チラシの裏

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空我

2005年04月14日 10時13分11秒 | ドラマ・特撮
仮面ライダークウガ 最終回

前回、クウガとグロンギの関係が分からない、と書いたが

結論が出たので、書きます。


ネタバレ注意。


48話の最後のシーンこそがクウガのメインテーマだ。

戦いを楽しみ、笑いながら戦うダグバと、

戦いをなくすために、泣きながら戦うクウガ。

しかもそのシーンはライダーと怪人の戦いを描いているわけではない。

そのシーンをテレビで見ていた子供は、引いていたという。

最後はライダーも怪人も人間体で戦っていたからだ。

人間が血だらけになりながら笑っている。

人間が血だらけになりながら泣いている。

こんなものを見ても、いい気がしないよね。

カッコ良いと思わないよね。

それでいいんです。

現実世界の人間の争いを例えているのだから。

戦うことの醜さを描いているのだから。


古代から続くクウガとグロンギの戦い。

古代のクウガは、憎しみの力によって「究極の闇をもたらす者」になってしまい、

グロンギのような「醜い人間」と等しくなってしまった。

しかし

現在のクウガは、五代雄介(オダギリジョー)は、憎しみの力を使わなかった。

みんなの笑顔を守りたいという強い想いによって

「究極の戦士」に超変身した。


つまり、「クウガ」と「グロンギ」とは、

人間の「美しい部分」と「醜い部分」。


それは前回の時点で分かっていたことだが

まだ何かがあると深読みしすぎていた。

だから「最後の3話はあっさりしすぎていて燃えなかった」などと書いたわけだが

そもそも最後に描かれていたテーマは上記のような切ないものだったので

燃えを期待していた俺はお門違いだった上に、

もしも最後の戦いで燃えていたら、俺は


グロンギと同じ下衆な人間


ということになるから、まぁ、良しとしよう(ワラ


あと、グロンギ語の翻訳はあくまでオマケ程度だな。

メインテーマに直結する重要な部分はリント語(日本語)で言ってるし。


「クウガ」はシンプルで分かりやすく、誰でも楽しめる作品でした。


ちなみに、「空我」は48話のサブタイトルです。