大阪に10年間も暮らしていたのに、大阪行くのにガイドブックを探しています(2010.9.21)

2010-09-21 17:18:25 | Weblog

*左;一緒に暮らすようになった時、家人がもってきた大阪市の地図帳です。昭和43年4月版、150円です。今、何の役にもたちません。捨てればいいのに、ですね。

 1962年(昭和37年)に、岡山県を出てから10年大阪で暮らしていました。東京なんて考えられない、まず大阪でした。学生、社会人入り、世帯を持つという、19歳から28歳まで、今から思えば、人生でもっとも夢のあった時代を大阪で暮らしていたのです。

 それから1970年に札幌に、1973年には東京へと流転の人生を送りました。
 大阪を出てから、40年ほどの間に、東京―大阪とんぼ返りの出張は何度もしましたが、ゆっくり大阪のキタを歩いたことはありません。ミナミに至っては、なんば・心斎橋・千日前、行ったこともないのです。

 明日(22日)、大阪へ行きます。姪の結婚式出席が主目的です。
 家人と一緒に出席ですが、行きかえりの新幹線と結婚式とホテルは一緒ですが、後は別行動です。この頃のわが家、新幹線すら別であることもざらです。

 つまり、ざっと2日ほどの自由行動があります。どうしようかと思案しているのです。それで、私の<旅に出るとき入念にガイドブックで調べていく>という手法を思い出しました。
 大阪のガイドブックなんて、わが家にあるわけありません、本屋で立ち読みしたこともありません。京都観光特集の雑誌は山のようにあります。だいたい観光地でもない大阪にガイドブックなんてあるんだろうか。

 それで、春日部の図書館にいきました。やはりありません。が、<乙女の大阪>というガイドブックを見つけ、借りてきました。

*春日部市立図書館にあった、<乙女の大阪>甲斐みのり著 2008年1月、マーブルトロン発行。1500円。表紙のデザインは、大阪梅田の阪急百貨店の包装紙も嬉しい。

 <乙女の大阪>のタイトルに、なんか魅かれてしまったのです。高齢者には、いささか恥ずかしいタイトルです。貸出カウンターには隠すように出しました。

 先日つれあいを亡くした義妹と食事をしようとしています。
 なんば・高島屋前を待ち合わせ場所にしたのですが、30年前の高島屋の記憶と現実の違いに不安を覚えているのです。すっかり変わっているでしょう。

 その昔、心斎橋筋を用もなく歩き、御堂筋いっぱいに手をつないで歩いたフランス式デモの記憶です。60年代終わりのことです。
 妹もまた、その記憶を変わりなく持っていてくれているといいのですが、もっとも、その後、ずーっと大阪のおばちゃんを続けてきたので、どうでしょうか。

 1970年は大阪万博の年。70年6月30日は安保自動改定の日です。その夜のデモ行進の最中に、大阪を発って札幌に居を移したのです。・・・・といって、青臭い小説ばなしでなく、単なる転勤です。72年の札幌オリンピックに向けてということでした。

 その頃、大阪には純喫茶と呼ぶ店がたくさんありました。それとお好み焼き屋です。現代のように最初からお酒を飲む時代と違って、ノンアルコールがあった時代です。同伴喫茶というのもありました。

 なれなれしくなると、たいてい餃子のでした。“♪ふたりで食べれば、におわない~・・・ふたりの大阪~♪”です。大阪キタ・阪神裏、千日前、京橋・・・の看板を見つけると、ずっと後になって外国でマグドナルドに見つけた時も、同じ安らぎを覚えていました。
 サイフがいつも空っぽの時代、ギターが千円で質屋に出入りしていた時代です。

 結局は、ガイドブックを読まずに歩くことでしょう。やっぱり、大阪に観光ガイドブックなんていりません。