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主権回復後三十年の祈り  未だ精神的占領下の日本

2011年04月27日 01時39分40秒 | 現代日本
 次の文章は、昭和57年のある雑誌に載っていた記事です。

 昭和二十七年四月二十八日、サンフランシスコ講和条約の発効によって、わが国民は、久しい占領下の苦惨の日々を脱して、国の主権を回復することが出来た。
 その時以来、三十年の歳月は、いつの間にか、流れすぎて行った。だが、そのように長い歳月を経ても、わが日本は、果たして完全な独立主権国家としての自身を回復することが出来たか?
 その主権回復の日まで、七年にあまる前敵国による占領下の時期こそは、わが祖国にとっては、三千年の歴史の間にもついに経験しなかった苦渋の日々であった。祖国は、その七年余の歳月の間、まさしく、文字通り亡国の状態にあったのである。
 国家を構成する三つの要素は、主権と、国民と、国土であると言われている。だが、その占領の時期の間、わが国土は、ことごとく占領軍司令部の支配するところであった。
 さらに、主権もまた、明らかに占領軍最高司令官の制約下にあったのだ。残るところは、わずかに占領統治下の国民があっただけだ。これを亡国と言わずしてなんと言おう?

 日本は、すでに、米戦艦「ミズーリ」の艦上において、正式に降伏の文書に調印していた。連合諸国との一切の戦争関係はこの時をもって完全に終わっていたのだ。それにもかかわらず、連合諸国は、兵を進めてこの国の全土を占領した。これを占領軍最高司令部の完全な支配下においた。これは許され得ることか?
 しかも、占領は七年余の長きにわたって続けられた。もし眼前の大陸において、ソビエト連邦のあらゆる支援による中国の共産主義革命がにわかに成功し、ここに巨大な版図と世界最大の地上軍を擁する共産主義国家「中華人民共和国」の出現を見ることがなかったならば、―――さらにまた、その中華人民共和国とソビエト連邦とが条約の成分に日本を「敵」として明記した軍事同盟条約を結び、その同じ年の六月、この条約を背景として北朝鮮及び元帥彭徳懐(ベンテーファイ)の指揮する中共義勇軍をもって韓国を侵略することがなかったならば、占領は、なお十年続いたか、何びとも知ることは出来なかったのである。
 日本は、降伏の後なお四年余を経たに過ぎなかった。国土は、ことごとく惨憺たる廃墟の姿であった。国民は、いかにしてその日を過ごすかに必死に身を労し、心を労していた。
 国軍は、つとにことごとく解体されて、あらゆる意味において完全な非武装国家であった。まして、いまは前敵国の占領下にある、自身の意志をすらも持ち得ぬ国民であるものを―――。その脅威を口実として、世界最大の軍事力を持つ二つの共産主義国家が攻守同盟の軍事条約を締結するとは!その目標が日本の征服にあったことは、明白な事実であらねばならない。
 朝鮮動乱は、この軍事同盟を背景として戦われたのである。

 この事が米合衆国を激しく衝撃した。ワシントンの政府は、初めて、1935年の第7回コミンテルン大会以来、徹頭徹尾ソビエト連邦の謀略に欺かれ、操られて来ていたことに心付いたのである。共に太平洋圏の平和と自由を護るべき最も深い関係にある友を、却って敵としたばかりではない。ついにはこれを敗戦に追い込んでなお足らず七年にあまる苛烈な占領によって、この国をしてその魂をまで喪わしめた。そのことに気づいた彼らの驚愕と悔恨とが、にわかに米合衆国のわが日本に対する政策を百八十度転換せしめたのだ。
 占領軍最高司令官ダグラス・マッカーサーも、任を解かれて日本を去る際に、時の首相吉田茂氏にわざわざ言い残した筈だ。「自分は、いま、任を解かれて日本を去る。日本は、只今より完全な独立主権国家に還るのである。占領中の全ての施政は、もはや過去のもの。明日からは、日本本来の政策に立ち返られるよう」という意味のことを言い遺したと、私も、吉田首相自身から聞いた。
 ひとりマッカーサー最高司令官だけではない。大統領アイゼンハワーの時代、大統領の命を受けて彼に代わってわが国を訪れた前大統領ニクソンもまた、日米協会の講演に臨んで、同じような希望を言い残している。「日本占領の期間中にわが米合衆国が日本に対して採った政策は、今にして思えばまことに大きな誤りであった。われわれはいま、そのことを深く悔いている。今日の日本はすでに完全な独立主権国家、願わくは、一時も早く日本本来の政策に立ち返られるように―――」と切々と説いた筈だ。

 だが、七年余の占領のあいだに日本が受けた麻酔の毒は、あまりに強烈であった。それに加えて、日本国民を深い昏睡の中に引きとどめたものは、その後の米合衆国が、自身が防衛能力を奪ったわが日本に与えた周到な庇護であった。サンフランシスコ講和条約締結と同時に日米安保条約を提供し、米合衆国の核抑止力をもって日本の安全を護った。それが、却って日本国民をして長夜の眠りを続けしめる結果になってしまったのだ。
 その庇護に馴れて、戦後の日本は、眼前に迫る危篤の事態に心付かずに過ぎた。自身を取り巻くアジア・太平洋地域の諸国がどのような混乱と危険の中にあるかすらも、全く思いを及ぼすこともなく、茫然と日を過ごしてきたのである。そのあいだに、インドシナ半島では、自由ベトナムが遂に亡び去った。ソビエト連邦が支援し指令する暴力革命は、枯野を焼く火のように、たちまちにカンボジアを侵し、タイに迫った。
 カンボジアの人口総数は八百五十万、その半ばに近い四百万の国民は、ロン・ノルの革命の後に革命軍によって虐殺された。この国の首都プノンペンは、嘗ては三百万の人口を持つ巨大な都市であった。それが、革命の直後には、人口わずかに一万余、荒涼たる無人の都市と化したのである。
 だが、眼前のアジアのそのような悲劇さえも、この国民にとっては、何らの関心をも惹く事実では無かった。というよりも、指導者によっても、また報道機関によっても、ほとんどこれらの事実は伝え知らされなかったのである。これに続くタイの混乱も、フィリピンを脅かし続けた武装革命勢力「新人民軍」の暴力闘争も、いくたびかインドを危殆に陥れたナクサライトの反乱も、あるいは韓半島に生起しつつある新しい事態も、それらはすべて、わが国民の関心の外の事件であったのである。

 われわれ日本国民にとって、最大の痛恨事は、七年余の占領統治下において、歴史と共に悠久なるべきわが祖国の精神を、また道統を、一時的にもせよ、破壊し尽くされたことである。母なる国への深く浄らかな愛を喪い果たしたことである。不思議とも言うべき神助によって主権を回復しながら、すでに三十年の歳月を経た今日も、なお、喪われて祖国の魂を奪還する気迫のかけらをすらも持ち合わせぬかのように見えることだ。
 占領の傷痍は、それほどまでに深かったのかも知れない。また、人を疑うことを知らず、人を憎むことを知らぬこの国民の心は、史上嘗て経験せぬ隠悪の限りの謀略の本質を見抜くには、あまりにも素直であり、純真であったのかも知れない。だが、それにしても、主権を回復し、独立を果たし得た意味はどこにある?
 日本は、依然として、精神的占領下にあるのだ。

 その悲惨極まる占領下の外力革命の時期に、占領軍当局が日本廃滅の手段として徹底的に利用したものは、教育の機構であり、また、言論報道の機関であった。
 1917年のロシア革命の指導者ニコライ・レーニンは、「報道機関こそ、革命のための最大の武器である」と断言している。日本の精神的去勢を意図し、本来の日本の廃滅を目指した初期の占領軍が、その新聞を、またラジオを、―――そしてさらに本質的な精神改造の機能としての教育を、彼等の武器として択んだことは、もとより当然であり、また賢明であったと言わなければなるまい。
 その占領の期間、わが国の教育においては、国民道徳の基本は全く教えられることが無かった。「修身」という課目は完全に抹消されたのである。
 自国の歴史すらも、教課目から除かれた。「国史」という課目は消滅したのだ。それは「社会科」の一部であったに過ぎない。
 われわれの知る限りのヨーロッパの多くの名ある大学において、必ず見るものは、その国の古典と歴史の教育に注ぎつつある熱意である。関心である。さらに必ず見られるものは、ヨーロッパ文明の基底であり源泉であるギリシャ・ラテンの古典と、キリスト教の精神とを徹底的に教えていることだ。これこそは、ヨーロッパ諸国における国民道徳の基準であり、源流なのである。これが今日のヨーロッパ諸国における精神生活の基底を成しているのだ。

 だが戦後のわが国民教育においては、そのすべてが抹殺された。国の歴史は軽視され、国の古典もほとんど教えられなかった。この国の命ともいうべき肇国の精神も、民族の道統も、平然として捨てて顧みられなかったのだ。
 いま、本来の日本に還るということは、なによりも、まず、祖国に対する深い愛と信とを奪還することであらねばならない。民族本来の生き方に立ち返ることであらねばならない。
 彼らが日本を弱体化して支配する方法は、日本の「家」という良俗を失わしめること。日本を歴史なき国家として忠孝の感情を一掃すること。日本人に淫蕩な習慣を植えつけて、精神的及び肉体的にこれを頽廃せしめることであった。日本の民主化ということは占領軍がポツダム宣言によって規定したところの日本精神を弱体化せしめるために、日本精神におきかえるための頽廃化政策だということを、もうそろそろ日本人は気がついてもよい筈である。
 わが同胞がそのことに心付く日の一日も早からんことを、切に祈ってやまない。


 古い記事とは言え、それが今現代にもそのまま当てはまるような感じがします。この記事が書かれてから、いまもなお、ずっと日本という国は精神的に占領下にありつづけているのです。



想定内だった原発震災 菅による純粋な人災

2011年04月25日 03時37分03秒 | 現代日本
 yahooブログオノコロ こころ定めてからの転載です。 今回の原発事故と全く同じ想定で訓練が行われていたという事実がある以上、その訓練を生かしていない、現政権、菅首相の人災としか言いようがないですね。どうやら最初の視察前に、菅がはっきりと命令すべき事になっているのに、曖昧に現場に責任を押し付けようとしたことが全ての原因のようです。現場の判断を元に、それでもなお最後は首相命令が確実に必要な事項があり、その最終決定がもし間違ったらという責任を逃れようと、なお現場に判断させようとして失敗。首相の命令で動くと規定されていることは、命令がないと動けないのです。トップの責任を取りたくないものがトップにいると、こういう事になるんですね。

転載開始

すべての電源喪失・燃料露出・ベント、
全部想定された防災訓練があった。
【東京電力】平成20年度 原子力総合防災訓練【福島第一】

H22年は菅が浜岡原発で実施。
なのに、「詳しくは記憶していない」と答弁・・・

これは純粋な人災だ。
想定外だったのは、菅が総理だったという事だけ。

もちろん、総理大臣がヘリで現場に飛ぶ事、
官房長官がすべての記者会見を行う事は想定されていなかった



平成20年度原子力総合防災訓練(於 福島第一原発・麻生内閣)

【東京電力】平成20年度 原子力総合防災訓練【福島第一】

福島第一でしっかり訓練されている。原子炉給水系の故障により原子炉水位が低下し原子炉が自動停止。その後、非常用炉心冷却装置等が作動するものの、相次ぐ故障により、原子炉の全ての冷却機能が喪失し、放射性物質の放出のおそれがある事態が想定されていた。





* 訓練概要
* 写真集
* 動画集

原発事故想定の防災訓練、首相「詳しくは記憶してない」
2011年4月18日23時52分 朝日新聞

 18日の参院予算委員会で菅直人首相が自ら参加した原発事故を想定した防災訓練の内容を問われ、「詳しくは記憶していない」と答弁する一幕があった。

 自民党の脇雅史氏が「原子力総合防災訓練のテーマを覚えているか」と質問。首相は「詳しい内容は記憶していないが、いろいろな地震等を想定したことではなかったか」と答弁した。首相は昨年10月、本部長として中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)を舞台にした原子力総合防災訓練に参加。放射性物質放出の恐れが出たという想定だった。

 脇氏が「今回と同じ想定だ。何の記憶もないのか。何のための訓練か」と詰めると、首相は「原子力事故は過去に多くあったので、一般的な認識は持っていた」などと釈明した。

平成22年度原子力総合防災訓練(於 浜岡原発・菅内閣)



原子炉の冷却機能の喪失を想定 平成22年度原子力総合防災訓練

原子力施設において、放射性物質が環境に大量に放出されるおそれが生じるなどの緊急事態の発生に備え、原子力災害対策特別措置法に基づいて、国、地方公共団体、事業者等が一体となって、周辺住民の安全確保等のための応急対策を講じることとされています。
本訓練は、同法第13条等に基づき、こうした緊急事態対応の訓練を行うものであり、今年度は静岡県の中部電力株式会社浜岡原子力発電所における緊急事態を想定した訓練を10月20日(水)及び21日(木)の2日間実施します。(プレスリリース詳しい要綱


(1)訓練想定

中部電力株式会社浜岡原子力発電所3号機において、原子炉給水系の故障により原子炉水位が低下し原子炉が自動停止。その後、非常用炉心冷却装置等が作動するものの、相次ぐ故障により、原子炉の全ての冷却機能が喪失し、放射性物質の放出のおそれがある事態を想定する。

(2)訓練実施項目

* 経済産業省警戒本部の設置などの初動対応訓練
* 内閣総理大臣による緊急事態宣言発出、政府原子力災害対策本部及び現地対策本部の設置などに係る訓練
* 住民避難などの緊急事態応急対策に係る訓練
* 緊急事態の解除に係る訓練 他

(3)訓練の重点項目(特徴)

* 迅速・的確な初動対応の充実
トラブル発生時における通報・連絡体制、プレス対応の充実を図る。
* 広報活動の充実
初動時からの広報活動及び関連の国際機関・海外政府機関等への情報発信の充実を図る。また、在住外国人や災害時要援護者のためのケーブルテレビ等の活用を含む住民への広報を行う。
* 災害時要援護者の避難支援対策等の充実
災害時要援護者に対する避難支援対策及び避難訓練等の充実を図る。
* 緊急被ばく医療活動の充実
初期~三次被ばく医療機関への搬送体制の確認、専門家の派遣受け入れ等による緊急被ばく医療活動の充実を図る



「想定外の大地震だから」
「想定外の大津波だから」

確かに、想定外の大地震だった。
しかし、より震源地に近い女川原発を見ても分かるように、
それだけで大災害になった訳ではない。

確かに、想定外の大津波だった。
そして、ポンプが失われ非常用電源が喪失したのも事実だ。
しかし、実は「全電源喪失」は想定されていたのだ。
いいかえれば、大津波に耐えることは想定されていないが、
大津波で電源が喪失することは想定されていたともいえる。
そんな想定の防災訓練が「毎年」行われており、
当の菅直人もそれに「総理大臣」として参加していた。



訓練では故障などによって全電源が喪失し、
原子炉の冷却機能が失われ、
燃料が露出、
ベントにより放射能を含んだ物質が大気中に放出される事まで想定、
SPEEDIによってシミュレートし、
避難命令、除染まですべて想定されている。




ベント命令は総理大臣が判断し経済産業大臣が出すことになっている。
菅と枝野は後知恵で、
「東電に命令したのにやらなかったので」
と言っているが、

放射能を出したくなくて菅の判断が遅れ、
さらに行政手続きを無視した命令(ひとりよがりな政治主導)が
無効であったこと(訓練が生きなかった)が真相のようだ。
口頭指示でとどめて「東電の判断」で放出した、
ということにしたかったが、それは機能しなかった。
遅れて行政命令を出したが手遅れだった。

さらに現実をなめて、現場で原子炉を守ったとリーダーシップを演出するため
想定外の現地視察を強行したことで、
破局は決定的となった。

下のウォールストリートジャーナルの記事には、
午前2時半に圧力が2倍になったとある。
菅は、政治主導でベント開放することにこだわり、
「現場に行ってはじめてベント開放できた」
という「シナリオ」を演出したかったようである。

しかし、すでに、午前2時の時点で手遅れだったということである。

本来の判断のタイミングは、
現場の準備ができていた11日21時ごろに、
「計画圧力を超えたら(12日0時ごろ)、ベントと同時に注水しろ」
と命令すること
だったと思われる。

「排気の遅れ、水素爆発招いた」 米紙が原発事故分析
2011年4月23日21時20分 朝日新聞

 23日付の米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は、福島第一原子力発電所の事故について、放射性物質の外部放出を懸念し、東京電力が格納容器内のガスの排出をためらったことで水素爆発を招いたとする分析記事を掲載した。

 同紙は、同原発1号機は地震・津波の発生から半日たった3月12日午前2時半に格納容器内の圧力が2倍に達し、東電は排気を決めたとしている。

 しかし、準備などに手間取り、実際に排気できたのは同日午後。その約1時間後に水素爆発が起きて原子炉建屋が破壊された。これに伴う炉心の損傷はなかったが、「壁」の一つが失われたことでその後の大量の放射性物質の放出につながったほか、炉の冷却のための作業を妨げる原因にもなった。

 同紙によると、日米の専門家は排気の遅れで水素爆発が起きやすい条件ができたと考えている。放射性物質と水素を含む格納容器内のガスは、排気専用のパイプを経由して建屋の外にある排気塔に導かれるが、圧力が2倍になるまで待ったため、パイプの継ぎ目などからガスが漏れやすくなり、建屋内に充満した可能性があるという。

 専門家は「放射性物質の放出を心配するあまり排気に慎重になったことが、事態を悪化させたようだ」とみている。水素爆発の防止を重視する米国は、格納容器内の圧力が耐圧の上限に達する前でも早めに排気を行うことにしており、同様の方針は韓国や台湾でも採用されていると指摘している。

 米国では、1979年のスリーマイル島原発事故で作業員の判断ですばやく排気が行われ、原子力規制委員会(NRC)が追認したが、日本では排気は「最後の手段」として、電力会社のトップや政府の判断を待ってから行う体制。記事はこうした考え方の違いも排気の遅れにつながった可能性を指摘した。(パナマ市=勝田敏彦)


【福島原発】菅首相の原発視察とベントの遅れに関するまとめ


【東日本大震災】 官邸・東電の初動を政治家から見た言い訳



残念だが、
「想定内」の原発事故を、
「想定外」に発展させたのは、
菅・枝野・海江田、安全保安院の斑目のコラボ
であるようだ。

現場は、原子力防災訓練に基づいて、
ベストを尽くしていた。
しかし、肝心の指揮官が狂っていたのでは、
どうしようもない。

この狂気の指導体制は、
いまもなお、指揮棒をふるっている
のである。

転載終わり



菅、腰に手をあて話を聞く「お前の話は聞かない」と言う意味らしい

2011年04月24日 16時07分51秒 | 現代日本
 今回もサイタニのブログからです。自衛隊の過酷な作業、政府はなぜもっと自衛隊に、少しでもやり易いような配慮をしないのでしょうか。自衛隊は過酷な作業をするのがあたりまえだとでも思っているのでしょうか。自衛隊員は自分の意志で、国家の為に奉仕したいという気持ちの人々が入隊し、そしてこういう時こそ一層強い意志で献身的に作業をしようとする人々でしょう。だけど、そんな崇高な人々の気持ちに甘えすぎているのではないでしょうか。自分も被災者でありながら、献身する隊員、被災者に炊き出しして温かい食事を提供しながら、自分たちは冷たい缶詰を食べる隊員。濡れた服をきがえたくても、着替えが足りなくて、乾いてない服を着る隊員、これでは疲労がどんどん蓄積していって、過労になるのは眼に見えています。いや今現に疲労がピークに来ているといわれています。会議ばかりやって、何一つ決定できずに、パフォーマンスばかりの政府、その犠牲になるのは、被災者と、それを支援しようとする自衛隊や消防、海上保安庁などの献身する人々です。
 菅首相、いい加減にしてほしいです。何も出来ないなら、退くべきです。そこまで総理の椅子に固執して、何をしたいのでしょうか。



転載開始

自衛隊、かく救済せり!  

一人の女性自衛官の言葉が忘れられません。

「自分の命よりも尊いものを見つけました。
 それは、国を守る事です。」



自分の携帯食料を被災者に渡し、
自らは空腹のまま作業していた自衛隊員たち。
黙々と肉体的にも精神的にもつらい活動に従事している彼らに
報いるには何が必要かーーーーーー

とても全文打てないので、この後はピックアップした文章です。

菅総理が「自衛隊10万人増員」を打ち出し、
総力戦となった。
なにせ陸海空自衛隊合わせても24万人の組織である。
米軍などなら、「10万人体制」には、交代要員や後方部隊を加味し、
30万人は要すると考えるだろう。

防衛省・自衛隊が再三、
「人が足りない、予算が足りない」と訴えてきたにも関わらず、
防衛予算の異常なまでの削減、自衛官の削減を続けてきた政治は、
どのような反省の弁を考えているのだろうか。

それに、震災発生後もロシアや中国海軍ヘリは何度も接近し、
尖閣諸島には漁船が大挙して訪れていて、
海空の警戒は緩められず、
陸自も新燃岳や不発弾処理にもあたっており、
苦しい人員のやりくりで、災害派遣に臨んでいるのだ。

2週間以上は着替えもできず、お風呂も入れなかった。
入浴ができるようになってからも、
被災者に入ってもらってから最後に入っている。

それでも彼らは、黙々と作業をしている。
来る日も来る日も津波により性別もわからないご遺体を収容する
精神的な負担は計り知れないが、歯を食いしばっている。

その真心に報いるためにも、
相応の予算や人員、装備を施す事が求められる。

だが、自衛隊の本来の存在意義は国防。
今後、国を守るに足る組織になるかどうか・・・

私たち国民は、自衛隊に係る予算問題や整備不備について認識し、
国に改善を求め続けなければならないと感じる。


ところで、3月16日の、天皇陛下のビデオメッセージで
自衛隊などが危険な状況の中で日夜救済活動を進めている努力に感謝し
労をねぎらうとの御言葉があった。


自衛官から
「ありがたく歓喜に至ります」「何よりの励みです」と、声が寄せられた。

また、その後、陛下より自衛官に対し
「足りない物はないか」「困っていることはないか」

といった御下問があったといい、
いくつかの項目に記入したというあるベテラン自衛官は、
「書く手がぶるぶると震え、我知らず涙が出ました。」
と、語ってくれた。

~~~~~以上 抜粋~~~~~

10万人が、これほど過酷な事と、みなさんご存知でしたか?
陛下より御下問があった事も・・・。
私は何も知りませんでした。

申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちと、
こんな素晴らしい天皇陛下をいただいた感動でいっぱいです。
陛下は、お手元金で自衛隊に援助されるはずです。公の為ならサッと出され
自分の為ならわずかの事務用品費も節約されます。


頑張れ自衛隊!日本の誇りだ ‐ ニコニコ動画より転載




■それに比べて昨日の菅、被災者と話す時腰に手をあてていたが。
腰に手をあてるのは「お前の話は聞かないと」言う意味らしい。
 

今の菅政権こそ、日本破壊日本弱体化そのものである。
総理大臣が反日・左翼の韓国人に幹事長も反日左翼の韓国人である。
日本の国会のトップを反日・左翼の韓国人に牛耳られているのだ。

これは知らなかったで済まされない問題である。自分の家に盗賊が入って
来て占領されているのである。これこそが日本の危機である。







    
       連載 「私の日本憲法論」      
       占領憲法の非真理性とその影響



今はまだ占領継続中である

「もう戦後ではない」という語が、最近よくきかれるのでありますが、
占領憲法が横行して、それに支配されている間は、占領軍の精神に
支配されているのでありますから、


戦後どころかまだ戦中で、占領継続中なのであります。
ゲバ棒を振りまわして日本の大学や交通機関をマヒさせている大学生は、
この占領軍の占領憲法に指嗾(しそう)せられて日本破壊、日本弱体化
ために活動しているのであります。


私が日本の現在の政治体制に反対するというのは、現在の政治体制は
占領軍の精神でできた憲法に支えられてできているから、いわば現在の
政治体制は、占領軍の傀儡政治体制であるからであります。



だからその政治体制の首班たる佐藤総理大臣が、「私の在任する限り
この憲法を改正しません」とたびたび言明するのは当然のことであります。


もし佐藤総理が占領精神の延長でないならば、
こんな「憲法の精神を守ります」などとは言わないに違いないのであります。




転載終わり



仙台空港・米軍落下傘部隊が降下して、滑走路を確保   連載「日本憲法論」

2011年04月23日 22時13分07秒 | 現代日本
 「サイタニのブログ」からの転載です。いつものように、的確な視点でズバリと鋭く述べられています。また憲法論もとてもおもしろく勉強になります。


転載開始



軍事無視のツケ
原発事故の情報について官房長官はやはり東電のせいにし始めた。東電の情報が遅く不正確だというのである。対策本部(政府)に報告している間に、現場は流動的なのだから、時間も内容も「どんどん変化?」していてもおかしくない。原発情報については、首相は「原発専門家」だそうだが、ここは一つ現場監督である保安院と東電に任せ、政府は「復旧・復興計画」に全力を尽くすべきであろう。
政権担当が“素人”だからと逃げている暇はない!


「指揮の要訣は、部下を確実に掌握し、明確な企図のもとに適時適切な命令を与えてその行動を律すること」
にあり、その際指揮官は「部下指揮官に対してその能力を十分に発揮できる余地を与えることが必要だ」


指揮官にとって最も重要なことは「決心」であり、
「所要の命令を発すること」である。



しかし所詮は一人の人間、能力・体力には限界がある、そこで指揮に当たっては「指揮を軽快機敏」に、あるいは任務を「効率的に遂行」するため、必要に応じて「特定の指揮官などにその隷下部隊以外の部隊などを、所要の事項に関して統制させる」ことが必要になる。そのためには「組織を確立」し、「統制事項、基準」を明確にしなければならない。

こんな時は首相も防衛大臣も部下を信用して口出ししないことが望ましい。


今行われている「救出・復旧作戦」は、まさに「軍事作戦」なのだが、素人の「シビリアン」には困難窮まっているように見えるが当然である。

戦後60年間「軍隊は悪」だとして軍事は一切無視し、

「自衛官の些細な発言にも神経をとがらせて、シビリアンコントロール!!」と排除してきた。
学校でも「自衛隊は憲法違反・人殺し集団」だと教え、自衛官の子弟をも白眼視して排斥してきた国柄のツケが噴出して、

このような混乱した事態にどう対処していいかわからず右往左往しているように見える。
平時だったら、炉端で焼き肉でも食いながら大言壮語し、バラエティー番組でスタジオに若い女性を集めて偉そうな御託を並べて済んだろうが、有事にはこうはいかない。正体見たり枯れ尾花…である。


一応速報態勢を脱したメディアも、「トモダチ作戦」を展開している米軍や、家族を放置して救助に当たっている自衛隊員たちの活動は意図的に隠し、奇妙「ピースボート式」ボランティアの活動を、お涙ちょうだい式に報じ始めているが、現地入りしているレポーターの報道内容も、定番すぎて鼻につきだした。
多忙極まりない関係者を拘束して「今何が欲しいですか」などとわかりきった質問に終始しているが、そのくらい自らわからないのか?

TV報道も、本来あるべき姿に帰って、<fontcolor="blue">共に復興に向けて立ち上がるときだろう。犠牲者や被災者たちに、これから何ができるかを考えて見る方がよい。

仙台空港の方は、米落下傘部隊が降下して、滑走路を1500メートル
復旧しすぐにC-130などが“強行着陸”して重要な救援活動を繰り広げている。

これが「軍隊」の真の姿なのである。






 連載 「私の日本憲法論」
       占領憲法の非真理性とその影響



■時間の流れを停止せしめて成立した憲法
(ニセモノ憲法である証拠第二)


 「日本国憲法」がホンモノのわが国の憲法ではなくニセモノ憲法である証拠の第二は、その憲法の制定が、明治憲法第七十三条の、

「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ」とあるにかかわらず、明治憲法を改正するにあたって帝国議会の議に付したということが書かれていないで、


その憲法前文に、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し……この憲法を確定する」と書いていることであります。


「帝国議会」の議に付さなければならないのを、「国会における代表者を通じて行動し」と書いているのであります。


国会という名称は、
占領軍作文の「日本国憲法」において定められている立法府でありまして、そんなところで、この憲法の制定が確定するなどということはあり得ないのであります。


もっとも、この偽憲法は、帝国議会の貴族院議員たちはこれを通過させないつもりであったのでありますが、正面から占領軍に反抗しては政治追放又は戦犯裁判に処せられるから、時間をかせいで、時間切れで審議未了で流してしまうつもりであったのであります。


ところがいよいよ時間切れなるその日の午後十二時の五分前になりますと、帝国議会のすべての時計が全部停ってしまった。むろん、これは議事の進行を見守っている占領軍が全部の時計を止めてしまったのであります。


これでいつまでたっても時間切れにはならない。このような乱暴な押しつけ又は強制によって、「日本国憲法」と称するアメリカ製作文は、形式だけは議会を通過したのであります。



■西欧文明は「分割によって支配せよ」が原理

この日本国憲法は、当時それを作製したアメリカの意図は、日本国民をバラバラに分割して国民互いに内紛内争を起こして、家庭を不調和にし、経済界を衰退せしめ、国内に階級闘争を激化せしめ、もって国力を疲弊せしめて、いつまでも、日本を東洋の第四等国以下の状態に抑えておく計画だったのであります。


これは日本が最初真珠湾を爆撃してアメリカの太平洋艦隊の大半を
全滅させた――その復讐の意味もあったし、戦争中、日本軍が予想外に強くて、アメリカ軍を悩まし続けて来た、そういう強い戦力を再び持つことのできないようにしたい――


それゆえに日本国内の分裂を誘起するに適当な条項を、日本国憲法の中に織り込んでおくことにしたのであります。それですから、その意図の結果が、今、実際にあらわれて来ているのでありまして、階級闘争は激化し、事業は、資本・経営・労働の三者一体であるとき栄えるのであるが、


労務者が経営者を敵として闘い、敵と敵とが同じ事務所や工場で仕事をしている奇怪な光景を現出しています。また学生は学長や教授会と相反目し、学生そのものがゲバ棒、投石、火焔瓶等をもって学校そのものの校舎、講堂、教室を破壊し、研究資料や勉学施設を破壊し、さらに街頭にまでも進出し停車場を焼打ちするような乱暴を働く。


家庭は父母と子供との間は分割されたままで相互断絶して、親の世代と子の世代との間には魂の対話はないのであります。老人は愛情の関係によって護られないで社会保障という物質的施設の中にほうり込まれて、子供たちの世界から遮断され断絶したまま此の世を去って行くのであります。


転載終わり

あの共産主義ソ連ですら動物を避難させたのに、菅直人は生き物(家畜・ペット)を見殺しにしている!

2011年04月23日 14時32分12秒 | 現代日本
 yahooブログの「蘇る日本!日本を良くすることができるのは、わたしたち日本人です」からの転載です。原発20キロ圏内の避難命令がだされた地域に取り残された家畜、ペットの惨状はあまりにむごすぎます。放置され、食物も水も与えられることなく餓死させられる動物たちは、人間だけが頼りの状態で自由を奪われて、人間を待ちながら死んでいっているのです。その末路のあまりの酷さは、この何の罪もない動物がどうしてこのような目に遭わねばならないのかと、涙が止まりません。



転載開始

【高田純】東日本の放射線状況を報告する会[桜H23/4/12]

14:15あたり

高田純教授(札幌医科大学、放射線防護学)


政府の避難指示の犠牲です。

 家畜も避難させてあげればよかったんですね。


 ところが、これを放置させてしまったというのはどういうことなのか!?
 生き物を・・。考えられないですよね。

 あのソ連ですら共産主義国家のソ連ですら、輸送したのに。
 (しかし、)この人道国家(であるはずの)日本政府は、
 菅直人は(家畜を)輸送をしなかった。

 分かりませんね(理解できませんね)。

 こういうことだったって、皆さん知りませんよね。」




【原発10キロ圏内取材】見捨てられ鳴き叫ぶ牛たちの悲しき末路
 2011年4月上旬、福島県双葉郡浪江町を徹底取材。浪江町付近に詳しい人たちに同行し実状を探った。数回に分けて、福島第一原子力発電所5~10キロ圏内の実状をお伝えしたいと思う。
 今回お伝えするのは、福島第一原発から10キロ圏内にある浪江町の農場。当然ながらそこには人の姿はなく、飢えに苦しむ牛たちの悲痛な鳴き声が響き渡っていた。その農場では半数以上の牛が死亡しており、死体と同じ柵内(牛舎)で牛たちが叫び声をあげている
 4月11日現在、この農場は政府が避難指示を出す半径20キロ圏内にあるため、放射能濃度が他の地域に比べると極めて高くなる場合があるとされている。それゆえ、この農場の主はこの場から離れ、牛たちにちエサや水を与えない状態が続いていると思われる。
 牛たちの死因は餓死や衰弱死ではないかと推測できるが、明確な死因は不明である。放射性物質や放射線被曝が恐ろしくエサを与えに行けないのは理解できるし、逃げざるを得ないのも理解できるが、悲痛な叫び声をあげる牛たちがあまりにも悲惨すぎる。
 本来は、牛が水飲み場のペダルを鼻先で押すと水が出て飲めるようになっているのだが、水道が止められているのか、水が出ることはなかった。
 偶然、取材の場で居合わせた浪江町の住民が理由を知り、水とわずかなエサを用意してくれたが、疎開するためこの日限りとのこと。すでに避難しており、この日は家に荷物を取りに戻る途中だったという。
 定期的にエサと水を与えてくれる動物保護団体がいればいいのだが……。このままではあと数日で牛たちが餓死してしまう。
 この実状を知ってもらうため、カメラマンが撮影した牛たちの悲惨な姿をあえて掲載することにする。農家を責めるつもりはないし、人間が優先なのもわかる。しかし、人間たちの影響で本来とは違う、悲惨な末路を迎える見捨てられた動物たちがいることを忘れてはならない。
 牛たちはこうしている今も、飢えながら死体が転がる農場で人間が帰ってくるのを待っている。それは、ペットとして飼われていた犬や猫も同様である。
執筆・写真: tachyon.
http://rocketnews24.com/?p=87005





↓ショッキングな映像が出てきますので、ご注意ください。
Many cattle are dying.







【原発10キロ圏内取材】消えた飼い主を探してさまよう犬たち / クサリが取れず餓死も
 2011年4月上旬、放射性物質の濃度が高いとされている福島県双葉郡浪江町を徹底取材した。福島第一原子力発電所5~10キロ圏内の実状をお伝えしたいと思う。
 取材班は、『アニマルフレンドシップ』や『人と猫共生会』など、3~4つほどの動物保護団体が合同で犬や猫を救うチームに同行取材をさせてもらった。このチームは、危険とされている地域・浪江町の住民から「ペットを助けて欲しい」と依頼されている。
 このチームの目的は、避難地域から救出した犬や猫を安全とされる地域に避難させて育て、飼い主が見つかったら返すというもの。放射線物質による被曝を防ぎ、毎日エサを与えるのである。飼い主が見つかるまでは、一時的に「預かりボランティア」の方に育ててもらうのが普通だ。犬猫を保護した場所には、チームの連絡先が書かれた張り紙をしておく。
 取材班はチームとともに自動車で浪江町へと向かった。セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートなど、いつも普通に見かけている店が閉店状態になっている。人の姿はなく、牛が単独で畑を歩き、非常に不気味な光景となっている。街中には自動車も多数あるが人がいるわけではなく、そこに放置されているだけである。
 ペットたちは、飼い主(人間たち)がいなくなった町で生活している。多くの人たちは飼い犬のクサリをはずして自由に動けるようにしてから避難しているようだが、クサリをはずさないまま放置して逃げた飼い主もおり、移動できずそのまま餓死している犬もいる。
 「あれ? 誰もいない……」という状況に陥った犬は、同じように途方に暮れて歩いている同じ境遇の犬と仲間となり、一緒になって行動しているパターンもある。実際、記者は浪江町で3匹のグループになった犬を発見した。
 久しぶりに人間を見たのか、かなり警戒してこちらに近づいてこない。猫の場合はケージにエサを仕掛けて、そこに入ってきた猫を捕獲するという手段で保護しているが、犬の場合はこちらに近づいてこないと捕獲することが難しい。
優しい声をかけてこちらに誘導すると、少しずつだが犬たちが近づいてきた。エサを与えると食べるものの、警戒して決して触らせてくれない。30分ほど時間をかけて犬たちを安心させ、なんとか首輪にロープをつけて捕獲成功。
 しかし、簡単に捕獲できる犬もいる。無人のファミリーマートの店舗前に記者が犬を発見。けっこう人なつっこく、すぐに「おすわり」をして首輪にロープをつけることができた。お前たちは、人に見放されてもここまで従順なのか……。
 ケージの数が足りず、泣く泣くエサだけあげて、そのままおいてきた犬もいた。人を信じて、人に捨てられ、この犬たちはどのような心境でいるのだろうか?
 飼い主がペットと一緒に逃げたくても、状況がそれを許さないのも事実。断腸の思いで犬を置いてきた人もいるはずであり、すべての飼い主をひとくくりにして責めることはできない。農家の牛も同様である。
http://rocketnews24.com/?p=87195




【原発10キロ圏内取材】消えた飼い主を探してさまよう犬 dogs are abandoned.




福島第1原発 牛に「ごめん」 警戒区域化で最後の世話
 ◇楢葉町牧場主

 同県楢葉町の蛭田(ひるた)牧場。20キロ圏外のいわき市に避難している経営者の蛭田博章さん(42)は21日、約130頭の牛たちに最後の餌を与えた。強制力のない「避難指示」の段階では、3日に1回のペースで餌やりのため牧場に入っていたが、22日午前0時以降は不可能になる。蛭田さんは「何もしてやれず、ごめん」と牛たちにわびた。

 この日、蛭田さんが干し草を積んだトラックで到着すると、エンジン音を聞いた牛舎からは一斉に鳴き声が起きた。まず飲み水を与え、次に干し草を一列に並べると牛たちは我先にと食べ始めた。与えたのは1日分。牛が飲まず食わずで生きられるのは約1カ月が限度という。

 子牛の牛舎を見ると生後3カ月の雌牛が栄養不足で死んでおり、別の1頭が絶えそうな息で横たわっていた。蛭田さんは重機で掘った穴に死んだ子牛を埋め、瀕死(ひんし)の子牛の背中をずっと、なでた。「ごめんな、ごめんな」。涙が止まらなかった。

 立ち入りが禁止される今回の事態を前に、牛舎から牛を解き放とうと何度も悩んだが、近所迷惑になると考え、思いとどまった。最後の世話を終えた蛭田さんは「一頭でも生かしてやりたかったけど、もう無理みたいです。次に来るときは野垂れ死にしている牛たちを見るのでしょう。つらいです」。それ以上、言葉が続かなかった。【袴田貴行】
(以下、省略)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110421-00000040-maip-soci








あの共産主義ソ連ですら、動物を保護したのに、

菅直人はいくらペットや家畜を犠牲にしても、

生き物たちを見殺しにしても、

何とも思わないのか!?







声を上げてまいりましょう!

首相官邸 https://www.env.go.jp/moemail/
原子力安全・保安院 https://wwws.meti.go.jp/nisa/index.html
環境省 https://www.env.go.jp/moemail/


(作成文例1)
福島の家畜・ペットを見殺しにしないで!
 ニュースで、福島県でのたれ死んでいく牛たちの映像を見ました。
 あまりにむごいです。ペットたちも放置状態です。
 警戒区域が設定されてしまっては、もう完全に動物たちを見殺しにすることになります。
 人間を避難させるのはよいですが、なぜ動物たちも避難させないのでしょうか?

 チェルノブイリの際には、ソ連でさえ動物たちを避難させたと聞きます。
 人道国家日本なのですから、せめてまだ生きている動物たち(家畜・ペット)を救うよう、具体的な措置を緊急に取って下さいますようお願いいたします。
 現状のままではあまりにひどすぎます。
 どうか動物たちの命を救うようお願いいたします。



(作文例2)

1)20キロ圏内での愛護団体、ボランテイアの活動の継続
 徘徊犬猫その他愛玩動物の保護捕獲は私達の様な動物ボランティアでなければ成し遂げられません。
 経験と技術が無ければ救助は困難です。私達は自己責任で活動しており、この区域で活動したことによって将来、健康上の問題が発生してもいかなる苦情、要求を行うことはありません。圏内への出入り時に警察の荷物チェックを受ける等いかなる条件にも従います。動物ボランティアが活動時間や装備等必要な条件を満たした上で、引き続き20キロ圏内で活動を続けられますようお取り計らい下さい。

2)飼い主自身によるペット救出
 ペットを飼い主自身が連れ戻すことができるよう車両の準備をお願いします。遠方避難等で飼い主自身が赴けない場合、愛護団体等が代行できるようお願いいたします。


転載終わり