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主権回復後三十年の祈り  未だ精神的占領下の日本

2011年04月27日 01時39分40秒 | 現代日本
 次の文章は、昭和57年のある雑誌に載っていた記事です。

 昭和二十七年四月二十八日、サンフランシスコ講和条約の発効によって、わが国民は、久しい占領下の苦惨の日々を脱して、国の主権を回復することが出来た。
 その時以来、三十年の歳月は、いつの間にか、流れすぎて行った。だが、そのように長い歳月を経ても、わが日本は、果たして完全な独立主権国家としての自身を回復することが出来たか?
 その主権回復の日まで、七年にあまる前敵国による占領下の時期こそは、わが祖国にとっては、三千年の歴史の間にもついに経験しなかった苦渋の日々であった。祖国は、その七年余の歳月の間、まさしく、文字通り亡国の状態にあったのである。
 国家を構成する三つの要素は、主権と、国民と、国土であると言われている。だが、その占領の時期の間、わが国土は、ことごとく占領軍司令部の支配するところであった。
 さらに、主権もまた、明らかに占領軍最高司令官の制約下にあったのだ。残るところは、わずかに占領統治下の国民があっただけだ。これを亡国と言わずしてなんと言おう?

 日本は、すでに、米戦艦「ミズーリ」の艦上において、正式に降伏の文書に調印していた。連合諸国との一切の戦争関係はこの時をもって完全に終わっていたのだ。それにもかかわらず、連合諸国は、兵を進めてこの国の全土を占領した。これを占領軍最高司令部の完全な支配下においた。これは許され得ることか?
 しかも、占領は七年余の長きにわたって続けられた。もし眼前の大陸において、ソビエト連邦のあらゆる支援による中国の共産主義革命がにわかに成功し、ここに巨大な版図と世界最大の地上軍を擁する共産主義国家「中華人民共和国」の出現を見ることがなかったならば、―――さらにまた、その中華人民共和国とソビエト連邦とが条約の成分に日本を「敵」として明記した軍事同盟条約を結び、その同じ年の六月、この条約を背景として北朝鮮及び元帥彭徳懐(ベンテーファイ)の指揮する中共義勇軍をもって韓国を侵略することがなかったならば、占領は、なお十年続いたか、何びとも知ることは出来なかったのである。
 日本は、降伏の後なお四年余を経たに過ぎなかった。国土は、ことごとく惨憺たる廃墟の姿であった。国民は、いかにしてその日を過ごすかに必死に身を労し、心を労していた。
 国軍は、つとにことごとく解体されて、あらゆる意味において完全な非武装国家であった。まして、いまは前敵国の占領下にある、自身の意志をすらも持ち得ぬ国民であるものを―――。その脅威を口実として、世界最大の軍事力を持つ二つの共産主義国家が攻守同盟の軍事条約を締結するとは!その目標が日本の征服にあったことは、明白な事実であらねばならない。
 朝鮮動乱は、この軍事同盟を背景として戦われたのである。

 この事が米合衆国を激しく衝撃した。ワシントンの政府は、初めて、1935年の第7回コミンテルン大会以来、徹頭徹尾ソビエト連邦の謀略に欺かれ、操られて来ていたことに心付いたのである。共に太平洋圏の平和と自由を護るべき最も深い関係にある友を、却って敵としたばかりではない。ついにはこれを敗戦に追い込んでなお足らず七年にあまる苛烈な占領によって、この国をしてその魂をまで喪わしめた。そのことに気づいた彼らの驚愕と悔恨とが、にわかに米合衆国のわが日本に対する政策を百八十度転換せしめたのだ。
 占領軍最高司令官ダグラス・マッカーサーも、任を解かれて日本を去る際に、時の首相吉田茂氏にわざわざ言い残した筈だ。「自分は、いま、任を解かれて日本を去る。日本は、只今より完全な独立主権国家に還るのである。占領中の全ての施政は、もはや過去のもの。明日からは、日本本来の政策に立ち返られるよう」という意味のことを言い遺したと、私も、吉田首相自身から聞いた。
 ひとりマッカーサー最高司令官だけではない。大統領アイゼンハワーの時代、大統領の命を受けて彼に代わってわが国を訪れた前大統領ニクソンもまた、日米協会の講演に臨んで、同じような希望を言い残している。「日本占領の期間中にわが米合衆国が日本に対して採った政策は、今にして思えばまことに大きな誤りであった。われわれはいま、そのことを深く悔いている。今日の日本はすでに完全な独立主権国家、願わくは、一時も早く日本本来の政策に立ち返られるように―――」と切々と説いた筈だ。

 だが、七年余の占領のあいだに日本が受けた麻酔の毒は、あまりに強烈であった。それに加えて、日本国民を深い昏睡の中に引きとどめたものは、その後の米合衆国が、自身が防衛能力を奪ったわが日本に与えた周到な庇護であった。サンフランシスコ講和条約締結と同時に日米安保条約を提供し、米合衆国の核抑止力をもって日本の安全を護った。それが、却って日本国民をして長夜の眠りを続けしめる結果になってしまったのだ。
 その庇護に馴れて、戦後の日本は、眼前に迫る危篤の事態に心付かずに過ぎた。自身を取り巻くアジア・太平洋地域の諸国がどのような混乱と危険の中にあるかすらも、全く思いを及ぼすこともなく、茫然と日を過ごしてきたのである。そのあいだに、インドシナ半島では、自由ベトナムが遂に亡び去った。ソビエト連邦が支援し指令する暴力革命は、枯野を焼く火のように、たちまちにカンボジアを侵し、タイに迫った。
 カンボジアの人口総数は八百五十万、その半ばに近い四百万の国民は、ロン・ノルの革命の後に革命軍によって虐殺された。この国の首都プノンペンは、嘗ては三百万の人口を持つ巨大な都市であった。それが、革命の直後には、人口わずかに一万余、荒涼たる無人の都市と化したのである。
 だが、眼前のアジアのそのような悲劇さえも、この国民にとっては、何らの関心をも惹く事実では無かった。というよりも、指導者によっても、また報道機関によっても、ほとんどこれらの事実は伝え知らされなかったのである。これに続くタイの混乱も、フィリピンを脅かし続けた武装革命勢力「新人民軍」の暴力闘争も、いくたびかインドを危殆に陥れたナクサライトの反乱も、あるいは韓半島に生起しつつある新しい事態も、それらはすべて、わが国民の関心の外の事件であったのである。

 われわれ日本国民にとって、最大の痛恨事は、七年余の占領統治下において、歴史と共に悠久なるべきわが祖国の精神を、また道統を、一時的にもせよ、破壊し尽くされたことである。母なる国への深く浄らかな愛を喪い果たしたことである。不思議とも言うべき神助によって主権を回復しながら、すでに三十年の歳月を経た今日も、なお、喪われて祖国の魂を奪還する気迫のかけらをすらも持ち合わせぬかのように見えることだ。
 占領の傷痍は、それほどまでに深かったのかも知れない。また、人を疑うことを知らず、人を憎むことを知らぬこの国民の心は、史上嘗て経験せぬ隠悪の限りの謀略の本質を見抜くには、あまりにも素直であり、純真であったのかも知れない。だが、それにしても、主権を回復し、独立を果たし得た意味はどこにある?
 日本は、依然として、精神的占領下にあるのだ。

 その悲惨極まる占領下の外力革命の時期に、占領軍当局が日本廃滅の手段として徹底的に利用したものは、教育の機構であり、また、言論報道の機関であった。
 1917年のロシア革命の指導者ニコライ・レーニンは、「報道機関こそ、革命のための最大の武器である」と断言している。日本の精神的去勢を意図し、本来の日本の廃滅を目指した初期の占領軍が、その新聞を、またラジオを、―――そしてさらに本質的な精神改造の機能としての教育を、彼等の武器として択んだことは、もとより当然であり、また賢明であったと言わなければなるまい。
 その占領の期間、わが国の教育においては、国民道徳の基本は全く教えられることが無かった。「修身」という課目は完全に抹消されたのである。
 自国の歴史すらも、教課目から除かれた。「国史」という課目は消滅したのだ。それは「社会科」の一部であったに過ぎない。
 われわれの知る限りのヨーロッパの多くの名ある大学において、必ず見るものは、その国の古典と歴史の教育に注ぎつつある熱意である。関心である。さらに必ず見られるものは、ヨーロッパ文明の基底であり源泉であるギリシャ・ラテンの古典と、キリスト教の精神とを徹底的に教えていることだ。これこそは、ヨーロッパ諸国における国民道徳の基準であり、源流なのである。これが今日のヨーロッパ諸国における精神生活の基底を成しているのだ。

 だが戦後のわが国民教育においては、そのすべてが抹殺された。国の歴史は軽視され、国の古典もほとんど教えられなかった。この国の命ともいうべき肇国の精神も、民族の道統も、平然として捨てて顧みられなかったのだ。
 いま、本来の日本に還るということは、なによりも、まず、祖国に対する深い愛と信とを奪還することであらねばならない。民族本来の生き方に立ち返ることであらねばならない。
 彼らが日本を弱体化して支配する方法は、日本の「家」という良俗を失わしめること。日本を歴史なき国家として忠孝の感情を一掃すること。日本人に淫蕩な習慣を植えつけて、精神的及び肉体的にこれを頽廃せしめることであった。日本の民主化ということは占領軍がポツダム宣言によって規定したところの日本精神を弱体化せしめるために、日本精神におきかえるための頽廃化政策だということを、もうそろそろ日本人は気がついてもよい筈である。
 わが同胞がそのことに心付く日の一日も早からんことを、切に祈ってやまない。


 古い記事とは言え、それが今現代にもそのまま当てはまるような感じがします。この記事が書かれてから、いまもなお、ずっと日本という国は精神的に占領下にありつづけているのです。



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