どうせ自分が先なのだろうが、つれあいに先立たれたことを思う(2010.9.1)

2010-09-01 18:44:47 | Weblog

 4,5日前のことです。訃報をもらって、大阪にかけつけました。家人の妹のつれあいさんが突然の他界です。
 私のようにダイナマイトを持つ身でもないのに突然だったのです。

 木曜(8月26日)に訃報、金曜にお通夜、土曜にお葬式です。
 暇な毎日ですが、週末は、何やかや目いっぱいが続いていました。

 金曜のお通夜に、間に合うように出かけます。
 大阪南部のニュータウンでした、私の知らない大阪の風景でした。

 つつましやかでしたが、しめやかなお通夜。つれあい、親を亡くして動く遺族に悲しんでいることを許しません。けなげさが胸にきます。
 通夜の客が帰って、一晩、明かしました。


*故人ゆかりの品と書かれた尺八。大変な尺八なんだそうです。一緒に天にいったのでしょう。

 故人は徳之島の出身で縁の人も徳之島の人でした。私とほぼ同世代、徳之島の戦後生活に話が及びました。徳之島が日本に戻ったのは昭和28年のことです。日本に切り捨てられたという気持ちがにじんでいました。
 翌朝、台風が来ているけど帰れるかなあ、と。

 つれあいを亡くした妹とは、1960年代後半の大阪時代をともにしました。
 その時代、少し蒼い議論をしたり反戦歌を歌ったり、本の好きな頑張り屋さんでした。

 私は、翌日、告別式の始まる直前に、会場を後にしたのです。
 その夜は、地元、町の夏祭りでした。花火にむなしさを感じていました。

    【おまけ】

*由緒ありそうな焼酎をどうしよう。

*日曜日に宅急便で、宮崎のお土産が届きました。突然、大阪に出かけた土曜日に、宮崎からの人にお会いする約束を持っていたのです。お土産を用意して下さっていたのです。 がんばれ宮崎!とだけ書いておきます。