちろんである。しかしそれは一応のカクレミノに過ぎない…:
"下剋上"とは"下が上を剋す"ということである
・・・・・中略・・・・・
この天地逆転・世界紛乱(ふんらん)の原因がアメリカから日本弱体化のために輸入された民主主義と、そのいわゆる〃民主主義憲法"である。公共の福祉などは考えず、市民に迷惑がかかっても、自己主張を貫徹するために全学連が暴力を揮い自分の給料さえ上ればよいというので、総評または国労の命令一下で交通機関のゼネストをやるがごとき、ことごとく、この民主主義憲法の許すところである。
・・・・中略・・・・
 
つづく
 
谷口雅春著「私の日本憲法論」より
 
 

現行憲法は無効破棄すべきが正しい。

2013年05月27日 23時44分36秒 | 日本人と憲法

サイタニのブログからの転載です。

先日チャンネル桜のさくらじで谷田川氏が東大の憲法論の今の主流の考え方を述べておられましたが、現行憲法は、形の上では、明治憲法を改正したことになっていますが、明治憲法は、欽定憲法であり、現行憲法は民定憲法なので、これは内容において改正の限界を超えているから、もはや改正ではない。従って、現行憲法は革命憲法であり、日本国家の8月革命説を左翼の憲法学者たちは取っていると言っておられました。この憲法が改正の限界を超えていると言う見方は、左翼であろうと、誰が見てもそのとおりなんですね。

日本が主権を失っている時に占領軍によって、英文で書かれた憲法を押し付けられたのであり、これは国際法違反であり、占領が終ると同時に、速やかに無効破棄するのが本来は国際的慣例なのです。

たしかに既に70年近くが過ぎて、この間この憲法のもとでの法体系や政治の運営が行われてきましたが、無効宣言したからといって、これが過去に遡って、それらの法体系や、政治が無効化するのではありません。これは無効宣言以後に改革改正が行われるということで、自主憲法制定とほぼ同じ道程が行われるに過ぎません。

ただ、無効宣言することで明治憲法が復元して、それを現代にあわせて改正しなくてはいけないところが、自主憲法制定とは違うところです。

倉山満氏は、自主憲法の内容が、日本国憲法を改正したようなものであってはならず、本来の日本的な独自の憲法でなくてはならない、従って、帝国憲法を改正した形の内容であるべきだと述べておられました。

であるならば、現行憲法を無効破棄して、正統の帝国憲法を復元し、それを改正するという形を手続き上とることに何の問題があるのでしょうか。倉山氏は、帝国憲法の復元には反対のようでしたが、そこがよくわかりません。日本国憲法無効論を唱えられる南出弁護士と確執があるような気がしますが、南出弁護士の講和条約説を取るか取らないかはともかく、帝国憲法を復元し、天皇の本来の地位を占領前の状態に正すことが、戦後レジームの脱却の最勝の方法だと思います。

日本は天皇を中心に、家族のように国民が絆を深めてきた国です。決して西洋のような人民を支配する絶対君主ではありません。神道という日本人の宇宙観自然観から生まれた国柄のかたちであり、それゆえに2600年以上続いてきたのです。

西洋のものを無理やり日本に当てはめて、西洋の見方で、歴史を見るのは、歪んだ合理主義であり、日本という個性を喪失して、すべてをグローバリズムで、類型でしかものを見ないというのは間違いです。

日本を取り戻すには、日本の内なるものを復活させなくては戦後レジームは脱却できないと思います。

 

 

サイタニのブログから

特集 なぜ憲法を改正しなければならないか
 
つづき 憲法について知らねばならぬこと
 
 
 
○新旧憲法には何等つながりはないのに
旧憲法七十三条による改正として国民を欺いた
(過去記事17日掲載)
 
こうして、現行憲法は、明治憲法を実質的には占領軍の圧カにより、廃棄した上に、新たな草案で新憲法を作らせたものであるから、実質的には新旧憲法は何らのつながりもないものであるそして統治の主権者及び統治の形式を定めたる重要な条章は「主権在君」から「主権在民」という全然新たなる内容に占領軍から強圧的に押しつけられたものであるから、新旧憲法の間には何らの継続はないのである。所謂(いわゆ)る、これは、「革命されたる憲法」である。主権者及び統治の形式が全然変更されるということは「革命」にほかならないのである。その革命を革命の様相を隠蔽(いんぺい)して、できるだけ静かに推移せしめるために、旧憲法七十三条による「改正」という形式を、占領軍がとらせたのである。
 
謂わば占領軍の傀儡(かいらい)政策により日本政府の「自発的改正」の如き外貌を呈せしめて、日本国民を欺瞞したのであった。
 
これに対して、井上孚磨氏は、このような統治の主体及び統治の形式の根本的変改は、「改正」という語義の限界を超えるものとして、それは「改正」ではなく「旧憲法の廃棄と新制定」であって、「改正限界を逸脱」している「無理」を、「改正」の場合を規定している七十三条で遂行したのであって、これは「法的不能の罪を犯すものであるから、法的には無効とならざるを得ぬのは勿論である」と結論を下しているのである。
 
 
○統治の究極的形態の変更は革命(過去記事1月8日掲載)
 
明治制定の帝国憲法は欽定憲法である。欽定憲法とは制定権が天皇に専属し、天皇の発議によって制定せられたる憲法である。従って現行憲法が明治憲法の改正せられたものであるならば、天皇の発議によって改正案が出されなければならない。それがマッカーサー草案によって、「最終的の日本政府の形態はポツダム宣言に遵(したが)い日本国民の自由に表明する意思に依り決定せらるべきものとす」
The ultimate form of government of Japan shall in accordance with the Potsdam Declaration, be established by the freely expressed will of the Japanese people.
という日本占領の根本政策にもとづいて「日本人民」によって「統治の究極的形態」が決定せられ「主権在君」が「主権在民」ということに革命的に変更せられることになったのである。
The ultimate form of governmentを 「最終的の日本国政府の形態は」と公式的の翻訳にはなっているけれども、「政府の形態」などというと、「行政府の形態」「内閣組織の形態」という風にもと れる訳文であって、この点は井上孚腐氏の見解と私の見解とは異るので「統治の究極的形態」と訳すべきものと私は思っている。バーンズ回答によれば、この 「統治の究極的形態」を人民 (People) の自由意志で定めるという占領軍の要請であり、これは明かに、「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」という明治憲法の廃絶強要にほかならないのである。
 
 
○革命憲法の強要(過去記事1月8日掲載)
 
これでは決して欽定憲法の改正どころのさわぎではなく、明かに革命憲法の強要であるそれなのに「発議の権」が天皇に確保せられている帝国憲法第七十三条による形式を外観的には整えて制定の運びになったものであるから、その形式は欺瞞(ぎまん)であり、「占領憲法」又は「強要憲法」と称さなければならないも のなのである。しかし時の日本政府及び議会は、この強要を当時の占領状態から受容(うけい)れなければ、統治形式どころか、天皇そのものが廃絶されるおそ れがあるので、「統治形式などはどうでもよい。万世一系の天皇が温存されるだけでもよい、これによって最小限度の日本国体(歴史的伝統にもとづく国家のあり方)を護持できる」と考えて占領軍司令部の要請を呑んだのである。
 
だから現行憲法は形式的には明治憲法の改正であり、内容的には「革命憲法」であるこのような革命意図によって占領軍から押しつけられた現行憲法は平和が回復し、占領軍の消滅と共に自然消滅し、明治憲法に復原し、その上で明治憲法が新時代にふさわしくないところがあるならば、改めて、そのふさわしくないところを改正するようにするのが当然であるのである。抗拒不能の状態で奪われていた妻の貞操は、その暴力的圧力が除かれたときに自然にもとの正しい妻の座に還るようなものである。
 
 
○革命憲法は果して有効か(過去記事1月9日掲載)
 
と ころで、「現行憲法がこのような革命憲法であり、戦敗と占領軍の占領とによって実際に革命が行われたのだとするならば、革命だから、合理も不合理もない、 旧憲法との連絡があろうが無かろうが、そんなことは何の関係もない、それ自体革命憲法であって、其儘(そのまま)に有効なのではないか」というような、革 命憲法有効論がある。
 
こ れに対して井上孚麿氏は、「革命とは国の根本秩序を、その国民の中にある者が、超法的事実によって突発的に変革するのである」と革命の定義を述べ、「日本 の降伏によるボツダム宣言を受諾したときに既に新たに人民主権が確立し、その時すでに革命が行われたのであり、その革命の基礎の上にその革命を文書にあら わす新憲法が出来たのである」という八月革命説を反駁し、その変化の原因は「外力によるのであって、内力によらないから革命ではない」と 説き、ポツダム宣言の降伏条件として、日本より、「右宣言ハ天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラザルコトノ了解ノ下二受諾ス」と申入れ、そ れに対しての連合軍の回答は、「降伏ノ時ヨリ天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ、降伏条項ノ実施ノ為其ノ必要と認ムル処置ヲ執ル連合軍最高司令官ノ制限 ノ下ニ置カルモノトス」   というのであった。こうして、実際上、占領中の日本国内の行政は連合軍最高司令官の制限の下に置かれていたのは何人も知ると ころである。ところが連合軍最高司令官が「天皇及日本政府の国家統治の権限」を奪い去っていたかというと、そうではないのであって、連合軍は「降伏条項ノ 実施ノ為其ノ必要ト認ムル措置」について、日本政府に指示命令を下していたのであって、必要事項を実施するに方(あた)っては却(かえ)って日 本天皇の統治の権能をみとめて、「勅令第何号」という形で発令せしめていたのである。だから八月十四日のポツダム宣言受諾の際に即に「天皇統治権」の放棄 又は奪取があって革命が行われていたと言うのは当らないのであり「天皇統治」という国の根本秩序は占領当初と雖(いえど)も、「勅令発布」による「統治権 の実施」によって確保せられていたのである。
 
そして井上孚麿氏は、現行憲法が八月革命に基く革命憲法であるから合理を超えて有効であるとの説を反駁して、八月十四日のボツダム宣言受諾による「無条件降伏」.によって革命が既に起っているのだとみとめるならば「すでに、八月革命によって当然に主権者たる地位を喪失せる天皇、同じく憲法上の機関たる地位を喪失せる政府とか帝国議会とかが、この新憲法の成立に参加せることも革命憲法の有効成立を否定せしむるに充分の理由がある」と述べて占領憲法無効論を主張している。
 
 
○不合理強行で成立した憲法は無効である
(過去記事1月10日掲載)
 
こ うして現行憲法は法理上不能なる改正を合憲の如きカムフラージュをもって糊塗してつくり上げたる占領押しつけ憲法であり、「改正」としても存立不可能のも のであり、力による革命とするならば、不合理の強行の上に成立つものであるから、今後、実カあるものが出現するならば幾回でも改廃せしめうるものであるの である。だから「改正説」によるも「革命説」によるも結局、その存在の法理的根拠が成立たない無効憲法なのである
 
 
○連合軍司令官の「従属下」で定められた憲法
(過去記事1月10日掲載)
 
一国の根本法たる憲法の制定に関しては、統治者及び国民の自由意志によらなければならないのは当然である。然るに、現行憲法制定当時にはその自由意志が「連合軍司令官の制限の下に置かれる」ことになっていたので、この「制限の下に置かれる」という日本訳は、日本人の民心を刺戟しない方便のために穏和な語を用いたのであるけれども、原語は(subject to)であって、本当は「従属す」という意味である。だから完全に自由意志のなかった時期である。これについて井上孚麿氏は、
 
「憲法の制定にせよ、改正にせよ、すべて憲法を左右する行為には、完全なる自由意志の存在を必要とする
・・・中略・・・
 自由意志の欠如せる場合の実例として、天皇に故障があって摂政を置く場合の期間中に典憲の変更はできないとして、
・・・・中略・・・・
 マッカーサー元帥が天皇の統治権に制約を置いている時代には憲法の変更は出来ないし、たといその間に変改された憲法があるとしても、それは摂政の任期中(この場合はマッカーサー元帥の占領政策期間中)のみ有効であって、その後は無効となるべきは国際法上の慣例だと指摘しているのである。
 
・・・・省略・・・
 
つづく
 
谷口雅春著 「私の日本憲法論」